2020年10月10日

『日本女性哀史』

 金一勉『日本女性哀史 遊女、女郎、からゆき 慰安婦の系譜』(現代史出版会 徳間書店)を読んだので書いておく。

 書かれたのが今から40年前、手に入れたのもその頃だから、なぜ、今頃ということになるが、お迎えが来る前に何とか断捨離というか、部屋の片づけをしてほしいという家族の強い要請と自分の財産となっている多数の書籍のうち、少しでも処分しなければという気持ちで書庫に入った。
 
 すぐに、この本の背表紙に目が留まり、そういえば、もう一度遊女、女郎のことを調べておこうという気持ちになってしまい、買い求めてからきちんと読んでいなかったこの本を読んでみたというわけ。

 著者はこの本を上梓する前、3年間費やして、地元の図書館の関係資料を当たり、書いたそうな。
 買い求めた当時、人身売買に反対することに目覚め、関係書籍を手に入れられるだけ集めたことがあったので、参考資料として巻末に挙げられている書籍の半分くらいは持っているが、全く知らなかった本のことが分かったことも大いなる収穫だった。

 さて、タイトルを見れば一目瞭然であるが、我が国の性奴隷所謂公娼制度が徳川時代にできて、明治維新で文明開化と叫ばれても、公娼制度で人身売買かつ誘拐された女たちが楼主から搾取され、死ぬまで酷使され続けたことは変わらず、米国との戦争に敗れ、戦後、10数年たってようやく、売春防止法が成立し、公娼制度が廃止され、性奴隷が解放されることになった。
 性奴隷の歴史を系譜としたものが本書である。

 古今東西書かれた参考資料を基に、その史実を系譜にまとめた労作で、売春の歴史を勉強するには大いに参考になる本で、今思えば、早期退職後、学んだ大学の通教の卒論のテーマに選択すべきだったかなと悔やむ。

 本書を読んで、市井に生きる人間としてはかなり、この世界のことに詳しいはずの自分が打ちのめされることになったのは性奴隷にされた人のあまりにも酷い人生で、詳しく知っていたにもかかわらず、冥気持ちになって落ち込んでしまった。

 一番大きなダメージは、公娼制度を維持してきたのが徳川幕府、明治政府、大正、昭和という時代の権力者であり、守ってきたのが警察権力だということを改めて、突き付けられたからである。

 しかも、明治以降は海外進出を企図した政府に合わせるかのようにからゆきと称して、進出した植民地でもどんどん遊廓がつくられ、売買された女、騙され誘拐同然の女たちが海外に送られた。

 つまり、今の日本は公娼制度で痛めつけられた性奴隷の人たちの屍の上にあるといっても過言ではないと痛感させられたからでもある。

 語り継ぐ戦争で自分が訴えてきた一つのテーマである戦争と性被害に関していえば、我が国の公娼制度が日本軍の従軍慰安婦をつくり、従軍慰安婦がいないソ連軍兵士によるドイツ人女性や満州における日本人女性に対する性暴力になったことである。

 従軍慰安婦といえば、当然、朝鮮半島の女性を女衒と呼ばれる人買いが騙して連れ出し、無理やり、性奴隷にしたことも、今日に続く問題となっていく。

 性奴隷問題で切っても切れない関係にあるのが貧困問題である。
 徳川時代は無論のこと、厳しい年貢の取り立てで、百姓はただでさえ、自分で作ったコメを食せず、地主から土地を借りている小作人ということで、ひとたび冷害となれば、たちまち飢餓地獄となってしまった。
 
 明治維新になっても、地主、小作という関係が続き、貧しい百姓は常に口減らし、娘を買い求める女衒からのお為ごかしに娘を手放すかどうかで心が揺り動かされていた。

 貧困問題は戦後75年の2020年、中国は湖北省武漢発の新型コロナウイルス感染大爆発による感染拡大で職を失った女性たちがとりあえず、すぐに金を稼げるところといえば、風俗しかない現実を考えれば、時代は変わっても女性たちの置かれている状況はちっともかわっていないのである。

