亡くなった著名人を紹介する読売(木須井麻子編集委員)の追悼抄、9月25日は元特攻隊員で茶道裏千家前家元千玄室さん。
日本の伝統文化である茶道裏千家の十五代家元で、家元を長男の千宗室さんに譲ってからも「一碗からピースフルネス(平和)の理念を唱え、茶の海外伝道を続けた。
「お先に」と「どうぞ」人を思いやる心が平和につながると説いた。
同志社大在学中の1943年に学徒出陣で海軍に入隊した。配属先の航空隊では訓練の合間に、やかんの湯で茶会を開いた。一緒だったのが親友で水戸黄門を演じた俳優西村晃さん(97年死去)。
千さんは出撃しないまま終戦を迎え、西村さんは悪天候のため生還したが、海軍飛行予備学生の同期411人は戦死した。
生き残った負い目を抱え、茶を広める傍ら、毎年のように戦跡で海軍同期生らを弔った。
「一碗のお茶で二度と戦争を起こしてはならないと伝えていく」と戦友たちと誓う。
死線を潜り抜けるという言葉があるし、死を覚悟という言葉もある。
特攻隊員になった以上、出撃はしなかったとしても当然のことながら死を覚悟しているはずだし、まして、出撃するも悪天候で生還したとなれば、なおさらで、千さんと西村さんは特攻で散華した戦友たちには後ろめたさを抱きながらも、死なないでよかったと語り合える親友だという。
二人に共通するのは、眼光である。一度死を覚悟した目をしていることは自分だけが感じていることかどうかわからない。
ほかに、俳優池辺良と歌い手三島敏夫も同じような目をしている。
聞くところによれば、池辺良は乗っていた船が沈没させられ、海の上を漂流していた時助けられた九死に一生の経験をしたというし、三島敏夫は特攻艇「震洋」の乗組員だった元特攻隊員だという。
茶道といえば、裏千家の先生だという年配の女性に少しばかりお点前を教えてもらったことがあり、その後、陶芸教室に連れ合いと一緒に通い抹茶碗づくりにチャレンジしたことがあるが、畑仕事が忙しくなり、続かなかった。
茶道で教えてもらったことは「一期一会」と「和敬清寂」である。
「お先に」「どうぞ」というやり取りで思い出したことがある。
読売の看板「人生案内」の回答者に作家いしいしんじさんが加わってから、回答に登場するのが待ち遠しくてならない。
他の回答者とまるで違うスタイルの文体で思いがけないことを書いてくれるのだ。
そのいしいしんじさんが相談者への回答で、茶道のお点前で、正客が「お先に」とあいさつすると隣の客は「どうぞ」と応じる、他者への思いやりのことを取り上げていた。
いしいしんじさんは、千玄室さんと面識があると書いていた。
道路で他者の邪魔をする心が捻じ曲がってしまった輩が煽り運転をして事故を誘発したりしていることに対し、真逆の対応である「お先に」と「どうぞ」。
「一碗から平和」を希求し、世界中でお点前をしている原動力が戦争で亡くなった特攻隊員の仲間たちへの供養のように受け止めている自分もまた、なんとしても戦争にならないように願っている。
2025年09月26日
2025年09月25日
性犯罪歴確認 子どもの被害防止に防犯カメラ
子どもと接する業務に就く人の性犯罪歴を確認する新制度「日本版DBS」の運用指針の骨格がまとまった。
学校を含む対象事業者を最大約23万と見積もり、民間の子ども食堂や芸能事務所など広く設定したことが特徴だ。犯歴情報を厳格に管理する負担などから敬遠される恐れがあり、子どもを性被害から守る「網」をどれだけ広げられるかが課題となる。と9月14日の読売(阿部華子、熱田裕雅記者)がスキャナーの紙面で伝えている。
性犯罪は数ある刑法犯の中でも更生が難しいことで知られる。性犯罪でも子どもを己の欲望の相手とするものは昔は変質者と呼ばれたりしたが、近年は幼児性愛者などと呼ばれている。
一般的に考えて、大人の女性を性の対象とするのが普通だが、幼児性愛者や児童生徒を狙う者の犯罪性向を改めさせることは難しい。
学校であれ、社会であれ、権力を持った人間がその権力を使って性暴力をすることは卑怯者がやることで、教員が児童、生徒を相手にすることはこの範疇に入るから、絶対に許されないことだ。
性犯罪歴をチェックすることで、児童、生徒を狙う性犯罪者を減らすことはできるはずである。
性犯罪の過去、性犯罪歴がある場合、また、やる可能性が高いことはよく指摘されることだ。
性犯罪歴があって、所定の更生プログラムを終了し、なおかつ、現実に更生できている場合は数少ないにしても、差別的に扱うことはよくないことだが、これだけ、児童生徒を狙う性犯罪者がいる以上やむをえない。
とにかく、一番の問題は性犯罪を起こさせないようにすることである。
こども家庭庁の検討会は、子どもへの性暴力対策として、防犯カメラの設置は「有効だ」と明記している。
子どもを性暴力から守ろうとするためなら、防犯カメラの設置などできることはやらなければならない。
教員という職業は社会的に見ても安定しているし、待遇も保育や介護などと較べても優位にあるにもかかわらず、性暴力犯罪がなくならない。
子どもに対する性暴力で捕まれば、まず、懲戒免職になる可能性が高く、性犯罪歴の確認が徹底されれば、学校への再就職は難しい。
子どもへの性暴力は捕まる可能性が高く、懲戒免職になることが分かっていながら、性暴力犯罪を繰り返すのは病気としか言いようがない。
病気は治療するしかない。
性犯罪歴の確認をとにかく徹底し、一度でも子どもに性犯罪をした者は、二度と子どもと接する職業に就けないようにすることは当然のことである。
少子化が叫ばれている割に、社会の宝だったはずの子どもが守られていないのは大人の責任、かつ社会の責任でもある。
プライバシーの保護からみて、情報管理の徹底は言を俟たない。
学校を含む対象事業者を最大約23万と見積もり、民間の子ども食堂や芸能事務所など広く設定したことが特徴だ。犯歴情報を厳格に管理する負担などから敬遠される恐れがあり、子どもを性被害から守る「網」をどれだけ広げられるかが課題となる。と9月14日の読売(阿部華子、熱田裕雅記者)がスキャナーの紙面で伝えている。
性犯罪は数ある刑法犯の中でも更生が難しいことで知られる。性犯罪でも子どもを己の欲望の相手とするものは昔は変質者と呼ばれたりしたが、近年は幼児性愛者などと呼ばれている。
一般的に考えて、大人の女性を性の対象とするのが普通だが、幼児性愛者や児童生徒を狙う者の犯罪性向を改めさせることは難しい。
学校であれ、社会であれ、権力を持った人間がその権力を使って性暴力をすることは卑怯者がやることで、教員が児童、生徒を相手にすることはこの範疇に入るから、絶対に許されないことだ。
性犯罪歴をチェックすることで、児童、生徒を狙う性犯罪者を減らすことはできるはずである。
性犯罪の過去、性犯罪歴がある場合、また、やる可能性が高いことはよく指摘されることだ。
