炎症性腸疾患クローン病で小腸が数か所狭隘になってしまい、食べたり、水分を摂ったりすると腸閉塞で腹痛を起こすことが続いている上に、加齢でトイレが近くなっていることから、目下の一番の関心事はトイレである。
先日、『ビヨンド・ユートピア脱北』を観に行った時も、映画館に着いてトイレを済ませたのだが、管内での待ち時間にコーヒーを飲んだら、上映開始前にトイレに行く始末。しかし、これで一安心と思っていたら映画の途中でトイレに行くことに。映画終了後、心配になってまたトイレにという情けないことになっている。
連れ合いが一緒だから許されるが、これでは他人と一緒に出掛けることはできない。
汗をかく季節になれば、こんなことはないはずだが。
Newニュースの門で「街のお手洗いDXの波」というタイトルで1月13日の読売(生田ちひろ記者)が清潔さとハイテクで海外にも知られる日本の公共トイレにDXの波が押し寄せていると伝えている。
DXとはデジタルトランスフォーメーションのことだそうな。便器やペーパーホルダーにセンサーを内蔵し、掃除や補充が必要になると、清掃員のタブレット端末に通知されることなどハイテク機器が導入されているというのだ。
JR西日本は大阪駅北側の開発区域「うめきた2期」地下に2023年春開業した新ホームのトイレであらゆるモノをインターネットにつなぐ「IoT」のシステムを導入した。
駅の公衆トイレは不特定多数が使用するから便器の詰まりがよく起きるが、便器の溢れをセンサーで検知すると給水が止まり、同時に端末で通知することで清掃員がすぐに対処できる。
2023年の年の瀬にトイレ清掃員の男性の日常を描いた『PERFECT DAYS』を観ることができた。
日本財団の企画「THE TOKYO TOILET」で東京渋谷区内の17か所のトイレが建築家らにより大胆に改修されており、主人公の男性もこのトイレの清掃を仕事にしているのだ。
驚いたのは、トイレがガラス張りというか人間が入れば、姿が隠れるという優れものがあったことで、トイレに潜んでの性犯罪を予防できるなと感心した。
いつもお世話になるトイレだから、清掃とか経費が掛かるだろうから、一部有料化してもいいくらいだと思っている。カネがない人がほとんどだから、有料化で差別化するだけで、これまで通り、そのほとんどは無料でなければ困るだろうが、一部は有料化しても何ら問題はないだろう。ただし、使用料をいくらにするかは議論があるかも。
さて、DXなんて言うからデラックスなんておかしいなと思っていたら、Ðとはデジタルのことで、時代遅れの人間にはとてもついていけない。
それでも、トイレの詰まりを検知して、水を止め、清掃員がすぐに来てくれて対処してくれるようになるならデジタルトランスフォーメーション結構なことである。
トイレに一番求めたいのは清潔さで、温水洗浄便座は今や必需品で、これがないトイレは不合格である。
語り継ぐ戦争で全国を周る前から、旅が好きで家族でもよく出かけていたが、トイレに温水洗浄便座がついているか調べてから宿泊施設を決めていたほどだから、旅先ではこれが装備されているホテルに宿泊することが少なくない。
まあ、現在では大概の所は温水洗浄便座がついているようになったからTOTOやLIXIL INAXの開発担当者にお礼を言いたい。
最後に、男性のトイレにも人権があるという考え方が広まりつつある。
サニタリ―ボックスの設置や女性同様個室があって、後ろに立たれて催促されるようなことをなくそうという動きである。
加齢は実に悲しいことで、トイレが近くなるばかりでなく、出るものがでるのに時間がかかり、勢いがなくなってしまうのである。
尿を漏らしてしまうことだって起こるかもしれない。
だから、サニタリーボックスが必要になるのかもしれない。
とにかく、生きている以上、トイレが重要アイテムであることは断言できるのである。
2024年01月18日
2024年01月12日
シニアグループが育てた野菜 子ども食堂に届ける
40代早々に3か月入院。炎症性腸疾患クローン病だと診断された。
退院してからかなりの年月、食事制限して頑張ったおかげで普通に暮らしてきたが、小腸数か所が狭隘になって、腸閉塞を起こしやすくなり、2回入院し、今日ではよく腹痛に見舞われる。
今朝、通院日で病院に行くと、自分を含め相変わらず高齢者ばかりだった。主治医の診察を受け、処方箋を書いてもらい、帰宅しようと病院を出たら100bあるかないかくらいの歩道上に男性が倒れているではないか。
よく見ると、高齢の女性が自分の前を病院の車椅子を押していて男性の所で立ち止まった。
通りがかって知らん顔というわけにはいかないので、声をかけ、小太りの体躯のわきの下に手を入れ、起き上がらせながら車椅子に座らせた。
連れ合いであろうご婦人は「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げていた。
さて、高齢者といえば、支えられる側―そんな決めつけは、もう古いのかもしれないと1月10日の読売が社会保障の紙面で「長生きにエール」というタイトルに「子ども食堂に野菜届ける」「シニア男性ボランティアグループが農業」「定年後の社会とつながる」という見出しで、長生きの時代、誰かのためにという思いがあれば、活躍の場はまだまだありそうだ。と子ども食堂へ届けるために野菜を育ててきたシニアグループのことを伝えている。
大阪市鶴見区にある約500平方メートルの畑で龍神正則さん(81)が代表を務める「アグリ」のメンバーが区内の子ども食堂に届けるための野菜を収穫している様子が紙面に写真で紹介されている。
アグリの活動をサポートしている同区社会福祉協議会の安藤美希さん(50)に託された野菜は「今年も美味しい食材をありがとうございました」という子どもたちからの感謝の声となって届き、メンバーたちの表情は晴れやかだそうな。
代表の龍神さんは、幼くして父を亡くし、母が一人で働いている姿を見て育った。その頃の「手助けしたい」という思いが、「誰かの役に立ちたい」という今の活動につながっている。
わが家にあるパジェロと軽トラの燃料、灯油を買い求めるGSの隣にはコメダ珈琲店があり、朝9時過ぎには駐車場には車がかなり駐車している。
一方で、街を流れる川沿いの散歩道を朝から歩いているひとがいる。いずれも定年後の人たちが少なくないような気がする。
経済的に余裕がある高齢者はコメダ珈琲店でモーニングコーヒーで、経済的余裕がない高齢者はひたすら歩いているのだろうか。
自分は、親ガチャというのか、先祖ガチャで狭い面積ながら畑があるから、有機無農薬での野菜作りを実践している。口さがない知人は生産農地ではないことを知っていて、「税金が高いところで、道楽で野菜が作れる人はいいですね」などと嫌味ともとれるようなことを言っているが、そんなことはわれ関せずである。
偶々、恵まれた環境に身を置いているが、「運がよかっただけのことだが、有り難いことだ」と言い返す。
他者と関わるのはストレスになるだけだから、誰かと何かをするつもりなど毛頭ないが、コメダ珈琲店に行こうが、散歩しまくりだろうが、好きにすればいいだけのことである。
ただし、せっかくの人生。しかも晩年だから、誰かのために役に立つという心で、子ども食堂に野菜を届けるシニア世代がいてくれるのはシニアの生き方の佳いお手本になることで、エールをおくりたい。
しかも、代表の龍神さんが父親を早くに亡くし、ひとりで働く母の背中を観て、「手助けしたい」と思った純な心根が「誰かの役に立ちたい」という気持ちを晩年まで持ち続けて来られたことは尊敬に値する。
一人でも多くの人がこの気持ちを忘れなければ世の中住みやすくなる。
退院してからかなりの年月、食事制限して頑張ったおかげで普通に暮らしてきたが、小腸数か所が狭隘になって、腸閉塞を起こしやすくなり、2回入院し、今日ではよく腹痛に見舞われる。
今朝、通院日で病院に行くと、自分を含め相変わらず高齢者ばかりだった。主治医の診察を受け、処方箋を書いてもらい、帰宅しようと病院を出たら100bあるかないかくらいの歩道上に男性が倒れているではないか。
よく見ると、高齢の女性が自分の前を病院の車椅子を押していて男性の所で立ち止まった。
通りがかって知らん顔というわけにはいかないので、声をかけ、小太りの体躯のわきの下に手を入れ、起き上がらせながら車椅子に座らせた。
連れ合いであろうご婦人は「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げていた。
さて、高齢者といえば、支えられる側―そんな決めつけは、もう古いのかもしれないと1月10日の読売が社会保障の紙面で「長生きにエール」というタイトルに「子ども食堂に野菜届ける」「シニア男性ボランティアグループが農業」「定年後の社会とつながる」という見出しで、長生きの時代、誰かのためにという思いがあれば、活躍の場はまだまだありそうだ。と子ども食堂へ届けるために野菜を育ててきたシニアグループのことを伝えている。
大阪市鶴見区にある約500平方メートルの畑で龍神正則さん(81)が代表を務める「アグリ」のメンバーが区内の子ども食堂に届けるための野菜を収穫している様子が紙面に写真で紹介されている。
アグリの活動をサポートしている同区社会福祉協議会の安藤美希さん(50)に託された野菜は「今年も美味しい食材をありがとうございました」という子どもたちからの感謝の声となって届き、メンバーたちの表情は晴れやかだそうな。
代表の龍神さんは、幼くして父を亡くし、母が一人で働いている姿を見て育った。その頃の「手助けしたい」という思いが、「誰かの役に立ちたい」という今の活動につながっている。
わが家にあるパジェロと軽トラの燃料、灯油を買い求めるGSの隣にはコメダ珈琲店があり、朝9時過ぎには駐車場には車がかなり駐車している。
一方で、街を流れる川沿いの散歩道を朝から歩いているひとがいる。いずれも定年後の人たちが少なくないような気がする。
経済的に余裕がある高齢者はコメダ珈琲店でモーニングコーヒーで、経済的余裕がない高齢者はひたすら歩いているのだろうか。
自分は、親ガチャというのか、先祖ガチャで狭い面積ながら畑があるから、有機無農薬での野菜作りを実践している。口さがない知人は生産農地ではないことを知っていて、「税金が高いところで、道楽で野菜が作れる人はいいですね」などと嫌味ともとれるようなことを言っているが、そんなことはわれ関せずである。
偶々、恵まれた環境に身を置いているが、「運がよかっただけのことだが、有り難いことだ」と言い返す。
他者と関わるのはストレスになるだけだから、誰かと何かをするつもりなど毛頭ないが、コメダ珈琲店に行こうが、散歩しまくりだろうが、好きにすればいいだけのことである。
ただし、せっかくの人生。しかも晩年だから、誰かのために役に立つという心で、子ども食堂に野菜を届けるシニア世代がいてくれるのはシニアの生き方の佳いお手本になることで、エールをおくりたい。
しかも、代表の龍神さんが父親を早くに亡くし、ひとりで働く母の背中を観て、「手助けしたい」と思った純な心根が「誰かの役に立ちたい」という気持ちを晩年まで持ち続けて来られたことは尊敬に値する。
一人でも多くの人がこの気持ちを忘れなければ世の中住みやすくなる。
2024年01月10日
トラックから鉄道へ 米運ぶ「全農号」運行開始
働き方改革法案により運転手の労働時間に上限が課されることで生じる問題が所謂物流の2024年問題である。オーバーワークで求人難に陥っていた物流の主役トラック運転手。過重労働を是正しようと時間外労働時間が年間960時間に制限される。ために一人当たりの走行距離が短くなり、長距離でモノが運べなくなりそうなのだ。
ということで「物流革新」というタイトルで連載を始めた読売の1月6日の2回目は「コメ産地 専用列車走る」「トラック距離短縮 船も利用」という見出しでJA全農がコメ専用列車を走らせていることを伝えている。
JA全農と全農物流、JR貨物は11月から、車両を丸ごと貸し切って米などを長距離輸送する貨物列車「全農号」の定期運行を始めた。1回の運行で10トントラック50台分を輸送でき、本年度中は月2回、来年度は月最大4回運行する予定。トラックドライバー不足が懸念される「物流2024年問題」で課題となる鉄道輸送への転換を進める。と2023年11月7日の日本農業新聞が伝えていた。
輸送手段をトラックから切り替える「モーダルシフトの推進」を掲げ、鉄道と船舶の輸送量を今後10年程度で倍増させる目標を盛り込んだ緊急パッケージを政府は2023年10月にまとめた。
池波正太郎『鬼平犯科帳』(文春文庫)の時代の江戸では物流は船が中心だった。
盗人が大きな商人の蔵から千両箱を盗み出したとして、船でなければ重くて運べるわけがないからだ。
ために、船宿があったくらいである。
ときは巡って、戦後は『泥の河』に廓船が浮かんでいた頃を経て、もう船の時代は終わり、トラック輸送全盛となっていく。
トラックでの長距離輸送だけでなく物流は日通、クロネコヤマト、郵政、佐川といった宅急便全盛の時代を迎える。
インターネットでの注文でアマゾンのような大企業が販売の主役となり、さらに、宅急便は忙しさを増す。
トヨタのような会社は倉庫を極力設置せず、月日、日時指定で必要な部品を調達するトヨタシステムみたいな効率主義ことを始めたため、他社も追随し、住宅建設などでは、上棟の際には、広い道路で時間調整するトラックドライバーを見かけるようになってしまった。
ケン・ローチ監督『家族を想うとき』で宅急便ドライバーが管理され、時間に追われて満足に食事も摂れず、トイレにも行かれず、尿瓶を使っているのを観て衝撃を受けた。
わが国の長距離ドライバーだって、高速などで、雪や交通渋滞となれば、そうせざるをえないだろう。
それほど運転手に効率主義のツケが回っているのだ。
働き方改革がなされて当然のことだ。
トラックから列車、フェリーなどの船舶を活用するのは当たり前のことである。
一部の人間だけが大変な思いをしてアマゾンのような大企業が一人勝ちしている労働環境を改善するのは政治の義務だ。
ということで「物流革新」というタイトルで連載を始めた読売の1月6日の2回目は「コメ産地 専用列車走る」「トラック距離短縮 船も利用」という見出しでJA全農がコメ専用列車を走らせていることを伝えている。
JA全農と全農物流、JR貨物は11月から、車両を丸ごと貸し切って米などを長距離輸送する貨物列車「全農号」の定期運行を始めた。1回の運行で10トントラック50台分を輸送でき、本年度中は月2回、来年度は月最大4回運行する予定。トラックドライバー不足が懸念される「物流2024年問題」で課題となる鉄道輸送への転換を進める。と2023年11月7日の日本農業新聞が伝えていた。
輸送手段をトラックから切り替える「モーダルシフトの推進」を掲げ、鉄道と船舶の輸送量を今後10年程度で倍増させる目標を盛り込んだ緊急パッケージを政府は2023年10月にまとめた。
池波正太郎『鬼平犯科帳』(文春文庫)の時代の江戸では物流は船が中心だった。
盗人が大きな商人の蔵から千両箱を盗み出したとして、船でなければ重くて運べるわけがないからだ。
ために、船宿があったくらいである。
ときは巡って、戦後は『泥の河』に廓船が浮かんでいた頃を経て、もう船の時代は終わり、トラック輸送全盛となっていく。
トラックでの長距離輸送だけでなく物流は日通、クロネコヤマト、郵政、佐川といった宅急便全盛の時代を迎える。
インターネットでの注文でアマゾンのような大企業が販売の主役となり、さらに、宅急便は忙しさを増す。
トヨタのような会社は倉庫を極力設置せず、月日、日時指定で必要な部品を調達するトヨタシステムみたいな効率主義ことを始めたため、他社も追随し、住宅建設などでは、上棟の際には、広い道路で時間調整するトラックドライバーを見かけるようになってしまった。
ケン・ローチ監督『家族を想うとき』で宅急便ドライバーが管理され、時間に追われて満足に食事も摂れず、トイレにも行かれず、尿瓶を使っているのを観て衝撃を受けた。
わが国の長距離ドライバーだって、高速などで、雪や交通渋滞となれば、そうせざるをえないだろう。
それほど運転手に効率主義のツケが回っているのだ。
働き方改革がなされて当然のことだ。
トラックから列車、フェリーなどの船舶を活用するのは当たり前のことである。
一部の人間だけが大変な思いをしてアマゾンのような大企業が一人勝ちしている労働環境を改善するのは政治の義務だ。
2024年01月09日
がんばれ森卓 病気に負けるな!
