2025年12月12日

遺族の元へ トラック諸島 遺骨収集

 厚生労働省がトラック諸島(現・ミクロネシア連邦チューク州)で実施した遺骨収集では、太平洋戦争で撃沈された駆逐艦「追風」の艦長室付近でも遺骨が発見された。艦長の長女荒本雅子さん(85)は「父が帰ってきたかもしれない」と語り、DNA鑑定で身元が特定されることに期待を寄せる。と戦後80年 昭和百年 語り継ぐ戦争特集で12月1日の読売(波多江一郎、加藤学記者)が伝えている。

 駆逐艦「追風」は1944年2月15日頃、トラック諸島から内地に向かう巡洋艦「阿賀野」を護衛する任務に就き、16日、阿賀野が米軍の魚雷攻撃で航行不能に陥り、乗組員約500人を救助するも、18日朝、米空母機動部隊の攻撃で轟沈し、約640人が犠牲となった。

 トラック諸島では、1944年2月、米機動部隊の攻撃で追風など艦船40隻が撃沈された。この戦いは、太平洋戦争の戦局の転換点の一つとなった。

 厚労省によると、先の大戦では、240万人が海外(沖縄と硫黄島を含む)で亡くなり、うち半数となる112万3000柱が帰っていない。中国東北部(旧満州)や中部太平洋、フィリピンなどで収集が進んでいない。


 戦争では、海軍に限らず、陸軍だって兵士は輸送船に乗って運ばれることから、船が撃沈され、遺骨になるか、「九死に一生」ということでわずかな生存のチャンスをつかむかは紙一重である。
 艦船からの遺骨収集のことを書かなければいけないが、その紙一重で遺骨にならずにすんだ人物がいたということを知り、奇跡の生を生きた人のことを書いておきたい。

 沈没艦船から九死に一生で救出された著名人として俳優池部良がいる。
 1944年に南方戦線への異動で、竹一船団の輸送船「天津山丸」に乗船するが、5月12日に敵潜水艦に撃沈され、セレベス海に投げ出されて10時間泳いだ後、海軍の艦船に救出され、インドネシア北東部のハルマヘラ島のジャングルで米軍の攻撃に対峙して終戦まで戦う。
 1945年11月には進駐してきたオーストラリア海軍との交渉役を任され、単身で豪海軍駆逐艦に乗り込んでいる。1946年6月まで抑留され、引き揚げ船に乗り込む。他の隊の将校は海に放り込まれたりしたが、池部隊では部下が円陣を作って隊長を守ってくれたとは「Wikipedia」で知った。

 70年代、山田太一が鶴田浩二と水谷豊の主演で『男たちの旅路』というNHKの土曜ドラマでガードマンとして働く吉岡司令補と若いガードマンとの世代のギャップを描いたことで話題となった作品があった。
 吉岡司令補が鶴田浩二だから、その上司は誰だと思いきや池部良だった。
 このキャスティングは見事だった。
 アジア太平洋戦争でトラック諸島で10時間も海を漂流し、死線をさまよいながらも九死に一生で生き残った池辺良と特攻隊を見送った整備兵だったと伝えられる鶴田浩二となれば、これ以上の人選はないだろう。

 池辺良は『男たちの旅路』を見届けたくなるほど素晴らしい俳優で、男からみても惚れ惚れする。

 さて、九死に一生ということは滅多にあることではないので、遺骨になってしまうも、海底ということで、収集されることもできなかった遺骨が見つかり、DNA鑑定で身元が特定すれば遺族はさぞや、ほっとするにちがいない。
 いかに戦争とはいいながら、死んでほしくなかったことが遺族の一番の願いであったことは間違いないが、遺骨がないと、いつまで経っても死んだとは思えないし、思いたくもないだろうから。

 遺骨収集の話を取り上げることで、平和を維持していくために台湾有事の国会答弁で中国との関係が冷え込んでしまった高市首相では、日中の関係が改善される見込みが果たしてあるだろうか。

 近隣と上手く付き合っていく意思がない国のリーダーには一日も早く退陣してもらいたい。

2025年12月11日

差別乗り越え清掃員のリーダーに 中国残留孤児2世

 戦後80年 昭和百年特集でアジア太平洋戦争を語り継ぐ読売の社会部(広瀬航太郎記者)が12月5日に中国残留孤児2世が「日中が祖国」だと懸命に生きている姿を伝えている。

 高市首相の台湾有事を巡る国会答弁で恣意的に中国を怒らせ、両国の関係が冷え込む一方という時、「差別超え「両方の良さ分かる」という見出しで中国残留孤児にスポットを当てたのはタイムリーだった。

 紙面で紹介されていたのは「世界で最も清潔な空港」として評価の高い羽田空港で、約500人の清掃員を束ねる新津春子さん(55)。
 アジア太平洋戦争で満州(現中国東北部)で置き去りにされた日本人の父親と中国人の母親の子どもとして生まれた。
 中国で嫌われていた日本人。その子どもということで差別され、父親と一緒に帰国してからは日本で差別されるも25歳で清掃員の仕事に就いた。ビル清掃員の仕事を競う競技会で全国の予選を勝ち抜いた約20人のトップになった。
 ここで、あれ?、この人のことをどこかで耳にしたことがあったと記憶を辿ったら、NHK「プロッフェッショナル 仕事の流儀」に出演されたとき、書いたことを思い出し、調べたら2019年の7月のことだった。
 あの日、番組を少ししか視聴できずに書いたため、中国残留孤児の2世であることにはふれていなかった。

 社会というものは、清掃員とかごみ収集の係員とか底辺で働く人たちの支えで成り立っているが、普通、そのことに気づく人は少なくて、とかく、彼らの仕事を下に見る愚か者が少なくない。

 自分は学生時代、中小のスーパーでアルバイトをした時、人手が足りなかったからかして、定期清掃を手伝わされたことがあり、清掃の仕事の大変さをよく理解していた。
 さらに、米軍基地というかキャンプでのアルバイトの時、基地内の草むしりの仕事をしたことがある。そのとき、米軍住宅の庭の草むしりも上司に言われてやったことがある。いずれにしても、底辺の仕事だと言っても過言ではない。

 清掃の仕事といえば、ヴィム・ヴェンダース監督、役所広司主演『PERFECT DAYS』を観ているが、主人公の平山がトイレ掃除の仕事をしていることから、トイレ清掃をしてくれているすべての清掃員に感謝の気持ちを抱いていた自分としては、トイレ清掃に着目したことで、トイレ清掃員の仕事に目が向くようになって嬉しくてならなかった。

 中国残留孤児と呼ばれていても、2世、3世ともなれば、もはや孤児ではないが、出自から、帰国後、差別やいじめに遭って道を踏み外し、怒羅権と呼ばれるチャイニーズマフィアとして活動している2世も少なくない。
 中に、出所後、「ほんにかえるプロジェクト」という受刑者更生のための活動をしていた汪楠さんが強盗容疑で捕まり、裁判で有罪の判決が出ているが、せっかく更生し、受刑者を更生させるために、刑務所に本を送っていたのに落胆した。
 事実関係に誤りがあるような気がしてならない。
 どうも、警察が信用できない自分としてはそんな気がする。

 それだけに、新津春子さんのような存在は価値がある。
 出自と差別やいじめを理由にまじめに働かず、半ぐれというか反社の構成員となり下がってしまうことと較べたら見上げたものである。

 しかし、国の政策で満蒙開拓団として満州に送られるも、戦況が不利となるや、その国から見捨てられ、棄民とされ、帰国できず、残留孤児となった人たちに救いの手を差し伸べようとはしない政府に怒りをぶつけたくなる気持ちは理解できなくはない。

 さらに、今の中国は独裁国家となり、覇権主義で他国を武力で威嚇しているが、中国人そのものは、日本人の孤児をたとえ労働力とするためにしろ育ててくれたことに関してはお礼を言わないわけにはいかない。

 立場が逆だったら、日本人で中国人の子どもをどれだけの人が育てられるというのだろうか。
 ほとんどいないのではないか。

 高市首相のように親米右寄り、中国大嫌いという人が国のリーダーとしての器でないことが証明されたのが台湾有事答弁である。

 日本に中国と友好的にやらない選択肢はない。
 戦後80年、いつまで米国にしっぽを振り続けるのか日本の政治家は。

2025年12月10日

『琉球ノワール1945〜1972』

 フランス映画を思わせる洒落たタイトルに誘われるかのように視聴してしまったNHKETV特集『琉球ノワール1945〜1972』は予想通り、敗戦後に米軍が駐留し、統治された琉球が米兵によって、やりたい放題の目に遭ったことを糾弾するかのように、親米政権かつ右寄り、総務大臣の時、NHKの番組にさんざんいちゃもんを付けた首相の時に放送してくれるなんて、NHKのスタッフには、自分と同じ愛国というか民族主義の血が流れているのかな?と嬉しくなって書いている。

