明日、6月23日は沖縄慰霊の日である。
沖縄は日本軍に本土の防波堤にされ、日本軍と米軍との戦いの巻き添えにされ、住民は無論のこと、学徒たちまでもが男子は鉄血勤皇隊、女子はひめゆり、白梅などの学徒隊として従軍させられ、兵士の看護などで強制的に軍と行動をともにさせられ死線を彷徨った。
太田隆文監督『沖縄狂想曲』は、2024年2月公開のドキュメンタリー作品で、ポレポレ東中野で宣伝のチラシを観たような気がするが、このとき観たのは三島有紀子監督『一月の声に歓びを刻め』だったから、生憎、見逃してしまった作品だった。
YouTubeに配信してくれた関係者にお礼を申し上げるとともに語り継ぐ戦争における沖縄戦へのさらなる学習を深めることができたことに感謝の気持ちしかない。
初めて沖縄を訪れたのは、1985年の1月のことだから、もう40年も経ってしまったが、タクシーで南部戦跡を周り、ひめゆりの塔や鉄血勤皇隊員として犠牲となった師範学校生の健児の塔などでお参りした。
26年後の2011年8月には、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚として、タクシーで再び、南部戦跡を訪れ、整備された平和祈念公園で、沖縄戦の犠牲者の慰霊碑、平和の礎、そして、魂魄の塔などをお参りした。
その後、2012年と2016年の夏にも訪れ、再度お参りをしてきた。
ということで、沖縄戦については自分なりに映画や本などで学習をしてきたから、本土に住む立場としては、かなり詳しい方であろうと自負している。
映画の中では、知っていることの方が圧倒的に多かったが、ドキュメンタリー作品だから、知っていることはより深く、知らなかったことは大いに学習させてもらった。
日米地位協定の問題、辺野古の基地建設、オスプレイの危険性など沖縄における基地問題などに切り込んでいく。
説得力があったのは、大田昌秀元沖縄県知事が鉄血勤皇隊の一員として、沖縄戦を戦い、生き抜いてこられたことで、摩文仁の平和祈念公園に平和の礎と平和祈念資料館を整備することに尽力されたことである。
さらに、戦争の記憶をとどめるため、米軍が記録した沖縄戦の資料を集める公文書館を建てようとされてきたことに敬意を表している
平和の礎は敵味方、民族関係なく、沖縄戦におけるすべての戦没者の名前を刻まれていることが秀逸である。
資料館では、沖縄の守備隊32軍の兵士が沖縄県民を守らず、なんと県民に銃口を向け、ガマ(自然壕)から米軍に投降しようとすると日本兵に後ろから撃たれた事実から、ジオラマの日本軍兵士が県民に銃口を向けていたのを、仲井真知事の時だったか、銃口の向きを変えさせ、物議を醸したことがあった。
米国との戦争に敗れたドイツとイタリアは戦後、米軍が駐留していても、しっかり主権は侵害されていないことが米国との地位協定で約束されているとのことがこのドキュメンタリー映画を観たことでわかった。
しかし、日本だけは日米地位協定を一度も改定してこなかった。
戦後、日本の政権を担ってきた自民党を筆頭に、政治家たちは腰抜けというか、愛国者はいなかったことになる。
米国が望めば、どこにでも基地が作れる、東京の制空権を米軍横田基地が握っているとか、日米合同委員会がすべてを決めているなど納得できないことがいくつもあることで、日本が米国の植民地同然で、独立国家ではないことが改めてわかった。
2026年06月22日
2026年06月21日
「油山事件」慰霊法要 日米の遺族が対面 米兵捕虜を斬首した「油山事件」
太平洋戦争の終戦直前、1945年8月10日、日本兵が米兵の捕虜8人を処刑した「油山事件」。現場となった福岡市の寺院・油山観音で20日、慰霊法要があり、日米の遺族が初めて対面した。戦争の不条理に巻き込まれた加害者、被害者の家族として、痛みや苦悩に向き合った境遇を分かち合い、平和への思いを新たにした。と6月21日の西日本新聞me(坪井映里香記者)が伝えている。
日テレFBSによれば、福岡市に置かれていた旧日本陸軍西部軍は、軍律会議にかけることなく、捕らえていたアメリカ兵8人を処刑した。
太平洋戦争中、西部軍は福岡で捕らえていたアメリカ兵を油山での処刑や、九州帝国大学での実験手術で約40人殺害した。
ブーメランという言葉が使われることがある。
言動とか行動が相手を傷つけると自分に返ってくるとされ、警鐘を鳴らすかのように使われたりする。
ブーメランとは異なるが、戦争だからということで、敵を憎む余り、捕虜の取り扱いを定めたジュネーブ条約に反する行為をすれば、形勢が逆転すると、捕虜虐待の戦犯として、厳しく処断されることになる。
つくづく思うのは、軍人の残虐性である。
戦争に勝っていると、日本刀で斬首などと言う残虐な殺人を行い、戦争に敗れたとき、己が命じた斬首をそのまま自分がやられないと斬首の残虐性がわからないのだろう。
油山事件で思い出すのは九州大学医学部による米軍捕虜の生体解剖実験であり、満州における関東軍731部隊による捕虜の人体実験である。
捕虜を斬首する、人体実験するということを自分がやられたらと考えれば、誰だって躊躇するに決まっているが、自分は絶対やられないと思い込むからこんな非道なことがまかり通ってしまう。
福岡に限らないが、日本の都市を空襲、空爆した挙句、撃墜された乗員に対する憎しみの感情を抱くことはわからないでもないが、だからと言って、法の裁きを受けることなく斬首してよかろうはずがない。
戦争に敗れてよかったと痛感するのは「自由」を手に入れられたことである。
自分たちは武装し、丸腰の市民から自由を奪い取った軍人たちの天下が続いていたら、これほど怖ろしいことはない。
軍人も色々だったことは確かであるが、捕虜になるな、玉砕しろと命令しておきながら、自分たちは戦後もおめおめ生き残っている軍人の幹部がいた。
戦争を企図し、安全地帯から命令し、兵士を死なせた指揮監督の立場にあった人間は汚い。
しかし、これが世の中というものであることもまた確かなことだ。
日テレFBSによれば、福岡市に置かれていた旧日本陸軍西部軍は、軍律会議にかけることなく、捕らえていたアメリカ兵8人を処刑した。
太平洋戦争中、西部軍は福岡で捕らえていたアメリカ兵を油山での処刑や、九州帝国大学での実験手術で約40人殺害した。
ブーメランという言葉が使われることがある。
言動とか行動が相手を傷つけると自分に返ってくるとされ、警鐘を鳴らすかのように使われたりする。
ブーメランとは異なるが、戦争だからということで、敵を憎む余り、捕虜の取り扱いを定めたジュネーブ条約に反する行為をすれば、形勢が逆転すると、捕虜虐待の戦犯として、厳しく処断されることになる。
つくづく思うのは、軍人の残虐性である。
戦争に勝っていると、日本刀で斬首などと言う残虐な殺人を行い、戦争に敗れたとき、己が命じた斬首をそのまま自分がやられないと斬首の残虐性がわからないのだろう。
油山事件で思い出すのは九州大学医学部による米軍捕虜の生体解剖実験であり、満州における関東軍731部隊による捕虜の人体実験である。
捕虜を斬首する、人体実験するということを自分がやられたらと考えれば、誰だって躊躇するに決まっているが、自分は絶対やられないと思い込むからこんな非道なことがまかり通ってしまう。
福岡に限らないが、日本の都市を空襲、空爆した挙句、撃墜された乗員に対する憎しみの感情を抱くことはわからないでもないが、だからと言って、法の裁きを受けることなく斬首してよかろうはずがない。
戦争に敗れてよかったと痛感するのは「自由」を手に入れられたことである。
自分たちは武装し、丸腰の市民から自由を奪い取った軍人たちの天下が続いていたら、これほど怖ろしいことはない。
軍人も色々だったことは確かであるが、捕虜になるな、玉砕しろと命令しておきながら、自分たちは戦後もおめおめ生き残っている軍人の幹部がいた。
戦争を企図し、安全地帯から命令し、兵士を死なせた指揮監督の立場にあった人間は汚い。
しかし、これが世の中というものであることもまた確かなことだ。
2026年06月19日
「継戦能力」を軽視 日米開戦の戦略的大失敗
米国のイラン攻撃は、米国とイランの戦争終結の覚書に両国が合意したことで終結した。「最大4週間で終わる」とトランプ大統領は述べていたことが終結まで100日を超えた。このことを「米大統領が軽視した戦争を続ける力」という見出しで、6月14日の「広角/多角」というタイトルの読売のコラム(飯塚恵子編集委員)で取り上げている。
軍事作戦を担ったダン・ケイン統合参謀本部議長はイラン攻撃については開戦前から懸念を示していたが、「やむなく戦う戦士(Reluctant Warrior)」と呼ばれていたことで、旧海軍連合艦隊司令長官山本五十六(1884〜1943年)に通じる。
山本は駐在武官などの経験から日米の国力の差を熟知し、対米開戦に強く反対した。1940年9月、近衛文麿首相に、日米戦争となった場合の海軍の見込みを問われ、「是非やれ、と言われれば、最初の半年や1年は随分暴れてご覧に入れる。しかし、2年、3年となれば、全く確信は持てない」と応えた、
山本は、米国が当時保有していた船腹量だけでなく、「造船所の建造能力や、鋼材などの供給能力に着目していた」という点である。つまり、国全体で戦争を長期間支え続ける力=継戦能力の重要性だ。
対米開戦は、日本という国家の戦略的な大失敗となった。
2017年8月、佐渡の水金遊郭の女郎の心中(江戸幕府は相対死という美化されにくい言葉に置き換えた)に題材を得た津村節子『海鳴り』(文春文庫)を買い求めて読み、大いなる影響を受け、いつかお参りすると決めていたことを実現すべく、佐渡を訪れた後、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、長岡空襲の犠牲者の供養をした折、長岡のビッグネーム、河合継之助と山本五十六の記念館を訪れた。
山本五十六が日米開戦に反対であったことはよく知られたことであるから、当然、知っていたが、できれば、体を張ってでも開戦に反対してほしかった。やはり、軍人だから、国のトップの命令には逆らえなかったことが残念でならない。
軍人が国を動かし、市民に銃口を向けるミャンマーについては、民主化を願っているが、軍人が国を動かすようになると国は滅びてしまう。
軍人は階級社会を生きているから、階級を上げるには手柄を上げることが求められる。当然、好戦的にならざるをえない。
それでも、戦う以上勝たなければならない。
事前に勝てそうかどうか考えるのも戦略の重要な要素になる。
台湾有事の国会答弁で、中国を敵に回した高市首相は自分が兵士のように戦うわけでなく、安全地帯にいるだけだから、しきりに中国と戦争をやりたがっている。
安倍元首相も同じことだ。
米国と開戦しても勝てる見込が全くなかったにもかかわらず、愚か者たちが戦争を始めてしまった。
この反省に立てば、中国と戦って勝てるわけがないのだから、戦争にならないように外交努力しなければならないはずである。
日本の有権者の選択は間違っていたことが証明されている。
戦争にならないために努力する人を国のリーダーにしなければ、国が滅びてしまう。
軍事作戦を担ったダン・ケイン統合参謀本部議長はイラン攻撃については開戦前から懸念を示していたが、「やむなく戦う戦士(Reluctant Warrior)」と呼ばれていたことで、旧海軍連合艦隊司令長官山本五十六(1884〜1943年)に通じる。
山本は駐在武官などの経験から日米の国力の差を熟知し、対米開戦に強く反対した。1940年9月、近衛文麿首相に、日米戦争となった場合の海軍の見込みを問われ、「是非やれ、と言われれば、最初の半年や1年は随分暴れてご覧に入れる。しかし、2年、3年となれば、全く確信は持てない」と応えた、
山本は、米国が当時保有していた船腹量だけでなく、「造船所の建造能力や、鋼材などの供給能力に着目していた」という点である。つまり、国全体で戦争を長期間支え続ける力=継戦能力の重要性だ。
対米開戦は、日本という国家の戦略的な大失敗となった。
2017年8月、佐渡の水金遊郭の女郎の心中(江戸幕府は相対死という美化されにくい言葉に置き換えた)に題材を得た津村節子『海鳴り』(文春文庫)を買い求めて読み、大いなる影響を受け、いつかお参りすると決めていたことを実現すべく、佐渡を訪れた後、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、長岡空襲の犠牲者の供養をした折、長岡のビッグネーム、河合継之助と山本五十六の記念館を訪れた。
山本五十六が日米開戦に反対であったことはよく知られたことであるから、当然、知っていたが、できれば、体を張ってでも開戦に反対してほしかった。やはり、軍人だから、国のトップの命令には逆らえなかったことが残念でならない。
軍人が国を動かし、市民に銃口を向けるミャンマーについては、民主化を願っているが、軍人が国を動かすようになると国は滅びてしまう。
軍人は階級社会を生きているから、階級を上げるには手柄を上げることが求められる。当然、好戦的にならざるをえない。
それでも、戦う以上勝たなければならない。
事前に勝てそうかどうか考えるのも戦略の重要な要素になる。
台湾有事の国会答弁で、中国を敵に回した高市首相は自分が兵士のように戦うわけでなく、安全地帯にいるだけだから、しきりに中国と戦争をやりたがっている。
安倍元首相も同じことだ。
米国と開戦しても勝てる見込が全くなかったにもかかわらず、愚か者たちが戦争を始めてしまった。
この反省に立てば、中国と戦って勝てるわけがないのだから、戦争にならないように外交努力しなければならないはずである。
日本の有権者の選択は間違っていたことが証明されている。
戦争にならないために努力する人を国のリーダーにしなければ、国が滅びてしまう。
2026年06月18日
「第五福竜丸」被曝マグロの記憶「マグロ塚」に
「遠い核廃絶の道に 記憶がもたらす光」という見出しで、記念碑や遺構は、風化してゆく記憶を呼び覚まし、現代につながる過去の振り返りを促してくれる。と「広角/多角」というタイトルで、6月7日の読売のコラム(伊藤俊行編集委員)が取り上げていたのが「ビキニ環礁水爆実験」で被爆した「第五福竜丸」などが釣った被曝マグロの「マグロ塚」のことで、全く知らなかったことを教えてくれたので有り難かった。
1954年太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁での米国の水爆実験で被曝した漁船「第五福竜丸」。第五福竜丸のマグロは静岡県焼津港に水揚げされ、一部が東京築地市場に運ばれた。被曝マグロのことが明るみに出ると大混乱が起き、焼津のマグロは同市場内に埋められた。
周辺海域で操業していた日本漁船は850隻以上、約485dのマグロが廃棄された。
2000年、記憶の風化を防ごうと関係者が「マグロ塚」と彫られた石碑を作った時には、埋めたとされる場所に被曝マグロの痕跡はなく、築地市場の豊洲への移転や築地市場の再開発もあって、マグロ塚は東京夢の島の第五福竜丸の展示館横の植え込みに置かれている。
このマグロ塚を「本来の場所」築地に戻そうと、関係者が強く働きかけているという。
何のために、被曝の犠牲になった第五福竜丸などの乗組員は無論のこと、釣られたマグロだって廃棄されたことを忘れないためだ。
ビキニ事件後の原水爆禁止運動に触発されて結成された日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が24年にノーベル賞を受賞し、唯一の戦争被爆国として核廃絶を訴えながら、核兵器禁止条約には参加していない日本に注目が集まった。しかし、米国隷従派が圧倒的多数を占める自民党とその補完勢力の議員たちには核兵器をなくそうとする意思はない。
