北朝鮮の在キューバ大使館で参事官を務め、2023年11月に韓国に亡命した 李日奎(リイルギュ) 氏(52)が2日、ソウルで読売新聞のインタビューに応じた。密輸出で生活費を稼ぐ北朝鮮外交官の苦しい生活を赤裸々に明かし、住民生活を犠牲にしながら核・ミサイル開発を進める 金正恩 朝鮮労働党総書記の独裁政権を厳しく批判した。と10月9日の読売(中川孝之記者)が伝えている。
北朝鮮の住民がどれだけ大変な暮らしを送っているか。(この夏の)水害で住民は財産を失った。朝食後に昼食の心配をする住民が大多数だ。だが、金正恩は富を独り占めし、あらゆる贅沢を享受している。住民が飢えているのに、娘を(視察に)連れ回す。住民の困難を無視し、自分の家系だけを守ろうとする。その行動が醜い。
金正恩独裁体制は必ず崩壊しなければならない。一日でも早く崩壊すれば、2500万人の北朝鮮住民は幸せに暮らせる。監視と統制、恐怖政治が永遠に続くと思ったら、それは大きな間違いだ。いつか終わりが来るだろうし、その日は近づいているような気がする。
先端科学技術が凝縮された核兵器を私たちがつくった。少し我慢すれば技術の発展が民生にも影響し、暮らしがよくなるという希望も生まれた。
だが、最初(2006年)の核実験から何年たっても、暮らしは悪化し続けるばかりだ。住民は「核は私たちのためではなく、金氏一族の家系を守るためのものだ」と気づいた。住民が望んでいるのは、核兵器や大陸間弾道ミサイルではなく一食分の食料だ。民心は金正恩に背を向けてしまった。
内部から変化を起こすことができないのであれば、勇気を出して、離れることができるときに、その国(北朝鮮)を離れてください。一度きりの人生を人間らしく生きることを願っている。
以上が要約である。
毎日、書き続け、発信しているのは「自由のため」である。このことは折々書いてきたことだ。
北朝鮮の元外交官リ・イルギュさんの脱北が成功したのは彼が外交官で、当時、任地キューバという国外にいたからこそ韓国に亡命できたという運の良さがあったことも否めない。
江戸時代からわが国には吉原のような公娼制度の下に遊廓が設置され、貧しい農民の娘たちが身売りされ、搾取されながら、逃げ出せない籠の鳥のような人生を送り、労咳や性病、火災などで死ねば浄閑寺のような投げ込み寺に捨てられた。
明治、大正、昭和とアジア太平洋戦争を経る中で、廓清運動も起きてはいたが、結局、売春防止法ができるまで彼女たちの不遇な生活は続く。
人身売買に反対する立場から、廓清運動に目覚め、関係書籍を買い求め、読みながら学習を続けた。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では、遊女、女郎と呼ばれし女性たちの供養もしてきた。
北朝鮮は国家であるが、自由を求めて出国すると殺されてしまうということで、女郎屋と少しも変わらないことに驚かされる。
女郎屋では足抜きと称されていたが、逃げ出して捕まると、厳しく折檻され、挙句格下の遊廓に売り飛ばされてしまう。それでも、殺したりしないのが北朝鮮と大きく異なるところだ。
女郎として稼げる限りは殺したりしないが、北朝鮮は見せしめのために公開処刑するのだ。
自分が仮に北朝鮮に生まれてしまったら、出国できるチャンスは外交官になるしかない。
外交官だから、当然、海外に行くことができるし、出国できれば、亡命のチャンスも生まれるというものだ。
独裁国家であれば、戦前、戦中の日本やナチスのドイツがそうであったように自由がないことは同じでも、北朝鮮は出国できないところが他の独裁国家と大きく異なり、女郎屋と瓜二つなところだ。
この世に神が存在するなら、北朝鮮の金一族の独裁体制がいつまでも続くはずがない。
金一族の滅亡の日が一日も早く来ることを北朝鮮の市民のために祈りたい。
北朝鮮に自由を!
2024年10月14日
2024年10月08日
「人間宣言」二人の女性の生き方に学ぶ
NHKこころの時代ライブラリーその言葉が道をひらく、「人間宣言」を視聴する機会に恵まれた。
「国立ハンセン病療養所『多磨全生園』で暮らす山内きみ江さん(90)にお話を伺う。差別や偏見から多くを失い、諦めざるを得なかったきみ江さんにとって転機となったのが67歳のとき、当時、高校を卒業したばかりの真由美さんを養女に迎えたことだった。さらに、社会復帰を目指し、園の外での生活も体験した。人権を踏みにじられながら生きてきたきみ江さんに、人間とは何か、そして次代に伝えたいメッセージを伺う。」と㏋にある。
公益財団法人東京都人権啓発センターTOKYO人権第59号(2013(平成25)年8月30日発行)に「ハンセン病を生きてこの世に生を受けて良かったなと思う」ということで山内きみ江さんの講演が紹介されている。
この時のプロフィールによれば、1957年、国立療養所多磨全生園に入所。同年、入所者の定と結婚。2001年、養女を迎える。2005年、全生園近くのマンションに転居。定は持病悪化のため園に残る。2010年、孫誕生。2011年、定、死去。同年、全生園内に戻る。多磨全生園に入所してから、漢字をおぼえるために俳句を始め、その後、知人の勧めで五行歌を書いている。毎月専門誌に投稿している。
熊谷博子監督『かづゑ的』で、監督とスタッフが8年間伴走してドキュメンタリー映画として紹介された1928(昭和3)年生まれの宮崎かづゑさんを観て、ハンセン病患者への差別がどれほど酷かったか教えられた。
当事者のかづゑさんは、瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所、長島愛生園で「できるんよ、やろうと思えば」とどんなことにも挑戦した女性である。その前向きな生き方に敬意を表しながら、スクリーンに映るかづゑさんの人生の一コマを見つめた。
山内きみ江さんは1934(昭和9)年生まれで、東京東村山の国立ハンセン病療養所多磨全生園で生活されていたということで、宮崎かづゑさんより自分にとっては身近な存在といえるかもしれない。
というのも、多磨全生園には2016年6月に訪問したことがあり、納骨堂の前で、亡くなった方への供養ということで尺八を吹いたことがあるからだ。
さらに園内を散策した時、居住者の住宅の近くを歩いたので、園内で生活していた拠点というか、居住の実態を少しばかり知ることができた。
人と較べるなんてことが大嫌いな自分としては、かづゑさんときみ江さんを較べるようなバカなことは考えたことはないが、人間の数ほどドラマがあるように、同じ女性で世代も比較的近い女性の人生もそれぞれだなと思った次第である。
まず、海が見える明るい長島愛生園と東京とはいうものの、埼玉県県境に近い場所だからか、あるいは隠すためか、園内に樹木がたくさんある多磨全生園という施設のロケーションに大きな違いを見た。
二人とも、結婚されているが、病気を理由とする問題故か、子どもを持つことが許されなかった。
きみ江さんは養女を迎え、孫がいるとのことである。
二人が食べるために、食材を調理する場面が撮られていたが、病気の後遺症で指先が使えないから、包丁を使うとき、工夫しながら、使いこなしていたのを見て、なんて、前向きな生き方なんだろうと感心した。
同時に生きるって大変なんだと痛感させられた。
後期高齢者になって、心身共に急激に衰え、一時鬱状態に近くなったが、かかりつけ医の処方する薬と畑に通い、大自然の力で少しばかり元気を回復しつつある自分と較べ、国立の療養所に入所させられているときは自由を奪われていた二人にとって、弱音を吐く暇がなかったであろう。
人間が生きるということの大変さを教えてくれた二人であるが、苦労の少なかった自分は意気地なしで、苦労続きの二人は気合が入っている。
それにつけても、ハンセン病というのは怖ろしい病気であるが、そのことを多くの人が知り、差別がなくなる社会になるように願う。
「国立ハンセン病療養所『多磨全生園』で暮らす山内きみ江さん(90)にお話を伺う。差別や偏見から多くを失い、諦めざるを得なかったきみ江さんにとって転機となったのが67歳のとき、当時、高校を卒業したばかりの真由美さんを養女に迎えたことだった。さらに、社会復帰を目指し、園の外での生活も体験した。人権を踏みにじられながら生きてきたきみ江さんに、人間とは何か、そして次代に伝えたいメッセージを伺う。」と㏋にある。
公益財団法人東京都人権啓発センターTOKYO人権第59号(2013(平成25)年8月30日発行)に「ハンセン病を生きてこの世に生を受けて良かったなと思う」ということで山内きみ江さんの講演が紹介されている。
この時のプロフィールによれば、1957年、国立療養所多磨全生園に入所。同年、入所者の定と結婚。2001年、養女を迎える。2005年、全生園近くのマンションに転居。定は持病悪化のため園に残る。2010年、孫誕生。2011年、定、死去。同年、全生園内に戻る。多磨全生園に入所してから、漢字をおぼえるために俳句を始め、その後、知人の勧めで五行歌を書いている。毎月専門誌に投稿している。
熊谷博子監督『かづゑ的』で、監督とスタッフが8年間伴走してドキュメンタリー映画として紹介された1928(昭和3)年生まれの宮崎かづゑさんを観て、ハンセン病患者への差別がどれほど酷かったか教えられた。
当事者のかづゑさんは、瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所、長島愛生園で「できるんよ、やろうと思えば」とどんなことにも挑戦した女性である。その前向きな生き方に敬意を表しながら、スクリーンに映るかづゑさんの人生の一コマを見つめた。
山内きみ江さんは1934(昭和9)年生まれで、東京東村山の国立ハンセン病療養所多磨全生園で生活されていたということで、宮崎かづゑさんより自分にとっては身近な存在といえるかもしれない。
というのも、多磨全生園には2016年6月に訪問したことがあり、納骨堂の前で、亡くなった方への供養ということで尺八を吹いたことがあるからだ。
さらに園内を散策した時、居住者の住宅の近くを歩いたので、園内で生活していた拠点というか、居住の実態を少しばかり知ることができた。
人と較べるなんてことが大嫌いな自分としては、かづゑさんときみ江さんを較べるようなバカなことは考えたことはないが、人間の数ほどドラマがあるように、同じ女性で世代も比較的近い女性の人生もそれぞれだなと思った次第である。
まず、海が見える明るい長島愛生園と東京とはいうものの、埼玉県県境に近い場所だからか、あるいは隠すためか、園内に樹木がたくさんある多磨全生園という施設のロケーションに大きな違いを見た。
二人とも、結婚されているが、病気を理由とする問題故か、子どもを持つことが許されなかった。
きみ江さんは養女を迎え、孫がいるとのことである。
二人が食べるために、食材を調理する場面が撮られていたが、病気の後遺症で指先が使えないから、包丁を使うとき、工夫しながら、使いこなしていたのを見て、なんて、前向きな生き方なんだろうと感心した。
同時に生きるって大変なんだと痛感させられた。
後期高齢者になって、心身共に急激に衰え、一時鬱状態に近くなったが、かかりつけ医の処方する薬と畑に通い、大自然の力で少しばかり元気を回復しつつある自分と較べ、国立の療養所に入所させられているときは自由を奪われていた二人にとって、弱音を吐く暇がなかったであろう。
人間が生きるということの大変さを教えてくれた二人であるが、苦労の少なかった自分は意気地なしで、苦労続きの二人は気合が入っている。
それにつけても、ハンセン病というのは怖ろしい病気であるが、そのことを多くの人が知り、差別がなくなる社会になるように願う。
2024年09月21日
「女性抑圧 犯罪に」国連規定化先進国働きかけ訴え」
2023年ノーベル平和賞を受賞したイランのジャーナリストで、女性人権活動家ナルゲス・モハンマディ氏(52)は、「神権体制や権威主義の政府による女性への抑圧と差別」が続いているとして、執筆した手記を獄中から読売に寄稿し、性別に基づく差別「ジェンダー・アパルトヘイト」を犯罪とするよう国連や国際社会に求め、行動を呼び掛けた。日本など先進国には影響力の行使を訴えた。と9月14日の読売が1面トップで伝えている。
16日は、イランで女性に義務付けられた頭部を覆うスカーフの不適切な着用を理由に、警察に拘束されたマフサ・アミニさん=当時(22)=が死亡してから2年の節目。モハンマディ氏は、収監先の首都テヘランの刑務所で記した14日付の声明で、「国際機関や世界中の人々の積極的な行動」を要請。「抑圧や差別から女性を解放することが、平和や民主主義を推進するために欠かせない」と訴えた。
反国家プロパガンダ罪などで、累計30年以上の禁錮刑や154回のむち打ち刑を科された。一飛保釈され、心臓手術を受けてから2か月足らずの2022年4月、刑務所に戻され、獄中生活を送っているモハマンディさん。
イスラム教のことを批判すると殺し屋が日本にやってきて殺されてしまう。
だから、批判はできないが、自由のために発信してきた手前、自由を求めている女性には何とか手助けしたくなってしまう。
イスラム原理主義だとされているタリバンが支配しているアフガンで医師で在りながら、灌漑用水を敷設し、食料が自給できるようにした現代の英雄であるボランティアの中村哲先生が殺害されてしまった。
恩を仇で返されてから、イスラムの人たちとは相いれないことが分かったので、批判はしないが、支援したいとも思わなくなった。
マフサ・アミ二さんが警察によって殺害されてから2年が経ち、中東ではイスラエルとパレスチナガザ地区のイスラム武装集団ハマスの戦争が続いている。
人は親を選べず、生まれた時代も、生まれた国もまた選べない。
これほど重要なことを自ら決めることができない以上、神の加護というものがあってもいいのではないかと考えるが、神の加護なんてあった例がない。
かく言う自分の出自には感謝しているが、生まれた国は自分の生年の数年前は戦争をしていたから、生まれた時代は戦後でよかったとこちらも感謝するばかりである。
北朝鮮に生まれた人、イランに生まれた女性、アフガンに生まれた女性、生まれながらにして、自由を奪われ、抑圧されて生きるよりなく、北朝鮮に至っては、国から出ることもできない籠の鳥、女郎屋に売られた女性と全く変わらない。
民主主義が誰が何と言っても一番なのは、言論や表現の自由があり、性別や人種、肌の色などで差別されないことだが、その差別にはついては米国でさえ、厳然と今も存在していることは極めて残念なことだ。
女性は自分の母親、姉、今一番大事な連れ合いとこの人たちがいなかったら、自分の存在なんて考えられない。
自分は連れ合いのことを、「かみさん」と呼んでいるが、かみさんは、自分にとって、神さんでもあるから、大事さは自分の命と同じである。
イスラムのことを批判出来ないが、物申す勇気には敬意を表し、エールをおくりたい。
16日は、イランで女性に義務付けられた頭部を覆うスカーフの不適切な着用を理由に、警察に拘束されたマフサ・アミニさん=当時(22)=が死亡してから2年の節目。モハンマディ氏は、収監先の首都テヘランの刑務所で記した14日付の声明で、「国際機関や世界中の人々の積極的な行動」を要請。「抑圧や差別から女性を解放することが、平和や民主主義を推進するために欠かせない」と訴えた。
反国家プロパガンダ罪などで、累計30年以上の禁錮刑や154回のむち打ち刑を科された。一飛保釈され、心臓手術を受けてから2か月足らずの2022年4月、刑務所に戻され、獄中生活を送っているモハマンディさん。
イスラム教のことを批判すると殺し屋が日本にやってきて殺されてしまう。
だから、批判はできないが、自由のために発信してきた手前、自由を求めている女性には何とか手助けしたくなってしまう。
