れいわ新選組神奈川第2区総支部長の三好りょうさん。4ヵ国語を習得し、韓国語も現在勉強中という語学堪能な、現在38歳の元外務官僚のことを4月15日、FRIDAYデジタルで読んだので応援するために書いておく。
総理大臣を一日でも長くやっていたいだけの岸田首相。国賓待遇で米国に招かれ夫婦ではしゃいていたように見えたが、米国が敗戦国日本の総理大臣を国賓で招くというのは裏がありそうだ。
たぶん、役にも立たないトマホークを買わされただけでなく、中国が台頭し、台湾に攻め込んで統一しようとしているとして、日本の自衛隊と韓国の軍隊を米軍の指揮下に置き、米軍の代わりに自衛隊に血を流させようとしている魂胆がみえみえだ。
浮かれている場合ではない。
自民党だけではないが、現職の議員の多くは自分が当選することだけを考えていて、国のことを考えていないとしか思えない。
という自分の予てからの主張と同じことを38歳の若き元外務官僚が取材に応えて発言しているのを知って嬉しくなって書いている。
自民党の幹事長は噂通り、人間性がよろしくなくて、官僚に威張り散らし、チャーター機で税金を無駄遣いしているという。
両者ともに外務大臣だったから、税金を手土産に外国訪問で歓待されてきたことに味を占めて、贅沢三昧というのは許せない。
米国に留学しているとき、米国追随で自らの考えがない日本は馬鹿にされている印象で、他国の人たちからは植民地とみられていた。日本を米国と対等な真の独立国家にしたいという願いで、外務省に入省したと言う三好さん。
自民党は何故日本をダメにするようなことばかりやっているのかと考えていたら、バックに反日反社の統一教会がいて、ズブズブの関係の議員が安部派だけでなく多かったことが、元信者の息子に安部元首相が襲撃されたことで明らかになった。
TPP(環太平洋パート―ナーシップ)に元々反対だったという三好さん。同じことを街頭演説で訴えていたれいわ新選組の山本代表がよく勉強していることと、しがらみがなく頑張っている姿について行くことを決めたそうな。
元外務官僚だから自民党ばかりか野党などからも勧誘されたらしいが、信念が揺らいだことはないらしい。
信じられないのは、元首相の地盤である横浜2区からの出馬を自らの希望で選んだこと。
利権のある75歳の人、しがらみがない38歳の新人。対立軸も明確だとし、地元での手応えを感じているという。
前回まで、選挙に行かなかった人が選挙に行く。投票率が高くなることを願っていると選挙の見通しを語る。
損得で動かない人を尊敬する。
関ケ原の戦いで、家康側に寝返った小早川秀秋のような人物は好きではない。
元外務官僚だから、優秀な人材であることは言を俟たない。
当然、自民党から出馬すれば、組織票という名の岩盤支持層などの力で当選できる可能性は極めて高い。
ところが、日本をよくしたいという願いが一致するからということで、カネもない、組織もないに等しい山本太郎代表のれいわ新選組から出馬する、それも対抗する人は元総理だということで、困難に挑む若い人を応援しなければ、語り継ぐ戦争の立場から、戦争で戦没、死没した人たちに顔向けできない。
300万を超える人たちの犠牲の上に成り立つ今日の日本。戦後79年、ここまで政権政党がダメだと日本丸は沈んでしまいそうだ。
原爆をヒロシマ、ナガサキと二つも落とした米国が日本を守るわけがないことは現在闘病中の森卓さんだって発信しているくらい、少しでも考える頭がある人間ならだれにでもわかることではないか。
米軍の指揮下に入って、自衛隊が米軍の代わりに戦って隊員が血を流すという自民党では日本はお仕舞だ。
れいわ新選組の山本太郎代表は、人は生きているだけで素晴らしいことだと発言していることを裏付けることとして、重度の障がい者を国会に送ったことで信用できる人物であることがわかる。
ほぼ、毎日のように日本全国で「おしゃべり会」、増税反対デモをしているにもかかわらず、偏向しているメディアは全く報道しない。
YOUTUBEで視聴するしかないが、こんな政治家見たことない。
現代の親鸞聖人、或いは坂本龍馬のような偉大な人物と重なる山本太郎代表の演説に心を動かされた三好亮さんが何とか選挙で当選できるように横浜2区の有権者にはお願いしたい。
38歳の優秀な人材と自分の考えが一致していることは実に嬉しいことである。
反日、反社の統一教会の応援を受けていた売国奴のような自民党の政治家には投票しないでもらいたい。
2024年04月16日
2024年04月13日
DV・貧困女性向け自立支援施設「かにた婦人の村」
DV(配偶者や恋人からの暴力)や貧困などで行き場のない女性が暮らす「女性自立支援施設」。以前は「婦人保護施設だったが、4月1日に施行された困難女性支援法で名称が変わった。
どのような施設なのか、社会福祉法人が運営し、日本で唯一長期入所できる「かにた婦人の村」を訪ねた。と4月9日の読売(野口季瑛記者)がくらしの紙面で伝えている。
房総半島南端JR館山駅から車で10分。森林を切り開いた約11万平方bの敷地に入所者が住む棟と高齢者用の棟があり、38歳〜92歳の約40人が,約30人のスタッフのサポート受けながら共同生活を送っている。日中は農作業や陶芸、洗濯、パン工房などの仕事をこなす。
担当する作業は自分で選ぶ。「誰かの役に立っている」という実感、「わたしにもできることがある」という自己肯定感をもつことが心の傷を癒やすことにつながる」というのは施設長の五十嵐逸美さん。
売春している女性の保護と厚生を目的とした売春防止法などに基づき、設置されたのが婦人保護施設だ。
2023年4月時点で39都道府県に47か所ある。
22年度の入所者は計約800人。多くは新しい住居や仕事を見つけて退所していく。
4月1日から困難女性支援法で、施設の名称は「女性自立支援施設」婦人相談所は「女性相談支援センター」に。
かにた婦人の村は1965年牧師の深津文雄さんが設立。自立が難しい女性が長期間暮らせるようにとの願いからだ。
これまで約200人が入所。敷地の中の教会の地下には引き取り手のない入所者など80人以上の遺骨が眠る
半世紀にわたって施設の運営に携わってきた天羽道子さん(97)は「この施設は誰もが一人の人間として尊重される場でありたい」と語る。
読売のくらしの紙面に「関心アリ!」というタイトルで「人としての尊厳 守りたい」という見出しが目に飛び込んできたので、読んでみたら、懐かしや「かにた婦人の村」のことが紹介されているではないか。
過去、何回となく書いてきたが、人身売買は許されないということに目覚め、売春防止関連で本を読むうちにみつけたのが「かにた村」だった。
80年代この施設のサポート会員として、会費(5000円だったか)や衣類、使用済み切手などを送っていたことがあるから身近な存在だった。
創設者の深津文雄牧師はキリスト者として社会的弱者を救済するには、上から引き上げるのではなく、そばに寄り添うことを支援者の価値原理とする「底点志向」を唱え、実践したことで知られるが、いつの頃からか、かにたより貧しいアフリカのウガンダで困っている人々にも救済の手を差し伸べたいということが打ち出され、サポート会員から退いた記憶がある。
天羽道子さんはその深津牧師と一緒にかにたを設立した人で健在だということを知り嬉しくなってしまった。
自分の人生で悔いがあるのは、房総半島の鴨川に家族サービスで車で出かけた時、館山の海がすぐそばというホテルに泊まり、かにたを訪ねようとしたことがあったが行かれなかったこと。
いくらなんでも、家族連れで訪ねることに申し訳なさが先立ち、忸怩たる思いだった。
訪ねる目的は納骨堂でお参りすることだったが、敷居が高かった。
かにた村では、当時、果樹を育て、投資してくれた人に実がなったら送るということもやっていた、
農作業や陶芸、パン工房など自分がイメージするコロニーとしては理想的なものだった。
だからか、当時送ってもらった会報は全て取ってあるが、そろそろ終活しなければいけないので、処分するようになるかもしれない。
時の流れで、DV・貧困女性向け自立支援施設になったが、亡き深津文雄牧師。天羽道子さん、施設長の五十嵐逸美さんたちスタッフの献身的な尽力で運営されてきたことを思えば、この人たちにエールをおくらないわけにいかない。
有り難いことである。
どのような施設なのか、社会福祉法人が運営し、日本で唯一長期入所できる「かにた婦人の村」を訪ねた。と4月9日の読売(野口季瑛記者)がくらしの紙面で伝えている。
房総半島南端JR館山駅から車で10分。森林を切り開いた約11万平方bの敷地に入所者が住む棟と高齢者用の棟があり、38歳〜92歳の約40人が,約30人のスタッフのサポート受けながら共同生活を送っている。日中は農作業や陶芸、洗濯、パン工房などの仕事をこなす。
担当する作業は自分で選ぶ。「誰かの役に立っている」という実感、「わたしにもできることがある」という自己肯定感をもつことが心の傷を癒やすことにつながる」というのは施設長の五十嵐逸美さん。
売春している女性の保護と厚生を目的とした売春防止法などに基づき、設置されたのが婦人保護施設だ。
2023年4月時点で39都道府県に47か所ある。
22年度の入所者は計約800人。多くは新しい住居や仕事を見つけて退所していく。
4月1日から困難女性支援法で、施設の名称は「女性自立支援施設」婦人相談所は「女性相談支援センター」に。
かにた婦人の村は1965年牧師の深津文雄さんが設立。自立が難しい女性が長期間暮らせるようにとの願いからだ。
これまで約200人が入所。敷地の中の教会の地下には引き取り手のない入所者など80人以上の遺骨が眠る
半世紀にわたって施設の運営に携わってきた天羽道子さん(97)は「この施設は誰もが一人の人間として尊重される場でありたい」と語る。
読売のくらしの紙面に「関心アリ!」というタイトルで「人としての尊厳 守りたい」という見出しが目に飛び込んできたので、読んでみたら、懐かしや「かにた婦人の村」のことが紹介されているではないか。
過去、何回となく書いてきたが、人身売買は許されないということに目覚め、売春防止関連で本を読むうちにみつけたのが「かにた村」だった。
80年代この施設のサポート会員として、会費(5000円だったか)や衣類、使用済み切手などを送っていたことがあるから身近な存在だった。
創設者の深津文雄牧師はキリスト者として社会的弱者を救済するには、上から引き上げるのではなく、そばに寄り添うことを支援者の価値原理とする「底点志向」を唱え、実践したことで知られるが、いつの頃からか、かにたより貧しいアフリカのウガンダで困っている人々にも救済の手を差し伸べたいということが打ち出され、サポート会員から退いた記憶がある。
天羽道子さんはその深津牧師と一緒にかにたを設立した人で健在だということを知り嬉しくなってしまった。
自分の人生で悔いがあるのは、房総半島の鴨川に家族サービスで車で出かけた時、館山の海がすぐそばというホテルに泊まり、かにたを訪ねようとしたことがあったが行かれなかったこと。
いくらなんでも、家族連れで訪ねることに申し訳なさが先立ち、忸怩たる思いだった。
訪ねる目的は納骨堂でお参りすることだったが、敷居が高かった。
かにた村では、当時、果樹を育て、投資してくれた人に実がなったら送るということもやっていた、
農作業や陶芸、パン工房など自分がイメージするコロニーとしては理想的なものだった。
だからか、当時送ってもらった会報は全て取ってあるが、そろそろ終活しなければいけないので、処分するようになるかもしれない。
時の流れで、DV・貧困女性向け自立支援施設になったが、亡き深津文雄牧師。天羽道子さん、施設長の五十嵐逸美さんたちスタッフの献身的な尽力で運営されてきたことを思えば、この人たちにエールをおくらないわけにいかない。
有り難いことである。
2024年04月09日
CAにパワハラ自民党参議院議員にさよなら
機内でCAにパワハラし、目に余る、常軌を逸しているとして歌手吉幾三さんにYOUTUBEで告発された自民党参議院議員がいる。
北海道選挙区選出で。言動について道の複数の幹部職員が威圧的に感じていたことをめぐり、道が調べたところ、政策などを説明するため、道の幹部4人が東京などに出張した際の費用が2023年1年間でおよそ550万円に上ったことがわかった。道はいずれも適切に業務を行ったとしている。とメディアが伝えている。
4月8日のNHKによれば、この参議院議員の言動について、北海道の聞き取り調査で政策などの説明の際に厳しいことばづかいなどがあり威圧的に感じると答えた幹部職員が複数確認され、鈴木知事は4月5日、対応を改めるよう申し入れた。
議員だからと言って、偉そうにパワハラ!それもCAさんだから女性だろう。明らかに自分より弱い立場の人間に対してだから絶対許せない。
偉そうに威張りちらす輩は選挙で落選させようではないか。
落選すればただのひと。
もう威張りちらしても誰も相手にしない。
威張りちらしている輩が大嫌いだから、自分なら間違っても選挙で投票しない。
自民党に限らず、選挙では頼んでもいないにもかかわらず、立候補し働かさせてくれとぺこぺこ頭を下げるから、その反動で当選すると役人や秘書などに威張りちらす議員が少なくない。
政治資金を集め、政治資金規正法に違反して、届け出せず、裏金化し、脱税の嫌疑までかかっている自民党安倍派の幹部で秘書に威張り散らしているから、秘書がすぐにやめることで知られている人望のない人がいる。
自民党最高幹部で頭が良くて、仕事が切れるが周囲に威張り散らすから人望が全くないと伝えられる総理候補だってパワハラで知られている。
北海道の有権者は誤解しているのではないか。
パワハラで人望がなくても、国のカネを北海道に持ってきてくれればいいと考えていたのかもわからない。
しかし、この人のためだったらと人望のある人の方がみんなのためということも考えてくれそうな気がするのである。
現に、東京に道のお役人を呼びつけて使ったカネが1年間で550万だというなら、そのカネを困っている酪農家に渡せよと言いたくなってしまう。
議員には特権がたくさんあり、乗り物はファーストクラスでグリーン車だろう。自分で北海道に来るのが筋ではないか。
本当に、道民のことを考えている議員とはとても思えない。
セクハラ、パワハラはなかなかなくならないが、もうそんなことをする時代でなくなっていることだけは間違いない。
必要以上に選挙で頭を下げる必要がない代わり、乗客の味方CAさんにまで威張り散らして反省もしないような議員にはさよならだ
北海道選挙区選出で。言動について道の複数の幹部職員が威圧的に感じていたことをめぐり、道が調べたところ、政策などを説明するため、道の幹部4人が東京などに出張した際の費用が2023年1年間でおよそ550万円に上ったことがわかった。道はいずれも適切に業務を行ったとしている。とメディアが伝えている。
4月8日のNHKによれば、この参議院議員の言動について、北海道の聞き取り調査で政策などの説明の際に厳しいことばづかいなどがあり威圧的に感じると答えた幹部職員が複数確認され、鈴木知事は4月5日、対応を改めるよう申し入れた。
議員だからと言って、偉そうにパワハラ!それもCAさんだから女性だろう。明らかに自分より弱い立場の人間に対してだから絶対許せない。
偉そうに威張りちらす輩は選挙で落選させようではないか。
落選すればただのひと。
もう威張りちらしても誰も相手にしない。
威張りちらしている輩が大嫌いだから、自分なら間違っても選挙で投票しない。
自民党に限らず、選挙では頼んでもいないにもかかわらず、立候補し働かさせてくれとぺこぺこ頭を下げるから、その反動で当選すると役人や秘書などに威張りちらす議員が少なくない。
政治資金を集め、政治資金規正法に違反して、届け出せず、裏金化し、脱税の嫌疑までかかっている自民党安倍派の幹部で秘書に威張り散らしているから、秘書がすぐにやめることで知られている人望のない人がいる。
自民党最高幹部で頭が良くて、仕事が切れるが周囲に威張り散らすから人望が全くないと伝えられる総理候補だってパワハラで知られている。
北海道の有権者は誤解しているのではないか。
パワハラで人望がなくても、国のカネを北海道に持ってきてくれればいいと考えていたのかもわからない。
しかし、この人のためだったらと人望のある人の方がみんなのためということも考えてくれそうな気がするのである。
現に、東京に道のお役人を呼びつけて使ったカネが1年間で550万だというなら、そのカネを困っている酪農家に渡せよと言いたくなってしまう。