「記念碑や遺構は、風化してゆく記憶を呼び覚まし、現代につながる過去の振り返りを促してくれる。」とは編集委員の説であるが、全く同感であることを書いておきたくなった。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では言を俟たないが、自由を奪われた民である、遊女、女郎と呼ばれし女性たちの供養もしてきたので、風化してゆく記憶を呼び覚ましてくれるのは実践ならではの立場から感慨無量である。
ヒロシマ、ナガサキにおける被爆者のこと、戦後のことではあるが、水爆実験で犠牲となった漁船員とマグロのことを風化させないために記念碑や遺構が果たす役割の重要性は計り知れない。
語り継ぐ戦争では、シベリア抑留者のことを忘れないために秋田の大館にあるサンドリヨンから取り寄せているロシア製法の黒パンを毎朝、食している。
黒パンを食べるとき、シベリア抑留者のことが頭を過ることがあるからだ。
満州からの引き揚げ女性たちのうち、ソ連兵などから性暴力を受け、生憎妊娠してしまった女性が博多に上陸後、中絶手術を受けた二日市保養所の跡地には、現在介護施設が建っているが、その敷地の一角の祠に母子地蔵が坐。
水子が埋められた場所かもしれないし、埋められた場所の近くかもしれない。
日本の侵略戦争の犠牲となった中国、朝鮮半島、東南アジアの人々と同じように、加害者側においても、弱い立場の人間に犠牲となった人たちがいたことを忘れないために祀られているのだろう。
マグロ塚もまた、埋められた場所とは全く異なる場所に碑が置かれるよりは埋められた場所の近くにあるべきではないか。
1954年太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁での米国の水爆実験で被曝した漁船「第五福竜丸」。第五福竜丸のマグロは静岡県焼津港に水揚げされ、一部が東京築地市場に運ばれた。被曝マグロのことが明るみに出ると大混乱が起き、焼津のマグロは同市場内に埋められた。
周辺海域で操業していた日本漁船は850隻以上、約485dのマグロが廃棄された。
2000年、記憶の風化を防ごうと関係者が「マグロ塚」と彫られた石碑を作った時には、埋めたとされる場所に被曝マグロの痕跡はなく、築地市場の豊洲への移転や築地市場の再開発もあって、マグロ塚は東京夢の島の第五福竜丸の展示館横の植え込みに置かれている。
このマグロ塚を「本来の場所」築地に戻そうと、関係者が強く働きかけているという。
何のために、被曝の犠牲になった第五福竜丸などの乗組員は無論のこと、釣られたマグロだって廃棄されたことを忘れないためだ。
ビキニ事件後の原水爆禁止運動に触発されて結成された日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が24年にノーベル賞を受賞し、唯一の戦争被爆国として核廃絶を訴えながら、核兵器禁止条約には参加していない日本に注目が集まった。しかし、米国隷従派が圧倒的多数を占める自民党とその補完勢力の議員たちには核兵器をなくそうとする意思はない。
「記念碑や遺構は、風化してゆく記憶を呼び覚まし、現代につながる過去の振り返りを促してくれる。」とは編集委員の説であるが、全く同感であることを書いておきたくなった。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では言を俟たないが、自由を奪われた民である、遊女、女郎と呼ばれし女性たちの供養もしてきたので、風化してゆく記憶を呼び覚ましてくれるのは実践ならではの立場から感慨無量である。
ヒロシマ、ナガサキにおける被爆者のこと、戦後のことではあるが、水爆実験で犠牲となった漁船員とマグロのことを風化させないために記念碑や遺構が果たす役割の重要性は計り知れない。
語り継ぐ戦争では、シベリア抑留者のことを忘れないために秋田の大館にあるサンドリヨンから取り寄せているロシア製法の黒パンを毎朝、食している。
黒パンを食べるとき、シベリア抑留者のことが頭を過ることがあるからだ。
満州からの引き揚げ女性たちのうち、ソ連兵などから性暴力を受け、生憎妊娠してしまった女性が博多に上陸後、中絶手術を受けた二日市保養所の跡地には、現在介護施設が建っているが、その敷地の一角の祠に母子地蔵が坐。
水子が埋められた場所かもしれないし、埋められた場所の近くかもしれない。
日本の侵略戦争の犠牲となった中国、朝鮮半島、東南アジアの人々と同じように、加害者側においても、弱い立場の人間に犠牲となった人たちがいたことを忘れないために祀られているのだろう。
マグロ塚もまた、埋められた場所とは全く異なる場所に碑が置かれるよりは埋められた場所の近くにあるべきではないか。
2026年06月17日
台湾で戦没遺骨 多くの艦船撃沈されたバシー海峡
日本政府が7月にも、太平洋戦争中にバシー海峡で戦死した旧日本軍兵士らが漂着したとされる台湾南部の海岸で、遺骨発掘調査を行う方向で最終調整していることがわかった。複数の政府関係者らが明らかにした。台湾での遺骨収容は、日本と台湾の外交関係がないことから遅れてきた。遺骨の発掘は約半世紀ぶりとなる。と6月6日」の読売(園田将嗣記者)が夕刊で伝えている。
発掘調査は7月下旬頃に台湾南部・屏東県の海岸で、厚生労働省から事業の委託を受ける一般社団法人「日本戦没者遺骨収集推進協会」が約2週間行う見通しだ。
調査の対象となるのは、台湾とフィリピンの間に位置するバシー海峡周辺で米軍に撃沈された日本の艦船から、屏東県に流れ着いた兵士らの遺骨だ。多くの艦船が撃沈されたバシー海峡は「輸送船の墓場」と呼ばれ、計10万人以上が犠牲になったとされる。
台湾と言えば、先般、台湾映画『霧のごとく』を観てきたばかりである。
国共内戦、つまり、国民党の蒋介石と中国共産党軍の毛沢東が戦った中国の内戦で、敗北した蒋介石軍が台湾に逃げ、台湾で武力を背景に住民を弾圧した1950年代の台湾を時代背景に当局から目を付けられ、捕まって銃殺、処刑された兄の遺体を引き取ろうと田舎から台北に出てきた少女と力になってやる元蒋介石軍の兵士だった男の交流を描いた作品だった。
国共内戦と言えば、門田隆将『この命義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)を買い求めて読んでいる。
根本博陸軍中将と言えば、内蒙古駐屯軍司令官として終戦後もソ連軍と抗戦し、在留邦人4万人の脱出を支援し、敗戦後、1949年には台湾へ密航し、国共内戦で劣勢に陥った国民党軍の軍事顧問として、金門島の戦いで戦略を指揮したことで知られる人物である。
内蒙古駐屯軍のことは、『雲に架けた橋 : 独混第二旅団 : ああ響兵団 : "終戦秘話"中国の内蒙古で起こった死闘物語』を語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、大阪のボランティアガイドをされていたわが師植野雅量先生から頂戴し、読んでいるので知っていた。
門田隆将の本は興味深く読んだが、その後、盗用問題を指摘されていて、せっかくの著作の信頼に?マークがついている。
1972年9月、日本は田中角栄首相が訪中し、日中国交正常化が実現した際、一つの中国ということで、台湾との国交は断絶したことになっているはずだが、高市首相の台湾有事の国会答弁で中国とあたかも戦争をするように中国政府に受け取られた。
ちょうど、その高市首相のときに、台湾で戦没遺骨調査をすると報じられているのは単なる偶然なのか。
戦後、81年、アジア太平洋戦争で軍部に利用されてしまった天皇が、二度と軍部に利用されないように日本国憲法で象徴天皇になり、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で犠牲者のお参りを熱心にされ、平和を訴えておられる。
安倍首相、高市首相と米国に隷従するばかりのトップは、着々と戦争の準備をしていることに対し、本来なら、天皇は首相の政治は間違っていると訴えたいところだが、政治的発言は控えるとされている。
すると、安部、高市米国隷従派の首相は、女系天皇反対だと時代錯誤も甚だしいことを主張し、愛子様を天皇にさせないことを画策してきた。
天皇は、国民の9割が愛子天皇を待望していることを承知の上で、国民が納得するような協議をしてもらいたいと言外に高市内閣を厳しく批判している。
選挙で自民党が勝ったからと言って、永久に自民党政権が続くわけでもないにもかかわらず、愛子様の将来を決めるなんて勝手なことを許してはならない。
戦没遺骨の調査は政治的なことを抜きに実施することは支持するが、どうも、何かありそうな気がしてならない。
発掘調査は7月下旬頃に台湾南部・屏東県の海岸で、厚生労働省から事業の委託を受ける一般社団法人「日本戦没者遺骨収集推進協会」が約2週間行う見通しだ。
調査の対象となるのは、台湾とフィリピンの間に位置するバシー海峡周辺で米軍に撃沈された日本の艦船から、屏東県に流れ着いた兵士らの遺骨だ。多くの艦船が撃沈されたバシー海峡は「輸送船の墓場」と呼ばれ、計10万人以上が犠牲になったとされる。
台湾と言えば、先般、台湾映画『霧のごとく』を観てきたばかりである。
国共内戦、つまり、国民党の蒋介石と中国共産党軍の毛沢東が戦った中国の内戦で、敗北した蒋介石軍が台湾に逃げ、台湾で武力を背景に住民を弾圧した1950年代の台湾を時代背景に当局から目を付けられ、捕まって銃殺、処刑された兄の遺体を引き取ろうと田舎から台北に出てきた少女と力になってやる元蒋介石軍の兵士だった男の交流を描いた作品だった。
国共内戦と言えば、門田隆将『この命義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)を買い求めて読んでいる。
根本博陸軍中将と言えば、内蒙古駐屯軍司令官として終戦後もソ連軍と抗戦し、在留邦人4万人の脱出を支援し、敗戦後、1949年には台湾へ密航し、国共内戦で劣勢に陥った国民党軍の軍事顧問として、金門島の戦いで戦略を指揮したことで知られる人物である。
内蒙古駐屯軍のことは、『雲に架けた橋 : 独混第二旅団 : ああ響兵団 : "終戦秘話"中国の内蒙古で起こった死闘物語』を語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、大阪のボランティアガイドをされていたわが師植野雅量先生から頂戴し、読んでいるので知っていた。
門田隆将の本は興味深く読んだが、その後、盗用問題を指摘されていて、せっかくの著作の信頼に?マークがついている。
1972年9月、日本は田中角栄首相が訪中し、日中国交正常化が実現した際、一つの中国ということで、台湾との国交は断絶したことになっているはずだが、高市首相の台湾有事の国会答弁で中国とあたかも戦争をするように中国政府に受け取られた。
ちょうど、その高市首相のときに、台湾で戦没遺骨調査をすると報じられているのは単なる偶然なのか。
戦後、81年、アジア太平洋戦争で軍部に利用されてしまった天皇が、二度と軍部に利用されないように日本国憲法で象徴天皇になり、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で犠牲者のお参りを熱心にされ、平和を訴えておられる。
安倍首相、高市首相と米国に隷従するばかりのトップは、着々と戦争の準備をしていることに対し、本来なら、天皇は首相の政治は間違っていると訴えたいところだが、政治的発言は控えるとされている。
すると、安部、高市米国隷従派の首相は、女系天皇反対だと時代錯誤も甚だしいことを主張し、愛子様を天皇にさせないことを画策してきた。
天皇は、国民の9割が愛子天皇を待望していることを承知の上で、国民が納得するような協議をしてもらいたいと言外に高市内閣を厳しく批判している。
選挙で自民党が勝ったからと言って、永久に自民党政権が続くわけでもないにもかかわらず、愛子様の将来を決めるなんて勝手なことを許してはならない。
戦没遺骨の調査は政治的なことを抜きに実施することは支持するが、どうも、何かありそうな気がしてならない。
2026年06月10日
憲法を守れ、「オール埼玉総行動」
反戦や憲法9条の保持などを訴える「オール埼玉総行動」が7日、さいたま市浦和区の北浦和公園であり、県内外から約4800人(主催者発表)が集まった。と6月8日の朝日新聞(原野百々恵記者)が伝えている。
埼玉県内の市民団体による実行委員会が主催。集団的自衛権の行使を容認する2014年7月の閣議決定に反対の声を上げるため、15年に始まった。
この日の集会では、立憲民主や共産、社民の各党関係者が出席。ゲストスピーチを行った元文部科学事務次官で現代教育行政研究会代表の前川喜平さんは「憲法では国民は個人として尊重されるべきだとある。人間を守り、幸せに暮らせるために国家があるはず」と呼びかけた。集会のあと、参加者らはプラカードを掲げて「戦争反対」などと訴えながら市内を練り歩いた。
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実行委の贄田教秋事務局長は「高市政権になり、廃憲の動きが強まっている。このままでは戦争をする国になってしまう」と懸念を示し、「憲法を守ろうという市民の声が集まる集会になってほしい」と呼びかけたとのこと。全く同感であり、支持する。
高市首相が自民党総裁選で、対立候補の小泉進次郎、林芳正候補の中傷所謂ネガティブな情報をSNSで多量に発信するという汚い手を使ったことを公設秘書の声を録音した物証を示して文春砲が炸裂し、国会で追及されている。
反日、反社の旧統一教会とズブズブの関係にあったにもかかわらず、平然と虚偽の説明をする神経、NHK日曜討論で自分に不利な質問をが出ることを怖れ、出席しなかったこと、これらの出来事から、国のリーダーとしての資質に欠ける人物として、この人だけには首相を任せたら国が滅びてしまうと懸念していた。
明治維新でできた皇室典範を盾に天皇の娘である愛子様を男系でないなどと、戦没者の慰霊を続け、平和を願う天皇に平然と弓を引くということで、この人を持ち上げてきたメディアの態度にも疑念がある。
財界が進めてきた低賃金で働かせるための外国人労働者を移民とする求めに対し、保守を名乗りながら、入管法の審議においても賛成している。
どう考えても似非保守としか思えない。
米国との関税交渉においても、日本の国のためにならない態度、まして日本人のためになるようなことをやる意思もないということで、もはや退陣を求めるよりない。
選挙のときの投票率を考えてみると、概ね有権者の半分くらいは選挙に行かないことが明らかとなっている。
どう考えても、諦めてしまっているのではないかとしか思えない。
日本国憲法が戦争ができない国として日本を守ってくれていたが、安倍首相、高市首相と戦争ができる国に日本を変えようとしてきた。
語り継ぐ戦争で、アジア太平洋戦争で300万人以上の人たちが戦没、死没したことを伝えてきたが、一人でも多くの人々に戦争の危険が迫っていることを伝えておきたい。
埼玉での「オール埼玉総行動」に参加した人たちにエールをおくるとともに、日本国憲法を守り、戦争に巻き込まれない世の中にするため、各地でこうした集会、デモをやることが重要だ。
前川喜平さんの講演を聴いたことがあるが、「人間を守り、幸せにくらせるために国家があるはずだ」とのことで、日本大好き人間の一人としては、国家主義というか、旧統一教会の回し者みたいな首相には早く退陣してほしいと願うばかりだ。
埼玉県内の市民団体による実行委員会が主催。集団的自衛権の行使を容認する2014年7月の閣議決定に反対の声を上げるため、15年に始まった。
