2019年05月24日

子どもの貧困に必要な対策

 子どもの貧困対策法に基づき具体的な支援策を盛り込んだ「子どもの貧困対策に関する大綱」の見直しを政府が進めているということで、5月8日の読売が新大綱で必要な取り組みについて3人の専門家に聞いている。

 長崎大学小西祐馬准教授が「乳幼児期の支援手厚く」、大妻大学林明子講師が「家事負担軽減考えて」、アフターケア相談所「ゆずりは」高橋亜美所長が「社会に出ても見守りを」という見出しでそれぞれの立場から意見を述べていた。

 「貧困家庭で育ったのは本人の責任ではないが、その影響は大人になっても続き、生きることを困難にしている。そのような人たちの痛みに共感し、『辛いときは人に頼ってもいい』という感覚が育まれるように伴走することが、同じ社会に生きる一員としての役割だと思う」という高橋亜美さんの結びの言葉に「そうだよな」と頷く。
 
 そして、結論的には「長期的には、国が集めた税金や社会保険料を子どもがいる世帯により手厚く配分する「再配分機能」を強化することが貧困家庭で育つ子どもの支援に欠かせない」と結ぶ、小西さんの言葉に尽きると理解する。


 公明党が自民党に教育費の無償化を働きかけ、いずれ実現することになるだろうが、子どもの貧困問題が大きな社会問題となり、満足に食べられない貧困家庭の子どもに食べさせようと心ある人が立ち上がり、子ども食堂を運営し、子どもたちが食べられるようにしている。

 コンビニなどでの食品の廃棄ロス問題を取り上げたとき、賞味期限切れになりそうな食品を路上生活者や子ども食堂などに提供すれば、問題解決の一助になるはずだと書いた。

 コンビニには人手がないから、活動を支えているヴォランティアが取りに行けばいいのだが、捨ててしまうくらいなら、ゴミを減量することにもつながるから一石二鳥だとも。

 犯罪被害者支援をしてきて、刑事政策とか犯罪学を勉強すると、犯罪者というものは、はじめは親からのDNAだという説に始まり、次いで、育った環境の影響だということになり、さらに、その両方だという研究者の指摘があったことを知ることができた。

 さらに、一番大事なのは「親の愛があるかないかであり、親の愛がある家庭では、例え母子、父子家庭であれ、子どもが犯罪者になることは少ないと教えてくれたのは、日本で一番大きなその筋の団体の顧問弁護士を務めていた山之内弁護士だった。(現在も弁護士かどうかわからない)

 ということで、子どもの貧困問題にきちんと向き合い、痛みを共感できるような感覚を持てるかどうか、問われるとベンツなどのドイツ製高級車やレクサスなどの日本製の高級車に乗っている人たちが結構多い日本の社会では、貧富の差が大きく二極化していることを改めて痛感させられる。

 やはり、富の再配分の仕方がまだ、十分ではないのだ。
posted by 遥か at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 貧困問題

2019年05月20日

食品 廃棄ロス対策広がる

 まだ食べられるのに捨てられてしまうというおかしなことがまかり通る食品の廃棄問題。ロスを減らそうと、コンビニ各社が取り組みを始める。

 定価販売へのこだわりを緩め、消費期限が迫った弁当やおにぎりを実質的に値引く。ロスの削減は世界的な課題かつ、食料自給率が低い日本では深刻な問題だとメデイアが伝える。

 5月17日の読売によれば、セブンが今秋からポイント還元による値引き販売を実施すると明らかにし、ローソンも値引きをポイントで還元すると発表した。

 農林水産省によれば、2016年度の国内食品ロスの推計量は約640万dだった。家庭以外は約350万dで、このうちスーパーやコンビニなどの小売業からは約70万dに達する。


 食品の廃棄ロスは、貧困問題と一緒に考える必要がある。

 まだ食べられるにもかかわらず、大量の食品が廃棄されてしまう、一方で、貧しき民はその日の食事にも事欠く有り様という社会はどこかおかしくないか。

 特に、子どもの貧困問題に対し、立ち上がった心ある人たちが子ども食堂を運営し、満足に食べられない子どもたちに救いの手を差し伸べているが、ここでも廃棄ロスとなる食品は役立つ。廃棄ロス食品の使い途はいくらでもある。

 わが家では、食品の廃棄はほとんどないが、調理で出た生ごみはすべて、畑に埋め、土壌改良に役立ててきた。
 ついでに書くなら、畑で収穫する野菜はできるだけ無駄にしないように親族、友人、知人に食べてもらっている。

 東京山谷、大阪西成、横浜寿町、川崎日進町など日雇い労働者が住む簡易宿泊所があるところでは、心ある人たちによって、炊き出しが行われていたり、行われることがあるが、廃棄ロスになる食品はここでも活用できるし、確か、大阪あいりん地区では消費期限の迫った食品で低価格の食堂が営まれていると耳にしたことがある。