 売春に対して、昔は正業という言葉が使われたが、生活が立ち行かなくなった女性が働く場所が所謂正業にありつけないことがおかしいのであって、女性が自立できる仕事というものをもう一度社会が見直していくことが必要ではないか。

 公娼制度が楼主による性奴隷を生み、長く、公娼制度の維持によって、人身売買が国家権力によって続いてきた歴史を明らかにした本書は、歴史の勉強のテキストになる大いに役立つ1冊である。

 社会科の勉強として、ぜひ、一読をお薦めしたい。 
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2020年05月13日

新型コロナ 困窮するひとり親

 新型コロナウイルスの感染拡大で、ひとり親世帯の多くが深刻な生活苦に直面している。と5月10日の読売が社会面で伝えている。
 「ひとり親『暮らせない』」、「無収入2か月 1日1食」という見出しで伝える紙面で紹介されていたのは、九州最大の繁華街、福岡市・中洲のキャバクラ店に勤務していた女性(38)。
 
 市内の公営住宅で長女(5)と2人暮らし。2019年離婚し、夜間保育園に長女を預けながら月20万円弱の給料でやりくりしてきたが、3月中旬、店側から「客が来ないので店を閉める。明日から来なくていい」といわれ、突然無収入になった。
 所持金が底をつき、「ママ、おなかすいた」とせがまれても、1日に1、2食で我慢してもらう日もある。
 家賃を滞納し、4月末に水道を止められ、入浴は友人宅や折り合いの悪い母親宅まで足を運ぶ。
 

 コンパニオンをしている女性が新型コロナウイルスの感染拡大で歓送迎会などでの仕事がなくなり、途方に暮れていると5月12日、NHKが朝のTVで伝えていた。
 新型コロナウイルスの感染拡大という事態はサービス業に生きる人たちの仕事を奪う。

 性を生業の対象としているフーゾク産業などは誰が考えても濃厚接触ということになるだろうから、働く女性たちは今、大変なことになっているのではないか。

 語り継ぐ戦争で、戦没者慰霊の旅をしてきたが、一緒に遊女、女郎と呼ばれし女性たちの供養もしてきたので、所謂性産業で働く女性に対してはふつうの人より応援する気持ちが強い。

 語り継ぐ戦争で、過去一番に訴えてきたのは、戦争では必ず、弱者、女性、子ども、年寄りが犠牲となるということ。
 しかも、先の大戦で満州(中国東北部)に渡った女性は、敗色濃厚となってから、ソ連兵や暴民となった中国人や朝鮮人に性的暴行され、梅毒などの性病に罹患し、生憎妊娠してしまった人も少ない。
 
 戦争と同じように新型コロナウイルスの感染拡大となれば、弱者である女性の生活が立ち行かなくなる。

 特に、離婚したのはそれぞれの事情があるにしても、養育料をきちんと払ってもらえればまだしも、養育料がもらえない女性、しかも、手に職のない女性が手っ取り早くカネを稼ぐとなれば所謂水商売、フーゾクくらいしか仕事がない。

 シングルマザーは何も皆が水商売で働いているわけではなく、派遣社員として頑張っている人だって少なくないが、新型コロナウイルスの感染拡大で仕事が減り、あるいは派遣切りされてしまった人もいるし自宅待機、学校を滅茶苦茶に休みにしてしまったから、光熱水費、食費が増えている家庭も少なくない。
 
 何としてでも扶養手当を緊急に増額するとか、行政が一時的に臨時職員として雇うとか、窓口に行けば、フードバンクを紹介するとか救済の手だてを考える必要がある。

 ふだん、社会の底辺でギリギリに生きている人たちは選挙に行かない。

 世の中を変えるには、次の選挙には必ず行き、自分たちを苦しめている政治を続けてきた安倍政権にノーを突きつけるしかない。
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2020年02月22日

