八王子市などで約450人が亡くなった1945年8月2日の八王子空襲から81年。米爆撃機B29約170機が東京大空襲に匹敵する大量の 焼夷弾を投下し、市街地の約8割が焼失した。住宅や市民を焼き尽くした無差別爆撃の残酷さについて、体験者が語った。と8月3日の読売(長谷部耕二記者)が戦後81年のタイトルで伝えている。
八王子市散田町の石井忠明さん(87)は81年前の空襲で九死に一生を得た。「死んでいたのは自分たちだったかもしれない。居た場所が少し違っただけで、生死が分かれるとは」と振り返る。
空襲の前日までに、「数日の内に爆撃する」との米軍の宣伝ビラが市内にまかれていた。
翌2日午前0時45分頃、空襲が始まると、駅の西側にある自宅で、消防団員の父が「西に逃げて、踏切を渡り、南側の桑畑を目指せ」と指示した。
母親のハルさんと子ども5人は家財道具を積んだリヤカーで避難した。八王子駅の方から熱風や火の粉が飛んでくる。
桑畑にたどり着く直前、石井さんたちは米軍機からの射撃に遭ったが、畑に逃げ込んで助かった。同じ桑畑には撃ち抜かれて死亡した母子もいたという。
空襲で自宅は焼失し、道路には焼夷弾による穴があちこちに開いていた。3日後、同市内の極楽寺に行くと、焼けたトタンの上に大勢の遺体が並べられていた。焼夷弾の直撃で死んだ人、真っ黒に焦げた人、もだえ苦しんだ形相の人……。「むごい光景だった。今でも夢に見る」と話す。
石井さんは日テレの報道部で働いたが、脳裏にはいつも、「大きくなったら、こんなにひどい空襲を忘れずに、みんなに伝えなければだめだ」という母ハルさんの言葉があったという。
石井さんは「日本人は戦争の本当の怖さを知らない。戦争で犠牲になるのは庶民だ」と語る。市内を中心に自身の経験を伝える語り部活動も続けており、「平和がいかにありがたいことか。戦争をじかに体験した私たちが、若い世代でも分かるように伝えていきたい」と言葉を強めた。
首都東京には23区と三多摩と呼ばれる地域に市部がある。
その三多摩地域では歴史のある代表的な都市が八王子市だ。とにかく広くて、あの高尾山だって八王子市だ。
今、八王子市といえば、学園都市と呼ばれるほど大学があり、新しい街南大沢にある東京都立大学を筆頭に学生たちで賑やかさを取り戻しつつある。
というのも、その昔、桑都の杜ということで、絹織物、シルクを生産し、シルクロードというか横浜線で運ばれた製品が横浜港から海外へ運ばれていたことから、生糸商人などで賑やかで芸者衆もいたくらいである。
時代の流れで生糸が廃れたが、芸者衆は復活したことを読売が伝えていた。
三多摩を代表する都市だったから、東京地方裁判所の八王子支部があったが、都市計画で立川に後れを取り、八王子支部がいつの間にか立川支部になってしまった。
JR中央線と京王線が乗り入れているにもかかわらず、北口駅前再開発に失敗し、両駅間を歩かなければならないからもう発展しないと思っていたら、近年、南口が駅前再開発でよくなりそうだから、まだまだ八王子は発展しそうである。
余談であるが、隣の町田も駅前再開発に失敗し、横浜線と小田急線がクロスしているにもかかわらず、両駅間を歩かなければならないので、こちらはもう終わったとみている。
さて、自分の知る限りの八王子市について書いた。米軍に狙われたくらいだから、街が賑やかであったことは確かだが、狙われる側に立てば、とんでもないことで、非武装の市民を無差別に爆撃するジェノサイドというのが米軍の空爆だから、攻撃された側からみれば、酷い目に遭ったものである。
「戦争で犠牲になるのは庶民だ」という報道の世界で働いていた石井さんならではの言葉だが、石井さんの語り継ぐ戦争観は、語り継ぐ戦争の自分と全く同じであることから、どうしても八王子空襲のことを書いておきたかった。
戦争を始めたのは軍部だけど、戦争で酷い目に遭うのは庶民というか市民であればこそ、戦争に反対し、平和を守るために自分のできることをやる必要がある。
2026年08月24日
2026年08月23日
引き揚げ体験 「愛の歌」原点 加藤登紀子さん
「百万本のバラ」で知られる歌手の加藤登紀子さん(82)は終戦翌年の1946年秋、母ときょうだいの計4人で満州(現中国東北部)から引き揚げた。終戦記念日を前に、兄の幹雄さん(88)とともに取材に応じた加藤さんは、ハルビンで生まれたことや引き揚げ体験が愛や平和を歌う活動につながっていると語った。と戦後81年 戦争特集「引き揚げ体験『愛の歌』原点」「加藤登紀子さん 兄と語る」という見出しで、8月14日の読売(浅野榛菜記者)が夕刊で伝えている。
哈爾浜生まれの加藤さん。当時の哈爾浜には日本人に加え、政治の混乱や迫害から逃れてきたウクライナ出身者やユダヤ人ら多様な人たちが住んでいた。
自分のルーツをどう紡いでいくか考えた時、「戦争や侵略ではない方法で世界の文化と触れ合い、人々深くつながる。そうした願いは私が生まれた時からテーマだと思っているのね」と語る。
「戦争というのは、憎しみを生み出すように人の心を変えてしまう」という。
歌の力を信じる加藤さんは「音楽にはそうした恐ろしさを超え、踏みとどまる力がある。戦争という方法では何も解決できない。歌の持つ力を信じ、ステージに立ち続けたい」とこれからも歌い続けてくれることを約束してくれた。
加藤登紀子さんのCDがわが家にあってヒット曲「百万本のバラ」を何回となく聴いたことがある。
加藤登紀子さんといえば、映画が好きな自分にとっては、1983年公開の降籏康男監督『居酒屋兆治』で高倉健が演じた兆治の女房役を演じたとき、あまりにもお似合いで忘れることができない。
山口瞳の原作では、確か東京国立が舞台だったはずだが、映画では坂の街函館が舞台で、居酒屋の主兆治には心に秘めた女性大原麗子がいるのだが、居酒屋の女房加藤登紀子はそんなことに少しも動揺しないのだ。
出演オファを受けた時、「私でいいんですか」と加藤さんが監督に確認した云々という話を耳にしたことがあるが、見事なキャスティングだった。
高倉健の相手役といえば、赤提灯「桐子」の女将倍賞千恵子と決まっているが、女房としては加藤さんで、女将といえば、倍賞さんに軍配を上げたくなってしまう。
加藤さんの父親は満鉄の社員だったとのことで、満蒙開拓団というわけではなかったが、満州にいた人たちは引き揚げるまでに大変な苦労をされている。
だからなのか、反骨精神というのか、ご亭主は学生運動のリーダーだったし、後年、千葉で第一次産業の農業に従事されていたとのこと。
TVなどでも権力に迎合しない発言で、物議を醸したりもしているが「戦争に反対する」気合の入った生き方は尊敬できる人だ。
「ひとり寝の子守歌」を若い頃聴いた時は驚いた。
「ひとりで寝るときは膝小僧が寒かろう。女子を抱くように温めておやりよ」
ご亭主のことを歌ったのかと思ったが、想像力の豊かさが嬉しいではないか。
同調圧力に負けてしまう人が少なくない中で、平和を愛し、戦争に反対することを表明することができなくされつつあるが、加藤さんは怖いものなしで、見倣いたいくらいだ。
哈爾浜生まれの加藤さん。当時の哈爾浜には日本人に加え、政治の混乱や迫害から逃れてきたウクライナ出身者やユダヤ人ら多様な人たちが住んでいた。
自分のルーツをどう紡いでいくか考えた時、「戦争や侵略ではない方法で世界の文化と触れ合い、人々深くつながる。そうした願いは私が生まれた時からテーマだと思っているのね」と語る。
「戦争というのは、憎しみを生み出すように人の心を変えてしまう」という。