イスラム原理主義だとされているタリバンが支配しているアフガンで医師で在りながら、灌漑用水を敷設し、食料が自給できるようにした現代の英雄であるボランティアの中村哲先生が殺害されてしまった。
恩を仇で返されてから、イスラムの人たちとは相いれないことが分かったので、批判はしないが、支援したいとも思わなくなった。
マフサ・アミ二さんが警察によって殺害されてから2年が経ち、中東ではイスラエルとパレスチナガザ地区のイスラム武装集団ハマスの戦争が続いている。
人は親を選べず、生まれた時代も、生まれた国もまた選べない。
これほど重要なことを自ら決めることができない以上、神の加護というものがあってもいいのではないかと考えるが、神の加護なんてあった例がない。
かく言う自分の出自には感謝しているが、生まれた国は自分の生年の数年前は戦争をしていたから、生まれた時代は戦後でよかったとこちらも感謝するばかりである。
北朝鮮に生まれた人、イランに生まれた女性、アフガンに生まれた女性、生まれながらにして、自由を奪われ、抑圧されて生きるよりなく、北朝鮮に至っては、国から出ることもできない籠の鳥、女郎屋に売られた女性と全く変わらない。
民主主義が誰が何と言っても一番なのは、言論や表現の自由があり、性別や人種、肌の色などで差別されないことだが、その差別にはついては米国でさえ、厳然と今も存在していることは極めて残念なことだ。
女性は自分の母親、姉、今一番大事な連れ合いとこの人たちがいなかったら、自分の存在なんて考えられない。
自分は連れ合いのことを、「かみさん」と呼んでいるが、かみさんは、自分にとって、神さんでもあるから、大事さは自分の命と同じである。
イスラムのことを批判出来ないが、物申す勇気には敬意を表し、エールをおくりたい。
2024年09月07日
寄居の朝鮮人虐殺追悼式 語り継ぐ大震災の悲劇
1923年の関東大震災後、埼玉県寄居町で虐殺された朝鮮人の飴売り、具学永(ク・ハギョン)さん=当時(28)=の命日に合わせ、墓のある町内の寺「正樹院」で6日、追悼式が開かれた。約60人が参列し、101年前の悲劇に思いをはせた。と9月7日の東京新聞のWEBが伝えている。
具さんは23年9月5〜6日、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といったデマを信じた自警団などに追われ、身を寄せた警察署内で殺害された。
追悼式を開いたのは、地元住民らでつくる市民団体「むくげの会」。郷土史を調べる過程で事件を知った代表の木島修さん(71)が昨年、事件の記憶を語り継ぎ、近隣住民らが建てた墓を保全しようと、有志とともに設立した。
関東大震災の混乱期、朝鮮人と勘違いされて、香川の薬売りが虐殺された事件を描いた森達也監督『福田村事件』を観たことで、関東大震災での混乱に乗じて、実際に虐殺事件が起きたことを知った。
流言蜚語、流言飛語という言葉がある。
誰かが悪意を持って発したのであろうか。「朝鮮人が攻めてくる」などとありもしないことを言い出し、だから、「やっつけろ!」などと言ったのかもしれない。
そんなことをする理由がない朝鮮半島出身者にしてみれば、さぞやおそろしかっただろう。
さらに、朝鮮人に間違えられて、襲撃された香川の薬売りの一行は怖かったにちがいない。
関東大震災のとき、流言飛語が飛んだことがまた起きないとは限らないことが怖ろしい。
コロナ禍で自粛警察なる現象がネットなどで見られたことも怖ろしい。
他者が言っていることを鵜吞みにしない。さもなくば、いつ我が身にふりかからないとも限らない。
民族差別がなくならないのは、何も日韓だけでなく、米国は戦争に勝ったことからジャップと日本人を差別し、沖縄などで女性に性的暴行を重ねているばかりか、日米地位協定に守られている米兵は相変わらず日本人女性を狙っている。
沖縄の女性や基地のある街で暮らす女性は米兵による性暴力の被害者になるリスクがあるが、性犯罪事件が起きたことを政府は地元にしらせようともしてこなかった。
今、コメが入手しにくくなっていることなど、買いだめによる影響もあるのではないか。
流言飛語に巻き込まれないように日頃から留意することだ。
具さんは23年9月5〜6日、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といったデマを信じた自警団などに追われ、身を寄せた警察署内で殺害された。
追悼式を開いたのは、地元住民らでつくる市民団体「むくげの会」。郷土史を調べる過程で事件を知った代表の木島修さん(71)が昨年、事件の記憶を語り継ぎ、近隣住民らが建てた墓を保全しようと、有志とともに設立した。
関東大震災の混乱期、朝鮮人と勘違いされて、香川の薬売りが虐殺された事件を描いた森達也監督『福田村事件』を観たことで、関東大震災での混乱に乗じて、実際に虐殺事件が起きたことを知った。
流言蜚語、流言飛語という言葉がある。
誰かが悪意を持って発したのであろうか。「朝鮮人が攻めてくる」などとありもしないことを言い出し、だから、「やっつけろ!」などと言ったのかもしれない。
そんなことをする理由がない朝鮮半島出身者にしてみれば、さぞやおそろしかっただろう。
さらに、朝鮮人に間違えられて、襲撃された香川の薬売りの一行は怖かったにちがいない。
関東大震災のとき、流言飛語が飛んだことがまた起きないとは限らないことが怖ろしい。
コロナ禍で自粛警察なる現象がネットなどで見られたことも怖ろしい。
他者が言っていることを鵜吞みにしない。さもなくば、いつ我が身にふりかからないとも限らない。
民族差別がなくならないのは、何も日韓だけでなく、米国は戦争に勝ったことからジャップと日本人を差別し、沖縄などで女性に性的暴行を重ねているばかりか、日米地位協定に守られている米兵は相変わらず日本人女性を狙っている。
沖縄の女性や基地のある街で暮らす女性は米兵による性暴力の被害者になるリスクがあるが、性犯罪事件が起きたことを政府は地元にしらせようともしてこなかった。
今、コメが入手しにくくなっていることなど、買いだめによる影響もあるのではないか。
流言飛語に巻き込まれないように日頃から留意することだ。
2024年09月05日
日本再生へ「始動者」育成
社会の課題となっていることに対し、有識者が処方箋を書くように所見を披露する読売の連載「あすへの考」の8月25日(政治部石川有希子次長)は、【世界で戦える国に】というテーマでシンクタンク「青山社中筆頭代表朝比奈一郎さん(51)が「日本再生へ『始動者』育成」「本来、既存の制度や前例を変えていくのがリーダ―」という見出しで、再び「日本を世界で戦える国」にするために必要なのは、「始動者」の存在だと説いていて、大変勉強になったので書いておく。
朝比奈さんは元通産省(現経産省)のキャリアで在職中に「新しい霞が関を創る若手の会」(プロジェクトK)を自ら「始めて動」き、2003年に発足させた。
縦割り行政の是正や政策の質向上に向けた改革案を取りまとめ、提言の一部は国家公務員制度改革基本法として結実した。
「霞が関だけでなく日本全体をよりよくしたい」という思いで坂本龍馬の「亀山社中」に倣い「青山社中」を創業したという。
日本再生の柱は「始動者となる人材の育成」と「地域の活性化」である。この二本柱が連関し合い、それぞれの地域が食い扶持を稼いで輝くようになれば、各地から日本を変えていけるだろう。
政治家や起業家などを目指す若者を対象とした「リーダー塾」などを主宰し、地方自治体の研修や官民連携のサポートなどを行っている。
日本再生には地域活性化に加え、パブリックセクターにおける「始動者」の存在も重要になってくるが、その役割を果たす日本最大の政策立案機関である中央官庁の人材不足は深刻な問題だ。
もう一度世界を相手に戦える国にするため、パブリックセクター、民間、地域それぞれが「始動者」を育て、彼ら彼女らが最大限に能力を発揮できる環境を創ることが求められている。と結ぶ。
パブリックセクターである国家公務員が国会答弁書づくりで深夜まで働かされて、嫌気がさして辞めてしまうという原因を創っている大臣とそのトップである自民党総裁選が行われているが、報道されていることから、自分の知っている範囲で、「始動者」を活かせるリーダーをきちんと選ばないと日本はこのまま浮上することはない。
例えば、二人のキングメーカー、中折れハットにだみ声のボスと学術会議のメンバーの選考にいちゃもんをつけ、官僚の人事権を支配し、ふるさと納税などという決められたパイの奪い合いというナンセンスなことを始めたボス。
だみ声のボスの手下は人望がまるでない今や嫌われ者となっているマイナーカード推進派。対して、人事権で公務員を脅してきたボスの手下は「おもてなし」の美女を連れ合いにし、自分だけいい思いをしているが、話の中身がないと批判されながらも、何も考えない人たちからは人気があるとされている若手。
長くなるから、自分が推している人は記者会見で「国民が安心できる人にやさしい『仁』の政治を行いたい。『仁』とは国民に対する慈しみや思いやりという意味だ」と語り、大臣の経験も豊富で答弁に困らない人。外務大臣だった時外国の大臣にピアノでビートルズナンバーを演奏したことで知られるあの人だ。
もう一人、だみ声のボスから頭がいいけど人間性に問題があると言われ、自分より下の人間をいじめることで知られる要職にある人は、自民党参議院議員でCAさんをいじめた北海道で威張り腐っている男。元国の役人で知事になったとたん威張り腐って、内部告発した部下を自殺に追いやったいじめっ子知事とそっくりだから、人間性に問題があるような人物はリーダーにふさわしくない。
さて、朝比奈さんが坂本龍馬を意識されているみたいにお見受けするが、失われた30年なんてことに二度となってもらいたくない。
人事権で支配するような怖い男がバックにいて、ただ人気だけがある薄っぺらなリーダーではなく、「始動者」がどんどん生まれ育つ「仁」の心がわかるリーダーであってほしい。それだけ「始動者」の存在は岐路に立つ日本に欠かせない。
その「始動者」を坂本龍馬に倣い、見出し、育て、活躍してもらうということは素晴らしいが、腐ったメディアは「始動者」と地域活性化について、あまりとりあげてこなかった。
地域活性化に取り組んでいる人物をメディアはもっと取り上げ、応援していく必要がある。
TVが地域活性化する番組を放送することで、人々の意識も変わっていくはずだ。
朝比奈さんは元通産省(現経産省)のキャリアで在職中に「新しい霞が関を創る若手の会」(プロジェクトK)を自ら「始めて動」き、2003年に発足させた。
縦割り行政の是正や政策の質向上に向けた改革案を取りまとめ、提言の一部は国家公務員制度改革基本法として結実した。
「霞が関だけでなく日本全体をよりよくしたい」という思いで坂本龍馬の「亀山社中」に倣い「青山社中」を創業したという。
日本再生の柱は「始動者となる人材の育成」と「地域の活性化」である。この二本柱が連関し合い、それぞれの地域が食い扶持を稼いで輝くようになれば、各地から日本を変えていけるだろう。
政治家や起業家などを目指す若者を対象とした「リーダー塾」などを主宰し、地方自治体の研修や官民連携のサポートなどを行っている。
日本再生には地域活性化に加え、パブリックセクターにおける「始動者」の存在も重要になってくるが、その役割を果たす日本最大の政策立案機関である中央官庁の人材不足は深刻な問題だ。
もう一度世界を相手に戦える国にするため、パブリックセクター、民間、地域それぞれが「始動者」を育て、彼ら彼女らが最大限に能力を発揮できる環境を創ることが求められている。と結ぶ。
パブリックセクターである国家公務員が国会答弁書づくりで深夜まで働かされて、嫌気がさして辞めてしまうという原因を創っている大臣とそのトップである自民党総裁選が行われているが、報道されていることから、自分の知っている範囲で、「始動者」を活かせるリーダーをきちんと選ばないと日本はこのまま浮上することはない。
例えば、二人のキングメーカー、中折れハットにだみ声のボスと学術会議のメンバーの選考にいちゃもんをつけ、官僚の人事権を支配し、ふるさと納税などという決められたパイの奪い合いというナンセンスなことを始めたボス。
だみ声のボスの手下は人望がまるでない今や嫌われ者となっているマイナーカード推進派。対して、人事権で公務員を脅してきたボスの手下は「おもてなし」の美女を連れ合いにし、自分だけいい思いをしているが、話の中身がないと批判されながらも、何も考えない人たちからは人気があるとされている若手。
長くなるから、自分が推している人は記者会見で「国民が安心できる人にやさしい『仁』の政治を行いたい。『仁』とは国民に対する慈しみや思いやりという意味だ」と語り、大臣の経験も豊富で答弁に困らない人。外務大臣だった時外国の大臣にピアノでビートルズナンバーを演奏したことで知られるあの人だ。
もう一人、だみ声のボスから頭がいいけど人間性に問題があると言われ、自分より下の人間をいじめることで知られる要職にある人は、自民党参議院議員でCAさんをいじめた北海道で威張り腐っている男。元国の役人で知事になったとたん威張り腐って、内部告発した部下を自殺に追いやったいじめっ子知事とそっくりだから、人間性に問題があるような人物はリーダーにふさわしくない。
さて、朝比奈さんが坂本龍馬を意識されているみたいにお見受けするが、失われた30年なんてことに二度となってもらいたくない。
人事権で支配するような怖い男がバックにいて、ただ人気だけがある薄っぺらなリーダーではなく、「始動者」がどんどん生まれ育つ「仁」の心がわかるリーダーであってほしい。それだけ「始動者」の存在は岐路に立つ日本に欠かせない。
その「始動者」を坂本龍馬に倣い、見出し、育て、活躍してもらうということは素晴らしいが、腐ったメディアは「始動者」と地域活性化について、あまりとりあげてこなかった。
地域活性化に取り組んでいる人物をメディアはもっと取り上げ、応援していく必要がある。
TVが地域活性化する番組を放送することで、人々の意識も変わっていくはずだ。
2024年07月26日
生還 コロナ禍から
19日金曜日、『越後奥三面』を観て、20日は元気だったにもかかわらず、21日の午後から喉が痛くなり、これはまずいことになった。と悪い予感がし、22日、月曜日の朝、37度台ではあったが、発熱し、咳も出たことから、歩いて15分、車で5分と近くのかかりつけのクリニックに連れ合いと一緒に行った。
熱があるとクリニックに入れない約束だから、駐車場で、診察ということになった。
コロナの検査をしても意味がないので、喉の痛み、咳、そして、カロナールと三種類の薬を処方してもらい帰宅し、自分の本や映画のパンフレット、尺八やCDで足の踏み場もない部屋で、そのまま療養と相成った。
3日間、熱が下がらず、昨日になって、ようやく、熱だけは平熱になったが、腰など関節が痛くて簡単には立ち上がれない。
5日目の今日は、今のところ、怖れていた肺炎の兆候はみられない。
咳は出始めると苦しいし、だんだんひどくなるが、薬で押さえているという感じである。
というわけで、もう大丈夫かもしれないと、忘れていた宿題をやるように書き始めた。
タイトルが「生還」だと、全く、大袈裟だな、読んでみたら全く大したことはないではないかという向きもあるだろう。
しかし、当事者にしてみれば、ちっとも大袈裟ではないのである。
美空ひばりが亡くなったニュースが流れたとき、寺の坊主がなりやすいとされているあの痛い病気で入院手術をしたのだが、ドクターの手術ミスが重なり、3回も手術させられた。