 「ノワール」といえば、フランス映画でお目にかかるが、意味は暗黒というようなことらしいが、自分は勝手に犯罪と捉えて解釈していた。あながち誤りではないと思っている。

 米軍兵士による琉球の女性への性暴力の酷さは、同じ犯罪を米国でやったら大きな社会問題になるはずだが、悲しいかな地上戦を戦い、敗北し、本島に嘉手納など広大な基地をいくつも設置され、常に武装している米兵の前では琉球の人たちは泣き寝入りするしかなかった。
 1945年8月9日未明、満州や朝鮮半島、樺太などに侵攻したソ連軍兵士による邦人女性に対する性暴力と変わりはしないほどの酷さである。
 大きく異なるのは、ソ連兵とは異なり、米兵は全員が琉球の女性を襲ったわけではなく、一握りの犯罪だということだ。
 ただし、重大な問題として語り継いでいかなければならないのは米兵の行動が人種差別に基づいた行動であることだ。
 米国で差別されてきたアフリカ系米国人、即ち、黒人兵や貧しき白人がジャップとバカにして琉球の女性を人間として扱わなかったことは忘れてはならない。

 1945〜1972とサブタイトルがついているのは、1972年5月15日、沖縄の施政権が米国から返還され、琉球政府が沖縄県政になり、パスポートがなくなり、道路交通がクルマは左になったという大きな社会の変革が起きたことで世の中が明るくなるかと思っていたからであろう。

 ところが、保守派の親米政権が続く日本政府は、不平等条約の日米地位協定を改定することを米国に申し入れることをしようともせず、今日に至るため、相変わらず、沖縄では米兵による県民女性に対する性暴力が一向になくなるどころか、あろうことか小学生の女児が米兵など3人に性的暴行されることまで起きている。
 その原因が人種差別だと見抜いている自分と異なり、米国の泣き所である人種差別に関しては親米派の自民党政権は絶対ふれないようにしてきたからだ。
 米国で小学生の女児に米兵3人が性的暴行をしたらどうなるか、米国の女性たちは黙っていないはずだ。

 自由と女性の尊厳を守ることを訴えてきた立場であるから、わかりやすい例として性暴力犯罪をよく取り上げてきたが、人身に関わるものとしては米兵による殺人、暴力、傷害事件も滅茶苦茶多く発生している。琉球ノワールの時代から続いていることとして、米軍基地があることから、米軍ヘリや機材などの墜落事故に巻き込まれて県民に犠牲者が出ていることはすでに何回となく書いている。
 さらに、近年では米軍基地の周辺で、基地内で使用された消火剤など有機フッ素化合物(PFAS)による水質汚染の問題まで起きている。
 米軍は沖縄をゴミ捨て場のように扱っていることは明白だ。

 番組では、1945〜1972ということで、もう50年以上前のことだから、大概のことは時効ということで、勇気を振り絞ったスタッフが番組を告発という形ではないようにして放送してくれた。

 しかし、反米ということを明らかにしている語り継ぐ戦争の立場から、放送の趣旨は十分汲み取ったので、生活を基地に依存せざるを得ない立場の沖縄県民はともかく、本土にいる我々は他人事であってはならない。

 女性が米兵による性暴力の被害者になるのは本土でもよくある事件ではないか。

 日米地位協定を見直し、日米の関係を真に友好的な関係にしていくのが今を生きる我々の務めであるはずだ。

2025年12月09日

『ペリリュー 楽園のゲルニカ』

 月に一度の映画館行き、2025年の師走に観たのは第46回日本漫画家協会優秀賞を受賞した武田一義の戦争漫画を原作とした久慈悟郎監督、アニメーション作品『ペリリュー楽園のゲルニカ』である。

 読書家とは程遠いが、読書はそれなりにしていて原則買い求めて読むのが自分の流儀だから、蔵書は市井に生きる団塊の世代の一員として少なくはないであろう。

 漫画は数少なくて、西岸良平『三丁目の夕日』、『鎌倉ものがたり』くらいしか読んでいなかったが、語り継ぐ戦争だから『ペリリュ―楽園のゲルニカ』は当然のことながら、買い求めて全11巻読んでいる。
 さらに、ドキュメンタリー映画『はだしのゲンはまだ怒っている』を観るにあたり、原作を読んでいなければ話にならないので、全10巻買い求めて読んでいる最中である。

 アジア太平洋戦争末期の1944(昭和19)年、パラオ諸島ペリリュー島では、米軍の上陸を迎え撃つ日本軍守備隊の一員として21歳の日本兵田丸がいた。漫画家志望の田丸はその才を買われ、亡くなった仲間の最期の雄姿を遺族に向けて書き記す「功績係」という任務を命ぜられる。
 やがて米軍の猛攻が始まり、日本軍は追い詰められていく。死と隣り合わせの日々、恐怖、飢えや渇きという極限状態に追い込まれていく中で、田丸は、仲間の死を記録していく。
 田丸の支えとなったのは、同期生で勇敢な上等兵吉敷だった。
 二人は何としても生き延びようとするが・・・。

 物語の紹介はこのくらいにしておく。

 親米右寄りの高市首相が恣意的に米国の威を借りた国会答弁で中国を刺激し、軍備を増強するように仕向けている。
 アジア太平洋戦争の時と同じようにメディア、新聞TVが高市首相を持ち上げ、世論調査で高い支持率を操作して持ち上げている。

 鬼畜米英といって戦っていたのが、戦争に敗れたら奴隷同然に主権を奪われ、日米地位協定の不平等も改正できないで、米国にしっぽを振っている親米右翼の政治家はペリリュー島などで戦没した人たちのことをどう考えているのか。
 語り継ぐ戦争で、反米になったことを明らかにしている自分の方が死者の気持ちに寄り添っていると断言できる。
 親米の保守派、右寄りといわれている勢力は、米国に原爆を落とされて死んだ人、被爆者の苦しみを考えないのか。
 空襲空爆で焼け死んだ人たちのことを忘れてしまったのか。
 飢餓で南方などの島で餓死した人たちのことを考えないのか。
 シベリア抑留された人たちのことを学校教育でなぜ、次世代に教育しないのか。 
 保守派がしきりに戦争をやりたがっているが、断固反対しなければならない。

 戦没者のことを伝えてくれるこの映画を一人でも多くの人にお薦めしたい。

2025年12月06日

親族の軍歴 公開拡大 非戦に役立つ

 太平洋戦争などに出征した陸軍将兵らの「軍歴資料」について、24道県が戦後75年の2020年度以降、公開する親族の範囲を拡大したことが読売新聞の調査でわかった。遺族の世代交代が進む中、父祖の戦争体験を知りたいという要望に応えるためだ。と11月30日の読売(南佳子、芦原夕奈記者)が戦後80年 昭和百年の戦争特集で伝えている。

 解説によれば、所属部隊や階級を記録した陸軍の「兵籍」や海軍の「履歴原表」、死没者名簿などの個人記録が軍歴資料ということらしい。
 先の大戦では、出征地を伝えられないまま戦死した軍人も多く、足跡をたどる端緒になる。47都道府県には2024年度計約4300件の開示申請があった。

 読売新聞が7〜8月、47都道府県に公開状況を尋ね、回答を得た。東京都や大分県など40都道府県が、将兵の血族では6代下の世代にあたる6親等まで(将兵の配偶者の家系は3親等まで)を公開対象にしていた。

 海軍将兵の軍歴資料を所管する厚生労働省は、民法の親族規定に基づき、03年から公開の範囲を6親等までにしている。


 古希を過ぎたかと思っていたら、いつのまにか後期高齢者を迎え、年が明ければ喜寿なんて想像もしなかった齢を迎えることになるかもしれない。

 語り継ぐ戦争で軍歴資料といえば、召集されて、南方のスマトラ島に連れて行かれ、何とか無事に宇品港に帰ってきたわが父の軍歴を知りたくなったことがある。
 軍歴の照会先が陸軍が都道府県で、海軍は厚生労働省だということが今回、わかったのはよかった。

 語り継ぐ戦争であるから、当然、父親の軍歴に興味、関心を持つようになり、、とりあえず、厚生労働省に問い合わせしたところ、宇品港に帰ってきたことだけ教えてもらったことがある。
 その時の返信に、軍歴資料は陸軍の場合、都道府県が照会先になることが書いてあったかどうか、定かではない。
 コロナ渦で心身に大きなダメージを受けてしまい、自分もいよいよお迎えが近いかなと思っていたが、やり残したことの一つが父親の軍歴を照会し、次世代に語り継いでいきたいとの願いである。

 軍歴はある日、国家権力が一方的に拒否権はなく、召集令状1枚で軍隊に入隊させられ、生命の保障など全くなしに戦地に送られてしまうことを後に、家族が確認できる証拠みたいなものである。

 北朝鮮に拉致され、日本に帰国できない人たちがいるということは、市民の命を守ってくれない国家がどうして、戦争になると召集令状1枚で市民の自由を奪えるのかということだ。
 アジア太平洋戦争で戦没、死没した人たちの遺骨の収集さえ、やらない国のために、戦い、死ぬことを余儀なくされてたまるかという気持ちになる。

 戦後80年、何とか平和な時代に生きられたのは日本国憲法とその9条があったおかげであるが、今、緊急事態条項を憲法に加え、またしても、市民の自由を奪おうとしている国家権力を握っている勢力に断固反対の意思表示をしておく。