経済アナリストで獨協大学教授の森卓こと森永卓郎さんがすい臓がんで闘病中であることを公表したとメディアが伝えている。
抗がん剤が合わなかったが、薬を変えたら具合がよくなったなどもラジオ番組で語ったとも。
森永卓郎さんといえば、株などでもうけた高額所得者に収入に見合った課税をすべきだと発言されるなど市民の見方の経済学者である。
NHKラジオが朝のビジネス情報として、亡くなられた内橋克人さんを筆頭に、金子勝慶応大学名誉教授、経済アナリスト藤原直哉さん、浜矩子同志社大学教授そして森永卓郎さんなど市民の味方だと思える方々を出演させる一方、バランスをとるためか人材派遣会社の経営陣に名前を連ねていた竹中平蔵慶応大学名誉教授のような新自由主義の権化のような自分さえよければいいという人物も含まれていた。
ところが、安倍右傾化内閣が長くなるにつれ、内橋克人さんらの出演回数が減っていく。
やがて、藤原直哉さんが降板させられ、内橋さんが亡くなり、浜矩子さんが降板、金子さんの出演回数も徐々に減らされ、次第にリスナーをやめた。
森卓さんが人間ドッグですい臓がんが見つかり、闘病中であることを公表し、死を覚悟したことも伝えられている。
すい臓がんがどれほど怖ろしい病気かということを知っている。
自分の人生でいろいろな人に助けられ今日まで生きてきたが、その恩人ともいうべき人たちの上位にランクする方や友人がすい臓がんで亡くなっているからだ。
街の病院に入院し、慶応大学病院に転院した恩人の話を耳にした時、「偏差値の高い病院に移ったけど、すい臓がんは厳しいかも」と知人がしゃべっていたとおりの結果となってしまった。
20年の5月、コロナ禍で同世代の友人がすい臓がんで亡くなった。
コロナ禍だったが、彼の連れ合いが線香を手向けてくれというので、湘南の海の近くの家まで行き、仏前で「手向」を吹いて祈りを捧げた。
早期発見だけが唯一の助かる道だと耳にするが、森卓さんは人間ドッグで見つかったのだからステージ4だというのは何かの間違いではないか。
現に薬を変えたら症状がよくなったともコメントしているので、ぜひとも希望を持って生き抜いてもらいたい。
森卓さんは経済についてのコメントをするばかりでなく、所沢の住まいから借りている畑まで通って野菜作りをしているとも耳にするので、この点も自分と同じなので親しみをもっていた。
時代の証言をするものだからか、日用品みたいなものを収集し、収蔵しているものを資料館として公開し、見学してもらおうとしていたことも風の便りに聞いたことがある。
難しい経済のことを平易な言葉で語り、わかりやすくて面白かったので好感を持って話を聴いていた。
ライザップに挑戦してスマートになったりしたが、急激に痩せたりするのは普通の人には無理があったのかもなどと思ったりしている。
株で大儲けしたり、高額所得者の課税を強化すべきだということを明確に発言している経済アナリストなど少ない。それだけに貴重な存在である。
森卓さん、頑張れ!
抗がん剤が合わなかったが、薬を変えたら具合がよくなったなどもラジオ番組で語ったとも。
森永卓郎さんといえば、株などでもうけた高額所得者に収入に見合った課税をすべきだと発言されるなど市民の見方の経済学者である。
NHKラジオが朝のビジネス情報として、亡くなられた内橋克人さんを筆頭に、金子勝慶応大学名誉教授、経済アナリスト藤原直哉さん、浜矩子同志社大学教授そして森永卓郎さんなど市民の味方だと思える方々を出演させる一方、バランスをとるためか人材派遣会社の経営陣に名前を連ねていた竹中平蔵慶応大学名誉教授のような新自由主義の権化のような自分さえよければいいという人物も含まれていた。
ところが、安倍右傾化内閣が長くなるにつれ、内橋克人さんらの出演回数が減っていく。
やがて、藤原直哉さんが降板させられ、内橋さんが亡くなり、浜矩子さんが降板、金子さんの出演回数も徐々に減らされ、次第にリスナーをやめた。
森卓さんが人間ドッグですい臓がんが見つかり、闘病中であることを公表し、死を覚悟したことも伝えられている。
すい臓がんがどれほど怖ろしい病気かということを知っている。
自分の人生でいろいろな人に助けられ今日まで生きてきたが、その恩人ともいうべき人たちの上位にランクする方や友人がすい臓がんで亡くなっているからだ。
街の病院に入院し、慶応大学病院に転院した恩人の話を耳にした時、「偏差値の高い病院に移ったけど、すい臓がんは厳しいかも」と知人がしゃべっていたとおりの結果となってしまった。
20年の5月、コロナ禍で同世代の友人がすい臓がんで亡くなった。
コロナ禍だったが、彼の連れ合いが線香を手向けてくれというので、湘南の海の近くの家まで行き、仏前で「手向」を吹いて祈りを捧げた。
早期発見だけが唯一の助かる道だと耳にするが、森卓さんは人間ドッグで見つかったのだからステージ4だというのは何かの間違いではないか。
現に薬を変えたら症状がよくなったともコメントしているので、ぜひとも希望を持って生き抜いてもらいたい。
森卓さんは経済についてのコメントをするばかりでなく、所沢の住まいから借りている畑まで通って野菜作りをしているとも耳にするので、この点も自分と同じなので親しみをもっていた。
時代の証言をするものだからか、日用品みたいなものを収集し、収蔵しているものを資料館として公開し、見学してもらおうとしていたことも風の便りに聞いたことがある。
難しい経済のことを平易な言葉で語り、わかりやすくて面白かったので好感を持って話を聴いていた。
ライザップに挑戦してスマートになったりしたが、急激に痩せたりするのは普通の人には無理があったのかもなどと思ったりしている。
株で大儲けしたり、高額所得者の課税を強化すべきだということを明確に発言している経済アナリストなど少ない。それだけに貴重な存在である。
森卓さん、頑張れ!
2024年01月06日
『スキャンダル』 不祥事 醜聞での身の処し方
2023年の年の瀬に売れっ子だという芸人の性的なスキャンダルで所謂文春砲がさく裂したが、当人と女衒役の芸人共に記者会見して身の潔白を明かそうとしないことから事実であることは間違いないだろう。
一方が不同意でわいせつ行為をされたというのだから、法律的にはアウトという判定になる。
TVでバラエティー番組など全く視聴しないのでお笑い芸人のことなどよく知らないが、高額所得者らしいから、遊ぶなら相手が納得するだけのカネをきちんと払えばこんなことにはならない。
セクハラに対する世の中の見方は変わったから、TV局とスポンサーはこんな男を擁護するようなら、恥で視聴者と消費者の不興を買うことになるだろう。
『スキャンダル』といえば、このタイトルの映画は、映画のことにさほど詳しいわけではない自分が知る限り、1976年のイタリア映画と2019年の米国カナダの映画の2作品がある。もう1作品あったような気がするが思い出せない。
1976年の作品はサルヴァトーレ・サンペリ監督、リザ・ガストーニ、フランコ・ネロが主演。
ブルジョア階級の女性の欲求不満につけこみ下男が階級社会への怨嗟を晴らす観ていて怖い作品だった。
ブルジョア階級の女性が下男と関係すれば、スキャンダルとなることはまちがいない。
2019年の作品は 2016年にアメリカで実際に起こった、女性キャスターへのセクハラ騒動を描いているが、残念ながら観ていない。
米国で著名な映画プロデューサーによる性暴力を告発したニューヨークタイムスの女性記者の活躍を描いた映画『『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』を観て、泣き寝入りしていた性暴力による被害者女性が立ち上がる勇気をもらったのではないか。
「Me too.」運動も世界で広がりをみせつつある。
米国から後れを取っていた日本では芸能事務所の創業者による少年への性暴力が見過ごされてきたが、英国BBCが創業者の性暴力を告発したことから、日本のメディアもようやく報道するようになり、事務所はバッシングされている。
件の週刊文春は被害者北公次さんの告発を掲載して、随分前に告発していた事実がある。
それだけに、今回数多くのスキャンダルを告発し、文春砲とまで称されるようになった週刊文春が報じているのだから、告発された芸人はきちんと会見して事実でないなら、文春を名誉棄損で訴えるべきだ。
それをやらないで、被害者のメールを持ち出し、そのことで否定材料にするという姑息な手段を用いている。
ますます、心証がクロに近づいた気がする。
弱い立場の人間にセクハラ、パワハラ、性暴力をすることは絶対許されない。
立ち上がった被害者の勇気ある行動が明らかに世の中を変えた。
告発者の勇気にエールをおくる。
一方が不同意でわいせつ行為をされたというのだから、法律的にはアウトという判定になる。
TVでバラエティー番組など全く視聴しないのでお笑い芸人のことなどよく知らないが、高額所得者らしいから、遊ぶなら相手が納得するだけのカネをきちんと払えばこんなことにはならない。
セクハラに対する世の中の見方は変わったから、TV局とスポンサーはこんな男を擁護するようなら、恥で視聴者と消費者の不興を買うことになるだろう。
『スキャンダル』といえば、このタイトルの映画は、映画のことにさほど詳しいわけではない自分が知る限り、1976年のイタリア映画と2019年の米国カナダの映画の2作品がある。もう1作品あったような気がするが思い出せない。
1976年の作品はサルヴァトーレ・サンペリ監督、リザ・ガストーニ、フランコ・ネロが主演。
ブルジョア階級の女性の欲求不満につけこみ下男が階級社会への怨嗟を晴らす観ていて怖い作品だった。
ブルジョア階級の女性が下男と関係すれば、スキャンダルとなることはまちがいない。
2019年の作品は 2016年にアメリカで実際に起こった、女性キャスターへのセクハラ騒動を描いているが、残念ながら観ていない。
米国で著名な映画プロデューサーによる性暴力を告発したニューヨークタイムスの女性記者の活躍を描いた映画『『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』を観て、泣き寝入りしていた性暴力による被害者女性が立ち上がる勇気をもらったのではないか。
「Me too.」運動も世界で広がりをみせつつある。
米国から後れを取っていた日本では芸能事務所の創業者による少年への性暴力が見過ごされてきたが、英国BBCが創業者の性暴力を告発したことから、日本のメディアもようやく報道するようになり、事務所はバッシングされている。
件の週刊文春は被害者北公次さんの告発を掲載して、随分前に告発していた事実がある。
それだけに、今回数多くのスキャンダルを告発し、文春砲とまで称されるようになった週刊文春が報じているのだから、告発された芸人はきちんと会見して事実でないなら、文春を名誉棄損で訴えるべきだ。
それをやらないで、被害者のメールを持ち出し、そのことで否定材料にするという姑息な手段を用いている。
ますます、心証がクロに近づいた気がする。
弱い立場の人間にセクハラ、パワハラ、性暴力をすることは絶対許されない。
立ち上がった被害者の勇気ある行動が明らかに世の中を変えた。
告発者の勇気にエールをおくる。
2024年01月04日
臓器移植ドナー増えても移植できず
ようやく脳死下の臓器提供が増えてきたのに、移植施設の対応能力の限度を超え、受け入れを断念するケースが相次いでいる。移植手術に携わる医師からは「このままでは救える命が救えなくなる」と窮状を訴える声が上がる。提供の意思が生かされなかったケースもあり、移植を待つ患者側の立場で啓発してきた市民団体は、移植施設の体制整備を求めている。と2024年元旦の読売が1面で伝えている。
移植を受けた患者らでつくるNPO法人「グリーンリボン推進協会」の大久保 通方 理事長は「ドナー増を見据えた移植体制の整備を国を通じて要望してきた。施設側の都合で移植が受けられなかった患者がいることに憤りを感じる。国と移植施設は早急に体制を整えてほしい」と求めた。
臓器移植がなかなか進まないことから外国で移植するという手法でビジネスにしてカネもうけしていた男が逮捕され、世間の関心事となった。
臓器移植といえば、腎臓の機能が低下し、人工透析をしていた人が身近にいた。自分と同世代で先年亡くなった親族と90歳で11月に亡くなった知人、二人は腎臓移植をすれば、人工透析しなくともすんだと耳にしたことがある。
その腎機能をチェックするのにクレアチニンとeGFRの数値があり、通常の血液検査でわかる。
炎症性腸疾患クローン病で通院している関係で、定期的に血液検査を受けているが、クレアチニンとeGFRの数値が合格ラインに達していないことを主治医の先生から指摘されているので他人事ではない。
何としても人工透析になりたくない。
腎臓移植に関しては、東邦大学大森病院だったと耳にするが、ここで移植手術を受けた女性が家族と親しいのでその様子を少しばかり承知している。
とにかく、臓器移植を待っている人にとっては、臓器移植は生死にかかわることだから、臓器提供者ドナーが増えることと移植手術が増えることを心待ちにしている。
ドナーが少しずつ、増えてきたにもかかわらず、設備や人員の配置で移植手術ができないというのはあまりにも酷い話で、生死がかかっている人と家族の気持ちを逆なでするものだ。
国がバックアップしないから、臓器移植ビジネスが成立し、外国で移植手術を受けることになってしまう。
経済で失われた30年と言われるが、臓器移植も前に進まないのは政治がきちんと機能していないからではないか。
移植を受けた患者らでつくるNPO法人「グリーンリボン推進協会」の大久保 通方 理事長は「ドナー増を見据えた移植体制の整備を国を通じて要望してきた。施設側の都合で移植が受けられなかった患者がいることに憤りを感じる。国と移植施設は早急に体制を整えてほしい」と求めた。
臓器移植がなかなか進まないことから外国で移植するという手法でビジネスにしてカネもうけしていた男が逮捕され、世間の関心事となった。
臓器移植といえば、腎臓の機能が低下し、人工透析をしていた人が身近にいた。自分と同世代で先年亡くなった親族と90歳で11月に亡くなった知人、二人は腎臓移植をすれば、人工透析しなくともすんだと耳にしたことがある。
その腎機能をチェックするのにクレアチニンとeGFRの数値があり、通常の血液検査でわかる。
炎症性腸疾患クローン病で通院している関係で、定期的に血液検査を受けているが、クレアチニンとeGFRの数値が合格ラインに達していないことを主治医の先生から指摘されているので他人事ではない。
何としても人工透析になりたくない。
腎臓移植に関しては、東邦大学大森病院だったと耳にするが、ここで移植手術を受けた女性が家族と親しいのでその様子を少しばかり承知している。
とにかく、臓器移植を待っている人にとっては、臓器移植は生死にかかわることだから、臓器提供者ドナーが増えることと移植手術が増えることを心待ちにしている。
ドナーが少しずつ、増えてきたにもかかわらず、設備や人員の配置で移植手術ができないというのはあまりにも酷い話で、生死がかかっている人と家族の気持ちを逆なでするものだ。
国がバックアップしないから、臓器移植ビジネスが成立し、外国で移植手術を受けることになってしまう。
経済で失われた30年と言われるが、臓器移植も前に進まないのは政治がきちんと機能していないからではないか。
2024年01月03日
子ども食堂と困窮する若者に食料支援
2024年明けたら、能登で大地震が発生し、暗雲が漂う日本列島。
犠牲となった人、被災された皆さんにお悔やみとお見舞いを申し上げる。
関東大震災から100年経った首都圏でも大地震が起こりそうで考えただけで怖ろしい。
戦後78年、その間に自民党政権のデフレ脱却失敗で日本経済が失墜し、失政で失われた30年といわれている間に貧富の格差が大きく広がってしまい貧困が大きな社会問題となっていた2023年。