 賞味期限や消費期限が迫っている食品を値引きするのは当たり前のことで、廃棄ロスとなる食品を有効活用するのは企業としての最低限の社会的使命ではないか。

 派遣労働が認められ、非正規雇用が増える社会にしてきたツケが回り、その上で、一握りの金持ちに増税せず、貧しき者たちにもろに影響する消費増税を企む安倍自公政府のせいで、貧富の差がどうにもならないところまで来ている日本。

 廃棄ロス食品を有効に活用すれば、貧しき人たちだって、食べることだけはできるはずだ。

 コンビニの値引きだけが食品の廃棄ロス対策ではなく、生ごみを減らすためにも廃棄せず、有効に活用するためには、法律を変え、税制上の優遇措置、社会貢献で勲章をやるとか、いろいろな対策が考えられる。

 行政がもっと、真剣に考えていかなければならぬ。
posted by 遥か at 08:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 貧困問題

2019年01月31日

貧困対策法施行5年「貧困の連鎖」を断ち切るために

 子どもの貧困対策法施行5年ということで、1月28日の読売が社会保障の紙面で、「貧困の連鎖」を断ち切るために必要な取り組みは進んでいるのだろうか。と取材した内容を伝えている。

 読売によれば、貧困な家庭環境で育つ子どもが問題化したのを受け、2014年1月に施行された子どもの貧困対策法。
 国などに貧困対策の策定と実施を義務付けている。同法に基づき、14年8月には教育や生活、経済面への支援策を具体的に盛り込んだ大綱が閣議決定された。

 国は困窮者の自立を後押しするため15年に施行した生活困窮者自立支援法の基づき、貧困家庭の子どもの勉強を支援する団体の事業費を補助している。

「救え 貧しさが奪う自尊心」という見出しで、対策法が施行されて、子どもの貧困率はやや改善されたとはいえ、先進国の中では依然として高く、深刻な水準にある子どもの貧困に関し、取り上げられている子ども食堂などで支援に取り組む人たちの存在は心強い。

 紙面で紹介されているNPO法人「NGO未来の子どもネットワーク」が茨城県竜ケ崎市で開いている子ども食堂で、同法人代表の笠井広子さんは裁縫セットの費用を納める日に学校を休み、裁縫セットを使う日も休む子どもがいる。嘘を積み重ねるうちに「自尊心や自己肯定感が下がり、投げやりになってしまう」と心配する。

 笠井さんは、夕食だけでなく、学校の健康診断の前には靴下、修学旅行の前には下着も用意する。子どもの気持ちが落ち着いたら、別の日に開いている無料学習塾に通ってもらう。
 「心が安定してから、やっと勉強や将来のことを考える余裕ができるのではないか」と、まず、子どもの生活と心の安定が重要だと訴える。


 子どもは親を選べないし、当然、生まれ育った家庭環境、境遇に大きく影響される。
 このことは子どもの責任ではないので、貧困家庭の子どもが心ある人たちの支援で腹一杯食べられるということにまず、安堵する。

 読書家とは程遠いが、そこそこ本が好きで、山本周五郎、池波正太郎、藤沢周平、北原亞以子そして乙川優三郎と好きな作家の名前を並べてみた。

 その乙川優三郎に『安穏河原』があり、『生きる』という作品集の中の短編で、この作家の一番好きな作品である。

 時代小説で、武士が藩を辞め、浪々の身となり、貧しさから娘を身売りさせる話である。
 身売りさせた娘の様子を知るため、武士は、知り合った男に廓で春を鬻ぐ娘を買うカネを渡すのだ。

 やがて、男は商売がうまくいき、通りがかった団子屋の店先で団子を食い入るように見つめている少女の顔を見て愕然とする。少女はあの時、武士に頼まれ、会いに行ったあの時の女に瓜二つだった。

 男は団子を買い求め、少女に食べさせようとするのだが、、少女はひもじくて団子が食べたいにもかかわらず、何と「お腹いっぱい」というのだ。
 武家の娘として厳しく育てられた母親そのままにわけもなく施しを受けないという矜持をみせるのである。

 この光景を思い出すだけで、涙、涙、涙である。

 貧しさが奪う自尊心ということで、矜持ということで書いたが、自尊心というのは、誇りというか、これはかなり大事なことで、自尊心をなくせば、ただ生きていくだけなら楽になるが、これを奪われると支えがなくなり、真面目に生きていくのはつらいことだろうと推察する。

 貧困問題といえば、一方で、カルロス・ゴーンのような人間が一人で10億、20億の年収を得て、しかも税金をきちんと納めるのが嫌で、フランスから税法上の住所地を外国に移していたと報じられている。

 高額所得者がそれなりの所得に応じた税金を納めるのはごく当たり前のことで、このことを求めていくことを市民はないがしろにしてはならない。
 税金は富の再分配で、寄付とは異なる。

 政治家がきちんとその所得に見合った仕事をしていれば、こんなにも貧富の格差が広がることはないはずだ。

 心ある人たちと政治の力を結集して、貧困問題を少しでも解消していく取り組みが求められている。
posted by 遥か at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 貧困問題