歌の力を信じる加藤さんは「音楽にはそうした恐ろしさを超え、踏みとどまる力がある。戦争という方法では何も解決できない。歌の持つ力を信じ、ステージに立ち続けたい」とこれからも歌い続けてくれることを約束してくれた。
加藤登紀子さんのCDがわが家にあってヒット曲「百万本のバラ」を何回となく聴いたことがある。
加藤登紀子さんといえば、映画が好きな自分にとっては、1983年公開の降籏康男監督『居酒屋兆治』で高倉健が演じた兆治の女房役を演じたとき、あまりにもお似合いで忘れることができない。
山口瞳の原作では、確か東京国立が舞台だったはずだが、映画では坂の街函館が舞台で、居酒屋の主兆治には心に秘めた女性大原麗子がいるのだが、居酒屋の女房加藤登紀子はそんなことに少しも動揺しないのだ。
出演オファを受けた時、「私でいいんですか」と加藤さんが監督に確認した云々という話を耳にしたことがあるが、見事なキャスティングだった。
高倉健の相手役といえば、赤提灯「桐子」の女将倍賞千恵子と決まっているが、女房としては加藤さんで、女将といえば、倍賞さんに軍配を上げたくなってしまう。
加藤さんの父親は満鉄の社員だったとのことで、満蒙開拓団というわけではなかったが、満州にいた人たちは引き揚げるまでに大変な苦労をされている。
だからなのか、反骨精神というのか、ご亭主は学生運動のリーダーだったし、後年、千葉で第一次産業の農業に従事されていたとのこと。
TVなどでも権力に迎合しない発言で、物議を醸したりもしているが「戦争に反対する」気合の入った生き方は尊敬できる人だ。
「ひとり寝の子守歌」を若い頃聴いた時は驚いた。
「ひとりで寝るときは膝小僧が寒かろう。女子を抱くように温めておやりよ」
ご亭主のことを歌ったのかと思ったが、想像力の豊かさが嬉しいではないか。
同調圧力に負けてしまう人が少なくない中で、平和を愛し、戦争に反対することを表明することができなくされつつあるが、加藤さんは怖いものなしで、見倣いたいくらいだ。
2026年08月22日
米国が鬼畜の本性を現す ICC赤根所長への制裁
米国のトランプ政権は18日、国際刑事裁判所(ICC、オランダ・ハーグ)の赤根智子所長を制裁対象に加えると発表した。軍事作戦をいとわない米政権は、戦争犯罪を追及するICCを「米国の主権に対する脅威」とみなしており、圧力を一段と強めた形だ。と8月19日の読売(上村健太記者)が伝えている。
ICCは個人の戦争犯罪などを追及する常設機関で、赤根氏は2024年3月に日本人初の所長に就任。ICCはパレスチナ自治区ガザへの攻撃を巡り、イスラエル首相に対して逮捕状を出した。イスラエルを擁護するトランプ大統領は反発し、ICCの裁判官らに制裁を科してきた。
トランプ氏は過去、アフガニスタンに駐留した米兵の戦争犯罪へのICCの捜査にも反発。ルビオ国務長官は18日、ICC非加盟の米国やイスラエルの国民に管轄権を行使することを「主権侵害」と主張した。
一方、ICCは「国際法秩序そのものが危険にさらされる。我々は引き続き全面的に使命を遂行する」と声明を出した。
日本政府は「大変残念だ」とする北村俊博外務報道官の談話を発表した。ICCへの一貫した支持を改めて表明し、「引き続き、国際社会における法の支配の強化に取り組んでいく考えだ」と強調した。
武装組織や暴力団がやりたい放題で市民が襲撃されたとき、わが国では都道府県警察だけで手に負えないとみるや県警の応援に警察庁が乗り出した。
彼らに対峙し、市民を守ってくれることを実践したのが、北九州で市民を襲撃し、特定危険指定暴力団とされた工藤会への福岡県警の頂上作戦だった。
工藤会のトップが自分を捕まえようとしている警察庁の長官に制裁を科すというのが分かりやすく言えば、トランプ大統領の赤根所長への攻撃である。
とんでもないことで、戦時中、日本が鬼畜と米国を蔑む時代そのままに、まさに鬼畜の所業そのものである。
アジア太平洋戦争の後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、そしてアフガンと戦争ばかりやってきたのが米国である。
その米国が身勝手を絵に描いたようなトランプ大統領になって、ベネズエラの大統領を逮捕、拉致、米国で裁判にかけようとしているかと思えば、イランの最高指導者ハメネイ師を暗殺し、イランに攻撃を仕掛けたため、ホルムズ海峡を通って、タンカーで石油を運んでいる国は迷惑この上ない話である。
語り継ぐ戦争であるが、独裁者はすぐに「自衛のため」だと言いながら、他国に侵略する。
ロシアのプーチン大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、そして米国のトランプ大統領。
だから、国際刑事裁判所が必要で、独裁者の個人的な戦争責任を追及してきてくれたにもかかわらず鬼畜米国は、トランプ大統領に逮捕状が出ることを怖れ、赤根所長に嫌がらせをした下衆のやることとしか思えない。
ところが、日本人の赤根さんが世界平和のためにこれほど頑張ってくれているにもかかわらず、トランプ大統領と瓜二つの嫌われ者高市首相は米国を厳しく非難することもできない。
この首相の対応に民主党の時代に首相として頑張ってくれた鳩山由紀夫元首相が厳しく批判していることが伝えられている。
戦後の日本の首相できちんと米国に物申せたのは田中角栄元首相と鳩山由紀夫さんくらいで、どういうわけか二人とも米国や財務省が一枚かんで失脚してしまった。
この二人なら日米地位協定だって、改定できたかもしれないが失脚が早すぎた。
語り継ぐ戦争で原爆を二つも落とした米国が大嫌いになったが、トランプ大統領になって、益々反米の考え方が強くなっていく。
ICCは個人の戦争犯罪などを追及する常設機関で、赤根氏は2024年3月に日本人初の所長に就任。ICCはパレスチナ自治区ガザへの攻撃を巡り、イスラエル首相に対して逮捕状を出した。イスラエルを擁護するトランプ大統領は反発し、ICCの裁判官らに制裁を科してきた。
トランプ氏は過去、アフガニスタンに駐留した米兵の戦争犯罪へのICCの捜査にも反発。ルビオ国務長官は18日、ICC非加盟の米国やイスラエルの国民に管轄権を行使することを「主権侵害」と主張した。
一方、ICCは「国際法秩序そのものが危険にさらされる。我々は引き続き全面的に使命を遂行する」と声明を出した。
日本政府は「大変残念だ」とする北村俊博外務報道官の談話を発表した。ICCへの一貫した支持を改めて表明し、「引き続き、国際社会における法の支配の強化に取り組んでいく考えだ」と強調した。
武装組織や暴力団がやりたい放題で市民が襲撃されたとき、わが国では都道府県警察だけで手に負えないとみるや県警の応援に警察庁が乗り出した。
彼らに対峙し、市民を守ってくれることを実践したのが、北九州で市民を襲撃し、特定危険指定暴力団とされた工藤会への福岡県警の頂上作戦だった。
工藤会のトップが自分を捕まえようとしている警察庁の長官に制裁を科すというのが分かりやすく言えば、トランプ大統領の赤根所長への攻撃である。
とんでもないことで、戦時中、日本が鬼畜と米国を蔑む時代そのままに、まさに鬼畜の所業そのものである。
アジア太平洋戦争の後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、そしてアフガンと戦争ばかりやってきたのが米国である。