この日の集会では、立憲民主や共産、社民の各党関係者が出席。ゲストスピーチを行った元文部科学事務次官で現代教育行政研究会代表の前川喜平さんは「憲法では国民は個人として尊重されるべきだとある。人間を守り、幸せに暮らせるために国家があるはず」と呼びかけた。集会のあと、参加者らはプラカードを掲げて「戦争反対」などと訴えながら市内を練り歩いた。
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実行委の贄田教秋事務局長は「高市政権になり、廃憲の動きが強まっている。このままでは戦争をする国になってしまう」と懸念を示し、「憲法を守ろうという市民の声が集まる集会になってほしい」と呼びかけたとのこと。全く同感であり、支持する。
高市首相が自民党総裁選で、対立候補の小泉進次郎、林芳正候補の中傷所謂ネガティブな情報をSNSで多量に発信するという汚い手を使ったことを公設秘書の声を録音した物証を示して文春砲が炸裂し、国会で追及されている。
反日、反社の旧統一教会とズブズブの関係にあったにもかかわらず、平然と虚偽の説明をする神経、NHK日曜討論で自分に不利な質問をが出ることを怖れ、出席しなかったこと、これらの出来事から、国のリーダーとしての資質に欠ける人物として、この人だけには首相を任せたら国が滅びてしまうと懸念していた。
明治維新でできた皇室典範を盾に天皇の娘である愛子様を男系でないなどと、戦没者の慰霊を続け、平和を願う天皇に平然と弓を引くということで、この人を持ち上げてきたメディアの態度にも疑念がある。
財界が進めてきた低賃金で働かせるための外国人労働者を移民とする求めに対し、保守を名乗りながら、入管法の審議においても賛成している。
どう考えても似非保守としか思えない。
米国との関税交渉においても、日本の国のためにならない態度、まして日本人のためになるようなことをやる意思もないということで、もはや退陣を求めるよりない。
選挙のときの投票率を考えてみると、概ね有権者の半分くらいは選挙に行かないことが明らかとなっている。
どう考えても、諦めてしまっているのではないかとしか思えない。
日本国憲法が戦争ができない国として日本を守ってくれていたが、安倍首相、高市首相と戦争ができる国に日本を変えようとしてきた。
語り継ぐ戦争で、アジア太平洋戦争で300万人以上の人たちが戦没、死没したことを伝えてきたが、一人でも多くの人々に戦争の危険が迫っていることを伝えておきたい。
埼玉での「オール埼玉総行動」に参加した人たちにエールをおくるとともに、日本国憲法を守り、戦争に巻き込まれない世の中にするため、各地でこうした集会、デモをやることが重要だ。
前川喜平さんの講演を聴いたことがあるが、「人間を守り、幸せにくらせるために国家があるはずだ」とのことで、日本大好き人間の一人としては、国家主義というか、旧統一教会の回し者みたいな首相には早く退陣してほしいと願うばかりだ。
2026年06月08日
原爆死没者記帳 初公募14人加わり 始まる
8月6日の平和記念式典で原爆慰霊碑に奉納される原爆死没者名簿の記帳が4日、広島市中区の市役所で始まった。と6月4日のメディアが伝えている。
毎日新聞(佐藤賢二郎記者)が伝えるところによれば、記帳したのはいずれも被爆者で、今年で26年目となる元市職員の中本信子さん(83)と、昨年新たに選ばれた大川純子さん(84)。午前10時すぎ、死没者名簿に手を合わせて筆を執り、1人ずつ丁寧に書き加えていた。
会場には今年初めて実施された、公募で選ばれた14人の記帳者が見学に訪れ、真剣な表情で見守った。14人による記帳は7日に始まり、式典前日の8月5日まで続く。
名簿は2025年8月6日以降の1年間に死亡が確認された被爆者や、遺族から申し出のあった人などを記帳する。6月4日時点で3035人の記帳が決まっている。
記帳された名簿は、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑石室に納められる。
原爆死没者名簿の記帳者を公募した試みは結構なことである。さらに、公募者が186人(㋅4日の読売による)もいて、10代も記帳者に選ばれたことは語り継ぐ戦争の立場から心強い。
アジア太平洋戦争で戦没・死没した人は300万人を超えるとされている。その方々の名前を記帳することは語り継ぐ戦争の立場から極めて重要なことだと考える。
戦後、日本の針路がおかしくなり始めたのは、小泉内閣による郵政民営化の前くらいからで、安心して貯蓄してきた郵貯を米国のために民営化し、派遣労働の導入、労働者の非正規雇用化では貧富の格差が拡大する要因を作った頃からのことだ。
米国隷従の自民党福田派、安部首相による2013年の秘密保護法、2014年に防衛装備移転三原則が制定され、2015年9月に安全保障関連法、2017年には共謀罪が創設された。
高市首相による防衛装備移転三原則の運用の見直し、国家安全保障戦略など安保関連3文書の前倒し改定、国家情報局の創設、スパイ防止法そして、緊急事態条項を盛り込む改憲を企図する。
こうして書き出してみれば、せっかく憲法が戦争できない国にしてきたにもかかわらず、自民党福田派、安部派の流れを汲む首相の手で、日本が米国のために戦争できる国にしようとしていることが明白となっている。
アジア太平洋戦争で米国に敗れた日本の指導者は極東軍事裁判(東京裁判)で戦犯とされたが、岸信介元首相の戦争責任が米国の手でうやむやにされ、その岸信介内閣の時、1960年に日米安保条約が改定されるも、日米地位協定の不平等は全く改められることはなかった。
「戦争前夜」という警鐘が声高に語られるようになってしまった日本。
ところが、選挙では考えることを止めてしまった人や考える力の足りない有権者によって、自民党と補完勢力が圧勝してしまった。
戦争前夜という情況を変えられるのは、アジア太平洋戦争で戦没、死没した人たちである。とりわけ、原爆の死没者には力がある。
原爆死没者の力をお借りしてでも、日本が戦争に巻き込まれないようにしていかなければならない。
高市首相は愛子天皇に反対し、天皇に弓を引く首相である。
こういう首相を支持していない国民としては、何としても高市内閣を打倒する必要がある。
国民の自由を奪い、日本を戦前の日本のような国にすることを企む首相は退陣してもらわなければならない。
毎日新聞(佐藤賢二郎記者)が伝えるところによれば、記帳したのはいずれも被爆者で、今年で26年目となる元市職員の中本信子さん(83)と、昨年新たに選ばれた大川純子さん(84)。午前10時すぎ、死没者名簿に手を合わせて筆を執り、1人ずつ丁寧に書き加えていた。
会場には今年初めて実施された、公募で選ばれた14人の記帳者が見学に訪れ、真剣な表情で見守った。14人による記帳は7日に始まり、式典前日の8月5日まで続く。
名簿は2025年8月6日以降の1年間に死亡が確認された被爆者や、遺族から申し出のあった人などを記帳する。6月4日時点で3035人の記帳が決まっている。
記帳された名簿は、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑石室に納められる。
原爆死没者名簿の記帳者を公募した試みは結構なことである。さらに、公募者が186人(㋅4日の読売による)もいて、10代も記帳者に選ばれたことは語り継ぐ戦争の立場から心強い。
アジア太平洋戦争で戦没・死没した人は300万人を超えるとされている。その方々の名前を記帳することは語り継ぐ戦争の立場から極めて重要なことだと考える。
戦後、日本の針路がおかしくなり始めたのは、小泉内閣による郵政民営化の前くらいからで、安心して貯蓄してきた郵貯を米国のために民営化し、派遣労働の導入、労働者の非正規雇用化では貧富の格差が拡大する要因を作った頃からのことだ。
米国隷従の自民党福田派、安部首相による2013年の秘密保護法、2014年に防衛装備移転三原則が制定され、2015年9月に安全保障関連法、2017年には共謀罪が創設された。
高市首相による防衛装備移転三原則の運用の見直し、国家安全保障戦略など安保関連3文書の前倒し改定、国家情報局の創設、スパイ防止法そして、緊急事態条項を盛り込む改憲を企図する。
こうして書き出してみれば、せっかく憲法が戦争できない国にしてきたにもかかわらず、自民党福田派、安部派の流れを汲む首相の手で、日本が米国のために戦争できる国にしようとしていることが明白となっている。
アジア太平洋戦争で米国に敗れた日本の指導者は極東軍事裁判(東京裁判)で戦犯とされたが、岸信介元首相の戦争責任が米国の手でうやむやにされ、その岸信介内閣の時、1960年に日米安保条約が改定されるも、日米地位協定の不平等は全く改められることはなかった。
「戦争前夜」という警鐘が声高に語られるようになってしまった日本。
ところが、選挙では考えることを止めてしまった人や考える力の足りない有権者によって、自民党と補完勢力が圧勝してしまった。
戦争前夜という情況を変えられるのは、アジア太平洋戦争で戦没、死没した人たちである。とりわけ、原爆の死没者には力がある。
原爆死没者の力をお借りしてでも、日本が戦争に巻き込まれないようにしていかなければならない。
高市首相は愛子天皇に反対し、天皇に弓を引く首相である。
こういう首相を支持していない国民としては、何としても高市内閣を打倒する必要がある。
国民の自由を奪い、日本を戦前の日本のような国にすることを企む首相は退陣してもらわなければならない。
2026年06月02日
冷戦期の指導者に学べ 戦争を避けるために
「地球を読む」という読売の連載が始まって久しい。
その5月31日は「戦略的思考」をテーマに山内昌之東大名誉教授が教えてくれた内容が興味深かったので書いておく。
ウクライナに侵攻侵略したロシアのプーチン大統領、ベネズエラ、イランを攻撃した米国のトランプ大統領の二人は戦略的思考を持ち合わせていない。
政治対立の解決手段として戦争に訴える手段を好む大国リーダーが増えていることから、既成事実の深刻化、つまり、第三次世界大戦のような「気がつけば大戦」の心配が増している。
1956年にスエズ運河地帯に侵攻した英仏軍をアイゼンハワー米大統領は撤退させた。1962年のキューバ危機ではソ連の指導者フルシチョフがケネディ米大統領に譲歩した。
冷戦期には核戦争を誘発しかねない局地戦争を未然に防ぐというリーダーの戦略的思考が生きていたことと対比させてくれた。
中国には南シナ海を経て、台湾、沖縄、日本本土につながる第1列島線は重要で、尖閣諸島の石油資源、南鳥島のレアアース資源にも野心を抱くが、日米両政府が南鳥島レアアース泥の共同開発計画で合意したのは、中国の野心を抑える戦略的思考として間違っていない。
以上が概要である。
戦略的思考云々という前に、戦争を企図する指導者たちは自らは安全地帯にいて、国民(兵士)はいくらでも代わりがいるとばかりに戦死者がいくら累積しても、始めた戦争をなかなかやめようとはしないことをアジア太平洋戦争で学習させてもらった。
軍人や国民の基本的人権を平気で制約しようとする権力者はもうたくさんだというのが、語り継ぐ戦争という立場である。
300万人以上もの人たちの犠牲でようやく手に入れた基本的人権、平和な日々の暮らしがメディアを筆頭に、武器を売ってカネ儲けに走ろうとする財界人、政治家たちの私利私欲で規制しようとするのが、改憲での緊急事態条項を盛り込むということである。
日本国憲法を守らなければならない政権が憲法を守らず、改憲だというのだから、これはいよいよ自分が生きているうちにも戦争に巻き込まれてしまうかもしれない。
選挙をやればやったでネガティブ、かつフェイクなニュースを流した人間が勝ってしまうということで、戦争に本気で反対してきたれいわ新選組が大きく議席を減らしてしまった。
絶望しかないが、それでも、諦めないで何とかレジスタンスを続けることで、政権を国民に寄り添った勢力に代えていきたい。
その5月31日は「戦略的思考」をテーマに山内昌之東大名誉教授が教えてくれた内容が興味深かったので書いておく。
ウクライナに侵攻侵略したロシアのプーチン大統領、ベネズエラ、イランを攻撃した米国のトランプ大統領の二人は戦略的思考を持ち合わせていない。
政治対立の解決手段として戦争に訴える手段を好む大国リーダーが増えていることから、既成事実の深刻化、つまり、第三次世界大戦のような「気がつけば大戦」の心配が増している。
1956年にスエズ運河地帯に侵攻した英仏軍をアイゼンハワー米大統領は撤退させた。1962年のキューバ危機ではソ連の指導者フルシチョフがケネディ米大統領に譲歩した。
冷戦期には核戦争を誘発しかねない局地戦争を未然に防ぐというリーダーの戦略的思考が生きていたことと対比させてくれた。
中国には南シナ海を経て、台湾、沖縄、日本本土につながる第1列島線は重要で、尖閣諸島の石油資源、南鳥島のレアアース資源にも野心を抱くが、日米両政府が南鳥島レアアース泥の共同開発計画で合意したのは、中国の野心を抑える戦略的思考として間違っていない。
以上が概要である。
戦略的思考云々という前に、戦争を企図する指導者たちは自らは安全地帯にいて、国民(兵士)はいくらでも代わりがいるとばかりに戦死者がいくら累積しても、始めた戦争をなかなかやめようとはしないことをアジア太平洋戦争で学習させてもらった。
軍人や国民の基本的人権を平気で制約しようとする権力者はもうたくさんだというのが、語り継ぐ戦争という立場である。
300万人以上もの人たちの犠牲でようやく手に入れた基本的人権、平和な日々の暮らしがメディアを筆頭に、武器を売ってカネ儲けに走ろうとする財界人、政治家たちの私利私欲で規制しようとするのが、改憲での緊急事態条項を盛り込むということである。
日本国憲法を守らなければならない政権が憲法を守らず、改憲だというのだから、これはいよいよ自分が生きているうちにも戦争に巻き込まれてしまうかもしれない。
選挙をやればやったでネガティブ、かつフェイクなニュースを流した人間が勝ってしまうということで、戦争に本気で反対してきたれいわ新選組が大きく議席を減らしてしまった。
絶望しかないが、それでも、諦めないで何とかレジスタンスを続けることで、政権を国民に寄り添った勢力に代えていきたい。
2026年05月31日
国会前で、反戦訴えるデモ 「総理は憲法守れ」コール
反戦や改憲反対を訴えるデモが29日、東京・永田町の国会議事堂前であった。約1万人(主催者発表)が参加し、プラカードやペンライトなどを手に「戦争反対」などと訴えた。と5月30日の毎日新聞WEB(加藤栄記者)が伝えている。
デモは、市民グループ「WE WANT OUR FUTURE」(WWOF)が呼びかけた「せんそうさせない緊急アクション」。オンラインでの参加者もいた他、全国のデモの開催状況をまとめるウェブサイト「デモカレンダー」には、午後7時半までに45都道府県の計151会場でのデモの予定が並んだ。
WWOFが呼びかける反戦や護憲に関するデモは今回で5回目。ステージでは市民によるスピーチが行われたほか、音楽に合わせて「総理は憲法守れ」などのコールがあった。
前半でマイクを握った弁護士の杉浦ひとみさんは、衆院憲法審査会で緊急事態条項に関するイメージ案が示された状況を「国会議員の任期を延ばそうなどと検討している。国の権力を強くしようとしている」と批判した。
5月29日、反戦や改憲反対のデモに約1万人が参加したことを読売は伝えていない。購読しているのが読売だから、SNSの毎日新聞が伝えてくれなければ蚊帳の外だったことになる。
戦争をやりたがっているからこそ、改憲しなければならない高市自民党政権とその補完勢力が考えていることが明らかになったのは、改憲で緊急事態条項を盛り込み、国会議員の任期を選挙せずに延長することを企んでいることだった。