その後、3年間も痛みと違和感に苦しめられ、1992年3月だったと思うが、港区の今は閉院した病院に入院し、手術、絶飲食で5月末日まで約3か月入院し、炎症性腸疾患クローン病だと診断され、食事制限が始まった。
ストレスで仕事を退職することばかり考えていた2003(平成15)
年6月、腸閉塞で1週間程度入院し、病気加療を理由に退職を申し出て認められた。
その後、2006(平成18)年だったか、再び、腸閉塞で入院するのだが、恥ずかしいことに連れ合いの帰宅まで痛みを我慢できず、救急車の世話になった。
腸閉塞は鼻から管を胃まで入れるのか、とにかく苦しい。
口から吐きながら、悲鳴を上げる患者の鼻から管を入れるドクターは神様のように見える。
そして、2022年9月、39度の発熱が下がらず歩行困難になり、またしても救急車で運ばれる。尿路感染症が悪化し、腎盂腎炎でもう少し遅ければ尿毒症でアウトだった。
入院期間はいずれも1週間程度であったが、腸閉塞は絶飲食で鼻から管だから楽ではない。
以上が、病院にお世話になった入院歴であるから、免疫力が低下し、コロナで肺炎に罹患すれば、助からないだろうと覚悟するわけだ。
経済的に困っていることはないが、40代からの病気とのつき合いだから、生きていくのもたいへんなのである、
カネがなくて困っている。一人暮らしだから話し相手がいない。病気を抱えている。嫌な奴につきまとわれている。・・・。
自分の思い通りになることなどほとんどないが、それでも健康であれば何とかなるけれど、病気だけはどうにもならない。
それも、免疫力、生命力次第だから、何とか、肺炎にならずに、今回、乗り越えられたら、まだお迎えは来なかったと解釈し、少しは世の中のためになることをやっておきたいと思った。
熱があるとクリニックに入れない約束だから、駐車場で、診察ということになった。
コロナの検査をしても意味がないので、喉の痛み、咳、そして、カロナールと三種類の薬を処方してもらい帰宅し、自分の本や映画のパンフレット、尺八やCDで足の踏み場もない部屋で、そのまま療養と相成った。
3日間、熱が下がらず、昨日になって、ようやく、熱だけは平熱になったが、腰など関節が痛くて簡単には立ち上がれない。
5日目の今日は、今のところ、怖れていた肺炎の兆候はみられない。
咳は出始めると苦しいし、だんだんひどくなるが、薬で押さえているという感じである。
というわけで、もう大丈夫かもしれないと、忘れていた宿題をやるように書き始めた。
タイトルが「生還」だと、全く、大袈裟だな、読んでみたら全く大したことはないではないかという向きもあるだろう。
しかし、当事者にしてみれば、ちっとも大袈裟ではないのである。
美空ひばりが亡くなったニュースが流れたとき、寺の坊主がなりやすいとされているあの痛い病気で入院手術をしたのだが、ドクターの手術ミスが重なり、3回も手術させられた。
その後、3年間も痛みと違和感に苦しめられ、1992年3月だったと思うが、港区の今は閉院した病院に入院し、手術、絶飲食で5月末日まで約3か月入院し、炎症性腸疾患クローン病だと診断され、食事制限が始まった。
ストレスで仕事を退職することばかり考えていた2003(平成15)
年6月、腸閉塞で1週間程度入院し、病気加療を理由に退職を申し出て認められた。
その後、2006(平成18)年だったか、再び、腸閉塞で入院するのだが、恥ずかしいことに連れ合いの帰宅まで痛みを我慢できず、救急車の世話になった。
腸閉塞は鼻から管を胃まで入れるのか、とにかく苦しい。
口から吐きながら、悲鳴を上げる患者の鼻から管を入れるドクターは神様のように見える。
そして、2022年9月、39度の発熱が下がらず歩行困難になり、またしても救急車で運ばれる。尿路感染症が悪化し、腎盂腎炎でもう少し遅ければ尿毒症でアウトだった。
入院期間はいずれも1週間程度であったが、腸閉塞は絶飲食で鼻から管だから楽ではない。
以上が、病院にお世話になった入院歴であるから、免疫力が低下し、コロナで肺炎に罹患すれば、助からないだろうと覚悟するわけだ。
経済的に困っていることはないが、40代からの病気とのつき合いだから、生きていくのもたいへんなのである、
カネがなくて困っている。一人暮らしだから話し相手がいない。病気を抱えている。嫌な奴につきまとわれている。・・・。
自分の思い通りになることなどほとんどないが、それでも健康であれば何とかなるけれど、病気だけはどうにもならない。
それも、免疫力、生命力次第だから、何とか、肺炎にならずに、今回、乗り越えられたら、まだお迎えは来なかったと解釈し、少しは世の中のためになることをやっておきたいと思った。
2024年07月19日
『越後奥三面 山に生かされた日々』
月に一度の映画館行き、7月は民族文化映像研究所姫田忠義監督のドキュメンタリー『越後奥三面 山に生かされた日々』を梅雨明けの東京はポレポレ東中野で観てきた。
日頃、エアコンとは縁のない生活をしているので、駅まで行く車、電車、館内、その後の食事処、帰路の電車に帰りの車とずっとエアコンだったから、わが家に帰ってきてほっとしている。
時間より少し早く着いたので、開場するまで待っていたら、ご亭主が奥三面出身で、ご自身は浅草生まれで浅草育ちの自分と同世代と思しき女性に声をかけられた。
「『おくみおもて』と読むのよね」と地名の呼び方も教えてもらった。
越後とはいいながら、山形県との県境、朝日連峰の近くの山峡の集落が舞台で、その共同体で暮らす人々の冬、春、夏、秋、そしてまた冬、という巡りくる季節の暮しを切り取った作品で、撮影されたのは村がダム建設で水没することで住民が移住するまでの80年代半ばまでの頃で、デジタルリマスター版として、リバイバル上映された。
村がダムで沈むと言えば、神山征二郎監督、加藤嘉主演『故郷』を80年代前半だったかに観た覚えがある。
揖斐川の上流、岐阜県徳山村が舞台だった。
越後の共同体での暮らしといえば、佐藤真監督『阿賀に生きる』と小林茂監督『風の波紋』というドキュメンタリー作品を観ている。阿賀野川流域と越後の妻有が舞台で、奥三面はさらに山峡ということと越後の妻有は撮影年代が異なるので、様相が違った印象である。
連れ合いの両親が越後は妙高の出身ということで、故郷を車で訪ねたことがあるが、クマが出ることは同じでも、妙高の村は山峡というほどではなく9軒の限界集落だった。
首都圏の田舎町に生まれ育ち、小学校5年生の頃には、父親から畑を手伝わさせられ、鍬で耕したりしていたが、奥三面とは比較にもならない首都圏の田舎町だったから、生活の厳しさが全く異なる。
それでも、当時、共同体のに雰囲気が残っていた時代で、舗装していない街の道路を道普請したことがあるし、御嶽講中に加入させられてもいたし、隣組などという組織もあったりで、共同体としての意識は強かった時代だった。
奥三面という山峡での暮らしは過酷で、農耕民族と狩猟民族が一緒に住んでいるような暮らしぶりで、ほとんど自給自足だから、コメを作るし、クマを鉄砲で撃ったり、罠で殺したりし、解体して、住民のたんぱく質にしているなど大自然との共存には智慧が使われているのだ。
印象的なのは、大自然に畏怖する気持ちが強いのか、山の神を筆頭に八百万の神に祈りを捧げ、お供えを欠かさないことである。
東北の寒村といえば、娘たちが身売りさせられるほど貧しかった。
佐藤三治郎『さるこ沼哀歌 出羽路人売証文秘話』(無名舎出版)を買い求めて読んだことがある。
身売りさせられた娘が沼に身を投げる話で、哀しい、救いのない話であった。
その点、奥三面は共同体として、住民が力を併せ、大自然からの恵みに感謝し、協力しながら生活を立ち行かせていたので、娘たちは身売りせずにすんだかもしれない。
奥三面で暮らす少女のほっぺが真っ赤で、肌の色はあくまでも白く可憐である。
可憐な少女が身売りさせられるようなことがある社会であってはならない。
共同体の佳さである助けあうことで、大自然の厳しさと共存する姿に人が生きるということをまた教えてもらった。
ドキュメンタリー映画が好きだが、勉強になることは間違いないし、多くの人に鑑賞することを薦めたい。
日頃、エアコンとは縁のない生活をしているので、駅まで行く車、電車、館内、その後の食事処、帰路の電車に帰りの車とずっとエアコンだったから、わが家に帰ってきてほっとしている。
時間より少し早く着いたので、開場するまで待っていたら、ご亭主が奥三面出身で、ご自身は浅草生まれで浅草育ちの自分と同世代と思しき女性に声をかけられた。
「『おくみおもて』と読むのよね」と地名の呼び方も教えてもらった。
越後とはいいながら、山形県との県境、朝日連峰の近くの山峡の集落が舞台で、その共同体で暮らす人々の冬、春、夏、秋、そしてまた冬、という巡りくる季節の暮しを切り取った作品で、撮影されたのは村がダム建設で水没することで住民が移住するまでの80年代半ばまでの頃で、デジタルリマスター版として、リバイバル上映された。
村がダムで沈むと言えば、神山征二郎監督、加藤嘉主演『故郷』を80年代前半だったかに観た覚えがある。
揖斐川の上流、岐阜県徳山村が舞台だった。
越後の共同体での暮らしといえば、佐藤真監督『阿賀に生きる』と小林茂監督『風の波紋』というドキュメンタリー作品を観ている。阿賀野川流域と越後の妻有が舞台で、奥三面はさらに山峡ということと越後の妻有は撮影年代が異なるので、様相が違った印象である。
連れ合いの両親が越後は妙高の出身ということで、故郷を車で訪ねたことがあるが、クマが出ることは同じでも、妙高の村は山峡というほどではなく9軒の限界集落だった。
首都圏の田舎町に生まれ育ち、小学校5年生の頃には、父親から畑を手伝わさせられ、鍬で耕したりしていたが、奥三面とは比較にもならない首都圏の田舎町だったから、生活の厳しさが全く異なる。
それでも、当時、共同体のに雰囲気が残っていた時代で、舗装していない街の道路を道普請したことがあるし、御嶽講中に加入させられてもいたし、隣組などという組織もあったりで、共同体としての意識は強かった時代だった。
奥三面という山峡での暮らしは過酷で、農耕民族と狩猟民族が一緒に住んでいるような暮らしぶりで、ほとんど自給自足だから、コメを作るし、クマを鉄砲で撃ったり、罠で殺したりし、解体して、住民のたんぱく質にしているなど大自然との共存には智慧が使われているのだ。
印象的なのは、大自然に畏怖する気持ちが強いのか、山の神を筆頭に八百万の神に祈りを捧げ、お供えを欠かさないことである。
東北の寒村といえば、娘たちが身売りさせられるほど貧しかった。
佐藤三治郎『さるこ沼哀歌 出羽路人売証文秘話』(無名舎出版)を買い求めて読んだことがある。
身売りさせられた娘が沼に身を投げる話で、哀しい、救いのない話であった。
その点、奥三面は共同体として、住民が力を併せ、大自然からの恵みに感謝し、協力しながら生活を立ち行かせていたので、娘たちは身売りせずにすんだかもしれない。
奥三面で暮らす少女のほっぺが真っ赤で、肌の色はあくまでも白く可憐である。
可憐な少女が身売りさせられるようなことがある社会であってはならない。
共同体の佳さである助けあうことで、大自然の厳しさと共存する姿に人が生きるということをまた教えてもらった。
ドキュメンタリー映画が好きだが、勉強になることは間違いないし、多くの人に鑑賞することを薦めたい。
2024年07月12日
「生命に優劣」いまだ根強く
障害を理由に不妊手術を強制した旧優生保護法に関する裁判で、最高裁大法廷は、3日、旧法は「違憲」と断じ、国に対して被害者に賠償するよう命じた。
強制不妊手術のような重大な人権侵害には損害賠償を求める権利が消える「除斥期間」は適用されないとした。
その意義と今後の課題について、7月7日の読売(山下真範記者)が「論点スペシャル」で3人に尋ねている。
全国優生保護法被害弁護団共同代表新里宏二さんが「漏れなき救済へ 実態把握を」、国立病院機構仙台医療センター総合精神神経科部長岡崎伸郎さんが「医学の負の歴史 教訓に」、東京大学教授市野川容孝さんが「『生命に優劣』 いまだ根強く」ということで、それぞれの立場から論じられている。
特筆すべきは、市野川さんが「16年に起きた知的障がい者施設『津久井やまゆり園』の殺傷事件が示唆するように『人間の生命には優劣がある』という考え方はいまだに根強い。最近でも、少子高齢化を背景に『高齢者は老害化する前に集団自決みたいなものを」という発言が波紋を呼んだ。以前より人権意識が高まった現代であっても、社会情勢次第では「人の選別」へと風潮が揺れ動きかねない。改めて一人ひとりが差別は許されないと意識することが求められる」と人々の心の奥底にある差別に対し、意識改革を求めていたことである。
語り継ぐ戦争で教えられたことの一つに日本人は未婚の女性を15人をソ連軍の将校の性奴隷として差し出し、引き換えに、ソ連兵や満人、朝鮮人などからの略奪、性暴力から開拓団を守ってもらい、帰国を果たした人たちがいたということだ。
このことは、この開拓団だけののことではなく、女性に性暴力をするためにやってくるソ連の兵隊に水商売の人たちがいれば、彼女たちを生贄にし、集団のリーダーから相手をするように頼まれたという事実もあった。
深沢七郎『楢山節考』(新潮文庫)を買い求めて読んだとき、食べ物がなくなったら、年寄りから死ななければならないと妙に納得してしまった自分はまだ若かった。
満州や朝鮮半島からの引き揚げで顕著に表れたのが、誰かを蹴落としてでも引き揚げ列車に乗り込んだ人々、人を蹴落とすような人だけが帰国を果たしたということ。
人は他者を犠牲にして生きてきたと言っても過言ではない。強者であればあるほど。
増税反対、消費税廃止で全国を行脚しているれいわ新選組の山本太郎代表は「人は生きているだけで価値がある」と発言している。
演説会場で、「障がい者を国会に送っても、何もできやしない」と代表に食ってかかった人がいた。
れいわの国会議員はよく勉強し、障がい者の立場から、しっかり質問していることを承知していた自分は、まだ、こんな偏見を持った人がいるんだと驚いた。
当然、山本代表は彼らが彼らでなければなし得ないことをやっていると論破した。
障がいもいろいろで、精神を病んでいる人が犯罪を起こしても、罪に問えない以上、野放しということであれば、犠牲者はたまったものではない。
自らは金銭的に恵まれた中折れハットがトレードマークのような80代の議員が貧乏な年寄りが長生きすると福祉のカネがかかる。などとコメントしたことがあった。
人間は法の下に平等であり、生存権、基本的人権を規定している日本国憲法はまさに憲法にふさわしい。
強制不妊手術のような重大な人権侵害には損害賠償を求める権利が消える「除斥期間」は適用されないとした。
その意義と今後の課題について、7月7日の読売(山下真範記者)が「論点スペシャル」で3人に尋ねている。
全国優生保護法被害弁護団共同代表新里宏二さんが「漏れなき救済へ 実態把握を」、国立病院機構仙台医療センター総合精神神経科部長岡崎伸郎さんが「医学の負の歴史 教訓に」、東京大学教授市野川容孝さんが「『生命に優劣』 いまだ根強く」ということで、それぞれの立場から論じられている。
特筆すべきは、市野川さんが「16年に起きた知的障がい者施設『津久井やまゆり園』の殺傷事件が示唆するように『人間の生命には優劣がある』という考え方はいまだに根強い。最近でも、少子高齢化を背景に『高齢者は老害化する前に集団自決みたいなものを」という発言が波紋を呼んだ。以前より人権意識が高まった現代であっても、社会情勢次第では「人の選別」へと風潮が揺れ動きかねない。改めて一人ひとりが差別は許されないと意識することが求められる」と人々の心の奥底にある差別に対し、意識改革を求めていたことである。