『パラサイト 半地下の家族』

 月に一度の映画館行き、2月は第72回カンヌ映画祭でパルムドール、第92回アカデミー賞で作品賞を受賞した話題の韓国映画『パラサイト 半地下の家族』を観てきた。

 映画を観る前にあらすじを知ってしまうと興趣を削がれるので、事前に知っていたことを記すと、貧困にあえぐ韓国の半地下で生活する家族。
 たまたま、この家の息子が友人から丘の上の富裕層の家の娘の家庭教師を紹介されたことから物語が始まるということだけ知って映画を観始めた。
 当然、未だ観ていない人のために、ネタバレのような馬鹿な真似はしないが、映画を観た感想は、自分と肌が合わない映画で後味もよくなくて決して面白い映画ではなかった。
 
 一番嫌だったのは、半地下の暮らしぶりで、トイレが家の一番高い所にカーテンもなく、便器が鎮座していたことで、反日政府の下、隣国で貧しい家庭の暮らしぶりの酷さに目を塞ぎたいほどだった。
 
 毎年、数ある映画作品の中から、月に一度映画館で観る映画を選ぶ基準は「人が生きる」、「家族」などをテーマにした作品を選ぶことが少なくない。

 家族といえば、直近では、ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』、少し前では是枝裕和監督の『万引き家族』を観ている。
 描かれているのは共に格差社会の英国、日本で暮らす家族であるが、『万引き家族』と『パラサイト 半地下の家族』は窃盗とパラサイト(寄生虫)になるとき、詐欺罪等にあたる犯罪に関わっているから、犯罪被害者支援を訴えてきた立場からみれば、感心しない。

 『家族を想うとき』は、フランチャイズの宅配会社で働く父親と、介護ヘルパーで身を粉にして働く母親の話だから、断然、こちらの映画こそ、格差社会についての問題提起、労働の在り方について考えさせれくれ、自分の肌合いにぴったりの映画で高く評価している。

 ただし、『万引き家族』、『家族を想うとき』、そして『パラサイト 半地下の家族』3作品に共通しているのはいずれも母親が素晴らしいことで、この映画でも元ハンマー投げの選手だった母はあくまでもたくましい。
 母親といえば、その昔上映され、リバイバルやTV放送で何回となく観てきた1956年製作のピエトロ・ジェルミ監督のイタリア映画『鉄道員』においても、妻であり、母であるサラ・アンドレを演じた ルイザ・デラ・ノーチェが素晴らしくて、映画を懐かしく思い出す度、この母のことを思い出す。

 映画は誰が何といっても、自分で観なければ話にならないので、他人の評価などで作品に先入観を持ってはいけない。

 家族をテーマにした映画を観て悟ったのは、家族で一番大事なのは母親だとつくづく思った。

 酒を呑んでは家族に暴力を振るったりする男は昔からいたが、その家族にいた母親は父親の暴力を受けながらも、身を挺して子どもを守ってくれたことが少なくない。

 敗戦後、米国が押し付けてきた教育で育った女性は、子どもを自ら虐待することは少ないかもしれないが、実父、継父に関わらず、虐待から命を懸けて子どもを守ろうとはしないような気がする。

 映画を観ての感想は人それぞれで映画評論家と同じ感想なら、書く必要もないので、この作品で一番インパクトがあった元ハンマー投げの選手だった母親、立場を入れ替え、自分の連れ合いだったら嬉しいが怖くもある。

 最近、youtubeで吉幾三が、自分の大好きな島津亜矢と一緒に歌う『かあさんへ』を始終聴いているため、母親のことを考える機会が多かったからか、映画でもつい、家族の重しであるのは父親ではなく、母親だと客席からスクリーンを眺めていることが多いからだろうか。
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2019年12月25日