議員には特権がたくさんあり、乗り物はファーストクラスでグリーン車だろう。自分で北海道に来るのが筋ではないか。
本当に、道民のことを考えている議員とはとても思えない。
セクハラ、パワハラはなかなかなくならないが、もうそんなことをする時代でなくなっていることだけは間違いない。
必要以上に選挙で頭を下げる必要がない代わり、乗客の味方CAさんにまで威張り散らして反省もしないような議員にはさよならだ
2024年04月05日
元患者と差別・偏見根強く ハンセン病意識調査
厚生労働省は3日、ハンセン病に関する偏見や差別の実態を把握するため、初めて実施した全国的な意識調査の報告書を公表した。とメディアが伝えている。
元患者や家族が近所に住む、同じ職場で働くことなどを質問した9項目に対し、抵抗感を示した割合が約10〜30%に上り、調査報告書をまとめた元患者家族らでつくる検討会は「ハンセン病問題に関する知識は社会に十分には浸透してなく、偏見差別は現存する」と結論付けた。
調査は2023年12月、2万4487人を対象にインターネット上で行われ、2万916人から回答を得た。と4月1日の産経のWEBが伝えている。
4月2日の読売は、ハンセン病の回復者や支援者らでつくる「ハンセン病市民学会」の徳田靖之共同代表(79)が「国は元患者の生の声に触れる機会を増やすなど、差別解消に努めてほしい」と願っていると伝えている。
3月の月に一度の映画館行きで、熊谷博子監督がハンセン病の元患者に8年間伴走したドキュメンタリー『かづゑ的』を観て激しく心を揺さぶられたことを書いたばかりである。
映画を観ると必ずガイドブックというのかプログラムを買い求めるのが自分の流儀であるから、この作品の分も手許にあるので、その中から「差別の中の差別」について紹介しておきたい。
「監督のことば」として熊谷監督が書かれたものだ。
「世の中から差別を受けているハンセン病患者の世界で、10歳で入園してすぐ、すでに重症だったかづゑさんは軽症の子どもの患者からいじめを受ける。成長してからは、幼い頃から園内で育ったかづゑさんたちは社会を知ってから入ってきた人たちから馬鹿にされ、侮蔑のことばさえ投げつけられた。悲しいが、人間がもっている、差別の本質を表すような話だ」
「救ってくれたのは、本とお母ちゃんだった。
本を読み漁り、読書に没頭している間だけは、現実の世界を忘れ、別の世界で生きることができた。死をも考えたが、来月お母ちゃんが来ると思ったら、それはできなかった。
年に二、三回来てくれたが、他の子どもの親はほとんど面会にこなかったという。」
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で沖縄を訪れた時にいつもお世話になった運転手兼ガイド氏の外間安浩さんが教えてくれたことで、書いたことがあると思うが、沖縄戦で本土の防波堤にされ、徹底的に差別されてきた琉球人。沖縄県民が奄美の人たちを差別してきたというのだ。
信頼してきたガイド氏が教えてくれたのだから真実だと思っている。
かづゑさんが差別された話を想起させるようなできごとではないか。
士農工商という身分制度があった江戸時代から幕末に徳川を倒した薩長などの人間が偉そうにさらに酷い階級社会ともいうべき、貴族制度を作り、敗戦で人間は平等であるという民主主義を米国に植え付けられて、日本を統治しやすくするために残された天皇制は別にして平等ということになった。
差別は、自民党比例選出の女の議員にみるようにアイヌや在日などへの民族差別、出身地域に関する部落差別など未だに根強く残っている。
さらに、公害病の水俣病や薬害エイズのときも、酷い差別があった。
その差別を乗り越えるには、かづゑ的に言えば、本読み、知識を得ることと家族の愛情が不可欠である。
水俣病の語り部だった杉本栄子さんは水俣病で村八分的な差別を受けたが、網元だった父親はいじめ返しのようなことはするなと言っていたということを以前書いた記憶がある。
知識を得て、特効薬「プロミン」ができて治ることを知れば、ちっとも怖い病気ではなくなるし、家族の愛情が病者を支えることになることも広く知ってもらえば、差別に立ち向かえる。
自民党比例選出の女の議員が当選できないように比例では自民党と書いてはいけないことなどから始め、差別発言ばかりするような議員を選ばないことが重要になってくる。
人の気持ちなど簡単には変えられないが、知性が身につけば、差別など恥ずかしいことだということに気づくものだ。
元患者や家族が近所に住む、同じ職場で働くことなどを質問した9項目に対し、抵抗感を示した割合が約10〜30%に上り、調査報告書をまとめた元患者家族らでつくる検討会は「ハンセン病問題に関する知識は社会に十分には浸透してなく、偏見差別は現存する」と結論付けた。
調査は2023年12月、2万4487人を対象にインターネット上で行われ、2万916人から回答を得た。と4月1日の産経のWEBが伝えている。
4月2日の読売は、ハンセン病の回復者や支援者らでつくる「ハンセン病市民学会」の徳田靖之共同代表(79)が「国は元患者の生の声に触れる機会を増やすなど、差別解消に努めてほしい」と願っていると伝えている。
3月の月に一度の映画館行きで、熊谷博子監督がハンセン病の元患者に8年間伴走したドキュメンタリー『かづゑ的』を観て激しく心を揺さぶられたことを書いたばかりである。
映画を観ると必ずガイドブックというのかプログラムを買い求めるのが自分の流儀であるから、この作品の分も手許にあるので、その中から「差別の中の差別」について紹介しておきたい。
「監督のことば」として熊谷監督が書かれたものだ。
「世の中から差別を受けているハンセン病患者の世界で、10歳で入園してすぐ、すでに重症だったかづゑさんは軽症の子どもの患者からいじめを受ける。成長してからは、幼い頃から園内で育ったかづゑさんたちは社会を知ってから入ってきた人たちから馬鹿にされ、侮蔑のことばさえ投げつけられた。悲しいが、人間がもっている、差別の本質を表すような話だ」
「救ってくれたのは、本とお母ちゃんだった。
本を読み漁り、読書に没頭している間だけは、現実の世界を忘れ、別の世界で生きることができた。死をも考えたが、来月お母ちゃんが来ると思ったら、それはできなかった。
年に二、三回来てくれたが、他の子どもの親はほとんど面会にこなかったという。」
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で沖縄を訪れた時にいつもお世話になった運転手兼ガイド氏の外間安浩さんが教えてくれたことで、書いたことがあると思うが、沖縄戦で本土の防波堤にされ、徹底的に差別されてきた琉球人。沖縄県民が奄美の人たちを差別してきたというのだ。
信頼してきたガイド氏が教えてくれたのだから真実だと思っている。
かづゑさんが差別された話を想起させるようなできごとではないか。
士農工商という身分制度があった江戸時代から幕末に徳川を倒した薩長などの人間が偉そうにさらに酷い階級社会ともいうべき、貴族制度を作り、敗戦で人間は平等であるという民主主義を米国に植え付けられて、日本を統治しやすくするために残された天皇制は別にして平等ということになった。
差別は、自民党比例選出の女の議員にみるようにアイヌや在日などへの民族差別、出身地域に関する部落差別など未だに根強く残っている。
さらに、公害病の水俣病や薬害エイズのときも、酷い差別があった。
その差別を乗り越えるには、かづゑ的に言えば、本読み、知識を得ることと家族の愛情が不可欠である。
水俣病の語り部だった杉本栄子さんは水俣病で村八分的な差別を受けたが、網元だった父親はいじめ返しのようなことはするなと言っていたということを以前書いた記憶がある。
知識を得て、特効薬「プロミン」ができて治ることを知れば、ちっとも怖い病気ではなくなるし、家族の愛情が病者を支えることになることも広く知ってもらえば、差別に立ち向かえる。
自民党比例選出の女の議員が当選できないように比例では自民党と書いてはいけないことなどから始め、差別発言ばかりするような議員を選ばないことが重要になってくる。
人の気持ちなど簡単には変えられないが、知性が身につけば、差別など恥ずかしいことだということに気づくものだ。
2024年04月02日
維新独裁の本性表す 万博私物化し、批判勢力言論封殺
「『何様だよ』吉村知事 大阪万博“玉川徹は出禁”発言で『万博の私物化』と大炎上」というタイトルで「女性自身」が4月1日WEBで批判が殺到していると伝えている。
2025年に開催される「大阪・関西万博」のシンボルとして建設中の“木造リング”を巡り、大阪府の吉村洋文知事(48)が、リングに批判的なコメントをしているとして元テレビ朝日社員の玉川徹氏(61)を“出禁”にすると発言し、批判が殺到している。
問題の発言は、3月23日に大阪府茨木市で開催された「維新タウンミーティング」でのもの。建設費が約350億円もかかることから批判も多い“木造リング”への批判に対してのもの。
「米山議員『玉川は万博出禁』発言の大阪・吉村知事に撤回と謝罪を要求 “冗談”でない『言論封殺』と危惧」というタイトルでWEBのよろずニュースで立憲民主党米山隆一衆議院議員が維新の独裁体制を危惧し、言論弾圧を許さないということで発言の撤回と謝罪を要求していることを伝えている。
毎日、発信しているのは「自由のため」である。
当然、日本国憲法に保障されている表現の自由、言論の自由は、まず、譲れない。
その自由を弾圧する勢力が政治の世界では維新ではないかと見ていた。
自分のカネでやっているわけでもない万博に対し、玉川徹さんに批判されたからと言って、偉そうに出入り禁止だと発言し、知事ではなく政治家として発言したから問題ないと言っているらしい。
自民党で差別発言のジャブを繰り出し、世間をお騒がせしている女の議員ももともと維新だった。
自らは政治資金の会計責任者に父親から名義借りし、安部派の裏金脱税事件にも関与し、きちんとしたことをやっていないと「一月万冊」で厳しく糾弾されていたくせにである。
結党時の橋下さんはされに独裁色が強くて、れいわ新選組の大石晃子さんに批判されると「名誉毀損」だと裁判に訴えて、敗れている。
自由民主党というくらいだから、自民党には自由が大事だという勢力がいる一方で、保守派というのか、統制があるのは当たり前だという勢力もいる。
批判したからと言って、維新の知事みたいなことは言わない人がほとんどだ。
コロナ禍で自粛警察なる言葉を耳にしたことがあるが、他者に寛容でない社会ほど住みにくいものはない。
語り継ぐ戦争だから、敗戦から79年の2024年になると、どんどん所謂右傾化というか、戦争への道を進んでいるようにしか思えない。
考えてみれば、戦前、戦中の不自由な生活は、表現の自由、言論の自由を弾圧されたからではないか。
住みよい世の中は、寛容な社会にこそ生まれるものだ。
寛恕という言葉もある、宥恕という言葉もある。
自由を弾圧する勢力が伸長しないようにしないとだめだ。
れいわ新選組の山本太郎代表は街頭などでの集会、演説で、自分を批判する人にマイクを渡し、言論の自由を守るかのように発言する機会を与えている。
維新とれいわは全く異なる勢力だ。
自由が守られるれいわ新選組を自分が応援する所以である。
2025年に開催される「大阪・関西万博」のシンボルとして建設中の“木造リング”を巡り、大阪府の吉村洋文知事(48)が、リングに批判的なコメントをしているとして元テレビ朝日社員の玉川徹氏(61)を“出禁”にすると発言し、批判が殺到している。
問題の発言は、3月23日に大阪府茨木市で開催された「維新タウンミーティング」でのもの。建設費が約350億円もかかることから批判も多い“木造リング”への批判に対してのもの。
「米山議員『玉川は万博出禁』発言の大阪・吉村知事に撤回と謝罪を要求 “冗談”でない『言論封殺』と危惧」というタイトルでWEBのよろずニュースで立憲民主党米山隆一衆議院議員が維新の独裁体制を危惧し、言論弾圧を許さないということで発言の撤回と謝罪を要求していることを伝えている。
毎日、発信しているのは「自由のため」である。
当然、日本国憲法に保障されている表現の自由、言論の自由は、まず、譲れない。
その自由を弾圧する勢力が政治の世界では維新ではないかと見ていた。
自分のカネでやっているわけでもない万博に対し、玉川徹さんに批判されたからと言って、偉そうに出入り禁止だと発言し、知事ではなく政治家として発言したから問題ないと言っているらしい。
自民党で差別発言のジャブを繰り出し、世間をお騒がせしている女の議員ももともと維新だった。
自らは政治資金の会計責任者に父親から名義借りし、安部派の裏金脱税事件にも関与し、きちんとしたことをやっていないと「一月万冊」で厳しく糾弾されていたくせにである。
結党時の橋下さんはされに独裁色が強くて、れいわ新選組の大石晃子さんに批判されると「名誉毀損」だと裁判に訴えて、敗れている。
自由民主党というくらいだから、自民党には自由が大事だという勢力がいる一方で、保守派というのか、統制があるのは当たり前だという勢力もいる。
批判したからと言って、維新の知事みたいなことは言わない人がほとんどだ。
コロナ禍で自粛警察なる言葉を耳にしたことがあるが、他者に寛容でない社会ほど住みにくいものはない。
語り継ぐ戦争だから、敗戦から79年の2024年になると、どんどん所謂右傾化というか、戦争への道を進んでいるようにしか思えない。
考えてみれば、戦前、戦中の不自由な生活は、表現の自由、言論の自由を弾圧されたからではないか。
住みよい世の中は、寛容な社会にこそ生まれるものだ。
寛恕という言葉もある、宥恕という言葉もある。
自由を弾圧する勢力が伸長しないようにしないとだめだ。
れいわ新選組の山本太郎代表は街頭などでの集会、演説で、自分を批判する人にマイクを渡し、言論の自由を守るかのように発言する機会を与えている。
維新とれいわは全く異なる勢力だ。
自由が守られるれいわ新選組を自分が応援する所以である。
2024年03月30日
有事になっても助けてくれない米国、食の供給・安全は
「日本に犠牲が出てもいまの段階で北朝鮮を叩くべき」…有事になっても助けてくれないアメリカの「正体」というタイトルで3月29日の現代ビジネスWEBが興味深かった。
日本低迷の元凶「ザイム真理教」と国民のための食の供給・安全を無視して暴走する現在社会の病根を暴いた経済アナリストの森永卓郎氏と東京大学大学院教授の鈴木宣弘氏との対談書『国民は知らない「食料危機」と「財務省」の不適切な関係』(講談社+α新書)が反響を呼んでいる。同書から一部を抜粋・再編集してお届けする。というのがリード文である。
要約すると、日本との戦争に勝利し、広大な面積の基地に米軍を配備しているのは米国本土を守る防波堤にするためで、日米安保があるから有事には米国が日本を守るというのは幻想にしか過ぎないということ。
米国は身勝手な国で、米国の農産物を生産するために1兆円もの補助金を出していて、貿易では自由貿易を主張し、関税の撤廃を求めてくるのはグローバル企業のためだ。
有事になれば、日本への輸出は間違いなくストップされる。
食の安全を考えたら、農薬や防腐剤などの使われた輸入農産物ではなく、生産者の顔がわかり、生産地がわかるものを地産地消することで食の安全が確保でき、自給率を高め、グローバル企業にも対抗できる。
日本の農家は補助金で潤っていると考える人がいるが間違っている。
米国やスイスを見れば、農家への補助金は日本とは較べものにならないほど高額である。
森卓さんこと森永卓郎さんが病気で闘病中だと耳にするが、経済アナリスト、経済評論家数ある中で、わかりやすく経済を語ってくれる第一人者で、しかも、市民の味方であることから、何とか、病気に打ち克ち元気を取り戻してもらいたいと願っている。
東京大学大学院教授の鈴木宣弘さんのことは詳しいことは知らないが、森卓さんとの話を聴けば、すぐにまともな学者だということがわかる。
語り継ぐ戦争で、戦争のことを勉強するうちに、いつの間にか、明らかに反米という考え方になってしまった。
アジア太平洋戦争に敗れてから、79年の年だから、いくらなんでも、もう独立国家として、米国の言うことに何ひとつ逆らえないという奴隷のような立場を見直し、対等なバートナーになるようにするべきだ。
米国が日本を有事の際守らないことくらい、語り継ぐ戦争だから十分すぎるくらいわかっていた。
自分のような無名の人間がいくら発信しても影響力はゼロであるが、著名な森卓さんなら、人々は聞き耳を持つ。
原爆を二つも落とされて、米国と仲良くできるわけがない。