語り継ぐ戦争で教えられたことの一つに日本人は未婚の女性を15人をソ連軍の将校の性奴隷として差し出し、引き換えに、ソ連兵や満人、朝鮮人などからの略奪、性暴力から開拓団を守ってもらい、帰国を果たした人たちがいたということだ。
このことは、この開拓団だけののことではなく、女性に性暴力をするためにやってくるソ連の兵隊に水商売の人たちがいれば、彼女たちを生贄にし、集団のリーダーから相手をするように頼まれたという事実もあった。
深沢七郎『楢山節考』(新潮文庫)を買い求めて読んだとき、食べ物がなくなったら、年寄りから死ななければならないと妙に納得してしまった自分はまだ若かった。
満州や朝鮮半島からの引き揚げで顕著に表れたのが、誰かを蹴落としてでも引き揚げ列車に乗り込んだ人々、人を蹴落とすような人だけが帰国を果たしたということ。
人は他者を犠牲にして生きてきたと言っても過言ではない。強者であればあるほど。
増税反対、消費税廃止で全国を行脚しているれいわ新選組の山本太郎代表は「人は生きているだけで価値がある」と発言している。
演説会場で、「障がい者を国会に送っても、何もできやしない」と代表に食ってかかった人がいた。
れいわの国会議員はよく勉強し、障がい者の立場から、しっかり質問していることを承知していた自分は、まだ、こんな偏見を持った人がいるんだと驚いた。
当然、山本代表は彼らが彼らでなければなし得ないことをやっていると論破した。
障がいもいろいろで、精神を病んでいる人が犯罪を起こしても、罪に問えない以上、野放しということであれば、犠牲者はたまったものではない。
自らは金銭的に恵まれた中折れハットがトレードマークのような80代の議員が貧乏な年寄りが長生きすると福祉のカネがかかる。などとコメントしたことがあった。
人間は法の下に平等であり、生存権、基本的人権を規定している日本国憲法はまさに憲法にふさわしい。
2024年07月05日
旧優生保護法は違憲
旧優生保護法(1948〜96年)の下で不妊手術を強制されたのは憲法違反だとして、被害者らが国に損害賠償を求めた5件の訴訟の上告審で、最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)は3日、旧法を「違憲」と指摘して国側に賠償を命じる判決を言い渡した。原告側勝訴の4件の高裁判決が確定。原告側の請求を棄却した仙台高裁判決は破棄し、審理を同高裁に差し戻した。とメディアが伝えている。
7月3日の読売によれば、判決は、不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」について、「著しく正義・公平の理念に反し、容認することができない場合は適用されない」との初判断を示し、今回の原告には適用しなかった。
NHK「クローズアップ現代」でも、この問題を取り上げていたのを視聴することができた。
「7月3日、旧優生保護法のもと、不妊手術を強制された障害者たちが国に賠償を求めた裁判の最高裁判決が言い渡される。子を持つ権利を奪われ苦しんできた原告たちがその行方を見守る。一方「障害者に子育てはできない」という考えは今も社会に根強く、支える仕組みも整っていない。旧優生保護法の違憲訴訟の判決の日。子どもを産み育てる権利をめぐる実情をルポし、「差別のない社会」を実現するために何ができるのか、考えていく。」
6月30日の読売「広角 多角」で田中誠文化部次長が障がい者との出会いで二つのやめたこととして、「障がい者を特別扱いすること」、障がい者に「頑張っているね」と声をかけることを心掛けているというのだ。
きっかけはNHKのドラマ「パーセント」を視聴したからだそうな。
旧優生保護法が違憲だと訴えていることは当然承知していたが、コメントするのは初めてのことである。
障がい者に子育てができないなんて言うことはないということは、連れ合いの中学校の同級生が聾唖者で、優秀なその女性は公的な仕事に就き、やがて結婚し、子どもにも恵まれた。
事情は知らないが離婚し、シングルで子育てしたらしい。
クラスで人気者だったらしい連れ合いの所に、クラス会の問い合わせが来ていたから、連れ合いは彼女に好かれていたのだろう。
さて、れいわ新選組の山本太郎代表は、重度の障がい者を国会に送り、街頭演説では、「人は生きているだけで価値がある」差別をなくし、誰でもが住みやすい社会にしていこうと呼びかけている。
実に立派な考え方で、敬服する。
ところが、団塊の世代の一員でである自分は、見たくないものをみてしまったことがあるのだ。
弟が統合失調症でその方面の病院に入院中の高齢の男性が遺伝で弟と同じ病気の次世代が生まれては困るからと子どもを持たないことにしたのだと耳にした時、同席していた連れ合いが激しく件の男性を詰ったのである。
自分も男性の考え方を支持する立場だったから、詰った女性のことをみつめてしまった。
日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮社)では「心神喪失」の名の下、罪に問われねヤツがいる!帯というか腰巻には「この国の無法ぶりを暴いた衝撃のノンフィクション」と書いてある。
精神が壊れてしまえば、犯罪をやってもその責任を問えない。ということの問題点を指摘したものだ。
障がい者と一括りできないほど、障がいはいろいろで、高齢になってくると、耳鳴りがしたり、難聴になる。歯だって、自前でなくなる。
自分の命より大事だと思っている連れ合いは在職中、人工股関節の手術を受けているから歩けるが、これがなければ歩けない。だから障がい者手帳を持っている。
優生保護という思想が優秀な人間、カネがある人間は長生きしてもいいが、貧乏人は医療費がかかるから早く死ねといったらしい中折れハットの国会議員が言った言動に通じるから嫌いな言葉だ。
語り継ぐ戦争では、満州や朝鮮半島でソ連兵などから性的暴行を受け生憎妊娠してしまった女性が博多や佐世保に引き揚げ後、中絶手術を受けさせられた。
ソ連兵の子どもを産ませるわけにはいかないという理由で。
ところが、特攻隊の街として知られる知覧では、戦争に敗れ、進駐してきた米兵に旅館の仲居が性的暴行を受け、生まれた子どもの肌の色が黒かったという。
戦争に勝って進駐してきた米国の兵隊は性暴力で他国の女性に子どもを産ませている。
優生保護思想は持ち合わせていないが、犯罪被害者支援を訴えてきた立場であるから、心神喪失、心神耗弱だからという理由で、罪を問われないのはおかしいという考え方に賛成である。
難しい問題ではある。
7月3日の読売によれば、判決は、不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」について、「著しく正義・公平の理念に反し、容認することができない場合は適用されない」との初判断を示し、今回の原告には適用しなかった。
NHK「クローズアップ現代」でも、この問題を取り上げていたのを視聴することができた。
「7月3日、旧優生保護法のもと、不妊手術を強制された障害者たちが国に賠償を求めた裁判の最高裁判決が言い渡される。子を持つ権利を奪われ苦しんできた原告たちがその行方を見守る。一方「障害者に子育てはできない」という考えは今も社会に根強く、支える仕組みも整っていない。旧優生保護法の違憲訴訟の判決の日。子どもを産み育てる権利をめぐる実情をルポし、「差別のない社会」を実現するために何ができるのか、考えていく。」
6月30日の読売「広角 多角」で田中誠文化部次長が障がい者との出会いで二つのやめたこととして、「障がい者を特別扱いすること」、障がい者に「頑張っているね」と声をかけることを心掛けているというのだ。
きっかけはNHKのドラマ「パーセント」を視聴したからだそうな。
旧優生保護法が違憲だと訴えていることは当然承知していたが、コメントするのは初めてのことである。
障がい者に子育てができないなんて言うことはないということは、連れ合いの中学校の同級生が聾唖者で、優秀なその女性は公的な仕事に就き、やがて結婚し、子どもにも恵まれた。
事情は知らないが離婚し、シングルで子育てしたらしい。
クラスで人気者だったらしい連れ合いの所に、クラス会の問い合わせが来ていたから、連れ合いは彼女に好かれていたのだろう。
さて、れいわ新選組の山本太郎代表は、重度の障がい者を国会に送り、街頭演説では、「人は生きているだけで価値がある」差別をなくし、誰でもが住みやすい社会にしていこうと呼びかけている。
実に立派な考え方で、敬服する。
ところが、団塊の世代の一員でである自分は、見たくないものをみてしまったことがあるのだ。
弟が統合失調症でその方面の病院に入院中の高齢の男性が遺伝で弟と同じ病気の次世代が生まれては困るからと子どもを持たないことにしたのだと耳にした時、同席していた連れ合いが激しく件の男性を詰ったのである。
自分も男性の考え方を支持する立場だったから、詰った女性のことをみつめてしまった。
日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮社)では「心神喪失」の名の下、罪に問われねヤツがいる!帯というか腰巻には「この国の無法ぶりを暴いた衝撃のノンフィクション」と書いてある。
精神が壊れてしまえば、犯罪をやってもその責任を問えない。ということの問題点を指摘したものだ。
障がい者と一括りできないほど、障がいはいろいろで、高齢になってくると、耳鳴りがしたり、難聴になる。歯だって、自前でなくなる。
自分の命より大事だと思っている連れ合いは在職中、人工股関節の手術を受けているから歩けるが、これがなければ歩けない。だから障がい者手帳を持っている。
優生保護という思想が優秀な人間、カネがある人間は長生きしてもいいが、貧乏人は医療費がかかるから早く死ねといったらしい中折れハットの国会議員が言った言動に通じるから嫌いな言葉だ。
語り継ぐ戦争では、満州や朝鮮半島でソ連兵などから性的暴行を受け生憎妊娠してしまった女性が博多や佐世保に引き揚げ後、中絶手術を受けさせられた。
ソ連兵の子どもを産ませるわけにはいかないという理由で。
ところが、特攻隊の街として知られる知覧では、戦争に敗れ、進駐してきた米兵に旅館の仲居が性的暴行を受け、生まれた子どもの肌の色が黒かったという。
戦争に勝って進駐してきた米国の兵隊は性暴力で他国の女性に子どもを産ませている。
優生保護思想は持ち合わせていないが、犯罪被害者支援を訴えてきた立場であるから、心神喪失、心神耗弱だからという理由で、罪を問われないのはおかしいという考え方に賛成である。
難しい問題ではある。
2024年06月19日
臓器移植、医療機関へ手厚い支援を
2023年、臓器提供がありながら、心臓移植断念件数が東京大学などで16件あったことを6月11日の読売が伝えている。
このニュースを受け、「移植逼迫」というタイトルで6月14日から16日まで3回、臓器移植の課題などを読売が1面トップなどで取り上げている。
「待機患者『間に合うのか』」「移植体制整備遅れ」「米は高収益・治療分業」「あっせん機関増員急務」「提供意思 生かす仕組み」「韓米ドナー報道や通報制度」という見出しで伝えるものは、助けられる命を助けようという人々の善意を無駄にしてはいけない。ということだった。
臓器移植に関して日本と較べ先進的取り組みがなされている隣国韓国の臓器組織寄贈院(KODA)の李三悦院長が読売のインタビューに応じ、脳死下に臓器提供を支えるシステムが整備されていることを強調したことを6月9日の読売が「スキャナー」で伝えていた。
「韓国
病院支援ドナー増」「脳死可能性通報義務」「移植への調整役 派遣」「臓器提供称える文化」という見出しである。
脳死の可能性がある患者の情報をあっせん機関に通報する制度と、通報した医療機関への手厚い支援が、提供件数の増加につながっている。日本にはない取り組みだ。
ドナーを、誰かの命を救った英雄として称える文化の醸成に努めている。家族の同意が得られれば、ドナーの名前や人柄、提供までの物語と写真を報道機関に公開する。社会に広く伝わることで、国民の臓器提供への認識が肯定的に変化していると感じる。
課題としては、23年に通報があった1738件のうち、提供に至ったのは483件(28%)だったこと。臓器提供への国民の理解を広げることが重要だ。
臓器移植に関して、一番大事なことはれいわ新選組の山本太郎代表が全国を周って支持を訴えているとき、必ず、聴衆に届けるメッセージ「生きているだけで価値がある」ということに尽きる。
次いで、生きているのだから、誰かのために生きるということも重要になってくるのではないか。
臓器移植に目を向ければ、脳死になったら、臓器移植のドナーになることで誰かのためになるということが考えられる。
語り継ぐ戦争だから、日本は戦争で若者たちを特攻作戦なる無謀な攻撃で死なせたばかりでなく、玉砕という美辞麗句に置き換えた集団自決で命を粗末にする風潮が作られていたことも指摘したいところである。
少し前まで、年間の自殺者が3万人も出ていた事実は何を物語っているのであろうか。
自殺、自死を選んだ人だって、死にたくて死ぬというよりも、救いの手を差し伸べてもらえなかったことが3万人もの命が奪われてしまったことに通じる。
こういうことを論じるべき国会では、森友、加計学園問題で時間を取られ、反日、反社の旧統一教会とズブズブの関係があった首相。洗脳された母親が献金を重ねて、家庭が崩壊した青年にその首相が襲撃された結果、国会でもようやく統一教会の悪事が追及されることになって時間を取られた。次は、自民党の国会議員が政治献金を政治資金規正法に記帳せず、裏金を作り、収入があったにもかかわらず、税金の申告を怠った問題が議論されてきた。
ドナーからの臓器移植手術を心待ちにしている患者たちは、一日も早く順番が回ってくることを願ってきたが、東京大学病院などで、ドナーからの臓器提供がありながら、移植ができない事態になっていることが報道され、さぞや失望していることだろうと推察する。
医療機関に政府がカネを出せばいいだけのことではないか。
ようやく、ドナーが少しずつ増えそうな気配があったにもかかわらず、韓国や米国と較べて日本が後れを取っているのは、税金を上げることばかり考えている立憲と肝心な議論の前に、自分たちのことしか考えていない自民党とその補完勢力という賞味期限切れの政治家たちのせいである。
韓国や米国の佳いところは見習えばいい。
困っている人たちのことを考えるのが政治ではなかったのか。
もうこれ以上失望させないでくれ。
このニュースを受け、「移植逼迫」というタイトルで6月14日から16日まで3回、臓器移植の課題などを読売が1面トップなどで取り上げている。
「待機患者『間に合うのか』」「移植体制整備遅れ」「米は高収益・治療分業」「あっせん機関増員急務」「提供意思 生かす仕組み」「韓米ドナー報道や通報制度」という見出しで伝えるものは、助けられる命を助けようという人々の善意を無駄にしてはいけない。ということだった。
臓器移植に関して日本と較べ先進的取り組みがなされている隣国韓国の臓器組織寄贈院(KODA)の李三悦院長が読売のインタビューに応じ、脳死下に臓器提供を支えるシステムが整備されていることを強調したことを6月9日の読売が「スキャナー」で伝えていた。
「韓国
病院支援ドナー増」「脳死可能性通報義務」「移植への調整役 派遣」「臓器提供称える文化」という見出しである。
脳死の可能性がある患者の情報をあっせん機関に通報する制度と、通報した医療機関への手厚い支援が、提供件数の増加につながっている。日本にはない取り組みだ。
ドナーを、誰かの命を救った英雄として称える文化の醸成に努めている。家族の同意が得られれば、ドナーの名前や人柄、提供までの物語と写真を報道機関に公開する。社会に広く伝わることで、国民の臓器提供への認識が肯定的に変化していると感じる。