サルは木から落ちてもサルだが、議員は落選すればただの人だから、当選してしまえば、選挙はやりたくないのが本音なのだろう。しかし、選挙で当選してきたからこその議員バッジではないのか。
選挙で選ばれず、過去の選挙で選ばれた権利をいつもでも続けようとするのは姑息なやり方で自民党と補完勢力に投票した有権者はこれでも、彼らを支持するというのだろうか。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国の慰霊碑を周って手を合わせてきたのは平和を願ってのことである。
平和すなわち、戦争をやってほしくないばかりか、戦争にまきこまれないようにしたいからだ。
天皇の娘である愛子さまが天皇になることを妨害し、天皇に弓を弾き、米国のトランプ大統領に隷従するだけの高市自民党政権とその補完勢力には、愛国という考え方とは程遠く、日本と日本を愛する人たちへの愛情が全く伝わってこない。
米国との戦争に敗れたことで、軍人天下の国からせっかく手に入れた自由と民主主義をたかだか80年で、またしても、自由と民主主義を捨て去ろうとしていることが悔しくてならない。
国民を主人と思わず、米国のトランプ大統領を主人と考えていることが許せない。
基本的人権をないがしろにしようとする緊急事態条項を盛り込む改憲は何のためか。
それでも、自分と同じように反戦を訴え、「憲法を守れ、高市総理!」と叫ぶ人たちが約1万人集まったことが嬉しい。
こういう人たちがいてくれることでまだ、日本は大丈夫かな。と、ちょっぴりではあるが安堵している。
デモは、市民グループ「WE WANT OUR FUTURE」(WWOF)が呼びかけた「せんそうさせない緊急アクション」。オンラインでの参加者もいた他、全国のデモの開催状況をまとめるウェブサイト「デモカレンダー」には、午後7時半までに45都道府県の計151会場でのデモの予定が並んだ。
WWOFが呼びかける反戦や護憲に関するデモは今回で5回目。ステージでは市民によるスピーチが行われたほか、音楽に合わせて「総理は憲法守れ」などのコールがあった。
前半でマイクを握った弁護士の杉浦ひとみさんは、衆院憲法審査会で緊急事態条項に関するイメージ案が示された状況を「国会議員の任期を延ばそうなどと検討している。国の権力を強くしようとしている」と批判した。
5月29日、反戦や改憲反対のデモに約1万人が参加したことを読売は伝えていない。購読しているのが読売だから、SNSの毎日新聞が伝えてくれなければ蚊帳の外だったことになる。
戦争をやりたがっているからこそ、改憲しなければならない高市自民党政権とその補完勢力が考えていることが明らかになったのは、改憲で緊急事態条項を盛り込み、国会議員の任期を選挙せずに延長することを企んでいることだった。
サルは木から落ちてもサルだが、議員は落選すればただの人だから、当選してしまえば、選挙はやりたくないのが本音なのだろう。しかし、選挙で当選してきたからこその議員バッジではないのか。
選挙で選ばれず、過去の選挙で選ばれた権利をいつもでも続けようとするのは姑息なやり方で自民党と補完勢力に投票した有権者はこれでも、彼らを支持するというのだろうか。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国の慰霊碑を周って手を合わせてきたのは平和を願ってのことである。
平和すなわち、戦争をやってほしくないばかりか、戦争にまきこまれないようにしたいからだ。
天皇の娘である愛子さまが天皇になることを妨害し、天皇に弓を弾き、米国のトランプ大統領に隷従するだけの高市自民党政権とその補完勢力には、愛国という考え方とは程遠く、日本と日本を愛する人たちへの愛情が全く伝わってこない。
米国との戦争に敗れたことで、軍人天下の国からせっかく手に入れた自由と民主主義をたかだか80年で、またしても、自由と民主主義を捨て去ろうとしていることが悔しくてならない。
国民を主人と思わず、米国のトランプ大統領を主人と考えていることが許せない。
基本的人権をないがしろにしようとする緊急事態条項を盛り込む改憲は何のためか。
それでも、自分と同じように反戦を訴え、「憲法を守れ、高市総理!」と叫ぶ人たちが約1万人集まったことが嬉しい。
こういう人たちがいてくれることでまだ、日本は大丈夫かな。と、ちょっぴりではあるが安堵している。
2026年05月28日
ドローンが左右する戦場の勝敗の行方
ロシアによるウクライナへの全面侵攻から4年が過ぎたこの4月、軍事アナリストの小泉悠さん(43)(東京大学先端科学技術研究センター准教授)が、ウクライナの首都キーウを訪れた。空襲警報が鳴り響く現地の最新情勢はどんなものだったのか。現代の安全保障の課題はどこにあると感じたのか。5月22日の読売(鵜飼哲夫編集委員)が夕刊「ああ言えば、こう聞く」で聞いている。
ロシアの軍事・安全保障が専門の小泉さんは、2020年2月24日の全面侵攻前からウクライナ情勢について発言、侵攻後は衛星画像、公開情報を分析しながら研究してきた。
ウクライナには、ロシアによるクリミア併合とドンバス戦争が起きた2014年の第1次ウクライナ戦争の前と後に2度訪問している。
市民は政府や民間で作った様々な警報アプリを複数使い、どの地域に何が飛んでくるのか、大砲か、ドローンか、すぐ逃げないとやばい弾道ミサイルなのか、それを素早く識別する自分たちなりの判別法を持っている。
この戦争は、大量にドローンを生産、補充し、効果的に使えた側が勝つ戦いになっている。今やドローンは新しい戦争の最新装備ではなく、鉄砲や防弾チョッキのように兵隊一人一人が使う標準装備と考えるべきだ。
ドローンを操縦するオペレーターやドローンの生産工場が敵に見つからぬよう施設の分散と抗堪化、つまり敵の攻撃でも被害を最小限にするため、基地の地下化やシェルター建設を進め、工場のある場所は分散すると同時に頻繁に変え、発電所や通信網などインフラが破壊されたら早期に回復する能力を備えることが大切である。
有事において国民生活保護にウクライナは努めてきたから、「3日で終わる」とされていた戦争を西側の支援で持ちこたえている。
今のうちにみんなで現代の戦争の現実を見つめながら議論することが必要だ。守るべき価値などそれぞれに言い分があるはずで、それをけんか腰で排斥し合うのではなく、みんなでベストミックスを探すという姿勢で議論を深めていきたい。
以上が概要である。
ロシアがウクライナに侵攻、侵略した2014年のクリミア半島併合、ドンバス戦争以降、2020年2月の本格的な侵攻侵略で、「3日で終わる」とされていた戦争で、ウクライナがもう4年間も降伏せずに持ちこたえている。
偏に、ウクライナの国土が広く、ソビエト連邦共和国に無理やりにしても組み入れられていた時代に核戦争に備えてのシェルターが整備され、住宅がコンクリートの集合住宅で、しかも、地下にシェルターを兼ねた避難所があることが大きい。
安倍元首相、高市首相と国民向けには安保だ、強い国だと威勢のいいことをいいながら、米国には絶対服従、隷従するだけの似非愛国者だから、日本を滅ぼそうとしているとしか思えない。
中国にケンかを売っているとしか思えない高市首相ではなく、中国とも仲良くとはいかないまでも、戦争にならないように努力するのが外交にもかかわらず、米国の顔色ばかり見ている政治家は頼りにならない。
語り継ぐ戦争だから、ウクライナと異なり、木造住宅が多く、原発が多く、その防御態勢も不十分な日本は、戦争になったら、持ちこたえられない。
威勢のいいことを言うのは簡単だが、米軍の空襲、空爆で都市が焦土と化したことを忘れてもらっては困る。
日本が戦争になって戦えるとするなら、国土の7割が森林だから、ベトナム戦争みたいにゲリラ戦しかない。
とにかく、戦争であれほど悲惨な目に遭ったことをどうして忘れてしまったのか。
日本の政治家の多くはおかしい。
ロシアの軍事・安全保障が専門の小泉さんは、2020年2月24日の全面侵攻前からウクライナ情勢について発言、侵攻後は衛星画像、公開情報を分析しながら研究してきた。
ウクライナには、ロシアによるクリミア併合とドンバス戦争が起きた2014年の第1次ウクライナ戦争の前と後に2度訪問している。
市民は政府や民間で作った様々な警報アプリを複数使い、どの地域に何が飛んでくるのか、大砲か、ドローンか、すぐ逃げないとやばい弾道ミサイルなのか、それを素早く識別する自分たちなりの判別法を持っている。
この戦争は、大量にドローンを生産、補充し、効果的に使えた側が勝つ戦いになっている。今やドローンは新しい戦争の最新装備ではなく、鉄砲や防弾チョッキのように兵隊一人一人が使う標準装備と考えるべきだ。
ドローンを操縦するオペレーターやドローンの生産工場が敵に見つからぬよう施設の分散と抗堪化、つまり敵の攻撃でも被害を最小限にするため、基地の地下化やシェルター建設を進め、工場のある場所は分散すると同時に頻繁に変え、発電所や通信網などインフラが破壊されたら早期に回復する能力を備えることが大切である。
有事において国民生活保護にウクライナは努めてきたから、「3日で終わる」とされていた戦争を西側の支援で持ちこたえている。
今のうちにみんなで現代の戦争の現実を見つめながら議論することが必要だ。守るべき価値などそれぞれに言い分があるはずで、それをけんか腰で排斥し合うのではなく、みんなでベストミックスを探すという姿勢で議論を深めていきたい。
以上が概要である。
ロシアがウクライナに侵攻、侵略した2014年のクリミア半島併合、ドンバス戦争以降、2020年2月の本格的な侵攻侵略で、「3日で終わる」とされていた戦争で、ウクライナがもう4年間も降伏せずに持ちこたえている。
偏に、ウクライナの国土が広く、ソビエト連邦共和国に無理やりにしても組み入れられていた時代に核戦争に備えてのシェルターが整備され、住宅がコンクリートの集合住宅で、しかも、地下にシェルターを兼ねた避難所があることが大きい。
安倍元首相、高市首相と国民向けには安保だ、強い国だと威勢のいいことをいいながら、米国には絶対服従、隷従するだけの似非愛国者だから、日本を滅ぼそうとしているとしか思えない。
中国にケンかを売っているとしか思えない高市首相ではなく、中国とも仲良くとはいかないまでも、戦争にならないように努力するのが外交にもかかわらず、米国の顔色ばかり見ている政治家は頼りにならない。
語り継ぐ戦争だから、ウクライナと異なり、木造住宅が多く、原発が多く、その防御態勢も不十分な日本は、戦争になったら、持ちこたえられない。
威勢のいいことを言うのは簡単だが、米軍の空襲、空爆で都市が焦土と化したことを忘れてもらっては困る。
日本が戦争になって戦えるとするなら、国土の7割が森林だから、ベトナム戦争みたいにゲリラ戦しかない。
とにかく、戦争であれほど悲惨な目に遭ったことをどうして忘れてしまったのか。
日本の政治家の多くはおかしい。
2026年05月26日
核拡散防止条約会議決裂 被爆者 憤りや落胆の声
核拡散防止条約(NPT)再検討会議が3回連続で決裂したことを受け、長崎、広島の被爆者らには23日、憤りや落胆が広がった。大国の対立でNPT体制への信頼が低下する中、唯一の被爆国として日本に積極的な役割を求める声も上がった。
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は、開幕に合わせて代表団が渡米し、現地での証言活動や被爆者の遺品などを展示する「原爆展」を行うなどして核兵器廃絶を訴えた。
浜住治郎事務局長(80)は「がっかりしている。各国の対立によって協議が進まなかった」「核軍縮などNPT体制の中で積み重ねられてきたものが無視されている。日本の政府や社会は、核兵器がもたらす被害をアピールしていかないといけない」と語った。
政治とは「明日枯れる花にも水をやることだ」とは、自分が尊敬する大平正芳元首相の言葉である。
核兵器廃絶を日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のメンバーがいくら叫ぼうが、そんなことは出来っこない。という冷ややかな見方をする人がいることは承知している。
そんな冷ややかな見方をする人たちに贈りたいと思ったのが大平元首相の言葉だ。
米国、中国、ロシアという覇権主義の三つの大国に英国、フランス、インド、パキスタンそして北朝鮮と思いつくままに並べただけでも、これだけの国が核兵器を保有し、自分たちだけ独占している核兵器をイランなど他国に持たせまいとすること自体無理がある。
そのことを認識した上で、、核拡散防止条約に実効性を伴わせるには、あくまでも人類のために望みを捨てないことが肝心だ。
「出来っこない」とやる前から諦めてしまってはそれこそ、人類のためにならない。
明日枯れてしまう花だから、水をやっても仕方ない。
否、仮に明日枯れてしまうとしても、今は生きているのだから水が必要だということも言えるわけだ。
「生きているだけで価値がある社会」を作るという呼びかけは、れいわ新選組代表山本太郎代表の言葉である。「諦めなければ必ず道は開ける」とも彼は訴え、社会の変革者としてがんばっている。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を続けてきたのは、戦争で戦没、死没したひとたちの無念の声に耳を傾けることが平和への道だと考えてのことだ。
原爆を投下されたヒロシマ、ナガサキのことを考えれば、核兵器を絶対に使わせてはならないし、保有していると使いたくなるのが人間だから、保有することもやめようとしなければならない。
そう、諦めてはならないのだ。
明日枯れてしまうとしても、明日枯れないように水をやる。
希望を捨てたら、絶望だけで、絶望したら、人間は生きていかれない。
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は、開幕に合わせて代表団が渡米し、現地での証言活動や被爆者の遺品などを展示する「原爆展」を行うなどして核兵器廃絶を訴えた。
浜住治郎事務局長(80)は「がっかりしている。各国の対立によって協議が進まなかった」「核軍縮などNPT体制の中で積み重ねられてきたものが無視されている。日本の政府や社会は、核兵器がもたらす被害をアピールしていかないといけない」と語った。
政治とは「明日枯れる花にも水をやることだ」とは、自分が尊敬する大平正芳元首相の言葉である。
核兵器廃絶を日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のメンバーがいくら叫ぼうが、そんなことは出来っこない。という冷ややかな見方をする人がいることは承知している。
そんな冷ややかな見方をする人たちに贈りたいと思ったのが大平元首相の言葉だ。
米国、中国、ロシアという覇権主義の三つの大国に英国、フランス、インド、パキスタンそして北朝鮮と思いつくままに並べただけでも、これだけの国が核兵器を保有し、自分たちだけ独占している核兵器をイランなど他国に持たせまいとすること自体無理がある。
そのことを認識した上で、、核拡散防止条約に実効性を伴わせるには、あくまでも人類のために望みを捨てないことが肝心だ。
「出来っこない」とやる前から諦めてしまってはそれこそ、人類のためにならない。
明日枯れてしまう花だから、水をやっても仕方ない。
否、仮に明日枯れてしまうとしても、今は生きているのだから水が必要だということも言えるわけだ。
「生きているだけで価値がある社会」を作るという呼びかけは、れいわ新選組代表山本太郎代表の言葉である。「諦めなければ必ず道は開ける」とも彼は訴え、社会の変革者としてがんばっている。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を続けてきたのは、戦争で戦没、死没したひとたちの無念の声に耳を傾けることが平和への道だと考えてのことだ。