 軍歴を調べることで、戦争になったら、ある日突然、召集され、自由を奪われ、殺されてしまうことになることが理解できるはずだ。

 二度と戦争に巻き込まれないようにするため、家族が軍歴を照会しておこうではないか。

2025年12月02日

日中関係悪化 恣意的発言 トップの資質に疑問

 台湾有事が集団的自衛権行使の対象となる「存立危機事態」になり得るとした高市首相のの国会答弁を巡って、日中関係が急速に悪化している。ということで11月29日の読売が「論点スペシャル」で「日中関係悪化 背景と展望」をテーマに3人の識者に聞いている。
 垂秀夫前中国大使、佐橋亮東大教授、鈴木貴元丸紅中国研究チーム長で「強硬姿勢 異例の習氏主導」「経済的威圧 各国と連携を」「貿易・観光 長引けば影響大」という見出しでそれぞれの立場から発言がなされた。

 輸入品の2割強を中国に頼っている。観光客がおよそ1000万人、購買意欲も旺盛とインバウンド(訪日客)の比重も大きく、日本産水産物の輸入停止の影響は大きく、関係悪化が長引くほど日本への影響は大きくなる、という鈴木貴元さんの発言に関心をもった。

 2010年より前は、日本の経済力は世界2位で、中国にとって日本の経済協力は重要だった。現在、日本の国内総生産(GDP)は世界の4%弱に過ぎず、過去に日中関係が悪化した時には、経済が修復のカギとなったが、現在は必ずしもそういう状況ではないという。


 親米保守派の元首相に近く、靖国神社大好きな親米右寄りの政治家として知られる高市首相は中国が嫌いなのだろうとみている。
 右寄りでなぜ、親米なのか理解に苦しむが、天皇を大事に思う立場であるはずの右寄り政治家にしては、A級戦犯が合祀されてから天皇が参拝しない靖国神社に参拝し、天皇の娘が次の天皇になるのが当然であるにもかかわらず、男系でなければならないなどと明治以降の近代の考え方である女系を認めない立場だというから、この人は日本の真のリーダーにふさわしくない。
 天皇も同じ考え方だと思うが、政治向きの発言はしないことになっているから何も言わないだけであろう。
 12月1日、愛子様の誕生日だと伝えられている。
 愛子様の天皇に反対する勢力は天皇を支持する立場からみれば、日本の権力者の立場にいてもらいたくないはずだ。
 男女平等の世界の潮流にあって、今時、男系などと言いだすのはどうかしているとしか思えない。

 さて、語り継ぐ戦争で米国からヒロシマ、ナガサキと原爆を投下されて非武装の市民が殺害されたジェノサイドをした米国に対し、殺された人たちに代わって反米であることを明確にしている立場かつ、米国からの自主独立を目指す立場でもあり、独裁国家は大嫌いではあるが、中国とも米国とも共に友好的な関係を築いていかなければならない日本としては、中国が怒ることを平気で発言するトップなんて迷惑この上ない。

 読売の政治部は元首相、現首相と親米右寄り政権の応援団をしているから、石破前首相への評価が非情に厳しかったが、どちらが国益を考えていたか答えは言を俟たない。

 国会答弁は不用意な発言ではなく確信犯というか、恣意的な発言であろうが、隣国の中国と友好的にやらなければ、日本が立ち行かなくなることなど誰にでもわかることではないか。

 「口は禍の元」「面従腹背」、相手が嫌いでもトップの立場だから、腹で思うのは自由だから余計な一言はしゃべるべきではない。
 過去、国会答弁で捏造発言の真偽を問われ、職を辞する云々と軽々に発言したこともあった。

 田中角栄さん、大平正芳さんを見習って、中国とも米国ともうまく付き合っていくしか日本の進む道がない。

2025年11月27日

集団自決で奇跡的に生き残り、中国残留孤児

 TBSNEWSDIG戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」の11月24日配信で、満蒙開拓団の集団自決について取り上げていたので語り継ぐ戦争の立場から書いておく。
 山梨県の豊村から満州に渡った開拓団が終戦直後に集団自決するも、奇跡的に生存し、中国残留孤児となった石丸美知子さん(85)の心は今も癒えることがない。

 現在の山梨県南アルプス市にあった豊村。1940年から160人を超える村民が大陸へ渡り、満州開拓団のひとつとして、牡丹江から哈爾浜に行く鉄道の哈爾浜寄りにあった四道河に入植した。

 1945年8月15日、開拓村は現地の武装集団に取り囲まれ、追い詰められた団員らがとった悲痛な選択。それは、防戦用のダイナマイトによる集団自決だった。

 郷土史研究家 相原千里さんは「自分たちで死んだように思うけど、結果的に、現地の人たちから土地を奪い取った日本(政府)に殺された」という。

 石丸美知子さん、当時5歳。「部屋に入ると、大人はみんな泣いていた。16歳ぐらいのお兄さんとお姉さんが舞ったり歌ったりして、男の人が何か話した後、爆音がした。たくさんの人の下敷きになって息苦しかった」
 このとき、石丸さんの父親は出征中で不在。母親と姉、弟が集団自決で亡くなった。
 その後、石丸さんは中国人の養父母に大切に育てられたが、終戦から40年近く経った1980年代まで祖国・日本の地を踏むことができなかった。
「自分の名前、家族のことも分からなかった」石丸さんは中国残留孤児として1988年に帰国。


 集団自決といえば、すぐに頭に浮かぶのは沖縄での集団自決と満州におけるそれである。
 石丸美知子さんが満州での集団自決の生き残りということだから、満州での集団自決について書く。
 満州での満蒙開拓団の集団自決のことを学習させてもらったのは中村雪子『麻山事件 満州の野に婦女子四百余名自決す』(草思社)を70年代に仕事というか読む機会に恵まれたからである。
 1945年8月12日、満州の麻山で哈達河開拓団421人がソ連兵や中国人武装集団に包囲され集団自決した事件の生き残りである中村雪子さんの著作だ。
 ソ連軍の戦車に開拓団の女性と子ども、年寄りたちが轢き殺された8月14日の葛根廟事件、ソ連軍による非武装の民間人が虐殺された8月27日の佐渡開拓団跡事件と合わせて「北満三大悲劇」と耳にしたことがある悲惨な事件である。

 松原文枝監督『黒川の女たち』を戦後80年の2025年に観ることができたが、集団自決という選択をした開拓団に対し、ソ連兵や現地の武装集団から開拓団員を守ってもらうためにソ連軍将校に開拓団の娘たち15人が性接待、性奴隷として差し出されたことを生き残っていた被害者がメディアに名前を明かし、なぜ、開拓団員が無事に引き揚げられたのか。その理由としてソ連の性暴力を訴えたことを映像化した作品である。

 この事実を知り、黒川開拓団で犠牲となった女性の慰霊碑「乙女の碑」にお参りに行ったのは2018年9月のことだった。その時は、性接待の事実は慰霊碑には書いてなかったが、その年の秋に、事実関係を明らかにした説明が掲示されることになった。

 沖縄の読谷村ではガマに隠れていた県民が集団自決で明暗を分けた事実がある。チビチリガマとシムクガマでは英語が理解できた人がいたシムクガマでは全員が助かったが、チビチリガマでは集団自決が行われた。
 チビチリガマにも犠牲者に手を合わせるべく訪れている。

 リーダーの差だと指摘する声があることを承知で書くなら、難しい判断である。
 相手は戦車で非武装の女性、子ども、年寄りを轢き殺すソ連軍と日本人に恨み骨髄の中国人武装集団である。
 女性は性奴隷として連れ去られることは明白であるし、残ったものは全員殺害されることだって考えられるからだ。それほどソ連の兵隊は鬼畜そのものだし、匪賊と呼ばれた武装集団に拉致された女性たちが性奴隷として扱われたことを証言した三上綾子『匪賊と共に チチハル脱出記』(第二書房)のこともあるからだ。

 黒川の女たちで証言した佐藤ハルエさんは「生きていてよかった」と断言しているし、映画では孫に命がつながっていることが描かれていた。

 結論を言うなら、死んでしまってはどうにもならないが、生きていれば、命がつながることもできる。

2025年11月26日

『はだしのゲンはまだ怒っている』

 月に一度の映画館行き、11月は込山正徳監督が漫画家・中沢啓治が自身の被爆体験をもとに描いた『はだしのゲン』てを題材に取り上げたドキュメンタリーを観てきた。

 「週刊少年ジャンプ」での連載が始まった1973年から半世紀、25カ国で翻訳出版され世界中で読まれ続けてきたが、近年は原爆投下をなかったことにしたい親米の保守派から目の敵のように攻撃され、広島市の平和教材から消えたりするようになってしまった。

 2024年9月放送のBS12スペシャル「『はだしのゲン』の熱伝導 原爆漫画を伝える人々」を映画化したものである。


 語り継ぐ戦争であるにもかかわらず、恥ずかしながら『はだしのゲン』を読んでいなかった。
 ずいぶん前から、買い求めて読まなければ話にならないと思っていたので、映画を観る前に、書店で(汐文社)の全10巻セットで買ってきてほしいと親族に頼んだら、ヨドバシから届き、読み始めたところである。

 戦争関連の漫画では武田一義『ペリリュー楽園のゲルニカ』(白泉社)をセットで買い求めて読んでいるが、こちらもアニメで映像化され、12月5日から公開されるので、観たいと思っている。