貧困問題に立ち上がった心ある人たちの支援の一つが子ども食堂で全国で9131か所になったことを12月18日の読売が伝えている。
調査したNPO法人「全国こども食堂支援センター・むすびえ」によれば、近年、子どもの居場所づくりや貧困対策として各地で開設が進んでおり、義務教育学校を含む公立中学校数(9296校)とほぼ並んだ。
むすびえは、全国約1万9000の小学校区ごとに子ども食堂を1か所以上開設することを目指している。
2023年は物価が高騰し、親を頼れない子ども・若者の生活を直撃している。孤立を深めやすい年末年始を前に食料品を届ける支援活動に力を入れている支援団体を訪ね、12月6日の読売(石井千絵記者)が活動の様子を伝えている。
大阪市内のNPO法人「Ð×P」は、2018年、オンライン相談「ユキサキチャット」を開設。孤独や孤立、生活困窮に陥っている全国の10〜20代の子ども・若者の相談を受け付け、適切な支援につなぐ取り組みをしている。
コロナ禍で深刻な生活困窮の相談が増加した20年、「相談を受けるだけでは間に合わない」とレトルト食品など30食分を月2回、届ける支援も始めた。
23年度は毎月、約7500食分の食料品を発送。前年度の1・8倍に拡大している。これまでに延べ1626人に食料品を送った。
塚本晋也監督『ほかげ』を12月、観ているが、敗戦後の焼け跡闇市を舞台に戦争で傷ついた兵士や春を鬻ぎながらも生きていく女性が登場し、当時は皆が貧しい時代だったから貧困問題と言っても、現在とは異なった様相を呈していた。
貧富の格差が拡大してしまった日本。シングルや非正規雇用では満足に食べることができないという社会にしてしまった政治がよくない日本。
そんな日本でも、心ある人たちがいて、子ども食堂を運営したり、困窮する若者に食料を支援したりしてがんばってくれている。
頭が下がる。
貧富の格差の問題は、本質的には政治を変えていくことで対応すべき問題であるが、簡単なことではない。
今日の食に困っている人にとっては、待ったなしであるから、支え合うことがそれだけ大事になってくる。
震災が起きて、自衛隊が助けてくれるように、子ども食堂や生活困窮者を支援する公的機関がないのはどうしたことか。
岸田首相は外国に行き、援助を約束するから歓待されているが、国内で貧困問題の解決に取り組む様子はない。
3月に国賓で米国に行くらしいが、米国から要らない兵器を買わされることが目に見えている。
早く退陣してもらいたい。
犠牲となった人、被災された皆さんにお悔やみとお見舞いを申し上げる。
関東大震災から100年経った首都圏でも大地震が起こりそうで考えただけで怖ろしい。
戦後78年、その間に自民党政権のデフレ脱却失敗で日本経済が失墜し、失政で失われた30年といわれている間に貧富の格差が大きく広がってしまい貧困が大きな社会問題となっていた2023年。
貧困問題に立ち上がった心ある人たちの支援の一つが子ども食堂で全国で9131か所になったことを12月18日の読売が伝えている。
調査したNPO法人「全国こども食堂支援センター・むすびえ」によれば、近年、子どもの居場所づくりや貧困対策として各地で開設が進んでおり、義務教育学校を含む公立中学校数(9296校)とほぼ並んだ。
むすびえは、全国約1万9000の小学校区ごとに子ども食堂を1か所以上開設することを目指している。
2023年は物価が高騰し、親を頼れない子ども・若者の生活を直撃している。孤立を深めやすい年末年始を前に食料品を届ける支援活動に力を入れている支援団体を訪ね、12月6日の読売(石井千絵記者)が活動の様子を伝えている。
大阪市内のNPO法人「Ð×P」は、2018年、オンライン相談「ユキサキチャット」を開設。孤独や孤立、生活困窮に陥っている全国の10〜20代の子ども・若者の相談を受け付け、適切な支援につなぐ取り組みをしている。
コロナ禍で深刻な生活困窮の相談が増加した20年、「相談を受けるだけでは間に合わない」とレトルト食品など30食分を月2回、届ける支援も始めた。
23年度は毎月、約7500食分の食料品を発送。前年度の1・8倍に拡大している。これまでに延べ1626人に食料品を送った。
塚本晋也監督『ほかげ』を12月、観ているが、敗戦後の焼け跡闇市を舞台に戦争で傷ついた兵士や春を鬻ぎながらも生きていく女性が登場し、当時は皆が貧しい時代だったから貧困問題と言っても、現在とは異なった様相を呈していた。
貧富の格差が拡大してしまった日本。シングルや非正規雇用では満足に食べることができないという社会にしてしまった政治がよくない日本。
そんな日本でも、心ある人たちがいて、子ども食堂を運営したり、困窮する若者に食料を支援したりしてがんばってくれている。
頭が下がる。
貧富の格差の問題は、本質的には政治を変えていくことで対応すべき問題であるが、簡単なことではない。
今日の食に困っている人にとっては、待ったなしであるから、支え合うことがそれだけ大事になってくる。
震災が起きて、自衛隊が助けてくれるように、子ども食堂や生活困窮者を支援する公的機関がないのはどうしたことか。
岸田首相は外国に行き、援助を約束するから歓待されているが、国内で貧困問題の解決に取り組む様子はない。
3月に国賓で米国に行くらしいが、米国から要らない兵器を買わされることが目に見えている。
早く退陣してもらいたい。
2024年01月01日
白神山地・屋久島 世界自然遺産と駅伝
2024年の元旦は朝起きたら、北風が強いことが気になった。
空っ風が吹くことで知られた群馬県で実業団男子の駅伝競走日本一を争うニューイヤー駅伝が開催されるからで、TVで中継を少し視聴してから書いている。
小学生の頃、正月といえば、関東の大学対抗の箱根駅伝をNHKラジオで聴いていて、その結果がわが家で購読していた読売新聞に掲載されたので夢中で読んでいた。
爾来、駅伝の応援が好きになり、学校を卒業すると50回大会から箱根駅伝の追っかけ応援をするようになったが、40年以上続いた正月の楽しみも古希を過ぎて、沿道に立っての追っかけ応援ができなくなり、今年の100回大会もTV観戦になりそうだ。
何故かといえば、加齢と共にトイレが近くなってしまったからだ。
老いるのは実に嫌なことだ。
大学駅伝に関心を持つと、これから大学に入学してくる高校生のことが気になり、年末の京都で行われる全国高等学校駅伝競走の中継をNHKラジオで、後にTVで視聴するようになる。
大学生の卒業後の進路も気になり、当時、伊勢神宮で開催されていた実業団駅伝競走のTV中継を視聴するようになってしまう。
群馬県で実業団駅伝が開催されるようになったのは1988年のことで、このときから正月元旦に開催されるようになった。
さらに、読売新聞はその昔、東京大阪間、東京青森間の都道府県対抗駅伝競走を主催していたからこちらも新聞を夢中で読み、選手の名前と所属先をチェックしていた。
駅伝は人の営み、イベントであるが、12月11日の読売が夕刊で「白神山地・屋久島 世界自然遺産 登録30年」「記念イベント『守る』意識新たに」という見出しで自然の素晴らしさを伝えていた。
戦後の復興と称して、自然林を木材とするための檜や杉などの人工林に変えてしまった日本。ために、ブナや樫など実のある樹木が少ない山林からクマが人里に餌を求めて下りてきて、各地でクマと人間の衝突事件が起きてしまった2023年。
白神山地、屋久島共に訪れたことは残念ながらないが、手つかずの自然が残っている白神山地では、生態系の循環が上手く機能し、樹木の実が落ち、新しい芽が出て、また新しい樹木が生まれている。
そこにイベントでブナの苗木20本を植樹したということで、白神山地より、人工林の方にこそ、ブナなど実のなる木を植樹すべきである。
山に食べ物があれば、クマだって人里に下りてくる必要がない。
駅伝というのは、個人競技であるマラソンと異なり、一定の距離を襷でつないで走るものだから、大自然を守るということと、その役割を大勢でつないで果たして行くことに大いに参考になる。
大会に出られる人はある意味エリートランナーではあるが、その縁の下には体をケアするトレーナーやスケージュールを管理するマネージャーがいて、大会には出られなくとも控えランナーもいる。さらにコーチ、監督がいる。
ランナーには家族もいれば、友人もいるし、学校ではあれば教員や会社であれば上司や仲間がいるという具合である。
その前に、大会を開くためには主催者、関係者、先導の白バイなど警察や走路員や観客など大勢の協力者がいる。
自然遺産も手つかずは素晴らしいが、人工林であれば、林業の担い手がいて間伐し、日当たりを確保したり、実のなる木を定期的に植樹したりすることで、クマなどの動物と共存していける。
要するに皆の力で大会ができあがっているように自然遺産も人びとの守るという意識が何と言っても大事だ。
同じ生き物として、クマの食べ物のことももっと人間は考えてやるべきだ。
駅伝を観て、裏方のことを考えてしまった。
空っ風が吹くことで知られた群馬県で実業団男子の駅伝競走日本一を争うニューイヤー駅伝が開催されるからで、TVで中継を少し視聴してから書いている。
小学生の頃、正月といえば、関東の大学対抗の箱根駅伝をNHKラジオで聴いていて、その結果がわが家で購読していた読売新聞に掲載されたので夢中で読んでいた。
爾来、駅伝の応援が好きになり、学校を卒業すると50回大会から箱根駅伝の追っかけ応援をするようになったが、40年以上続いた正月の楽しみも古希を過ぎて、沿道に立っての追っかけ応援ができなくなり、今年の100回大会もTV観戦になりそうだ。
何故かといえば、加齢と共にトイレが近くなってしまったからだ。
老いるのは実に嫌なことだ。
大学駅伝に関心を持つと、これから大学に入学してくる高校生のことが気になり、年末の京都で行われる全国高等学校駅伝競走の中継をNHKラジオで、後にTVで視聴するようになる。
大学生の卒業後の進路も気になり、当時、伊勢神宮で開催されていた実業団駅伝競走のTV中継を視聴するようになってしまう。
群馬県で実業団駅伝が開催されるようになったのは1988年のことで、このときから正月元旦に開催されるようになった。
さらに、読売新聞はその昔、東京大阪間、東京青森間の都道府県対抗駅伝競走を主催していたからこちらも新聞を夢中で読み、選手の名前と所属先をチェックしていた。
駅伝は人の営み、イベントであるが、12月11日の読売が夕刊で「白神山地・屋久島 世界自然遺産 登録30年」「記念イベント『守る』意識新たに」という見出しで自然の素晴らしさを伝えていた。
戦後の復興と称して、自然林を木材とするための檜や杉などの人工林に変えてしまった日本。ために、ブナや樫など実のある樹木が少ない山林からクマが人里に餌を求めて下りてきて、各地でクマと人間の衝突事件が起きてしまった2023年。
白神山地、屋久島共に訪れたことは残念ながらないが、手つかずの自然が残っている白神山地では、生態系の循環が上手く機能し、樹木の実が落ち、新しい芽が出て、また新しい樹木が生まれている。
そこにイベントでブナの苗木20本を植樹したということで、白神山地より、人工林の方にこそ、ブナなど実のなる木を植樹すべきである。
山に食べ物があれば、クマだって人里に下りてくる必要がない。
駅伝というのは、個人競技であるマラソンと異なり、一定の距離を襷でつないで走るものだから、大自然を守るということと、その役割を大勢でつないで果たして行くことに大いに参考になる。
大会に出られる人はある意味エリートランナーではあるが、その縁の下には体をケアするトレーナーやスケージュールを管理するマネージャーがいて、大会には出られなくとも控えランナーもいる。さらにコーチ、監督がいる。
ランナーには家族もいれば、友人もいるし、学校ではあれば教員や会社であれば上司や仲間がいるという具合である。
その前に、大会を開くためには主催者、関係者、先導の白バイなど警察や走路員や観客など大勢の協力者がいる。
自然遺産も手つかずは素晴らしいが、人工林であれば、林業の担い手がいて間伐し、日当たりを確保したり、実のなる木を定期的に植樹したりすることで、クマなどの動物と共存していける。
要するに皆の力で大会ができあがっているように自然遺産も人びとの守るという意識が何と言っても大事だ。
同じ生き物として、クマの食べ物のことももっと人間は考えてやるべきだ。
駅伝を観て、裏方のことを考えてしまった。
2023年12月31日
30代青年の死と蔵の解体
2023年もあっという間に大晦日になってしまった。
若い頃と較べ、時の経過が倍速どころからもっと早くなっているのはそれだけ、自分が老いているからだろうか。
年の瀬に行く年を振り返っているが、29日に車で40分くらいのところにある寺に行き、墓参りしてきたのは親族の青年が4月に亡くなっているからだ。数年前に義母が年末に亡くなっているので、命日の墓参りも兼ねてはいるが。
親族といえども、よほどの関係でない限り、冠婚葬祭は失礼し、後日墓参りだけはするというのが自分の流儀である。
秋になって、大正から昭和の初め頃建築されたらしい蔵を解体し、自分が死んだら土地を売却し、相続税を支払えるように分筆をすることにした。
鎌倉に行ったとき、若宮大路でTVのなんでも鑑定団の関係者と思しき人(名刺をもらっている)からカメラとマイクを向けられ、「蔵がありますか」と問われ、「あるけど、お宝なんかないよ」と応じた。見るだけでもいいからと言われたが、断った因縁の建物である。
結局、お宝はなかったが、アンティックというのか骨董関係の商売人に火鉢や食器などすべて持って行ってもらった。
さて、蔵を解体する頃、嫁いでいる姉が偶々、わが家にやってきたことがある。
3人姉弟が大人になってから揃ったことなど記憶にないことだった。
その日、入院時お世話になった姉が「あんたは40代で難しい病気になったから、ここまで生きられるとは思わなかった」と呟いた。姉も病気を乗り越えているが、本心ではそう思っていたことを知った。
この日、何たる偶然か、連れ合いたち3人姉弟も揃って話をしていたということで忘れられない日となった。
青年の両親は仕事が休みの時、車であちこちの神社、仏閣を周ってお参りしていたが、わが子のことはよくわかっていなかったのであろう。
青年には優秀な兄がいて、学校も就職先も母親の自慢だったようだが、弟は勉強が好きでなかったようで、大学には行かず、調理の資格を取って自立して働いていたが、非正規雇用であったため、職を転々としていたらしい。
彼には実家に居場所がなく、アパートは無論どこにも安息の場所がなかったにちがいない。
心を病んで通院していたことがあったとは後から耳にしたことである。
30代の天涯孤独な青年から毎日、「死にたい」という電話を受け、「人間は死にたくなくとも、お迎えが来れば、死んでしまう。だから、自分で死んではいけない」というような説得を繰り返していた経験がある自分としては、自分に相談してくれれば、という悔やむ思いが絶ち切れない。
墓前で例によって、「手向」を吹き供養したが、死んでしまってはやり直すこともできないと忸怩たる思いで墓を後にした。
2023年コロナの扱いが変わったので、少しずつ、月に一度の映画館行きを復活させた。
黒澤明監督『生きる』のリメイク作品英国版『生きる』を観て、生きるって改めてその意味を考えさせられた。
蔵は人間ではないが、命というか経てきた歳且の重みを感じた。しかし、生きている人間を優先させてもらい解体させてもらった。
基礎コンクリを壊すときは地響きがして家が揺れたのは、蔵の悲鳴だったのかもしれない。
後期高齢者目前まで生きられた、生かされた自分は、30代で心を病み、逝ってしまった青年に何もしてやれなかったことを悔いるだけでは仕方ないので、来る年は、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を復活させたいと願っている。