原爆を投下されたヒロシマ、ナガサキのことを考えれば、核兵器を絶対に使わせてはならないし、保有していると使いたくなるのが人間だから、保有することもやめようとしなければならない。
そう、諦めてはならないのだ。
明日枯れてしまうとしても、明日枯れないように水をやる。
希望を捨てたら、絶望だけで、絶望したら、人間は生きていかれない。
2026年05月25日
高尾山頂付近のシベリア抑留供養碑で追悼の集い
高尾山(東京八王子市)の山頂近くにあるシベリア抑留者の供養碑の前で先月、犠牲者を悼む集いが開かれた。生き証人が年々減る中、16年前に建立された碑は悲劇を後世に伝え、平和を祈る場所となりつつある。と5月22日の読売(石井恭平記者)が伝えている。
4月26日、ケーブルカーの「高尾山駅」から15分ほど歩いた場所にある「望郷 シベリアに眠る抑留者供養碑」の前に元抑留者や遺族ら約20人が集まり、線香をささげ、静かに手を合わせた。
この供養碑は、八王子市に住んでいた佐藤甲子雄さん(2021年に96歳で死去)が10年に私費を投じて建立。抑留された佐藤さんは、第2シベリア鉄道建設のための森林伐採に従事させられ、同僚の抑留者を工場の事故で失った。1949年の帰国後もそのときの光景が忘れられず、高尾山薬王院の協力もあり、86歳で碑を建てた。
当初は家族や関係者だけが供養していたが、10年ほど前からはシベリア抑留の支援団体なども訪れるようになり、佐藤さんが亡くなった後も毎年4、10月に追悼の集いが開かれている。
高尾山の薬王院といえば、姉が毎年、厄除けのお札を買い求めて届けてくれているので、神棚に祀っている。
高尾山には何回か登ったことがある。
佐藤さんが建立された慰霊碑のことは耳にしたことがあったが、家族で登ったのは、建立される前のことだった。
建立後、薬王院の建物で尺八の演奏会があり、ケーブルカーを降り、歩いている時に立ち寄り、お参りしようとしたことがある。
しかし、生憎、京王線の駅で下車し、蕎麦屋でそばを食べている時、尺八の仲間と会い、一緒に登ったので、行きそびれた。
高尾山といえば、頂上から相模湖方面に抜ける道を歩いたことがあったが、途中、膝の具合が悪くなり、歩くのに不自由したことを思い出した。
今、考えても、よく駅まで辿り着いたものだと運の良さに感謝したものだ。
というわけで、シベリア抑留の慰霊碑といえば、語り継ぐ戦争の立場から、お参りしなければならないが、ケーブルカーがあるとはいえ、膝の具合もよくないので、行かれるかどうか。
シベリア抑留者で自らの抑留体験の語り部をされている西倉勝さん(101)が追悼の集いに訪れたと伝えていたが、101歳の西倉勝さんが登れて、後期高齢者になって少し経った自分が歩けませんでは情けない。
紙面では高校三年生の小田島誠慈さん(17)も探求学習の一環でシベリア抑留の歴史を研究しているという嬉しいニュースもあった。
若い人で日本が戦争に巻き込まれても、米軍と自衛隊が戦ってくれるなんて能天気なことを言っている人がいるらしいが、米軍が日本を守るために日本に駐留しているわけではないので、そんな世迷言に騙されてはならない。
自衛隊が戦うことは間違いないが、ロシアとウクライナの戦争でわかるようにすぐに兵士が足りなくなる。
すると、徴兵制が布かれ、若い人は否が応でも戦争に巻き込まれてしまう。
戦争をやろうとしている政治家が自分が戦地に行くことはない。
死ぬのは、政治家ではないことを肝に銘じるべきだ。
シベリア抑留で死んだ人たちのことを日本人なら絶対忘れてはならない。
このことが平和を守るために欠かせない。
4月26日、ケーブルカーの「高尾山駅」から15分ほど歩いた場所にある「望郷 シベリアに眠る抑留者供養碑」の前に元抑留者や遺族ら約20人が集まり、線香をささげ、静かに手を合わせた。
この供養碑は、八王子市に住んでいた佐藤甲子雄さん(2021年に96歳で死去)が10年に私費を投じて建立。抑留された佐藤さんは、第2シベリア鉄道建設のための森林伐採に従事させられ、同僚の抑留者を工場の事故で失った。1949年の帰国後もそのときの光景が忘れられず、高尾山薬王院の協力もあり、86歳で碑を建てた。
当初は家族や関係者だけが供養していたが、10年ほど前からはシベリア抑留の支援団体なども訪れるようになり、佐藤さんが亡くなった後も毎年4、10月に追悼の集いが開かれている。
高尾山の薬王院といえば、姉が毎年、厄除けのお札を買い求めて届けてくれているので、神棚に祀っている。
高尾山には何回か登ったことがある。
佐藤さんが建立された慰霊碑のことは耳にしたことがあったが、家族で登ったのは、建立される前のことだった。
建立後、薬王院の建物で尺八の演奏会があり、ケーブルカーを降り、歩いている時に立ち寄り、お参りしようとしたことがある。
しかし、生憎、京王線の駅で下車し、蕎麦屋でそばを食べている時、尺八の仲間と会い、一緒に登ったので、行きそびれた。
高尾山といえば、頂上から相模湖方面に抜ける道を歩いたことがあったが、途中、膝の具合が悪くなり、歩くのに不自由したことを思い出した。
今、考えても、よく駅まで辿り着いたものだと運の良さに感謝したものだ。
というわけで、シベリア抑留の慰霊碑といえば、語り継ぐ戦争の立場から、お参りしなければならないが、ケーブルカーがあるとはいえ、膝の具合もよくないので、行かれるかどうか。
シベリア抑留者で自らの抑留体験の語り部をされている西倉勝さん(101)が追悼の集いに訪れたと伝えていたが、101歳の西倉勝さんが登れて、後期高齢者になって少し経った自分が歩けませんでは情けない。
紙面では高校三年生の小田島誠慈さん(17)も探求学習の一環でシベリア抑留の歴史を研究しているという嬉しいニュースもあった。
若い人で日本が戦争に巻き込まれても、米軍と自衛隊が戦ってくれるなんて能天気なことを言っている人がいるらしいが、米軍が日本を守るために日本に駐留しているわけではないので、そんな世迷言に騙されてはならない。
自衛隊が戦うことは間違いないが、ロシアとウクライナの戦争でわかるようにすぐに兵士が足りなくなる。
すると、徴兵制が布かれ、若い人は否が応でも戦争に巻き込まれてしまう。
戦争をやろうとしている政治家が自分が戦地に行くことはない。
死ぬのは、政治家ではないことを肝に銘じるべきだ。
シベリア抑留で死んだ人たちのことを日本人なら絶対忘れてはならない。
このことが平和を守るために欠かせない。
2026年05月23日
北千住で戦没者と遊女・女郎の供養
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚と遊女、女郎と呼ばれし女たちの供養で、久しぶりに出かけた。
そぼ降る雨の中、目的地は東京は北千住である。
NHKで「小さな旅」という旅番組があり、過去よく視聴していたほど好きな番組だった。最近はご無沙汰しているが、戦没者慰霊のための行脚もまた自分にとっての小さな旅だ。
初めての街を歩くのは大好きで、北千住は無論初めてだから、気分は前夜から高揚していた。北千住といえば、東京芸術大学と東京電機大学のキャンパスがあるくらいのことは知っていた。
北千住にどうしても行かなければならないと決めていたのは、語り継ぐ戦争というよりも、その昔、遊郭があり、搾取されながら、病に倒れた遊女、女郎の投げ込み寺があると耳にしていたからである。
そう、戦没者慰霊のための行脚とともに、遊女、女郎と呼ばれし女たちの供養をしてきた自分としては何としても一度はお参りしたかった。
北千住駅西口から、駅前の飲み屋街の狭い路地を歩いておよそ5分くらい。着いたのは真言宗豊山派寺院金蔵寺である。
路地から境内へ数歩入った左手に石塔が2基。南無阿弥陀仏と刻まれた塔、右に無縁塔。
顛末は足立観光ネットに説明がある。
南無阿弥陀仏の方が千住遊女供養塔で、無縁塔は天保8年(1837)に起こった大飢饉の餓死者の供養塔だ。
千住宿の飯盛旅籠で働き、病気などで死亡した飯盛女の霊を供養するために、当時の楼主や宿場の人達によって建立された遊女の供養塔。吉原には投げ込み寺と呼ばれている浄閑寺があるが、投げ込み寺であったと書いてあるわけではないようだ。それでも、当時、遊女、女郎たちが置かれていた立場からすれば、当然、死ねば投げ込み寺に投げ捨てられたであろうと推察する。
足立区教育委員会によれば、千住宿には、本陣・脇本陣のほかに55軒の旅籠屋があり、そのうち、食亮旅籠(遊女屋)が36軒あった。江戸後期には宿場以外に江戸近郊の遊里として発達した。
大飢饉で亡くなった人たちと病気などで死んだ飯盛女と理由の如何はともかく、一緒に線香を手向け、「手向」を吹いて供養の祈りを捧げた。
次いで、東京芸術大学北千住キャンパスのすぐ近くにある不動院に隣接する慈眼寺にあるというB29搭乗員無名戦士の慰霊碑にお参りするために向かう。
金蔵寺から直接向かったつもりが、駅に戻ってしまうも、気を取り直して歩くこと約10分余り。
芸大の近くにパトカーが駐車していたので、教えてもらったがすぐ近くまで来ていたことがわかった。
昭和20年4月13日夜、第313航空団505爆撃群所属のB29(機体番号42−63517)が足立区花畑町・北加平町に墜落。搭乗員11名全員死亡。「教えてくれたのは、北千住界隈の戦跡散策(足立区)というSNS」
敵国鬼畜米英の戦士ではあるが、命令で空襲、空爆をやらされたことを思えば経の一つも唱えてやろうということで般若心経を唱え、供養の祈りを捧げた。
寺のすぐ近くに足立区の産業をPRする建物を見つけ、入館してみたら、親切に対応してくれた。
要件は終わったということで、駅に戻り、昼食の時間になったから、駅ビルのルミネに向かう。
今回は調査が不十分で、慈眼寺と間違えて境内に足を踏み入れた不動院にも遊女の慰霊碑があったことを帰路の電車の中でチェックしたSNSで見つけてしまったことがショックだった。
足立観光ネットによれば、千住宿旅籠屋一同が1860(万延元)年に建てた遊女の無縁塔がここにあるというのだ。
さらに、足立区のWEBの広報によれば、浄土宗善應寺は、1929(昭和4)年に浅草橋場の正憶院を合併し、境内にある笠塔婆(遊女供養塔)は、正憶院から移されたもので、高さ2.4メートルある。1645(正保2)年3月の記銘があり、側面に150余名の戒名が刻まれている。正憶院の開基庄司甚右衛門が吉原遊郭の創始者といわれており、その縁で吉原遊女のために建立されたものだという。
甲州街道の府中、新宿、東海道の川崎、そして日光街道や奥州街道の北千住と宿場の飯盛り女たちの供養をしてきた。残るは板橋と品川にいた遊女、女郎と呼ばれた女たちの供養である。
小さな旅であったが、せっかくだから、事前の調査をもっとしっかりやるべきだった。
ノスタルジーで訪れているのではないので、北千住の遊郭があったとされる柳新地の今を見ることは予定していなかったが、吉原の投げ込み寺と同じように呼ばれていたらしい金蔵寺にようやく行くことができ、供養の祈りを捧げられてよかった。
そぼ降る雨の中、目的地は東京は北千住である。
NHKで「小さな旅」という旅番組があり、過去よく視聴していたほど好きな番組だった。最近はご無沙汰しているが、戦没者慰霊のための行脚もまた自分にとっての小さな旅だ。
初めての街を歩くのは大好きで、北千住は無論初めてだから、気分は前夜から高揚していた。北千住といえば、東京芸術大学と東京電機大学のキャンパスがあるくらいのことは知っていた。
北千住にどうしても行かなければならないと決めていたのは、語り継ぐ戦争というよりも、その昔、遊郭があり、搾取されながら、病に倒れた遊女、女郎の投げ込み寺があると耳にしていたからである。
そう、戦没者慰霊のための行脚とともに、遊女、女郎と呼ばれし女たちの供養をしてきた自分としては何としても一度はお参りしたかった。
北千住駅西口から、駅前の飲み屋街の狭い路地を歩いておよそ5分くらい。着いたのは真言宗豊山派寺院金蔵寺である。
路地から境内へ数歩入った左手に石塔が2基。南無阿弥陀仏と刻まれた塔、右に無縁塔。
顛末は足立観光ネットに説明がある。
南無阿弥陀仏の方が千住遊女供養塔で、無縁塔は天保8年(1837)に起こった大飢饉の餓死者の供養塔だ。
千住宿の飯盛旅籠で働き、病気などで死亡した飯盛女の霊を供養するために、当時の楼主や宿場の人達によって建立された遊女の供養塔。吉原には投げ込み寺と呼ばれている浄閑寺があるが、投げ込み寺であったと書いてあるわけではないようだ。それでも、当時、遊女、女郎たちが置かれていた立場からすれば、当然、死ねば投げ込み寺に投げ捨てられたであろうと推察する。
足立区教育委員会によれば、千住宿には、本陣・脇本陣のほかに55軒の旅籠屋があり、そのうち、食亮旅籠(遊女屋)が36軒あった。江戸後期には宿場以外に江戸近郊の遊里として発達した。
大飢饉で亡くなった人たちと病気などで死んだ飯盛女と理由の如何はともかく、一緒に線香を手向け、「手向」を吹いて供養の祈りを捧げた。
次いで、東京芸術大学北千住キャンパスのすぐ近くにある不動院に隣接する慈眼寺にあるというB29搭乗員無名戦士の慰霊碑にお参りするために向かう。
金蔵寺から直接向かったつもりが、駅に戻ってしまうも、気を取り直して歩くこと約10分余り。
芸大の近くにパトカーが駐車していたので、教えてもらったがすぐ近くまで来ていたことがわかった。
昭和20年4月13日夜、第313航空団505爆撃群所属のB29(機体番号42−63517)が足立区花畑町・北加平町に墜落。搭乗員11名全員死亡。「教えてくれたのは、北千住界隈の戦跡散策(足立区)というSNS」
敵国鬼畜米英の戦士ではあるが、命令で空襲、空爆をやらされたことを思えば経の一つも唱えてやろうということで般若心経を唱え、供養の祈りを捧げた。
寺のすぐ近くに足立区の産業をPRする建物を見つけ、入館してみたら、親切に対応してくれた。
要件は終わったということで、駅に戻り、昼食の時間になったから、駅ビルのルミネに向かう。
今回は調査が不十分で、慈眼寺と間違えて境内に足を踏み入れた不動院にも遊女の慰霊碑があったことを帰路の電車の中でチェックしたSNSで見つけてしまったことがショックだった。
足立観光ネットによれば、千住宿旅籠屋一同が1860(万延元)年に建てた遊女の無縁塔がここにあるというのだ。
さらに、足立区のWEBの広報によれば、浄土宗善應寺は、1929(昭和4)年に浅草橋場の正憶院を合併し、境内にある笠塔婆(遊女供養塔)は、正憶院から移されたもので、高さ2.4メートルある。1645(正保2)年3月の記銘があり、側面に150余名の戒名が刻まれている。正憶院の開基庄司甚右衛門が吉原遊郭の創始者といわれており、その縁で吉原遊女のために建立されたものだという。
甲州街道の府中、新宿、東海道の川崎、そして日光街道や奥州街道の北千住と宿場の飯盛り女たちの供養をしてきた。残るは板橋と品川にいた遊女、女郎と呼ばれた女たちの供養である。
小さな旅であったが、せっかくだから、事前の調査をもっとしっかりやるべきだった。
ノスタルジーで訪れているのではないので、北千住の遊郭があったとされる柳新地の今を見ることは予定していなかったが、吉原の投げ込み寺と同じように呼ばれていたらしい金蔵寺にようやく行くことができ、供養の祈りを捧げられてよかった。
2026年05月15日
シベリア抑留体験画作品展 勇崎作衛さん
旧ソ連軍の捕虜としてシベリアに抑留され、復員後は東京都大田区で長く暮らした勇崎作衛さん(1923〜2011)の抑留体験画88点を紹介する展示が千代田区の区立九段生涯学習館で9日から17日まで開催されていると5月14日の読売が伝えている。
