2025年10月11日

乳児・妊婦救う手応え 墨田の赤ちゃんポスト

 東京都墨田区の賛育会病院が、親が育てられない子どもを預かる「ベビーバスケット」(赤ちゃんポスト)と、病院関係者にのみ身元を明かす「内密出産」の受け入れを始めてから半年がたった。

 賀藤均院長(68)は読売新聞のインタビューで、ベビーバスケットは2〜3週間に1人程度を受け入れていることを明かした。一方、内密出産については「個人情報の管理が病院任せになっている」と、法制化の必要性を訴えた。と10月6日の夕刊、同月7日の朝刊で(五十川由夏、江原桂都記者)が伝えている。

 同病院は3月31日、慈恵病院(熊本市)に続いて医療機関では全国2か所目の施設として、ベビーバスケット(正式名称「いのちのバスケット」)と内密出産の運用を始めた。

 病院に赤ちゃんが預けられると警察が事件性の有無を確認した上で、都江東児童相談所が一時保護し、施設などへ入所させる。また、地元の墨田区が戸籍作成などの手続きを進める。

 政府は2022年に内密出産についての通知を出し、子どもの「出自を知る権利」に配慮し、医療機関が内密出産した母親の氏名や住所などの身元情報を「永年保存」することなどを求めた。病院側も通知に沿って対応しているが、賀藤院長は「安全に出産できるようにするのが病院の仕事。情報管理は公的機関がやるべきだ」などと指摘し、内密出産を法的に位置づけるべきだと訴えた。


 揺さぶられっ子症候群(SBS)の嫌疑で逮捕されるも、無実を訴える人たちの力になった弁護人、弁護士かつ記者たちが冤罪を晴らす活動を紹介したドキュメンタリー『揺さぶられる正義』を昨10月10日、観てきたばかりで、子育ての大変さを知り、子育てを支援で頑張っている東京墨田の賛育会病院の赤ちゃんポストが開設されてから、半年経ったその間の状況が分かったので書いておく。

 弁護士ドットコムのWEBで、赤ちゃんポストに預けようとしたが熊本までの交通費がなくて、赤子を殺めてしまった西日本在住だった女性の悔恨の手紙を見つけた。
 父親である生物学的男には責任がないのか。とこれまで、父親厳罰論を主張してきた自分の考えに近いことも書いてあった。

 熊本の慈恵病院の赤ちゃんポストのことを何回となく取り上げてきた原点はやはり戦争である。

 語り継ぐ戦争で、1945年8月9日未明、満州(現中国東北部)や朝鮮半島で暮らしていた満蒙開拓団などの女性たちが侵攻してきたソ連軍の兵士から、滅茶苦茶に性的暴行され、生憎妊娠したり、梅毒に感染させられた女性が、博多や佐世保に引き揚げてから、二日市の保養所などで妊娠中絶手術を受けたことが激しく心を揺さぶった。
 二日市の施設跡に母子地蔵の祠があり、水子とその母親のあまりにも哀しい生に手を合わせながら落涙してしまった。
 ソ連兵に性暴力されて妊娠した子どもを産むわけにいかないことは理解しつつも、子どもに罪があるでなしということである。

 亭主がありながら、たった一度の過ちで妊娠してしまい、亭主からは離婚されるも、社会的な支援を受け、子ども産み、育てていた女性と関わったことがあって、こういう形で子育てがあることも知った。

 熊本は自分にとって水俣病の犠牲者の慰霊碑にお参りした水俣の街があるところで、ハンセン病の国立療養所菊池恵楓園がある街もあるが、赤ちゃんポストというこれまで誰もがなしえなかったことを実現したことで、親しみを覚えていた。

 アジア太平洋戦争では、赤子には受難ばかりで、沖縄戦などで、ガマに隠れていて、赤子が泣くと、米軍に居場所が分かってしまうからと日本兵に黙らせろと殺害を命じられた。
 満州ではソ連兵や中国人暴徒から逃げ惑う開拓民などは、食べるものがなくなると、赤子が一番先に犠牲となった。

 語り継ぐ戦争でいろいろ学習すると、せっかく生まれた赤子は親が育てられなければ、社会が育てればいいという結論になっていく。
 赤子の命を守るということで、赤ちゃんポストは先進的な取り組みで高く評価してきた。