その米国が身勝手を絵に描いたようなトランプ大統領になって、ベネズエラの大統領を逮捕、拉致、米国で裁判にかけようとしているかと思えば、イランの最高指導者ハメネイ師を暗殺し、イランに攻撃を仕掛けたため、ホルムズ海峡を通って、タンカーで石油を運んでいる国は迷惑この上ない話である。
語り継ぐ戦争であるが、独裁者はすぐに「自衛のため」だと言いながら、他国に侵略する。
ロシアのプーチン大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、そして米国のトランプ大統領。
だから、国際刑事裁判所が必要で、独裁者の個人的な戦争責任を追及してきてくれたにもかかわらず鬼畜米国は、トランプ大統領に逮捕状が出ることを怖れ、赤根所長に嫌がらせをした下衆のやることとしか思えない。
ところが、日本人の赤根さんが世界平和のためにこれほど頑張ってくれているにもかかわらず、トランプ大統領と瓜二つの嫌われ者高市首相は米国を厳しく非難することもできない。
この首相の対応に民主党の時代に首相として頑張ってくれた鳩山由紀夫元首相が厳しく批判していることが伝えられている。
戦後の日本の首相できちんと米国に物申せたのは田中角栄元首相と鳩山由紀夫さんくらいで、どういうわけか二人とも米国や財務省が一枚かんで失脚してしまった。
この二人なら日米地位協定だって、改定できたかもしれないが失脚が早すぎた。
語り継ぐ戦争で原爆を二つも落とした米国が大嫌いになったが、トランプ大統領になって、益々反米の考え方が強くなっていく。
2026年08月21日
シベリア抑留者に台湾出身日本兵
太平洋戦争後、シベリアに抑留された台湾出身の元日本兵を追ったドキュメンタリー映画「零下五十度の抑留者」が9月、都内で公開される。台湾の 許明淳監督は「若い世代を含めて多くの人に見てもらいたい」と意気込んでいる。と戦後81年をタイトルに8月19日の読売(石井恭平記者)が伝えている。
日清戦争後の1895年に台湾は日本に割譲され、現地の人々は「日本人」となった。厚生労働省によると、約20万7000人が日本の軍人や軍属となり、約3万人が戦争で死亡した。敗戦時に満州(現中国東北部)などにいてソ連軍に捕らえられ、シベリアに抑留された台湾出身者は少なくとも19人確認されているが、総数はもっと多いとみられ、実態は明らかになっていない。
2010年に抑留期間に応じて25万〜150万円の特別給付金を政府が支給するシベリア抑留者特別措置法が施行されたが、支給の対象は日本人だけだ。
語り継ぐ戦争だから、台湾出身日本兵のことは知っていたが、シベリア抑留者に台湾出身者がいたであろうことは想像はしても、詳しいことは知らなかった。
台湾出身者の戦没者が3万人いるとは抑留経験のある横浜市の呉正男さん(99)であるが、自宅近くの寺に、2025年台湾出身者の戦没者の慰霊碑が建立されたということで、「祖国台湾、母国日本」と刻まれた碑の前で手を合わせる呉さんの写真を見るに日本への母国愛が伝わってくる。
蒋介石率いる国民党軍が毛沢東の共産党軍に追われ大陸から逃げて来て、1949年、戒厳令を布き、武力で住民の弾圧に乗り出した所謂白色テロの時代を描いた『霧のごとく』という台湾映画を観ている。
日本統治下の多数のエリートが国民党軍に殺害された現実を引き合いに呉さんがシベリア抑留されていなければ、弾圧は免れなかったことから、抑留生活が呉さんを守ってくれた面もあるのだという。
日本が併合した朝鮮半島出身の日本兵、ヒロシマ、ナガサキにおける被爆者は相当数に上り、シベリア抑留者だっていたはずである。
台湾は東日本大震災の時、どこの国よりも親身になって義援金を送ってくれるなど、恩義がある。
しかし、1972年5月15日の日中国交正常化の際、田中角栄首相は中国側の周恩来首相が提案した中国は一つの原則を認めているので、日本との国交は一般的ではない。
それでも、共産主義が大嫌いという自民党とその補完勢力の人たちは親台湾というスタンスの人が少なくない。
高市首相はその筆頭格で、台湾有事には日本は中国と戦争をすると国会答弁で応えているが、安易に戦争を始めてもらっては困る。
戦争ではなく、台湾を支援することは可能で、そちらに力を入れてもらいたい。
9月に上映が始まる『零下五十度の抑留者』が渋谷の青山のシアターイメージフォーラムから順次公開されるとのこと。
語り継ぐ戦争の立場から、見逃すわけにはいかないので、9月に観たらまた取り上げることになるはずだ。
日清戦争後の1895年に台湾は日本に割譲され、現地の人々は「日本人」となった。厚生労働省によると、約20万7000人が日本の軍人や軍属となり、約3万人が戦争で死亡した。敗戦時に満州(現中国東北部)などにいてソ連軍に捕らえられ、シベリアに抑留された台湾出身者は少なくとも19人確認されているが、総数はもっと多いとみられ、実態は明らかになっていない。
2010年に抑留期間に応じて25万〜150万円の特別給付金を政府が支給するシベリア抑留者特別措置法が施行されたが、支給の対象は日本人だけだ。
語り継ぐ戦争だから、台湾出身日本兵のことは知っていたが、シベリア抑留者に台湾出身者がいたであろうことは想像はしても、詳しいことは知らなかった。
台湾出身者の戦没者が3万人いるとは抑留経験のある横浜市の呉正男さん(99)であるが、自宅近くの寺に、2025年台湾出身者の戦没者の慰霊碑が建立されたということで、「祖国台湾、母国日本」と刻まれた碑の前で手を合わせる呉さんの写真を見るに日本への母国愛が伝わってくる。
蒋介石率いる国民党軍が毛沢東の共産党軍に追われ大陸から逃げて来て、1949年、戒厳令を布き、武力で住民の弾圧に乗り出した所謂白色テロの時代を描いた『霧のごとく』という台湾映画を観ている。
日本統治下の多数のエリートが国民党軍に殺害された現実を引き合いに呉さんがシベリア抑留されていなければ、弾圧は免れなかったことから、抑留生活が呉さんを守ってくれた面もあるのだという。
日本が併合した朝鮮半島出身の日本兵、ヒロシマ、ナガサキにおける被爆者は相当数に上り、シベリア抑留者だっていたはずである。
台湾は東日本大震災の時、どこの国よりも親身になって義援金を送ってくれるなど、恩義がある。
しかし、1972年5月15日の日中国交正常化の際、田中角栄首相は中国側の周恩来首相が提案した中国は一つの原則を認めているので、日本との国交は一般的ではない。
それでも、共産主義が大嫌いという自民党とその補完勢力の人たちは親台湾というスタンスの人が少なくない。
高市首相はその筆頭格で、台湾有事には日本は中国と戦争をすると国会答弁で応えているが、安易に戦争を始めてもらっては困る。
戦争ではなく、台湾を支援することは可能で、そちらに力を入れてもらいたい。
9月に上映が始まる『零下五十度の抑留者』が渋谷の青山のシアターイメージフォーラムから順次公開されるとのこと。
語り継ぐ戦争の立場から、見逃すわけにはいかないので、9月に観たらまた取り上げることになるはずだ。
2026年08月20日
満蒙開拓 国策に協力した自責の念で自殺
NHKこころの時代〜宗教・人生〜「われ過てり 生きろ〜劇作家・精神科医 胡桃澤伸」を視聴することができたので、語り継ぐ戦争の立場から、書いておく。
「国策・満蒙開拓に従って送り出した村人が集団自決。村長としての責任をとり、祖父は自死した。その事実に幼い頃から家でも村でも沈黙を強いられてきた胡桃澤さん。精神科医・中井久夫、詩人・金時鐘さんなど大切な人との出会いから自分の表現を取り戻し、ついに去年、祖父をモデルにした演劇を作り上げた。舞台によみがえった祖父は何を語るのか。戦争の被害と加害の歴史をどう受け継ぐのか、祖父と向き合い続ける人生に迫る。」と㏋にある。