まして、次の大統領選挙で自分勝手の権化であるトランプが勝ったら、日本に対し、駐留経費を増額しろと要求してくることはまちがいない。
森卓さんと鈴木宣弘さんはこの点よく米国の正体を見抜いていて、著名人で自分の考えと同じ人がいると心強い。
食料安保ということが叫ばれて久しい。
食料自給率を高め、日米地位協定の不平等を改め、米国頼みという政治を変えることが求められている。
日本低迷の元凶「ザイム真理教」と国民のための食の供給・安全を無視して暴走する現在社会の病根を暴いた経済アナリストの森永卓郎氏と東京大学大学院教授の鈴木宣弘氏との対談書『国民は知らない「食料危機」と「財務省」の不適切な関係』(講談社+α新書)が反響を呼んでいる。同書から一部を抜粋・再編集してお届けする。というのがリード文である。
要約すると、日本との戦争に勝利し、広大な面積の基地に米軍を配備しているのは米国本土を守る防波堤にするためで、日米安保があるから有事には米国が日本を守るというのは幻想にしか過ぎないということ。
米国は身勝手な国で、米国の農産物を生産するために1兆円もの補助金を出していて、貿易では自由貿易を主張し、関税の撤廃を求めてくるのはグローバル企業のためだ。
有事になれば、日本への輸出は間違いなくストップされる。
食の安全を考えたら、農薬や防腐剤などの使われた輸入農産物ではなく、生産者の顔がわかり、生産地がわかるものを地産地消することで食の安全が確保でき、自給率を高め、グローバル企業にも対抗できる。
日本の農家は補助金で潤っていると考える人がいるが間違っている。
米国やスイスを見れば、農家への補助金は日本とは較べものにならないほど高額である。
森卓さんこと森永卓郎さんが病気で闘病中だと耳にするが、経済アナリスト、経済評論家数ある中で、わかりやすく経済を語ってくれる第一人者で、しかも、市民の味方であることから、何とか、病気に打ち克ち元気を取り戻してもらいたいと願っている。
東京大学大学院教授の鈴木宣弘さんのことは詳しいことは知らないが、森卓さんとの話を聴けば、すぐにまともな学者だということがわかる。
語り継ぐ戦争で、戦争のことを勉強するうちに、いつの間にか、明らかに反米という考え方になってしまった。
アジア太平洋戦争に敗れてから、79年の年だから、いくらなんでも、もう独立国家として、米国の言うことに何ひとつ逆らえないという奴隷のような立場を見直し、対等なバートナーになるようにするべきだ。
米国が日本を有事の際守らないことくらい、語り継ぐ戦争だから十分すぎるくらいわかっていた。
自分のような無名の人間がいくら発信しても影響力はゼロであるが、著名な森卓さんなら、人々は聞き耳を持つ。
原爆を二つも落とされて、米国と仲良くできるわけがない。
まして、次の大統領選挙で自分勝手の権化であるトランプが勝ったら、日本に対し、駐留経費を増額しろと要求してくることはまちがいない。
森卓さんと鈴木宣弘さんはこの点よく米国の正体を見抜いていて、著名人で自分の考えと同じ人がいると心強い。
食料安保ということが叫ばれて久しい。
食料自給率を高め、日米地位協定の不平等を改め、米国頼みという政治を変えることが求められている。
2024年03月29日
トイレに困っている能登地震被災地
岸田文雄首相は25日の参院予算委員会で、れいわ新選組の山本太郎代表から夜間トイレ″sく頻度を問われた。
山本氏は質疑の冒頭で「テレビをご覧のみなさん、夜寝てから朝起きるまでの間にトイレには行きますか。私は2回行きます。家系的に頻尿なんですね。総理はいかがでしょうか」と聞いた。岸田首相は苦笑いを浮かべつつ「私自身は行かない日がほとんどであります」と明かした。と3月25日の東京スポーツのWEBが伝えている。
これを受けて山本氏は「うらやましい限りです」と述べた上で「毎日の生活の中で最も欠かせないのがトイレです。この問題は被災地でも起きています」と能登半島地震の被災地をめぐるトイレ事情の質問を行った。
「人々の住む集落、宅地がある地域などでは、仮設トイレはもう見かけないんですね。例えば在宅避難だったとしても、わざわざ15分歩いて避難所のトイレを借りに行く人がいる」とした上で、携帯用トイレ、災害用トイレ支援の強化を求めた。
毎日、発信していて国会質問を取り上げた記憶はないが、流石われらの味方れいわ新選組の山本太郎代表だと感心しながらYOUTUBEで確認した、
今、自分にとって一番の悩みはトイレである。
だから、能登地震の被災地でも困っていることの一番はトイレだろうとすぐにピンとくるのだ。
岸田総理は60代後半ではあるが、団塊の世代の自分より若いから、夜寝てから朝までトイレに行かなくて済むらしい。聞くところによれば、広島県人で酒が強いらしいので、晩酌をしてよく眠れるからかもしれない。
古希を過ぎてから、夜寝てから、2〜3回トイレで目が覚めるし、腎臓の検査値が良くないので、主治医の先生から水分をたくさん摂るように指示されていることと、炎症性腸疾患クローン病と加齢で、でなければ困るものが出にくくなっているために水分をたくさん摂っていることもあってトイレが近くなってしまったのである。
ちなみに、牛乳1パック以上にプラスして飲む水分量は毎日、2gくらいにはなるだろう。
一番困るのは出かけるときで、汗をかかない時季はトイレの所在を確認しなければ出かけられないくらいなのだ。
能登地方には旅行で行きたいと思っていたが、コロナ禍で4年間どこにも出かけられなくなってしまったことから、これからも行かれるかどうかわからない。
というわけで、能登のことを調べたことがないので、詳しいことは何も知らなかったが、驚いたのは水道の復旧が遅れていることと、トイレの問題である。
間に合わないときは裏山で済ませるというようなことを耳にしたが、55年くらい前のこと、富士五湖の一つ本栖湖に男4人でテントを持ちキャンプした時のことを思い出した。
キャンプ場ではないが、個人の別荘らしき建物を見つけ、その近くにテントを張ったためトイレがなかった。
水は山からの湧水を使っていた別荘の主から分けてもらったが、トイレはそれこそ湖水の反対側のがけ地の所をスコップで掘って用を足した。
現在なら許されないことだが、半世紀も前のことだから、山の肥料になっていて、すでに時効であろう。
誰しもが毎日、何回となく必ずお世話になる場所、トイレが使えなかったら住むことはできない。
災害時は災害用移動式トイレ、災害用トイレトレーラーなど米国から役にも立たないトマホークを買わされるくらいなら用意できるはずだ。
車が入れないなら、災害用携帯トイレなどもっと支援すべきだ。
『かづゑ的』を観たことを書いたが、10歳でハンセン病を発症し、施設に入所すること80年余のかづゑさんは
「できるんよ、やろうと思えば」とやる気が大事だと教えてくれた。
能登地震でもそうだが、県知事や県庁の役人は大臣や国の役人に何も言えない。
山本太郎代表は、被災者に寄り添い、国会質問でこのことを取り上げ、県知事や県の職員が報告している状況より、現地の被災者は困っている実情を被災者に代わって国会で訴え質問している。
れいわ新選組は国会での数が少ないので、質問時間も少ない。
被災者に寄り添うれいわ新選組の山本太郎代表が、市民のためになる質問をする時間を増やすためにも、次の総選挙では全国の心ある有権者はれいわ新選組に投票することを考えるべきだ。
山本氏は質疑の冒頭で「テレビをご覧のみなさん、夜寝てから朝起きるまでの間にトイレには行きますか。私は2回行きます。家系的に頻尿なんですね。総理はいかがでしょうか」と聞いた。岸田首相は苦笑いを浮かべつつ「私自身は行かない日がほとんどであります」と明かした。と3月25日の東京スポーツのWEBが伝えている。
これを受けて山本氏は「うらやましい限りです」と述べた上で「毎日の生活の中で最も欠かせないのがトイレです。この問題は被災地でも起きています」と能登半島地震の被災地をめぐるトイレ事情の質問を行った。
「人々の住む集落、宅地がある地域などでは、仮設トイレはもう見かけないんですね。例えば在宅避難だったとしても、わざわざ15分歩いて避難所のトイレを借りに行く人がいる」とした上で、携帯用トイレ、災害用トイレ支援の強化を求めた。
毎日、発信していて国会質問を取り上げた記憶はないが、流石われらの味方れいわ新選組の山本太郎代表だと感心しながらYOUTUBEで確認した、
今、自分にとって一番の悩みはトイレである。
だから、能登地震の被災地でも困っていることの一番はトイレだろうとすぐにピンとくるのだ。
岸田総理は60代後半ではあるが、団塊の世代の自分より若いから、夜寝てから朝までトイレに行かなくて済むらしい。聞くところによれば、広島県人で酒が強いらしいので、晩酌をしてよく眠れるからかもしれない。
古希を過ぎてから、夜寝てから、2〜3回トイレで目が覚めるし、腎臓の検査値が良くないので、主治医の先生から水分をたくさん摂るように指示されていることと、炎症性腸疾患クローン病と加齢で、でなければ困るものが出にくくなっているために水分をたくさん摂っていることもあってトイレが近くなってしまったのである。
ちなみに、牛乳1パック以上にプラスして飲む水分量は毎日、2gくらいにはなるだろう。
一番困るのは出かけるときで、汗をかかない時季はトイレの所在を確認しなければ出かけられないくらいなのだ。
能登地方には旅行で行きたいと思っていたが、コロナ禍で4年間どこにも出かけられなくなってしまったことから、これからも行かれるかどうかわからない。
というわけで、能登のことを調べたことがないので、詳しいことは何も知らなかったが、驚いたのは水道の復旧が遅れていることと、トイレの問題である。
間に合わないときは裏山で済ませるというようなことを耳にしたが、55年くらい前のこと、富士五湖の一つ本栖湖に男4人でテントを持ちキャンプした時のことを思い出した。
キャンプ場ではないが、個人の別荘らしき建物を見つけ、その近くにテントを張ったためトイレがなかった。
水は山からの湧水を使っていた別荘の主から分けてもらったが、トイレはそれこそ湖水の反対側のがけ地の所をスコップで掘って用を足した。
現在なら許されないことだが、半世紀も前のことだから、山の肥料になっていて、すでに時効であろう。
誰しもが毎日、何回となく必ずお世話になる場所、トイレが使えなかったら住むことはできない。
災害時は災害用移動式トイレ、災害用トイレトレーラーなど米国から役にも立たないトマホークを買わされるくらいなら用意できるはずだ。
車が入れないなら、災害用携帯トイレなどもっと支援すべきだ。
『かづゑ的』を観たことを書いたが、10歳でハンセン病を発症し、施設に入所すること80年余のかづゑさんは
「できるんよ、やろうと思えば」とやる気が大事だと教えてくれた。
能登地震でもそうだが、県知事や県庁の役人は大臣や国の役人に何も言えない。
山本太郎代表は、被災者に寄り添い、国会質問でこのことを取り上げ、県知事や県の職員が報告している状況より、現地の被災者は困っている実情を被災者に代わって国会で訴え質問している。
れいわ新選組は国会での数が少ないので、質問時間も少ない。
被災者に寄り添うれいわ新選組の山本太郎代表が、市民のためになる質問をする時間を増やすためにも、次の総選挙では全国の心ある有権者はれいわ新選組に投票することを考えるべきだ。
2024年03月24日
『かづゑ的』
月に一度の映画館行き、3月は東京東中野で熊谷博子監督『かづゑ的』を観てきた。
コロナ禍が始まった2020年から出かけられなかった東中野の映画館に実に4年ぶりに行ったことになる。
瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所「長島愛生園」に10歳で入所してから約80年という宮崎かづゑさんの人生に8年間寄り添った熊谷博子監督のドキュメンタリー作品である。
「長島愛生園」といえば、どこかで耳にしたことがあると思ったら、小川正子『小島の春』(長崎書店)1939(昭和14)年改版第12刷がわが家にあったことから、若い頃途中まで読んだが残念ながら挫折した時、記憶された国立ハンセン病療養所のことだった。
施設内でいじめに遭い、死のうと思ったこともあったというが、訪ねてくる母親のことを思って耐え、読書することで別の人生を知り、乗り越えてきた。
軽症だっ夫の孝行さんと施設で出会い結婚。二人で支え合って生きてきた。
病気の影響で手の指や足を切断、視力も極度に低下しているが、助けを借りながら、買い物や料理など自分で取り組み、78歳でパソコンを覚え、文章を書くことにチャレンジし、84歳で『長い道』(みすず書房)を出版する。
ハンセン病と言い換えられているが、らいでも構わないと言うかづゑさんは「できるんよ、やろうと思えば」と差別にも病気に負けていないのだ。
印象的なシーンは母親が眠るご先祖の墓にお参りし、墓石を抱きしめるときと、先年亡くなった夫の遺骨が納められた納骨堂にお参りした時、骨壺を抱きしめた時は、涙が流れてしまった。
東京東村山市にある国立ハンセン病療養所多磨全生園を訪れたのは2016年6月のことだった。
納骨堂前で経を読む代わりに尺八を吹いたが、納骨堂の前というのは慰霊碑とは異なり、例が宿るというか、とても一人では行かれない場所である。
多磨全生園を訪れていたので、長島愛生園も身近に感じられた。
樹木は多いが街の景色に溶け込んでいる多磨全生園と海に面し、小豆島が見える風光明媚な長島愛生園とでは趣が異なっているだろうが、療養所ということでは同じだからだ。
『典子は今』で知られるサリドマイドの辻典子さんや日本刀で腕を切り落とされた大石順教尼、そして、かづゑさんと自分の置かれた立場を受容というか、そこから生き抜いていく姿にはただ恐れ入る。
意気地なしの自分にはない強さには感心するばかりだった。
患者を支えているスタッフの皆さんの活動にも頭が下がる思いで観ていた。
「生きる」「家族」を描いた作品を好んで観ているが、まさに生きることと、夫婦の愛というものを考えるときの参考になる優れた映画だった。
観ていない人にぜひ、お薦めしたい。
コロナ禍が始まった2020年から出かけられなかった東中野の映画館に実に4年ぶりに行ったことになる。
瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所「長島愛生園」に10歳で入所してから約80年という宮崎かづゑさんの人生に8年間寄り添った熊谷博子監督のドキュメンタリー作品である。
「長島愛生園」といえば、どこかで耳にしたことがあると思ったら、小川正子『小島の春』(長崎書店)1939(昭和14)年改版第12刷がわが家にあったことから、若い頃途中まで読んだが残念ながら挫折した時、記憶された国立ハンセン病療養所のことだった。
施設内でいじめに遭い、死のうと思ったこともあったというが、訪ねてくる母親のことを思って耐え、読書することで別の人生を知り、乗り越えてきた。
軽症だっ夫の孝行さんと施設で出会い結婚。二人で支え合って生きてきた。
病気の影響で手の指や足を切断、視力も極度に低下しているが、助けを借りながら、買い物や料理など自分で取り組み、78歳でパソコンを覚え、文章を書くことにチャレンジし、84歳で『長い道』(みすず書房)を出版する。
ハンセン病と言い換えられているが、らいでも構わないと言うかづゑさんは「できるんよ、やろうと思えば」と差別にも病気に負けていないのだ。
印象的なシーンは母親が眠るご先祖の墓にお参りし、墓石を抱きしめるときと、先年亡くなった夫の遺骨が納められた納骨堂にお参りした時、骨壺を抱きしめた時は、涙が流れてしまった。
東京東村山市にある国立ハンセン病療養所多磨全生園を訪れたのは2016年6月のことだった。
納骨堂前で経を読む代わりに尺八を吹いたが、納骨堂の前というのは慰霊碑とは異なり、例が宿るというか、とても一人では行かれない場所である。
多磨全生園を訪れていたので、長島愛生園も身近に感じられた。
樹木は多いが街の景色に溶け込んでいる多磨全生園と海に面し、小豆島が見える風光明媚な長島愛生園とでは趣が異なっているだろうが、療養所ということでは同じだからだ。
『典子は今』で知られるサリドマイドの辻典子さんや日本刀で腕を切り落とされた大石順教尼、そして、かづゑさんと自分の置かれた立場を受容というか、そこから生き抜いていく姿にはただ恐れ入る。
意気地なしの自分にはない強さには感心するばかりだった。
患者を支えているスタッフの皆さんの活動にも頭が下がる思いで観ていた。