富山県出身の勇崎さんは徴兵により、旧満州(中国東北部)の陸軍病院で衛生兵として勤務していた。敗戦後の1945年8月、捕虜となりバイカル湖近くの極寒地で3年以上、森林伐採作業や湖の護岸工事など重労働に従事させられた。復員後に上京。大田区で家具店を営むなどし、60代から自身の体験を伝えようと絵に没頭し、87歳で亡くなるまで個展を重ねた。
会場には、収容所で黒パンをかじって飢えをしのぐ様子や栄養失調で亡くなった犠牲者を凍土に埋葬する場面など過酷な収容所生活の様子が描かれている。
元抑留者の西倉勝さん(101)が自身の抑留体験などを話す「ギャラリートーク」も行われる。
抑留画家といえば、香月康男を筆頭に『カラカンダの印象』の横山操の名前は知っていた。他には、佐藤清、井上馨、飯野珪次郎、桐山章、古谷巌(敬称略)などの描いた絵画などが公開されている。
語り継ぐ戦争ではあるが、経験者が語り伝えることは極めて重要であるけれど、文章、手紙、映像、写真、絵画などで伝えられた戦争の実情もまた説得力を持つ。
シベリア抑留を例にすれば、経験者が語ることは確かに伝わるが、その場面にいなかった人から見れば、想像力を働かせなければ伝わりにくい面もある。
ところが、写真はあり得ないシベリア抑留であれば、絵画であれば、色が視覚というか目に訴えてくるから、想像力に現実味が加味され、さらに説得力を増す。
シベリア抑留といえば、語り継がれていることとして、抑留者が食べていたという黒パンがある。
供されていた食事が足りず、飢餓に苦しむ人たちにとっては、黒パンの切り方で事件が起こるほど重要な食料だった。
シベリア抑留者が食していた黒パンと同じロシア製法の黒パンを今朝も食べているのはシベリア抑留者の苦難を忘れないためである。
秋田犬の故郷大館の「サンドリヨン」から取り寄せているロシア製法の黒パンはここだけしかないという。
教えてくれたのは、抑留経験者で首都圏に住む男性が取り寄せて毎日食していることを読売の記事で知ったからだ。
引き揚げ、シベリア抑留に関しては、舞鶴の引揚記念館や東京新宿にある平和祈念展示資料館にいけば、、ジオラマというのか、黒パンを切り分けるときの様子が描かれていたと記憶する。
絵画ではシベリア抑留のときの様子が様々に場面で描かれていて、想像力だけでなく、臨場感を味わうことができる。
富山県出身の勇崎さんは徴兵により、旧満州(中国東北部)の陸軍病院で衛生兵として勤務していた。敗戦後の1945年8月、捕虜となりバイカル湖近くの極寒地で3年以上、森林伐採作業や湖の護岸工事など重労働に従事させられた。復員後に上京。大田区で家具店を営むなどし、60代から自身の体験を伝えようと絵に没頭し、87歳で亡くなるまで個展を重ねた。
会場には、収容所で黒パンをかじって飢えをしのぐ様子や栄養失調で亡くなった犠牲者を凍土に埋葬する場面など過酷な収容所生活の様子が描かれている。
元抑留者の西倉勝さん(101)が自身の抑留体験などを話す「ギャラリートーク」も行われる。
抑留画家といえば、香月康男を筆頭に『カラカンダの印象』の横山操の名前は知っていた。他には、佐藤清、井上馨、飯野珪次郎、桐山章、古谷巌(敬称略)などの描いた絵画などが公開されている。
語り継ぐ戦争ではあるが、経験者が語り伝えることは極めて重要であるけれど、文章、手紙、映像、写真、絵画などで伝えられた戦争の実情もまた説得力を持つ。
シベリア抑留を例にすれば、経験者が語ることは確かに伝わるが、その場面にいなかった人から見れば、想像力を働かせなければ伝わりにくい面もある。
ところが、写真はあり得ないシベリア抑留であれば、絵画であれば、色が視覚というか目に訴えてくるから、想像力に現実味が加味され、さらに説得力を増す。
シベリア抑留といえば、語り継がれていることとして、抑留者が食べていたという黒パンがある。
供されていた食事が足りず、飢餓に苦しむ人たちにとっては、黒パンの切り方で事件が起こるほど重要な食料だった。
シベリア抑留者が食していた黒パンと同じロシア製法の黒パンを今朝も食べているのはシベリア抑留者の苦難を忘れないためである。
秋田犬の故郷大館の「サンドリヨン」から取り寄せているロシア製法の黒パンはここだけしかないという。
教えてくれたのは、抑留経験者で首都圏に住む男性が取り寄せて毎日食していることを読売の記事で知ったからだ。
引き揚げ、シベリア抑留に関しては、舞鶴の引揚記念館や東京新宿にある平和祈念展示資料館にいけば、、ジオラマというのか、黒パンを切り分けるときの様子が描かれていたと記憶する。
絵画ではシベリア抑留のときの様子が様々に場面で描かれていて、想像力だけでなく、臨場感を味わうことができる。
2026年05月07日
「東京大空襲」施設の来場外国人最多
東京大空襲の惨禍を伝える民間施設「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)を訪れる外国人が増えている。2025年度の外国人来館者は830人に上り、統計を取り始めた2013年以降で最多となった。と4月30日の読売(江原桂都記者)が夕刊で伝えている。
「戦災に共感 訪日客も」「国際情勢緊迫 背景か」という見出しで、来館者は大空襲から70年となった14年度には1万4838人に上ったが、コロナ渦の影響で21年度には3000人台にまで落ち込んだ。25年度は1万3380人まで回復した。特に目立つのは外国人来館者の増加だと伝えている。
センターは大空襲を経験した作家の早乙女勝元さん(22年死去)らの呼びかけで02年3月10日に開館した。空襲の被害を伝える写真や空襲を体験した人たちの証言動画など約350点の資料が並び、体験者が大空襲について語るイベントも定期的に開催される。
首都東京は人口が多いだけでなく、財政面でも豊かであるが、先の大戦、アジア太平洋戦争に対する考え方も様々でヒロシマ、ナガサキの原爆資料館や沖縄摩文仁にある沖縄戦の資料館のような東京大空襲に関する都の施設が作れなかった。
早乙女勝元作、田島征三絵『猫は生きている』(理論社)を買い求めて読んだことがある。
作者の早乙女勝元さんが自身の経験などから書いた絵本であり、東京大空襲のことが分かりやすく描かれている。その早乙女勝元さんが戦災資料センター建設の呼びかけ人となり、江東区に実現した。
行くつもりでいたがコロナ渦になってしまい、恥ずかしながら、行かれず仕舞いとなったままだ。
2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻侵略、2023年10月7日のパレスチナの武装勢力ハマスとイスラエルとの戦争、そして、2026年2月28日のアメリカ、イスラエルによるイラン攻撃で、多くの非武装の市民が犠牲となっている。
ロシアのプーチン大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、そして米国のトランプ大統領は一様に自分は安全地帯にいて、非武装の市民を殺戮していることをメディアは批判しようともしない。
一人でも多くの国内外の人たちが東京大空襲やヒロシマ、ナガサキ、沖縄の資料館を見学し、80年経ってもちっとも変わらない指導者の身勝手さと戦争の真実を知ってもらいたい。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で学んだことは戦争では軍需物資を取り扱う会社や人たちだけが潤い、市民には何一つ恩恵はない。
さらに、80年前と大きく変わったのは核兵器を保有する国と持たざる国、持たずる国と言えども原発を保有する国の多さである。
80年前の東京大空襲、朝鮮戦争を経て、ベトナム戦争になるとダイオキシン入り枯葉剤ナパーム弾が米軍によって使われ多数の奇形児が生まれている。
ナチスによって酷い目に遭ったユダヤ人が米英などの後押しでイスラエルを建国するや、そのユダヤ人がパレスチナの人々に滅茶苦茶酷いことをやっている。
ソビエト連邦共和国の一員だった時代、ウクライナに作られたチョルノービリ原発が事故を起こし、世界を震撼させた。
ソビエト連邦共和国が解体し、ウクライナが独立し、自由と民主主義陣営の国を目指すや、このことが気に入らないロシアのプーチン大統領がウクライナを攻撃し、チョルノービリ原発を攻撃したというニュースも流れている。
自由と民主主義と民族の国を守る戦いで、ウクライナは無人機ドローンなどの製造に力を入れ、ロシアに対峙していることから、無人機による双方の攻防も激しさを増している。
80年前の米軍による東京大空襲、空爆で焦土と化した東京や原発だらけの日本が一度攻撃をされたら、どれほどの被害が出るか想像を超える。
米軍が駐留しているから安全だという神話はつくられたものにすぎない。
米軍は日本を守るために戦うことはあり得ないが、治外法権の米軍基地が攻撃されれば、当然防衛のために戦うことになるから、米軍基地を攻撃する国は考えられないので、米軍基地は意外や安全かもしれない。
とにかく、戦争になれば、被害は80年前とは比較にならないほど酷いことになってしまう。
戦争をやってはならない所以である。
「戦災に共感 訪日客も」「国際情勢緊迫 背景か」という見出しで、来館者は大空襲から70年となった14年度には1万4838人に上ったが、コロナ渦の影響で21年度には3000人台にまで落ち込んだ。25年度は1万3380人まで回復した。特に目立つのは外国人来館者の増加だと伝えている。
センターは大空襲を経験した作家の早乙女勝元さん(22年死去)らの呼びかけで02年3月10日に開館した。空襲の被害を伝える写真や空襲を体験した人たちの証言動画など約350点の資料が並び、体験者が大空襲について語るイベントも定期的に開催される。
首都東京は人口が多いだけでなく、財政面でも豊かであるが、先の大戦、アジア太平洋戦争に対する考え方も様々でヒロシマ、ナガサキの原爆資料館や沖縄摩文仁にある沖縄戦の資料館のような東京大空襲に関する都の施設が作れなかった。
早乙女勝元作、田島征三絵『猫は生きている』(理論社)を買い求めて読んだことがある。
作者の早乙女勝元さんが自身の経験などから書いた絵本であり、東京大空襲のことが分かりやすく描かれている。その早乙女勝元さんが戦災資料センター建設の呼びかけ人となり、江東区に実現した。
行くつもりでいたがコロナ渦になってしまい、恥ずかしながら、行かれず仕舞いとなったままだ。
2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻侵略、2023年10月7日のパレスチナの武装勢力ハマスとイスラエルとの戦争、そして、2026年2月28日のアメリカ、イスラエルによるイラン攻撃で、多くの非武装の市民が犠牲となっている。
ロシアのプーチン大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、そして米国のトランプ大統領は一様に自分は安全地帯にいて、非武装の市民を殺戮していることをメディアは批判しようともしない。
一人でも多くの国内外の人たちが東京大空襲やヒロシマ、ナガサキ、沖縄の資料館を見学し、80年経ってもちっとも変わらない指導者の身勝手さと戦争の真実を知ってもらいたい。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で学んだことは戦争では軍需物資を取り扱う会社や人たちだけが潤い、市民には何一つ恩恵はない。
さらに、80年前と大きく変わったのは核兵器を保有する国と持たざる国、持たずる国と言えども原発を保有する国の多さである。
80年前の東京大空襲、朝鮮戦争を経て、ベトナム戦争になるとダイオキシン入り枯葉剤ナパーム弾が米軍によって使われ多数の奇形児が生まれている。
ナチスによって酷い目に遭ったユダヤ人が米英などの後押しでイスラエルを建国するや、そのユダヤ人がパレスチナの人々に滅茶苦茶酷いことをやっている。
ソビエト連邦共和国の一員だった時代、ウクライナに作られたチョルノービリ原発が事故を起こし、世界を震撼させた。
ソビエト連邦共和国が解体し、ウクライナが独立し、自由と民主主義陣営の国を目指すや、このことが気に入らないロシアのプーチン大統領がウクライナを攻撃し、チョルノービリ原発を攻撃したというニュースも流れている。
自由と民主主義と民族の国を守る戦いで、ウクライナは無人機ドローンなどの製造に力を入れ、ロシアに対峙していることから、無人機による双方の攻防も激しさを増している。
80年前の米軍による東京大空襲、空爆で焦土と化した東京や原発だらけの日本が一度攻撃をされたら、どれほどの被害が出るか想像を超える。
米軍が駐留しているから安全だという神話はつくられたものにすぎない。
米軍は日本を守るために戦うことはあり得ないが、治外法権の米軍基地が攻撃されれば、当然防衛のために戦うことになるから、米軍基地を攻撃する国は考えられないので、米軍基地は意外や安全かもしれない。
とにかく、戦争になれば、被害は80年前とは比較にならないほど酷いことになってしまう。
戦争をやってはならない所以である。
2026年05月05日
「戦争をするな!」「憲法を守れ!」
憲法記念日は過ぎてしまったが、日本国憲法の理念である平和と基本的人権のうち、水俣病と冤罪を訴え第11次の再審請求審となる名張毒ぶどう酒事件について、基本的人権が守られていないことを訴えてきた。
語り継ぐ戦争だから、憲法といえば、平和を希求する人たちのことを書いておかなければならない。
憲法記念日の読売に「市民意見広告運動 /市民の意見30の会・東京」の意見広告「戦争をするな!」「NO WAR」「憲法を守れ!」が2026年のこの日も掲載された。
戦争はある日突然始まるものではなく、政治家の言動が少しずつ変わり、軍備拡張が当たり前になっていく風潮の中で進んでいく。
「有事への備えが必要だ」「周辺国が危険だ」と不安を煽られ。気づけば戦争が目前にあった、という苦い経験を過去日本はしている。
「非戦の憲法9条は変えない」「武力は暮らしを守りません」「戦争を止めよう」「主権者はわたしたち」という見出しで伝えようとしているのは戦争は絶対やってはならないということに尽きる。
語り継ぐ戦争だから、戦没者慰霊のための行脚で、2008年からコロナ渦前の2019年まで北は北海道稚内から南は沖縄の摩文仁まで日本全国の慰霊碑を周って手を合わせてきた。
正確に言うと、自分の祈りの流儀、スタイルが経を唱える代わりに尺八を吹くことだから献奏ということになる。
敗戦から80有余年、平和な暮らしができたのは戦争で犠牲となられた皆さんのお陰だから、感謝とお礼の気持ちで、無念の死を遂げたみなさんの声に耳を傾けるという趣旨だった。
語り継ぐ戦争だから、本を読み、映画を観て、新聞やTVなどのメディアやSNSなどで学習をしてきた結果、分かったことがあるので書いておきたい。
戦争をやろうとする政治家や軍人たちは自分たちが戦場に行くことがないということ。
さらに、若い人で自分で考える力がない愚か者は戦争になっても、米軍と自衛隊が戦ってくれるから自分たちは安全地帯にいられると思っていること。
過去の戦争で悲惨な目に遭った人たちは、満蒙開拓団のように国に騙されたひとたちであること。
戦争になれば、原発が多く、木造住宅が多い日本は東京大空襲、空爆以上に簡単に焦土と化してしまうこと。
集団的自衛権行使容認のために安保法制を変えた安倍首相。武器輸出3原則を変え、スパイ防止法、緊急事態条項を盛り込んだ憲法で、基本的人権や言論、表現の自由を制限しようとしている高市首相。
反日反社の旧統一教会とズブズブの関係の首相、かつ米国隷従の自民党政権は国民の幸せは全く考えていないこと。