首都圏の田舎町に生まれ育ち、満蒙開拓団とは全く無縁でありながら、どういうわけか、アジア太平洋戦争でシベリア抑留と共に、激しく心を揺さぶられたのが傀儡国家満州国と国策満蒙開拓団である。
アジア太平洋戦争に関心を持つようになったのは中学生の時、TVで加藤剛が主人公梶を演じた五味川純平『人間の條件』だから、多分このドラマや原作の影響ではないか。
1945年8月9日未明のソ連軍の侵攻で満蒙開拓団の女性と子どもたちと高齢者が満州を彷徨する被害者としての面に関心を持った。
自分なりに学習するうちに、開拓団とは名ばかりで、実は、中国の人たちの土地を事実上取り上げ、自分たちのものにしてしまった加害者であることがわかっていく。
さらに、満蒙開拓団は国策に騙された人たちで彼らのことを守るつもりがない関東軍は南方や沖縄などに転進してしまい、棄民とされたことから、集団自決の続発する悲劇的な引き揚げとなったことを知る。
信州が満蒙開拓団に送り出した人が一番多かったわけだが、信州は姥捨てという地名があるくらいで、姥捨て伝説がある貧しい地域であるからだ。
その信州では、語り継ぐ戦争の立場から二人のリーダーに注目している。
分村での満蒙開拓団に反対した旧大下條村村長・佐々木忠綱さんと旧河野村村長の胡桃沢盛さんで、胡桃沢盛さんは、劇作家・精神科医 胡桃澤伸さんの祖父で、国策に飲み込まれ、河野村の分村から集団自決者が出たことに自責の念を抱き自決している。
祖父の自死を知った孫の胡桃沢伸さんは精神科の医師でありながら、劇作にも関心を持ち、自らの祖父の自死をテーマに芝居を完成させるのだ。
河野村の73人の集団自決の生き残り久保田諌さんは胡桃沢盛さんは河野村の分村の人たちが帰国すれば、死なずに済んだのではないかと胡桃沢伸さんに語っているとのこと。死ぬのが早すぎたとも。
自らしか書けない芝居を目指し、祖父の自死と向き合ってきた胡桃沢伸さんが在日で虐げられし詩人・金時鐘さんを訪ねると、呻吟してこそ、その問題をテーマにすべきだというような励ましを受ける。
結果的に、孫として自らの祖父の苦しみと向き合い、満蒙開拓団の被害者としてだけでなく、加害者としての面もしっかり伝えられるようになったのではないか。
満蒙開拓団のことは被害者というよりも加害者であることの立場を忘れてはならないできごとである。
悲劇は日本ではなく、他国の領土で起きていることからも、しっかり加害者としての意識を持つ必要があるだろう。
「国策・満蒙開拓に従って送り出した村人が集団自決。村長としての責任をとり、祖父は自死した。その事実に幼い頃から家でも村でも沈黙を強いられてきた胡桃澤さん。精神科医・中井久夫、詩人・金時鐘さんなど大切な人との出会いから自分の表現を取り戻し、ついに去年、祖父をモデルにした演劇を作り上げた。舞台によみがえった祖父は何を語るのか。戦争の被害と加害の歴史をどう受け継ぐのか、祖父と向き合い続ける人生に迫る。」と㏋にある。
首都圏の田舎町に生まれ育ち、満蒙開拓団とは全く無縁でありながら、どういうわけか、アジア太平洋戦争でシベリア抑留と共に、激しく心を揺さぶられたのが傀儡国家満州国と国策満蒙開拓団である。
アジア太平洋戦争に関心を持つようになったのは中学生の時、TVで加藤剛が主人公梶を演じた五味川純平『人間の條件』だから、多分このドラマや原作の影響ではないか。
1945年8月9日未明のソ連軍の侵攻で満蒙開拓団の女性と子どもたちと高齢者が満州を彷徨する被害者としての面に関心を持った。
自分なりに学習するうちに、開拓団とは名ばかりで、実は、中国の人たちの土地を事実上取り上げ、自分たちのものにしてしまった加害者であることがわかっていく。
さらに、満蒙開拓団は国策に騙された人たちで彼らのことを守るつもりがない関東軍は南方や沖縄などに転進してしまい、棄民とされたことから、集団自決の続発する悲劇的な引き揚げとなったことを知る。
信州が満蒙開拓団に送り出した人が一番多かったわけだが、信州は姥捨てという地名があるくらいで、姥捨て伝説がある貧しい地域であるからだ。
その信州では、語り継ぐ戦争の立場から二人のリーダーに注目している。
分村での満蒙開拓団に反対した旧大下條村村長・佐々木忠綱さんと旧河野村村長の胡桃沢盛さんで、胡桃沢盛さんは、劇作家・精神科医 胡桃澤伸さんの祖父で、国策に飲み込まれ、河野村の分村から集団自決者が出たことに自責の念を抱き自決している。
祖父の自死を知った孫の胡桃沢伸さんは精神科の医師でありながら、劇作にも関心を持ち、自らの祖父の自死をテーマに芝居を完成させるのだ。
河野村の73人の集団自決の生き残り久保田諌さんは胡桃沢盛さんは河野村の分村の人たちが帰国すれば、死なずに済んだのではないかと胡桃沢伸さんに語っているとのこと。死ぬのが早すぎたとも。
自らしか書けない芝居を目指し、祖父の自死と向き合ってきた胡桃沢伸さんが在日で虐げられし詩人・金時鐘さんを訪ねると、呻吟してこそ、その問題をテーマにすべきだというような励ましを受ける。
結果的に、孫として自らの祖父の苦しみと向き合い、満蒙開拓団の被害者としてだけでなく、加害者としての面もしっかり伝えられるようになったのではないか。
満蒙開拓団のことは被害者というよりも加害者であることの立場を忘れてはならないできごとである。
悲劇は日本ではなく、他国の領土で起きていることからも、しっかり加害者としての意識を持つ必要があるだろう。
2026年08月19日
「当たり前の生活がどれだけ幸せか」
「戦後81年」をタイトルに戦争を語り継いでくれている読売(浅野榛菜記者)の8月17日は、戦災孤児にスポットを当て、「当たり前の生活がどれだけ幸せか」との思いを伝える角エミコさん(93)(松江市)の体験を伝えている。
終戦後、戦争や病気で親を失った孤児が全国に少なくとも12万人いた。
その一人である角さん、当時12歳で、1945年秋、大阪駅の待合室で寝泊まりを始めた。
物心ついたときには養父母に育てられていた。山口県宇部市から45年、広島市のある養父の親類宅へ預けられた。8月6日、原爆に遭った。ほぼ無傷だったが、15日、1人で列車に乗り、大阪駅に辿り着いた。ここで、靴磨きの方法を教わった。稼いだ小銭を手に闇市の屋台で1日1杯の親子丼で命をつないだ。
この生活から抜け出そうと、交番に相談に行くと、市南部にあったカトリック系の孤児施設にトラックで運ばれた。幼児の世話係や炊事場の担当として約2年間働いた。
18歳ぐらいの頃、松江で開業するという医師から「お手伝いとして来て」と声をかけられた。
医院で働きながら、看護学校に通い、20歳で准看護士の免許を取得。「自分の力で生きていける」と心が弾んだという。
国が1948年に行った「全国孤児一斉調査」によると、孤児は全国で(沖縄を除く)約12万3500人に上った。
「浮浪児」は調査の対象に含まれていないので、実際の数はもっと多かったとみられる。
戦災孤児といえば、すぐに『火垂るの墓』の清太と節子の兄妹と佐久間のドロップのことを思い浮かべてしまう。
孤児といえば、『フランダースの犬』で、少年ネロと愛犬パトラッシュとルーベンスの絵画がある教会も一緒に出てくる。
戦争といえば、上野動物園の『かわいそうなぞう』のことが頭を過る。
戦災孤児で生き残った角さんの人生を振り返ってみると、機転が利くというか、賢い人だと感心しきりである。
流されないのだ。