「生きる」「家族」を描いた作品を好んで観ているが、まさに生きることと、夫婦の愛というものを考えるときの参考になる優れた映画だった。
観ていない人にぜひ、お薦めしたい。
2024年03月04日
「世界の勇気ある女性賞」に五ノ井里奈さん
アメリカ国務省は1日、人権擁護や女性の地位向上などに貢献した人を表彰することしの「世界の勇気ある女性賞」を発表し、12人が選ばれ、日本からはみずからの性被害を訴え、自衛隊の改革にもつなげたとして、元陸上自衛官の五ノ井里奈さんが選ばれたとメディアが伝えている。
3月2日のNHKによれば、アメリカ国務省は受賞理由について、「自衛隊での性被害を訴え、日本社会ではタブー視されている問題に光を当てた。彼女の勇気は被害を受けたことのある無数の人たちに、もはや沈黙の中で苦しむことなく、みずからの経験を名乗り出ることを後押しした」と評価している。
3月2日の読売によれば、15年には妊娠や出産を理由にした職場の嫌がらせ「マタニティー・ハラスメント」(マタハラ)に悩む女性への支援活動を評価された小酒部さやかさんが受賞している。
五ノ井さんの告発は社会に影響を与えたと各地で評価されており、これまで米誌タイムの「次世代の100人」や英BBCの「女性100人」にも選ばれた。
五ノ井さんは2011年3月11日の東日本大震災で被災した人々を救援する自衛隊員の活躍を見て、自衛官になったと伝えられている。
その憧れの職場である自衛隊で性被害に遭うとは信じられないことだったに違いない。
しかし、五ノ井さんが凡人とは異なっていたのは性被害を泣き寝入りせず、後輩たちのためにもと勇気を振り絞って実名で告発したことである。
セクハラなどは日常茶飯事として行われてきたであろう自衛隊のような組織では性被害を告発することは現実には上から圧力がかかり耐えられるものではないはずだ。
自衛隊にいたわけではないにもかかわらず、セクハラが日常茶飯事として行われてきたであろうと断定できるのは若い男たちが性欲のはけ口に困っているはずだからだ。
自衛隊に限らず、若い男たちの集団生活する場の近くにははけ口となるような施設が必要なことは語り継ぐ戦争だからよく理解しているつもりだ。
アジア太平洋戦争で勝利した米軍は進駐軍の主力として日本にやってきてどれ程多数の女性に性暴力をしたことか。
2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻侵略でウクライナの女性がロシアの兵隊にどれほど性暴力を受けたことか。
敗戦後の日本では、進駐軍のために国策でRAAという売春施設を作ったのは、米兵に日本女性が性暴力を受けることがわかっていたため、少しでも被害者を減らそうとする苦肉の策だった。
梅毒の感染があまりにも多かったので、ペニシリンなどの治療薬があった米国から取り寄せても間に合わないくらい盛況だった。
語り継ぐ戦争だから、1945年8月9日未明、っソ連軍が満州や朝鮮半島や樺太に侵攻侵略してきて、満蒙開拓団などの女性たちが滅茶苦茶に性暴力を受けたことは何回も書いている。
男たちの性欲のはけ口を作らないから性暴力が起きることはわかりきったことではないか。
語り継ぐ戦争ではあるが、自由主義者であるから、人身売買には絶対反対の立場である。しかし、自らの意志で生きるため、生活のために商売をするのは自由だから、その人たちに自衛隊の基地の近くで仕事をしてもらえばいいのである。性感染症には定期検査と治療が欠かせないことは言を俟たない。
性暴力を無くすために提言を書いたが、五ノ井さんの勇気ある告発が性暴力に泣き寝入りしていた女性たちが告発するために背中を押したことは間違いない。
一人の女性の勇気が閉鎖的な日本の社会を明らかに変えたことは政府から表彰されて当然だが、日本の自民党政権を支えている自民党には差別発言を繰り返す女性がいて、米国の国務省から表彰されるとのことで、やはり、性暴力に関しての告発も米国の方が進歩的であった。
ホワイトハウスで表彰されるとも伝えられているので、メディアも大きく取り上げ、日本社会が変わりつつあることを発信してもらいたい。
3月2日のNHKによれば、アメリカ国務省は受賞理由について、「自衛隊での性被害を訴え、日本社会ではタブー視されている問題に光を当てた。彼女の勇気は被害を受けたことのある無数の人たちに、もはや沈黙の中で苦しむことなく、みずからの経験を名乗り出ることを後押しした」と評価している。
3月2日の読売によれば、15年には妊娠や出産を理由にした職場の嫌がらせ「マタニティー・ハラスメント」(マタハラ)に悩む女性への支援活動を評価された小酒部さやかさんが受賞している。
五ノ井さんの告発は社会に影響を与えたと各地で評価されており、これまで米誌タイムの「次世代の100人」や英BBCの「女性100人」にも選ばれた。
五ノ井さんは2011年3月11日の東日本大震災で被災した人々を救援する自衛隊員の活躍を見て、自衛官になったと伝えられている。
その憧れの職場である自衛隊で性被害に遭うとは信じられないことだったに違いない。
しかし、五ノ井さんが凡人とは異なっていたのは性被害を泣き寝入りせず、後輩たちのためにもと勇気を振り絞って実名で告発したことである。
セクハラなどは日常茶飯事として行われてきたであろう自衛隊のような組織では性被害を告発することは現実には上から圧力がかかり耐えられるものではないはずだ。
自衛隊にいたわけではないにもかかわらず、セクハラが日常茶飯事として行われてきたであろうと断定できるのは若い男たちが性欲のはけ口に困っているはずだからだ。
自衛隊に限らず、若い男たちの集団生活する場の近くにははけ口となるような施設が必要なことは語り継ぐ戦争だからよく理解しているつもりだ。
アジア太平洋戦争で勝利した米軍は進駐軍の主力として日本にやってきてどれ程多数の女性に性暴力をしたことか。
2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻侵略でウクライナの女性がロシアの兵隊にどれほど性暴力を受けたことか。
敗戦後の日本では、進駐軍のために国策でRAAという売春施設を作ったのは、米兵に日本女性が性暴力を受けることがわかっていたため、少しでも被害者を減らそうとする苦肉の策だった。
梅毒の感染があまりにも多かったので、ペニシリンなどの治療薬があった米国から取り寄せても間に合わないくらい盛況だった。
語り継ぐ戦争だから、1945年8月9日未明、っソ連軍が満州や朝鮮半島や樺太に侵攻侵略してきて、満蒙開拓団などの女性たちが滅茶苦茶に性暴力を受けたことは何回も書いている。
男たちの性欲のはけ口を作らないから性暴力が起きることはわかりきったことではないか。
語り継ぐ戦争ではあるが、自由主義者であるから、人身売買には絶対反対の立場である。しかし、自らの意志で生きるため、生活のために商売をするのは自由だから、その人たちに自衛隊の基地の近くで仕事をしてもらえばいいのである。性感染症には定期検査と治療が欠かせないことは言を俟たない。
性暴力を無くすために提言を書いたが、五ノ井さんの勇気ある告発が性暴力に泣き寝入りしていた女性たちが告発するために背中を押したことは間違いない。
一人の女性の勇気が閉鎖的な日本の社会を明らかに変えたことは政府から表彰されて当然だが、日本の自民党政権を支えている自民党には差別発言を繰り返す女性がいて、米国の国務省から表彰されるとのことで、やはり、性暴力に関しての告発も米国の方が進歩的であった。
ホワイトハウスで表彰されるとも伝えられているので、メディアも大きく取り上げ、日本社会が変わりつつあることを発信してもらいたい。
2024年02月28日
『わたしのかあさん―天使の詩―』
「晴耕雨読」という暮らしに憧れ、生活力のあった連れ合いを頼りに50代半ばを前に退職し、月に一度は映画を観ることも自分に課してきたが、コロナ禍で20年から23年は映画館に行くことも減ってしまった。
それでも、23年くらいからは少しは観ることができるようになり、24年になって、復活しつつあることが嬉しい。
復活しつつある途上で、読売が紹介していた山田火砂子監督、寺島しのぶ、常盤貴子主演『わたしのかあさん―天使の詩―』を観ているので書いておきたい。
障がい者施設の施設長の許に施設への入園を求める母親が施設長の親友に連れられてやってくる。
両親が知的障がい者であることから福祉の道に進んできた施設長の過去が明かされるのだ。
知的障がい者の両親を持つ小学生の娘は、勉学優秀で母親が漢字が読めないことから、ほかの子どもの母親と様子が異なっていることに気づき、恥ずかしさから嫌悪感を抱いてしまう。
しかし、祖母や親友の父親の医師から、母親も父親も知的障がい者であっても親としては愛情が豊かで、人間としても善意の塊のような申し分ない女性であることを諭され、母親を見直すのだ。
絵を描くことに才能があったかして、母親がコンクールで表彰されたことを契機に娘は団地住まいの部屋で子どもたちに読み聞かせ、母親は絵の教室を開く。
ところが、世は無常で母親は若くして亡くなってしまうのだった。
奨学金で学校を卒業した娘は福祉の道に進み、自分の進路に大きな影響を与えた母親のことを本に書くことを勧められ、母親との思い出を書き綴るのだった。
自民党比例選出の女の議員がLGBTやアイヌ、朝鮮半島の民族、そして性暴力被害者などへの差別発言を繰り返し、何らお咎めもなく、注意もしない自民党は差別を容認しているのかと厳しく糾弾してきた。
一方、れいわ新選組の山本太郎代表は国会に重度の障がい者を押し上げ、障がい者福祉に政治がもっと力を入れるべく政治活動をしてきた。
障がい者団体と関係者の有権者は選挙でどちらを選択すべきかもう答えはでている。
山田火砂子監督作品は福祉の関係者には必見であり、関係者でなくとも福祉に関わったことがある自分にとっても、大変勉強になる。
映画で描かれた母親は日本脳炎、父親は確か事故だったかで頭を打ったことが原因で知的障がい者になったということで、障がい者は誰がいつなるかわからないことを取り上げ、差別をしてはならないことを山田火砂子監督はさりげなく訴えていた。
映画では21世紀のヒトラー+スターリンこと悪魔殺人鬼のプーチンがウクライナに侵攻、侵略し、戦況が不利になれば、核兵器のボタンを押すのではないかということも取り上げていた。
語り継ぐ戦争の立場からみれば、トランプが邪魔して米国の支援が滞り、劣勢に立たされているウクライナの将兵が戦死、あるいは障がい者になっている人が多数出ていることを考えれば、奪われた国土を奪還できなくともそろそろ停戦にもっていかないとさらに犠牲者が増えてしまう。
病気や事故、戦争で障がい者になる人のことを考えれば、健常者との差なんて紙一重である。
京都に行ったとき大石順教尼の仏光院に行き、お参りしてきたことがある。
そう、大阪で芸妓をしていたとき、日本刀で両腕を切り落とされ障がい者になるも、口で筆を動かし絵を描いたことで知られた女性である。
障がい者となった人には大石さんのような先駆者的女性もいたのである。
映画を一人でも多くの人が観て、障がい者と健常者は紙一重であり、差別をしてはならないということが社会に広まることを期待したい。
最後に、映画ファンとしては、寺島しのぶは相変わらず上手くて、渡辺いっけいも上手くて参った。
大好きな高島礼子が出演していたのはファンとしては大いに喜んでいる。
それでも、23年くらいからは少しは観ることができるようになり、24年になって、復活しつつあることが嬉しい。
復活しつつある途上で、読売が紹介していた山田火砂子監督、寺島しのぶ、常盤貴子主演『わたしのかあさん―天使の詩―』を観ているので書いておきたい。
障がい者施設の施設長の許に施設への入園を求める母親が施設長の親友に連れられてやってくる。
両親が知的障がい者であることから福祉の道に進んできた施設長の過去が明かされるのだ。
知的障がい者の両親を持つ小学生の娘は、勉学優秀で母親が漢字が読めないことから、ほかの子どもの母親と様子が異なっていることに気づき、恥ずかしさから嫌悪感を抱いてしまう。
しかし、祖母や親友の父親の医師から、母親も父親も知的障がい者であっても親としては愛情が豊かで、人間としても善意の塊のような申し分ない女性であることを諭され、母親を見直すのだ。
絵を描くことに才能があったかして、母親がコンクールで表彰されたことを契機に娘は団地住まいの部屋で子どもたちに読み聞かせ、母親は絵の教室を開く。
ところが、世は無常で母親は若くして亡くなってしまうのだった。
奨学金で学校を卒業した娘は福祉の道に進み、自分の進路に大きな影響を与えた母親のことを本に書くことを勧められ、母親との思い出を書き綴るのだった。
自民党比例選出の女の議員がLGBTやアイヌ、朝鮮半島の民族、そして性暴力被害者などへの差別発言を繰り返し、何らお咎めもなく、注意もしない自民党は差別を容認しているのかと厳しく糾弾してきた。
一方、れいわ新選組の山本太郎代表は国会に重度の障がい者を押し上げ、障がい者福祉に政治がもっと力を入れるべく政治活動をしてきた。
障がい者団体と関係者の有権者は選挙でどちらを選択すべきかもう答えはでている。
山田火砂子監督作品は福祉の関係者には必見であり、関係者でなくとも福祉に関わったことがある自分にとっても、大変勉強になる。
映画で描かれた母親は日本脳炎、父親は確か事故だったかで頭を打ったことが原因で知的障がい者になったということで、障がい者は誰がいつなるかわからないことを取り上げ、差別をしてはならないことを山田火砂子監督はさりげなく訴えていた。
映画では21世紀のヒトラー+スターリンこと悪魔殺人鬼のプーチンがウクライナに侵攻、侵略し、戦況が不利になれば、核兵器のボタンを押すのではないかということも取り上げていた。
語り継ぐ戦争の立場からみれば、トランプが邪魔して米国の支援が滞り、劣勢に立たされているウクライナの将兵が戦死、あるいは障がい者になっている人が多数出ていることを考えれば、奪われた国土を奪還できなくともそろそろ停戦にもっていかないとさらに犠牲者が増えてしまう。
病気や事故、戦争で障がい者になる人のことを考えれば、健常者との差なんて紙一重である。
京都に行ったとき大石順教尼の仏光院に行き、お参りしてきたことがある。
そう、大阪で芸妓をしていたとき、日本刀で両腕を切り落とされ障がい者になるも、口で筆を動かし絵を描いたことで知られた女性である。
障がい者となった人には大石さんのような先駆者的女性もいたのである。
映画を一人でも多くの人が観て、障がい者と健常者は紙一重であり、差別をしてはならないということが社会に広まることを期待したい。
最後に、映画ファンとしては、寺島しのぶは相変わらず上手くて、渡辺いっけいも上手くて参った。
大好きな高島礼子が出演していたのはファンとしては大いに喜んでいる。
2024年02月26日
18歳での旅立ち 医師への感謝と母の悲しみ
日本医師会と読売新聞社が開催する「第7回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー」の受賞作品が2月25日の読売の広告の紙面に掲載されている。
フォト部門は、生命の尊さ、大切さを感じさせる作品を募集。人間、動物、自然など被写体は自由。
エッセー部門は、病気やけがをした時の思い出、介護や生命の誕生にまつわる話、医師や看護師、患者との交流など、医療や介護に関するエピソード、お世話になった医師や看護師ら宛てに送ったという想定の「感謝の手紙」などを募集。小学生の部では、生命を身近に感じたエピソードをテーマとする。
日本医師会賞を受賞したのは愛知県の坂野和歌子さん(50歳)の『天国からの贈り物』で、寄る年波で涙腺が弱くなっていることも影響してか涙を流しながら読んだので書いておく。
ウクライナにロシアが侵攻、侵略して昨日、2月24日で2年経ち、米国でトランプが邪魔して武器援助が遅れ、急激に劣勢に立たされているウクライナで戦死傷者が増えていることから、自分は安全地帯にいてウクライナの人々を殺害しようと企む21世紀のヒトラー+スターリンこと悪魔殺人鬼のプーチンの生命が守られ、ウクライナの市民や国土を防衛するために立ち上がった兵士たちの生命が奪われるという理不尽さに怒りと悲しみの気持ちを抱きながら生命ということを考えているときに坂野さんの手紙で綴られたエッセイに心を揺さぶられた。
坂野さんの娘春香さんが小学校6年生のとき、激しい頭痛と嘔吐に襲われ救急車で運ばれた救命救急センターで脳腫瘍が発覚した。手術を担当し、7年にも及ぶ闘病を支えたⅯ医師への手紙という形式で、春香さんが生前、書き遺してくれた絵本が完成したので天国からの贈り物としてプレゼントするので受け取ってもらえると幸いだという作品である。