課題としては、23年に通報があった1738件のうち、提供に至ったのは483件(28%)だったこと。臓器提供への国民の理解を広げることが重要だ。
臓器移植に関して、一番大事なことはれいわ新選組の山本太郎代表が全国を周って支持を訴えているとき、必ず、聴衆に届けるメッセージ「生きているだけで価値がある」ということに尽きる。
次いで、生きているのだから、誰かのために生きるということも重要になってくるのではないか。
臓器移植に目を向ければ、脳死になったら、臓器移植のドナーになることで誰かのためになるということが考えられる。
語り継ぐ戦争だから、日本は戦争で若者たちを特攻作戦なる無謀な攻撃で死なせたばかりでなく、玉砕という美辞麗句に置き換えた集団自決で命を粗末にする風潮が作られていたことも指摘したいところである。
少し前まで、年間の自殺者が3万人も出ていた事実は何を物語っているのであろうか。
自殺、自死を選んだ人だって、死にたくて死ぬというよりも、救いの手を差し伸べてもらえなかったことが3万人もの命が奪われてしまったことに通じる。
こういうことを論じるべき国会では、森友、加計学園問題で時間を取られ、反日、反社の旧統一教会とズブズブの関係があった首相。洗脳された母親が献金を重ねて、家庭が崩壊した青年にその首相が襲撃された結果、国会でもようやく統一教会の悪事が追及されることになって時間を取られた。次は、自民党の国会議員が政治献金を政治資金規正法に記帳せず、裏金を作り、収入があったにもかかわらず、税金の申告を怠った問題が議論されてきた。
ドナーからの臓器移植手術を心待ちにしている患者たちは、一日も早く順番が回ってくることを願ってきたが、東京大学病院などで、ドナーからの臓器提供がありながら、移植ができない事態になっていることが報道され、さぞや失望していることだろうと推察する。
医療機関に政府がカネを出せばいいだけのことではないか。
ようやく、ドナーが少しずつ増えそうな気配があったにもかかわらず、韓国や米国と較べて日本が後れを取っているのは、税金を上げることばかり考えている立憲と肝心な議論の前に、自分たちのことしか考えていない自民党とその補完勢力という賞味期限切れの政治家たちのせいである。
韓国や米国の佳いところは見習えばいい。
困っている人たちのことを考えるのが政治ではなかったのか。
もうこれ以上失望させないでくれ。
2024年06月16日
農園が悩める人々の交流の場に
病気で社会から離れた人や引きこもりに悩む人らを再び世間と繋がれるよう、東京は三多摩の国立市社会福祉協議会が農園で交流してもらう取り組みを行っている。
当事者同士で悩みを共有したり、作業を通じて自己肯定感を高めてもらったりすることなどが狙いで、立ち直るきっかけをつかんだ人も出ている。と6月12日の読売(井上勇人記者)が伝えている。
国立市のJR南武線矢川駅から徒歩で10分ほどにある農園「くにたち陽向菜縁」。同社協が管理している畑では約50種の野菜や果物が栽培されている。
子どもが引きこもるなどして悩みを募らせた家族らからの相談が相次いで寄せられるようになったことなどから同社協はNPO法人と協力し、引きこもりや精神疾患などの生きづらさを抱える人たちの家族会を設立。当事者同士が雑談などを楽しめる交流会も定期的に開催するなど、本格的な支援を始めた。
21年度に農園を開園したのは、生きづらさを抱える人たち同士だけでなく、地域の人とも交流できる場にするのが狙いだ。
収穫した野菜の一部は、食材を生活困窮世帯などに無料で配布する「フードパントリ―」に取り組む団体に寄付している。「誰かの役に立っている」と感じてもらうのも、大きな目的の一つだと参加者は話す。
農福連携ということを耳にする機会が増えたような気がする。
恒常的な人手不足、後継者難の農業に対し、働く意欲はあっても、なかなか就労に結びつかない福祉の人材を活用し農業の担い手にしていく試みのことである。
工藤阿須加「農業始めちゃいました」が面白いので視聴している。
自身東京農業大学を卒業し、農業にチャレンジしているという工藤阿須加が農業に新規参入というかチャレンジしている人々を訪ねるのだが、農業で生活しようとする人たちだから、応援してやりたくて視聴しているのだ。
自分は有機無農薬での野菜作り、循環型農業をしているが、収益を上げているわけではなく、身内など世話になっている人たちにプレゼントしているほかは、食するためにやっていることだから、あまり偉そうなことは言えない。
それでも、有機無農薬での野菜作りが自分の心身にどれ程佳い影響を与えてくれていることか、わかっているから、「悩める人々をつなぐ農園」という見出しで紹介されている国立の農園を設置、管理している国立の社協の取り組みを高く評価しエールをおくりたくなった。
収穫した野菜を「フードパントリー」を通じて、生活困窮者に配布していることも嬉しいことではないか。
耕作放棄地などいくらでもあるではないか。
国立市というのはJR中央線の三多摩随一の繫栄が目立つ立川と古い街国分寺からとり、市名を国立としたと耳にしたことがある街だ。
小さな街ではあるが、社協の取り組みは優れている。
農園は悩める人の交流にもってこいの場所である。
農福連携で、福祉の関係者で働く意欲がある人には、もっと、農園があったほうがいい。
当事者同士で悩みを共有したり、作業を通じて自己肯定感を高めてもらったりすることなどが狙いで、立ち直るきっかけをつかんだ人も出ている。と6月12日の読売(井上勇人記者)が伝えている。
国立市のJR南武線矢川駅から徒歩で10分ほどにある農園「くにたち陽向菜縁」。同社協が管理している畑では約50種の野菜や果物が栽培されている。
子どもが引きこもるなどして悩みを募らせた家族らからの相談が相次いで寄せられるようになったことなどから同社協はNPO法人と協力し、引きこもりや精神疾患などの生きづらさを抱える人たちの家族会を設立。当事者同士が雑談などを楽しめる交流会も定期的に開催するなど、本格的な支援を始めた。
21年度に農園を開園したのは、生きづらさを抱える人たち同士だけでなく、地域の人とも交流できる場にするのが狙いだ。
収穫した野菜の一部は、食材を生活困窮世帯などに無料で配布する「フードパントリ―」に取り組む団体に寄付している。「誰かの役に立っている」と感じてもらうのも、大きな目的の一つだと参加者は話す。
農福連携ということを耳にする機会が増えたような気がする。
恒常的な人手不足、後継者難の農業に対し、働く意欲はあっても、なかなか就労に結びつかない福祉の人材を活用し農業の担い手にしていく試みのことである。
工藤阿須加「農業始めちゃいました」が面白いので視聴している。
自身東京農業大学を卒業し、農業にチャレンジしているという工藤阿須加が農業に新規参入というかチャレンジしている人々を訪ねるのだが、農業で生活しようとする人たちだから、応援してやりたくて視聴しているのだ。
自分は有機無農薬での野菜作り、循環型農業をしているが、収益を上げているわけではなく、身内など世話になっている人たちにプレゼントしているほかは、食するためにやっていることだから、あまり偉そうなことは言えない。
それでも、有機無農薬での野菜作りが自分の心身にどれ程佳い影響を与えてくれていることか、わかっているから、「悩める人々をつなぐ農園」という見出しで紹介されている国立の農園を設置、管理している国立の社協の取り組みを高く評価しエールをおくりたくなった。
収穫した野菜を「フードパントリー」を通じて、生活困窮者に配布していることも嬉しいことではないか。
耕作放棄地などいくらでもあるではないか。
国立市というのはJR中央線の三多摩随一の繫栄が目立つ立川と古い街国分寺からとり、市名を国立としたと耳にしたことがある街だ。
小さな街ではあるが、社協の取り組みは優れている。
農園は悩める人の交流にもってこいの場所である。
農福連携で、福祉の関係者で働く意欲がある人には、もっと、農園があったほうがいい。
2024年06月15日
吃音に理解を 生きやすい社会に
6月9日の読売の朝刊で見つけた「東京春秋」というタイトルの囲み記事302回とあったのは、大前勇記者(36歳)が「吃音 周囲の理解が大切」という見出しで、言葉が滑らかに出ない吃音の取材で出会った人たちのことを取り上げている。
吃音の若者が一日限定で働くカフェを各地で開く奥村安莉沙さん(32)。自身も吃音の奥村さんが安心して働く場所を作りたいと世田谷区でカフェを始めたのは3年前。「他の職業でもやって」と反響が相次ぎ、新たな取り組みとして、「接客に時間がかかるアパレルショップを4月に大阪の百貨店で開いた。
吃音の大学生らが販売員になり、「言葉が出るのに時間がかかります」などと伝えたいメッセージを首から下げて接客した。
記者も子どもの頃から吃音があり、からかわれることが何度もあったそうな。
奥村さんを取材して、「こんな風に理解してもらえるんだ」と気づかされた。
一人でも多くの人が生きやすい社会について考えていきたい。と結ぶ。
古希を過ぎて躰のあちこちに金属疲労ならぬ、加齢による衰えを自覚するようになってしまった。
歯がダメで、ポリデントが身近になってしまったし、目から光線が走るようになったときは焦ったし、眼科に行くと白内障の目薬を処方され、耳鳴り、難聴に悩まされるようになった。
40代早々に炎症性腸疾患クローン病だと診断され、爾来通院、服薬が続く。
有機無農薬での野菜作りを実践しているので、慢性的に腰が痛いし、膝の具合が悪くて草むしりがたいへんなことになっている。
さて、吃音である。
歯がダメで、ポリデントのお世話になるくらいだから、活舌が悪くなり、尺八を吹くことにも影響がでている。
言葉が出ないのは、吃音でも失語症でもなく、老化現象で認知症の初期かもしれない。
しかしである。
ハンディキャップを自覚すると、吃音者の気持ちもよく理解できるようになった。
接客業であれば、メッセージを首から下げておけば意志は伝えられる。
一人でも多くの人が生きやすい社会にしていくことは素晴らしいことだ。
誰しもがみな同じであるわけがないのである。
ここが一番肝心なところである。
一人ひとりがこの意識をもてるかどうかである。
吃音の若者が一日限定で働くカフェを各地で開く奥村安莉沙さん(32)。自身も吃音の奥村さんが安心して働く場所を作りたいと世田谷区でカフェを始めたのは3年前。「他の職業でもやって」と反響が相次ぎ、新たな取り組みとして、「接客に時間がかかるアパレルショップを4月に大阪の百貨店で開いた。
吃音の大学生らが販売員になり、「言葉が出るのに時間がかかります」などと伝えたいメッセージを首から下げて接客した。
記者も子どもの頃から吃音があり、からかわれることが何度もあったそうな。
奥村さんを取材して、「こんな風に理解してもらえるんだ」と気づかされた。
一人でも多くの人が生きやすい社会について考えていきたい。と結ぶ。
古希を過ぎて躰のあちこちに金属疲労ならぬ、加齢による衰えを自覚するようになってしまった。
歯がダメで、ポリデントが身近になってしまったし、目から光線が走るようになったときは焦ったし、眼科に行くと白内障の目薬を処方され、耳鳴り、難聴に悩まされるようになった。
40代早々に炎症性腸疾患クローン病だと診断され、爾来通院、服薬が続く。
有機無農薬での野菜作りを実践しているので、慢性的に腰が痛いし、膝の具合が悪くて草むしりがたいへんなことになっている。
さて、吃音である。
歯がダメで、ポリデントのお世話になるくらいだから、活舌が悪くなり、尺八を吹くことにも影響がでている。
言葉が出ないのは、吃音でも失語症でもなく、老化現象で認知症の初期かもしれない。
しかしである。
ハンディキャップを自覚すると、吃音者の気持ちもよく理解できるようになった。
接客業であれば、メッセージを首から下げておけば意志は伝えられる。
一人でも多くの人が生きやすい社会にしていくことは素晴らしいことだ。
誰しもがみな同じであるわけがないのである。
ここが一番肝心なところである。
一人ひとりがこの意識をもてるかどうかである。
2024年06月05日
「無縁遺体」 引き取り拒否 5年間で3割増し
死後に引き取り手がない「無縁遺体」の取り扱い人数について、読売新聞が政令市と道府県庁所在市、東京23区の計74市区にアンケートを実施したところ、計69市区で2022年度までの5年間に3割増加していたことがわかった。国内死者数の増加率を上回るペースで、背景には独居高齢者の増加や親類の引き取り拒否が広がっていることがある。厚生労働省は近く、実態調査に着手する。と6月3日の1面で伝えている。
孤独死で身元がわからない、または身元がはっきりしていても引き取り手がない「無縁遺体」は、死亡地の市区町村が、墓地埋葬法や行旅法、生活保護法に基づき、火葬・埋葬する。
増加の理由については、「独居の高齢者世帯が増え、社会や家族の在り方が多様化している」(京都市)、「親族に連絡がついても遺体や遺骨の引き取りを拒否される」(東京都中央区)を挙げる自治体が多かった。
身寄りもなく社会から孤立して生きる人が増えている現象を無縁社会と呼び、NHKが放送したことを思い出した。
日本の社会を構成していた家父長制の家族なんてとっくの昔に姿を消し、あるとすれば、地方の田舎にあるかもしれないくらいとなり、両親がいて子どもがいるという一般的な家族という形も少なくなりつつある。
TVで長く放送されている刑事ドラマ『相棒』で、放送された作品中の名作だと評価の高い「ボーダーライン」では、失業して家賃を支払えず住むところを失い、身寄りはいても頼れず、就職もできず、生活保護の申請に行っても体よく追い払われ、犯罪に巻き込まれた孤独な青年が社会に怨嗟の目を向け殺人に見せかけて、自殺するというストーリーだった。
生活保護のことが書かれているというので久田恵『ケースワーカーと呼ばれる人々 ニッポン貧困最前線』(文春文庫)を買い求めて読んだことがあるし、調べたことがあるので生活保護の実態も少しは知っている。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では全国の慰霊碑を訪ねてお参りしてきたが、縁者がいない無縁仏には手を合わさずにはいられなかった。
併せて、遊女、女郎と呼ばれた女性たちの供養をしてきたので、こちらも無縁仏となっている女性の方がほとんどである。
例えば、地方の田舎から大都会東京にやってきて、アパートや団地で一人住まいで高齢となった場合、生活保護を受給していれば、部屋で死ねば孤独死ではあるが、ケースワーカーが親族に連絡し、埋葬、遺骨を引き取ってもらうことになるが、ケースワーカーがついていない、つまり生活保護を受けていなければ、こちらも役所の福祉の職員が親族に連絡し、遺体の引き取りを求める。
引き取りを拒否された場合、福祉が提携している葬祭会社に頼んで合祀してもらうこともあるようだ。
家族とはいうものの、親、兄弟姉妹が生きているうちは遺体の引き取りを拒否することは少ないだろうが、甥、姪の時代になれば、遺体の引き取りを拒否することの方が圧倒的に多いのではないか。
時の流れで、血縁関係も薄れていくのだ。
これから、間違いなく増えるであろう無縁遺体。どうすればいいのか。
行政が本気になって対策をすればいいのである。
葬祭会社、霊園などと提携し合祀すればいいだけのことである。
実家を継いだ兄、つまり自分の叔父と関係がうまくなかった叔母。子どもがいなかった叔母が先年亡くなり、叔母の弟が最後面倒をみていたので、墓所の場所は聞いていた。
長いことコロナ禍で行かれなかったが、関内駅の近くの葬祭ビルにある納骨堂というかスペースに預けられているというので、先般、ようやくお参りに行ってきた。