若い頃と較べ、時の経過が倍速どころからもっと早くなっているのはそれだけ、自分が老いているからだろうか。
年の瀬に行く年を振り返っているが、29日に車で40分くらいのところにある寺に行き、墓参りしてきたのは親族の青年が4月に亡くなっているからだ。数年前に義母が年末に亡くなっているので、命日の墓参りも兼ねてはいるが。
親族といえども、よほどの関係でない限り、冠婚葬祭は失礼し、後日墓参りだけはするというのが自分の流儀である。
秋になって、大正から昭和の初め頃建築されたらしい蔵を解体し、自分が死んだら土地を売却し、相続税を支払えるように分筆をすることにした。
鎌倉に行ったとき、若宮大路でTVのなんでも鑑定団の関係者と思しき人(名刺をもらっている)からカメラとマイクを向けられ、「蔵がありますか」と問われ、「あるけど、お宝なんかないよ」と応じた。見るだけでもいいからと言われたが、断った因縁の建物である。
結局、お宝はなかったが、アンティックというのか骨董関係の商売人に火鉢や食器などすべて持って行ってもらった。
さて、蔵を解体する頃、嫁いでいる姉が偶々、わが家にやってきたことがある。
3人姉弟が大人になってから揃ったことなど記憶にないことだった。
その日、入院時お世話になった姉が「あんたは40代で難しい病気になったから、ここまで生きられるとは思わなかった」と呟いた。姉も病気を乗り越えているが、本心ではそう思っていたことを知った。
この日、何たる偶然か、連れ合いたち3人姉弟も揃って話をしていたということで忘れられない日となった。
青年の両親は仕事が休みの時、車であちこちの神社、仏閣を周ってお参りしていたが、わが子のことはよくわかっていなかったのであろう。
青年には優秀な兄がいて、学校も就職先も母親の自慢だったようだが、弟は勉強が好きでなかったようで、大学には行かず、調理の資格を取って自立して働いていたが、非正規雇用であったため、職を転々としていたらしい。
彼には実家に居場所がなく、アパートは無論どこにも安息の場所がなかったにちがいない。
心を病んで通院していたことがあったとは後から耳にしたことである。
30代の天涯孤独な青年から毎日、「死にたい」という電話を受け、「人間は死にたくなくとも、お迎えが来れば、死んでしまう。だから、自分で死んではいけない」というような説得を繰り返していた経験がある自分としては、自分に相談してくれれば、という悔やむ思いが絶ち切れない。
墓前で例によって、「手向」を吹き供養したが、死んでしまってはやり直すこともできないと忸怩たる思いで墓を後にした。
2023年コロナの扱いが変わったので、少しずつ、月に一度の映画館行きを復活させた。
黒澤明監督『生きる』のリメイク作品英国版『生きる』を観て、生きるって改めてその意味を考えさせられた。
蔵は人間ではないが、命というか経てきた歳且の重みを感じた。しかし、生きている人間を優先させてもらい解体させてもらった。
基礎コンクリを壊すときは地響きがして家が揺れたのは、蔵の悲鳴だったのかもしれない。
後期高齢者目前まで生きられた、生かされた自分は、30代で心を病み、逝ってしまった青年に何もしてやれなかったことを悔いるだけでは仕方ないので、来る年は、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を復活させたいと願っている。
2023年12月28日
『PERFECT DAYS』
月に一度の映画館行き、12月は『ほかげ』を観ているが、どうしても観たかった『PERFECT DAYS』を2023年最後の映画として選んだ。
ビム・ベンダース監督、役所広司主演で、渋谷区にお洒落なトイレを作るTOKYO TOILETプロジェクトに協力したユニクロの柳井康治さんが制作した作品である。
監督が『東京物語』の小津安二郎監督を敬愛し、トイレ清掃を仕事にしている男の名前を『東京物語』から借用した平山にしたという。
その平山はスカイツリーの近くの安アパートで寝起きし、軽のワンボックスで仕事場の渋谷に通い、トイレの清掃をしている。平山の毎日、朝起きてから仕事場に行き、トイレ清掃の仕事を終えて、いつもの店で食事し、銭湯に行き、帰宅して、眠るまで本を読むのが毎日のルーティンというのか、その日々を描く。
同じことの繰り返しのような平穏な毎日に満足している平山のアパートに突然、姪が家出してきて、新たな日常が始まるのだ。
主人公平山のトイレ清掃はそれは見事なもので、自宅でほぼ自分専用に使っているトイレとはまるで異なるような美しさだった。
自分のトイレもこれからは、もう少しきれいにしなければと反省させられた。
炎症性腸疾患クローン病という消化器系の持病があるため、さらに、寄る年波でトイレが近くなってしまったことと併せて、トイレは自分にとって、出先における必須アイテムというか、近くになければ出かけられない大事な設備である。だから、トイレのことは何回となく発信してもきた。
主人公平山がトイレ清掃を仕事にしている映画だということで、どうしても観たい作品だった。
寡黙な平山の過去が明かされることになる姪の登場で、姪の母親、平山の妹が運転手付きの高級車で家出娘を引き取りにやってきて、久しぶりの再会となった兄妹が別れ際にハグするシーンがあった。
小説を読み、映画を観て想像力が磨かれたかして、二人に兄妹以上の愛情というか秘めたものを感じ取ってしまった。
平山が家に帰らない理由を勝手に解釈すると役所の平山と妹の麻生祐未がよくお似合いのカップルのような気がしてきた。
別れた夫婦役の飲み屋のママ石川さゆりと三浦友和が店の中で抱擁するシーンをドアの隙間から見てしまう常連客の平山。
病気を患う元夫は別れた妻の幸せを願い、平山の後を追いかけてきて、平山に彼女のことを頼んだ後、二人で影踏みをするシーンがある。歌い手であるが石川さゆりのママも別れた夫の三浦友和もまたよかった。
普通の暮らしというのは毎日、同じことの繰り返しで、一見退屈なようで、実はささやかであっても幸せなことだと痛感する。
病気したり、交通事故に遭ったりすれば、簡単に壊れてしまう平凡な日々であるが、それだけに価値がある。
平山がいつまで一人でトイレ清掃の仕事を続けられるかなと思いながら物語のフィナーレを眺めていた。
ビム・ベンダース監督、役所広司主演で、渋谷区にお洒落なトイレを作るTOKYO TOILETプロジェクトに協力したユニクロの柳井康治さんが制作した作品である。
監督が『東京物語』の小津安二郎監督を敬愛し、トイレ清掃を仕事にしている男の名前を『東京物語』から借用した平山にしたという。
その平山はスカイツリーの近くの安アパートで寝起きし、軽のワンボックスで仕事場の渋谷に通い、トイレの清掃をしている。平山の毎日、朝起きてから仕事場に行き、トイレ清掃の仕事を終えて、いつもの店で食事し、銭湯に行き、帰宅して、眠るまで本を読むのが毎日のルーティンというのか、その日々を描く。
同じことの繰り返しのような平穏な毎日に満足している平山のアパートに突然、姪が家出してきて、新たな日常が始まるのだ。
主人公平山のトイレ清掃はそれは見事なもので、自宅でほぼ自分専用に使っているトイレとはまるで異なるような美しさだった。
自分のトイレもこれからは、もう少しきれいにしなければと反省させられた。
炎症性腸疾患クローン病という消化器系の持病があるため、さらに、寄る年波でトイレが近くなってしまったことと併せて、トイレは自分にとって、出先における必須アイテムというか、近くになければ出かけられない大事な設備である。だから、トイレのことは何回となく発信してもきた。
主人公平山がトイレ清掃を仕事にしている映画だということで、どうしても観たい作品だった。
寡黙な平山の過去が明かされることになる姪の登場で、姪の母親、平山の妹が運転手付きの高級車で家出娘を引き取りにやってきて、久しぶりの再会となった兄妹が別れ際にハグするシーンがあった。
小説を読み、映画を観て想像力が磨かれたかして、二人に兄妹以上の愛情というか秘めたものを感じ取ってしまった。
平山が家に帰らない理由を勝手に解釈すると役所の平山と妹の麻生祐未がよくお似合いのカップルのような気がしてきた。
別れた夫婦役の飲み屋のママ石川さゆりと三浦友和が店の中で抱擁するシーンをドアの隙間から見てしまう常連客の平山。
病気を患う元夫は別れた妻の幸せを願い、平山の後を追いかけてきて、平山に彼女のことを頼んだ後、二人で影踏みをするシーンがある。歌い手であるが石川さゆりのママも別れた夫の三浦友和もまたよかった。
普通の暮らしというのは毎日、同じことの繰り返しで、一見退屈なようで、実はささやかであっても幸せなことだと痛感する。
病気したり、交通事故に遭ったりすれば、簡単に壊れてしまう平凡な日々であるが、それだけに価値がある。
平山がいつまで一人でトイレ清掃の仕事を続けられるかなと思いながら物語のフィナーレを眺めていた。
2023年12月24日
苦労は人間をけちに意地悪く
自動車メーカーのダイハツ工業は、国の認証取得の不正問題で新たに174件の不正が見つかったと発表し、国内外のすべての車種で出荷の停止を決めた。一連の不正について、奥平総一郎社長は記者会見で「お客様の信頼を裏切ることとなりおわび申し上げます」と述べただけで責任を取らず辞任しないことを明らかにした。とメディアが伝えている。
12月20日のNHKWEBによれば、ダイハツ工業では、ことし4月、海外向けの乗用車の衝突試験で不正が発覚し、その後、国内向けの車種でも国の認証を不正に取得していたことが明らかになっている。
会社は20日、第三者委員会によるその後の調査で、新たに25の試験項目で174件の不正が見つかったことを公表した。
衝突試験のほかに排ガスや燃費の試験なども含まれ、不正は1989年から確認されたということである。
奥平社長は経営責任のとり方を問われたのに対し、「まずは足もとの問題を第1に対応していきたい。再発防止についてある程度道筋をつけるために力を発揮して、それをもってまずは責任とさせていただきたい」と辞任せず責任をとらないことがわかった。
12月22日の読売「編集手帳」に英国の小説家サマセット・モームが、『月と六ペンス』で<苦労が人間を気高くするというのは事実に反する…苦労はたいてい、人間をけちに意地悪くするものだ>(行方昭夫訳、岩波文庫)を引き合いにダイハツ工業が掲げる車作りの思想「1_、1c、1秒にこだわる」は、今やけちで意地悪にしか見えない。
ダイハツ車内では担当者らに激しい叱責や非難が浴びせられていたのは経営陣が働く人たちの苦労を背負えぬほど重くし、心を壊した経緯があったと経営陣を厳しく批判していた。
その上で、信用、信頼失墜により失われる価値は計り知れないと指摘している。
会社の不祥事の責任といえば、経営陣の辞任よりないにもかかわらず、社長は責任を取らないということで、頭だけ下げて口先でごまかすような態度だから、会社がダメになってしまう。責任を取らない経営陣ならそんな経営陣はいらない。
語り継ぐ戦争でいえば、戦争を仕掛けておいて、敗戦でも何ら責任をとろうとしなかった軍の幹部たちとよく似ている。
責任を取るために幹部はいるのだし、責任を取るというのは自決することである。軍人は。
企業の経営陣は自決とは言わないまでも、退陣することである。
高額な給与、報酬を得ておきながら、責任逃れをする卑怯者が日本の経営者には多すぎる。
新自由主義に毒され、人件費ばかり削ることに血道をあげ、儲けを出すことばかり考え、人手不足で働く人を苦しめてきた日本の多くの経営者たち。
己に知恵がないことを棚に上げ、働く人にばかりその責めを負わせようとしてきたおバカ経営者たち。
〈苦労が人間をけちに意地悪くする〉というのは本当だと実感したことがある。
身内の恥を晒すようで、お恥ずかしいい限りであるがカミングアウトしてしまう。
もう亡くなっているから時効だろう。
叔父の家は、旧家であるが、没落してしまい、土地を売り食いしていた。
叔父は勉強はできた方らしいが大学には進学せず、高校を卒業後安定した職に就き、働きながら、夜間部に通って大学を卒業したという経歴を持つ。
ところが、売り食いしてもまだ不動産を所有していたため、首都圏の田舎町が開発され、所有していた不動産が駐車場や貸店舗などとして不動産収入が増えるようになり、退職し不動産を管理するようになった。
収入が増えると叔父はことあるごとに税金が高いと不満を漏らすようになった。
叔父には妹がいたが、自分から見れば叔母である。その妹に財産を全く分けず独り占めし、妹が離婚し、苦境にあると風の便りに聞いた時も全く援助しようとはしなかったのである。
自分は3人姉弟で、経済的に恵まれている姉は何かと実家のことを気にかけてくれ、母親の介護のときなどは、自分は何もできないからと言いつつ、恥ずかしくないようにと母親がデイサービスに着ていく洋服を季節ごとに買い求めて送ってくれた。
叔父と姉の二人の違いはどこから来ているのかよくわからないが、仮に、自分に妹がいて、生活に困っていたら、当然、できる範囲で援助はするだろう。
叔父がけちになったのは苦労したからだということで納得した。
反省のないダイハツではないが、叔父のことは尊敬しないし、ダイハツの車は買わない。
12月20日のNHKWEBによれば、ダイハツ工業では、ことし4月、海外向けの乗用車の衝突試験で不正が発覚し、その後、国内向けの車種でも国の認証を不正に取得していたことが明らかになっている。
会社は20日、第三者委員会によるその後の調査で、新たに25の試験項目で174件の不正が見つかったことを公表した。
衝突試験のほかに排ガスや燃費の試験なども含まれ、不正は1989年から確認されたということである。
奥平社長は経営責任のとり方を問われたのに対し、「まずは足もとの問題を第1に対応していきたい。再発防止についてある程度道筋をつけるために力を発揮して、それをもってまずは責任とさせていただきたい」と辞任せず責任をとらないことがわかった。
12月22日の読売「編集手帳」に英国の小説家サマセット・モームが、『月と六ペンス』で<苦労が人間を気高くするというのは事実に反する…苦労はたいてい、人間をけちに意地悪くするものだ>(行方昭夫訳、岩波文庫)を引き合いにダイハツ工業が掲げる車作りの思想「1_、1c、1秒にこだわる」は、今やけちで意地悪にしか見えない。
ダイハツ車内では担当者らに激しい叱責や非難が浴びせられていたのは経営陣が働く人たちの苦労を背負えぬほど重くし、心を壊した経緯があったと経営陣を厳しく批判していた。
その上で、信用、信頼失墜により失われる価値は計り知れないと指摘している。
会社の不祥事の責任といえば、経営陣の辞任よりないにもかかわらず、社長は責任を取らないということで、頭だけ下げて口先でごまかすような態度だから、会社がダメになってしまう。責任を取らない経営陣ならそんな経営陣はいらない。
語り継ぐ戦争でいえば、戦争を仕掛けておいて、敗戦でも何ら責任をとろうとしなかった軍の幹部たちとよく似ている。
責任を取るために幹部はいるのだし、責任を取るというのは自決することである。軍人は。
企業の経営陣は自決とは言わないまでも、退陣することである。
高額な給与、報酬を得ておきながら、責任逃れをする卑怯者が日本の経営者には多すぎる。
新自由主義に毒され、人件費ばかり削ることに血道をあげ、儲けを出すことばかり考え、人手不足で働く人を苦しめてきた日本の多くの経営者たち。
己に知恵がないことを棚に上げ、働く人にばかりその責めを負わせようとしてきたおバカ経営者たち。
〈苦労が人間をけちに意地悪くする〉というのは本当だと実感したことがある。
身内の恥を晒すようで、お恥ずかしいい限りであるがカミングアウトしてしまう。
もう亡くなっているから時効だろう。
叔父の家は、旧家であるが、没落してしまい、土地を売り食いしていた。
叔父は勉強はできた方らしいが大学には進学せず、高校を卒業後安定した職に就き、働きながら、夜間部に通って大学を卒業したという経歴を持つ。