 映画を観た感想としては、80年経っても人間は変わらないものだということ。戦争に反対する少数意見を徹底的に排除しようとする軍部に毒された市民が戦争に反対するゲンの父親のことを「非国民」と攻撃する様がまさに証明している。
 鬼畜米英と叫ばされ、原爆を落とした鬼畜だったはずの米国に対し、親米の政治家などの人種が増えてしまったのは何故なのか。
 語り継ぐ戦争で学習するうちに反米という立場になってしまったことを明らかにしている自分とは異なり、A級戦犯だったはずの元首相の流れを汲む自民党の派閥出身の総理が一様に親米であることに強い違和感を感じている。彼らは米国に魂を売ったのか、カネをもらったのか、はたまたスパイなのか・・・。

 ゲンやゲンの父親は原爆を落とされたことに怒り、明らかな反米という立場であるから、この漫画を読む前から自分と立場が全く同じであったことに気づかされた。
 被爆者ではない自分が反米であるからには、被爆者であったなら、当然反米になって当たり前であろう。
 
 ところが、80年経っても原爆投下の謝罪すらしない米国に対し、どうして、親米という立場になれるのか。さらに、原爆を落とした米国に怒っているゲンの人生を描いた『はだしのゲン』にいちゃもんをつけ、図書館に置かせない。貸し出さない。ヒロシマでは教材から排除するなんてことがどうしてできるのか。

 団塊の世代の一員であるが、この世代にあっても、戦争のことに詳しいであろうと自負する自分からみれば、原爆が落とされる前の世の中の描き方は自分が学び、佳く知っている当時の事象そのものではないか。

 特に、戦争に反対する人たちのことを非国民として排除する様子は秀逸である。

 戦争や原爆を描いてこれほど激しく心を揺さぶられたことはない。
 全10巻読了したら、もう一度書く。 

2025年11月25日

戦争の性被害を語り継ぐ 国家と中絶

 戦争の性被害を語り継ぐ、「国家と中絶」をテーマに11月18日から21日にかけて朝日新聞(榎本瑞希 坂本純也記者)で5回連載された。
 第1回戦時中の性暴力で妊娠、風呂場で行われた中絶 「忘れられた方が…」
 第2回敗戦後の妊娠中絶、逆転した価値観 「悲劇の象徴」切り取りに懸念も
 第3回引き揚げ女性の救済か、「純血」維持か 中絶執刀医「水際で止める」
 第4回性被害隣り合わせの日常、忍ばせた青酸カリ ソ連兵におびえた敗戦後
 第5回函館で「人工流産」の記録、舞鶴では「胎児見た」証言 見えぬ全体像

 戦時中の性暴力被害と引き揚げ後の妊娠中絶手術については博多港引き揚げ者の妊娠中絶手術をした二日市保養所のことを書いているが、樺太からの引き揚げ者が着いた函館港での詳しいことは初耳なのでまず、このことを書いておく。 

 北海道庁が手がける新しい道史「北海道現代史 資料編1」に樺太(現・サハリン)などから引き揚げ者を迎えた函館港で1947年、22人の女性が中絶手術を受けた可能性を示す文言を見つけたのは北海道大学専門研究員の木村由美さん(52)は2020年秋、函館市の図書館の所蔵資料にその文言を見つけた。

 引き揚げ時に性暴力などで望まぬ妊娠をした女性を想定し、中絶手術を施す枠組みは全国の港でつくられていた。
 木村さんが閲覧した資料は、1946年末から49年まで、樺太・千島などから計約31万人を受け入れた函館引揚援護局の業務月報に当たる「局報」。「人工流産を要せし者」の数を足し合わせると、1947年7〜12月に22人に上った。

 道も作成に関わった「樺太終戦史」(1973年)には、ソ連軍進駐時の性被害についての記述がある。
 中心都市の豊原(現ユジノサハリンスク)では警察署長が「一般婦女子を守るため」に遊郭の再開を決定。接客婦が足りないとして、防空監視任務についていた女性にも話が持ちかけられた。


 中絶手術をする枠組みは全国の港で作られたということで、満州や朝鮮半島、樺太方面からの引き揚げ港をみてみると、舞鶴、下関、博多、佐世保、函館、唐津、別府、仙崎、門司、戸畑などが該当しそうだ。
 戦争の性被害に関して、自由のために発信している立場から、被害者の自由を奪う、尊厳を奪う戦争犯罪として強い関心を持つ。
 中絶手術をしたとされる二日市保養所跡に行き、母子地蔵にお参りを済ませていることから、博多港の引き揚げ者のことは書いている。
 佐世保のことは佐賀であったことまでは調べている、仙崎と舞鶴、函館は詳しいことはわからなかったが、中絶手術が行われたのではないかということまではわかった。

 戦争の性被害は幕末の戊辰戦争で、敗者の会津の女性たちが官軍と呼ばれた薩長などの兵士から性暴力を受けたことが語り継がれていて、和解を申し入れた長州の人たちを会津の人たちは未だに赦してはいないことがわかっている。

 戦争での性暴力は、戦争だからいつ死ぬかわからない兵士にとって、半ば自棄になっていることと、性的欲求を我慢していることから、勝者側に立つと、必ず起きる問題である。

 朝鮮半島との境の安東におけるお町さんは、ソ連軍侵攻時、女給をしていたが、性の防波堤としてソ連軍相手の店を経営し、売り上げで避難民や日本軍の兵士たちを救済したとされている。
 ソ連軍引き上げ後、中共軍にとらえられ処刑されたが、性暴力を防ぐ手段としては、こういう形しかないかもしれないと思わせる。
 2014年8月、三ヶ根山にあるお町さんの慰霊碑にお参りを済ませているが、自分のことだけ考えるのが精いっぱいという時に、他者のために体を張った女性お町さんには敬意を表している。

 さて、性暴力につきものの妊娠というものは真につらいものである。
 性暴力で妊娠した子どもであっても、「生まれて泣き声を聞くと母性が目覚めてしまうから、泣き声を聞かせないように殺すんです」とは二日市保養所で手術を担当したドクターの話である。

 戦後80年経って、時代は性暴力犯罪に対して、厳しく処罰することを求める被害者に応える形で厳罰化されている。

 自由と尊厳を奪う犯罪の筆頭が性暴力であるから、戦時中とはいえ、少しでも減らしていかなければならない。
 兵士全員が性暴力をしたわけではないことから、ここでも教養を見つけることで犯罪者にならないようにすることは可能ではないか。

2025年11月24日

厚木基地騒音 国に賠償命令 39億円

 米軍と海上自衛隊が共同使用する厚木基地(神奈川県)の騒音で長期間健康被害や精神的苦痛が生じたとして、周辺住民ら約8千人が国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、横浜地裁は19日、「社会生活上受忍すべき限度を超える被害を生じさせている」として計約39億円の支払いを命じた。とメディアが伝えている。

 19日の産経新聞のWEBによれば、岡田伸太裁判長は「健康、生活環境に関わる法的利益を侵害している」と指摘。住民の被害は長期にわたり、飛行場の使用は違法な権利侵害に当たるとした。

 原告側弁護士は「過去にも違法判決が出されているのに被害を放置している」として、国の自発的な対策を訴えた。

 防衛省南関東防衛局の担当者は「今後の対応について、関係機関と適切に対応する」とした。


 首都圏でも神奈川といえば、基地騒音訴訟の被告である海軍の厚木基地を筆頭に陸軍の座間、海軍の横須賀と米軍基地があることで知られる。
 語り継ぐ戦争では、1945年8月30日、連合国のダグラス・マッカーサー元帥がパイプをくゆらせながら搭乗機から降り立ったことで知られるのが厚木基地だ。
 厚木基地と呼ばれているが、行政区域では綾瀬市と大和市だと耳にしたことがある。

 1964年4月、沖縄の嘉手納基地から厚木基地に向かっていた米海軍機が東京は町田市の国鉄原町田駅近くに墜落する事故があった。
 東京五輪の年、かつ翌年、父親が突然病死したから覚えている。
 つまり、厚木基地の騒音訴訟は基地周辺8市の住民約8000人が訴訟を起こした(11月20日の読売による)中に東京都民というか町田の市民も航路になっていたとすれば、いるのではないかということだ。

 町田や相模原の知り合いによれば、厚木基地から飛び立ったジェット戦闘機の騒音は半端ないそうで、話し声が聞こえなくなるほどで、「米軍機を撃墜せよ!ミサイル発射!」と大声で怒鳴ってもだれにも届かないそうな。

 あまりの騒音に怒った周辺住民の運動が功を奏したかして、何年か前、米海軍の戦闘機部隊が岩国基地に移ったと耳にしたことがある。

 我が国で米軍基地といえば、沖縄というくらい沖縄に米軍基地が集中しているが、侮れないのは、日米安保条約と日米地位協定という不平等な取り決めで、首都東京の制空権が米軍の横田基地にあることだ。
 だから、米国の要人が羽田ではなく、横田基地に降り立ち、米軍のヘリで米国大使館に入るという具合に治外法権の場所だけで、東京に来られて米軍大使館という治外法権の施設に入れるのだ。

 このことはれいわ新選組で日本の安全保障問題の専門家として参議院議員に当選した伊勢崎賢治さんも指摘している。

 狭い国土で、7割が森林という日本で広大な面積の米軍基地を占拠している米軍が日本を守るために駐留しているのではなく、日本が核武装しないように、原爆投下をした米国に復讐の牙を剥かないようにしていることこそ大いに問題である。