台風 多摩川に消えた命

 年の瀬だから、読売の「木枯らし 2019」に記事が身に沁みる。
 12月20日の連載のその5は列島に甚大な被害をもたらした台風19号。一連の大雨で死者は全国で99人に上ったが、東京で唯一の死者としてカウントされたのは東京日野市の多摩川河川敷で15年暮らしていたホームレスの自称「音無」さん。白く長いひげが特徴で、その風貌と醸し出す知的な雰囲気からから「仙人」と呼ばれていたそうな。

 10月12日の台風上陸から2日後、中洲の樹木に引っかかった状態で、遺体となってみつかった。

 国土交通省京浜河川事務所によれば、多摩川の河川敷で暮らすホームレスは8月時点で357人が確認されている。
 河川事務所は台風が近づいていた10月8日から11日にかけ避難を呼びかけるチラシを配布したらしい。

 
 年の瀬になると、行く年を振り返ってしまうことが恒例みたいになっているが、団塊の世代としては、自分のお迎えを意識するようになってから、さらに年を越せなかった人に対して目が向くようになっていく。

 河川敷のホームレスについては、以前も書いたことがあるが、年末、河川敷を訪れ、話を聴いたことがあるが、一様にプライバシーに関してのガードが固く、世間話に終始した。

 仕事ではあったが、アパートの部屋で死に、見つかるまで時間がかかり、体液が床板にまでしみ込んだ部屋を訪れたときと同じように自分の人生における深く考えさせられる出来事となった。

 確かに、人間は死ぬときは一人で死ぬことになる。
 近所で周囲から嫌われていた男が死んだときは、夜、救急車の次に警察が、そして検視の臨場があった。

 河川敷で暮らす人は、生活保護を受けたくない、事情を抱えている人が少なくなく、「仙人」も身元を明かさなかったらしいから、身元が明らかになっては困る事情を抱えていたのであろう。

 思春期になり、16歳になったばかりで、突然病死した父親の骨を拾い、橋渡しをしてから、人は何のために生きるのかなどと考えることが多くなった。

 今でも、よく考えるが、ホームレスが河川敷で暮らし、最期が台風で中洲の樹木に遺体が引っかかっていたというのは、流されてしまえば、もう探すこともできないことを考えれば、火葬場で荼毘に付されただけでもよかったのかもしれない。

 生きるということをこれほど考えさせられることがあるだろうか。 
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2019年12月21日

『風をつかまえた少年』

 月に一度の映画館行き、12月は既にシネマ歌舞伎『人情噺 文七元結』を観ているが、2019年一番観たかった映画『風をつかまえた少年』の上映館を探し、ついに川崎で観ることができた。

 2019年8月公開のこの映画はもうとっくに上映期間が過ぎていると思ってなかば諦めていたが、ネット検索でようやくリバイバル上映それも、最終日ということで、運よく観ることができ大満足である。

 キウェテル・イジョフォー監督のこの映画は、アフリカでも最貧国といわれているマラウイで、干ばつで、飢饉となり、1日1食でも食べられればいい方だという貧しさに人々は、死ぬか、土地を離れるかの決断を迫られているとき、貧しいながらも親が学校に通わせてくれたからということで、学費が払えず退学になった今、学校で勉強したことを役立て、図書館で独学で風力発電を編み出し、井戸水を灌漑用水として使えるようにした少年の実話を基に映画化された作品である。

 一つの作品で、この映画ほどいろいろなことを考えさせてくれるということは滅多にない。
 まず、貧困問題では、アフガンでテロリストに殺された中村哲医師が医療だけでは人々を救えないと、食料確保のため、干ばつ地帯のアフガンで灌漑用水をつくることに全力を挙げたことを思い出す。