ところが、売り食いしてもまだ不動産を所有していたため、首都圏の田舎町が開発され、所有していた不動産が駐車場や貸店舗などとして不動産収入が増えるようになり、退職し不動産を管理するようになった。
収入が増えると叔父はことあるごとに税金が高いと不満を漏らすようになった。
叔父には妹がいたが、自分から見れば叔母である。その妹に財産を全く分けず独り占めし、妹が離婚し、苦境にあると風の便りに聞いた時も全く援助しようとはしなかったのである。
自分は3人姉弟で、経済的に恵まれている姉は何かと実家のことを気にかけてくれ、母親の介護のときなどは、自分は何もできないからと言いつつ、恥ずかしくないようにと母親がデイサービスに着ていく洋服を季節ごとに買い求めて送ってくれた。
叔父と姉の二人の違いはどこから来ているのかよくわからないが、仮に、自分に妹がいて、生活に困っていたら、当然、できる範囲で援助はするだろう。
叔父がけちになったのは苦労したからだということで納得した。
反省のないダイハツではないが、叔父のことは尊敬しないし、ダイハツの車は買わない。
2023年12月23日
社会の片隅に追いやられた人々の思いを伝える
NHKETV特集「森崎和江 終わりのない旅」で考えさせられた生きるということについて書いておく。
「2022年、95歳の生涯を閉じた森崎和江さん。地の底で働いた女性坑夫に聞き書きした『まっくら』や東南アジアなどへ売られた少女を追った『からゆきさん』など数々の著作で、近代社会の片隅に追いやられた人々の思いを伝えた。
日本統治下の朝鮮半島で生まれた「原罪」を背負い、「本当の日本」を探して全国を旅した。森崎和江さんの足跡をたどり、社会に広がる「断層」を越える「命の言葉」を探し続けた、その思いを探る。」と㏋にコンセプトがある。
1970年代の初め、女性史研究をしていた山崎朋子『サンダカン八番娼館 底辺女性史序章』(現文春文庫)を買い求めて読み、からゆきさんのことを知った。
貧しい天草から売られた女性がボルネオの娼館で働き、運よく帰国できた女性もいたが、ボルネオの土になっていったことを取材したもので,熊井啓監督が『サンダカン八番娼館 望郷』として映画化し、当時話題となった。
その後、森崎和江『からゆきさん』(現朝日文庫)が刊行されていることを知り、買い求めて読んだ。
評論家ではないので、二人の作品など較べるつもりなど全くなかったが、山崎朋子より、森崎和江の方が重たいというか奥が深いというのが当時感じた率直な感想だった。
多田さよ子『小菊の悲願』(聖燈社)を買い求めて読み、人身売買、廓清運動に俄然興味関心が向くようになったので、その後、売春、遊廓、売春防止法が成立してトルコという営業形態で生き残った業界に関する著作を買い求めた時期があった。
自分の関心が人身売買、売春ということに目が向いてしまっていたので、森崎和江さんのことには関心が向かなかったことが今考えるとお恥ずかしい限りである。
NHKの「森崎和江 終わりのない旅」で森崎さんが朝鮮半島に生まれ育ち、植民地の宗主国の人間だったということに原罪の意識を持っていたと知り、満州や朝鮮半島から引き揚げてきた山田洋次監督や作家の五木寛之さんなどの知識人が一様に自分たちの出自と育ちに反省というか、後ろめたさを持ちながら創作活動をしていることに気づいていたので、やはりと思った。
原罪意識に突き動かされるようにして森崎さんが終わりのない旅をしていたが、作家の井手孫六さんは『終わりなき旅「中国残留孤児の歴史と現在」(岩波文庫)を書かないではいられなかった気持ちとして、政府に騙され満蒙開拓団として海を渡った人が故郷信州が一番多かったことを挙げている。
現に、満蒙開拓平和記念館が建てられたのは信州の阿智村である。
森崎さんは福岡の学校を卒業し、炭鉱町に住んでいたことから、炭鉱で働いていた女性にも目を向ける。
からゆきも炭鉱夫も社会の底辺で必死に生きている人たちである。
首都圏の田舎町で生まれ育ち、16歳の時、父親が病死してしまったが、これといった苦労をしたわけでもない自分と較べ、森崎さんは朝鮮半島で生まれ、育ちはしても朝鮮人ではなく、かといって日本人というには生まれ育っていないから、自らのアイデンティティを探し求めていたように自分なりには理解する。
市井の一介の凡人である自分には原罪意識みたいなものはないが、比較的恵まれた階層、所謂中間層にいられることに対し、戦争などで自由を奪われた人たちへのレクイエムをするのが自分の立ち位置かもしれないと祈りの旅をしてきた。
森崎さんの気持ちが理解できるのは炭鉱夫のことで言えば、津村節子『海鳴』(文春文庫)を買い求めて読み、ヒロインが働いていた佐渡の水金遊廓跡を訪ね、相対死にした佐渡金山の水替え人足とともに供養の祈りを捧げているからだ。
戦争など、もろもろで自由を奪われた人たちに供養の祈りを捧げてきた自分には、森崎さんの気持ちがいくらかなりともわかるのである。
生きるということの意味を教えてくれた森崎さん。後に続く人がいてくれることを願う。
「2022年、95歳の生涯を閉じた森崎和江さん。地の底で働いた女性坑夫に聞き書きした『まっくら』や東南アジアなどへ売られた少女を追った『からゆきさん』など数々の著作で、近代社会の片隅に追いやられた人々の思いを伝えた。
日本統治下の朝鮮半島で生まれた「原罪」を背負い、「本当の日本」を探して全国を旅した。森崎和江さんの足跡をたどり、社会に広がる「断層」を越える「命の言葉」を探し続けた、その思いを探る。」と㏋にコンセプトがある。
1970年代の初め、女性史研究をしていた山崎朋子『サンダカン八番娼館 底辺女性史序章』(現文春文庫)を買い求めて読み、からゆきさんのことを知った。
貧しい天草から売られた女性がボルネオの娼館で働き、運よく帰国できた女性もいたが、ボルネオの土になっていったことを取材したもので,熊井啓監督が『サンダカン八番娼館 望郷』として映画化し、当時話題となった。
その後、森崎和江『からゆきさん』(現朝日文庫)が刊行されていることを知り、買い求めて読んだ。
評論家ではないので、二人の作品など較べるつもりなど全くなかったが、山崎朋子より、森崎和江の方が重たいというか奥が深いというのが当時感じた率直な感想だった。
多田さよ子『小菊の悲願』(聖燈社)を買い求めて読み、人身売買、廓清運動に俄然興味関心が向くようになったので、その後、売春、遊廓、売春防止法が成立してトルコという営業形態で生き残った業界に関する著作を買い求めた時期があった。
自分の関心が人身売買、売春ということに目が向いてしまっていたので、森崎和江さんのことには関心が向かなかったことが今考えるとお恥ずかしい限りである。
NHKの「森崎和江 終わりのない旅」で森崎さんが朝鮮半島に生まれ育ち、植民地の宗主国の人間だったということに原罪の意識を持っていたと知り、満州や朝鮮半島から引き揚げてきた山田洋次監督や作家の五木寛之さんなどの知識人が一様に自分たちの出自と育ちに反省というか、後ろめたさを持ちながら創作活動をしていることに気づいていたので、やはりと思った。
原罪意識に突き動かされるようにして森崎さんが終わりのない旅をしていたが、作家の井手孫六さんは『終わりなき旅「中国残留孤児の歴史と現在」(岩波文庫)を書かないではいられなかった気持ちとして、政府に騙され満蒙開拓団として海を渡った人が故郷信州が一番多かったことを挙げている。
現に、満蒙開拓平和記念館が建てられたのは信州の阿智村である。
森崎さんは福岡の学校を卒業し、炭鉱町に住んでいたことから、炭鉱で働いていた女性にも目を向ける。
からゆきも炭鉱夫も社会の底辺で必死に生きている人たちである。
首都圏の田舎町で生まれ育ち、16歳の時、父親が病死してしまったが、これといった苦労をしたわけでもない自分と較べ、森崎さんは朝鮮半島で生まれ、育ちはしても朝鮮人ではなく、かといって日本人というには生まれ育っていないから、自らのアイデンティティを探し求めていたように自分なりには理解する。
市井の一介の凡人である自分には原罪意識みたいなものはないが、比較的恵まれた階層、所謂中間層にいられることに対し、戦争などで自由を奪われた人たちへのレクイエムをするのが自分の立ち位置かもしれないと祈りの旅をしてきた。
森崎さんの気持ちが理解できるのは炭鉱夫のことで言えば、津村節子『海鳴』(文春文庫)を買い求めて読み、ヒロインが働いていた佐渡の水金遊廓跡を訪ね、相対死にした佐渡金山の水替え人足とともに供養の祈りを捧げているからだ。
戦争など、もろもろで自由を奪われた人たちに供養の祈りを捧げてきた自分には、森崎さんの気持ちがいくらかなりともわかるのである。
生きるということの意味を教えてくれた森崎さん。後に続く人がいてくれることを願う。
2023年12月20日
日はまた昇るのか 日本
バブル経済崩壊後、日本経済は長期にわたり低迷し、「失われた30年」と呼ばれる。
GDP(国内総生産)など多くの経済指標は伸び悩んでいる。戦後、日本を「経済大国」に押し上げてきた技術力についても「翳りが見えてきた」と言われる。家電,OA機器、カメラなどにとって代わる新たな大型ハイテク商品にはお目にかかれない。日本の技術力に未来はあるのか。
経団連事務局を経て、シンクタンクのバウアーグループアジア日本代表柚木清明さん(58)に12月10日の読売(吉田清久編集委員)が「あすへの考」【競争力復活の処方箋】で聞いている。
家電製品やパソコンなどで市場を制する力を失ったが、技術力が低下したわけではない。戦略を練り直せば「技術立国・日本」の復活はある。
参考になるのが近年の半導体産業育成に向けた取り組みだ。かつて「日の丸半導体」は世界を席巻したが、台湾、韓国、中国の台頭で後れをとってしまうようになった。
そこで、政府が半導体を経済安全保障上の重要物資と位置づけ、半導体産業の基盤強化に本格的に乗り出した。
2021年、国内での半導体工場の整備を支援する関連法が成立。民間企業の工場建設などに大規模な補助金を投じることが可能になったことから、半導体産業の世界的重心が徐々日本に移り始めている。
熊本県では台湾積体電路製造(TSMC)が大規模工場を複数建設。広島県の米マイクロン・テクノロジーの工場は世界最先端メモリーの製造を行うことになっている。
処方箋の一つは、傑出した技術を元に、新たなマーケットを創出すること。
高齢化、人口減少など社会的な課題の解決に自動運転技術がある。
高齢化、人口減少は高齢者市場、パワーアシストスーツやAI補聴器などの製品開発と結びつく。
雇用を巡っては技術者の海外流出が問題となった。「技術的に能力がある人にはふさわしい待遇と実力発揮の場を提供できなかった社会」を変えていかなければならない。
技術立国復活のためには、日本を「開かれた国」に作り替える必要性を痛感する。人材、投資、技術あらゆる面で、国際規範に基づくオープンな国にすることだ。
自民党の政治がダメだから日本の将来を心配していたが、「技術立国 日はまた昇る」という見出しで、引き込まれて記事を読み少し安心した。
優秀な技術者が定年後、盗用の国中国に渡ってしまうことを危惧していた日本大好きな自分にとって、技術的に能力のある人にはふさわしい待遇と実力発揮の場を提供できる社会に変えていくことは大いに賛同できる。
日本はTVなどに出ている人間の収入が恵まれていて、農民、職人、介護など生産の現場や社会を支える現場で働く人たちの待遇がよくない。
待遇がよくないから、求人難ということになってしまう。
職人を例にするなら、建築現場で働く職人が暗くなっても明かりをつけて働き、19時くらいになって帰っていく姿を目撃する。
土曜日も働き、祝日も働いているのは、完工の期限を決められているからだ。
働き方改革などと耳に心地よいことを政府は言っているが、ちっとも末端まで届いていない。
日本の伝統工芸を支える職人、神社仏閣の建築では例えば、宮大工など後継者がいなければ、修復すらできなくなってしまう。
技術を身につけることは一朝一夕にできることではないし、新しい商品を生み出す企画力というか発明する力も磨いていかなければ、誰にでもできるということにはならない。
技術力のある人はそれだけに後継者を育成してもらう必要があり、定年など関係なく働いてもらわなければならない。
身近なところでは、錦帯橋の改修において、後継者の育成を考えながら取り組んでいることがTVで放送されたことがある。
技術立国とは後継者の育成と新人の発掘ということになるのではないか。
GDP(国内総生産)など多くの経済指標は伸び悩んでいる。戦後、日本を「経済大国」に押し上げてきた技術力についても「翳りが見えてきた」と言われる。家電,OA機器、カメラなどにとって代わる新たな大型ハイテク商品にはお目にかかれない。日本の技術力に未来はあるのか。
経団連事務局を経て、シンクタンクのバウアーグループアジア日本代表柚木清明さん(58)に12月10日の読売(吉田清久編集委員)が「あすへの考」【競争力復活の処方箋】で聞いている。
家電製品やパソコンなどで市場を制する力を失ったが、技術力が低下したわけではない。戦略を練り直せば「技術立国・日本」の復活はある。
参考になるのが近年の半導体産業育成に向けた取り組みだ。かつて「日の丸半導体」は世界を席巻したが、台湾、韓国、中国の台頭で後れをとってしまうようになった。
そこで、政府が半導体を経済安全保障上の重要物資と位置づけ、半導体産業の基盤強化に本格的に乗り出した。
2021年、国内での半導体工場の整備を支援する関連法が成立。民間企業の工場建設などに大規模な補助金を投じることが可能になったことから、半導体産業の世界的重心が徐々日本に移り始めている。
熊本県では台湾積体電路製造(TSMC)が大規模工場を複数建設。広島県の米マイクロン・テクノロジーの工場は世界最先端メモリーの製造を行うことになっている。
処方箋の一つは、傑出した技術を元に、新たなマーケットを創出すること。
高齢化、人口減少など社会的な課題の解決に自動運転技術がある。
高齢化、人口減少は高齢者市場、パワーアシストスーツやAI補聴器などの製品開発と結びつく。
雇用を巡っては技術者の海外流出が問題となった。「技術的に能力がある人にはふさわしい待遇と実力発揮の場を提供できなかった社会」を変えていかなければならない。
技術立国復活のためには、日本を「開かれた国」に作り替える必要性を痛感する。人材、投資、技術あらゆる面で、国際規範に基づくオープンな国にすることだ。
自民党の政治がダメだから日本の将来を心配していたが、「技術立国 日はまた昇る」という見出しで、引き込まれて記事を読み少し安心した。
優秀な技術者が定年後、盗用の国中国に渡ってしまうことを危惧していた日本大好きな自分にとって、技術的に能力のある人にはふさわしい待遇と実力発揮の場を提供できる社会に変えていくことは大いに賛同できる。
日本はTVなどに出ている人間の収入が恵まれていて、農民、職人、介護など生産の現場や社会を支える現場で働く人たちの待遇がよくない。
待遇がよくないから、求人難ということになってしまう。
職人を例にするなら、建築現場で働く職人が暗くなっても明かりをつけて働き、19時くらいになって帰っていく姿を目撃する。
土曜日も働き、祝日も働いているのは、完工の期限を決められているからだ。
働き方改革などと耳に心地よいことを政府は言っているが、ちっとも末端まで届いていない。
日本の伝統工芸を支える職人、神社仏閣の建築では例えば、宮大工など後継者がいなければ、修復すらできなくなってしまう。
技術を身につけることは一朝一夕にできることではないし、新しい商品を生み出す企画力というか発明する力も磨いていかなければ、誰にでもできるということにはならない。
技術力のある人はそれだけに後継者を育成してもらう必要があり、定年など関係なく働いてもらわなければならない。