春香さんが旅立ったのは18歳のときで、手紙を書いたのはあれから3年を迎えようとしている秋のことだった。
術後の放射線治療や半年間に及ぶ抗がん剤治療を受け、以来、病と向き合い、不登校になったりしたが、Ⅿ医師の許での定期健診だけは楽しみにしていた。診察日が近づくと、伝えたいことや、見てもらいたい制作作品などを考えていた春香さん。
絵を描くことが大好きだったので自分の想いを表現した絵や作品を大好きだった先生に見てもらいたかったのだ。手にとって「おお、これはすごい!」と言ってもらったときのほほえみは喜びに満ちあふれていた。
高校生になると「漫画家になる」という夢を持つようになった。
7年目に入ろうとするとき、再発の疑いを告げられ、手術は成功したものの、予告されていたとおり、右半身麻痺と失語症の障害を負った。そんな状況の中で左手で描き、亡くなる1か月前に完成させてくれたのが「✕くん」という絵本だった。
存在意義を失いかけていた主人公の✕くんが、ある女の子のたった一言で勇気が湧いて前を向いて進んでいく。という物語である。
「人の心に何かを刻みたい」「人の役に立ちたい」病床の枕もとで呟いていたという春香さん。
泣きながら、読み、泣きながら書くという情けない状況で綴ったが、医師の仕事というのがまさに春香さんの思いを体現させるものだから、18歳で旅立つ無念さと医師への感謝の気持ちが伝わってくるのだ。
何とか治ってもらいたかった。
18歳は若すぎる。
病気で旅立つ一方で、ウクライナやパレスチナでは戦争で死んでいく人たちが多数でている。
病気は防ぎようがないが、戦争は人間が始めたことだから、人間の意志でやめられるはずだが、現実はおもうようにならない。
フォト部門は、生命の尊さ、大切さを感じさせる作品を募集。人間、動物、自然など被写体は自由。
エッセー部門は、病気やけがをした時の思い出、介護や生命の誕生にまつわる話、医師や看護師、患者との交流など、医療や介護に関するエピソード、お世話になった医師や看護師ら宛てに送ったという想定の「感謝の手紙」などを募集。小学生の部では、生命を身近に感じたエピソードをテーマとする。
日本医師会賞を受賞したのは愛知県の坂野和歌子さん(50歳)の『天国からの贈り物』で、寄る年波で涙腺が弱くなっていることも影響してか涙を流しながら読んだので書いておく。
ウクライナにロシアが侵攻、侵略して昨日、2月24日で2年経ち、米国でトランプが邪魔して武器援助が遅れ、急激に劣勢に立たされているウクライナで戦死傷者が増えていることから、自分は安全地帯にいてウクライナの人々を殺害しようと企む21世紀のヒトラー+スターリンこと悪魔殺人鬼のプーチンの生命が守られ、ウクライナの市民や国土を防衛するために立ち上がった兵士たちの生命が奪われるという理不尽さに怒りと悲しみの気持ちを抱きながら生命ということを考えているときに坂野さんの手紙で綴られたエッセイに心を揺さぶられた。
坂野さんの娘春香さんが小学校6年生のとき、激しい頭痛と嘔吐に襲われ救急車で運ばれた救命救急センターで脳腫瘍が発覚した。手術を担当し、7年にも及ぶ闘病を支えたⅯ医師への手紙という形式で、春香さんが生前、書き遺してくれた絵本が完成したので天国からの贈り物としてプレゼントするので受け取ってもらえると幸いだという作品である。
春香さんが旅立ったのは18歳のときで、手紙を書いたのはあれから3年を迎えようとしている秋のことだった。
術後の放射線治療や半年間に及ぶ抗がん剤治療を受け、以来、病と向き合い、不登校になったりしたが、Ⅿ医師の許での定期健診だけは楽しみにしていた。診察日が近づくと、伝えたいことや、見てもらいたい制作作品などを考えていた春香さん。
絵を描くことが大好きだったので自分の想いを表現した絵や作品を大好きだった先生に見てもらいたかったのだ。手にとって「おお、これはすごい!」と言ってもらったときのほほえみは喜びに満ちあふれていた。
高校生になると「漫画家になる」という夢を持つようになった。
7年目に入ろうとするとき、再発の疑いを告げられ、手術は成功したものの、予告されていたとおり、右半身麻痺と失語症の障害を負った。そんな状況の中で左手で描き、亡くなる1か月前に完成させてくれたのが「✕くん」という絵本だった。
存在意義を失いかけていた主人公の✕くんが、ある女の子のたった一言で勇気が湧いて前を向いて進んでいく。という物語である。
「人の心に何かを刻みたい」「人の役に立ちたい」病床の枕もとで呟いていたという春香さん。
泣きながら、読み、泣きながら書くという情けない状況で綴ったが、医師の仕事というのがまさに春香さんの思いを体現させるものだから、18歳で旅立つ無念さと医師への感謝の気持ちが伝わってくるのだ。
何とか治ってもらいたかった。
18歳は若すぎる。
病気で旅立つ一方で、ウクライナやパレスチナでは戦争で死んでいく人たちが多数でている。
病気は防ぎようがないが、戦争は人間が始めたことだから、人間の意志でやめられるはずだが、現実はおもうようにならない。
2024年02月19日
ナワリヌイさん口封じ 刑務所で殺害か
ロシアの反政権運動指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏が過酷な環境で知られる北極圏にある刑務所で死亡したことに関し、露当局がナワリヌイ氏を事実上、「殺害した」との見方が出ている。ロシアではプーチン政権に批判的な活動家や野党政治家などの「不審死」が相次いでおり、ナワリヌイ氏が死亡した経緯も詳細は明らかになっていない。と2月17日の読売が伝えている。
独立系人権団体「OVDインフォ」などによると、ナワリヌイ氏を追悼するために政治的弾圧による犠牲者の記念碑などに献花に訪れた人たちは「これは殺人だ」「私たちは諦めない」などと書かれた紙を掲げ、政権批判の声を上げていた。プーチン大統領の故郷、西部サンクトペテルブルクでは2日間で少なくとも129人が拘束された。
抗議行動は16日、ドイツなど欧州各地の露大使館前でも展開された。
「私が殺された場合、伝えたいメッセージは『諦めるな』だ」
2022年のドキュメンタリー映画「ナワリヌイ」で、ナワリヌイ氏は命が狙われていると自覚し、殺害された場合にロシア国民に何を訴えたいかを監督に問われ、こう答えていた。
「もし(プーチン政権が)私を殺すと決めれば、それは我々がとてつもなく強いということだ」とも述べ、抵抗を呼びかけていた。
15日に開かれた裁判にオンラインで出廷した際の動画では、健康不安の兆候は見られなかったという。
独立系紙「ノーバヤ・ガゼータ」編集長としてノーベル平和賞を受賞したドミトリー・ムラトフ氏はナワリヌイ氏が「懲罰房で低カロリーの食事しか与えられず、3年間の拷問に苦しんだ」と指摘し、当局が「殺害した」と非難した。
2000年から政治実権を握り続けるプーチン氏を批判してきた要人らは露国内で活動ができなくなっている。女性記者のアンナ・ポリトコフスカヤさんや野党指導者のボリス・ネムツォフ元第1副首相はいずれも射殺された。元露情報機関員のアレクサンドル・リトビネンコ氏は亡命先の英国で放射性物質ポロニウムを盛られ、死亡した。
21世紀のヒトラー+スターリンこと悪魔殺人鬼のプーチン大統領がまたしても自分を批判する市民を殺害した。次々と己を批判する人物を己の手を汚さず殺してしまうから悪魔殺人鬼と呼んできたが、まさにその名を高める仕事ぶりである。
司法やメディアなどの関係者なら、証拠もないくせに誹謗中傷するな!という本人の言い分が通り滅多なことは言えないし、書けないだろう。
しかし、刑事事件、とりわけ保険金詐取殺人事件などでは、被害者が死亡したことで利益を得るものがいた場合、まず、警察はその人物を徹底的に捜査するはずだ。
何故なら、被害者が死亡したことで多額の保険金を手にすることができるからである。
この理屈から、ロシアのナワリヌイさんの死は独裁者にとって邪魔な存在のナワリヌイさんを北極圏の過酷な刑務所に移送したことでまず、殺そうとしている策略が伝わってきて、その後の死亡だから、独裁者の命令でやられた殺人事件だと断言できるのである。
女性記者アンナ・ポリトコフスカヤさん殺害の実行犯が捕まっているが、日本の組織犯罪である暴力団組員が起こした抗争事件などにおける殺人事件は使用者責任が問われ、組長がその責めを負わされることになっている。
このことから、ロシアにおける独裁者プーチンの手下と見做される男たちによる殺人事件だから、アンナ・ポリトコフスカヤさんの殺害者はプーチンであるという自分の主張は間違っていないことになるはずだ。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚でシベリア抑留者の慰霊碑にお参りする機会があったが、持病があり、異国で苦労することがわかっていたので、断ったことがあった。
アンナ・ポリトコフスカヤさん、ナワリヌイさんのことを知れば知るほど、ロシアに行かないでよかったと思っている。
ロシアに行ったら、間違いなく逮捕されるか、殺されていたかもしれない。
つくづく思う。
自由って有り難い。なくしてその価値がわかるというが、北朝鮮、ロシア、中国と独裁者の国に生まれなくてよかった。
アンナ・ポリトコフスカヤさん、ナワリヌイさんは偉大である。
殺害されることがわかっていて、悪魔殺人鬼のプーチンを批判してきたのだから。
自分にできることは悪魔殺人鬼が没することを願い、祈ることだけだ。
独立系人権団体「OVDインフォ」などによると、ナワリヌイ氏を追悼するために政治的弾圧による犠牲者の記念碑などに献花に訪れた人たちは「これは殺人だ」「私たちは諦めない」などと書かれた紙を掲げ、政権批判の声を上げていた。プーチン大統領の故郷、西部サンクトペテルブルクでは2日間で少なくとも129人が拘束された。
抗議行動は16日、ドイツなど欧州各地の露大使館前でも展開された。
「私が殺された場合、伝えたいメッセージは『諦めるな』だ」
2022年のドキュメンタリー映画「ナワリヌイ」で、ナワリヌイ氏は命が狙われていると自覚し、殺害された場合にロシア国民に何を訴えたいかを監督に問われ、こう答えていた。
「もし(プーチン政権が)私を殺すと決めれば、それは我々がとてつもなく強いということだ」とも述べ、抵抗を呼びかけていた。
15日に開かれた裁判にオンラインで出廷した際の動画では、健康不安の兆候は見られなかったという。
独立系紙「ノーバヤ・ガゼータ」編集長としてノーベル平和賞を受賞したドミトリー・ムラトフ氏はナワリヌイ氏が「懲罰房で低カロリーの食事しか与えられず、3年間の拷問に苦しんだ」と指摘し、当局が「殺害した」と非難した。
2000年から政治実権を握り続けるプーチン氏を批判してきた要人らは露国内で活動ができなくなっている。女性記者のアンナ・ポリトコフスカヤさんや野党指導者のボリス・ネムツォフ元第1副首相はいずれも射殺された。元露情報機関員のアレクサンドル・リトビネンコ氏は亡命先の英国で放射性物質ポロニウムを盛られ、死亡した。
21世紀のヒトラー+スターリンこと悪魔殺人鬼のプーチン大統領がまたしても自分を批判する市民を殺害した。次々と己を批判する人物を己の手を汚さず殺してしまうから悪魔殺人鬼と呼んできたが、まさにその名を高める仕事ぶりである。
司法やメディアなどの関係者なら、証拠もないくせに誹謗中傷するな!という本人の言い分が通り滅多なことは言えないし、書けないだろう。
しかし、刑事事件、とりわけ保険金詐取殺人事件などでは、被害者が死亡したことで利益を得るものがいた場合、まず、警察はその人物を徹底的に捜査するはずだ。
何故なら、被害者が死亡したことで多額の保険金を手にすることができるからである。
この理屈から、ロシアのナワリヌイさんの死は独裁者にとって邪魔な存在のナワリヌイさんを北極圏の過酷な刑務所に移送したことでまず、殺そうとしている策略が伝わってきて、その後の死亡だから、独裁者の命令でやられた殺人事件だと断言できるのである。
女性記者アンナ・ポリトコフスカヤさん殺害の実行犯が捕まっているが、日本の組織犯罪である暴力団組員が起こした抗争事件などにおける殺人事件は使用者責任が問われ、組長がその責めを負わされることになっている。
このことから、ロシアにおける独裁者プーチンの手下と見做される男たちによる殺人事件だから、アンナ・ポリトコフスカヤさんの殺害者はプーチンであるという自分の主張は間違っていないことになるはずだ。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚でシベリア抑留者の慰霊碑にお参りする機会があったが、持病があり、異国で苦労することがわかっていたので、断ったことがあった。
アンナ・ポリトコフスカヤさん、ナワリヌイさんのことを知れば知るほど、ロシアに行かないでよかったと思っている。
ロシアに行ったら、間違いなく逮捕されるか、殺されていたかもしれない。
つくづく思う。
自由って有り難い。なくしてその価値がわかるというが、北朝鮮、ロシア、中国と独裁者の国に生まれなくてよかった。
アンナ・ポリトコフスカヤさん、ナワリヌイさんは偉大である。
殺害されることがわかっていて、悪魔殺人鬼のプーチンを批判してきたのだから。
自分にできることは悪魔殺人鬼が没することを願い、祈ることだけだ。
2024年02月18日
死者は語りの中で蘇ってゆく
死と生にまつわる考えを探る連載の第6部は、最近の葬儀事情を取り上げる。ということで「死と生を見つめて」弔いの諸相その1として、2月14日の読売が「死者 語りの中で蘇ってゆく」「時代、当事者により儀礼の形選択」という見出しで興味深いことが書かれていたので書いておく。
母親を家族葬で送った国学院大学教授の上野誠さん(63)によれば、日本や韓国、中国などの東アジアでは古来、死者を手厚く弔うことを重視する「厚葬思想」と葬令を簡素化すべきだという「薄葬思想」が、あざなえる縄のように繰り返し登場してきた。
葬儀や儀礼を否定する立場ではないとし、今は、薄葬思想が強くなっている時代であるが、大きな葬儀、家族葬など残された者が必要に応じて選べなくてはいけないとする。
死者の最大の供養は、語ること。災害では、一瞬にして死者と生者が分かれる。我々は、どちら側になるかわからないという感覚で、日々の生活を大切にしてゆく必要もある。
上野さんは家族葬で集った人には、母親が好きだった折り紙を折ってもらい、棺に入れた。出棺のときは、インターネットで般若心経のページを開いて、みんなで唱えた。
葬儀や墓参りの後、会食するなどして故人の話をしてほしい。死者は語りの中で蘇っていくものだそうな。
父親は東京五輪の翌年だったから1965(昭和40)年8月に病死したが、在職中であったため大きな葬儀だった。
あれから50年、2015(平成27)年の8月の父親の命日の翌日、母親が旅立った。
家族葬を選択したが、僧侶の読経はなく、長男で喪主の自分が「手向」をお経の代わりに吹いた。
連れ合いの箏で「千の風になって」、箏と尺八で「故郷」を合奏し、フィナーレは森進一の「おふくろさん」を尺八で吹いて旅立ちを見送った。
その後、近くの日本料理屋で精進落としというか会食をし、母親のことを語らった。
というわけで、上野さんの「死者は語りの中で蘇ってゆく」ということを理解していただけでなく、死者は残された者の心に生き続けると考えているので、父や母のことを家族で話題にするようにしてきた。
2020年に始まったコロナ禍では語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚ができなくなってしまったが、葬儀の知らせが少なくなったのは家族葬になったことがその理由かもしれない。
後期高齢者まで生きられるとは思わなかったが、もう何時旅立つかという年齢であることから、自分の葬儀は家族葬でと遺言をしていることもあって、よほどお世話になった人は別にして、もう葬儀に出るつもりはなくなった。
ただし、先般、鶯谷の西蔵院に墓参りしたように世話になった人には墓参りし、尺八を吹き、個人的に偲ぶことはやっている。
母親を家族葬で送った国学院大学教授の上野誠さん(63)によれば、日本や韓国、中国などの東アジアでは古来、死者を手厚く弔うことを重視する「厚葬思想」と葬令を簡素化すべきだという「薄葬思想」が、あざなえる縄のように繰り返し登場してきた。
葬儀や儀礼を否定する立場ではないとし、今は、薄葬思想が強くなっている時代であるが、大きな葬儀、家族葬など残された者が必要に応じて選べなくてはいけないとする。