日本に米軍基地があるのは、米国が日本に核武装させないためであり、ヒロシマ、ナガサキの復讐をさせないためである。
米国は中国と戦争するつもりなど毛頭なく、台湾有事だと言っても、米軍が戦うことなどありえず、日本の自民党政権に武器を売りつけ、自衛隊に戦わせるだけである。
台湾有事と言っても、中国の内政問題であることは、日本の過去の自民党の政権が認めてきたことである。
戦争になれば、兵力が足りなくなり、徴兵制が布かれ若い人は召集されてしまう。
以上のことから、戦争をやりたくて仕方ない財界や自民党とその補完勢力に騙されてはならない。
戦争は絶対やってはならない。
語り継ぐ戦争だから、憲法といえば、平和を希求する人たちのことを書いておかなければならない。
憲法記念日の読売に「市民意見広告運動 /市民の意見30の会・東京」の意見広告「戦争をするな!」「NO WAR」「憲法を守れ!」が2026年のこの日も掲載された。
戦争はある日突然始まるものではなく、政治家の言動が少しずつ変わり、軍備拡張が当たり前になっていく風潮の中で進んでいく。
「有事への備えが必要だ」「周辺国が危険だ」と不安を煽られ。気づけば戦争が目前にあった、という苦い経験を過去日本はしている。
「非戦の憲法9条は変えない」「武力は暮らしを守りません」「戦争を止めよう」「主権者はわたしたち」という見出しで伝えようとしているのは戦争は絶対やってはならないということに尽きる。
語り継ぐ戦争だから、戦没者慰霊のための行脚で、2008年からコロナ渦前の2019年まで北は北海道稚内から南は沖縄の摩文仁まで日本全国の慰霊碑を周って手を合わせてきた。
正確に言うと、自分の祈りの流儀、スタイルが経を唱える代わりに尺八を吹くことだから献奏ということになる。
敗戦から80有余年、平和な暮らしができたのは戦争で犠牲となられた皆さんのお陰だから、感謝とお礼の気持ちで、無念の死を遂げたみなさんの声に耳を傾けるという趣旨だった。
語り継ぐ戦争だから、本を読み、映画を観て、新聞やTVなどのメディアやSNSなどで学習をしてきた結果、分かったことがあるので書いておきたい。
戦争をやろうとする政治家や軍人たちは自分たちが戦場に行くことがないということ。
さらに、若い人で自分で考える力がない愚か者は戦争になっても、米軍と自衛隊が戦ってくれるから自分たちは安全地帯にいられると思っていること。
過去の戦争で悲惨な目に遭った人たちは、満蒙開拓団のように国に騙されたひとたちであること。
戦争になれば、原発が多く、木造住宅が多い日本は東京大空襲、空爆以上に簡単に焦土と化してしまうこと。
集団的自衛権行使容認のために安保法制を変えた安倍首相。武器輸出3原則を変え、スパイ防止法、緊急事態条項を盛り込んだ憲法で、基本的人権や言論、表現の自由を制限しようとしている高市首相。
反日反社の旧統一教会とズブズブの関係の首相、かつ米国隷従の自民党政権は国民の幸せは全く考えていないこと。
日本に米軍基地があるのは、米国が日本に核武装させないためであり、ヒロシマ、ナガサキの復讐をさせないためである。
米国は中国と戦争するつもりなど毛頭なく、台湾有事だと言っても、米軍が戦うことなどありえず、日本の自民党政権に武器を売りつけ、自衛隊に戦わせるだけである。
台湾有事と言っても、中国の内政問題であることは、日本の過去の自民党の政権が認めてきたことである。
戦争になれば、兵力が足りなくなり、徴兵制が布かれ若い人は召集されてしまう。
以上のことから、戦争をやりたくて仕方ない財界や自民党とその補完勢力に騙されてはならない。
戦争は絶対やってはならない。
2026年04月28日
陸自10式戦車で爆発事故 殉職隊員の冥福を祈る
4月21日、大分県の陸上自衛隊日出生台演習場で新鋭「10式戦車」で爆発事故が起き、3人が死亡し、1人が重傷を負った。戦車内で砲弾が破裂したとみられる極めて異例の事故だ。とメディアが伝えている。
この事故を受けて、4月25日の読売の「とれんど」というコラムで高沢剛史編集委員が「厚い装甲の中で起きた悲劇」という見出しで、亡くなった隊員の冥福を祈っていた。
北海道にある陸上自衛隊の演習場で戦闘訓練を取材したことがあるという筆者は、「夜の戦車は怖い」と鉄の塊が闇の向こうからエンジンのうなり声とともに地面を揺さぶり、戦車が姿を現したとき「間合いを詰めてくる鉄の塊を見て恐怖で胸を締め付けられた」と語っている。
戦車の中で何が起きたのか、多くの国民が感じるこの疑問に陸自はきちんと答えてほしいと要請し、改めて自衛隊の活動が危険と隣り合わせだと事故が示した。
防衛省内の慰霊碑には、災害派遣や訓練中に殉職した2000人以上の隊員が顕彰されている。
冥福を祈りたい。と結ぶ。
連れ合いが若い頃、お世話になったということで退職後も年賀状を書いている職場の先輩が元自衛隊員だったと耳にしたことがある。
自衛隊員だったというのだから、怒らせたら大変だろうと思ったけれど、温厚かつ、人柄も佳くて悪く言われたことがないらしい。
自衛隊を辞めた理由は不明ながら、親しくなって自衛隊時代のことを聞いておけばよかった。
自衛隊員の殉職ということで、事故とは言うもののお気の毒でご冥福を祈りたい。
自衛隊といえば、災害救助で活躍する真に有難い存在である。
その災害出動は正確なことはわからないが、都道府県知事の要請で決まると思っていたら、能登半島地震の時、れいわ新選組の山本太郎代表が能登半島への自衛隊の出動に関し、国会質問していた時、当時の石川県知事が自民党政権から自衛隊の派遣を止められていたから、いくら国会で質問しても、県知事が派遣要請しなかったような話があった。
結果、県知事選挙で敗れ、県知事が交代した。
自衛隊は間違いなく軍隊であるが、ミャンマーのように自国民に銃を向けるようには絶対なってもらいたくない。
過去、日本でも、5・15,2・26と軍部によるクーデターが起きている。
「話せばわかる」と言っているにもかかわらず、問答無用とばかりに銃撃したことを忘れてはならない。
シビリアンコントロールというのか文民統制というのか、軍隊がミャンマーみたいに国家権力を握るとろくなことはない。
さらに、シビリアンコントロールとは言いながら、自民党政権のような米国に隷従し、台湾危機を煽り、米国に代わって戦争を企図する勢力には背いてでも命を捨てないでもらいたい。
語り継ぐ戦争では、日本の軍隊ほど人の命を軽視した軍隊はない。
部下に死を命じておきながら、命令したものはおめおめと戦後も生き残っているのだ。
『WARFARE』で描かれたイラク戦争における米軍の兵士救出作戦を観て、米軍は日本軍より人間の命が大事にされていると思ったのは自分だけだろうか。
文民が外交努力で戦争にならないように努力しないとすれば、ただ、命令だからと言って安易に命を落としてほしくない。
自衛隊員は災害救助などでの活躍が一番有難い。
この事故を受けて、4月25日の読売の「とれんど」というコラムで高沢剛史編集委員が「厚い装甲の中で起きた悲劇」という見出しで、亡くなった隊員の冥福を祈っていた。
北海道にある陸上自衛隊の演習場で戦闘訓練を取材したことがあるという筆者は、「夜の戦車は怖い」と鉄の塊が闇の向こうからエンジンのうなり声とともに地面を揺さぶり、戦車が姿を現したとき「間合いを詰めてくる鉄の塊を見て恐怖で胸を締め付けられた」と語っている。
戦車の中で何が起きたのか、多くの国民が感じるこの疑問に陸自はきちんと答えてほしいと要請し、改めて自衛隊の活動が危険と隣り合わせだと事故が示した。
防衛省内の慰霊碑には、災害派遣や訓練中に殉職した2000人以上の隊員が顕彰されている。
冥福を祈りたい。と結ぶ。
連れ合いが若い頃、お世話になったということで退職後も年賀状を書いている職場の先輩が元自衛隊員だったと耳にしたことがある。
自衛隊員だったというのだから、怒らせたら大変だろうと思ったけれど、温厚かつ、人柄も佳くて悪く言われたことがないらしい。
自衛隊を辞めた理由は不明ながら、親しくなって自衛隊時代のことを聞いておけばよかった。
自衛隊員の殉職ということで、事故とは言うもののお気の毒でご冥福を祈りたい。
自衛隊といえば、災害救助で活躍する真に有難い存在である。
その災害出動は正確なことはわからないが、都道府県知事の要請で決まると思っていたら、能登半島地震の時、れいわ新選組の山本太郎代表が能登半島への自衛隊の出動に関し、国会質問していた時、当時の石川県知事が自民党政権から自衛隊の派遣を止められていたから、いくら国会で質問しても、県知事が派遣要請しなかったような話があった。
結果、県知事選挙で敗れ、県知事が交代した。
自衛隊は間違いなく軍隊であるが、ミャンマーのように自国民に銃を向けるようには絶対なってもらいたくない。
過去、日本でも、5・15,2・26と軍部によるクーデターが起きている。
「話せばわかる」と言っているにもかかわらず、問答無用とばかりに銃撃したことを忘れてはならない。
シビリアンコントロールというのか文民統制というのか、軍隊がミャンマーみたいに国家権力を握るとろくなことはない。
さらに、シビリアンコントロールとは言いながら、自民党政権のような米国に隷従し、台湾危機を煽り、米国に代わって戦争を企図する勢力には背いてでも命を捨てないでもらいたい。
語り継ぐ戦争では、日本の軍隊ほど人の命を軽視した軍隊はない。
部下に死を命じておきながら、命令したものはおめおめと戦後も生き残っているのだ。
『WARFARE』で描かれたイラク戦争における米軍の兵士救出作戦を観て、米軍は日本軍より人間の命が大事にされていると思ったのは自分だけだろうか。
文民が外交努力で戦争にならないように努力しないとすれば、ただ、命令だからと言って安易に命を落としてほしくない。
自衛隊員は災害救助などでの活躍が一番有難い。
2026年04月25日
満蒙開拓 生存者ら 多摩・拓魂公苑で慰霊祭
満州(現中国東北部)に渡った「満蒙開拓団」の犠牲者を追悼する慰霊碑が立ち並ぶ東京多摩市の「拓魂公苑」で4月12日、慰霊祭が開かれた。存命者が少なくなる中、過去を学ぶ場にもなり、歴史を後世に伝えていくための模索が続いている。と4月24日の読売(石井恭平記者)が伝えている。
拓魂公苑は、満州からの引き揚げ者らが63年、「拓魂」と書かれた碑を建設したのが始まりで、引き揚げ者らでつくる全国拓友協会が毎年4月の第2日曜日に慰霊のための「拓魂祭」を開催してきた。周囲には各開拓団や青少年義勇軍の慰霊碑の石柱170柱が並ぶ。
2001年に都に土地や慰霊碑が協会から寄贈され、都立公園の一部になった。その後協会が解散すると開拓団の関係者らが追悼してきたが、20年に研究者や支援団体で作る「『満蒙開拓』を考える連絡会」が結成され、一般市民も参加する形で慰霊祭を執り行っている。
同連絡会でシベリア抑留者の支援などをしている有光健さん(75)によると、各地の開拓団の慰霊碑が集まっている場所は全国で唯一という。
紙面の解説によれば、満蒙開拓団は1932年から募集され、36年以降は20年間で100万戸を送る大規模な移民政策だった。
開拓団と言っても、事実上現地農民の土地を奪ったことから、敗戦後、恨みを買うことになっていく。
10歳代の「満蒙開拓青少年義勇軍」も創設され、約8万6000人が渡り降伏時に約27万人の難民がいた。
ソ連侵攻などで約8万人が犠牲となったとされる。
信州阿智村にある満蒙開拓平和記念館を訪れたのは2018年6月のことだった。
その後、2020年からコロナ渦が始まり、2023年まではどこにも出かけられず、思案しているうちに心身共に急激な衰えがあり、収束しつつあった2024年の10月、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で大変お世話になった大阪の恩師が亡くなったとのことで、線香を手向けに何とか出かけてはきた。
それでも、一度おかしくなってしまった歯車は元に戻せず、2025年はどこにも出かけられず、月に一度の映画館に行くくらいだった。
阿智村の満蒙開拓平和記念館には慰霊碑らしきものはあったがお参りするような雰囲気がなく、日本全国のどこかにそれらしい施設があるはずだと思っていたら、読売の拓魂公苑での慰霊祭を知らせる記事で知ることができた。
もともと、東京多摩市に満蒙開拓団の慰霊碑があることは知っていた。語り継ぐ戦争ではあるが、なかなか訪れる機会がなかった。
満蒙開拓団のことがメディアで取り上げられると、満蒙開拓平和記念館で買い求めてきた満蒙開拓団の地図で開拓団の名前と地名を確認するくらい満蒙開拓団に関しては大いに関心がある。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を始めた原動力は、五味川純平『人間の條件』(三一書房)を原作としたTBSが放送してくれたTVドラマ加藤剛主演『人間の條件』であり、このドラマを視聴したのは1962年だから中学1年生のときだった。
その後、わが家にあった原作を一度ならず読んでいるが、多感な思春期の少年に与えた影響は計り知れない。
兵隊にとられないことを条件に満州の鉱山で働く道を選択した主人公梶を通して、日本が満州でやっていたことを中学生で知り、結果的に騙された梶は、兵士にされ、そこで、ソ連兵などに追われ、逃げ惑う満蒙開拓団の人たちとも出遭うのだ。
あれから、60有余年経ってしまったが、それほど『人間の條件』の梶から学ぶことは大きかった。
自分もこの時から、満蒙開拓団のことを知ることになった。
ネットで調べてみたら、東京多摩市はニュータウンの街で、都立桜ケ丘公園があり、どうもその一角に拓魂公苑があるらしい。
新聞は書かないが、満蒙開拓団は関東軍から見捨てられ棄民とされたことから犠牲者が多数出た。
政府は平気で市民を騙すことを肝に銘じるためにも、満蒙開拓団のことを学習する必要があるのだ。
「『満蒙開拓』を考える連絡会」のことを教えてもらったので、連絡を取ってみようかと思案している。
いずれにしても、近いうちに、拓魂公苑を訪れ、170柱の石柱をひとつづつ確認し、供養の祈りを捧げるつもりだ。
拓魂公苑は、満州からの引き揚げ者らが63年、「拓魂」と書かれた碑を建設したのが始まりで、引き揚げ者らでつくる全国拓友協会が毎年4月の第2日曜日に慰霊のための「拓魂祭」を開催してきた。周囲には各開拓団や青少年義勇軍の慰霊碑の石柱170柱が並ぶ。
2001年に都に土地や慰霊碑が協会から寄贈され、都立公園の一部になった。その後協会が解散すると開拓団の関係者らが追悼してきたが、20年に研究者や支援団体で作る「『満蒙開拓』を考える連絡会」が結成され、一般市民も参加する形で慰霊祭を執り行っている。
同連絡会でシベリア抑留者の支援などをしている有光健さん(75)によると、各地の開拓団の慰霊碑が集まっている場所は全国で唯一という。
紙面の解説によれば、満蒙開拓団は1932年から募集され、36年以降は20年間で100万戸を送る大規模な移民政策だった。
開拓団と言っても、事実上現地農民の土地を奪ったことから、敗戦後、恨みを買うことになっていく。
10歳代の「満蒙開拓青少年義勇軍」も創設され、約8万6000人が渡り降伏時に約27万人の難民がいた。
ソ連侵攻などで約8万人が犠牲となったとされる。
信州阿智村にある満蒙開拓平和記念館を訪れたのは2018年6月のことだった。
その後、2020年からコロナ渦が始まり、2023年まではどこにも出かけられず、思案しているうちに心身共に急激な衰えがあり、収束しつつあった2024年の10月、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で大変お世話になった大阪の恩師が亡くなったとのことで、線香を手向けに何とか出かけてはきた。