身近なところでは、錦帯橋の改修において、後継者の育成を考えながら取り組んでいることがTVで放送されたことがある。
技術立国とは後継者の育成と新人の発掘ということになるのではないか。
2023年12月17日
天国から届く母からの手紙
「お母さん、20歳になったよ」「『悲しまない』5歳の約束」という見出しで「天国からの手紙」の連載が始ままったのは、12月4日の読売夕刊。(喜多河孝康、丹下巨樹記者)が伝えてくれたのは34歳で子宮頸がんで亡くなった母山本順子が娘が20歳になるまで毎年の誕生日に届くように病床で書いた手紙を預けられた弁護士が20歳になった娘山本梨菜に届けるところから始まる物語。
「余命3か月」と宣告されてから、母は離婚し、娘は神戸市の児童養護施設に預けられた。
施設での夜、布団に隠れ涙を流す娘。そんな娘の6歳の誕生日に手紙を預かった未成年後見人の佐藤功行弁護士(58)が花束と共に母からの手紙を届けてくれた。最初の1通を何度も読み返す娘。
小学生になった娘は緑豊かない母の故郷愛媛県松山市にある施設「ファミリーホーム」に移る。母の願いだった。
7歳の誕生日にまた母からの手紙が届く。
先に入所していた仲間に溶け込めず、悩む娘に施設の里親川副達也、叔子夫妻は温かく接してくれるのだった。
10歳の誕生日に届いた母からの手紙。
里親で15人の子どもたちを育て、今も5人を育てている川副夫妻。
中学生になった13歳の誕生日、母からの手紙が届く。
思春期を迎え、母の死にやり場のない悲しみを募らせる娘。
高校受験を控えた15歳の誕生日に届いた母からの手紙には人生の選択の時期。どのみちに進んでもいいこと、辛いことがあるけど、一度しかない人生だから大切に生きるように書いてあった。
高校生になった17歳の誕生日、母から届いた手紙には「どんなに苦しい時も悲しい時も不幸だと思ったことはない。辛いことの中にもささやかな楽しみがあるし、楽しいことの中にも悲しいことがある」と思っていたから。
娘は児童福祉司を目指して受験し、福岡の大学に合格。進学費用は母が残してくれていた。
松山のホームから旅立つ日、ホームの母叔子は「いつでも帰ってきていいけん」と送り出してくれた。
「わたしには帰る場所があると船の中で涙が込み上げる娘。
「幸せな返事 いつか書くね」「お母さんが背中を押してくれている」という見出しで最終回。
佐藤弁護士が20歳の誕生日に母からの手紙を届けてくれるのだ。
手紙の内容もこれまでの「見守る」から大人になった私を信頼し、背中を押してくれている気がするという娘。
連載は娘がよく口ずさんでいたというアンジェラアキの「手紙〜拝啓十五の君へ」のフィナーレのフレーズで終わる。
手紙といえば、時代遅れという向きもあるかもしれない。
メール全盛の時代、今、手紙を書く人は少ないだろう。
団塊の世代の一員の中でも時代遅れの自分はメールは必要に応じて使うけれども、伝達手段をメール派と手紙派に分ければ、断然手紙が好きだ。
後期高齢者を目前にして、恋文などという言葉すら忘れてしまいそうになっているが、若い頃、手紙、それも親しいひとからの手紙が届くときのときめきというものを味わった人間としては、メールにはこんな感情を抱かせるものはない。
井上ひさし『十二人の手紙』(中公文庫)、や宮本輝『錦繍』(新潮文庫)を買い求めて読んでいるので、手紙の持つ余韻というか、何回でも読み返すことができることなどがメールとは根本的に異なっていて、心をとらえて離さない。
読売の記者が30代の若さで逝く母が弁護士に託した娘への手紙という、一方通行ではあるが愛情が思いっきり伝わってくる手法を紹介してくれたのは心に残る。
由紀さおりが歌うなかにし礼作詞「手紙」は涙で綴りかけたお別れの手紙だったが、これからはこんな光景は映画の中か小説の中くらいになってしまいそうだ。
母の娘への愛情、娘の母を想うこころ。
師走に、忘れかけていた手紙の持つ力を思い出させてくれた。
「余命3か月」と宣告されてから、母は離婚し、娘は神戸市の児童養護施設に預けられた。
施設での夜、布団に隠れ涙を流す娘。そんな娘の6歳の誕生日に手紙を預かった未成年後見人の佐藤功行弁護士(58)が花束と共に母からの手紙を届けてくれた。最初の1通を何度も読み返す娘。
小学生になった娘は緑豊かない母の故郷愛媛県松山市にある施設「ファミリーホーム」に移る。母の願いだった。
7歳の誕生日にまた母からの手紙が届く。
先に入所していた仲間に溶け込めず、悩む娘に施設の里親川副達也、叔子夫妻は温かく接してくれるのだった。
10歳の誕生日に届いた母からの手紙。
里親で15人の子どもたちを育て、今も5人を育てている川副夫妻。
中学生になった13歳の誕生日、母からの手紙が届く。
思春期を迎え、母の死にやり場のない悲しみを募らせる娘。
高校受験を控えた15歳の誕生日に届いた母からの手紙には人生の選択の時期。どのみちに進んでもいいこと、辛いことがあるけど、一度しかない人生だから大切に生きるように書いてあった。
高校生になった17歳の誕生日、母から届いた手紙には「どんなに苦しい時も悲しい時も不幸だと思ったことはない。辛いことの中にもささやかな楽しみがあるし、楽しいことの中にも悲しいことがある」と思っていたから。
娘は児童福祉司を目指して受験し、福岡の大学に合格。進学費用は母が残してくれていた。
松山のホームから旅立つ日、ホームの母叔子は「いつでも帰ってきていいけん」と送り出してくれた。
「わたしには帰る場所があると船の中で涙が込み上げる娘。
「幸せな返事 いつか書くね」「お母さんが背中を押してくれている」という見出しで最終回。
佐藤弁護士が20歳の誕生日に母からの手紙を届けてくれるのだ。
手紙の内容もこれまでの「見守る」から大人になった私を信頼し、背中を押してくれている気がするという娘。
連載は娘がよく口ずさんでいたというアンジェラアキの「手紙〜拝啓十五の君へ」のフィナーレのフレーズで終わる。
手紙といえば、時代遅れという向きもあるかもしれない。
メール全盛の時代、今、手紙を書く人は少ないだろう。
団塊の世代の一員の中でも時代遅れの自分はメールは必要に応じて使うけれども、伝達手段をメール派と手紙派に分ければ、断然手紙が好きだ。
後期高齢者を目前にして、恋文などという言葉すら忘れてしまいそうになっているが、若い頃、手紙、それも親しいひとからの手紙が届くときのときめきというものを味わった人間としては、メールにはこんな感情を抱かせるものはない。
井上ひさし『十二人の手紙』(中公文庫)、や宮本輝『錦繍』(新潮文庫)を買い求めて読んでいるので、手紙の持つ余韻というか、何回でも読み返すことができることなどがメールとは根本的に異なっていて、心をとらえて離さない。
読売の記者が30代の若さで逝く母が弁護士に託した娘への手紙という、一方通行ではあるが愛情が思いっきり伝わってくる手法を紹介してくれたのは心に残る。
由紀さおりが歌うなかにし礼作詞「手紙」は涙で綴りかけたお別れの手紙だったが、これからはこんな光景は映画の中か小説の中くらいになってしまいそうだ。
母の娘への愛情、娘の母を想うこころ。
師走に、忘れかけていた手紙の持つ力を思い出させてくれた。
2023年12月15日
「ただ会いたいだけ」自分を捨てた父ではあるけど
12月15日の朝、NHKおはよう日本で大谷翔平選手のドジャース入団会見という大きなニュースの後で、「お父さんに会いたい…ジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン」で、日本人の父親に会いたいと願うフィリピンの若者が登場し、「ただ父親に会いたい」と真っ直ぐに訴える姿に激しく心を揺さぶられてしまった。
日本人とフィリピン人の間に生まれた子どもたち(Japanese-Filipino Children:JFC)を支援するNPOJFCネットワークによれば、1980年代から日本へ働きに来るフィリピン人女性の増加に伴い、日本人男性との出会いが増え、両者の恋愛・結婚、そして両者間に生まれる子どもたちも増加している。幸せな家族を築いている日比家族が増えている一方、中には日本人の父親に養育放棄されるなどのために精神的・経済的に苦しい生活を余儀なくされている子どもたちも多い。こうした子どもたちの人権を守る活動をしている。
弁護士と連携しての父親捜し、子どもの認知、養育費請求、国籍取得などを求める法的支援活動を行っている。
男と女というものはどうにもしょうがないものだ。
40代で炎症性腸疾患クローン病になってしまい、食事制限をする日々を乗り越えて生きてきたから、酒を飲んでいる場合ではなかったので、お付き合い程度ではあったが、断れないときに所謂フィリピンパブというのか、そういう店に行ったことがある。
まあ、仕事で行ったようなものだったし、酒場の女性とどうにかなりたいというような元気はなく、遠い記憶となって今日に至る。
高木俊朗『特攻基地知覧』(角川文庫)を買い求めて読んでいるが、敗戦後、知覧の旅館の仲居が進駐してきた黒人兵(アフリカ系米国人)に性的暴行され、生憎妊娠してしまい、肌の色が黒い子どもを産み育てたということが書いてあった。
性暴力で生まれた子どもでも子どもに罪はなく、母親は懸命に育てたのであろうが、所謂ててなしごとして生まれ育った子どもは辛かっただろうと語り継ぐ戦争の立場から推察する。
敗戦後の日本では、進駐軍と呼ばれていた米軍兵士による性暴力事件、米軍基地で働く女性、オンリー、パンパンなどと呼ばれていた女性たちが所謂私生児を生み育てたことはよく知られたこと。
朝鮮戦争で知り合った米兵と朝鮮半島の女性が結婚したり、ハーフの子どもが生まれたりしているはずだし、ベトナム戦争のときは米国から要請された韓国軍、その兵士たちがベトナム女性に性暴力や男女の付き合いの中でライダイハンと呼ばれる混血児がたくさん生まれている。
70年代頃だったか、妓生パーティと呼ばれる日本人男性が朝鮮半島の女性と性的な付き合いをする旅行が企画されていたこともよく知られたこと。
流石に長続きはしなかったが、こういうことでも男と女だから子どもが生まれてしまう。
フィリピンパブばかりでなくタイからやってきた女性の場合も似たような例はすくなくないはずだ。
いずれにしても、子どもに罪があるはずもなく、国籍が欲しいというなら認めてやればいいし、生活の支援を日本で受けたいというなら、日本政府が面倒をみるしかない。
そもそもの原因者が日本人だから、知らん顔というわけにはいかないではないか。
「ただ会いたいだけ」という願いを聞いて、どこかで聞いたことがあるなと思ったら、 西つよしの「ただ、会いたい〜母へ〜」という歌のことで、以前書いたことを思い出した。
デパートの屋上で母親に捨てられた子どもが母親に会いたい気持ちを歌っていた。
子どもは捨てられても恨み言をいわず、母が恋しい。父に会いたいものらしい。
日本人とフィリピン人の間に生まれた子どもたち(Japanese-Filipino Children:JFC)を支援するNPOJFCネットワークによれば、1980年代から日本へ働きに来るフィリピン人女性の増加に伴い、日本人男性との出会いが増え、両者の恋愛・結婚、そして両者間に生まれる子どもたちも増加している。幸せな家族を築いている日比家族が増えている一方、中には日本人の父親に養育放棄されるなどのために精神的・経済的に苦しい生活を余儀なくされている子どもたちも多い。こうした子どもたちの人権を守る活動をしている。
弁護士と連携しての父親捜し、子どもの認知、養育費請求、国籍取得などを求める法的支援活動を行っている。
男と女というものはどうにもしょうがないものだ。
40代で炎症性腸疾患クローン病になってしまい、食事制限をする日々を乗り越えて生きてきたから、酒を飲んでいる場合ではなかったので、お付き合い程度ではあったが、断れないときに所謂フィリピンパブというのか、そういう店に行ったことがある。
まあ、仕事で行ったようなものだったし、酒場の女性とどうにかなりたいというような元気はなく、遠い記憶となって今日に至る。
高木俊朗『特攻基地知覧』(角川文庫)を買い求めて読んでいるが、敗戦後、知覧の旅館の仲居が進駐してきた黒人兵(アフリカ系米国人)に性的暴行され、生憎妊娠してしまい、肌の色が黒い子どもを産み育てたということが書いてあった。
性暴力で生まれた子どもでも子どもに罪はなく、母親は懸命に育てたのであろうが、所謂ててなしごとして生まれ育った子どもは辛かっただろうと語り継ぐ戦争の立場から推察する。
敗戦後の日本では、進駐軍と呼ばれていた米軍兵士による性暴力事件、米軍基地で働く女性、オンリー、パンパンなどと呼ばれていた女性たちが所謂私生児を生み育てたことはよく知られたこと。
朝鮮戦争で知り合った米兵と朝鮮半島の女性が結婚したり、ハーフの子どもが生まれたりしているはずだし、ベトナム戦争のときは米国から要請された韓国軍、その兵士たちがベトナム女性に性暴力や男女の付き合いの中でライダイハンと呼ばれる混血児がたくさん生まれている。
70年代頃だったか、妓生パーティと呼ばれる日本人男性が朝鮮半島の女性と性的な付き合いをする旅行が企画されていたこともよく知られたこと。
流石に長続きはしなかったが、こういうことでも男と女だから子どもが生まれてしまう。
フィリピンパブばかりでなくタイからやってきた女性の場合も似たような例はすくなくないはずだ。
いずれにしても、子どもに罪があるはずもなく、国籍が欲しいというなら認めてやればいいし、生活の支援を日本で受けたいというなら、日本政府が面倒をみるしかない。
そもそもの原因者が日本人だから、知らん顔というわけにはいかないではないか。
「ただ会いたいだけ」という願いを聞いて、どこかで聞いたことがあるなと思ったら、 西つよしの「ただ、会いたい〜母へ〜」という歌のことで、以前書いたことを思い出した。
デパートの屋上で母親に捨てられた子どもが母親に会いたい気持ちを歌っていた。
子どもは捨てられても恨み言をいわず、母が恋しい。父に会いたいものらしい。
2023年12月08日
緊急避妊薬 145薬局で 試験販売開始
望まない妊娠を防ぐ緊急避妊薬(アフターピル)を医師の処方箋なしで薬局で試験販売する調査研究が28日、始まった。厚生労働省から委託された日本薬剤師会が、全国145か所の薬局で実施し、市販化する場合の課題を洗い出す。と11月29日の読売が伝えている。
国内で2011年に承認された緊急避妊薬は、性暴力を受けたり、避妊に失敗したりした女性が使う。性行為から72時間以内に服用した場合、妊娠を約8割防げる。
世界保健機関(WHO)は「副作用は少なくて軽い」とし、女性の健康に欠かせない「必須医薬品」に位置づけている。世界約90か国・地域では医師の処方箋なしで薬局で購入できるが、日本では医師の診察と処方箋が必要とされてきた。
診療時間外となる医療機関が多い夜間や休日は入手しづらく産婦人科が身近にない地域もある。産婦人科にかかった経験がないなどの理由から受診をためらう女性もいた。
試験販売を行う薬局は、人口の多い東京都、神奈川県、大阪府は各5〜6か所、ほか44道府県は各2〜3か所となる。原則として〈1〉研修を受けた薬剤師が販売〈2〉個室でプライバシーに配慮〈3〉夜間や休日に対応〈4〉近隣の産婦人科や性暴力などの被害者を支援する機関との連携――などの条件を満たした薬局で販売する。
16歳以上の女性が購入でき、16歳、17歳は保護者が同伴する。価格は7000円〜9000円程度だ。
米国でその名を知られた映画プロデューサーが性暴力で被害者から告発された。彼女らの勇気ある告発に応えた女性記者が性暴力で加害者を告発した実話に基づく映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』を観て、世の中は明らかに変わったことを確信した。
日本でも伊藤詩織さん、五ノ井里奈さんなど勇気ある女性が性暴力被害を告発したことで明らかに世の中は変わった。