死者の最大の供養は、語ること。災害では、一瞬にして死者と生者が分かれる。我々は、どちら側になるかわからないという感覚で、日々の生活を大切にしてゆく必要もある。
上野さんは家族葬で集った人には、母親が好きだった折り紙を折ってもらい、棺に入れた。出棺のときは、インターネットで般若心経のページを開いて、みんなで唱えた。
葬儀や墓参りの後、会食するなどして故人の話をしてほしい。死者は語りの中で蘇っていくものだそうな。
父親は東京五輪の翌年だったから1965(昭和40)年8月に病死したが、在職中であったため大きな葬儀だった。
あれから50年、2015(平成27)年の8月の父親の命日の翌日、母親が旅立った。
家族葬を選択したが、僧侶の読経はなく、長男で喪主の自分が「手向」をお経の代わりに吹いた。
連れ合いの箏で「千の風になって」、箏と尺八で「故郷」を合奏し、フィナーレは森進一の「おふくろさん」を尺八で吹いて旅立ちを見送った。
その後、近くの日本料理屋で精進落としというか会食をし、母親のことを語らった。
というわけで、上野さんの「死者は語りの中で蘇ってゆく」ということを理解していただけでなく、死者は残された者の心に生き続けると考えているので、父や母のことを家族で話題にするようにしてきた。
2020年に始まったコロナ禍では語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚ができなくなってしまったが、葬儀の知らせが少なくなったのは家族葬になったことがその理由かもしれない。
後期高齢者まで生きられるとは思わなかったが、もう何時旅立つかという年齢であることから、自分の葬儀は家族葬でと遺言をしていることもあって、よほどお世話になった人は別にして、もう葬儀に出るつもりはなくなった。
ただし、先般、鶯谷の西蔵院に墓参りしたように世話になった人には墓参りし、尺八を吹き、個人的に偲ぶことはやっている。
2024年02月14日
弱者とともに信念 92歳映画監督山田火砂子さん
国連が定めた国際女性デーが3月8日で、それまでの期間、女性にまつわる記事を届ける。と2月10日の読売(大石由佳子記者)が暮らしの紙面で「国際女性デー」というタイトルで92歳の映画監督山田火砂子さんが新作『わたしのかあさん―天使の詩―』を完成させたことを伝えている。
ご自身の家族に知的障がいがあることから障がい者疎外に疑問と憤りを持ち、福祉が充実した社会に変えたいと映画作りに情熱を燃やしてきた山田さん「母親が母親らしい愛情と優しさを子どもに向けられるように。経済的に不安なく、のんびりと子育てできる世に」と女性解放の願いも込めて新作に取り組んできたそうな。
山田監督の作品では『大地の詩 留岡幸助物語』『山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日』『母 小林多喜二の母の物語』を観てきたが、『一粒の麦 荻野吟子の生涯』『われ弱ければ 矢島楫子伝』は残念ながら見逃してしまった。
コロナ禍でもあったし、メジャーな作品ではないので、注意していないと上映されていることがわからないからでもある。
社会福祉の先駆者で感化院、つまり教護院の創始者である留岡幸助のことは知らなかったので大いに勉強になった。
中国残留孤児の父と呼ばれた山本慈昭のことは語り継ぐ戦争だから当然知っていたので、信州の阿智村にある満蒙開拓平和記念館に行ったとき、近くの寺にある望郷の鐘を撞いてきた。
小林多喜二は『蟹工船』は読んでいるが、母親のことは知らなかったし、小林が娼婦の足抜けに尽力したことを知り、娼妓解放、人身売買に反対という自分の立ち位置と同じだったから嬉しくなった。
映画を観る人はいろいろで所謂メジャーなエンターテイメント作品、有名な俳優が出演し、製作費がかかっている映画が好きな人が一般的で、観客も動員される。
ところが、天邪鬼だからか、このような作品はほとんど観なくて、所謂マイナー作品、ドキュメンタリーであるとか、考えさせられるような作品を好んで観てきたから、山田火砂子監督の作品は波長が合っているのかもしれない。
自由のために発信していることから、自由を奪われたり、発信できない弱者の代弁をするような形で発信することが少なくないことも山田監督と考え方が近いからかもしれない。
92歳で新作「わたしのかあさん―天使の詩―」を完成させたとのことで、何としてもこの作品は観なければならない。
山田火砂子監督にエールをおくりたい。
ご自身の家族に知的障がいがあることから障がい者疎外に疑問と憤りを持ち、福祉が充実した社会に変えたいと映画作りに情熱を燃やしてきた山田さん「母親が母親らしい愛情と優しさを子どもに向けられるように。経済的に不安なく、のんびりと子育てできる世に」と女性解放の願いも込めて新作に取り組んできたそうな。
山田監督の作品では『大地の詩 留岡幸助物語』『山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日』『母 小林多喜二の母の物語』を観てきたが、『一粒の麦 荻野吟子の生涯』『われ弱ければ 矢島楫子伝』は残念ながら見逃してしまった。
コロナ禍でもあったし、メジャーな作品ではないので、注意していないと上映されていることがわからないからでもある。
社会福祉の先駆者で感化院、つまり教護院の創始者である留岡幸助のことは知らなかったので大いに勉強になった。
中国残留孤児の父と呼ばれた山本慈昭のことは語り継ぐ戦争だから当然知っていたので、信州の阿智村にある満蒙開拓平和記念館に行ったとき、近くの寺にある望郷の鐘を撞いてきた。
小林多喜二は『蟹工船』は読んでいるが、母親のことは知らなかったし、小林が娼婦の足抜けに尽力したことを知り、娼妓解放、人身売買に反対という自分の立ち位置と同じだったから嬉しくなった。
映画を観る人はいろいろで所謂メジャーなエンターテイメント作品、有名な俳優が出演し、製作費がかかっている映画が好きな人が一般的で、観客も動員される。
ところが、天邪鬼だからか、このような作品はほとんど観なくて、所謂マイナー作品、ドキュメンタリーであるとか、考えさせられるような作品を好んで観てきたから、山田火砂子監督の作品は波長が合っているのかもしれない。
自由のために発信していることから、自由を奪われたり、発信できない弱者の代弁をするような形で発信することが少なくないことも山田監督と考え方が近いからかもしれない。
92歳で新作「わたしのかあさん―天使の詩―」を完成させたとのことで、何としてもこの作品は観なければならない。
山田火砂子監督にエールをおくりたい。
2024年02月13日
アイヌ民族は先住民族で差別は許されない
NHKETV特集「二風谷に生まれて 〜アイヌ 家族100年の物語〜」を視聴することができたのでアイヌ民族差別に反対する立場から書いておく。
「北海道平取町の二風谷には、アイヌ民族にルーツを持つ人が多く暮らす。貝澤太一さんもその一人。祖父と父は「二風谷ダム裁判」を提起し、初めてアイヌを先住民族と認める判決を勝ち取った。あれから30年近くがたち、何が変わり、何が変わっていないのか。太一さんは祖父と父が歩んできた過去を振り返ろうとしている。太一さんの視点から3代にわたる家族とアイヌの歴史をひも解き、日本社会とアイヌ民族の現在と未来を見つめる。」と㏋にコンセプトがある。
アイヌ民族の畠山敏さん(77)が北海道紋別市の川で、サケ漁は先住民族の権利(先住権)だとして、道に許可申請をせずに伝統儀式用のサケを捕獲し、道警の取り調べを受けた。先住民族が伝統的に行ってきた漁などは国際的に権利として認める流れにある。しかし日本ではアイヌを法律で「先住民族」と明記しながら先住と権を認めず、畠山さんの行為は「違法」に。捨て身ともいえる畠山さんの行動が先住民族とは何かを問いかける。と2019年9月17日の東京新聞が伝えている。
ETV特集では、無論、このことも取り上げていた。
語り継ぐ戦争ではあるが、アイヌ民族の話で満蒙開拓団のことが出てくるとは思わなかった。
太一さんのご先祖はアイヌ民族というわが国における先住民族であるが、その先住民族であるという事実も「二風谷ダム裁判」の判決で勝ち取ったものである。
アイヌ民族に生まれたことで子どもの頃から差別を受けてきた。
そんな貝澤さんの祖父は満州に渡り、満蒙開拓団など日本人が中国人(満人)を差別する姿を目撃し、中国人寄りの立場をとると、「おのれアイヌ!」と言いながら、日本兵に小銃を向けられ、危うく撃ち殺されるところだったという。
アイヌ民族の畠山敏さんを逮捕した和人の国家権力検察は恣意的にとしか言いようがない不起訴にした。
裁判で先住権が争われ、国際的な流れから、国家権力が敗れる可能性が高かったからだと推察されている。
米国でも先住民族である所謂インディアンたちは二枚舌の白人に騙され、戦いに敗れて居留地に追いやられた歴史がある。
ウポポイ(民族共生象徴空間)、国立のアイヌ民族博物館が作られたが、元維新で自民党の比例で当選した女の議員がアイヌ民族を差別する発言などを繰り返しているように、差別主義者が跋扈している。
番組ではアイヌ民族だと公表している詩人で絵本作家アイヌ解放運動家の宇梶静江さんの息子で俳優の宇梶剛士さんがナレーションを受け持っていたが、この人たちの活躍で偏見と差別がなくなることを祈っている。
同じ人間が同じ人間を差別する。LGBTの人たち、性暴力被害者の女性、朝鮮民族、そしてアイヌ民族のことを蔑視した発言を繰り返し、自民党から何らお咎めを受けないということで、自民党は差別される側ではなく差別する側に立ち位置があることが証明されている。
日本をダメにした自民党政権には退陣してもらい、差別をなくそうとする人たちが中心となった政権ができることを願う。
「北海道平取町の二風谷には、アイヌ民族にルーツを持つ人が多く暮らす。貝澤太一さんもその一人。祖父と父は「二風谷ダム裁判」を提起し、初めてアイヌを先住民族と認める判決を勝ち取った。あれから30年近くがたち、何が変わり、何が変わっていないのか。太一さんは祖父と父が歩んできた過去を振り返ろうとしている。太一さんの視点から3代にわたる家族とアイヌの歴史をひも解き、日本社会とアイヌ民族の現在と未来を見つめる。」と㏋にコンセプトがある。
アイヌ民族の畠山敏さん(77)が北海道紋別市の川で、サケ漁は先住民族の権利(先住権)だとして、道に許可申請をせずに伝統儀式用のサケを捕獲し、道警の取り調べを受けた。先住民族が伝統的に行ってきた漁などは国際的に権利として認める流れにある。しかし日本ではアイヌを法律で「先住民族」と明記しながら先住と権を認めず、畠山さんの行為は「違法」に。捨て身ともいえる畠山さんの行動が先住民族とは何かを問いかける。と2019年9月17日の東京新聞が伝えている。
ETV特集では、無論、このことも取り上げていた。
語り継ぐ戦争ではあるが、アイヌ民族の話で満蒙開拓団のことが出てくるとは思わなかった。
太一さんのご先祖はアイヌ民族というわが国における先住民族であるが、その先住民族であるという事実も「二風谷ダム裁判」の判決で勝ち取ったものである。
アイヌ民族に生まれたことで子どもの頃から差別を受けてきた。
そんな貝澤さんの祖父は満州に渡り、満蒙開拓団など日本人が中国人(満人)を差別する姿を目撃し、中国人寄りの立場をとると、「おのれアイヌ!」と言いながら、日本兵に小銃を向けられ、危うく撃ち殺されるところだったという。
アイヌ民族の畠山敏さんを逮捕した和人の国家権力検察は恣意的にとしか言いようがない不起訴にした。
裁判で先住権が争われ、国際的な流れから、国家権力が敗れる可能性が高かったからだと推察されている。
米国でも先住民族である所謂インディアンたちは二枚舌の白人に騙され、戦いに敗れて居留地に追いやられた歴史がある。
ウポポイ(民族共生象徴空間)、国立のアイヌ民族博物館が作られたが、元維新で自民党の比例で当選した女の議員がアイヌ民族を差別する発言などを繰り返しているように、差別主義者が跋扈している。
番組ではアイヌ民族だと公表している詩人で絵本作家アイヌ解放運動家の宇梶静江さんの息子で俳優の宇梶剛士さんがナレーションを受け持っていたが、この人たちの活躍で偏見と差別がなくなることを祈っている。
同じ人間が同じ人間を差別する。LGBTの人たち、性暴力被害者の女性、朝鮮民族、そしてアイヌ民族のことを蔑視した発言を繰り返し、自民党から何らお咎めを受けないということで、自民党は差別される側ではなく差別する側に立ち位置があることが証明されている。
日本をダメにした自民党政権には退陣してもらい、差別をなくそうとする人たちが中心となった政権ができることを願う。
2024年02月10日
JAの自爆営業内部告発 取材源守れず、放送倫理違反
JAの”自爆営業”問題を取り上げた放送で、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は1月11日、「取材源の秘匿を貫くことができず、放送倫理違反があったとする意見書を公表した。内部告発者が特定される恐れのあるインタビューを放送したこの事案はTVの調査報道のあり方に警鐘を鳴らしている。と放送評論家鈴木嘉一さんが2月8日の読売「アンテナ」で論じている。
1月11日のJIJI.COMによれば、問題のニュースは2023年1月12日に放送された。地方の農協で、共済営業の過大なノルマを達成するため、職員自身や家族が契約を結ぶ「自爆営業」が横行していると伝えた。内部告発する職員3人のインタビューを顔にぼかしをかけ、声も変えて伝えたが、本人の服装をそのまま映すなど措置が不十分で、放送後、発言者が特定されて退職に追い込まれたなどと週刊誌が報じていた。
同委は、取材したディレクターが、内部告発者から身元が分かるのを恐れて使わないよう求められた映像を放送する「重大な失策」を犯すなど、安易な取材姿勢や配慮不足があったと指摘。編集やプレビュー段階での局内のチェックも機能せず、身元特定が疑われる状況を招いたと判断した。
アサリの産地偽装を追い続けたCBCTVが22年ギャラクシー賞の報道活動部門大賞を受けたこと。東京八王子の滝山病院を舞台にして”精神医療の闇”を暴いたNHKの「ルポ死亡退院」などは2023年の新聞協会賞をはじめ多くの賞に輝いた。
意見書が最終章を「失敗から学び、前へ!」と題したように、鈴木さんは、各局は今回のエラー調査報道の糧としてほしい。と結ぶ。
戦争に敗れて79年。いつの頃からか日本がだんだんダメになっていく。
2001年に発覚した雪印食品、2007年には船場吉兆など相次いで明るみになった食品偽装、2005年に発覚した1級建築士と不動産会社長らによる耐震偽装、今お騒がせしているダイハツの検査データ捏造、さらには、検察による小沢一郎さんと陸山会や厚労省の村木厚子さん冤罪事件での調書捏造、そして財務省が何と公文書を書き換えたという事件まで起きている。
自分さえよければいいという新自由主義、功利主義が跋扈しているからで、倫理観の欠如はこれが日本人のやることかと驚かされた。
法律を作る政治家は政治資金を集めるパーティ収入を政治資金規正法に記載しなかったというではないか。
最早、自民党に舵取りという政権を任せていては日本丸は遠からず沈んでしまいそうだ。
偽装事件が公になるのは、そのほとんどが内部告発であり、検察での調書の捏造などでも内部告発というか、見るに見かねて心ある人が良心の呵責に耐えかねて情報を提供することが始まりだが、告発先を間違えると握りつぶされてしまう。
そこで、告発者は文春砲など秘密を守ってくれ、かつしっかり裏付けを取り、報道してくれる機関に情報を提供することになる。
だから,TBSの番組デイレクターが犯した罪は万死に値する。
内部告発者が委縮してしまえば、日本丸はますます沈みゆく太陽の如くということになってしまう。
告発する人の勇気が世界を救うと言っても過言ではない。
米国で、著名な映画プロデューサーのセクハラ、性暴力を告発した女性、応援したニューヨークタイムズの記者、日本では元TBS記者の性暴力を告発した伊藤詩織さん、自衛隊のセクハラを告発した五ノ井里奈さん。芸能事務所の創業者の性暴力を告発した英国のBBCなどの記者、そして、文春砲とまで呼ばれて権力者を告発するジャーナリストなどの力で世の中は明らかに変わりつつある。
JAの内部告発について、自分は組合員であり、所有している自動車をJAの自動車共済に、自宅などは火災共済に加入しているから、共済の職員がわが家にやってくる。