写メを連れ合いに取ってもらい、自分の姉に送ったところ、大変喜ばれた。
姉曰く「あんたたちが代表してお参りしてくれてありがとう」とのことだった。
姉にとっても、叔母だから気にしていたみたいで、なかなかお参りに行かれないので、安心したようである。
ということで、わが家はまだ家族としての形が成り立っているということなのかもしれない。
死ねばみな一緒であるが。自分が死んだら墓参りだけはしてくれとは連れ合いへの自分の口癖である。
孤独死で身元がわからない、または身元がはっきりしていても引き取り手がない「無縁遺体」は、死亡地の市区町村が、墓地埋葬法や行旅法、生活保護法に基づき、火葬・埋葬する。
増加の理由については、「独居の高齢者世帯が増え、社会や家族の在り方が多様化している」(京都市)、「親族に連絡がついても遺体や遺骨の引き取りを拒否される」(東京都中央区)を挙げる自治体が多かった。
身寄りもなく社会から孤立して生きる人が増えている現象を無縁社会と呼び、NHKが放送したことを思い出した。
日本の社会を構成していた家父長制の家族なんてとっくの昔に姿を消し、あるとすれば、地方の田舎にあるかもしれないくらいとなり、両親がいて子どもがいるという一般的な家族という形も少なくなりつつある。
TVで長く放送されている刑事ドラマ『相棒』で、放送された作品中の名作だと評価の高い「ボーダーライン」では、失業して家賃を支払えず住むところを失い、身寄りはいても頼れず、就職もできず、生活保護の申請に行っても体よく追い払われ、犯罪に巻き込まれた孤独な青年が社会に怨嗟の目を向け殺人に見せかけて、自殺するというストーリーだった。
生活保護のことが書かれているというので久田恵『ケースワーカーと呼ばれる人々 ニッポン貧困最前線』(文春文庫)を買い求めて読んだことがあるし、調べたことがあるので生活保護の実態も少しは知っている。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では全国の慰霊碑を訪ねてお参りしてきたが、縁者がいない無縁仏には手を合わさずにはいられなかった。
併せて、遊女、女郎と呼ばれた女性たちの供養をしてきたので、こちらも無縁仏となっている女性の方がほとんどである。
例えば、地方の田舎から大都会東京にやってきて、アパートや団地で一人住まいで高齢となった場合、生活保護を受給していれば、部屋で死ねば孤独死ではあるが、ケースワーカーが親族に連絡し、埋葬、遺骨を引き取ってもらうことになるが、ケースワーカーがついていない、つまり生活保護を受けていなければ、こちらも役所の福祉の職員が親族に連絡し、遺体の引き取りを求める。
引き取りを拒否された場合、福祉が提携している葬祭会社に頼んで合祀してもらうこともあるようだ。
家族とはいうものの、親、兄弟姉妹が生きているうちは遺体の引き取りを拒否することは少ないだろうが、甥、姪の時代になれば、遺体の引き取りを拒否することの方が圧倒的に多いのではないか。
時の流れで、血縁関係も薄れていくのだ。
これから、間違いなく増えるであろう無縁遺体。どうすればいいのか。
行政が本気になって対策をすればいいのである。
葬祭会社、霊園などと提携し合祀すればいいだけのことである。
実家を継いだ兄、つまり自分の叔父と関係がうまくなかった叔母。子どもがいなかった叔母が先年亡くなり、叔母の弟が最後面倒をみていたので、墓所の場所は聞いていた。
長いことコロナ禍で行かれなかったが、関内駅の近くの葬祭ビルにある納骨堂というかスペースに預けられているというので、先般、ようやくお参りに行ってきた。
写メを連れ合いに取ってもらい、自分の姉に送ったところ、大変喜ばれた。
姉曰く「あんたたちが代表してお参りしてくれてありがとう」とのことだった。
姉にとっても、叔母だから気にしていたみたいで、なかなかお参りに行かれないので、安心したようである。
ということで、わが家はまだ家族としての形が成り立っているということなのかもしれない。
死ねばみな一緒であるが。自分が死んだら墓参りだけはしてくれとは連れ合いへの自分の口癖である。
2024年06月03日
臓器移植 相次ぐ断念 問題の背景と対策
時の問題となっている事象について有識者が論じる読売の連載「論点スペシャル」、5月30日は「臓器移植 相次ぐ断念」をテーマにグリーンリボン推進協会理事長大久保通方さん、東京大学病院長田中栄さん、米テンプル大学教授重村周文さんに影本菜穂子記者が問題の背景と対策について聞いている。
「待機患者に大きな不利益」、「受け入れるほど負担増す」、「米国の病院『最優先』浸透」というそれぞれの立場からの考えを見出しの内容で語っている。
自身妹からの生体臓器移植を受けた大久保さんは、臓器移植手術を東京大学など3大学病院で、人員や病床などが不足し臓器の受け入れを断念する例が相次いでいることに危機感を抱き「国は早急に3大学以外の施設の実態も把握し、対策を示してほしい。ドナーの臓器を移植を待つ患者に公平に届ける仕組みを盤石にすることは移植医療の推進に欠かせない国民の信頼と理解にもつながる。」という。
医療現場の声を訴えられる立場にある田中さんは移植手術を担う大学病院に収益を確保できる仕組みの検討が求められる。移植に携わる人材の教育拠点を設け、各地の医師や看護師らが専門技術を身につければ、地方の患者の負担も減る。臓器移植に生きる望みを託した患者に、必要な医療を提供していくことは病院の重要な使命だ。と訴える。
米国で肺移植手術の経験を積んだ重村さんは、米国ではドナーから患者へと命をつなぐ移植医療の重要性が社会に浸透していることを米国で暮らして痛感したそうな。その上で、「国は、見送り問題の解決が、移植医療を発展させるチャンスになると受け止め、米国など移植先進国の対策も踏まえ、強いリーダーシップでこの危機を乗り切ってほしい。と願っているとのこと。
語り継ぐ戦争だから、戦時中日本の軍人たち程若者の命を軽視した人はいないというのが自分の認識である。
各種特攻作戦が一番わかりやすい例としてあげられる。
飛行機に爆弾を搭載し、突撃する陸海軍の神風特攻隊、魚雷に人間が乗る人間魚雷「回天」、爆弾と共に突っ込む人間爆弾「桜花」、モーターボートのような船に爆弾を積んで突撃する「震洋」とよくも、こんな兵器を作り出したものだと呆れるほどの人命軽視が行われてきた。
さらに、旧優生保護法のもとで不妊手術を強制された人たちが国に賠償を求める裁判が行われているが、優生保護という名前でわかるとおり、差別思想の下に行われたことであるが、ハンセン病患者のドキュメンタリー映画『かづゑ的』では感染するからということで、子どもを持てなかったことが伝えられた。
つまり、米国でドナーから患者へと命をつなぐ移植医療の重要性が社会に浸透していることと較べ、日本は根底に命を大事にする発想が低かった。
戦時中の、「産めよ増やせよ」という戦闘要員を増やすというイスラムのISのようなことが戦時中の日本では軍人たちから命じられていた。
命を粗末にする旧日本軍の考え方は、敗戦で日本からなくなったはずだが、一時期自殺者が年間3万人を超えていたことが続いたことで、さほど変わっていないな日本はと思わざるをえない。
ドナーから患者へと命をつなぐ移植医療の重要性が米国では社会に浸透している由だが、日本だって、教育とメディアでの宣伝、洗脳でまねをすることは可能である。
脳死者から提供された臓器の移植手術で、 救える命があるのだから、臓器移植がドナーの提供とは別な形で断念されることが相次ぐのは極めて残念なことだ。
新自由主義社会では、ブラック企業を筆頭に働く人たちに対し、代わりはいくらでもいるという論理で元受け、あるいは強い立場の人間が跋扈している。
生きているだけで価値があると言っているのはれいわ新選組代表の山本太郎代表である。
かけがえのない命を大事にするということは実は一番大事なことではないか。
「待機患者に大きな不利益」、「受け入れるほど負担増す」、「米国の病院『最優先』浸透」というそれぞれの立場からの考えを見出しの内容で語っている。
自身妹からの生体臓器移植を受けた大久保さんは、臓器移植手術を東京大学など3大学病院で、人員や病床などが不足し臓器の受け入れを断念する例が相次いでいることに危機感を抱き「国は早急に3大学以外の施設の実態も把握し、対策を示してほしい。ドナーの臓器を移植を待つ患者に公平に届ける仕組みを盤石にすることは移植医療の推進に欠かせない国民の信頼と理解にもつながる。」という。
医療現場の声を訴えられる立場にある田中さんは移植手術を担う大学病院に収益を確保できる仕組みの検討が求められる。移植に携わる人材の教育拠点を設け、各地の医師や看護師らが専門技術を身につければ、地方の患者の負担も減る。臓器移植に生きる望みを託した患者に、必要な医療を提供していくことは病院の重要な使命だ。と訴える。
米国で肺移植手術の経験を積んだ重村さんは、米国ではドナーから患者へと命をつなぐ移植医療の重要性が社会に浸透していることを米国で暮らして痛感したそうな。その上で、「国は、見送り問題の解決が、移植医療を発展させるチャンスになると受け止め、米国など移植先進国の対策も踏まえ、強いリーダーシップでこの危機を乗り切ってほしい。と願っているとのこと。
語り継ぐ戦争だから、戦時中日本の軍人たち程若者の命を軽視した人はいないというのが自分の認識である。
各種特攻作戦が一番わかりやすい例としてあげられる。
飛行機に爆弾を搭載し、突撃する陸海軍の神風特攻隊、魚雷に人間が乗る人間魚雷「回天」、爆弾と共に突っ込む人間爆弾「桜花」、モーターボートのような船に爆弾を積んで突撃する「震洋」とよくも、こんな兵器を作り出したものだと呆れるほどの人命軽視が行われてきた。
さらに、旧優生保護法のもとで不妊手術を強制された人たちが国に賠償を求める裁判が行われているが、優生保護という名前でわかるとおり、差別思想の下に行われたことであるが、ハンセン病患者のドキュメンタリー映画『かづゑ的』では感染するからということで、子どもを持てなかったことが伝えられた。
つまり、米国でドナーから患者へと命をつなぐ移植医療の重要性が社会に浸透していることと較べ、日本は根底に命を大事にする発想が低かった。
戦時中の、「産めよ増やせよ」という戦闘要員を増やすというイスラムのISのようなことが戦時中の日本では軍人たちから命じられていた。
命を粗末にする旧日本軍の考え方は、敗戦で日本からなくなったはずだが、一時期自殺者が年間3万人を超えていたことが続いたことで、さほど変わっていないな日本はと思わざるをえない。
ドナーから患者へと命をつなぐ移植医療の重要性が米国では社会に浸透している由だが、日本だって、教育とメディアでの宣伝、洗脳でまねをすることは可能である。
脳死者から提供された臓器の移植手術で、 救える命があるのだから、臓器移植がドナーの提供とは別な形で断念されることが相次ぐのは極めて残念なことだ。
新自由主義社会では、ブラック企業を筆頭に働く人たちに対し、代わりはいくらでもいるという論理で元受け、あるいは強い立場の人間が跋扈している。
生きているだけで価値があると言っているのはれいわ新選組代表の山本太郎代表である。
かけがえのない命を大事にするということは実は一番大事なことではないか。
2024年05月12日
「死の貝」日本住血吸虫症との闘い
かつて山梨の農民らを悩ませた感染症「日本住血吸虫症」の歴史をたどる小林照幸さん(56)のノンフィクション「死の貝」が、新潮社から文庫で復刊された。1998年の単行本が絶版となった後、インターネット上で「感染症との闘いを伝える圧巻の作品」と再注目されていた。と5月7日の読売が夕刊で伝えている。
「その地域に嫁ぐ時には『棺おけを背負って』と言われるほど恐れられた病。日本の医学者たちが、病原体発見から予防、治療法を世界に先駆けて作ったと知り、関心を持った」。大宅壮一ノンフィクション賞の受賞歴もあるベテランの著者、小林さんは振り返る。
日本住血吸虫症は、水田などで寄生虫の卵が孵化し、大きさ1センチに満たない貝「ミヤイリガイ」に寄生する。寄生した幼虫が皮膚から侵入し、体内の栄養を吸い取って、繁殖を続ける。山梨県の甲府盆地では古来、農民を中心に悩まされ、江戸時代の文献にも記述があるという。
ミヤイリガイは水がないと生きられないため、山梨県では生産作物を米や麦から果樹へと転換した。「フルーツ王国になるきっかけにもなった」という。
子どもの頃、社会科で耳にしたのであろうか、日本住血吸虫症と「ミヤイリガイ」のことは知っていた。
ただし、山梨県甲府盆地で古来、農民を中心に悩まされていたことは失念したのか、全く覚えていない。
「その地域に嫁ぐときは『棺桶を背負って』と言われるほど恐れられていた病だと知り、びっくりである。
1881年に地域から原因究明を求める嘆願書が出され、1996年の「終息宣言」まで「医師、行政、地域住民の三位一体の努力があったそうな。
待てよ、1996年といえば、30年くらい前まではまだあったのかと知って驚く。
首都圏の田舎町に生まれ育ったから、自分は田舎者であるが、生まれた街よりさらに辺鄙な地域にあった親族の家に子どもの頃遊びに行ったとき、周囲の高台は里山というか樹林地で、低地には田んぼがあり、幹線道路沿いには用水が流れていて、親族の家の近くには湧水が流れ出ていた。
この地域の田んぼなどではタニシが採れ、食べられると耳にしたが、自分の親が「タニシは危ないから食べるな!」と言われたことを思い出した。
たぶん、親は日本住血吸虫症のことを知っていたのではないか。
それほど恐れられていたのではないか。
結果、タニシは食したことがない。
お断りしておくが、タニシは食べられるし、タニシにけちをつけているわけではなく、貝類は寄生虫の心配があると親が言っていただけのことである。
山梨でコメ生産が盛んだということを耳にしたことがなく、フルーツ王国で、山梨といえば、ブドウに桃の産地だということはあまりにも有名だが、まさか、日本住血吸虫症という感染症を媒介するミヤイリガイを根絶するため、水田をつぶして、果樹園にしたからだとは思わなかった。
水俣病を根絶しようと不知火の海を浚い、ヘドロを取り出し、埋め立てして海浜公園にしたことと似ている。
小林照幸さんが書いた『死の貝』を通して、感染症の怖ろしさをコロナ禍を生きてきた者の一人としては知っておく必要があると痛感した。
小林さんは佳い仕事をされた。エールをおくりたい。
「その地域に嫁ぐ時には『棺おけを背負って』と言われるほど恐れられた病。日本の医学者たちが、病原体発見から予防、治療法を世界に先駆けて作ったと知り、関心を持った」。大宅壮一ノンフィクション賞の受賞歴もあるベテランの著者、小林さんは振り返る。
日本住血吸虫症は、水田などで寄生虫の卵が孵化し、大きさ1センチに満たない貝「ミヤイリガイ」に寄生する。寄生した幼虫が皮膚から侵入し、体内の栄養を吸い取って、繁殖を続ける。山梨県の甲府盆地では古来、農民を中心に悩まされ、江戸時代の文献にも記述があるという。
ミヤイリガイは水がないと生きられないため、山梨県では生産作物を米や麦から果樹へと転換した。「フルーツ王国になるきっかけにもなった」という。
子どもの頃、社会科で耳にしたのであろうか、日本住血吸虫症と「ミヤイリガイ」のことは知っていた。
ただし、山梨県甲府盆地で古来、農民を中心に悩まされていたことは失念したのか、全く覚えていない。
「その地域に嫁ぐときは『棺桶を背負って』と言われるほど恐れられていた病だと知り、びっくりである。
1881年に地域から原因究明を求める嘆願書が出され、1996年の「終息宣言」まで「医師、行政、地域住民の三位一体の努力があったそうな。