性犯罪歴があって、所定の更生プログラムを終了し、なおかつ、現実に更生できている場合は数少ないにしても、差別的に扱うことはよくないことだが、これだけ、児童生徒を狙う性犯罪者がいる以上やむをえない。
とにかく、一番の問題は性犯罪を起こさせないようにすることである。
こども家庭庁の検討会は、子どもへの性暴力対策として、防犯カメラの設置は「有効だ」と明記している。
子どもを性暴力から守ろうとするためなら、防犯カメラの設置などできることはやらなければならない。
教員という職業は社会的に見ても安定しているし、待遇も保育や介護などと較べても優位にあるにもかかわらず、性暴力犯罪がなくならない。
子どもに対する性暴力で捕まれば、まず、懲戒免職になる可能性が高く、性犯罪歴の確認が徹底されれば、学校への再就職は難しい。
子どもへの性暴力は捕まる可能性が高く、懲戒免職になることが分かっていながら、性暴力犯罪を繰り返すのは病気としか言いようがない。
病気は治療するしかない。
性犯罪歴の確認をとにかく徹底し、一度でも子どもに性犯罪をした者は、二度と子どもと接する職業に就けないようにすることは当然のことである。
少子化が叫ばれている割に、社会の宝だったはずの子どもが守られていないのは大人の責任、かつ社会の責任でもある。
プライバシーの保護からみて、情報管理の徹底は言を俟たない。
2025年09月24日
児童虐待と冤罪のドキュメンタリー映画を撮る
自分の立ち位置でできることに取り組んできた人物を紹介する読売(布施勇如記者)の「顔 Sunday」の9月21日は「冤罪巡り『正義』『報道のあり方』問う」という見出しで、ドキュメンタリー映画を撮った「弁護士記者」上田大輔さん(46)。
児童虐待と冤罪を8年間取材したドキュメンタリー『揺さぶられる正義』で映画監督を務めた上田さんは無実の人を救う刑事弁護人志望で、2007年司法試験合格。2009年関西テレビに企業内弁護士として入り、法務全般を担当した。
報道局への異動の希望が叶い、記者として2年目の2017年、乳幼児の体を激しく揺さぶって死傷させたとして親族が逮捕された「虐待」事件で医学的根拠が揺らぎ、冤罪が次々に生まれていることを知った。
難解な海外の文献を読み、鑑定医らを訪ねた。
当事者として報じらた人はメディアへの強い不信感を募らせていたが、記者に転じた経緯を話すと徐々に口を開いてくれた。
「虐待」を理由とする親子の分離、雪冤に挑む弁護士らの労苦を含め、取材の結果はテレビ番組3部作となって成就。映画では「正義」の意味と事件報道のあり方を問い直す。
人が予断、偏見から逃れることがいかに難しいか、自身の葛藤を含め映画で描いた。
月に一度の映画館行きを自分に課してきた。9月は『雪風』を観る予定だったが、8月23日に自分の命より大事な連れ合いが庭で転倒し、入院して膝の手術、その後、リハビリという突発的な事故に遭い、映画館に行くどころではなかった。
今、どうしても観たいのは中国での人身売買を描いた『盲山』であるが、普段行く映画館ではどこも上映してくれないし、ネットで調べるとどうも無理そうである。
『揺さぶられる正義』は予想通り東中野で観られそうだが、足が不自由で杖が必要な連れ合いと一緒に電車に乗るのは心配だが、できれば観たい作品の一つであることは間違いない。
冤罪といえば、『約束〜名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯〜』を手がけてくれたのは東海テレビのスタッフである。
冤罪を訴え再審請求を繰り返していた奥西勝さんが八王子の医療刑務所で獄死してから、裁判を引き継いだ妹の岡美代子さんのことを描いた『いもうとの時間』も観ているが、これも東海テレビのスタッフの制作だから、実に佳い仕事をしてきたものである。」
やはりテレビの影響力は大したものだ。
児童虐待と冤罪の問題を8年間取材し、テレビで放送し、やがて映画化したという点では、名張事件の東海テレビのスタッフ同様見事であるが、関西テレビの上田大輔さんは自らが弁護士だから、司法の専門家であり、かつ記者ということで、裁判では当事者の気持ちもよく理解できたのではないか。
雪冤という言葉は難しいが、雪の白さではないが、無実、身の潔白を明らかにすることだから、冤罪は再審請求が認められ、裁判で身の潔白が明らかになるまでは被告になってしまうと時間がかかってしまう。
再審請求制度を早急に見直し、再審法を改正する必要がある。
児童虐待と冤罪を8年間取材したドキュメンタリー『揺さぶられる正義』で映画監督を務めた上田さんは無実の人を救う刑事弁護人志望で、2007年司法試験合格。2009年関西テレビに企業内弁護士として入り、法務全般を担当した。
報道局への異動の希望が叶い、記者として2年目の2017年、乳幼児の体を激しく揺さぶって死傷させたとして親族が逮捕された「虐待」事件で医学的根拠が揺らぎ、冤罪が次々に生まれていることを知った。
難解な海外の文献を読み、鑑定医らを訪ねた。
当事者として報じらた人はメディアへの強い不信感を募らせていたが、記者に転じた経緯を話すと徐々に口を開いてくれた。
「虐待」を理由とする親子の分離、雪冤に挑む弁護士らの労苦を含め、取材の結果はテレビ番組3部作となって成就。映画では「正義」の意味と事件報道のあり方を問い直す。
人が予断、偏見から逃れることがいかに難しいか、自身の葛藤を含め映画で描いた。
月に一度の映画館行きを自分に課してきた。9月は『雪風』を観る予定だったが、8月23日に自分の命より大事な連れ合いが庭で転倒し、入院して膝の手術、その後、リハビリという突発的な事故に遭い、映画館に行くどころではなかった。
今、どうしても観たいのは中国での人身売買を描いた『盲山』であるが、普段行く映画館ではどこも上映してくれないし、ネットで調べるとどうも無理そうである。
『揺さぶられる正義』は予想通り東中野で観られそうだが、足が不自由で杖が必要な連れ合いと一緒に電車に乗るのは心配だが、できれば観たい作品の一つであることは間違いない。
冤罪といえば、『約束〜名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯〜』を手がけてくれたのは東海テレビのスタッフである。
冤罪を訴え再審請求を繰り返していた奥西勝さんが八王子の医療刑務所で獄死してから、裁判を引き継いだ妹の岡美代子さんのことを描いた『いもうとの時間』も観ているが、これも東海テレビのスタッフの制作だから、実に佳い仕事をしてきたものである。」
やはりテレビの影響力は大したものだ。
児童虐待と冤罪の問題を8年間取材し、テレビで放送し、やがて映画化したという点では、名張事件の東海テレビのスタッフ同様見事であるが、関西テレビの上田大輔さんは自らが弁護士だから、司法の専門家であり、かつ記者ということで、裁判では当事者の気持ちもよく理解できたのではないか。