 生きるためには食料が欠かせず、干ばつで雨が降らないとき、昔は雨ごいをしたが、少年は井戸を掘り、その水を酌むポンプを風力発電で回すことを思い立つ。

 飢饉といえば、他人事でなくわが国でも天明の飢饉などでは、あちこちで、少女の身売り、年寄りの姥捨てが口減らしということで行われたではないか。
 姥捨ては深沢七郎『楢山節考』(新潮文庫)で紹介され、木下恵介監督、今村昌平監督で二度映画化されているのを読み、かつ観たから忘れられない。
 映画でも少年の姉が口減らしだと書置きを残し、駆け落ちしてしまうし、愛犬が『フランダースの犬」のパトラッシュのように飢え死にしてしまう。
 愛犬が死んだシーンでは、涙でスクリーンがかすんでしまった。
 
 愛犬が飢え死にするといえば、北朝鮮からの脱北を描いた映画『クロッシング』では、愛犬を食べてしまうというシーンがあり、北朝鮮の独裁者に天罰が下ることを神に祈ったことを思い出す。

 利発な少年が、学校に行っていなかったとしたら、と考えると幕末から明治初期にかけて活躍した越後長岡藩の藩士小林虎三郎のコメ百俵の故事を思い出す。
 食べることは大事に決まっているが、教育がいかに大事なことか教えてくれた小林虎三郎。
 戦前、戦中のわが国では軍国教育で滅茶苦茶な教育というより洗脳が行われた。
 しっかり勉強すれば、考える習慣ができ、政府に安易に騙されないですむ。

 アフリカマラウイでも利発な少年の考える力によって人々は助けられる。

 日本では今、貧困問題が大きな社会問題となっていることを忘れてはならない。

 ということで、『風をつかまえた少年』は、近年観た映画でもお薦めしたいベストの作品である。
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2019年10月29日

「就職氷河期世代」の今

 バブル経済崩壊後の不況期に就職活動した「就職氷河期世代」。非正規労働者や無業者になり、今も不安定な生活を送っている人が少なくない。
 
 政府はこの世代への支援強化を打ち出したが、当事者たちは何を思うのか、その姿を追った。と10月22日の読売が社会保障の紙面、「安心の設計」で「就職氷河期世代」の貧困問題と不安について、取り上げていた。

 読売によれば、経済の低迷で新卒採用が絞り込まれた1993から2004年頃に大学や高校を卒業した世代は「就職氷河期世代」と呼ばれている。

 記者が追った女性(37)保育士の仕事とファミレスの仕事を掛け持ちする所謂ダブルワークで、いつまで、こんなことが続けられるかと体力面、健康面での不安を抱えながら働く。

 就職氷河期世代は約1700万人に上る。
 今は30歳代半ばから40歳代後半の働き盛りだが、そのうち約400万人が非正規雇用や無職だ。
 低収入のため家庭を持てず、親と同居している場合も多い。
 
 インターネットを通じて氷河期世代の人たちの交流を図る市民団体「氷河期世代ユニオン」の代表を務める愛知県の小島鐵也さん(44)は、今夏、非正規雇用で働く人の待遇改善や採用差別の撤廃などを求め、政府に申し入れを行った。

 「一度道を外れてしまうと元に戻れない現状を知ってほしい」、「日本の雇用のあり方自体を見直してもらわないと」という願いとともに。


 8050問題の予備軍だとも書いてあったから、8050って何のことかと思えば、50歳代の引きこもりなどの生活を80歳代の親が支えることだという。

 就職氷河期世代が貧困と不安を抱えながら生きているということは知っていたが、世代間格差というか生まれた時代で差がつくというのは問題だろう。

 若い頃、♪生まれたときが悪いのか、それとも俺が・・・」と天知茂が歌った昭和ブルース(山上路夫作詞、佐藤勝作曲)という流行歌があった。

 生まれた時代によって、人生が変わってしまうことは戦時中を生きてきた人ならよくわかることだろうが、
いつの時代でも、道を外れると戻れないということは共通することである。
 