待てよ、1996年といえば、30年くらい前まではまだあったのかと知って驚く。
首都圏の田舎町に生まれ育ったから、自分は田舎者であるが、生まれた街よりさらに辺鄙な地域にあった親族の家に子どもの頃遊びに行ったとき、周囲の高台は里山というか樹林地で、低地には田んぼがあり、幹線道路沿いには用水が流れていて、親族の家の近くには湧水が流れ出ていた。
この地域の田んぼなどではタニシが採れ、食べられると耳にしたが、自分の親が「タニシは危ないから食べるな!」と言われたことを思い出した。
たぶん、親は日本住血吸虫症のことを知っていたのではないか。
それほど恐れられていたのではないか。
結果、タニシは食したことがない。
お断りしておくが、タニシは食べられるし、タニシにけちをつけているわけではなく、貝類は寄生虫の心配があると親が言っていただけのことである。
山梨でコメ生産が盛んだということを耳にしたことがなく、フルーツ王国で、山梨といえば、ブドウに桃の産地だということはあまりにも有名だが、まさか、日本住血吸虫症という感染症を媒介するミヤイリガイを根絶するため、水田をつぶして、果樹園にしたからだとは思わなかった。
水俣病を根絶しようと不知火の海を浚い、ヘドロを取り出し、埋め立てして海浜公園にしたことと似ている。
小林照幸さんが書いた『死の貝』を通して、感染症の怖ろしさをコロナ禍を生きてきた者の一人としては知っておく必要があると痛感した。
小林さんは佳い仕事をされた。エールをおくりたい。
2024年04月26日
謝罪受け入れ 前へ 伝達制度で「心通う」
池袋暴走事故から5年19日で5年となった。事故防止を願う遺族の歩みや加害者との交流、高齢運転者対策の今を伝えるということで4月21日から上中下と3回、読売が社会面で取り上げている。
被害者遺族の松永拓也さん(37)はあれから5年目にして初めて、妻と一人娘を失った事故現場の横断歩道を渡ったことが写真と共に伝えられている。
加害者が旧通産省工業技術院の元院長という要職にあった人で、事故当時、高齢でありながらも車の故障を訴え裁判でも無罪を主張したことから、大きな社会問題となった。
結局、車の故障説は認められず、アクセルとブレーキの操作ミスということで落ち着いたことから、禁錮5年の実刑判決が確定した。
最愛の妻子を失った松永さんはしばらく立ち直れなかったが、「関東交通犯罪遺族の会」(あいの会)代表の小沢樹里さん(43)ら遺族同士の助け合いで事故と向き合い、「事故撲滅 痛みを力に」という見出しのように交通事故をなくそうと活動を始めるのだった。
2007年に始まった「心情等伝達制度」で加害者と心が通い、前に進むことができた松永さん。
犯罪被害者らの思いを刑務所や少年院の職員が聞き取り、加害者に伝えるのが心情伝達制度である。
中傷を受けた加害者の家族は、加害者の家族を支援するNPO法人「ワールドオープンハート」の理事長阿部恭子さんに相談。面会を続けた阿部さんは加害者の衰えを目の当たりにする。
そして、加害者からの謝罪文が松永さんの手許に届く。
松永さんは心情伝達制度で加害者から謝罪を受け、ようやく前に進むことができるようになった。
団塊の世代の一員だから、事故後、運転免許を返上する高齢者が著しく増加したニュースで運転免許の更新をどうするか迷いが生じるようになった。
ほぼ毎日、軽トラで自宅と畑を往復するので、運転できなくなるのは困る。よく考えた結果、運転免許の更新が迫ってきた4月に高齢者講習などを受け、最寄りの場所で運転免許をこれから更新することにした。
自分も若い頃と較べ明らかに衰えている。 目も耳も歯も。認知機能もだ。
持論である。アクセルとブレーキを踏み間違える高齢者が多いが、オートマの車はエンジンをかけて、発信するまでブレーキペダルを踏んでいなければ、クリープ現象だとか耳にしたことがあるが、動き出してしまう。
アクセルとブレーキを慌てて踏み間違えるとはいうものの、ブレーキペダルを踏んでいるのだから、アクセルとブレーキを踏み間違えるということが理解できない。
それはそれとして、後期高齢者とならんとする以上、注意に注意を重ねなければ運転を続けることはできないことがわかった。
事故で、誰かを死なせてはどうにもならないからだ。
被害者遺族の松永拓也さん(37)はあれから5年目にして初めて、妻と一人娘を失った事故現場の横断歩道を渡ったことが写真と共に伝えられている。
加害者が旧通産省工業技術院の元院長という要職にあった人で、事故当時、高齢でありながらも車の故障を訴え裁判でも無罪を主張したことから、大きな社会問題となった。
結局、車の故障説は認められず、アクセルとブレーキの操作ミスということで落ち着いたことから、禁錮5年の実刑判決が確定した。
最愛の妻子を失った松永さんはしばらく立ち直れなかったが、「関東交通犯罪遺族の会」(あいの会)代表の小沢樹里さん(43)ら遺族同士の助け合いで事故と向き合い、「事故撲滅 痛みを力に」という見出しのように交通事故をなくそうと活動を始めるのだった。
2007年に始まった「心情等伝達制度」で加害者と心が通い、前に進むことができた松永さん。
犯罪被害者らの思いを刑務所や少年院の職員が聞き取り、加害者に伝えるのが心情伝達制度である。
中傷を受けた加害者の家族は、加害者の家族を支援するNPO法人「ワールドオープンハート」の理事長阿部恭子さんに相談。面会を続けた阿部さんは加害者の衰えを目の当たりにする。
そして、加害者からの謝罪文が松永さんの手許に届く。
松永さんは心情伝達制度で加害者から謝罪を受け、ようやく前に進むことができるようになった。
団塊の世代の一員だから、事故後、運転免許を返上する高齢者が著しく増加したニュースで運転免許の更新をどうするか迷いが生じるようになった。
ほぼ毎日、軽トラで自宅と畑を往復するので、運転できなくなるのは困る。よく考えた結果、運転免許の更新が迫ってきた4月に高齢者講習などを受け、最寄りの場所で運転免許をこれから更新することにした。
自分も若い頃と較べ明らかに衰えている。 目も耳も歯も。認知機能もだ。
持論である。アクセルとブレーキを踏み間違える高齢者が多いが、オートマの車はエンジンをかけて、発信するまでブレーキペダルを踏んでいなければ、クリープ現象だとか耳にしたことがあるが、動き出してしまう。
アクセルとブレーキを慌てて踏み間違えるとはいうものの、ブレーキペダルを踏んでいるのだから、アクセルとブレーキを踏み間違えるということが理解できない。
それはそれとして、後期高齢者とならんとする以上、注意に注意を重ねなければ運転を続けることはできないことがわかった。
事故で、誰かを死なせてはどうにもならないからだ。
2024年04月24日
歩いて生きた庶民
「自由のために」とはいうものの、語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援など冥い話題が多いので、閑話休題ということで、「歩く」ということをテーマに書いておきたい。
「歩いて生きた庶民 江戸の健脚を思う」という見出し。「広角 多角」というタイトルで4月21日の読売がコラムの紙面で編集委員近藤雄二さんが書いていることが気になった。
現代人はとかく運動不足になりがち、ということで厚生労働省が2024年1月、健康維持に推奨される運動の目安をまとめたガイドを作成した。
成人は歩行か同程度以上の身体活動を1日60分(約8000歩)以上、高齢者は40分(6000歩)以上、することを推奨。さらに、成人と高齢者には週2,3日の筋トレをを行うことを勧める。そうな。
無論、子どものことも書いてあったが省略する。
筆者はスマホの歩数計でジョギングした日は目安を上回ったが、さぼった日は5000歩にも届かない。
電車通勤、デスクワークに身には8000歩は手ごわい数字だという。
ふと、江戸時代の庶民を思った。
文明の利器がなかった時代だから、人々は通勤、買い物、行商と、どこへ行くにも歩いた。
楽しみの一つである行楽ではお伊勢参りを筆頭に歩きに歩いた。
何故、気が遠くなるような歩き旅ができたのか。それは日常生活が強い足腰を鍛えていたことにほかならない。
歩くことは、誰にでもできることだから、「上を向いて歩こう」や「三百六十五歩のマーチ」などで歌われてもきた。メジャーな曲ではないが若い頃好きだった山崎ハコには「歩いて」という歌だってあった。
歌が出てきたから。芸能の世界に目を向ければ、盲目の旅芸人瞽女や若い頃、三味線を弾きながら門つけをして歩いた高橋竹山のような人たちが歩くことで生きる糧を得ていた。
悩みを抱える人たちは四国や秩父などで知られる遍路として、願いが届くように結願まで歩いている。
スマホは、電話をかけることと、youtubeを視聴したり、路線情報や映画情報を調べたり、津軽三味線の練習に使うくらいであったが、編集委員と同じように毎日、歩数計は必ずチェックし、10000歩を目標に動く。
若い頃はジョギングをしていたこともあったが、今は走れないので、毎日、30分から40分歩くくらいだから8000歩に届けばまあまあの数字である。
ただし、散歩の効用として、認知機能が衰えてしまった身には、散歩中にどうしても思い出せなかったことを思い出すことがよくあるので、歩かない人にはお薦めしたい。
尺八の仲間と言っていいのかわからないが、自分が応援している演奏家のひとりが若い頃、何と歩き遍路を達成したと知り、敬意を抱くようになった。宿坊とか利用せずに野宿だったというではないか。
若さには勝てない。
江戸時代の庶民には遠く及ばないが、スマホの歩数計をチェックする楽しみとして、歩いて10分足らずの郵便局、歩いて12から13分の眼科、かかりつけのクリニックは歩いて15分、そして、病院も帰りだけだが、35分くらいかけて歩く。
歩く効用としては、畑で頑張りすぎて、腰痛で悩んでいるときに歩くと腰痛が楽になるような気がする。
カネがなくとも歩くことはできるし、歩けるうちはまだ大丈夫だと自分に言い聞かせられもする。
歩きハイマーなんて言葉もあるが、歩けなくなったら一大事である。
「歩いて生きた庶民 江戸の健脚を思う」という見出し。「広角 多角」というタイトルで4月21日の読売がコラムの紙面で編集委員近藤雄二さんが書いていることが気になった。
現代人はとかく運動不足になりがち、ということで厚生労働省が2024年1月、健康維持に推奨される運動の目安をまとめたガイドを作成した。
成人は歩行か同程度以上の身体活動を1日60分(約8000歩)以上、高齢者は40分(6000歩)以上、することを推奨。さらに、成人と高齢者には週2,3日の筋トレをを行うことを勧める。そうな。
無論、子どものことも書いてあったが省略する。
筆者はスマホの歩数計でジョギングした日は目安を上回ったが、さぼった日は5000歩にも届かない。
電車通勤、デスクワークに身には8000歩は手ごわい数字だという。
ふと、江戸時代の庶民を思った。
文明の利器がなかった時代だから、人々は通勤、買い物、行商と、どこへ行くにも歩いた。
楽しみの一つである行楽ではお伊勢参りを筆頭に歩きに歩いた。
何故、気が遠くなるような歩き旅ができたのか。それは日常生活が強い足腰を鍛えていたことにほかならない。
歩くことは、誰にでもできることだから、「上を向いて歩こう」や「三百六十五歩のマーチ」などで歌われてもきた。メジャーな曲ではないが若い頃好きだった山崎ハコには「歩いて」という歌だってあった。
歌が出てきたから。芸能の世界に目を向ければ、盲目の旅芸人瞽女や若い頃、三味線を弾きながら門つけをして歩いた高橋竹山のような人たちが歩くことで生きる糧を得ていた。
悩みを抱える人たちは四国や秩父などで知られる遍路として、願いが届くように結願まで歩いている。
スマホは、電話をかけることと、youtubeを視聴したり、路線情報や映画情報を調べたり、津軽三味線の練習に使うくらいであったが、編集委員と同じように毎日、歩数計は必ずチェックし、10000歩を目標に動く。
若い頃はジョギングをしていたこともあったが、今は走れないので、毎日、30分から40分歩くくらいだから8000歩に届けばまあまあの数字である。
ただし、散歩の効用として、認知機能が衰えてしまった身には、散歩中にどうしても思い出せなかったことを思い出すことがよくあるので、歩かない人にはお薦めしたい。
尺八の仲間と言っていいのかわからないが、自分が応援している演奏家のひとりが若い頃、何と歩き遍路を達成したと知り、敬意を抱くようになった。宿坊とか利用せずに野宿だったというではないか。
若さには勝てない。
江戸時代の庶民には遠く及ばないが、スマホの歩数計をチェックする楽しみとして、歩いて10分足らずの郵便局、歩いて12から13分の眼科、かかりつけのクリニックは歩いて15分、そして、病院も帰りだけだが、35分くらいかけて歩く。
歩く効用としては、畑で頑張りすぎて、腰痛で悩んでいるときに歩くと腰痛が楽になるような気がする。
カネがなくとも歩くことはできるし、歩けるうちはまだ大丈夫だと自分に言い聞かせられもする。
歩きハイマーなんて言葉もあるが、歩けなくなったら一大事である。
2024年04月20日
4月19日は養育費を知る日
「養育費不払い対応強化」「公正証書なしで差し押さえ」「『裁判外手続き』改正法活用」という見出しで離婚後に養育費を受け取ることができない母子世帯が多い。不払いの解消に向け、夫婦が専門家の仲介で話し合って約束した支払が確実なものになるよう、4月に改正法が施行されたことを4月16日の読売が社会保障の紙面で伝えていた。
4月19日は「養育費を知る日」だとして、子連れ再婚家庭やひとり親家庭を支援するNPO法人「Ⅿ-STEP」が2019年4月、養育費保証会社と定めた。と4月18日の読売が暮らしの紙面で伝えている。
養育費の支払いの協議が進まない人には「裁判外紛争解決手続き(ADR)」があるそうな。
紙面の解説によれば、裁判ではなく、第三者が当事者間に入って話し合いを通じて法的なトラブルの解決を図る手続き。利用には両者の合意が必要となる。協議は非公開、費用が安く抑えられる利点がある。
ADRを担える民間事業者は、全国に170か所あり、法務省の「かいけつサポート」で探せる。
4月に改正ADR法が施行され、和解内容に基づく強制執行が可能になった。養育費についても、相手が支払わない場合、給与の差し押さえなどができる。
ADRは事業者ごとに特色があり、親子面会を後押しするところもある。
養育費は子の権利、かつ、親の責務なのに受領率が何と3割弱だというではないか。
養育費を支払わないのは卑怯者、人間の屑、サイテー男だと思う向きがあるかもしれない。
養育費を受け取れないばかりに、生活保護を申請する母子ということになれば、税金が使われることになり、不公平だという養育費を払っている人から不満がでるかもしれない。
しかしである。
子育ては親ができなければ、社会が面倒見てやるよりないわけで、少子化で異次元の子育てをやることになっているはずの岸田政権なら、何とかしてくれるはずだった。
ところが、当てになるはずだった岸田政権の異次元の子育ても現実には養育費の不払いの対応強化するというのが当面の対策だということのようだ。
語り継ぐ戦争という立場から、300万人超の人たちが戦没死没したアジア太平洋戦争が終わってから、戦没死没した人たちに代わって、戦後の日本をみつめてきた。
国会議員の多くは自分の選挙のことしか頭になく、或いは岸田さんのように首相の座にあることだけが目的で、国賓待遇に浮かれ、夫婦で米国ではしゃいでいたり、自民党安倍派を筆頭に政治資金を記帳せず、裏金を作り、その使途が領収証に宛名がないことから法に反しているのではないかと報じられている件の比例選出の差別発言を繰り返す女の議員など、国の行く末などまったく考えていない政治家ばかりである。