ノルマという表現は使わなかったが、自動車の任意保険は車を購入する店で加入することが多いので、なかなか新規の自動車共済加入は見込めないので、上から、檄を飛ばされているようなことは言っていた。
そのこともあって、2023年に軽トラを東京海上からJAの自動車共済に変えたらとても喜ばれた。
自爆するような営業は長続きするわけがない。
日本に蔓延る新自由主義はよくない。日本をダメにしてしまう。
1月11日のJIJI.COMによれば、問題のニュースは2023年1月12日に放送された。地方の農協で、共済営業の過大なノルマを達成するため、職員自身や家族が契約を結ぶ「自爆営業」が横行していると伝えた。内部告発する職員3人のインタビューを顔にぼかしをかけ、声も変えて伝えたが、本人の服装をそのまま映すなど措置が不十分で、放送後、発言者が特定されて退職に追い込まれたなどと週刊誌が報じていた。
同委は、取材したディレクターが、内部告発者から身元が分かるのを恐れて使わないよう求められた映像を放送する「重大な失策」を犯すなど、安易な取材姿勢や配慮不足があったと指摘。編集やプレビュー段階での局内のチェックも機能せず、身元特定が疑われる状況を招いたと判断した。
アサリの産地偽装を追い続けたCBCTVが22年ギャラクシー賞の報道活動部門大賞を受けたこと。東京八王子の滝山病院を舞台にして”精神医療の闇”を暴いたNHKの「ルポ死亡退院」などは2023年の新聞協会賞をはじめ多くの賞に輝いた。
意見書が最終章を「失敗から学び、前へ!」と題したように、鈴木さんは、各局は今回のエラー調査報道の糧としてほしい。と結ぶ。
戦争に敗れて79年。いつの頃からか日本がだんだんダメになっていく。
2001年に発覚した雪印食品、2007年には船場吉兆など相次いで明るみになった食品偽装、2005年に発覚した1級建築士と不動産会社長らによる耐震偽装、今お騒がせしているダイハツの検査データ捏造、さらには、検察による小沢一郎さんと陸山会や厚労省の村木厚子さん冤罪事件での調書捏造、そして財務省が何と公文書を書き換えたという事件まで起きている。
自分さえよければいいという新自由主義、功利主義が跋扈しているからで、倫理観の欠如はこれが日本人のやることかと驚かされた。
法律を作る政治家は政治資金を集めるパーティ収入を政治資金規正法に記載しなかったというではないか。
最早、自民党に舵取りという政権を任せていては日本丸は遠からず沈んでしまいそうだ。
偽装事件が公になるのは、そのほとんどが内部告発であり、検察での調書の捏造などでも内部告発というか、見るに見かねて心ある人が良心の呵責に耐えかねて情報を提供することが始まりだが、告発先を間違えると握りつぶされてしまう。
そこで、告発者は文春砲など秘密を守ってくれ、かつしっかり裏付けを取り、報道してくれる機関に情報を提供することになる。
だから,TBSの番組デイレクターが犯した罪は万死に値する。
内部告発者が委縮してしまえば、日本丸はますます沈みゆく太陽の如くということになってしまう。
告発する人の勇気が世界を救うと言っても過言ではない。
米国で、著名な映画プロデューサーのセクハラ、性暴力を告発した女性、応援したニューヨークタイムズの記者、日本では元TBS記者の性暴力を告発した伊藤詩織さん、自衛隊のセクハラを告発した五ノ井里奈さん。芸能事務所の創業者の性暴力を告発した英国のBBCなどの記者、そして、文春砲とまで呼ばれて権力者を告発するジャーナリストなどの力で世の中は明らかに変わりつつある。
JAの内部告発について、自分は組合員であり、所有している自動車をJAの自動車共済に、自宅などは火災共済に加入しているから、共済の職員がわが家にやってくる。
ノルマという表現は使わなかったが、自動車の任意保険は車を購入する店で加入することが多いので、なかなか新規の自動車共済加入は見込めないので、上から、檄を飛ばされているようなことは言っていた。
そのこともあって、2023年に軽トラを東京海上からJAの自動車共済に変えたらとても喜ばれた。
自爆するような営業は長続きするわけがない。
日本に蔓延る新自由主義はよくない。日本をダメにしてしまう。
2024年02月07日
米国の自由民主主義が死ぬ日
読売が1面で連載する「地球を読む」の2月4日、フランシス・フクヤマ米国政治哲学者が11月に行われる米大統領選で共和党のトランプ候補が勝ったら、米国の自由民主主義そのものの運命と、世界秩序の未来を左右することになりそうだと警鐘を鳴らす。
トランプ候補は20年の大統領選で明白にバイデンさんに敗れた。しかし、選挙結果に納得せず、21年1月6日、支持者を煽り、暴徒となった彼らに連邦議会議事堂を襲撃させた。結果、トランプ候補と連邦と州レベルの共犯者たちが刑事訴追を受けた。
仮に当選したら、米国を独裁国家、ヒトラーのナチス同様の独裁主義に押しやるのではないかという懸念が生じている。
何しろ、中露や北朝鮮などの独裁者が「自国の社会を制御する」能力を称賛しているのだ。
当選すれば、北大西洋条約機構(NATO)からの脱退を明言している。ウクライナにも支援せずロシアが勝利することになる。
対外的な防衛義務を回避するため、同盟国を犠牲にし、中露に進んで譲歩することを意味する。日韓両国にも該当しうる話だ。
リンカーン大統領を誕生させた南北戦争につながった1860年の選挙並みに重大な大統領選挙となる。
毎日、「自由」のために書き続けている。
理由は独裁者が大嫌いだからである。
米国大統領選は自分には直接関係ないと思われる向きもあるかもしれない。
しかし、自分にとっては、トランプ候補はプーチン、金一族、習近平などと同様の独裁者としか思えないので、絶対に当選させてはならないと考えている。
移民を「米国の血を汚す害虫」と呼ぶトランプ候補。
お前たちの祖先で移民として欧州からやってきた者は、米国の先住民をインディアンと呼び、二枚舌で騙し、武力で滅ぼし、残った民族は居留地に追い込んでいるではないか。
「お前こそ害虫それも毒虫だ」と滅ぼされた先住民族に代わって声をあげてやりたい。
移民の国で、先に移民したからと言って、後から移民する人間を害虫と呼ぶのは普通ではないぞ。
フクヤマさんに米国の自由と民主主義の危機だと教えられれば、黙っているわけにはいかない。
そもそも選挙の結果を認めない人間に選挙に出る資格はない。
こんな人間が大統領選挙に当選するようでは、米国はヒトラーのドイツと同じで将来はない。
独裁者同士は仲がいいように見えるが、利害関係が一致しているからで、トランプ候補が税金をきちんと納めていないということが報道されたように、まともでない候補者にポピュリズムというか扇動され、洗脳されるバカばかりだとヒトラーのドイツみたいになってしまう。
米国のぽちを続けているといつか痛い目にあうはずだ。
トランプ候補は20年の大統領選で明白にバイデンさんに敗れた。しかし、選挙結果に納得せず、21年1月6日、支持者を煽り、暴徒となった彼らに連邦議会議事堂を襲撃させた。結果、トランプ候補と連邦と州レベルの共犯者たちが刑事訴追を受けた。
仮に当選したら、米国を独裁国家、ヒトラーのナチス同様の独裁主義に押しやるのではないかという懸念が生じている。
何しろ、中露や北朝鮮などの独裁者が「自国の社会を制御する」能力を称賛しているのだ。
当選すれば、北大西洋条約機構(NATO)からの脱退を明言している。ウクライナにも支援せずロシアが勝利することになる。
対外的な防衛義務を回避するため、同盟国を犠牲にし、中露に進んで譲歩することを意味する。日韓両国にも該当しうる話だ。
リンカーン大統領を誕生させた南北戦争につながった1860年の選挙並みに重大な大統領選挙となる。
毎日、「自由」のために書き続けている。
理由は独裁者が大嫌いだからである。
米国大統領選は自分には直接関係ないと思われる向きもあるかもしれない。
しかし、自分にとっては、トランプ候補はプーチン、金一族、習近平などと同様の独裁者としか思えないので、絶対に当選させてはならないと考えている。
移民を「米国の血を汚す害虫」と呼ぶトランプ候補。
お前たちの祖先で移民として欧州からやってきた者は、米国の先住民をインディアンと呼び、二枚舌で騙し、武力で滅ぼし、残った民族は居留地に追い込んでいるではないか。
「お前こそ害虫それも毒虫だ」と滅ぼされた先住民族に代わって声をあげてやりたい。
移民の国で、先に移民したからと言って、後から移民する人間を害虫と呼ぶのは普通ではないぞ。
フクヤマさんに米国の自由と民主主義の危機だと教えられれば、黙っているわけにはいかない。
そもそも選挙の結果を認めない人間に選挙に出る資格はない。
こんな人間が大統領選挙に当選するようでは、米国はヒトラーのドイツと同じで将来はない。
独裁者同士は仲がいいように見えるが、利害関係が一致しているからで、トランプ候補が税金をきちんと納めていないということが報道されたように、まともでない候補者にポピュリズムというか扇動され、洗脳されるバカばかりだとヒトラーのドイツみたいになってしまう。
米国のぽちを続けているといつか痛い目にあうはずだ。
2024年02月05日
大石晃子衆議院議員 橋下徹弁護士からの訴えに勝利
カミソリの切れ味は健在――。れいわ新選組の大石晃子共同代表らが元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏から名誉毀損で損害賠償を求められた裁判で、大阪地裁は1月31日、橋下氏の訴えを棄却した。大石氏の代理人は“無罪請負人”の異名を持つ弘中惇一郎弁護士が務め、弁護士トップ対決の第1ラウンドを制した形だ。と2月1日の東スポWEBが伝えている。
大石氏は衆院選で初当選した直後の2021年12月に日刊ゲンダイにおいて、大阪府知事時代の橋下氏について「気に入らないマスコミをしばき、気に入らない記者は袋叩きにする」「アメとムチでマスコミをDVして服従させていた」などと発言。橋下氏が「社会的評価を下げる内容」と名誉毀損で、翌月に大石氏らに合計300万円を求めて提訴していた。
大石氏は自費で弁護団を結成し、団長に就任したのが弘中氏だ。ロス疑惑の三浦和義氏(故人)や陸山会事件の小沢一郎氏、郵便不正事件の村木厚子氏など多くの著名人の無罪判決を勝ち取った辣腕で知られる。
弘中氏は「(大石氏の発言は)一つの意見、論評。『しばいた、DVした』というのは比喩的な表現」と主張し、橋下氏の過去のツイートやテレビ報道などを証拠に立証した。小川嘉基裁判長は橋下氏の発言は事実として、それに基づく大石発言は「意見や論評の域を逸脱せず違法性はない」とした。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で大阪を訪れる前は、暴力団が闊歩する怖い街というイメージが先行していた。
されど、大阪が大好きで黒岩重吾の小説が好きだという知人がよく大阪に行っているのを知っていたので引き付ける何かがあるのかもしれないと興味は持っていた。
語り継ぐ戦争で、初めて大阪城を訪れた時、ボランティアガイドをしていた植野雅量師に大阪空襲の話を丁寧にしていただき、爾来、語り継ぐ戦争の大阪におけるわが師と仰いでいた。
その大阪では件の橋下徹さんの維新が大阪都構想をしきりに訴えていたが、当初から自分は橋下徹さん率いる維新が大嫌いだった。
理由は簡単である。
首都圏の田舎町に生まれ育ったから、自分は幕末に関しては新選組の支持者だったからだ。
維新といえば、明治維新がすぐ連想され、薩長軍、勝てば官軍に酷い目に遭った幕府軍、その傘下にあった新選組支持者としては維新ということにアレルギーがあったうえに、橋下徹さんの独裁者的な態度が大嫌いだった。
選挙で首長に当選したら早速、公務員を詰り、虐めることを始めた橋下さんに物申したのが、当時職員だった大石晃子さんである。
橋本さんは自治労に庁舎は使わせないと言い出し、労働者である職員を団結させないようにして、徹底的に虐めたのである。
そこにれいわ新選組から大石晃子さんが衆議院議員選挙で当選し、早速、職員時代に見てきたことをコメントしたというわけだ。
爾来、大石晃子さんを尊敬し、この人こそ表現の自由、言論の自由のために欠かせない人だと認識したのである。
今回の裁判では、著名な弁護士である橋下徹さんに対抗し、著名な弁護士である弘中惇一郎さんが弁護団長となって戦ってくれたことから1審では勝利を得ることができたが、相手は著名な弁護士だから、このまま引き下がるわけがないので、弁護団は引き続き油断することなく、返り討ちにすべく準備をしていただきたい。
名誉毀損だと訴えた橋下徹さんは裁判で一度も出廷しなかったそうな。
この一事で、この人の人間性が証明されている。
名誉棄損で訴えておきながら、自らは出廷しないのだから信頼できない、信用できない人間であることを自ら証明しているようなものではないか。
考えてみれば、朝日新聞の記者を恫喝したように己を批判する人の言論を封殺するのが目的だから、裁判の結果は関係ないし、すぐに訴えられれば、一般人なら委縮してしまう。
大阪の人はいい人が多いことがわかったが、維新に騙されてはだめだ。
カジノも万博も維新が主導することは怪しいと思っていた方がいい。
れいわ新選組の大石晃子さんが言っているのだから、もう少し、れいわ新選組の話に耳を傾けた方がいい。
大石氏は衆院選で初当選した直後の2021年12月に日刊ゲンダイにおいて、大阪府知事時代の橋下氏について「気に入らないマスコミをしばき、気に入らない記者は袋叩きにする」「アメとムチでマスコミをDVして服従させていた」などと発言。橋下氏が「社会的評価を下げる内容」と名誉毀損で、翌月に大石氏らに合計300万円を求めて提訴していた。
大石氏は自費で弁護団を結成し、団長に就任したのが弘中氏だ。ロス疑惑の三浦和義氏(故人)や陸山会事件の小沢一郎氏、郵便不正事件の村木厚子氏など多くの著名人の無罪判決を勝ち取った辣腕で知られる。
弘中氏は「(大石氏の発言は)一つの意見、論評。『しばいた、DVした』というのは比喩的な表現」と主張し、橋下氏の過去のツイートやテレビ報道などを証拠に立証した。小川嘉基裁判長は橋下氏の発言は事実として、それに基づく大石発言は「意見や論評の域を逸脱せず違法性はない」とした。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で大阪を訪れる前は、暴力団が闊歩する怖い街というイメージが先行していた。
されど、大阪が大好きで黒岩重吾の小説が好きだという知人がよく大阪に行っているのを知っていたので引き付ける何かがあるのかもしれないと興味は持っていた。
語り継ぐ戦争で、初めて大阪城を訪れた時、ボランティアガイドをしていた植野雅量師に大阪空襲の話を丁寧にしていただき、爾来、語り継ぐ戦争の大阪におけるわが師と仰いでいた。
その大阪では件の橋下徹さんの維新が大阪都構想をしきりに訴えていたが、当初から自分は橋下徹さん率いる維新が大嫌いだった。
理由は簡単である。
首都圏の田舎町に生まれ育ったから、自分は幕末に関しては新選組の支持者だったからだ。
維新といえば、明治維新がすぐ連想され、薩長軍、勝てば官軍に酷い目に遭った幕府軍、その傘下にあった新選組支持者としては維新ということにアレルギーがあったうえに、橋下徹さんの独裁者的な態度が大嫌いだった。
選挙で首長に当選したら早速、公務員を詰り、虐めることを始めた橋下さんに物申したのが、当時職員だった大石晃子さんである。
橋本さんは自治労に庁舎は使わせないと言い出し、労働者である職員を団結させないようにして、徹底的に虐めたのである。
そこにれいわ新選組から大石晃子さんが衆議院議員選挙で当選し、早速、職員時代に見てきたことをコメントしたというわけだ。
爾来、大石晃子さんを尊敬し、この人こそ表現の自由、言論の自由のために欠かせない人だと認識したのである。
今回の裁判では、著名な弁護士である橋下徹さんに対抗し、著名な弁護士である弘中惇一郎さんが弁護団長となって戦ってくれたことから1審では勝利を得ることができたが、相手は著名な弁護士だから、このまま引き下がるわけがないので、弁護団は引き続き油断することなく、返り討ちにすべく準備をしていただきたい。
名誉毀損だと訴えた橋下徹さんは裁判で一度も出廷しなかったそうな。
この一事で、この人の人間性が証明されている。
名誉棄損で訴えておきながら、自らは出廷しないのだから信頼できない、信用できない人間であることを自ら証明しているようなものではないか。