 にもかかわらず、元首相やその手下の親米右翼の政治家は米軍があたかも日本を守ってくれるかのような戯言を宣っていたことに怒りを覚える。

 ウクライナがロシアに侵略され、欧州や日本の安全のために戦ってくれているにもかかわらず、米国のトランプ大統領はロシアのプーチン寄りの姿勢で、ウクライナの国土割譲を戦争終結の条件にしていることで証明されている。
 
 米軍基地がたくさんある日本とウクライナではまるで違うではないかという向きには、米軍基地が攻撃されれば米軍が反撃するに決まっているではないか。ただし、日本の島が攻撃されても、米軍が出撃することはないということを言っているのだ。
 ロシアだって、中国だって、北朝鮮だって日本の米軍基地を攻撃するわけがない。
 皆米国を恐れている。
 しかし、80年前敢然と米国に戦いを挑んだのは日本であり、原爆を落とされても親米だなどと世迷言を言っている人間ばかりではない。
 シベリア抑留、原爆投下に対し、復讐することを考えている心ある日本人は少なくないはずだ。

 米軍基地の騒音に関しては、政府はきちんと対応すべきだ。

2025年11月23日

旧軍国際法の教育不十分、ロシア国際法蹂躙

 虐待された捕虜が心と体に負った傷は深く、その記憶は今も語り継がれる。一方、ロシアによるウクライナ侵略で国際法は蹂躙され、戦後、国際社会が育ててきた規範は危機に瀕している。と戦後80年 昭和百年 混乱 下編が11月19日の読売(広瀬航太郎、波多江一郎、大森祐輔、十河靖晃、藍原真由)特別面でも大きく取り上げているので書いておく。

 BC級戦犯の裁判が各地で行われた。法廷49か所、被告5700人、有罪4403人、死刑984人(減軽含み、実際に処刑されたのは920人)

 明治期の日本は日清、日露戦争で国際法を遵守し、捕虜を丁重に扱ったとされる。
 その後、日本は捕虜の人道的な取り扱いを定めた1929年の「捕虜の待遇に関する条約」を批准しなかった。
 日本軍の「生きて虜囚の辱めを受けず」という教育が影響しているとされ、軍人に対し、国際法を十分に教育しないまま、アジア太平洋戦争に突入したと言われる。
 フィリピンのバターン半島、タイとビルマ(現ミャンマー)とを結ぶ泰緬鉄道の建設現場で数万人の捕虜の死者がでた。
 捕虜への物資を送り届けた「阿波丸」が米軍に撃沈され、民間人約2000人が死亡した。日本軍が武装解除した後、ソ連軍は約60万人の捕虜をシベリアに抑留し、強制労働させた。
 日本軍の捕虜虐待は問題にしても、非武装の市民が多数犠牲となった東京大空襲や原爆投下というジェノサイドでは責任を問われなかった。という勝者の裁きという側面があったが、戦争中の行為を裁判という形式で処罰する枠組みが確立されたことは意義がある」とは防衛大学の黒崎将広教授だ。

 直江津捕虜収容所の職員の処刑にも立ち会った教誨師で、助命活動にも奔走し、「巣鴨の父」と慕われた田嶋隆純は勝者が一方的に敗者を裁く手法、その犠牲となり恨みを呑んで散り去った人々への思いを著書に残している。


 戦争というものは様々な矛盾を抱えたまま、多くの犠牲者を生んでしまうもののようだ。
 捕虜虐待と戦犯の関係が一番わかりやすいだろうから例にするなら、関東軍防疫給水部所謂731部隊が中国人捕虜をマルタと呼んで人体実験し、誰が考えても捕虜虐待で戦犯となるはずであったが、部隊長の石井四郎が狡猾で米軍と司法取引というか、人体実験のデータが喉から手が出るほど欲しかった米軍にデータと交換に命乞いし、認められたのである。

 2008年に公開された小泉堯史監督、藤田まこと主演の『明日への遺言』で描かれた戦犯の物語。名古屋大空襲で撃墜されたB29の乗員を殺害した責任を問われB級戦犯として死刑判決を受け、絞首刑で処刑された岡田資陸軍中将。
 部下をかばい、全て自分の責任であるとしつつも、米軍による空襲、空爆が非武装の市民を狙った無差別殺人、所謂ジェノサイドだとその責任を裁判で主張したことから、処刑されたのではないかと思われる。

 被害者側からみれば、本当のワルは石井四郎731部隊の最高責任者であるにもかかわらず、その罪を逃れ、第13方面軍司令官兼東海軍管区司令官の岡田資は、戦犯として裁かれる身でありながら、米軍の無差別爆撃が所謂ジェノサイドであり、国際法に違反すると主張したことが原因ではないかと思われる判決で、刑場の露となって消えた。

 一つの例に過ぎないが、戦犯としての責任を問われた捕虜虐殺などが事実であり、個人の責任が否定できない場合は、戦犯とされるのもやむを得ない場合もあるかもしれないが、組織の一員として、上官の命令に従った場合には責任は上官にあると考える。

 恣意的な裁判は形式的なもので、被告は到底納得できないであろう。 

2025年11月22日

「BC級戦犯」死刑判決を受けた984人 遺族らの葛藤

 「戦後80年 昭和百年 混乱 下編」は、捕虜を虐待するなど「BC級戦犯」として死刑判決を受けた日本軍人ら984人の遺族らの葛藤と戦後の生き方について11月19日の読売が1面と特別面で取り上げている。


 子どもの頃、渡辺はま子「あゝモンテンルパの夜は更けて」を聴いて、その地がどこにあるかさえ知らなかったが、語り継ぐ戦争で学習を深めていくとき、フィリピンにあるニュー・ビリビッド刑務所に収容されていたBC級戦犯の望郷の思いを歌っていることを知った。
 BC級戦犯122人中、14人がすでに死刑として処刑されていたが、この話を耳にした渡辺はま子が香を送ったことが縁となり、作詞代田銀太郎、作曲伊藤正康の二人の収容者が作った歌の楽譜がお返しに届いたことから、渡辺はま子が歌いヒットしたというのだ。
 このことが縁となり、当時国交がなかったフィリピン政府を動かし、渡辺はま子がニュー・ビリビッド刑務所を慰問に訪れ、収容者108人が渡辺はま子の歌に合わせて、全員が立ち上がり、泣きながら歌ったと語り継がれている。
 渡辺はま子の心がフィリピン政府を動かし、特赦で全員赦されたということを読売だったと思うが知った。

 捕虜を日本兵が虐殺したりした事実はあり、敗戦国として、勝者から死刑にされるのは当然のことだというのが自分の考えである。
 敗者が戦争が終わって勝者からどんな目に遭ったのかは歴史が証明している。

 やったことの責任を取らされるのは当たり前のことだからだ。
 虐殺された捕虜の立場に立てば、同情する気持ちにならない。

 ただし、問題があるのは、軍で上官の命令は絶対だから、個人にその責めを求めるのは少し違うのではないか。
 捕虜に酷い扱いをしないことはジュネーブ協定にもあるが、日本軍の指導者、首脳部の責任こそ問われるべきものだというのが自分の考えである。

 「任務で戦犯」父の無念という見出しで1面で取り上げられていたのは、シンガポールチャンギの刑務所裁判にかけられ、捕虜を虐待したとして1946年9月、37歳で絞首刑に処せられた寺越恒男さんの遺族寺越脩さん(85)。公務のため、命令より衛生曹長としての任務に服したと書き残した父の無念を語る。

 陸軍の西部軍司令部に勤務する主計中尉だった冬至堅太郎さんが45年6月の福岡空襲で撃墜されたB29の乗員を処刑したことを問われ、死刑判決を受けた過去があることを知った息子の冬至克也さん(71)。
 恩赦で減軽され、父親は助かったが、残された日記には「捕虜を処刑する決定をしたのは西部軍首脳部の責任で、自分には責任がない」「直接手を下した責任は自分にもある」とも書き、自宅庭に4体の地蔵を建立したと語る。

 戦争は、一にも二にも指導者、首脳部の責任であることだけは間違いない。市民の連帯責任なんてありえない。
 指導者や首脳部、大本営や海軍軍令部にいた人間は責任逃れせず、敗戦の責任を取れと言いたい。 

2025年11月21日

戦争孤児に善意の救いの手

 戦後80年 昭和百年 混乱 中編で11月18日の読売が伝えている戦争孤児についての1面のことは書いた。
 特別面1頁を使って紹介していたのは、靴磨きや物乞い、かっぱらいをして命を繋いだ「駅の子」と呼ばれた浮浪児の中から沖縄出身の喜屋武盛宜さん(91)の生きてきた道。
 マニラルソン島に出稼ぎに行っていて、親を亡くすも姉と一緒に引き揚げ、児童養護施設を経て里親に引き取られ、引揚者の団体に問い合わせて、自らの本名と出自を知った田中三枝さん(85)の証言である。

 他に、孤児を自宅に引き取り、衣食を用意した善意の人がいたということで、東京中野区の児童養護施設「愛児の家」の運営に携わる石綿裕さん(93)は、1946年初め、母親のさたよさん(89年92歳で死去)が戦災孤児を自宅に引き取ったことを伝えている。
 多いときで107人が住み込み、52年「愛児の家」として法人化、200人以上の戦争孤児が社会に巣立った。
 愛児の家では現在も家庭環境に恵まれない約40人を受け入れしている。