 それにつけても、熊本では首都圏からみて、遠すぎるので、なんとしても東京にも必要だと訴えてきたので、隅田にできて大いに心強く思っていた。

 父親の責任は厳しく追及されるべきだが、とりあえずは母親を殺人者にさせない。赤子の命を守るということで、次の赤ちゃんポストができることを期待したい。 
posted by 遥か at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て支援

2025年10月07日

乳児院 実親支援、里親探しと多機能化

 「乳児院『養育』の先へ」「実親支援 虐待と予防」「里親探し 児相と協働」「役割拡大で体制強化方針」という見出しで9月29日の読売(増田知基、田中大稀記者)が乳児院が多機能化していると伝えている。

 紙面の解説によれば、児童福祉法に基づき、新生児から小学校入学前までの子どもを一時保護したり、中長期的に養育したりする。入所理由は半分近くが虐待だが、家族の病気や経済的に困難などもある。
 退所後は3割が家庭に戻る一方、3割が里親らに引き取られ、残りは児童養護施設などに移る。
 こども家庭庁によると、2024年3月末現在、全国147施設に2316人が入所している。

 紙面で紹介されていたのは東京は町田市の「愛恵会乳児院」で、一見保育園のようだが、幼児一人に二人の職員がついていて、ゆったりした印象である。
 町田市といえば、自分と同世代の女性が自棄になった40代の男に襲われて殺害されたニュースが流れた街だ。
 仕事や冠婚葬祭、病気などで一時的に養育できなくなった子どもを預かる市の「ショートステイ」事業の様子が伝えらている。
 対象は生後3か月から2歳未満で原則有料だが、連続7泊まで利用できる。「育児疲れ」という理由で預けることも可能だ。
 乳児院は戦災孤児や栄養・衛生に問題がある子どもを養育するため、1947年の児童福祉法制定を機に全国に設置された。
 児童虐待の増加で乳児に対応できない児相が乳児院に一時保護を委託するケースが増えている。


 語り継ぐ戦争をメインに書いているので、満州(現中国東北部)で、1945年8月9日未明、ソ連軍が侵攻してきて、満蒙開拓団など日本人女性が性的暴行されたり、梅毒を罹患させられたりした。
 博多や佐世保を筆頭に引き揚げてきたとき、性暴力で妊娠してしまった女性の中絶手術をしたことを知り、性暴力と妊娠の問題に関心を持つようになっていく。
 戦災で親を亡くした孤児たちのことも、『火垂るの墓』などで関心を寄せるようになったばかりか、戦争が終わってからも、米兵による性暴力や、交際で生まれたGIベビーのことも気になるようになった。

 戦後70年の頃から、子どもを育てられない女性のための熊本の赤ちゃんポストのことも取り上げる回数が増えた。
 次いで、里親愛知方式など里親のことも取り上げるようになっていくが、児童養護施設のことは取り上げても、乳児院のことは取り上げた記憶が明瞭ではないので、取り上げたことがなかったかもしれない。

 保育園でトラブルを起こし、子どもを預かっている佐賀の乳児院に母親がやってきて、職員を殺意を持っていたと推察する切りつけ事件が起きて、職員が殺害されたことから乳児院のことも取り上げるつもりになっていた。

 子どもを引き離された虐待親が児相の職員とトラブルになるケースが多いので、警察との連携が課題となっている中で、乳児院には、防犯体制ができていなかったのだろうか。

 2010年のフランスと韓国の合作映画『冬の小鳥』は、韓国の孤児院にいた少女がフランスに養子縁組で渡ったことで、人生が切り開かれるという監督の自伝的な作品だった。

 2022年の是枝裕和監督『ベイビーブローカー』は韓国の赤ちゃんポストを描いた養子斡旋ブローカーの話だった。

 こうしてみると、親子を中心とした家族関係の難しさ、子育ての大変さが浮き彫りになってくる。
 さらに、近年はストーカー殺人のような、ろくでもない男と一度関係を持ったが最後、別れ話になると女性は必ず殺されてしまう。
 殺される前に、女性は勇気を振り絞って相手を始末するとしたら、正当防衛が成立する可能性があると以前書いたことがあるが、警察が守ってくれない以上、黙って殺されることはないはずだ。

 話を戻す。
 乳児院、所謂孤児院、児童養護施設の重要性が少子化で増している。
 養子縁組、里親の重要性も同様である。
 子育てできない女性の子どもは乳児院や児童養護施設で面倒を見ることを社会の価値観としていくことが求められている。 
posted by 遥か at 12:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て支援