雪冤という言葉は難しいが、雪の白さではないが、無実、身の潔白を明らかにすることだから、冤罪は再審請求が認められ、裁判で身の潔白が明らかになるまでは被告になってしまうと時間がかかってしまう。
再審請求制度を早急に見直し、再審法を改正する必要がある。
2025年09月23日
犯罪被害者遺族と原爆や特攻で生き残った人の罪悪感
井上ひさし『父と暮らせば』を原作とした映画『父と暮らせば』で被爆しながらも生き残った娘が亡くなった父親に抱く罪悪感、「自分だけ幸せになってよいのか」と結婚してよいものかどうか葛藤する。
原爆に限らず、特攻隊で生き残った人からもしばしば耳にする罪悪感。
9月21日の読売 広角/多角というコラムに「悲しむ遺族が幸せになるまで」という見出しで石浜友理記者が犯罪における被害者遺族が抱く「自分だけ生き残った」「救うことでできなかった」といった罪悪感から、「笑ってはいけない」「しあわせになってはいけない」という気持ちを抱く人が少なくない。遺族に落ち度など全くないのに」だ。と書いている。
全国犯罪被害者の会(あすの会)代表幹事だった岡村勲弁護士のお別れの会で、同会のメンバーだった本村洋さん(49)に罪悪感を抱く遺族に伝えたいことを尋ねると人に人生を語れるような立場ではないがという断りの後、「罪悪感は故人を大切に思った証拠。その感情を抱きつつも自分を赦せるときが来たら素直にその気持ちに従えばいい。自ら幸せになることを拒む必要はない。人は幸せになるために懸命に生きていいと思うから」
「不幸や困難から立ち直ろうと懸命に生きている人を支える社会であってほしい」本村さんの静かな願いに胸を打たれた。と結ぶ。
語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援を訴えてきた。
戦争で生き残ったというよりも、一度は死を覚悟した特攻隊や玉砕の島、あるいは被爆しながらもなんとか助かった人たちの中から幾度となく耳にした言葉「罪悪感」。
特攻隊員が先に散った仲間に、自分も後から続くと約束しながら、自らは助かったとすれば、戦友に対し裏切ったような気持ちを抱くことは理解できる。
この罪悪感を犯罪被害者の遺族も抱くとは考えもしなかったが、岡村勲弁護士がその連れ合いを殺されたことに対し、加害者に仕事上の恨みを買ったことが原因だったことから、連れ合いに申し訳ないことをしたと心中を吐露していたと耳にしたことがある。
この場合は、岡村弁護士が抱いた罪悪感という感情を素直に理解できる。
光市の事件の被害者遺族である本村洋さんが罪悪感は故人を大切に思った証拠だということは説得力がある。自分が傍にいたら、助けられたかもしれないということと同義語かもしれない。
父と暮らせばで、作家井上ひさしは被爆して今は天国にいる父親と現世を生きる娘が会話するという予想外のシュチュエーションを用意する。
愛する者同士であれば、生き残った相手には無論幸せになってね。と言葉を送ってくるだろう。
それだけに、生き残った者は、自分だけ幸せになっていいのか。父と暮らせばの娘みたいな心情を抱くのも無理がない。
命あることが大事で、命のある限り、生きていかなければならない。
軽々に命を奪ってはならない。
戦争はやってはいけないし、犯罪も減らしていかなければならない。
原爆に限らず、特攻隊で生き残った人からもしばしば耳にする罪悪感。
9月21日の読売 広角/多角というコラムに「悲しむ遺族が幸せになるまで」という見出しで石浜友理記者が犯罪における被害者遺族が抱く「自分だけ生き残った」「救うことでできなかった」といった罪悪感から、「笑ってはいけない」「しあわせになってはいけない」という気持ちを抱く人が少なくない。遺族に落ち度など全くないのに」だ。と書いている。
全国犯罪被害者の会(あすの会)代表幹事だった岡村勲弁護士のお別れの会で、同会のメンバーだった本村洋さん(49)に罪悪感を抱く遺族に伝えたいことを尋ねると人に人生を語れるような立場ではないがという断りの後、「罪悪感は故人を大切に思った証拠。その感情を抱きつつも自分を赦せるときが来たら素直にその気持ちに従えばいい。自ら幸せになることを拒む必要はない。人は幸せになるために懸命に生きていいと思うから」
「不幸や困難から立ち直ろうと懸命に生きている人を支える社会であってほしい」本村さんの静かな願いに胸を打たれた。と結ぶ。
語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援を訴えてきた。
戦争で生き残ったというよりも、一度は死を覚悟した特攻隊や玉砕の島、あるいは被爆しながらもなんとか助かった人たちの中から幾度となく耳にした言葉「罪悪感」。
特攻隊員が先に散った仲間に、自分も後から続くと約束しながら、自らは助かったとすれば、戦友に対し裏切ったような気持ちを抱くことは理解できる。
この罪悪感を犯罪被害者の遺族も抱くとは考えもしなかったが、岡村勲弁護士がその連れ合いを殺されたことに対し、加害者に仕事上の恨みを買ったことが原因だったことから、連れ合いに申し訳ないことをしたと心中を吐露していたと耳にしたことがある。
この場合は、岡村弁護士が抱いた罪悪感という感情を素直に理解できる。
光市の事件の被害者遺族である本村洋さんが罪悪感は故人を大切に思った証拠だということは説得力がある。自分が傍にいたら、助けられたかもしれないということと同義語かもしれない。
父と暮らせばで、作家井上ひさしは被爆して今は天国にいる父親と現世を生きる娘が会話するという予想外のシュチュエーションを用意する。
愛する者同士であれば、生き残った相手には無論幸せになってね。と言葉を送ってくるだろう。
それだけに、生き残った者は、自分だけ幸せになっていいのか。父と暮らせばの娘みたいな心情を抱くのも無理がない。
命あることが大事で、命のある限り、生きていかなければならない。
軽々に命を奪ってはならない。
戦争はやってはいけないし、犯罪も減らしていかなければならない。
2025年09月22日
紙芝居『わたしの命の物語』でハンセン病問題啓発
ハンセン病の元患者藤崎陸安さん(2023年死去)の連れ合い美智子さん(74)がハンセン病問題を啓発するための紙芝居『わたしの命の物語』を完成させ。14日に東京は東村山の国立療養所多磨全生園に隣接する国立ハンセン病資料館で披露会が開かれた。と9月18日の読売(黒山幹太記者)が伝えている。
ハンセン病患者の夫婦の間に授かった新たな命が、「らい予防法」や「優生保護法」を背景に堕胎を余儀なくされ、生まれてくることを許されなかった悲しみを描く。
「こんな悲しみが、二度とない世界を、あらゆる命が、大切にされる世界を。誰もが、祝福されて生まれてきますように」と披露会の最後に美智子さんは願いを込めた。