変わらなかった腐りきった日本のメディアが英国BBCが告発した放送に促され、渋々ながら、少年たちに性暴力を繰り返した悪魔が死んでからではあったが、告発したことで、女性に対する性暴力だけでなく、男性に対する性暴力にも追及の手が伸び、賠償金を求めて被害者が立ち上がった。
語り継ぐ戦争で、戦時中の女性に対する性暴力、特にソ連兵などからの性暴力で妊娠し、引き揚げ後、中絶手術を受けた事実を伝えてきたことから、望まない妊娠については被害者の立場に立って発信してきた。
芸能プロの創業者の少年に対する性暴力では沈黙していたメディアの一つである読売がわいせつ教員根絶ということで、わいせつ教員をなくせとばかりに紙面に取り上げる回数が多い。
勇気ある女性が立ち上がり、告発したことを契機に男女の性行為には同意が不可欠であるということが世界の潮流となっている。
日本でも性暴力被害者を支援する人たちの尽力で、「同意なき性行為は犯罪」ということが刑法改正に反映され、刑法の強姦罪の名称が不同意性交罪とされるようになった。
時代は明らかに変わったのである。
当然の帰結として、アフターピルが試験的とはいいながら、処方箋なしで薬局で手に入るようになり、妊娠中絶手術が間違いなく減るはずである。
望まない妊娠は、乳児、幼児に対する虐待につながることは明らかであるから、できるだけ、減らしていく方がいいに決まっている。
不同意である性行為などはすべからく犯罪と見做されるので、過去捕まらなくとも、これからは必ず捕まり、人生を台無しにすることを加害者は肝に命じるべきだ。
国内で2011年に承認された緊急避妊薬は、性暴力を受けたり、避妊に失敗したりした女性が使う。性行為から72時間以内に服用した場合、妊娠を約8割防げる。
世界保健機関(WHO)は「副作用は少なくて軽い」とし、女性の健康に欠かせない「必須医薬品」に位置づけている。世界約90か国・地域では医師の処方箋なしで薬局で購入できるが、日本では医師の診察と処方箋が必要とされてきた。
診療時間外となる医療機関が多い夜間や休日は入手しづらく産婦人科が身近にない地域もある。産婦人科にかかった経験がないなどの理由から受診をためらう女性もいた。
試験販売を行う薬局は、人口の多い東京都、神奈川県、大阪府は各5〜6か所、ほか44道府県は各2〜3か所となる。原則として〈1〉研修を受けた薬剤師が販売〈2〉個室でプライバシーに配慮〈3〉夜間や休日に対応〈4〉近隣の産婦人科や性暴力などの被害者を支援する機関との連携――などの条件を満たした薬局で販売する。
16歳以上の女性が購入でき、16歳、17歳は保護者が同伴する。価格は7000円〜9000円程度だ。
米国でその名を知られた映画プロデューサーが性暴力で被害者から告発された。彼女らの勇気ある告発に応えた女性記者が性暴力で加害者を告発した実話に基づく映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』を観て、世の中は明らかに変わったことを確信した。
日本でも伊藤詩織さん、五ノ井里奈さんなど勇気ある女性が性暴力被害を告発したことで明らかに世の中は変わった。
変わらなかった腐りきった日本のメディアが英国BBCが告発した放送に促され、渋々ながら、少年たちに性暴力を繰り返した悪魔が死んでからではあったが、告発したことで、女性に対する性暴力だけでなく、男性に対する性暴力にも追及の手が伸び、賠償金を求めて被害者が立ち上がった。
語り継ぐ戦争で、戦時中の女性に対する性暴力、特にソ連兵などからの性暴力で妊娠し、引き揚げ後、中絶手術を受けた事実を伝えてきたことから、望まない妊娠については被害者の立場に立って発信してきた。
芸能プロの創業者の少年に対する性暴力では沈黙していたメディアの一つである読売がわいせつ教員根絶ということで、わいせつ教員をなくせとばかりに紙面に取り上げる回数が多い。
勇気ある女性が立ち上がり、告発したことを契機に男女の性行為には同意が不可欠であるということが世界の潮流となっている。
日本でも性暴力被害者を支援する人たちの尽力で、「同意なき性行為は犯罪」ということが刑法改正に反映され、刑法の強姦罪の名称が不同意性交罪とされるようになった。
時代は明らかに変わったのである。
当然の帰結として、アフターピルが試験的とはいいながら、処方箋なしで薬局で手に入るようになり、妊娠中絶手術が間違いなく減るはずである。
望まない妊娠は、乳児、幼児に対する虐待につながることは明らかであるから、できるだけ、減らしていく方がいいに決まっている。
不同意である性行為などはすべからく犯罪と見做されるので、過去捕まらなくとも、これからは必ず捕まり、人生を台無しにすることを加害者は肝に命じるべきだ。
2023年12月01日
強くなくていい。弱いままでもしなやかであれば
新聞記者として取材した多くの人がつらい出来事を経験して一度は人生に絶望したにもかかわらず、やがて一歩一歩、前へと歩みを進めていた。人間が生来持つ「レジリエンス」(逆境における回復力)の凄さに感銘を受けずにはいられない。と11月26日の読売(山口博弥編集委員)が「若者の『回復力』絶望からの一歩に」という見出しで書いていた。
降り積もる雪に太い幹でも重さに耐えられず、バキッと折れてしまうが、柳は耐えられる。
そこから、大きく、太く、強くなくていい。小さく、細く、弱いままでも、しなやかであれば、襲いかかる逆境にも何とか耐えられるというのだ。
若者の自殺が増えていて、小中高生の自殺者は過去最多になったことに心を痛め、「死にたい」と思う若者にどうか希望を捨てないでほしい。状況が絶望的であっても、どこかに支えてくれる誰かがいる。支えとなる何かがあるはずだ。自分の中にも、そして周りにも、きっとレジリエンスはある。と呼び掛けている。
40代早々に3か月入院し、炎症性腸疾患クローン病だと診断された。
入院する前の3年間は不調で女性用のアレを尻に当てて生活し、昼めしは食べたふりをしていた。食べるとトイレに直行というような具合だったからである。
入院期間中は絶飲食だから、食事時は当時の雑誌クロワッサンなどを眺めながら食べたつもりにしていた。
20キロ瘦せたが死ぬことはなかった。
退院後は食事制限で、栄養剤を主に少しずつ消化のよいものを食していた。
あれから幾星霜今でもそれなりに食事制限はしているが、かなり普通の生活ができるようになった。
それでも、腸閉塞で2度も入院しているし、いつも腹痛に悩まされている。
さらに、加齢が原因なのか耳鳴りに悩まされるようになり、併せて耳の聴こえが悪くなって、TVは音声を上げるのが嫌で、よく聴き取れないから画面を眺めていることが多くなった。
歯はすでに自分の歯が残り少なくなってしまったので、歯医者に作ってもらった歯を使っているが、違和感があって、苦痛でならない。
他者と比較するようなことではないが、自分よりつらい人生を送っている人がほとんどだと思えば、自分はまだ恵まれていると思っている。
さて、小中高生の自殺のことを取り上げた時、今春自殺してしまった親族の青年のことを書いた。
自分は天涯孤独で統合失調症だった青年の悩みを聴く機会を与えられていたことがある。
その時の経験もすでに語っているが、病気をしたり体調が著しく悪い経験が他者の苦しみを理解する一助となっている面がある。
自民党で跋扈している差別主義者の女の議員は他者の苦しみなど理解しようとしたこともない恵まれた境遇にあるからであろうが、普通なら、抑圧されてきたアイヌ民族を差別したりするなどの発言を繰り返すはずがない。
いじめられて誰も味方してくれないと考えるとき、柳のようにしなやかであれと説く人の言に耳を傾けてみる価値はありそうだ。
降り積もる雪に太い幹でも重さに耐えられず、バキッと折れてしまうが、柳は耐えられる。
そこから、大きく、太く、強くなくていい。小さく、細く、弱いままでも、しなやかであれば、襲いかかる逆境にも何とか耐えられるというのだ。
若者の自殺が増えていて、小中高生の自殺者は過去最多になったことに心を痛め、「死にたい」と思う若者にどうか希望を捨てないでほしい。状況が絶望的であっても、どこかに支えてくれる誰かがいる。支えとなる何かがあるはずだ。自分の中にも、そして周りにも、きっとレジリエンスはある。と呼び掛けている。
40代早々に3か月入院し、炎症性腸疾患クローン病だと診断された。
入院する前の3年間は不調で女性用のアレを尻に当てて生活し、昼めしは食べたふりをしていた。食べるとトイレに直行というような具合だったからである。
入院期間中は絶飲食だから、食事時は当時の雑誌クロワッサンなどを眺めながら食べたつもりにしていた。
20キロ瘦せたが死ぬことはなかった。
退院後は食事制限で、栄養剤を主に少しずつ消化のよいものを食していた。
あれから幾星霜今でもそれなりに食事制限はしているが、かなり普通の生活ができるようになった。
それでも、腸閉塞で2度も入院しているし、いつも腹痛に悩まされている。
さらに、加齢が原因なのか耳鳴りに悩まされるようになり、併せて耳の聴こえが悪くなって、TVは音声を上げるのが嫌で、よく聴き取れないから画面を眺めていることが多くなった。
歯はすでに自分の歯が残り少なくなってしまったので、歯医者に作ってもらった歯を使っているが、違和感があって、苦痛でならない。
他者と比較するようなことではないが、自分よりつらい人生を送っている人がほとんどだと思えば、自分はまだ恵まれていると思っている。
さて、小中高生の自殺のことを取り上げた時、今春自殺してしまった親族の青年のことを書いた。
自分は天涯孤独で統合失調症だった青年の悩みを聴く機会を与えられていたことがある。
その時の経験もすでに語っているが、病気をしたり体調が著しく悪い経験が他者の苦しみを理解する一助となっている面がある。
自民党で跋扈している差別主義者の女の議員は他者の苦しみなど理解しようとしたこともない恵まれた境遇にあるからであろうが、普通なら、抑圧されてきたアイヌ民族を差別したりするなどの発言を繰り返すはずがない。
いじめられて誰も味方してくれないと考えるとき、柳のようにしなやかであれと説く人の言に耳を傾けてみる価値はありそうだ。
2023年11月29日
「長生きしてごめんね」こんな日本に誰がした
読売の優れた連載の一つ、「あすへの考」その11月26日のタイトルが「エビデンスに基づく予防」。
香取市佐原の橋の欄干で笑顔でポーズをきめているのは公衆衛生学者林英恵さん(44)。米国のハーバード大学公衆衛生大学院社会行動科学部で日本人女性初の博士号を取得した。人がより健康で幸せになる方法を考える専門家だ。
「健康になるために必要なのは、意志の力でなく、実践する技術を磨くことだ。」と訴え、エビデンス(科学的根拠)に基づく正しい生活習慣を身につける重要性を説く。
病気の予防や在宅医療・介護でも公衆衛生学が役立つとの信念から、エビデンスの蓄積と普及にも取り組む。
(聞き手小泉朋子記者)
「悪い習慣を改めるには、何をどうしたらよいか、正確に知ること」「長生きしてごめんね」。在宅や介護、日本は改善余地大きく」という見出し、特に後者で伝えるのは林さんが自ら体験した介護の実体験である。
父方、母方4人の祖父母の介護のため、出身地の千葉県香取市で父と母は15年以上別居してそれぞれの両親つまり祖父母の介護をしていた。ために母親は20年間続けた仕事をやめた。自分も仕事を週1にし、東京から香取市に転居した。
大好きな祖父母のためだから、介護は嫌ではなかったが、近くに住む家族だけに、生活が一変する負担がかかる状況に苛立ちと疑問を感じた。
98歳の祖母から「長生きしてごめんね」と言われたとき、ショックで涙が止まらなくなったそうな。
公衆衛生学がずっと目指してきた長寿社会は何だったのか。何かが間違っていると思った。
どのような在宅医療や介護をすれば、患者や家族にとって最適な環境となり、幸せに長生きできるのか。エビデンスを蓄積する必要がある。実際に在宅医療や介護を行う家庭のデータを集め、公衆衛生の観点で検証したい。
そうした取り組みを通じて、ひとりでも多くの人が幸せに寿命を全うできるような社会にしたい。
「長生きしてごめんね」なんて誰にも言わせたくない。と結ぶ。
「エビデンス」なんて言うから何のことかと思ったら科学的根拠のことだと知り、説得力を持たせるには、やはりこれだよなとつくづく共感した。
わが家は自分が16歳になったばかりの夏、父が病死した。その時38歳だったわが母はあれから50年経って、父の命日の翌日施設で亡くなった。
80になったときはまだ頭脳明晰で記憶力など自分より優れていた母も次第に認知症が進行し、まずデイサービスのお世話になった。
この時のケアマネージャーが凄腕というか優れた人物で、自らデイサービスの運営を始めた。
当然、そこにお世話になったのだが、スタッフが優秀で母の晩年お世話になったこの期間は家族が助かったばかりか、母も楽しそうだった。
しかし、残念ながら認知症が進み、連れ合いが大黒柱としてフルタイムで働いていた我が家では在宅介護はできないので、施設への入所を希望していたところ、上述のケアマネの尽力で希望が叶ったが、その分、母の認知症の進行が早まったのはやむを得ないことだった。
介護で地獄のような生活を強いられている家族から見れば、わが家の介護はまだましで、偉そうなことは言えない。
しかし、林さんの祖母が「長生きしてごめんね」と孫に言わなければならなかった心情に、思いを寄せれば「生きているだけで素晴らしい」はずのことがこの国では全く実現できていないことがわかった。
そりゃあそうだろう。LGBTの人たちを生産性がないとか。アイヌや朝鮮半島の人々を差別する発言を繰り返す自民党比例代表の女の議員が跋扈している政治の世界には期待する方が無理で、れいわ新選組の山本太郎さんのような人たちが国会で多数を占めるようにならないとダメだ。
介護でカネがかかるからと財務省は増税を企み、介護は在宅介護をさせようと企む。
在宅介護では、介護する側が疲弊し長く続けられるわけがない。
こんなふざけたことを企むのは財務省の役人が自ら親の介護をしていないからだ。
怒りで体が震える。
公衆衛生学者林さんが体験した「長生きしてごめんね」と自分も家族には言いたくない。
そうなる前に、少しでもボケないように、寝たきりにならないように努力し、そうなる前に何とかお迎えが来るように祈るばかりである。
香取市佐原の橋の欄干で笑顔でポーズをきめているのは公衆衛生学者林英恵さん(44)。米国のハーバード大学公衆衛生大学院社会行動科学部で日本人女性初の博士号を取得した。人がより健康で幸せになる方法を考える専門家だ。
「健康になるために必要なのは、意志の力でなく、実践する技術を磨くことだ。」と訴え、エビデンス(科学的根拠)に基づく正しい生活習慣を身につける重要性を説く。
病気の予防や在宅医療・介護でも公衆衛生学が役立つとの信念から、エビデンスの蓄積と普及にも取り組む。
(聞き手小泉朋子記者)
「悪い習慣を改めるには、何をどうしたらよいか、正確に知ること」「長生きしてごめんね」。在宅や介護、日本は改善余地大きく」という見出し、特に後者で伝えるのは林さんが自ら体験した介護の実体験である。
父方、母方4人の祖父母の介護のため、出身地の千葉県香取市で父と母は15年以上別居してそれぞれの両親つまり祖父母の介護をしていた。ために母親は20年間続けた仕事をやめた。自分も仕事を週1にし、東京から香取市に転居した。
大好きな祖父母のためだから、介護は嫌ではなかったが、近くに住む家族だけに、生活が一変する負担がかかる状況に苛立ちと疑問を感じた。
98歳の祖母から「長生きしてごめんね」と言われたとき、ショックで涙が止まらなくなったそうな。
公衆衛生学がずっと目指してきた長寿社会は何だったのか。何かが間違っていると思った。
どのような在宅医療や介護をすれば、患者や家族にとって最適な環境となり、幸せに長生きできるのか。エビデンスを蓄積する必要がある。実際に在宅医療や介護を行う家庭のデータを集め、公衆衛生の観点で検証したい。