そして、准看護士の免許を取得し、「自分の力で生きていける」というその生き方は戦後81年の今を生きる人たちにも通じるのだ。
近隣に住む自分より一回り上の女性の孫娘が大学を卒業したが、就活が思わしくなかったのか、仕事を辞めて、毎日、決まって出かけている姿を目撃している。
ハローワークで職探しをしているのだろうとみているが、大学で就活に役立つ資格を取得していなかったのだろう。
派遣労働、非正規雇用だと人生はアンダークラスと呼ばれる人たちと近くなり、浮上することがむずかしくなってしまう。
看護師、准看護師となれば、人手不足の業界だから、職探しに困ることなど考えられない。
角さんのように親の庇護がなければ、自分の人生は自分で切り開いて生きていくよりない。
それでも、清太と節子のことを思えば、運も味方してくれたのかもと思わないわけにはいかない。
他人事ながら、一所懸命に生きる戦災孤児でも「当たり前の生活がどれだけ幸せか」と語り継げるようになったことを喜びたい。
戦争は、その当たり前の生活を奪ってしまう。
清太と節子のような悲劇はもうたくさんだ。
終戦後、戦争や病気で親を失った孤児が全国に少なくとも12万人いた。
その一人である角さん、当時12歳で、1945年秋、大阪駅の待合室で寝泊まりを始めた。
物心ついたときには養父母に育てられていた。山口県宇部市から45年、広島市のある養父の親類宅へ預けられた。8月6日、原爆に遭った。ほぼ無傷だったが、15日、1人で列車に乗り、大阪駅に辿り着いた。ここで、靴磨きの方法を教わった。稼いだ小銭を手に闇市の屋台で1日1杯の親子丼で命をつないだ。
この生活から抜け出そうと、交番に相談に行くと、市南部にあったカトリック系の孤児施設にトラックで運ばれた。幼児の世話係や炊事場の担当として約2年間働いた。
18歳ぐらいの頃、松江で開業するという医師から「お手伝いとして来て」と声をかけられた。
医院で働きながら、看護学校に通い、20歳で准看護士の免許を取得。「自分の力で生きていける」と心が弾んだという。
国が1948年に行った「全国孤児一斉調査」によると、孤児は全国で(沖縄を除く)約12万3500人に上った。
「浮浪児」は調査の対象に含まれていないので、実際の数はもっと多かったとみられる。
戦災孤児といえば、すぐに『火垂るの墓』の清太と節子の兄妹と佐久間のドロップのことを思い浮かべてしまう。
孤児といえば、『フランダースの犬』で、少年ネロと愛犬パトラッシュとルーベンスの絵画がある教会も一緒に出てくる。
戦争といえば、上野動物園の『かわいそうなぞう』のことが頭を過る。
戦災孤児で生き残った角さんの人生を振り返ってみると、機転が利くというか、賢い人だと感心しきりである。
流されないのだ。
そして、准看護士の免許を取得し、「自分の力で生きていける」というその生き方は戦後81年の今を生きる人たちにも通じるのだ。
近隣に住む自分より一回り上の女性の孫娘が大学を卒業したが、就活が思わしくなかったのか、仕事を辞めて、毎日、決まって出かけている姿を目撃している。
ハローワークで職探しをしているのだろうとみているが、大学で就活に役立つ資格を取得していなかったのだろう。
派遣労働、非正規雇用だと人生はアンダークラスと呼ばれる人たちと近くなり、浮上することがむずかしくなってしまう。
看護師、准看護師となれば、人手不足の業界だから、職探しに困ることなど考えられない。
角さんのように親の庇護がなければ、自分の人生は自分で切り開いて生きていくよりない。
それでも、清太と節子のことを思えば、運も味方してくれたのかもと思わないわけにはいかない。
他人事ながら、一所懸命に生きる戦災孤児でも「当たり前の生活がどれだけ幸せか」と語り継げるようになったことを喜びたい。
戦争は、その当たり前の生活を奪ってしまう。
清太と節子のような悲劇はもうたくさんだ。
2026年08月18日
証言に頼らない戦争、史料の発掘の重要性
「戦後81年 伝承」 中 8月13日の読売がノンフィクション作家堀川惠子さん(56)の「戦争体験者の証言を取材の柱にできる時代は終わった。いままでと同じことをやっていたら戦争を伝えられないという危機感を持っている」という戦争を伝える作家としての矜持を「証言に頼らない『戦争』」「埋もれた史料発掘 取材尽くす」という見出しで伝えている。
堀川さんは『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』を2021年に上梓している。
広島市の宇品港にあった日本軍最大の海上輸送拠点を取り上げた。兵士や物資を運ぶ船舶が不足していたのに日本が戦争を始め、戦線を南方に拡大していく経緯を描いた。
取材の過程で、司令官を務めた田尻昌次中将の遺族に辿り着き、中将の自叙伝全13巻を提供していただいた。機密のデータや写真も多数添付されていて、鳥肌が立ったとその時のことを明らかにしている。
中将は開戦前の1939年、日本の船舶輸送の脆弱さを訴える意見具申を陸軍中枢や各省にし、諭旨免職となった。
戦争が始まり、南方の補給任務を担わされた宇品の輸送船は次々と撃沈されてしまう。
広島で生まれ育ち、戦争をテーマに書いている堀川さんは取材した被爆者だけでも230人を超えるという。
証言を聴くことすらもうできなくなりつつあるが、私たちは証言に頼りすぎていたのではないか。と自戒しているという。
埋もれた史料を発掘する。史料を見直す。知識や経験、取材の技術が問われる時代になってくる。これからも覚悟をもって物語を紡ぐと結ぶ。
父親が召集され、運よく帰国を果たしているので、戦争のことを聴いておけばよかった。と思ったときはもう父親はいなかった。
父親が病死した時、16歳だったから、戦争のことを聴くような間柄ではなかった。
厚生労働省に軍歴照会というのか、問い合わせをして、初めて宇品港のことを知ったのである。
南方の島に送られた兵士が帰国したのが宇品港だった。
語り継ぐ戦争で、学習していくと、日清、日露の戦争の頃から軍都広島そして宇品は軍港として栄えたというのだ。
その宇品港のことを堀川さんが書いてくれたにもかかわらず、すっかり衰えてしまった自分は情けないことにまだ読んでいないのだ。
堀川さんが読売の取材に何げなく応じている中に、日本軍は兵站がことごとく米軍にやられてしまい、ガダルカナル島は餓島と呼ばれたり、レイテ島などでサルの肉だと言いながら人間の肉を食べた?話があったり、インパール作戦では白骨街道と呼ばれるなど兵士は戦闘よりも飢餓に苦しんだことから、宇品の輸送船が撃沈されたことと大いに関係があることがわかった。
山崎豊子『大地の子』を読んで、自分が知っていた中国残留孤児が具体化し、中国残留孤児のことを取り上げるとき、大いに参考になっている。
語り継ぐ戦争だから、証言を参考にしてきたのは事実であるが、その証言者が数が少なくなっているし、81年も経ってしまえば、記憶に思い違いがあっても不思議ではない。
史料が重要であることの所以である。
人はそれぞれの立ち位置でできることをやればいい。というのが自分のスタンスである。
堀川さんのような広島県人としての矜持を胸に、史料に当たり、物語を紡いでくれる人にはエールをおくりたい。
堀川さんは『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』を2021年に上梓している。
広島市の宇品港にあった日本軍最大の海上輸送拠点を取り上げた。兵士や物資を運ぶ船舶が不足していたのに日本が戦争を始め、戦線を南方に拡大していく経緯を描いた。