紙芝居の脚本を担当したのは、どら焼き店で働くハンセン病元患者の主人公樹木希林さんが演じた『あん』の原作者で作家のドリアン助川さん(63)。
ハンセン病のことを知ったのは小川正子『小島の春』(河出書房新社)がわが家の本箱にあったからだが、若かったからか、途中で挫折した思い出がある。
次いで、松本清張『砂の器』を原作とした映画『砂の器』で加藤嘉演ずる本浦千代吉が一人息子秀夫と引き離されハンセン病療養所に隔離されてしまい、息子と再会できる日を待ち望んでいる様子に涙した。
秀夫は父親がハンセン病だったことも含め、過去を消すたため、大阪空襲、空爆を利用して和賀英良に成りすまし、新進気鋭の作曲家として、売り出すのだが・・・。
さらに、上述の『あん』で樹木希林の元ハンセン病患者がどら焼きのあん作りの手練れで、客足が伸びたが、元ハンセン病患者だとわかるとばったり客が来なくなってしまう。
この映画に触発されて、多磨全生園を訪れ、納骨堂の前で供養のために尺八を吹いた。
直近では、熊谷博子監督『かづゑ的』を観て、ハンセン病であっても病気と差別、偏見に負けずに生きる宮崎かづゑさんの暮らしに伴走したドキュメンタリーを観て、いろいろ勉強させてもらった。
藤崎美智子さんが完成させた紙芝居『わたしの命の物語」で、ハンセン病故妊娠中絶を余儀なくされたことに対し、ために子どもを持てなかった人の怒りと悲しみが伝わってきた。
自分が啓発されたのは映画による力が大きいが、本による影響、映画による影響、当然、紙芝居だって影響力はあるに違いない。
『砂の器」の原作は無論読んでいるが、そういえば、『小島の春』はあのままだった気がする。
宿題を提出していない気分である。
死ぬまでに、最後まで読まないといけない。
ハンセン病患者の夫婦の間に授かった新たな命が、「らい予防法」や「優生保護法」を背景に堕胎を余儀なくされ、生まれてくることを許されなかった悲しみを描く。
「こんな悲しみが、二度とない世界を、あらゆる命が、大切にされる世界を。誰もが、祝福されて生まれてきますように」と披露会の最後に美智子さんは願いを込めた。
紙芝居の脚本を担当したのは、どら焼き店で働くハンセン病元患者の主人公樹木希林さんが演じた『あん』の原作者で作家のドリアン助川さん(63)。
ハンセン病のことを知ったのは小川正子『小島の春』(河出書房新社)がわが家の本箱にあったからだが、若かったからか、途中で挫折した思い出がある。
次いで、松本清張『砂の器』を原作とした映画『砂の器』で加藤嘉演ずる本浦千代吉が一人息子秀夫と引き離されハンセン病療養所に隔離されてしまい、息子と再会できる日を待ち望んでいる様子に涙した。
秀夫は父親がハンセン病だったことも含め、過去を消すたため、大阪空襲、空爆を利用して和賀英良に成りすまし、新進気鋭の作曲家として、売り出すのだが・・・。
さらに、上述の『あん』で樹木希林の元ハンセン病患者がどら焼きのあん作りの手練れで、客足が伸びたが、元ハンセン病患者だとわかるとばったり客が来なくなってしまう。
この映画に触発されて、多磨全生園を訪れ、納骨堂の前で供養のために尺八を吹いた。
直近では、熊谷博子監督『かづゑ的』を観て、ハンセン病であっても病気と差別、偏見に負けずに生きる宮崎かづゑさんの暮らしに伴走したドキュメンタリーを観て、いろいろ勉強させてもらった。
藤崎美智子さんが完成させた紙芝居『わたしの命の物語」で、ハンセン病故妊娠中絶を余儀なくされたことに対し、ために子どもを持てなかった人の怒りと悲しみが伝わってきた。
自分が啓発されたのは映画による力が大きいが、本による影響、映画による影響、当然、紙芝居だって影響力はあるに違いない。
『砂の器」の原作は無論読んでいるが、そういえば、『小島の春』はあのままだった気がする。
宿題を提出していない気分である。
死ぬまでに、最後まで読まないといけない。
紙芝居『わたしの命の物語』でハンセン病問題啓発
ハンセン病の元患者藤崎陸安さん(2023年死去)の連れ合い美智子さん(74)がハンセン病問題を啓発するための紙芝居『わたしの命の物語』を完成させ。14日に東京は東村山の国立療養所多磨全生園に隣接する国立ハンセン病資料館で開かれた。と9月18日の読売(黒山幹太記者)が伝えている。
ハンセン病患者の夫婦の間に授かった新たな命が、「らい予防法」や「優生保護法」を背景に堕胎を余儀なくされ、生まれてくることを許されなかった悲しみを描く。
「こんな悲しみが、二度とない世界を、あらゆる命が、大切にされる世界を。誰もが、祝福されて生まれてきますように」と披露会の最後に美智子さんは願いを込めた。
紙芝居の脚本を担当したのは、どら焼き店で働くハンセン病元患者の主人公樹木希林さんが演じた『あん』の原作者で作家のドリアン助川さん(63)。
ハンセン病のことを知ったのは小川正子『小島の春』(河出書房新社)がわが家の本箱にあったからだが、若かったからか、途中で挫折した思い出がある。
次いで、松本清張『砂の器』を原作とした映画で加藤嘉演ずる本浦千代吉が一人息子秀夫と引き離されハンセン病療養所に隔離されてしまい、息子と再会できる日を待ち望んでいる様子に涙した。
さらに、上述の『あん』で樹木希林の元ハンセン病患者がどら焼きのあん作りの手練れで、客足が伸びたが、元ハンセン病患者だとわかるとばったり客が来なくなってしまう。
この映画に触発されて、多磨全生園を訪れ、納骨堂の前で供養のために尺八を吹いた。
直近では、熊谷博子監督『かづゑ的』を観て、ハンセン病であっても病気と差別、偏見に負けずに生きた宮崎かづゑさんの暮らしに伴奏したドキュメンタリーを観て、いろいろ勉強させてもらった。
藤崎美智子さんが完成させた紙芝居『わたしの命の物語」で、ハンセン病故妊娠中絶を余儀なくされたことに対し、ために子どもを持てなかった人の怒りと悲しみが伝わってきた。
自分が啓発されたのは映画による力が大きいが、本による影響、映画による影響、当然、紙芝居だって影響力はあるに違いない。
『砂の器」の原作は無論読んでいるが、そういえば、『小島の春』はあのままだった気がする。
宿題を提出していない気分である。
死ぬまでに、読まないといけない。
ハンセン病患者の夫婦の間に授かった新たな命が、「らい予防法」や「優生保護法」を背景に堕胎を余儀なくされ、生まれてくることを許されなかった悲しみを描く。
「こんな悲しみが、二度とない世界を、あらゆる命が、大切にされる世界を。誰もが、祝福されて生まれてきますように」と披露会の最後に美智子さんは願いを込めた。
紙芝居の脚本を担当したのは、どら焼き店で働くハンセン病元患者の主人公樹木希林さんが演じた『あん』の原作者で作家のドリアン助川さん(63)。
ハンセン病のことを知ったのは小川正子『小島の春』(河出書房新社)がわが家の本箱にあったからだが、若かったからか、途中で挫折した思い出がある。