それでも、一度おかしくなってしまった歯車は元に戻せず、2025年はどこにも出かけられず、月に一度の映画館に行くくらいだった。
阿智村の満蒙開拓平和記念館には慰霊碑らしきものはあったがお参りするような雰囲気がなく、日本全国のどこかにそれらしい施設があるはずだと思っていたら、読売の拓魂公苑での慰霊祭を知らせる記事で知ることができた。
もともと、東京多摩市に満蒙開拓団の慰霊碑があることは知っていた。語り継ぐ戦争ではあるが、なかなか訪れる機会がなかった。
満蒙開拓団のことがメディアで取り上げられると、満蒙開拓平和記念館で買い求めてきた満蒙開拓団の地図で開拓団の名前と地名を確認するくらい満蒙開拓団に関しては大いに関心がある。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を始めた原動力は、五味川純平『人間の條件』(三一書房)を原作としたTBSが放送してくれたTVドラマ加藤剛主演『人間の條件』であり、このドラマを視聴したのは1962年だから中学1年生のときだった。
その後、わが家にあった原作を一度ならず読んでいるが、多感な思春期の少年に与えた影響は計り知れない。
兵隊にとられないことを条件に満州の鉱山で働く道を選択した主人公梶を通して、日本が満州でやっていたことを中学生で知り、結果的に騙された梶は、兵士にされ、そこで、ソ連兵などに追われ、逃げ惑う満蒙開拓団の人たちとも出遭うのだ。
あれから、60有余年経ってしまったが、それほど『人間の條件』の梶から学ぶことは大きかった。
自分もこの時から、満蒙開拓団のことを知ることになった。
ネットで調べてみたら、東京多摩市はニュータウンの街で、都立桜ケ丘公園があり、どうもその一角に拓魂公苑があるらしい。
新聞は書かないが、満蒙開拓団は関東軍から見捨てられ棄民とされたことから犠牲者が多数出た。
政府は平気で市民を騙すことを肝に銘じるためにも、満蒙開拓団のことを学習する必要があるのだ。
「『満蒙開拓』を考える連絡会」のことを教えてもらったので、連絡を取ってみようかと思案している。
いずれにしても、近いうちに、拓魂公苑を訪れ、170柱の石柱をひとつづつ確認し、供養の祈りを捧げるつもりだ。
2026年04月23日
平和主義捨て、武器輸出解禁 死の商人に
政府は21日、武器輸出のルールを定めた「防衛装備移転三原則」と運用指針の改定を決定した。とメディアが伝えている。
4月21日の東京新聞(坂田奈央記者)のWEBによれば、輸出品を非殺傷の「5類型(救難、輸送、警戒、監視、掃海)」に限ってきた現行ルールを撤廃し、殺傷・破壊能力を持つ武器を含む全ての装備品の輸出を原則解禁。平和国家として厳しく規制してきた武器輸出政策を大きく転換した。
審査を厳格にするとし、戦闘機や護衛艦、ミサイルといった武器の輸出先は、国連憲章に適合した使用を義務付ける国際約束を日本と締結した国に限定(現在17カ国)。「武力紛争の一環として現に戦闘が行われている国」には原則、輸出は不可とした。一方で「わが国の安全保障上の必要性を考慮し特段の事情がある場合」は例外として輸出を容認するとした。
また、輸出先国での武器の状況を確認、調査するなど、管理体制の強化を盛り込んだ。三原則では、武器輸出を決定した後に国会に通知する規定を新設した。
3原則を改定し、「武器」輸出を解禁する高市政権の決定を喜ぶのは三菱重工を筆頭に我が国の軍需産業であり、米国であろう。
戦争を金儲けの機会として、兵器や軍需品を製造販売し、巨額の利益を得る組織や人物のことを死の商人と人々は呼んで軽蔑してきた。
子どもの頃、TVで西部劇を放送していたのを視聴してきた。
欧州からの移民である白人たちがインドだと思って新大陸に上陸し、原住民をインディアンと呼んで殺戮し、やがて、居留地に彼らを追い詰めた。
最新式の銃器で武装した白人は侵略者だったが、白人には抵抗するインディアンに武器を売る死の商人がいた。
何も悪くないインディアンを白人が殺戮する西部劇を何もわからずに視聴していた。
西部劇で一つだけ忘れないことは、殺戮されるインディアンが「白人2枚舌、インディアン嘘つかない」という名言を教えてくれたことである。
移民の侵略者の末裔トランプ大統領が何も悪くないイラン攻撃をしたのはエプスタイン文書に関わるイスラエルのネタニヤフ首相に脅されたからだという説がある。
2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻侵略したが、米国はロシア寄りの和平を押し付ける一方で、ウクライナの肩入れしているように見せかけ、せっせと武器を売りつけていた。
パレスチナの武装組織ハマスが2023年10月7日、イスラエルを攻撃し、人質をとったことから始まったイスラエル、パレスチナ戦争でもイスラエルの後ろ盾米国はイスラエルに武器を渡している。
武器を輸出することで、戦後80年超築いてきた平和国家日本が崩壊していく。
戦争でA級戦犯だった岸信介元首相が東京裁判で無罪放免とされ、その後、日米安保、日米地位協定をまとめたが、反日反社の旧統一教会と親密な関係があったとされていることか明らかとなっている。
その人を岳父とする安倍元首相が集団的自衛権の行使容認に踏み切った安保法制を成立させ、その後継者とされている高市首相が武器輸出を解禁したことは、この人たちが日本のためではなく、旧統一教会や米国のために働いてきたことを物語っている。
武器輸出の次はスパイ防止法、そして仕上げが緊急事態条項を盛り込んだ憲法の改定でいよいよ戦争に突入していく道を選んだのは、自民党と補完勢力に投票した有権者の選択である。
しかし、投票率を考えれば、それでも大多数の有権者の選択ではない。
まだ、間に合うはずだ。
自民党と補完勢力が日本をダメにすることに気づいてもらいたい。
4月21日の東京新聞(坂田奈央記者)のWEBによれば、輸出品を非殺傷の「5類型(救難、輸送、警戒、監視、掃海)」に限ってきた現行ルールを撤廃し、殺傷・破壊能力を持つ武器を含む全ての装備品の輸出を原則解禁。平和国家として厳しく規制してきた武器輸出政策を大きく転換した。
審査を厳格にするとし、戦闘機や護衛艦、ミサイルといった武器の輸出先は、国連憲章に適合した使用を義務付ける国際約束を日本と締結した国に限定(現在17カ国)。「武力紛争の一環として現に戦闘が行われている国」には原則、輸出は不可とした。一方で「わが国の安全保障上の必要性を考慮し特段の事情がある場合」は例外として輸出を容認するとした。
また、輸出先国での武器の状況を確認、調査するなど、管理体制の強化を盛り込んだ。三原則では、武器輸出を決定した後に国会に通知する規定を新設した。
3原則を改定し、「武器」輸出を解禁する高市政権の決定を喜ぶのは三菱重工を筆頭に我が国の軍需産業であり、米国であろう。
戦争を金儲けの機会として、兵器や軍需品を製造販売し、巨額の利益を得る組織や人物のことを死の商人と人々は呼んで軽蔑してきた。
子どもの頃、TVで西部劇を放送していたのを視聴してきた。
欧州からの移民である白人たちがインドだと思って新大陸に上陸し、原住民をインディアンと呼んで殺戮し、やがて、居留地に彼らを追い詰めた。
最新式の銃器で武装した白人は侵略者だったが、白人には抵抗するインディアンに武器を売る死の商人がいた。
何も悪くないインディアンを白人が殺戮する西部劇を何もわからずに視聴していた。
西部劇で一つだけ忘れないことは、殺戮されるインディアンが「白人2枚舌、インディアン嘘つかない」という名言を教えてくれたことである。
移民の侵略者の末裔トランプ大統領が何も悪くないイラン攻撃をしたのはエプスタイン文書に関わるイスラエルのネタニヤフ首相に脅されたからだという説がある。
2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻侵略したが、米国はロシア寄りの和平を押し付ける一方で、ウクライナの肩入れしているように見せかけ、せっせと武器を売りつけていた。
パレスチナの武装組織ハマスが2023年10月7日、イスラエルを攻撃し、人質をとったことから始まったイスラエル、パレスチナ戦争でもイスラエルの後ろ盾米国はイスラエルに武器を渡している。
武器を輸出することで、戦後80年超築いてきた平和国家日本が崩壊していく。
戦争でA級戦犯だった岸信介元首相が東京裁判で無罪放免とされ、その後、日米安保、日米地位協定をまとめたが、反日反社の旧統一教会と親密な関係があったとされていることか明らかとなっている。
その人を岳父とする安倍元首相が集団的自衛権の行使容認に踏み切った安保法制を成立させ、その後継者とされている高市首相が武器輸出を解禁したことは、この人たちが日本のためではなく、旧統一教会や米国のために働いてきたことを物語っている。
武器輸出の次はスパイ防止法、そして仕上げが緊急事態条項を盛り込んだ憲法の改定でいよいよ戦争に突入していく道を選んだのは、自民党と補完勢力に投票した有権者の選択である。
しかし、投票率を考えれば、それでも大多数の有権者の選択ではない。
まだ、間に合うはずだ。
自民党と補完勢力が日本をダメにすることに気づいてもらいたい。
2026年04月21日
中東の戦火 アジア太平洋戦争の慰霊にも影
「トレンド」という読売の4月18日のコラムに烏山忠志論説委員が「中東の戦火 慰霊にも影」という見出しで、米国とイスラエルのイラン攻撃が遠く日本におけるアジア太平洋戦争の慰霊に影響が出ていることを伝えている。
愛知県西尾市の三ヶ根山にある「比島観音」は先の大戦の激戦地フィリピンで命を落とした50万人以上の日本兵らを悼むため1972年建立された。
その時から半世紀以上続いていた供養祭が4月5日で最後となった。
参加者による「故郷」などの合唱を指揮したのは倉津幸代さん(埼玉県和光市)だった。
フィリピン事情に詳しく長年、生還者や遺族の現地訪問に同行し、世話をしてきた。
来週から遺族とルソン島に行く予定だが、中東の戦火は戦没者の慰霊にも影を落としている。
フィリピンが日本と同じく原油の多くを中東に頼ってきたからだ。
ガソリン価格は2倍と聞かされた。多くの日本人が追い詰められた北部の山岳地帯も訪れる予定だが、移動手段はバスのため、旅費などの情報収集に追われているという。
国が行う遺骨収集事業や慰霊巡拝への影響も懸念される。
中東での事態を長引かせてはならない。
三ヶ根山を訪れたのは2014年8月のことだった。
目的は、千島列島の占守島で8月22日未明から侵攻してきたソ連軍に対し、武装解除せず、缶詰工場の女工たちを守るため敢然とソ連軍と戦ってくれた戦車11聯隊の皆さんの慰霊碑が三ヶ根山にあるということを知ったこと。
満州と朝鮮半島の国境の町安東で侵攻してきたソ連軍から日本人女性や日本軍の兵士を守るため、ソ連兵の接待所を設け、祖国日本に貢献するも、ソ連軍が去った後、中国共産党八路軍に捕らわれ、銃殺された「お町さん」の慰霊碑がやはり、三ヶ根山にあるということを知ったことで、両者の供養のために訪れた。
この頃、母親の介護が始まり、デイサービスでお世話になっていたことから新幹線で日帰りという強行軍であった。
新幹線で名古屋、豊橋、タクシーで三ヶ根山に向かったのだが、昔は賑やかだった時代もあったらしいが、途中廃墟の建物が目に付くほど寂しい所で、山頂には多数の慰霊碑と寺があり、昼でも、怖いくらいの場所だった。
目的が上述の慰霊碑だったが、「比島観音」は目立つからすぐにわかった。当時は、50万人以上もの日本兵が命を落としたことは詳しくは知らなかったことと、お参りする間、タクシーに待っていてもらったので、観音様にはお参りする時間の余裕がなかった。
タクシーの運転手さんが待っていてくれなければ、怖ろしくて、ゆっくりできるような場所ではなかった。
愛知はアベックが不良たちによって凌辱され、虐殺された土地だということが頭にあったからだと思う。大勢で訪れるならまだしも、昼間だったからよかったが、とにかく長居する雰囲気ではなかったことが印象に残っている。
米国の独裁者トランプ大統領はロシアのプーチン大統領ともども悪の権化みたいで、イスラエルと一緒になってイランを攻撃しなければ、中東からの原油がホルムズ海峡を通って日本に運べたわけで本当に嫌な奴である。
そのトランプ大統領に尻尾を振る日本の高市政権を支持する人たちの愚かさが日本を亡ぼすような気がしているのは自分だけではないだろう。
戦没者の慰霊祭、供養祭ができなくなるにつれ、「スパイ防止法」緊急事態条項を盛り込んだ憲法の改定と言論の自由を弾圧し、戦争への道をどんどん進む自民党高市政権に対し、遺族たちは何としても戦争はダメだと発信してもらいたい。
愛知県西尾市の三ヶ根山にある「比島観音」は先の大戦の激戦地フィリピンで命を落とした50万人以上の日本兵らを悼むため1972年建立された。
その時から半世紀以上続いていた供養祭が4月5日で最後となった。
参加者による「故郷」などの合唱を指揮したのは倉津幸代さん(埼玉県和光市)だった。
フィリピン事情に詳しく長年、生還者や遺族の現地訪問に同行し、世話をしてきた。
来週から遺族とルソン島に行く予定だが、中東の戦火は戦没者の慰霊にも影を落としている。
フィリピンが日本と同じく原油の多くを中東に頼ってきたからだ。
ガソリン価格は2倍と聞かされた。多くの日本人が追い詰められた北部の山岳地帯も訪れる予定だが、移動手段はバスのため、旅費などの情報収集に追われているという。
国が行う遺骨収集事業や慰霊巡拝への影響も懸念される。
中東での事態を長引かせてはならない。
三ヶ根山を訪れたのは2014年8月のことだった。
目的は、千島列島の占守島で8月22日未明から侵攻してきたソ連軍に対し、武装解除せず、缶詰工場の女工たちを守るため敢然とソ連軍と戦ってくれた戦車11聯隊の皆さんの慰霊碑が三ヶ根山にあるということを知ったこと。
満州と朝鮮半島の国境の町安東で侵攻してきたソ連軍から日本人女性や日本軍の兵士を守るため、ソ連兵の接待所を設け、祖国日本に貢献するも、ソ連軍が去った後、中国共産党八路軍に捕らわれ、銃殺された「お町さん」の慰霊碑がやはり、三ヶ根山にあるということを知ったことで、両者の供養のために訪れた。
この頃、母親の介護が始まり、デイサービスでお世話になっていたことから新幹線で日帰りという強行軍であった。
新幹線で名古屋、豊橋、タクシーで三ヶ根山に向かったのだが、昔は賑やかだった時代もあったらしいが、途中廃墟の建物が目に付くほど寂しい所で、山頂には多数の慰霊碑と寺があり、昼でも、怖いくらいの場所だった。
目的が上述の慰霊碑だったが、「比島観音」は目立つからすぐにわかった。当時は、50万人以上もの日本兵が命を落としたことは詳しくは知らなかったことと、お参りする間、タクシーに待っていてもらったので、観音様にはお参りする時間の余裕がなかった。
タクシーの運転手さんが待っていてくれなければ、怖ろしくて、ゆっくりできるような場所ではなかった。
愛知はアベックが不良たちによって凌辱され、虐殺された土地だということが頭にあったからだと思う。大勢で訪れるならまだしも、昼間だったからよかったが、とにかく長居する雰囲気ではなかったことが印象に残っている。
米国の独裁者トランプ大統領はロシアのプーチン大統領ともども悪の権化みたいで、イスラエルと一緒になってイランを攻撃しなければ、中東からの原油がホルムズ海峡を通って日本に運べたわけで本当に嫌な奴である。
そのトランプ大統領に尻尾を振る日本の高市政権を支持する人たちの愚かさが日本を亡ぼすような気がしているのは自分だけではないだろう。
戦没者の慰霊祭、供養祭ができなくなるにつれ、「スパイ防止法」緊急事態条項を盛り込んだ憲法の改定と言論の自由を弾圧し、戦争への道をどんどん進む自民党高市政権に対し、遺族たちは何としても戦争はダメだと発信してもらいたい。