 国が48年に行った「全国孤児一斉調査によれば、戦地や空襲で親を失った孤児は2万8243人に上る。
 同年に施行された児童福祉法により児童養護施設は公的支援の対象とされ、孤児の受け皿として児童相談所の設置が義務付けられている。


 同じ紙面では戦争孤児として清太と節子の兄妹のあまりにも悲惨な境遇を描き、激しく心を揺さぶられた『火垂るの墓』が社会に与えた影響の大きさは孤児の存在や生き方を認知するきっかけになったと紹介していた。
 自分も、戦争孤児のことを書くときは、いつも、清太と節子の兄妹と佐久間のドロップの缶と共に一番先にでてくるほどだ。
 子どもの頃、宮城まり子が「ガード下の靴磨き」を歌っていたことを覚えている。
 後に、ねむの木学園を創始した福祉を語るとき必ず出てくるひとである。
 戦後、流行った菊池章子の「星の流れに」が生活の糧を得るべく春を鬻いだ女性たち、所謂パンパンと呼ばれた女性のことを歌ったとするなら、「ガード下の靴磨きは「駅の子」と呼ばれた浮浪児たち戦争孤児が食い扶持を手に入れるための労働に勤しんだ姿だと言っていいだろう。

 岡山孤児院を創設した児童福祉の父と呼ばれた石井十次亡き後、その精神が引き継がれ、1945(昭和20)年10月、太平洋戦争被災孤児救済を目的に「石井記念友愛社」という名前を揚げて、ライオン歯磨きが支援して戦争孤児救済が行われている。とライオンのWEBが㏚している。

 2000人の混血孤児を救ったとされるエリザベスサンダーホームの創始者沢田美喜さんも戦争の落とし子といえば、必ずとりあげなければならないひとだ。

 宮城まり子が「ガード下の靴磨き」を歌ったことと「ねむの木学園」を創設したことは、自分の勝手な見方ではつながっているように思える。

 困っている人、しかも、戦争孤児という親亡き子でだれの助けも得られなかった子どもたちに救いの手を差し伸べた人たちに改めて敬意を表したい。

2025年11月20日

戦争孤児 親兄弟姉妹を亡くすという寂しさ

 「戦後80年 昭和百年 混乱 中」で読売が語り継ぐ戦争、11月18日は「戦争孤児 寂しさ抱え」という見出しで、原爆孤児と東京大空襲孤児という2人の証言を伝えている。

 1面と特別面の両方で戦争孤児の問題を取り上げているが、まず、1面で紹介している2人の証言を取り上げておく。
 「原爆孤児」として育った小島純也さん(85)(東京渋谷区)。ヒロシマに生まれ、生後9か月で母親を結核で亡くし、1945年8月6日の原爆では自宅で爆風で倒れた家屋に守られ、奇跡的に無傷だった。しかし、職場にいた父親は大量の放射線を浴び、翌9月に38歳で亡くなり、47年までに祖父、祖母共に被爆が原因で亡くなった。
 親代わりとなった叔父に暴力を振るわれ、「死にたい」と考えていたが、「空腹のままでは死んでも死にきれない」と思いとどまった。中学卒業後、ハンコヤで修業。22歳で上京。家庭を持ち、二人の子どもに恵まれたが、両親の話をするときは今も涙が出る。生まれ変わったら「お父さんとお母さんの元に生まれたい」と思うそうな。

 新潟の学童疎開先で戦火を免れた植竹定子さん(91)。1945年3月10日の東京大空襲で家族5人を亡くし、空襲孤児となった。
 19歳で結婚し、生活が安定した後も、惨めな気持ちが過るときがあると打ち明けるのは、新聞を読むとき漢字が読めないときである。
 「ちゃんとした教育を受けられなかった」と悔やむからだ。


 語り継ぐ戦争で戦争孤児といえば、すぐに『火垂るの墓』が連想されるほど、清太と節子の兄妹には激しく心を揺さぶられた。
 小学生の時の通信簿でいつも担任の女先生から「感受性が強い」と書かれていたくらいだから、もともと涙腺が弱いのかもしれない。
 孤児といえば、『フランダースの犬』のネロと愛犬パトラッシュや、清太と節子の物語『火垂るの墓』のアニメを視聴すると決まって落涙してしまうのだ。
 空襲の被害者といえば、上野動物園の象の話『かわいそうなぞう』の絵本を読むと、決まって涙で前に進まなくなってしまう。

 親の庇護を受けて育ち、親以外にも多くの人たちに支えられて今を生きる自分と戦争孤児とのあまりの落差に申し訳ないような複雑な気持ちである。
 親の庇護を受けた自分が何か悪いことをしたわけではないが、親がいないために辛い人生を過ごしてきた戦争孤児のことを想像するになんだかうしろめたくなってしまうのだ。

 戦争孤児と一口に言っても様々で、親が召集されて戦死したり、銃後と呼ばれた家庭では母親が病死したり、一家が空襲で全滅した時、疎開していた子どもだけ助かったということもあった。
 沖縄戦では南部戦跡の米須地域など一家全滅ということも少なくなかったが、子どもだけ助かったということだって考えられる。
 
 海外に目を転ずれば、満州(現中国東北部)では、1945年8月9日未明、ソ連軍の侵攻で逃避行を余儀なくされ、ソ連の戦車に追い詰められ、集団自決に追い込まれた開拓団において、子どもだけ助かったということだってあった。
 子どもだけで生きていかれないので、後に中国残留孤児と呼ばれた人たちが出たのである。厚生労働省が認定したその数は2818人に上る。

 読売が戦後80年、昭和百年の語り継ぐ戦争で伝えているのは、戦争は戦闘だけがクローズアップされがちだが、現実には、戦闘とは別のところで多くの人たちに苦しみを与えたということであろうと推察する。
 「混乱」をテーマに11月に伝えているのは、上編で、海外からの引き揚げ、中編で戦争孤児、下編で戦犯であり、順に書いている。

 戦争孤児というのは文字通り、子どものことだから、親がいない子どもが生きていくのは想像を絶する厳しさであろう。
 塚本晋也『ほかげ』では、戦後の焼け跡闇市に生きる戦争孤児が描かれていたが、想像力を巡らせただけで孤児となったら、生きるためなら、靴磨きどころか盗みだろうがやらなければ生きていかれない。

 戦争は女、子ども、年寄りと弱い立場の人間に辛さ、苦悩をより与えるものだ。

2025年11月19日

「王道楽土」で騙された開拓民

 アジア太平洋戦争と向き合い、ジャーナリズムとしての役割りをしっかり果たそうとしている読売社会部。
 「と戦後80年、昭和百年 混乱」という伝え方で、11月7日、紙面1頁全部を使って海外からの引き揚げについて取り上げている。(中川慎之介、塚原千智、望月堯之、沢田影月記者)
 「王道楽土」で一か流浪」という大きな見出し、「飢え 幼い娘2人絶命」「女性標的 心身に傷」「パラオから帰国 山林開墾」「軍民帰還630万人」「ソ連侵攻 犠牲多数」「残留孤児」「南方抑留」「引き上げ者苦労多く」という見出しで伝える内容は、戦闘ばかりが戦争ではなく、侵略戦争という面もあったあの戦争で海外で生活していた人々の心身に大きな傷痕を残したことを物語っている。

 満州からの引き揚げの苦難を証言してくれたのは稲毛幸子さん(102)(千葉県市川市)。
 飢え、幼い娘2人が絶命、自身の左眼が失明(義眼)
 戦中、繰り返し聞かされた言葉を今も思い出す。
 「日本には必ず神風が吹く」 
 あの頃は皆が信じていた。しかし、異郷に取り残された人々に天の助けはなかった。


 戦後の学校教育で物事を深く考えない人が増えてしまった。
 国家権力側にとって、都合の良い人たちが増えてしまったということだ。

 日本に米軍基地があって、自衛隊があるから、万が一戦争になっても戦うのは米軍と自衛隊だなどとあり得ないことを信じて自らは安全地帯にいられると考えている若い人が多くなった。

 米軍は間違っても日本のために戦争することなどありえないし、自衛隊員が死ねば、兵員が不足するから徴兵制が敷かれ、若い人は戦争で死ぬことになることがわからないのだ。

 ついでに書いておくが、米軍基地が日本にあるのは、日本が核武装しないように見張っていることと、核武装すれば、原爆を落とした米国に復讐するために牙をむく可能性があることを警戒しているからである。

 台湾有事発言で中国を刺激し、怒らせた日本の首相はリーダーの資格がない。
 圧倒的な軍事力を持ち、経済的な結びつきが深い中国とは、仲良くしなければやっていけないことは明白な事実である。
 米国は中国と戦争をやるつもりはないし、中国もまた米国と戦争することなど考えてもいない。
 米国の代理で台湾に日本が軍事的な手を差し伸べるということは、中国にとって内政干渉だということで軍事力を使うかは別にして、いろいろ難癖をつけてくることは間違いない。
 米国べったりの親米右翼なんて、民族主義の考え方からすればナンセンスだ。中国を敵に回す首相は明らかな親米右翼的な考えに立っている。