取材の過程で、司令官を務めた田尻昌次中将の遺族に辿り着き、中将の自叙伝全13巻を提供していただいた。機密のデータや写真も多数添付されていて、鳥肌が立ったとその時のことを明らかにしている。
中将は開戦前の1939年、日本の船舶輸送の脆弱さを訴える意見具申を陸軍中枢や各省にし、諭旨免職となった。
戦争が始まり、南方の補給任務を担わされた宇品の輸送船は次々と撃沈されてしまう。
広島で生まれ育ち、戦争をテーマに書いている堀川さんは取材した被爆者だけでも230人を超えるという。
証言を聴くことすらもうできなくなりつつあるが、私たちは証言に頼りすぎていたのではないか。と自戒しているという。
埋もれた史料を発掘する。史料を見直す。知識や経験、取材の技術が問われる時代になってくる。これからも覚悟をもって物語を紡ぐと結ぶ。
父親が召集され、運よく帰国を果たしているので、戦争のことを聴いておけばよかった。と思ったときはもう父親はいなかった。
父親が病死した時、16歳だったから、戦争のことを聴くような間柄ではなかった。
厚生労働省に軍歴照会というのか、問い合わせをして、初めて宇品港のことを知ったのである。
南方の島に送られた兵士が帰国したのが宇品港だった。
語り継ぐ戦争で、学習していくと、日清、日露の戦争の頃から軍都広島そして宇品は軍港として栄えたというのだ。
その宇品港のことを堀川さんが書いてくれたにもかかわらず、すっかり衰えてしまった自分は情けないことにまだ読んでいないのだ。
堀川さんが読売の取材に何げなく応じている中に、日本軍は兵站がことごとく米軍にやられてしまい、ガダルカナル島は餓島と呼ばれたり、レイテ島などでサルの肉だと言いながら人間の肉を食べた?話があったり、インパール作戦では白骨街道と呼ばれるなど兵士は戦闘よりも飢餓に苦しんだことから、宇品の輸送船が撃沈されたことと大いに関係があることがわかった。
山崎豊子『大地の子』を読んで、自分が知っていた中国残留孤児が具体化し、中国残留孤児のことを取り上げるとき、大いに参考になっている。
語り継ぐ戦争だから、証言を参考にしてきたのは事実であるが、その証言者が数が少なくなっているし、81年も経ってしまえば、記憶に思い違いがあっても不思議ではない。
史料が重要であることの所以である。
人はそれぞれの立ち位置でできることをやればいい。というのが自分のスタンスである。
堀川さんのような広島県人としての矜持を胸に、史料に当たり、物語を紡いでくれる人にはエールをおくりたい。
2026年08月17日
戦争で蝕まれた元兵士 精神病67万人
8月になるとメディアがアジア太平洋戦争のことを伝えることが増える印象がある。
8月6日、9日と米軍によるヒロシマ、ナガサキへの原爆投下、そして15日は天皇の玉音放送で日本は無条件降伏したことにより、それぞれの日に、犠牲者の慰霊式が行われるからでもあるだろう。
インターネットの台頭で、TVや新聞などのメディアの視聴や購読者が減少していることも伝えられている。
それでも、自分のような団塊の世代は物心ついた頃からわが家で購読している読売新聞の購読を止めるなんて考えたこともないし、NHKが放送してくれる戦争関連の番組はビデオでなるべく視聴するようにしてきた。
毎日、自由のために発信している。気づきを与えてくれるのが読売だったり、NHKだったり、はたまたSNSだったりするが、その読売は政治部は自民党の機関紙みたいになってしまったからスルーしても、社会部はアジア太平洋戦争を語り継ぐことにまじめに取り組んでくれているので、大いに参考にさせてもらっている。
8月になって読売は、戦後81年、「伝承」と「継承 子孫が語る」というタイトルで戦争を語り継いでくれている。
その両方で、奇しくも「戦争トラウマ」「兵士の心の傷」について取り上げているので書いておきたい。
8月13日の「伝承」(江原桂都記者)では、戦争トラウマで心を閉ざしたまま亡くなった父親の足跡を子や孫の世代がたどり、「過酷な戦地 父蝕む」「元兵士の心の傷 家族にも影響」という見出しで伝えてくれた。
8月15日の「継承 子孫が語る」(石井恭平記者)では、「父変えた 戦争トラウマ」「家族に影響 虐待連鎖も」という見出しで父親が戦争トラウマに苦しみ、家族にその影響が及んだことを伝えている。
厚生労働省は2024年、日本兵の心の傷について調査を始めた。軍医が残していたカルテなどを収集・分析し、2026年2月からは国立の戦傷病者史料館「しょうけい館」の常設展で調査結果の一部を公開している。
終戦までの4年間の戦病者785万人のうち、約8%の67万人が「精神病・その他の神経症」だったと推計した。相当数のPTSD患者がいた可能性がある。
ただし、調査対象は陸軍病院で治療を受けるなどした「戦傷病者」に限られている。戦後に発症したケースは含まれず、調査が不十分との声もある。
普通の暮らしをしていた人間が召集され、銃を持たされ、殺し合いをさせられるわけだから、精神がおかしくならない方がどうかしている。
旧日本軍では、内務班と呼ばれた初年兵を鍛える場所で古年兵からの暴力制裁が始まる。自分がやられた人間は仕返しするかのように、立場が代われば、暴力をふるう側に回るのだ。
ところが、戦場では古年兵といえども暴力制裁は減る。
何故なら、戦場では等しく武装しているから、暴力制裁を受けた側は暴力をふるう側を戦闘中に後ろから撃つことができるからだ。
戦場でのPTSD、トラウマはベトナム戦争における帰還兵によって広く知られるようになった。
戦場における大麻や覚せい剤などの薬物使用も明らかになっている。
薬物使用といえば、特攻隊員が出撃する前に、ヒロポン(覚醒剤)を注射した医師が証言している。
誰だって死にたくないし、死の恐怖を紛らしたり、精神を高揚させるためであるが、生き残って薬物中毒になった帰還兵だっていたかもしれない。
元兵士の心の傷といえば、黒井秋夫さん(77)(東京武蔵村山市)は遺族や研究者とともに23年、「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」を作った。過酷な戦地で蝕まれた父親のことを調べていくうちに同じような体験をした人たちと出会い、語り合ったからだ。
俳優武田鉄矢さんは自身の父親が戦地で蝕まれたことを明かしているが、自分も含めて、あまり知られてこなかっただけで、実は同じような心の傷を抱え苦しんでいた人が多いことを示しているのではないか。
満州など中国大陸で、中国人の首を斬った日本兵が戦争が終わって帰国してから、普通の暮らしをする中で、過去の己の犯した罪を見つめ、苦しみを抱くのは当然のことである。
暴力の連鎖は体育会系組織ではよくあることで、家庭でも親が暴力を振るえば、決まって暴力の連鎖は続くというのがお定まりになっている。
暴力も戦争もやってはいけない所以である。
8月6日、9日と米軍によるヒロシマ、ナガサキへの原爆投下、そして15日は天皇の玉音放送で日本は無条件降伏したことにより、それぞれの日に、犠牲者の慰霊式が行われるからでもあるだろう。
インターネットの台頭で、TVや新聞などのメディアの視聴や購読者が減少していることも伝えられている。
それでも、自分のような団塊の世代は物心ついた頃からわが家で購読している読売新聞の購読を止めるなんて考えたこともないし、NHKが放送してくれる戦争関連の番組はビデオでなるべく視聴するようにしてきた。