次いで、松本清張『砂の器』を原作とした映画で加藤嘉演ずる本浦千代吉が一人息子秀夫と引き離されハンセン病療養所に隔離されてしまい、息子と再会できる日を待ち望んでいる様子に涙した。
さらに、上述の『あん』で樹木希林の元ハンセン病患者がどら焼きのあん作りの手練れで、客足が伸びたが、元ハンセン病患者だとわかるとばったり客が来なくなってしまう。
この映画に触発されて、多磨全生園を訪れ、納骨堂の前で供養のために尺八を吹いた。
直近では、熊谷博子監督『かづゑ的』を観て、ハンセン病であっても病気と差別、偏見に負けずに生きた宮崎かづゑさんの暮らしに伴奏したドキュメンタリーを観て、いろいろ勉強させてもらった。
藤崎美智子さんが完成させた紙芝居『わたしの命の物語」で、ハンセン病故妊娠中絶を余儀なくされたことに対し、ために子どもを持てなかった人の怒りと悲しみが伝わってきた。
自分が啓発されたのは映画による力が大きいが、本による影響、映画による影響、当然、紙芝居だって影響力はあるに違いない。
『砂の器」の原作は無論読んでいるが、そういえば、『小島の春』はあのままだった気がする。
宿題を提出していない気分である。
死ぬまでに、読まないといけない。
2025年09月21日
戦争加害の記憶を伝え続ける人々
731部隊による細菌戦や毒ガス戦、南京大虐殺など、日本の戦争加害の歴史を伝えるパネル展「知ることで未来が見える 戦争の加害」の第10回がこのほど、神奈川県横浜市で開催された。主催団体の代表を務める竹岡健治さんが15日、新華社(記者/楊智翔、李子越)の取材に応じ「加害の記憶を伝え続けたい」と語った。
竹岡さんは1946年に広島で生まれた「被爆2世」に当たる。父親は37年と41年に日本軍の部隊に所属して中国へ渡ったが、現地での体験について一切口を閉ざしていたという。
その後、竹岡さんは小学校の教師となり、約30年の教員生活を通じて、日本の戦争加害の問題に一貫して関心を寄せてきた。
取材当日、竹岡さんはA4用紙数十枚をつなぎ合わせた自作の大型パネルを見せてくれた。そこには、51年から現在まで、十数社の教科書出版社が「九・一八事変(柳条湖事件)」「南京大虐殺」「慰安婦」などをどう記述してきたかの変遷が記録されていた。竹岡さんによると、関連の記述は2000年前後をピークに最も詳しくなったが、その後は右翼の抗議活動を背景に減少した。
竹岡さんは日本の加害の歴史を決して避けず、かつて日本軍が実行した「三光(焼光・殺光・搶光)作戦」(焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす掃討作戦)についても児童らに伝えてきたという。子どもたちは日本軍が当時何をしたのかを知る必要があると考えているためだ。
07年、竹岡さんは日本の民間団体と共に中国を訪れ、731部隊の跡地や「九・一八」歴史博物館などを見学した。この訪問は強く心を揺さぶる体験となった。竹岡さんが記した感想の中にこのような一節がある。「加害者は事実を直視し、誠実に謝罪しなければならない。その上で友好関係を築くことこそが、本当に重要なのだ」
語り継ぐ戦争だから、アジア太平洋戦争が日本の侵略戦争だったことは事実として淡々と書いてきた。
参議院議員選挙の東京選挙区から立候補していた女性が中国と中国人が大嫌いだということが分かったが、自分は民族差別はしない考え方だから、中国の新華社が伝えることだって区別することなく書く。
隣国の朝鮮半島出身者や韓国・北朝鮮についても同様である。
日本大好き人間の一人だから自分に民族主義的傾向がないとは言わないが、過去の歴史を捻じ曲げるような恥知らずなことはしたくない。
自由をこよなく愛する人間の一人として、治安維持法などで自由を奪った政府、日本軍、憲兵や特高警察には否定的な立場だから、敗戦で自由を取り戻せて佳かった。万歳したいくらいである。
アジア太平洋戦争を語り継がなければならないと思った原動力は五味川純平『人間の條件』の主人公梶である。TVドラマ化されたとき演じたのが俳優加藤剛で、梶は戦争に反対する立場であったし、知識人として満州は日本の侵略と認識していたから、部下の中国人を虐待することをしたくなかった。
多感な中学生の時だったし、感受性が強いと小学校の通信簿にいつも書かれていたくらいだから、影響を受けないわけがない。
井手孫六『終わりなき旅 中国残留孤児の歴史と現在』(岩波現代文庫)を買い求めて読んだとき、著者は満州に侵略してきた日本人の子どもを中国人はよく育ててくれた。大陸的なおおらかさ、人間の大きさを痛感させられた。立場が反対であったなら、とても日本人なら真似できないとも書いていた。
これに対し、中国人は日本人の子どもを労働力にしたかったことと、中国でも特に貧しい満州の農民では嫁の来てがないから、将来嫁にするためだ。と批判的な立場の人がいる。
残留婦人であれば、嫁に来てがない貧農の人達にとって日本人の女性を嫁にすることは大いなる喜びであったであろうとも。
自分は井手説を支持するが、その中国で731石井部隊が中国人捕虜をマルタと呼び、人体実験をしたのだから、中国人が80年経っても怒るのは当然のことではないか。
「三光(焼光・殺光・搶光)作戦」(焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす掃討作戦)しかりである。
2022年2月24日、ロシアに侵略されたウクライナの人たちが武器を持って立ち上がり、苦戦しつつもいまだに持ちこたえている。
侵略された側、殺された側、傷つけられた側の立場からみれば、やられたことは絶対忘れられないであろう。
加害者が謝罪しなければならない所以である。
竹岡さんは1946年に広島で生まれた「被爆2世」に当たる。父親は37年と41年に日本軍の部隊に所属して中国へ渡ったが、現地での体験について一切口を閉ざしていたという。
その後、竹岡さんは小学校の教師となり、約30年の教員生活を通じて、日本の戦争加害の問題に一貫して関心を寄せてきた。
取材当日、竹岡さんはA4用紙数十枚をつなぎ合わせた自作の大型パネルを見せてくれた。そこには、51年から現在まで、十数社の教科書出版社が「九・一八事変(柳条湖事件)」「南京大虐殺」「慰安婦」などをどう記述してきたかの変遷が記録されていた。竹岡さんによると、関連の記述は2000年前後をピークに最も詳しくなったが、その後は右翼の抗議活動を背景に減少した。
竹岡さんは日本の加害の歴史を決して避けず、かつて日本軍が実行した「三光(焼光・殺光・搶光)作戦」(焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす掃討作戦)についても児童らに伝えてきたという。子どもたちは日本軍が当時何をしたのかを知る必要があると考えているためだ。