考えてみれば、朝日新聞の記者を恫喝したように己を批判する人の言論を封殺するのが目的だから、裁判の結果は関係ないし、すぐに訴えられれば、一般人なら委縮してしまう。
大阪の人はいい人が多いことがわかったが、維新に騙されてはだめだ。
カジノも万博も維新が主導することは怪しいと思っていた方がいい。
れいわ新選組の大石晃子さんが言っているのだから、もう少し、れいわ新選組の話に耳を傾けた方がいい。
2024年01月21日
九死に一生 北陸トンネル列車火災事故
2015年に亡くなった母親が甘いものが大好きで、料理の味付けも他所の家と較べて甘かったからか、すっかり甘党になってしまった。
甘いものといえば、餡それも粒餡が好きで、きんつばを筆頭に最中、どら焼きなどが好物である。
そのことも影響してか、歯がダメになってしまい、母親と同じく入れ歯を装着するようになってしまったが、人生で悔いが残るのは、せっかくの歯をダメにしてしまったことで、しかも、入れ歯が合わないのか、ストレスになっている。
歯がダメになる前は夏ともなれば、よく食していたのが井村屋のあずきバーである。
その井村屋グループのCEO中島伸子さんが「九死に一生 社員の幸せ大切に」という見出しで「leaders経営者に聞く」という読売の連載その1月16日の朝刊に登場していたので読んでみたら、どうしても書いておきたくなった。
1972(昭和47)年、死者30人を出した北陸トンネル列車火災事故に遭った。20歳の誕生日を実家で過ごすため、夜行列車で帰省しているときのことだった。
3人の小さな男の子を連れた母親と4人がけのボックス席に座っていたとき、突然、トンネル内で列車が止まり、隣の食堂車から炎が迫ってくるのが見えた。
子どもの母親から「3人の子どもがいて、逃げられないので、跡継ぎの子どもだけ連れて行って」と頼まれ、列車から飛び降りたが真っ暗で子どもとははぐれてしまい、自分は意識を失ってしまった。
母親と子どもの4人家族は亡くなったが、自分は奇跡的に助かったけれど、一酸化中毒で2年間はほとんどしゃべれなかったという経験を持つ中島さん。子どもを救えなかった後悔と無念の気持ちを抱く。
失意の中島さんを立ち直らせるきっかけは父親からの手紙で「声がでなくとも生きていける。自分だけのプラス1を探せ、「辛」に一本足せば「幸」になる。亡くなった人のためにも一生懸命に生きることが使命だ」と諭されたことで。人生の支えとなったそうな。
井村屋の福井営業所の経理事務の募集を見つけ、アルバイトとして働き始め、やがて井村屋グループのCEOとなって経営トップとして活躍するサクセスストーリーは紙面に紹介されている。
CEOとして掲げているのは「一人の100歩より100人の一歩」である。
ニーズが多様な時代は経営陣のアイデアだけでは乗り切れない。若い人たちが自由に考えたことの中から、いいものをつかみ取る。そうした力が大事になる。
経営者は社員の人生に関わっている。一緒に働く社員を大事にしなきゃいけない気持ちは強い。社員に幸せになってほしい。それがあの鉄道事故から生き残った者としての社会への貢献だと思っている。と結ぶ。
語り継ぐ戦争だから、九死に一生という経験をした人達のことを知っているが、古希を過ぎ、後期高齢者の齢まで生きてきて思うのは、人というものは生かされているものではないかということ。
その人生の軌跡が何と北陸トンネルの列車火災事故から始まり、井村屋での仕事はアルバイトから始まったという中島さん。
北陸トンネルの列車火災事故で30人が亡くなった中で奇蹟的に助かったことからして、ただ運がよかっただけではないような気がするのである。
2012年12月の中央道笹子トンネル天井板落下事故で女性が一人だけ逃げ出し、奇蹟的に助かったはずだが、この人はその後メディアの取材などを受けていないようだ。助かった者の使命として、事故のことを語るべきだと思う。生かされたということはその後の生き方で明らかになるのではないか。
トンネル列車火災事故で九死に一生を得た中島さん。
あの鉄道事故から生き残った者として、一緒に働く社員を大事にしなきゃいけない気持ちが強いそうだ。
企業経営者にどれだけ、社員を大事にと考えているひとがいるだろうか。
米国からやってきた新自由主義に毒された経営者には一緒に働く社員を大事にするという発想はない。
社員の首を切ることばかりにうつつを抜かし、無理な労働で検査数値をごまかさないとやってこれなかった社員の責任はトップの責任であるが、このことがわかっていない経営者が少なくない。
戦争で生き残る。事故で生き残る。病気で生き残る。
九死に一生というのは誰でも経験することができるわけではない。
それだけに、生き残った命を社会に貢献する形で役立ててもらいたい。
甘いものといえば、餡それも粒餡が好きで、きんつばを筆頭に最中、どら焼きなどが好物である。
そのことも影響してか、歯がダメになってしまい、母親と同じく入れ歯を装着するようになってしまったが、人生で悔いが残るのは、せっかくの歯をダメにしてしまったことで、しかも、入れ歯が合わないのか、ストレスになっている。
歯がダメになる前は夏ともなれば、よく食していたのが井村屋のあずきバーである。
その井村屋グループのCEO中島伸子さんが「九死に一生 社員の幸せ大切に」という見出しで「leaders経営者に聞く」という読売の連載その1月16日の朝刊に登場していたので読んでみたら、どうしても書いておきたくなった。
1972(昭和47)年、死者30人を出した北陸トンネル列車火災事故に遭った。20歳の誕生日を実家で過ごすため、夜行列車で帰省しているときのことだった。
3人の小さな男の子を連れた母親と4人がけのボックス席に座っていたとき、突然、トンネル内で列車が止まり、隣の食堂車から炎が迫ってくるのが見えた。
子どもの母親から「3人の子どもがいて、逃げられないので、跡継ぎの子どもだけ連れて行って」と頼まれ、列車から飛び降りたが真っ暗で子どもとははぐれてしまい、自分は意識を失ってしまった。
母親と子どもの4人家族は亡くなったが、自分は奇跡的に助かったけれど、一酸化中毒で2年間はほとんどしゃべれなかったという経験を持つ中島さん。子どもを救えなかった後悔と無念の気持ちを抱く。
失意の中島さんを立ち直らせるきっかけは父親からの手紙で「声がでなくとも生きていける。自分だけのプラス1を探せ、「辛」に一本足せば「幸」になる。亡くなった人のためにも一生懸命に生きることが使命だ」と諭されたことで。人生の支えとなったそうな。
井村屋の福井営業所の経理事務の募集を見つけ、アルバイトとして働き始め、やがて井村屋グループのCEOとなって経営トップとして活躍するサクセスストーリーは紙面に紹介されている。
CEOとして掲げているのは「一人の100歩より100人の一歩」である。
ニーズが多様な時代は経営陣のアイデアだけでは乗り切れない。若い人たちが自由に考えたことの中から、いいものをつかみ取る。そうした力が大事になる。
経営者は社員の人生に関わっている。一緒に働く社員を大事にしなきゃいけない気持ちは強い。社員に幸せになってほしい。それがあの鉄道事故から生き残った者としての社会への貢献だと思っている。と結ぶ。
語り継ぐ戦争だから、九死に一生という経験をした人達のことを知っているが、古希を過ぎ、後期高齢者の齢まで生きてきて思うのは、人というものは生かされているものではないかということ。
その人生の軌跡が何と北陸トンネルの列車火災事故から始まり、井村屋での仕事はアルバイトから始まったという中島さん。
北陸トンネルの列車火災事故で30人が亡くなった中で奇蹟的に助かったことからして、ただ運がよかっただけではないような気がするのである。
2012年12月の中央道笹子トンネル天井板落下事故で女性が一人だけ逃げ出し、奇蹟的に助かったはずだが、この人はその後メディアの取材などを受けていないようだ。助かった者の使命として、事故のことを語るべきだと思う。生かされたということはその後の生き方で明らかになるのではないか。
トンネル列車火災事故で九死に一生を得た中島さん。
あの鉄道事故から生き残った者として、一緒に働く社員を大事にしなきゃいけない気持ちが強いそうだ。
企業経営者にどれだけ、社員を大事にと考えているひとがいるだろうか。
米国からやってきた新自由主義に毒された経営者には一緒に働く社員を大事にするという発想はない。
社員の首を切ることばかりにうつつを抜かし、無理な労働で検査数値をごまかさないとやってこれなかった社員の責任はトップの責任であるが、このことがわかっていない経営者が少なくない。
戦争で生き残る。事故で生き残る。病気で生き残る。
九死に一生というのは誰でも経験することができるわけではない。
それだけに、生き残った命を社会に貢献する形で役立ててもらいたい。
2024年01月19日
人権のない中国で突然拘束6年余り2279日も
過去、時の人になって月日が流れ、忘れられようとしているとき、「あれから」というタイトルで現在どうしているのか取材した結果を伝える読売の連載、1月14日(南部さやか記者)、そのVol.43「日中『友好人士』スパイ扱い」で日中青年交流協会の理事長だった鈴木英司さん(66)=当時59歳が2016年7月15日に拘束されてから6年有余2279日に及ぶ長期間拘束されるという人権無視の非友好的な仕打ちを中国政府にされたことを伝えている。
取り調べ中、部屋にはベッドと机にソファが二つ。監視役2人が交代で24時間ソファに陣取り、居場所はベッドの上だった。壁に時計はなく、カーテンは開けられず、電灯を消すことも許されない。時間の感覚は失われ,正気を保とうと、高校の同級生の名を一人ずつ思い返した。
最終的に7か月続いた監視生活の原因は、3年前の旧知の中国外交官との会食だった。北朝鮮の金日成の娘婿張成沢氏の処刑を話題にしたことが、中朝関係の秘密の情報を探ったとして「間諜罪」に問われた。
頭が変になりそうだった。ただ一つ分かったことは、日中交流に携わって30年以上、自分が目を向けてこなかった中国の現実だということ。
拘置所、刑務所へと場所を移して続いた2279日間の拘束生活は中国の裏側をみる思いだった。
父親から「中国は危ないから、ほどほどにな」と忠告されていたが、自分は「友好人士」、中国の理解者だと耳を貸さなかったことが頭を過った。「おやじのいうとおりにしていれば・・・」
とにかく生きて帰ろうと、体を動かし健康に気をつけた。
刑期を終えたのは22年10月11日、体重は96`から68`まで落ちていた。その日のうちに帰国便に乗せられた。
ぶかぶかのスーツで実家に戻ると「よく帰ってきた」父から責める言葉はなかった。
中国ではアステラス製薬社員が拘束され、鈴木さんのもとには講演依頼が相次ぐ。習近平政権の14年に反スパイ法が施行され、拘束された邦人は鈴木さんを含め17人に上っている。
過去、親しくしていた女性の連れ合いが医療関係の設備の会社を作り、中国に支社なのか、移転したのか詳しいことは承知していないが、中国に行っていると耳にしたことがある。
会社は息子さんに世代交代しているが、中国は危ないからやめた方がいいとは自分も考えていた。
近所で耳にした話であるが、若い中国人夫婦と小学生の子ども2人の世帯が近くの家を購入し、将来日本に帰化する予定だとのこと。
彼らは賢明な人たちだなと感心しきりである。
中国で何をして住宅資金を手に入れたのかは知らないが、中国には自由がないし、いつ逮捕されるかわからないので、機会があれば、亡命というか移住を願っている人が少なくないのではないか。
語り継ぐ戦争で、満蒙開拓団と中国残留孤児のことを調べていくとき、井手孫六『終わりなき旅』(岩波現代文庫)を読んでいる。
信州出身の著者が満蒙開拓団は信州出身者が一番多い。当然、中国残留孤児も一番多い可能性があるとしたら、信州出身者として、傍観してはいられないと書いていたような気がする。
満州で土地を奪われ、日本人に痛めつけられた中国人が貧しくて嫁の成り手がない、労働力が欲しかったという理由があったとしても敵国の子どもを育ててくれたことに中国人の器の大きさをみる思いだという著者。
日本人だったら敵国の子どもの面倒をみられるか疑問であるとも語っていた。
満州で斃れた人たちの慰霊碑を建立したいという日本人の願いを偉大な指導者周恩来さんは、聞き入れてくれ、黒竜江省方正県には慰霊碑がある。
経済力が増した中国政府は本性を現したのか、周恩来さんや張香山さん、趙紫陽さん、胡耀邦さんのような立派な指導者が退場してからは、独裁色を強め、市民を弾圧する政治を続けている。
だから、中国に投資することはロシアに投資して失敗したように後悔することになるだろう。
スパイ容疑で拘束されても鈴木さんの胸中は複雑で「それでも交流は人生」だと自分の過去を否定はしていない。
しかし、中国の砂漠化を防止するための活動をしていた鈴木さんをスパイだとして6年有余も拘束していた中国には距離を置くよりない。
生きる自由を弾圧するような政府が長続きするとは思えないが。
取り調べ中、部屋にはベッドと机にソファが二つ。監視役2人が交代で24時間ソファに陣取り、居場所はベッドの上だった。壁に時計はなく、カーテンは開けられず、電灯を消すことも許されない。時間の感覚は失われ,正気を保とうと、高校の同級生の名を一人ずつ思い返した。
最終的に7か月続いた監視生活の原因は、3年前の旧知の中国外交官との会食だった。北朝鮮の金日成の娘婿張成沢氏の処刑を話題にしたことが、中朝関係の秘密の情報を探ったとして「間諜罪」に問われた。
頭が変になりそうだった。ただ一つ分かったことは、日中交流に携わって30年以上、自分が目を向けてこなかった中国の現実だということ。
拘置所、刑務所へと場所を移して続いた2279日間の拘束生活は中国の裏側をみる思いだった。
父親から「中国は危ないから、ほどほどにな」と忠告されていたが、自分は「友好人士」、中国の理解者だと耳を貸さなかったことが頭を過った。「おやじのいうとおりにしていれば・・・」
とにかく生きて帰ろうと、体を動かし健康に気をつけた。
刑期を終えたのは22年10月11日、体重は96`から68`まで落ちていた。その日のうちに帰国便に乗せられた。
ぶかぶかのスーツで実家に戻ると「よく帰ってきた」父から責める言葉はなかった。
中国ではアステラス製薬社員が拘束され、鈴木さんのもとには講演依頼が相次ぐ。習近平政権の14年に反スパイ法が施行され、拘束された邦人は鈴木さんを含め17人に上っている。
過去、親しくしていた女性の連れ合いが医療関係の設備の会社を作り、中国に支社なのか、移転したのか詳しいことは承知していないが、中国に行っていると耳にしたことがある。
会社は息子さんに世代交代しているが、中国は危ないからやめた方がいいとは自分も考えていた。
近所で耳にした話であるが、若い中国人夫婦と小学生の子ども2人の世帯が近くの家を購入し、将来日本に帰化する予定だとのこと。
彼らは賢明な人たちだなと感心しきりである。
中国で何をして住宅資金を手に入れたのかは知らないが、中国には自由がないし、いつ逮捕されるかわからないので、機会があれば、亡命というか移住を願っている人が少なくないのではないか。
語り継ぐ戦争で、満蒙開拓団と中国残留孤児のことを調べていくとき、井手孫六『終わりなき旅』(岩波現代文庫)を読んでいる。
信州出身の著者が満蒙開拓団は信州出身者が一番多い。当然、中国残留孤児も一番多い可能性があるとしたら、信州出身者として、傍観してはいられないと書いていたような気がする。
満州で土地を奪われ、日本人に痛めつけられた中国人が貧しくて嫁の成り手がない、労働力が欲しかったという理由があったとしても敵国の子どもを育ててくれたことに中国人の器の大きさをみる思いだという著者。
日本人だったら敵国の子どもの面倒をみられるか疑問であるとも語っていた。
満州で斃れた人たちの慰霊碑を建立したいという日本人の願いを偉大な指導者周恩来さんは、聞き入れてくれ、黒竜江省方正県には慰霊碑がある。
経済力が増した中国政府は本性を現したのか、周恩来さんや張香山さん、趙紫陽さん、胡耀邦さんのような立派な指導者が退場してからは、独裁色を強め、市民を弾圧する政治を続けている。
だから、中国に投資することはロシアに投資して失敗したように後悔することになるだろう。
スパイ容疑で拘束されても鈴木さんの胸中は複雑で「それでも交流は人生」だと自分の過去を否定はしていない。
しかし、中国の砂漠化を防止するための活動をしていた鈴木さんをスパイだとして6年有余も拘束していた中国には距離を置くよりない。
生きる自由を弾圧するような政府が長続きするとは思えないが。