毎日、自由のために発信している。気づきを与えてくれるのが読売だったり、NHKだったり、はたまたSNSだったりするが、その読売は政治部は自民党の機関紙みたいになってしまったからスルーしても、社会部はアジア太平洋戦争を語り継ぐことにまじめに取り組んでくれているので、大いに参考にさせてもらっている。
8月になって読売は、戦後81年、「伝承」と「継承 子孫が語る」というタイトルで戦争を語り継いでくれている。
その両方で、奇しくも「戦争トラウマ」「兵士の心の傷」について取り上げているので書いておきたい。
8月13日の「伝承」(江原桂都記者)では、戦争トラウマで心を閉ざしたまま亡くなった父親の足跡を子や孫の世代がたどり、「過酷な戦地 父蝕む」「元兵士の心の傷 家族にも影響」という見出しで伝えてくれた。
8月15日の「継承 子孫が語る」(石井恭平記者)では、「父変えた 戦争トラウマ」「家族に影響 虐待連鎖も」という見出しで父親が戦争トラウマに苦しみ、家族にその影響が及んだことを伝えている。
厚生労働省は2024年、日本兵の心の傷について調査を始めた。軍医が残していたカルテなどを収集・分析し、2026年2月からは国立の戦傷病者史料館「しょうけい館」の常設展で調査結果の一部を公開している。
終戦までの4年間の戦病者785万人のうち、約8%の67万人が「精神病・その他の神経症」だったと推計した。相当数のPTSD患者がいた可能性がある。
ただし、調査対象は陸軍病院で治療を受けるなどした「戦傷病者」に限られている。戦後に発症したケースは含まれず、調査が不十分との声もある。
普通の暮らしをしていた人間が召集され、銃を持たされ、殺し合いをさせられるわけだから、精神がおかしくならない方がどうかしている。
旧日本軍では、内務班と呼ばれた初年兵を鍛える場所で古年兵からの暴力制裁が始まる。自分がやられた人間は仕返しするかのように、立場が代われば、暴力をふるう側に回るのだ。
ところが、戦場では古年兵といえども暴力制裁は減る。
何故なら、戦場では等しく武装しているから、暴力制裁を受けた側は暴力をふるう側を戦闘中に後ろから撃つことができるからだ。
戦場でのPTSD、トラウマはベトナム戦争における帰還兵によって広く知られるようになった。
戦場における大麻や覚せい剤などの薬物使用も明らかになっている。
薬物使用といえば、特攻隊員が出撃する前に、ヒロポン(覚醒剤)を注射した医師が証言している。
誰だって死にたくないし、死の恐怖を紛らしたり、精神を高揚させるためであるが、生き残って薬物中毒になった帰還兵だっていたかもしれない。
元兵士の心の傷といえば、黒井秋夫さん(77)(東京武蔵村山市)は遺族や研究者とともに23年、「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」を作った。過酷な戦地で蝕まれた父親のことを調べていくうちに同じような体験をした人たちと出会い、語り合ったからだ。
俳優武田鉄矢さんは自身の父親が戦地で蝕まれたことを明かしているが、自分も含めて、あまり知られてこなかっただけで、実は同じような心の傷を抱え苦しんでいた人が多いことを示しているのではないか。
満州など中国大陸で、中国人の首を斬った日本兵が戦争が終わって帰国してから、普通の暮らしをする中で、過去の己の犯した罪を見つめ、苦しみを抱くのは当然のことである。
暴力の連鎖は体育会系組織ではよくあることで、家庭でも親が暴力を振るえば、決まって暴力の連鎖は続くというのがお定まりになっている。
暴力も戦争もやってはいけない所以である。
2026年08月16日
抑留時の父 足跡追う娘
「戦後81年 継承 子孫が語る」その2,8月13日の読売(渡辺ひなの記者)が伝えてくれたのはシベリア抑留され、1949年11月に帰国するも、衰弱が激しく、1959年に38歳で亡くなった父親の抑留時の足跡を追う娘西村亮子さん(73)の姿である。
山形県出身で教員だった父親津藤一夫さんが亡くなった時、6歳で、思い出といえるのは吹雪の中を一緒に幼稚園に登園したことくらいだという。
東京世田谷区で教員だった西村さんは、定年頃から父の抑留体験や思いを理解したいと集めてきた資料は200点以上に及ぶ。
20歳で召集され、45年8月30日にソ連の捕虜になり、極東地域や中央アジアのウズベキスタン、カザフスタンの収容所で労働を強いられた。
収容所内の個人に関する記録が日本側に届いていることを抑留者の家族から聞き、厚生労働省から取り寄せた結果、三つの収容所に移送されたこと。衰弱して入院していたことはわかったが、収容所で何をしていたのか知りたいと研究者に手紙を書いたり、帰還者の手記を探したりして調べると、劇場建設に携わった可能性があることや病弱者や負傷兵が入る収容所にいたとみられることが判明。
西村さんは、この秋、ウズベキスタンを訪問し、抑留中に死亡した兵士の墓や、父親が建設に携わった可能性がある劇場などを訪れる予定だ。
「戦後も苦しんだ人たちがいること、その人たちの思いを父に代わって語り続け、調べたことを書き残したい」そうな。
戦後81年 継承 子孫が語るの其の1は中国残留孤児2世だったから、その2はシベリア抑留者の子どもだろうと思っていた。
昨日、8月15日は、アジア太平洋戦争における日本の加害者としての面を忘れてはならないことと、戦争を始めるときはほとんど例外なく自衛のためだと言いながら、他国への侵略が始まることから、近年、国防や自衛権の強化のことばかりを政治家が強調し始めたことから、戦争の危険性を危惧していることを書いた。
シベリア抑留者のことを忘れないため、抑留者が食していたロシアの黒パンを秋田の大館のサンドリヨンから取り寄せて、毎朝、食していることを書いたことがある。今朝も食べている。
自分より先輩かつ勉強家の知人が、シベリヤ抑留や満蒙開拓団などのことを学習していて、その貴重な資料を頂戴しているが、まだまだ勉強が足りなくて、役立たせることができていない。
自分も父親が召集され、南方のスマトラ島に派兵されたが、この島だから助かったのかもしれないと思い、厚生労働省に父親の軍歴を照会するも宇品港に帰ってきたことしかわからなかった。
それでも、父親がヒロシマの原爆の爪痕を目撃していることが分かったので、自分としては満足している。
何故なら、わが家に被爆者の写真が掲載されている朝日グラフを冊子にしたような写真集があったからだ。
西村さんが収容所に抑留されていた父親のことを調べ、劇場の建設に携わっていた可能性があることを突き止めたり、衰弱していたことから病人や負傷兵が収容されていた施設にいたらしいことまでもわかったことは調べた甲斐があったというものではないか。
足跡を調べるといえば、作家はこういうことを仕事にして頑張っているわけだが、自分の父親の軍歴一つ満足に調べきれなかったことを思えば、西村さんの調査力は見事である。
本にされるとのことだから、エールをおくりたい。
ぜひ、シベリア抑留を語り継いでほしい。
山形県出身で教員だった父親津藤一夫さんが亡くなった時、6歳で、思い出といえるのは吹雪の中を一緒に幼稚園に登園したことくらいだという。
東京世田谷区で教員だった西村さんは、定年頃から父の抑留体験や思いを理解したいと集めてきた資料は200点以上に及ぶ。
20歳で召集され、45年8月30日にソ連の捕虜になり、極東地域や中央アジアのウズベキスタン、カザフスタンの収容所で労働を強いられた。