07年、竹岡さんは日本の民間団体と共に中国を訪れ、731部隊の跡地や「九・一八」歴史博物館などを見学した。この訪問は強く心を揺さぶる体験となった。竹岡さんが記した感想の中にこのような一節がある。「加害者は事実を直視し、誠実に謝罪しなければならない。その上で友好関係を築くことこそが、本当に重要なのだ」
語り継ぐ戦争だから、アジア太平洋戦争が日本の侵略戦争だったことは事実として淡々と書いてきた。
参議院議員選挙の東京選挙区から立候補していた女性が中国と中国人が大嫌いだということが分かったが、自分は民族差別はしない考え方だから、中国の新華社が伝えることだって区別することなく書く。
隣国の朝鮮半島出身者や韓国・北朝鮮についても同様である。
日本大好き人間の一人だから自分に民族主義的傾向がないとは言わないが、過去の歴史を捻じ曲げるような恥知らずなことはしたくない。
自由をこよなく愛する人間の一人として、治安維持法などで自由を奪った政府、日本軍、憲兵や特高警察には否定的な立場だから、敗戦で自由を取り戻せて佳かった。万歳したいくらいである。
アジア太平洋戦争を語り継がなければならないと思った原動力は五味川純平『人間の條件』の主人公梶である。TVドラマ化されたとき演じたのが俳優加藤剛で、梶は戦争に反対する立場であったし、知識人として満州は日本の侵略と認識していたから、部下の中国人を虐待することをしたくなかった。
多感な中学生の時だったし、感受性が強いと小学校の通信簿にいつも書かれていたくらいだから、影響を受けないわけがない。
井手孫六『終わりなき旅 中国残留孤児の歴史と現在』(岩波現代文庫)を買い求めて読んだとき、著者は満州に侵略してきた日本人の子どもを中国人はよく育ててくれた。大陸的なおおらかさ、人間の大きさを痛感させられた。立場が反対であったなら、とても日本人なら真似できないとも書いていた。
これに対し、中国人は日本人の子どもを労働力にしたかったことと、中国でも特に貧しい満州の農民では嫁の来てがないから、将来嫁にするためだ。と批判的な立場の人がいる。
残留婦人であれば、嫁に来てがない貧農の人達にとって日本人の女性を嫁にすることは大いなる喜びであったであろうとも。
自分は井手説を支持するが、その中国で731石井部隊が中国人捕虜をマルタと呼び、人体実験をしたのだから、中国人が80年経っても怒るのは当然のことではないか。
「三光(焼光・殺光・搶光)作戦」(焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす掃討作戦)しかりである。
2022年2月24日、ロシアに侵略されたウクライナの人たちが武器を持って立ち上がり、苦戦しつつもいまだに持ちこたえている。
侵略された側、殺された側、傷つけられた側の立場からみれば、やられたことは絶対忘れられないであろう。
加害者が謝罪しなければならない所以である。
2025年09月20日
B29 宮城不忘山に3機墜落 弔った住民
1945年3月10日未明、蔵王連峰・不忘山(1705メートル、宮城県七ケ宿町)に3機の米爆撃機が墜落し、米兵34人全員が死亡した。出来事を記憶にとどめようと、地元の人たちがふもとにつくった公園が開園10年を迎え、5月25日に記念式典が開かれた。かつての敵味方を超え、日米の関係者が犠牲者を悼んだ。と5月26日の朝日新聞(石橋英昭編集委員)がWEBで伝えていた。
9月17日の読売(木内惇平記者)が慰霊を続けてきた住民団体が墜落事故の証言や追悼文をまとめた冊子「不忘の碑」を64年ぶりに復刻。
地元の中高生を対象に平和について考える作文コンクールを実施し、次世代に伝えようとしている。
「人間は皆兄弟だ。永遠の平和を祈りたい」と山頂付近に慰霊碑「不忘の碑」を建立。このことを記念して制作されたのが同名の冊子である。
慰霊建立にも関わった白石で建設会社を経営する高橋良夫さんが2015年、約5000万円の私財を投じて10fの土地に「不忘平和記念公園」を整備。
息子の敬さんは、「戦後の貧しい暮らしの中、おやじはアメリカの食料支援に感謝していた。その恩に報いたかったんでしょうね」と話す。
「不忘の碑」といえば、東京は調布市の延浄寺に国策に騙され、政府や日本軍に棄民とされた満蒙開拓団と同じことを繰り返さないようにとの思いで慰霊碑が建立されている。
2016年3月11日に訪れてお参りしている。
蔵王連峰の不忘山に米軍のB29が3機墜落したことは知らなかった。
非武装の民間人をジェノサイドで狙っただけでなく都市を焦土と化した鬼畜米兵ということで、普通に考えれば弔うとか慰霊碑を建立することにはならない。
ところが、「人間皆兄弟だ。永遠の平和を祈りたい」と米兵を弔い、慰霊碑を建立した高邁な精神を持つ人たちが東北の田舎町にはいたということになる。
親鸞聖人は悪人でも死ねば許されるという「悪人正機」と呼ばれる考えを教示していることから、浄土真宗というか、仏教の世界でなら、空襲、空爆でジェノサイドに関わったとしても、墜落死してしまえば、憎しみは消えるということもあるかもしれない。
不忘ということでいえば、忘れるという言葉は使い方で心の動きが表現される。
忘れる、忘れてはいけない、忘れられない、忘れなくてはいけない、忘れないで、思いつくままに挙げてみた。
不忘だから、忘れてはいけないということになるだろうか。
命令で動く軍人だから、彼らを憎むというより、戦争がよくないということになれば、赦す気持ちになれたのかもしれない。
沖縄の平和の礎も、敵味方の区別なく、沖縄戦の犠牲者の名前が刻まれている。
憎しみを持ち続けるのは辛いが、かといって、やられた側は簡単にやられたことを忘れられない。
空襲、空爆、原爆、ソ連兵による性暴力、シベリア抑留・・・。
9月17日の読売(木内惇平記者)が慰霊を続けてきた住民団体が墜落事故の証言や追悼文をまとめた冊子「不忘の碑」を64年ぶりに復刻。
地元の中高生を対象に平和について考える作文コンクールを実施し、次世代に伝えようとしている。
「人間は皆兄弟だ。永遠の平和を祈りたい」と山頂付近に慰霊碑「不忘の碑」を建立。このことを記念して制作されたのが同名の冊子である。
慰霊建立にも関わった白石で建設会社を経営する高橋良夫さんが2015年、約5000万円の私財を投じて10fの土地に「不忘平和記念公園」を整備。
息子の敬さんは、「戦後の貧しい暮らしの中、おやじはアメリカの食料支援に感謝していた。その恩に報いたかったんでしょうね」と話す。
「不忘の碑」といえば、東京は調布市の延浄寺に国策に騙され、政府や日本軍に棄民とされた満蒙開拓団と同じことを繰り返さないようにとの思いで慰霊碑が建立されている。
2016年3月11日に訪れてお参りしている。