 さて、語り継ぐ戦争で、海外に出た人たちの多くが酷い目に遭ったであろうことは引き揚げ時の苦難を想像するだけで、容易に察することができる。

 例えば、満蒙開拓団を例にするなら、名前は開拓団と称しているが、実は中国の人たちが開拓した土地を事実上取り上げたも同然のことで手に入れたわけだから、当然恨みを買っている。
 ところが、学習を深めると、現地の人たちと親しく接した人の中には、1945年8月9日未明のソ連の侵攻後、逃避行を続けようとした時、中国の人から手を差し伸べてもらった人がいたことがわかっている。

 満州では、加害者の立場でもあった日本人が被害者になってみて、初めて、自分たちのやったことに気づいたのでは遅すぎるのだ。

 少なくとも、海を渡る前に少しは想像力を働かせる必要があったのではないか。
 政府が市民を騙すことなどよくあることで、普段から、もっと考え、想像する習慣をもつべきである。

「王道楽土」で騙された開拓民

 アジア太平洋戦争と向き合い、ジャーナリズムとしての役割りをしっかり果たそうとしている読売社会部。
 「と戦後80年、昭和百年 混乱」という伝え方で、11月7日、紙面1頁全部を使って海外からの引き揚げについて取り上げている。(中川慎之介、塚原千智、望月堯之、沢田影月記者)
 「王道楽土」で一か流浪」という大きな見出し、「飢え 幼い娘2人絶命」「女性標的 心身に傷」「パラオから帰国 山林開墾」「軍民帰還630万人」「ソ連侵攻 犠牲多数」「残留孤児」「南方抑留」「引き上げ者苦労多く」という見出しで伝える内容は、戦闘ばかりが戦争ではなく、海外で生活していた人々の心身に大きな傷痕を残したことを物語っている。

 満州からの引き揚げの苦難を証言してくれたのは稲毛幸子さん(102)(千葉県市川市)。
 飢え、幼い娘2人が絶命、自身の左眼が失明(義眼)
 戦中、繰り返し聞かされた言葉を今も思い出す。
 「日本には必ず神風が吹く」 
 あの頃は皆が信じていた。しかし、異郷に取り残された人々に天の助けはなかった。


 戦後の学校教育で物事を深く考えない人が増えてしまった。
 国家権力側にとって、都合の良い人たちが増えてしまったということだ。

 日本に米軍基地があって、自衛隊があるから、万が一戦争になっても戦うのは米軍と自衛隊だなどとあり得ないことを信じて自らは安全地帯にいられると考えている若い人が多くなった。

 米軍は間違っても日本のために戦争することなどありえないし、自衛隊員が死ねば、兵員が不足するから徴兵制が敷かれ、若い人は戦争で死ぬことになることがわからないのだ。

 ついでに書いておくが、米軍基地が日本にあるのは、日本が核武装しないように見張っていることと、核武装すれば、原爆を落とした米国に復讐するために牙をむく可能性があることを警戒しているからである。

 台湾有事発言で中国を刺激し、怒らせた日本の首相はリーダーの資格がない。
 圧倒的な軍事力を持ち、経済的な結びつきが深い中国とは、仲良くしなければやっていけないことは明白な事実である。
 米国は中国と戦争をやるつもりはないし、中国もまた米国と戦争することなど考えてもいない。
 米国の代理で台湾に日本が軍事的な手を差し伸べるということは、中国にとって内政干渉だということで軍事力を使うかは別にして、いろいろ難癖をつけてくることは間違いない。
 米国べったりの親米右翼なんて、民族主義の考え方からすればナンセンスだ。中国を敵に回す首相は明らかな親米右翼的な考えに立っている。

 さて、語り継ぐ戦争で、海外に出た人たちの多くが酷い目に遭ったであろうことは引き揚げ時時の苦難を想像するだけで、容易に察することができる。

 例えば、満蒙開拓団を例にするなら、名前は開拓団と称しているが、実は中国の人たちから事実上取り上げたも同然のことで手に入れたものだから、当然恨みを買っている。
 ところが、学習を深めると、現地の人たちと親しく接した人の中には、1945年8月9日未明のソ連の侵攻後、逃避行を続けようとした時、中国の人から手を差し伸べてもらった人がいたことがわかっている。

 満州では、加害者の立場でもあった日本人が被害者になってみて、初めて、自分たちのやったことに気づいたのでは遅すぎるのだ。

 少なくとも、海を渡る前に少しは想像力を働かせる必要があったのではないか。
 政府が市民を騙すことなどよくあることで、普段から、もっと考える習慣をもつべきである。

2025年11月18日

樺太からの引き揚げ 三船遭難事件の生存者

 1945年8月22日午前4時55分、北海道・留萌沖。樺太からの引き揚げ者3500人でいっぱいになった特設砲艦「第二新興丸」(約2600トン)の右舷に、ソ連の潜水艦が放った魚雷が命中した。当時9歳の吉田勇さん(90)(東京都国分寺市)は甲板上にいた。衝撃で数メートルはじき飛ばされ、頭を強く打ちつけた。
 船が傾き、吸い込まれるように人が海へと落ちてゆく。悲鳴、家族の名を呼ぶ声、貨物が崩れる音。<ドドン>と、ひときわ大きな音が響き、甲板から伸びるマストが折れた。その下にいた男性は見るも無残な姿になった。
 証言は11月17日の読売が「戦後80年 昭和百年 混乱上」で伝える語り継ぐ戦争の一コマである。

 戦争終結時に海外にいた日本人は、当時の全人口の約1割に当たる660万人に上る。

 留萌沖で3隻が攻撃され、1700人余りの犠牲者が出た惨事は「三船遭難事件」として語り継がれる。
 撃沈された「小笠原丸」「泰東丸」ではそれぞれ600人超が犠牲となった。唯一沈没を免れた第二新興丸でも400人の死者、行方不明者が出た。

 増毛町で小笠原丸の犠牲者を追悼する慰霊祭が毎年、8月22日に行われている。


 「三船遭難事件」の慰霊碑にお参りしたのは2010年8月29日のことだった。
 コロナ渦を経て、急激に心身が衰えてしまい、今では考えられなくなってしまったが、当時は、還暦を過ぎたくらいで心身ともに元気だったなと懐かしく思い出す。

 レンタカーで稚内を出発し、留萌までドライブしたが、クルマの運転は好きでないし、これほどの距離を運転したことなどほとんど記憶にないくらいの距離感だった。
 当時の紀行文というか、ドライブの顛末は書き留めてあるが、印象に残っていることだけ書いておきたい。
 留萌の鬼鹿海岸だったと記憶するが慰霊碑にお参りし、せっかくだから、増毛に行ってみようということになった。
 というのは、高倉健、倍賞千恵子『駅 STATION』を観ていたので、増毛にどうしても行ってみたかったからだ。
 増毛駅、風待ち食堂にも行った。
 今は、観光案内所兼映画のポスターなどが飾られていたかつての風待ち食堂で、留萌の三船遭難事件の慰霊碑にお参りし、映画が忘れられないことを主に話したら、町営墓地にその小笠原丸の犠牲者の慰霊碑があることを教えてくれたのだ。
 3時は過ぎていたと思う。夕方に墓地には行くなと親から言われていたが、せっかくだからお参りをすることにして訪ねた。
 霊感なんてあるはずもないのだが、お参りしたら、8月にも関わらず、寒気がしてきて、怖くなって早々に退散してしまった。

 戦没者慰霊のための行脚で稚内から沖縄までお参りしているが、稚内、留萌、増毛の旅は忘れらない旅となっている。

 これほどまでに衰えてしまうとは信じられないが、死ぬまでに何とか、もう一度、お参りをしたいと願っている。 

2025年11月13日

旅順に「日露戦争史料収蔵館」を開設

 1993年に来日し、大阪市立大学(当時)で理学の博士号を取得。2008年に優れた科学者に贈られる科学技術分野の文部科学大臣表彰を受賞した郭方准さん(55)が「激戦の歴史、平和の願い 後世に」と、中国は旅順に「日露戦争史料収蔵館」を開設した。と11月9日の読売(出光翔太朗記者)が「顔 Sunday」というコラムで紹介している。
 「長年生活した日本が関わり、世界史に大きな影響を与えた日露戦争の資料を集め、後世に残したい」と思うようになったのが開設した理由だそうな。
 日露戦争の終結から、2025年で120年。将来的には各国の研究者が集う拠点になることを願っているという郭さん。「日露戦争がアジアと世界に与えた影響を考え、平和を議論する場所となれば本望」だと語っている。


 語り継ぐ戦争では、アジア太平洋戦争をメインに発信してきたが、日露戦争はアジア太平洋戦争に大きな影響を及ぼしたので書いておく。
 アジア太平洋戦争での大きな関心事であるシベリア抑留は、ソ連の独裁者スターリンが日露戦争の復讐だと言っている事実からも日本人を酷い目に遭わせた意図が証明されている。

 日露戦争となると、団塊の世代の一員である自分としては遠い昔の出来事であったが、横須賀に戦艦三笠の記念館があり、若い頃、見学したことがあるので、日露戦争がやや身近になった。