そうした取り組みを通じて、ひとりでも多くの人が幸せに寿命を全うできるような社会にしたい。
「長生きしてごめんね」なんて誰にも言わせたくない。と結ぶ。
「エビデンス」なんて言うから何のことかと思ったら科学的根拠のことだと知り、説得力を持たせるには、やはりこれだよなとつくづく共感した。
わが家は自分が16歳になったばかりの夏、父が病死した。その時38歳だったわが母はあれから50年経って、父の命日の翌日施設で亡くなった。
80になったときはまだ頭脳明晰で記憶力など自分より優れていた母も次第に認知症が進行し、まずデイサービスのお世話になった。
この時のケアマネージャーが凄腕というか優れた人物で、自らデイサービスの運営を始めた。
当然、そこにお世話になったのだが、スタッフが優秀で母の晩年お世話になったこの期間は家族が助かったばかりか、母も楽しそうだった。
しかし、残念ながら認知症が進み、連れ合いが大黒柱としてフルタイムで働いていた我が家では在宅介護はできないので、施設への入所を希望していたところ、上述のケアマネの尽力で希望が叶ったが、その分、母の認知症の進行が早まったのはやむを得ないことだった。
介護で地獄のような生活を強いられている家族から見れば、わが家の介護はまだましで、偉そうなことは言えない。
しかし、林さんの祖母が「長生きしてごめんね」と孫に言わなければならなかった心情に、思いを寄せれば「生きているだけで素晴らしい」はずのことがこの国では全く実現できていないことがわかった。
そりゃあそうだろう。LGBTの人たちを生産性がないとか。アイヌや朝鮮半島の人々を差別する発言を繰り返す自民党比例代表の女の議員が跋扈している政治の世界には期待する方が無理で、れいわ新選組の山本太郎さんのような人たちが国会で多数を占めるようにならないとダメだ。
介護でカネがかかるからと財務省は増税を企み、介護は在宅介護をさせようと企む。
在宅介護では、介護する側が疲弊し長く続けられるわけがない。
こんなふざけたことを企むのは財務省の役人が自ら親の介護をしていないからだ。
怒りで体が震える。
公衆衛生学者林さんが体験した「長生きしてごめんね」と自分も家族には言いたくない。
そうなる前に、少しでもボケないように、寝たきりにならないように努力し、そうなる前に何とかお迎えが来るように祈るばかりである。
2023年11月26日
「ありがとう」の一言が世を照らす
「『ありがとう』感謝の心を、未来へつなぐ。」作文コンクール(主催:読売新聞社 共催:あんしん財団 後援:文部科学省)では毎年、小学生が「身近なはたらくひとへ、ありがとう」や「あこがれの仕事、かなえたい夢」をテーマに思いをつづった作文を募集している。10回目の開催となった2023年も、全国から多くの素晴らしい作文が寄せられた。と勤労感謝の日の11月23日の広告の紙面で伝えている。
読売の紙面では小学1〜2年の部、3〜4年の部、5〜6年の部、それぞれの大賞受賞作品が紹介されていたが、いずれも「ありがとう」の感謝の気持ちが伝わってくる優れもので、加齢で涙腺がもろくなっている身としては、ハンカチを握りしめながら読ませてもらった。
小学校2年の児玉唯さんの「大きなおにぎり」
母親が病気で入院し、退院してからも体調が元に戻らない日々がつづき、大好きなバレーボールの練習日に父親がおにぎりを握ってくれるようになった。
父親の手が大きいからかおにぎりが大きくて少し食べにくい。コンビニのおにぎりのときもあるけれど、お父さんがおうえんしてくれている気持は同じだ。
恥ずかしくて言えないけれど、「いつもありがとう。私の手が大きくなったらお父さんに大きいおにぎりをにぎってあげたい」というのだ。
小学校4年藤田心葉さんの「毎日ありがとう」
母親が仕事でおそい日は、祖母が隣町から自転車で留守番にやってきてくれてご飯を作ってくれたり、家のことをまほう使いのようにどんどんかたづけてくれていた。
そんな元気な祖母がある日、脳動脈りゅうの破れつで倒れた。
手術をしたが、助かる確率が30%ほどで、助かっても寝たきりになってしまうかもしれないと言われた。
「生きていてくれるだけでいい」からと私は願った。
1週間後、祖母の意識が戻ったと聞いて、「ほんまにー?!」と大声で叫んだ、人生で一番嬉しい瞬間だった。
「生きている」当たり前のように毎日を過ごしていることの有難みに気づかさせてくれた祖母に「ありがとう」と感謝するのだ。
小学校6年の川久保玲音さん「身近な働く人へありがとう」
ADHDという障がいをもって生まれてきた一人っ子の家庭は両親が共働きで、祖母が面倒をみてくれている。
こだわりの強い性格の僕は何度もけんかになったり、言い合いを祖母としたが、僕を見捨てずに祖母は見守ってくれた。
身近な働く人といえば、会社で働いてお金を頂いている人を思い浮かべるけれど、今の僕にとっては会社で働いている人より祖母の方がすごいと思っている。
いつもは恥ずかしくてうまく言葉では伝えられないけれど、(幾久ちゃん、祖母をいつも名前で呼ぶ)僕のことを一番に考えて動いてくれる幾久ちゃんが大好き。いつもありがとう。
これからの雪道で転ばないように僕が支えて歩くから卒業までよろしく。と結ぶ。
大賞受賞作品の概要を紹介させていただいた。
いずれも、綴られている「ありがとう」という感謝の気持ちがしっかりこちらの心に届いた。
なかでも、病気で倒れた祖母を案じる孫娘が「生きているだけでいい」からという言葉を目にした時、先般、書いたコニタンのことやれいわ新選組の山本太郎さんの「生きているだけで素晴らしい」に通じると心を揺さぶられた。
幼児を虐待する事件が後を絶たないが、親の愛を捨て去った悪魔、その母親の体目当てに近づく鬼畜たちに翻弄され、何も手を打てない児相の職員。
親の代わりに祖母が面倒をみても、孫にはしっかり伝わっている、愛情というものが。
小学生の作品だなどととても思えない心の叫びみたいなものが伝わってきた。
読売の看板ともなっている連載「人生案内」に感謝の言葉がない亭主に関しての相談があった。
まだ、よく読んでいないが、恥ずかしくて「ありがとう」と素直に言えなくとも、感謝しているかどうかくらいわかるだろう。
その感謝の気持ちをもてないようなら、一緒にいなること自体無理だったのではないか。
愛情は必ず伝わるものだということを教えられた作文コンクールの受賞作品であった。
読売の紙面では小学1〜2年の部、3〜4年の部、5〜6年の部、それぞれの大賞受賞作品が紹介されていたが、いずれも「ありがとう」の感謝の気持ちが伝わってくる優れもので、加齢で涙腺がもろくなっている身としては、ハンカチを握りしめながら読ませてもらった。
小学校2年の児玉唯さんの「大きなおにぎり」
母親が病気で入院し、退院してからも体調が元に戻らない日々がつづき、大好きなバレーボールの練習日に父親がおにぎりを握ってくれるようになった。
父親の手が大きいからかおにぎりが大きくて少し食べにくい。コンビニのおにぎりのときもあるけれど、お父さんがおうえんしてくれている気持は同じだ。
恥ずかしくて言えないけれど、「いつもありがとう。私の手が大きくなったらお父さんに大きいおにぎりをにぎってあげたい」というのだ。
小学校4年藤田心葉さんの「毎日ありがとう」
母親が仕事でおそい日は、祖母が隣町から自転車で留守番にやってきてくれてご飯を作ってくれたり、家のことをまほう使いのようにどんどんかたづけてくれていた。
そんな元気な祖母がある日、脳動脈りゅうの破れつで倒れた。
手術をしたが、助かる確率が30%ほどで、助かっても寝たきりになってしまうかもしれないと言われた。
「生きていてくれるだけでいい」からと私は願った。
1週間後、祖母の意識が戻ったと聞いて、「ほんまにー?!」と大声で叫んだ、人生で一番嬉しい瞬間だった。
「生きている」当たり前のように毎日を過ごしていることの有難みに気づかさせてくれた祖母に「ありがとう」と感謝するのだ。
小学校6年の川久保玲音さん「身近な働く人へありがとう」
ADHDという障がいをもって生まれてきた一人っ子の家庭は両親が共働きで、祖母が面倒をみてくれている。
こだわりの強い性格の僕は何度もけんかになったり、言い合いを祖母としたが、僕を見捨てずに祖母は見守ってくれた。
身近な働く人といえば、会社で働いてお金を頂いている人を思い浮かべるけれど、今の僕にとっては会社で働いている人より祖母の方がすごいと思っている。
いつもは恥ずかしくてうまく言葉では伝えられないけれど、(幾久ちゃん、祖母をいつも名前で呼ぶ)僕のことを一番に考えて動いてくれる幾久ちゃんが大好き。いつもありがとう。
これからの雪道で転ばないように僕が支えて歩くから卒業までよろしく。と結ぶ。
大賞受賞作品の概要を紹介させていただいた。
いずれも、綴られている「ありがとう」という感謝の気持ちがしっかりこちらの心に届いた。
なかでも、病気で倒れた祖母を案じる孫娘が「生きているだけでいい」からという言葉を目にした時、先般、書いたコニタンのことやれいわ新選組の山本太郎さんの「生きているだけで素晴らしい」に通じると心を揺さぶられた。
幼児を虐待する事件が後を絶たないが、親の愛を捨て去った悪魔、その母親の体目当てに近づく鬼畜たちに翻弄され、何も手を打てない児相の職員。
親の代わりに祖母が面倒をみても、孫にはしっかり伝わっている、愛情というものが。
小学生の作品だなどととても思えない心の叫びみたいなものが伝わってきた。
読売の看板ともなっている連載「人生案内」に感謝の言葉がない亭主に関しての相談があった。
まだ、よく読んでいないが、恥ずかしくて「ありがとう」と素直に言えなくとも、感謝しているかどうかくらいわかるだろう。
その感謝の気持ちをもてないようなら、一緒にいなること自体無理だったのではないか。
愛情は必ず伝わるものだということを教えられた作文コンクールの受賞作品であった。
2023年11月24日
先天性梅毒年間最多更新 梅毒患者増加が原因か。
梅毒に感染した妊婦から胎児にうつる「先天梅毒」と診断された赤ちゃんが、2023年初めから11月5日までに34人(速報値)になったことが国立感染症研究所(感染研)の調査でわかった。現在の調査方法となった1999年以降で、年間最多を更新した。大人の梅毒患者が増加している影響とみられる。と11月19日の読売が伝えている。
梅毒は、主に性的接触で感染する。性器や口にしこりができ、全身に発疹が出る。妊婦が感染している場合、胎児にうつり、難聴や知的障害などを持つ赤ちゃんが生まれる恐れがある。流産や死産に至る例もある。
感染研の感染症発生動向調査によると、先天梅毒と診断された赤ちゃんの数は、2022年までの5年間は、年20人前後で推移していた。今年は、これまで最多だった19年の23人を大きく上回っている。一方、梅毒全体の患者数は11月5日までに1万2679人(速報値)となり、過去最多だった昨年の1万3228人(同)に迫る勢いだ。
妊娠初期の健診では、梅毒の検査がある。感染が判明すれば抗菌薬で治療できるが、胎児への感染を完全に防げるわけではない。
病気などが胎児に影響する例ですぐに頭に浮かぶのは胎児性水俣病であり、語り継ぐ戦争の立場からは胎内被爆である。
カネミ油症でも胎児に影響が出ているということを耳にしたことがあるし、サリドマイドも同様である。。
いずれも親の責任ではなく、企業や米国などの責任である。
ところが、先天性梅毒は明らかに親の責任である。
不特定多数との性交渉が原因だとされているが、不特定多数でなくとも、梅毒の罹患者と性交渉をもてば、感染し、家庭を持つ身なら、配偶者に感染させてしまう。
実は先天性梅毒だという女性の知り合いがいる。
こんな秘密を他人に話すわけがないので、二人の関係は誤解されそうだが、所謂男女の間柄だったわけではない。自分に下心があれば、当然、男女の関係になった可能性が高かったであろうことは、こんな重大な心の秘密を明かすからにはそんな気持ちが女性にもあったかもしれない。
世の中にはいろいろなことを抱えたり、背負って生きている人が少なくないということだ。
水俣病のことを詳しく知った石牟礼道子『苦界浄土』(講談社文庫)で、胎児性水俣病で生きている人がどれほどの苦しみを背負わされて生きているのか想像しただけで激しく心を揺さぶられた。
1945(昭和20)年8月6日に母親の胎内にいた知人は、何とか元気に非核のために奮闘している。
職場で知り合った女性たぶん、現在46歳くらいだと思う、サリドマイドで手に障がいを持っていたが、自分が交流があったのは子どものときだったから、元気に頑張っていたので、心密かにエールを送っていた。
さて、先天性梅毒の子どもを産んだ親は子どもから詰られても仕方ないくらいだが、産んでしまってからでは遅いので、他者が先天性梅毒の子どもを産まないように自らも、啓発のために己の立ち位置でなすべきことがあるのではないか。
米国では先天性梅毒の子どもがCDCの調査で年間2000人もいると耳にするが、日本だってこのまま何もしなければ、すぐに追いついてしまいそうだ。
亡国病梅毒をもっと怖れるべきである。
梅毒は、主に性的接触で感染する。性器や口にしこりができ、全身に発疹が出る。妊婦が感染している場合、胎児にうつり、難聴や知的障害などを持つ赤ちゃんが生まれる恐れがある。流産や死産に至る例もある。
感染研の感染症発生動向調査によると、先天梅毒と診断された赤ちゃんの数は、2022年までの5年間は、年20人前後で推移していた。今年は、これまで最多だった19年の23人を大きく上回っている。一方、梅毒全体の患者数は11月5日までに1万2679人(速報値)となり、過去最多だった昨年の1万3228人(同)に迫る勢いだ。
妊娠初期の健診では、梅毒の検査がある。感染が判明すれば抗菌薬で治療できるが、胎児への感染を完全に防げるわけではない。
病気などが胎児に影響する例ですぐに頭に浮かぶのは胎児性水俣病であり、語り継ぐ戦争の立場からは胎内被爆である。
カネミ油症でも胎児に影響が出ているということを耳にしたことがあるし、サリドマイドも同様である。。
いずれも親の責任ではなく、企業や米国などの責任である。
ところが、先天性梅毒は明らかに親の責任である。
不特定多数との性交渉が原因だとされているが、不特定多数でなくとも、梅毒の罹患者と性交渉をもてば、感染し、家庭を持つ身なら、配偶者に感染させてしまう。
実は先天性梅毒だという女性の知り合いがいる。
こんな秘密を他人に話すわけがないので、二人の関係は誤解されそうだが、所謂男女の間柄だったわけではない。自分に下心があれば、当然、男女の関係になった可能性が高かったであろうことは、こんな重大な心の秘密を明かすからにはそんな気持ちが女性にもあったかもしれない。
世の中にはいろいろなことを抱えたり、背負って生きている人が少なくないということだ。
水俣病のことを詳しく知った石牟礼道子『苦界浄土』(講談社文庫)で、胎児性水俣病で生きている人がどれほどの苦しみを背負わされて生きているのか想像しただけで激しく心を揺さぶられた。
1945(昭和20)年8月6日に母親の胎内にいた知人は、何とか元気に非核のために奮闘している。
職場で知り合った女性たぶん、現在46歳くらいだと思う、サリドマイドで手に障がいを持っていたが、自分が交流があったのは子どものときだったから、元気に頑張っていたので、心密かにエールを送っていた。
さて、先天性梅毒の子どもを産んだ親は子どもから詰られても仕方ないくらいだが、産んでしまってからでは遅いので、他者が先天性梅毒の子どもを産まないように自らも、啓発のために己の立ち位置でなすべきことがあるのではないか。
米国では先天性梅毒の子どもがCDCの調査で年間2000人もいると耳にするが、日本だってこのまま何もしなければ、すぐに追いついてしまいそうだ。
亡国病梅毒をもっと怖れるべきである。