蔵王連峰の不忘山に米軍のB29が3機墜落したことは知らなかった。
非武装の民間人をジェノサイドで狙っただけでなく都市を焦土と化した鬼畜米兵ということで、普通に考えれば弔うとか慰霊碑を建立することにはならない。
ところが、「人間皆兄弟だ。永遠の平和を祈りたい」と米兵を弔い、慰霊碑を建立した高邁な精神を持つ人たちが東北の田舎町にはいたということになる。
親鸞聖人は悪人でも死ねば許されるという「悪人正機」と呼ばれる考えを教示していることから、浄土真宗というか、仏教の世界でなら、空襲、空爆でジェノサイドに関わったとしても、墜落死してしまえば、憎しみは消えるということもあるかもしれない。
不忘ということでいえば、忘れるという言葉は使い方で心の動きが表現される。
忘れる、忘れてはいけない、忘れられない、忘れなくてはいけない、忘れないで、思いつくままに挙げてみた。
不忘だから、忘れてはいけないということになるだろうか。
命令で動く軍人だから、彼らを憎むというより、戦争がよくないということになれば、赦す気持ちになれたのかもしれない。
沖縄の平和の礎も、敵味方の区別なく、沖縄戦の犠牲者の名前が刻まれている。
憎しみを持ち続けるのは辛いが、かといって、やられた側は簡単にやられたことを忘れられない。
空襲、空爆、原爆、ソ連兵による性暴力、シベリア抑留・・・。
2025年09月19日
持ち運べる造水機 能登経験し改良 山梨大発
被災地支援で初めて知った「水のない生活」…反省の念から教授が改良、持ち運びできる「造水機」という災害の多い日本の救世主のようなニュースを9月16日の読売(菅原智記者)が夕刊で伝えている。
山梨大発のベンチャーで一般社団法人の「小さな水」(甲府市)が、水路や沢などの水を浄化して生活用水に変える「可搬型小型造水機」を開発した。能登半島地震の支援に携わった経験から、既存装置を軽量化し、キャリーケースで持ち運びできるよう改良した。同法人は「インフラ維持が課題となる過疎地域などで広めたい」としている。
山梨大で水質汚染などを研究する西田継教授(57)らが開発した。西田教授は同法人の代表理事だ。
「ロカロカ」と名付けられた新装置は、水路などからくみ取った水に紫外線を当てて細菌などを除去し、フィルターで濾過(ろか)する。1台で1日5〜10トン(10〜20世帯分)の生活用水を確保でき、風呂やトイレの水として利用できる。
首都圏の田舎町に生まれ育ち、災害にはラッキーなことに縁がなく過ごしてきたが、そんなわが家でも大きなトラブルに見舞われることになった。
祖父が作った池、自分が子どもの頃はすでに壊れていたが、集中豪雨などの時にこの池に水がたまり、自然に地中に浸み込んで水害を防いでくれていた。
ところが、水がなくとも転落するとケガするからということで、解体して埋めてしまったら、大雨が降ると庭に水が溜まってしまうことに気づかされた。
床下浸水というと大袈裟だが、困り果て、結局、排水路を水道業者に設置してもらい何とか水が溜まらないようにはなった。
昔から住んでいるので、井戸があるのだが、消毒していないので飲料不適ではあるが、いざとなればトイレやふろ、洗濯などには使えるので、停電時のためにモーターから手押しポンプに切り替えた。
今度は労力が大変で、なかなか思うようにはいかない。
災害に遭ったわけではなくとも、普段からいざという時のことを考えておくことが重要なことがわかった。
能登半島のような地方で、住宅が少ないと政府の支援も手ぬるい感が否めない。
れいわ新選組の山本太郎代表が国会で政府の支援の遅れを厳しく追及していたことを思い出す。
飲料水は給水車で何とかしのげたとしても、トイレ、風呂、洗濯の水に困ってしまう時、造水機が役立つ。
山梨大学の西田継教授らの努力にエールをおくりたい。
海水を真水にする技術で海外で支援活動をしている人のことを以前書いた記憶がある。
水といえば、上水道、下水道となるが、下水を浄化して浄水となれば、飲食以外では使える。
ライフラインとはよく言ったものだが、水とトイレは何としても不自由しないように取り組む必要がありそうだ。
山梨大発のベンチャーで一般社団法人の「小さな水」(甲府市)が、水路や沢などの水を浄化して生活用水に変える「可搬型小型造水機」を開発した。能登半島地震の支援に携わった経験から、既存装置を軽量化し、キャリーケースで持ち運びできるよう改良した。同法人は「インフラ維持が課題となる過疎地域などで広めたい」としている。
山梨大で水質汚染などを研究する西田継教授(57)らが開発した。西田教授は同法人の代表理事だ。
「ロカロカ」と名付けられた新装置は、水路などからくみ取った水に紫外線を当てて細菌などを除去し、フィルターで濾過(ろか)する。1台で1日5〜10トン(10〜20世帯分)の生活用水を確保でき、風呂やトイレの水として利用できる。
首都圏の田舎町に生まれ育ち、災害にはラッキーなことに縁がなく過ごしてきたが、そんなわが家でも大きなトラブルに見舞われることになった。
祖父が作った池、自分が子どもの頃はすでに壊れていたが、集中豪雨などの時にこの池に水がたまり、自然に地中に浸み込んで水害を防いでくれていた。
ところが、水がなくとも転落するとケガするからということで、解体して埋めてしまったら、大雨が降ると庭に水が溜まってしまうことに気づかされた。
床下浸水というと大袈裟だが、困り果て、結局、排水路を水道業者に設置してもらい何とか水が溜まらないようにはなった。
昔から住んでいるので、井戸があるのだが、消毒していないので飲料不適ではあるが、いざとなればトイレやふろ、洗濯などには使えるので、停電時のためにモーターから手押しポンプに切り替えた。
今度は労力が大変で、なかなか思うようにはいかない。
災害に遭ったわけではなくとも、普段からいざという時のことを考えておくことが重要なことがわかった。
能登半島のような地方で、住宅が少ないと政府の支援も手ぬるい感が否めない。
れいわ新選組の山本太郎代表が国会で政府の支援の遅れを厳しく追及していたことを思い出す。
飲料水は給水車で何とかしのげたとしても、トイレ、風呂、洗濯の水に困ってしまう時、造水機が役立つ。
山梨大学の西田継教授らの努力にエールをおくりたい。
海水を真水にする技術で海外で支援活動をしている人のことを以前書いた記憶がある。
水といえば、上水道、下水道となるが、下水を浄化して浄水となれば、飲食以外では使える。
ライフラインとはよく言ったものだが、水とトイレは何としても不自由しないように取り組む必要がありそうだ。
2025年09月18日
露侵略 立ち上がる若者 戦災がれき遠隔撤去技術支援
ズームアップとネーミングされた写真で訴える紙面が読売(富田大介記者)の夕刊にある。その9月8日はロシアの軍事侵略で苦境に立たされているウクライナのキーウで活動するフォトジャーナリストアンナ・ドネツさん(18)。