収容所内の個人に関する記録が日本側に届いていることを抑留者の家族から聞き、厚生労働省から取り寄せた結果、三つの収容所に移送されたこと。衰弱して入院していたことはわかったが、収容所で何をしていたのか知りたいと研究者に手紙を書いたり、帰還者の手記を探したりして調べると、劇場建設に携わった可能性があることや病弱者や負傷兵が入る収容所にいたとみられることが判明。
西村さんは、この秋、ウズベキスタンを訪問し、抑留中に死亡した兵士の墓や、父親が建設に携わった可能性がある劇場などを訪れる予定だ。
「戦後も苦しんだ人たちがいること、その人たちの思いを父に代わって語り続け、調べたことを書き残したい」そうな。
戦後81年 継承 子孫が語るの其の1は中国残留孤児2世だったから、その2はシベリア抑留者の子どもだろうと思っていた。
昨日、8月15日は、アジア太平洋戦争における日本の加害者としての面を忘れてはならないことと、戦争を始めるときはほとんど例外なく自衛のためだと言いながら、他国への侵略が始まることから、近年、国防や自衛権の強化のことばかりを政治家が強調し始めたことから、戦争の危険性を危惧していることを書いた。
シベリア抑留者のことを忘れないため、抑留者が食していたロシアの黒パンを秋田の大館のサンドリヨンから取り寄せて、毎朝、食していることを書いたことがある。今朝も食べている。
自分より先輩かつ勉強家の知人が、シベリヤ抑留や満蒙開拓団などのことを学習していて、その貴重な資料を頂戴しているが、まだまだ勉強が足りなくて、役立たせることができていない。
自分も父親が召集され、南方のスマトラ島に派兵されたが、この島だから助かったのかもしれないと思い、厚生労働省に父親の軍歴を照会するも宇品港に帰ってきたことしかわからなかった。
それでも、父親がヒロシマの原爆の爪痕を目撃していることが分かったので、自分としては満足している。
何故なら、わが家に被爆者の写真が掲載されている朝日グラフを冊子にしたような写真集があったからだ。
西村さんが収容所に抑留されていた父親のことを調べ、劇場の建設に携わっていた可能性があることを突き止めたり、衰弱していたことから病人や負傷兵が収容されていた施設にいたらしいことまでもわかったことは調べた甲斐があったというものではないか。
足跡を調べるといえば、作家はこういうことを仕事にして頑張っているわけだが、自分の父親の軍歴一つ満足に調べきれなかったことを思えば、西村さんの調査力は見事である。
本にされるとのことだから、エールをおくりたい。
ぜひ、シベリア抑留を語り継いでほしい。
2026年08月15日
アジア太平洋戦争、加害者としての日本
81年目の8月15日、NHKマイあさラジオのサタデーエッセイに登場したのは『福田村事件』の監督森達也さんだった。
天皇が敗戦を受け入れたこの日、約310万人の犠牲者の命と引き換えにすべての自由を抑圧するファシズムの国から民主主義の国になった喜びの日でもある。
語り継ぐ戦争だから、戦争を経験した人たちの証言が戦争を抑止するために大事であると考えて発信してきた。
ところが、流石森達也さんは、東京大空襲、沖縄戦、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下、満州からの引き揚げの悲劇、シベリア抑留と被害者としての立場からの証言だけでは戦争を抑止する力としては不十分だというのだ。
真珠湾攻撃を仕掛けたのは日本であり、中国大陸に侵略し、傀儡国家満州国を建国、満蒙開拓団を送り込み、農民の土地を事実上取り上げ、資源を求めて東南アジアの国々に侵略した加害者としての立場を忘れてはならないと指摘。
「高市早苗34歳『反省を求められるいわれもない』のインパクト 戦後日本の『ブラックボックス』を思う 北原みのり」 AERA DIGITALで、作家の北原みのりさんが満州における関東軍731部隊が中国人や朝鮮人捕虜をマルタと呼び、人体実験したことを記録した展示施設である資料館を中国で見学したことを伝えていた。
資料館を出るときには、人体実験の被害にあったと考えられる約3000人の名前が記されている通路を通る。年齢はわからないが女性の名前も多くあった。731部隊は妊婦のおなかから胎児を取り出しホルマリンに漬け、女性は梅毒に感染させるなどの実験をしていたことも旧日本軍人によって報告されている。
しかし、医師でもあった彼らは戦後、戦争を責任を問われることもなく、医学界で働いてきた。
さらに、森達也さんは戦争は始める側が自衛のための戦争だというのがお定まりだというのだ。
ナチスヒトラー、旧日本軍、ウクライナに侵略したロシア、パレスチナ人を虐殺しているイスラエル、イランを攻撃している米国、イスラエル皆然りだ。
集団的自衛権行使容認の安倍元首相、武器輸出三原則解禁し、非核三原則の堅持を表明しない高市首相ともに自衛ということを強く政治姿勢で打ち出している。
台湾有事における国会答弁で、高市首相は中国と戦争することを明言している。
戦前の旧日本軍と何ら変わるところがない。
それだけに、終戦記念日といえども、もう一度平和を守り抜くという意識を市民としては向上させておく必要がある。
天皇が敗戦を受け入れたこの日、約310万人の犠牲者の命と引き換えにすべての自由を抑圧するファシズムの国から民主主義の国になった喜びの日でもある。
語り継ぐ戦争だから、戦争を経験した人たちの証言が戦争を抑止するために大事であると考えて発信してきた。
ところが、流石森達也さんは、東京大空襲、沖縄戦、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下、満州からの引き揚げの悲劇、シベリア抑留と被害者としての立場からの証言だけでは戦争を抑止する力としては不十分だというのだ。
真珠湾攻撃を仕掛けたのは日本であり、中国大陸に侵略し、傀儡国家満州国を建国、満蒙開拓団を送り込み、農民の土地を事実上取り上げ、資源を求めて東南アジアの国々に侵略した加害者としての立場を忘れてはならないと指摘。
「高市早苗34歳『反省を求められるいわれもない』のインパクト 戦後日本の『ブラックボックス』を思う 北原みのり」 AERA DIGITALで、作家の北原みのりさんが満州における関東軍731部隊が中国人や朝鮮人捕虜をマルタと呼び、人体実験したことを記録した展示施設である資料館を中国で見学したことを伝えていた。
資料館を出るときには、人体実験の被害にあったと考えられる約3000人の名前が記されている通路を通る。年齢はわからないが女性の名前も多くあった。731部隊は妊婦のおなかから胎児を取り出しホルマリンに漬け、女性は梅毒に感染させるなどの実験をしていたことも旧日本軍人によって報告されている。
しかし、医師でもあった彼らは戦後、戦争を責任を問われることもなく、医学界で働いてきた。
さらに、森達也さんは戦争は始める側が自衛のための戦争だというのがお定まりだというのだ。
ナチスヒトラー、旧日本軍、ウクライナに侵略したロシア、パレスチナ人を虐殺しているイスラエル、イランを攻撃している米国、イスラエル皆然りだ。
集団的自衛権行使容認の安倍元首相、武器輸出三原則解禁し、非核三原則の堅持を表明しない高市首相ともに自衛ということを強く政治姿勢で打ち出している。
台湾有事における国会答弁で、高市首相は中国と戦争することを明言している。
戦前の旧日本軍と何ら変わるところがない。
それだけに、終戦記念日といえども、もう一度平和を守り抜くという意識を市民としては向上させておく必要がある。