 日本とロシア、ソ連との関係といえば、やはり、若い頃、五木寛之『さらばモスクワ愚連隊』(新潮文庫)を読んだこと、NHKで同じ作家の『朱鷺の墓』(新潮文庫)をドラマ化して放送したのを視聴したことを覚えているくらいである。
 日露戦争の頃、美貌の芸妓・染乃と捕虜として収容されたロシア貴族出身の青年将校イワーノフとの運命的な恋を金沢をシチュエーションに描いたもので、花街のことや芸妓、女郎と呼ばれた女性たちのことに関心を持っていた自分としては、大きな影響を受けている。

 司馬遼太郎『坂の上の雲』のあらすじは知っていたが、TVドラマ化されても視聴することはなかった。
 幕末の新選組の土方歳三と戊辰戦争での会津藩の戦いを応援してきたアンチ薩長の立場であるから、明治維新と帝国主義化に距離をおいていたからである。

 1939年5月からモンゴル国境をめぐり、日本軍とソ連軍が戦い、日本が敗北したノモンハン事件で日露戦争後、再び、両者は戦った。

 アジア太平洋戦争にソ連が参戦してきたのは1945年8月9日未明のことで、スターリンは不凍港を求めて、北海道の半分を強奪するつもりであったことがわかっている。

 後年、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、満州(現中国東北部)や朝鮮半島、樺太、千島列島などでのソ連兵の日本人女性への性暴力の酷さ、シベリア抑留で、抑留者の約1割は死亡というよりは殺害されたも同然のソ連、ロシアに憎悪を抱くようになり、2022年2月24日のロシアのウクライナ侵略とその前のクリミア強奪事件で嫌悪感をロシアに抱くようになってしまった。

 というわけで、ソ連のスターリンとロシアのプーチンが大嫌いではあるけれど、中国同様に隣国の大国だから、戦争にならないように、友好関係を築いていく必要があるだろう。

 旅順ではあるけれど、日露戦争を検証するためには大いに役立ちそうな史料の収蔵館を開設していただいた事を郭さんに感謝申し上げる。

2025年11月05日

激戦地 摩文仁に立つ「静岡の塔」で追悼式

 静岡県は6日、沖縄県糸満市の摩文仁(まぶに)の丘にある「静岡の塔」で追悼式を開く。戦後80年にあたる2025年、鈴木康友知事が知事として20年ぶりに出席する予定だ。と11月5日の朝日新聞(長橋亮文記者)がWEBで伝えている。

 静岡の塔は1966年、アジア・太平洋戦争の際に沖縄や南方地域で戦没した県出身者約4万人の霊を慰めるため、県民らの寄付で建立された。県は毎年、現地で追悼式を開催している。

 2025年は約200人が参列する見込みで、2024年の91人から増える。参列する遺族100人のうち、孫・ひ孫世代が31人を占めるという。

 県は若い世代の参列を促すため、今年度は遺族への助成を拡充。従来の1人あたり2万円に加え、戦没者の孫に3万円、ひ孫に6万円を上乗せする。

 鈴木知事は記者会見で「戦争体験の継承は一刻の猶予もない」と強調。「80年前に激戦が繰り広げられた摩文仁の丘に実際に立ち、戦争の悲惨さや平和の大切さを感じ、次の世代へ語り継いでもらうことを期待している」と述べた。5日には富士山静岡空港で遺族らが参加する出発式が開かれる。


 ふだんの暮らしで静岡県はほとんど縁がないが、2010年3月、熱海にある興亜観音にお参りし、2018年の5月に唐人お吉さんの供養のため下田に行ったことがある。
 語り継ぐ戦争では東海道新幹線で京都大阪方面に行くとき、車窓から眺める景色で確認するくらいだが、リニア新幹線の建設に反対していたことくらいは承知している。

 さて、沖縄の南部戦跡、糸満市摩文仁には平和の礎を筆頭に数多くの慰霊碑がある。
 その慰霊碑には都道府県ごとに慰霊碑があったが、全都道府県の慰霊碑があるかは確認したわけではない。

 平和の礎のごとく、沖縄県民に限らず、敵味方、国籍の区別なく沖縄戦の犠牲者の名前がすべて刻まれていることにいつも沖縄県民の懐の深さというか、心の豊かさを思い、敬意を表してきた。

 摩文仁に都道府県別の慰霊碑があるように、兵庫県の姫路市の手柄山中央公園には太平洋戦争全国都市空襲慰霊碑がある。
 2010年11月に手柄山中央公園に行き、お参りしてきたが、訪ねて来る人はいないようだった。
 階段状に慰霊碑があった。全部確認したわけではないがかなりの数になる。

 せっかくだから姫路城を見学したいという連れ合いの願いで、訪れたら、なんと修復工事中だったことは忘れられない。

 慰霊碑の数は断トツ沖縄が多いと思うが、慰霊碑というものは、建立して終わりではなく、「忘れてはいないよ」と声をかけながら、今を生きるものたちがお参りしなければ意味がない。

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を続けて来たのは誰かから頼まれたわけでもなく、全くの個人的な戦没者への思いである。

 そう、戦没された「あなたのことは忘れていないよ」と声をかけながら、死者の無念の声に耳を澄ますというか思いを察するのだ。

 こうすることで、戦争を起こさないように、戦争に巻き込まれないように気持ちを新たに、戦争を語り継いでいくのである。
 静岡県以外のことは不明ながら、静岡県の戦争を語り継いでいく姿勢は高く評価できる。

2025年10月25日

高千穂町親父山で墜落したB29の搭乗員を供養

 1945年8月30日、北マリアナ諸島のテニアン島から福岡県の捕虜収容所に食料や生活用品の救援物資を運ぶ途中のアメリカ軍の爆撃機B29。宮崎県高千穂町の親父山頂上空で悪天候のため機体が山の尾根に接触。墜落し搭乗員12人全員が亡くなった。
 事故から80年になるのを前に、亡くなったジョン・コーンウェルさん(享年21)の遺族が8月29日、初めて同町を訪れ、平和祈念祭に参加した。遺族は「長年の取り組みに胸がいっぱいだ」と感謝を伝えた。と9月2日の毎日新聞(塩月由香記者)が伝えていた。

 10月22日のTBSNEWSDIGが伝えるところによれば、戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」で、この事故で亡くなった12人のアメリカ兵を追悼し続けている郷土史研究家 工藤寛さんは、8月29日、副機長ジョン・コーンウエルさんの親族シャノン・グリーン・ウッドさん共々慰霊登山を終え、その日の午後開かれた平和祈念祭に参列。地元の小学生や在日アメリカ軍の兵士も慰霊祭に参列した。

 「私たちのほとんどは戦争の時代を知らない。戦争の記憶は失われていくので、私たちは平和への思いをしっかり守っていかなければならない」シャノン・グリーンウッドさん。
 
 「戦勝国であろうが敗戦国であろうが、戦争の延長線上で亡くなった方に対する思いは一緒だと思う。勝っても負けても関係ないと思う」「俺がやらなかったら誰もやらん」とは工藤寛さん。

 国境を越えた平和を願う心を後世へつないでいく活動が続いている。


 戦争が始まると当然のことながら、敵と味方に分かれる。
 互いに憎しみの連鎖となっていくが、戦争が終われば、ラグビーのようにノーサイドとなり、過去のことは水に流せればよいが、現実は、侵略された側、酷い目に遭った側は酷いことをした側のことをそれほど簡単に赦せるはずがない

 アジア太平洋戦争で、関東軍の731部隊に中国人捕虜がマルタと呼ばれて人体実験されたことを中国の人たちが簡単に赦すはずがない。
 同様に、1945年8月9日未明、満州(現中国東北部)、朝鮮半島、樺太などに侵攻してきたソ連軍が日本人女性を激しく性的暴行し、葛根廟では非武装の婦女子と高齢者を戦車で轢き殺した。日本が降伏し、武装解除後、シベリアに兵士や民間人を連行して抑留し、強制労働させたソ連を自分は絶対に赦せない。

 ゲルマン民族のドイツに原爆を使わず、カラードピープルかつジャップの日本にだけ原爆を二つも落とした米国の人種差別政策を当然許せないが、戦争を先にしかけたのは日本だから、ソ連に対する憎しみ、恨みとはいささか抱く感情は異なる。

 1945年3月10日、蔵王連峰不忘山に米軍のB29が3機墜落し、乗員34人が死亡した。1961年に慰霊碑不忘の碑が地元の人たちによって建立されている。

 高千穂町の親父山で墜落した米軍機B29も地元住民が慰霊祭を行っている。
 B29といえば、東京を筆頭に日本の都市を空襲、空爆し、そのほとんどが焦土と化した。鬼畜米英ならぬ鬼畜米国の爆撃機だから、墜落しても、同情するどころか罰当たりだという向きもあるかもしれない。

 ところが、上述した関係者は死者を責めるどころか、供養のために追悼までしているというではないか。
 死者を責めないのは仏教的な思考だとしても、真に立派な心掛けの人たちである。

 さらに言えば、米軍が日本を占領したから、その後自由と民主主義の国に再生されたと言っても過言ではない。その視点に立てば、供養が実を結んでいる。
 仮に、北海道の半分をスターリンのソ連が米国より先に占領したらと考えただけでぞっとする。

 ということで、平和を希求し、敵国爆撃者を供養する人たちにエールをおくりたい。