「何が起きているのか、その真実を伝えるのが私の使命」だといい、大学でジャーナリズムを学びながら撮影を続ける日々だという姿がアップで被写体となって紙面の半分を占める。
自分が切り取った現実は,SNSやオンライン媒体であっという間に世界をかけめぐる。
「この国の未来は私たちの世代にかかっている』写真の力を信じ、理不尽な日常を記録し続ける。
1991年の独立後に生まれ、自由と民主主義の下で育った若者たちが今、自国の未来を思い、行動を起こしている。
ウクライナの伝統楽器バンドゥ―ラを奏でる二人の若き女性も被写体となっていた。
ロシアの軍事侵略で都市を強奪され、街を破壊され、女性は性的暴行され、子どもたちは拉致されたというニュースが流れている中で、戦災がれきを無人重機で安全・迅速に撤去する技術を日本政府国土交通省が支援に乗り出す。と9月9日の読売が夕刊で伝えている。
戦後80年、この間何とか戦争に巻き込まれず、平和が保てたのは、日本国憲法第9条のお陰である。
ところが、平和な日々を過ごしていたであろうウクライナの人々が2022年2月24日、さぞや驚いたであろうロシアの軍事侵略が始まり、ウクライナの人たちは国土を防衛し、独立以降せっかく手に入れた自由を守り抜くため武器を持って立ち上がった。
第二次世界大戦後ソビエト連邦共和国の一つとされ、1991年、ようやく自由と民主主義を手に入れたかと思えば、独立された側のロシアはウクライナが自由と民主主義の陣営に行くことを認めたくなかったのか、クリミア半島を強奪し、やがては、軍事侵略を始めた。
1941年12月8日、日本が米国との戦争に突入してから、1945年8月15日、玉音放送で無条件降伏を受け入れるまで3年8か月である。
2022年2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵略してから3年7か月になろうかという2025年9月、よくウクライナは持ちこたえた。
米国と欧州の支援がなければ、とても、今日まで持ちこたえることはできなかったであろうが、ウクライナで、学生ジャーナリストが軍事侵略を続けるロシアの悪業を写真に撮影し、SNSで発信していることを高く評価したい。
イスラエルがパレスチナのハマスの皆殺しを企図し、滅茶苦茶な攻撃をしているが、『ノー・アザー・ランド故郷は他にない』でパレスチナの青年がイスラエルの青年と交流する中で、イスラエルがパレスチナでやっている非人道的な仕打ちを撮影し、世界に発信しているのを観て、ユダヤ人が大嫌いになりそうだ。
文章でも石牟礼道子『苦界浄土』(講談社文庫)で水俣病でも胎児性水俣病患者の様子を知り、心が激しく揺さぶられた。
写真になるとユージン・スミス『入浴する智子と母親』では圧倒的な力で胎児性水俣病に苦しめられる人々への支援を国がしないことに怒りを覚える。
ウクライナの窮状を写真で撮影することで、世界の心ある人たちにウクライナへの支援に目を向けさせることができるはずだ。
日本政府が戦争の支援はできなくとも、復興の支援ならいくらでもできるので、できることから、ウクライナの支援を進めてもらうことを大いに支持する。
満州や朝鮮半島での日本人女性に対するソ連兵の性的暴行、シベリア抑留とソ連、ロシアはどうしても好きになれない国であり、世界陸上にもロシアが参加できないように、何とかロシアが衰退することを祈るばかりだ。
「何が起きているのか、その真実を伝えるのが私の使命」だといい、大学でジャーナリズムを学びながら撮影を続ける日々だという姿がアップで被写体となって紙面の半分を占める。
自分が切り取った現実は,SNSやオンライン媒体であっという間に世界をかけめぐる。
「この国の未来は私たちの世代にかかっている』写真の力を信じ、理不尽な日常を記録し続ける。
1991年の独立後に生まれ、自由と民主主義の下で育った若者たちが今、自国の未来を思い、行動を起こしている。
ウクライナの伝統楽器バンドゥ―ラを奏でる二人の若き女性も被写体となっていた。
ロシアの軍事侵略で都市を強奪され、街を破壊され、女性は性的暴行され、子どもたちは拉致されたというニュースが流れている中で、戦災がれきを無人重機で安全・迅速に撤去する技術を日本政府国土交通省が支援に乗り出す。と9月9日の読売が夕刊で伝えている。
戦後80年、この間何とか戦争に巻き込まれず、平和が保てたのは、日本国憲法第9条のお陰である。
ところが、平和な日々を過ごしていたであろうウクライナの人々が2022年2月24日、さぞや驚いたであろうロシアの軍事侵略が始まり、ウクライナの人たちは国土を防衛し、独立以降せっかく手に入れた自由を守り抜くため武器を持って立ち上がった。
第二次世界大戦後ソビエト連邦共和国の一つとされ、1991年、ようやく自由と民主主義を手に入れたかと思えば、独立された側のロシアはウクライナが自由と民主主義の陣営に行くことを認めたくなかったのか、クリミア半島を強奪し、やがては、軍事侵略を始めた。
1941年12月8日、日本が米国との戦争に突入してから、1945年8月15日、玉音放送で無条件降伏を受け入れるまで3年8か月である。
2022年2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵略してから3年7か月になろうかという2025年9月、よくウクライナは持ちこたえた。
米国と欧州の支援がなければ、とても、今日まで持ちこたえることはできなかったであろうが、ウクライナで、学生ジャーナリストが軍事侵略を続けるロシアの悪業を写真に撮影し、SNSで発信していることを高く評価したい。
イスラエルがパレスチナのハマスの皆殺しを企図し、滅茶苦茶な攻撃をしているが、『ノー・アザー・ランド故郷は他にない』でパレスチナの青年がイスラエルの青年と交流する中で、イスラエルがパレスチナでやっている非人道的な仕打ちを撮影し、世界に発信しているのを観て、ユダヤ人が大嫌いになりそうだ。
文章でも石牟礼道子『苦界浄土』(講談社文庫)で水俣病でも胎児性水俣病患者の様子を知り、心が激しく揺さぶられた。
写真になるとユージン・スミス『入浴する智子と母親』では圧倒的な力で胎児性水俣病に苦しめられる人々への支援を国がしないことに怒りを覚える。
ウクライナの窮状を写真で撮影することで、世界の心ある人たちにウクライナへの支援に目を向けさせることができるはずだ。
日本政府が戦争の支援はできなくとも、復興の支援ならいくらでもできるので、できることから、ウクライナの支援を進めてもらうことを大いに支持する。
満州や朝鮮半島での日本人女性に対するソ連兵の性的暴行、シベリア抑留とソ連、ロシアはどうしても好きになれない国であり、世界陸上にもロシアが参加できないように、何とかロシアが衰退することを祈るばかりだ。