これでは、養育料を支払わず逃げ回っている男のことを批判できないではないか。
政治資金として届け出しないなら、個人の所得であり、申告しないなら脱税であるが、誰が決めたのか500万円までなら許されるのか。
自民党に投票しては国がダメになってしまう。
裏金議員を当選させてはならない。
裏金議員は養育料を支払わない男と同じとしか思えない。無責任な輩としか思えない。
4月19日は「養育費を知る日」だとして、子連れ再婚家庭やひとり親家庭を支援するNPO法人「Ⅿ-STEP」が2019年4月、養育費保証会社と定めた。と4月18日の読売が暮らしの紙面で伝えている。
養育費の支払いの協議が進まない人には「裁判外紛争解決手続き(ADR)」があるそうな。
紙面の解説によれば、裁判ではなく、第三者が当事者間に入って話し合いを通じて法的なトラブルの解決を図る手続き。利用には両者の合意が必要となる。協議は非公開、費用が安く抑えられる利点がある。
ADRを担える民間事業者は、全国に170か所あり、法務省の「かいけつサポート」で探せる。
4月に改正ADR法が施行され、和解内容に基づく強制執行が可能になった。養育費についても、相手が支払わない場合、給与の差し押さえなどができる。
ADRは事業者ごとに特色があり、親子面会を後押しするところもある。
養育費は子の権利、かつ、親の責務なのに受領率が何と3割弱だというではないか。
養育費を支払わないのは卑怯者、人間の屑、サイテー男だと思う向きがあるかもしれない。
養育費を受け取れないばかりに、生活保護を申請する母子ということになれば、税金が使われることになり、不公平だという養育費を払っている人から不満がでるかもしれない。
しかしである。
子育ては親ができなければ、社会が面倒見てやるよりないわけで、少子化で異次元の子育てをやることになっているはずの岸田政権なら、何とかしてくれるはずだった。
ところが、当てになるはずだった岸田政権の異次元の子育ても現実には養育費の不払いの対応強化するというのが当面の対策だということのようだ。
語り継ぐ戦争という立場から、300万人超の人たちが戦没死没したアジア太平洋戦争が終わってから、戦没死没した人たちに代わって、戦後の日本をみつめてきた。
国会議員の多くは自分の選挙のことしか頭になく、或いは岸田さんのように首相の座にあることだけが目的で、国賓待遇に浮かれ、夫婦で米国ではしゃいでいたり、自民党安倍派を筆頭に政治資金を記帳せず、裏金を作り、その使途が領収証に宛名がないことから法に反しているのではないかと報じられている件の比例選出の差別発言を繰り返す女の議員など、国の行く末などまったく考えていない政治家ばかりである。
これでは、養育料を支払わず逃げ回っている男のことを批判できないではないか。
政治資金として届け出しないなら、個人の所得であり、申告しないなら脱税であるが、誰が決めたのか500万円までなら許されるのか。
自民党に投票しては国がダメになってしまう。
裏金議員を当選させてはならない。
裏金議員は養育料を支払わない男と同じとしか思えない。無責任な輩としか思えない。
2024年04月18日
かづゑさんのうた 沢知恵
月に一度の映画館行き、3月に観たのが熊谷博子監督『かづゑ的』だった。10歳からハンセン病療養所で80有余年生きている宮崎かづゑさんに伴走するようにして撮ったドキュメンタリー映画で激しく心を揺さぶられたことは映画を観た後の感想に書いたところである。
買い求めたプログラムというかガイドブックに映画にも出演されていた歌手の沢知恵さんの「かづゑさんのうた」があったので書いておきたい。
失礼ながら、歌手沢知恵と言われても、聞いたことがあるようなないような、どんな歌を歌っていたのかもよくわからなかった。
Wikipediaで調べたら、母親のルーツが朝鮮半島で両親が牧師という環境で育ったからか、生後6か月で父に連れられ訪れた香川県の大島青松園で、2001年からコンサートをしていて、近くに住もうと2014年には千葉から岡山に転居したというハンセン病患者の支援者だった。
それから、長島愛生園、邑久光明園にも通うようになってかづゑさんに出会った。
2018年からは岡山大学大学院で「ハンセン病療養所の音楽文化」を研究し始めた。
修士論文をわかりやすく書き直したのが『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史―園歌は歌う』(岩波ブックレット)だという。
全国に13ある国立の療養所を調査し、計23編の園歌を特定した。
「民族浄化」「一大家族」などの歌詞に戸惑いながら考えた結果、うたを空間に響かせることで思想を刻みつけ、権力への服従を「自発的に」促すのに、音楽が最大限に力を発揮した。
しかし、入園者にとっては、辛い療養生活を仲間とともに乗り越えた日々を思い出す歌でもあった。
大正天皇の連れ合い貞明皇太后の「つれづれ」が本居長世と山田耕筰が作曲した園歌として歌われてきた。
本居曲の長島愛生園の歌を歌ったかづゑさんは「みんな迫害されてきているもの。一般社会から、家族から叩き出されてくるのよ。生きながら腐るんだから」と式典で歌われたときの入園者が泣きながら歌ったことを証言してくれたそうな。
プロの歌い手である沢知恵さんが「かづゑさんがご自身の声を吹き込むシーンは、声がうたのように聞こえ、かづゑさんのうめき、叫びがブルースのように聞こえ、全身全霊で発する声に直撃され、あなたの歌にはかなわない」と白旗を挙げたとむすぶ。
どこかで耳にしているような気がしているがはっきりとは思い出せない。
沢知恵さんが育った境遇が社会的弱者であるハンセン病患者に寄り添い、療養所で毎年コンサートを続けている原動力になっているのだろうか。
以前書いたことがある『故郷へ』では、惜しいことに病気で亡くなってしまった八代亜紀さんが生前、女子刑務所を慰問していることを書いた。
八代亜紀さんの歌は女子刑務所では圧倒的な支持があると耳にしたことがある。
沢知恵さんは、ハンセン病の国立療養所大島青松園で毎年コンサートを開いている。
YOUTUBEで沢知恵さんの『こころ』を聴いてみた。
讃美歌で育ち、留学してジャズ、ゴスペルなどを知り、ピアノで歌うスタイル。
歌は心だと思っている自分としては、沢知恵さんの歌から十分にこころが伝わってきた。
同時に、自らのルーツなどで、虐げられてきた人たちの気持ちがよく理解できるようになったのかもしれないと思い、ハンセン病という自分は何も悪くないにもかかわらず、罹患すれば、隔離され、一生を療養所で暮らさなければならなかった人たちのことを考えないわけにはいかない。
沢知恵さんにエールをおくりたい。
買い求めたプログラムというかガイドブックに映画にも出演されていた歌手の沢知恵さんの「かづゑさんのうた」があったので書いておきたい。
失礼ながら、歌手沢知恵と言われても、聞いたことがあるようなないような、どんな歌を歌っていたのかもよくわからなかった。
Wikipediaで調べたら、母親のルーツが朝鮮半島で両親が牧師という環境で育ったからか、生後6か月で父に連れられ訪れた香川県の大島青松園で、2001年からコンサートをしていて、近くに住もうと2014年には千葉から岡山に転居したというハンセン病患者の支援者だった。
それから、長島愛生園、邑久光明園にも通うようになってかづゑさんに出会った。
2018年からは岡山大学大学院で「ハンセン病療養所の音楽文化」を研究し始めた。
修士論文をわかりやすく書き直したのが『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史―園歌は歌う』(岩波ブックレット)だという。
全国に13ある国立の療養所を調査し、計23編の園歌を特定した。
「民族浄化」「一大家族」などの歌詞に戸惑いながら考えた結果、うたを空間に響かせることで思想を刻みつけ、権力への服従を「自発的に」促すのに、音楽が最大限に力を発揮した。
しかし、入園者にとっては、辛い療養生活を仲間とともに乗り越えた日々を思い出す歌でもあった。
大正天皇の連れ合い貞明皇太后の「つれづれ」が本居長世と山田耕筰が作曲した園歌として歌われてきた。
本居曲の長島愛生園の歌を歌ったかづゑさんは「みんな迫害されてきているもの。一般社会から、家族から叩き出されてくるのよ。生きながら腐るんだから」と式典で歌われたときの入園者が泣きながら歌ったことを証言してくれたそうな。
プロの歌い手である沢知恵さんが「かづゑさんがご自身の声を吹き込むシーンは、声がうたのように聞こえ、かづゑさんのうめき、叫びがブルースのように聞こえ、全身全霊で発する声に直撃され、あなたの歌にはかなわない」と白旗を挙げたとむすぶ。
どこかで耳にしているような気がしているがはっきりとは思い出せない。
沢知恵さんが育った境遇が社会的弱者であるハンセン病患者に寄り添い、療養所で毎年コンサートを続けている原動力になっているのだろうか。
以前書いたことがある『故郷へ』では、惜しいことに病気で亡くなってしまった八代亜紀さんが生前、女子刑務所を慰問していることを書いた。
八代亜紀さんの歌は女子刑務所では圧倒的な支持があると耳にしたことがある。
沢知恵さんは、ハンセン病の国立療養所大島青松園で毎年コンサートを開いている。
YOUTUBEで沢知恵さんの『こころ』を聴いてみた。
讃美歌で育ち、留学してジャズ、ゴスペルなどを知り、ピアノで歌うスタイル。
歌は心だと思っている自分としては、沢知恵さんの歌から十分にこころが伝わってきた。
同時に、自らのルーツなどで、虐げられてきた人たちの気持ちがよく理解できるようになったのかもしれないと思い、ハンセン病という自分は何も悪くないにもかかわらず、罹患すれば、隔離され、一生を療養所で暮らさなければならなかった人たちのことを考えないわけにはいかない。
沢知恵さんにエールをおくりたい。
2024年04月17日
欧米流への憧れ やめよう 和を重んじ、努力して成長
有識者の見識に学ぶ、読売の優れた連載「あすへの考」4月7日(恒川良輔記者)は「大学の危機」をテーマに「欧米流への憧れ やめよう」「教職員と学生の目標共有 ランキングよりも大事」「和を重んじ、コツコツ努力して成長」これも成功モデル」という見出しで、日本の長所、価値観に基づいた社会・教育システムを作り上げることが、大学、ひいては日本の危機を脱する方策になると慶応義塾長伊藤公平さんが訴えていて大変勉強になった。
日本大好きという団塊の世代の一員としては、伊藤公平さんの専門が量子コンピューターだと聞いて、それだけで恐れ入ってしまったほど理系方面に疎いが、日本の長所とか文系の話になれば、自分の主張していることと変わらない。
「大学の学問は、人間や社会を豊かに導くという目標を設定して、教職員や学生がそれを共有しなければならない。目標が個々人の安住や幸せ、勝ち負けという利己的なものにとどまってはならない」というのが結論である。
わかりやすかったのは日本と米国との価値観が異なっていることをイソップ童話「ウサギとカメ」で説明してくれたこと。
日本はカメが主役で米国ではウサギが主役だという。
日本が追いつこうとする欧米の競争社会は優秀な「ウサギ」が主役で、伸びる子は徹底的に伸ばし、格差は気にしない。
米国のこのような価値観が日本にはなじまない。日本のスタイルは「和をもって貴しとなす」の精神であり、コツコツ努力するカメ的な美学が日本の真骨頂ではないか。
通訳のギャンブル依存症で大いに迷惑を被っているメジャーリーグで活躍する大谷翔平選手が米国と日本との野球の試合で日本選手に「憧れるのはやめよう」と訴えたのを覚えている人は少なくないだろう。
とはいうものの、大谷選手は体も身体能力も、技術も、そして二刀流という全てでメジャーリーグの選手から尊敬されるほどのスーパースターだからこんなことが言えるのだとその時は思った。
しかし、日本を代表する私学の雄である慶應義塾の長である伊藤公平さんが訴える日本のスタイル「和をもって貴しとなす」精神、コツコツ努力する「カメ」の姿勢を高く評価し、欧米との価値観の違いに、憧れるのはやめ、日本の独自性、自分たちの価値に基づき、競争と協調を組み合わせた社会・教育システムを新たに作る必要があるとする見識に頷くばかりであった。
語り継ぐ戦争だから、明確に反米だ。食生活からして、日本型食事、野菜中心で肉は食さないし、競争が悪いとは言わないが、格差が開きすぎるのは好まないという立ち位置である。
連れ合いは日本人女性の昭和世代に一番使われている「和」という字が名前に使われているほど、日本では「和」というものが大切にされてきた。
競争原理ばかり重んじる新自由主義が行きつくところ、一握りの勝利者だけが大金持ちになる社会が出来上がるだけで、格差社会の底辺の人は革命を望むか自棄になってテロに走ったりする恐れがある。
コツコツとカメのように努力し、中間層が厚く、底辺が少ない社会こそが日本の社会としての理想ではないのか。
大金持ちと言っても、あの世にカネを持っているわけでなし、死んでしまえば土に還るだけのことだ。
日本大好きという団塊の世代の一員としては、伊藤公平さんの専門が量子コンピューターだと聞いて、それだけで恐れ入ってしまったほど理系方面に疎いが、日本の長所とか文系の話になれば、自分の主張していることと変わらない。
「大学の学問は、人間や社会を豊かに導くという目標を設定して、教職員や学生がそれを共有しなければならない。目標が個々人の安住や幸せ、勝ち負けという利己的なものにとどまってはならない」というのが結論である。
わかりやすかったのは日本と米国との価値観が異なっていることをイソップ童話「ウサギとカメ」で説明してくれたこと。
日本はカメが主役で米国ではウサギが主役だという。
日本が追いつこうとする欧米の競争社会は優秀な「ウサギ」が主役で、伸びる子は徹底的に伸ばし、格差は気にしない。
米国のこのような価値観が日本にはなじまない。日本のスタイルは「和をもって貴しとなす」の精神であり、コツコツ努力するカメ的な美学が日本の真骨頂ではないか。
通訳のギャンブル依存症で大いに迷惑を被っているメジャーリーグで活躍する大谷翔平選手が米国と日本との野球の試合で日本選手に「憧れるのはやめよう」と訴えたのを覚えている人は少なくないだろう。
とはいうものの、大谷選手は体も身体能力も、技術も、そして二刀流という全てでメジャーリーグの選手から尊敬されるほどのスーパースターだからこんなことが言えるのだとその時は思った。
しかし、日本を代表する私学の雄である慶應義塾の長である伊藤公平さんが訴える日本のスタイル「和をもって貴しとなす」精神、コツコツ努力する「カメ」の姿勢を高く評価し、欧米との価値観の違いに、憧れるのはやめ、日本の独自性、自分たちの価値に基づき、競争と協調を組み合わせた社会・教育システムを新たに作る必要があるとする見識に頷くばかりであった。
語り継ぐ戦争だから、明確に反米だ。食生活からして、日本型食事、野菜中心で肉は食さないし、競争が悪いとは言わないが、格差が開きすぎるのは好まないという立ち位置である。
連れ合いは日本人女性の昭和世代に一番使われている「和」という字が名前に使われているほど、日本では「和」というものが大切にされてきた。
競争原理ばかり重んじる新自由主義が行きつくところ、一握りの勝利者だけが大金持ちになる社会が出来上がるだけで、格差社会の底辺の人は革命を望むか自棄になってテロに走ったりする恐れがある。
コツコツとカメのように努力し、中間層が厚く、底辺が少ない社会こそが日本の社会としての理想ではないのか。
大金持ちと言っても、あの世にカネを持っているわけでなし、死んでしまえば土に還るだけのことだ。