 氷河期世代に限らないが、貧困は大きな社会問題であり、低収入で結婚も難しいとなれば、そのことが日本の社会の将来に関わってくる。

 わが家はご先祖のお陰で、今日まで何とかなってきたが、非正規雇用といえば、他人事ではなく、親が生きているうちは、援助ができるからいいが、自分たちが退場した後のことを思えば、非正規雇用ではなく、正規雇用を願うのは誰しも共通しているはずだ。

 非正規雇用という働き方は少なくとも健全な働き方とは言い難い。
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2019年10月03日

生活に困った時のセーフテイ―ネット

 10月1日から消費税率が10%になったが、税率アップというより消費税そのものに反対するれいわ新選組の山本太郎代表や日本共産党の存在に対し、公明党が言い出した軽減税率の導入で現場は混乱し、いずれ、こんなバカなことはやめようという時代がやってくるはずだ。

 その消費税に対し、軽減税率の対象である食料品でもないのに新聞が軽減税率の対象としてもらうことを条件に政府の方針をどんどんPRしてきた。
 だから、政府の広報になってしまうなら新聞の購読者はこれから間違いなく大幅に減少していくだろう。

 それでも、新聞、それも政府自民党の機関紙と化した読売を物心つく頃にはすでに購読していたわが家では、購読を中止するつもりはない。
 読売は、政治面は別にして、読んでいると役立つ情報が少なくない。

 その読売が9月23日の社会保障の紙面で、安心の設計と題し、見開きで「生活に困った時のセーフティーネットについて取り上げている。

 非正規雇用、離婚でシングルマザー、介護離職、無年金に対し、暮らしを助ける公的・民間支援にどんなものがあるのかだ。
 就職氷河期と呼ばれた世代、「現役 生活の再建は?」「非正規、低賃金、苦境の果てに」「再就職の壁」「ホームレスからの脱出」と見出しが飾る言葉は見慣れていても、読めば、いくらかなりと役立つはずだが、当事者はたぶん、新聞を読む余裕はないだろう。


 貧困問題で、一番の公的支援といえば、生活保護であり、職業訓練などもあるので、お役所の福祉の窓口、ハローワークなどを訪ねてみることだ。
 民間支援では、貧困家庭の子どもへの援助のためだった子ども食堂の大人版、大人食堂や自立支援カフェなどもある。

 1990年代初めのバブル経済崩壊で、多くの企業はリストラを進め、労働者を正規雇用から非正規雇用に切り替えた結果、89年に2割にも満たなかった非正規雇用の割合が2019年には4割近くになったことが日本社会の貧富の格差が拡大した原因である。

 れいわ新選組の山本太郎代表は、消費税を政府が導入したのは、大企業への大幅な減税と富裕層への適正な課税をしない分の補てんだったと街頭演説で指摘している。

 結果、大企業は内部留保をしこたま貯め込み設備投資にすらまわそうとしない。
 年金も正規雇用なら企業が負担したものが、国民年金になってしまえば、いざ、もらえるときになっても生活できないほどの金額だから、老後は生活保護に頼ろざるをえない。

 だから、労働者はもっと選挙で真剣に自分たちの暮らしを守ってくれるのはどの政党なのか考えて投票しなければならない。

 いざ、自分が当事者になってしまえば、日々の生活、今日生きていくだけで精一杯となり、選挙だって投票所に行く気力がわかないかもしれない。

 だから、ふだんから、少しは世の中の仕組み、何故、大企業の法人税を減税し、富裕層に適切に課税しないで、消費税という低所得者も狙い撃ちという課税をするのか考えたほうがいい。

 軽減税率など欧州で失敗した愚かなことを考える前に、少なくとも、税金の使い途として、米国のいうがままにF35やオスプレイ、トウモロコシの爆買いなど役にも立たない買い物をするのではなく、低所得者、貧困層への救済策に税金を使うべきではないか。
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2019年05月24日

子どもの貧困に必要な対策

 子どもの貧困対策法に基づき具体的な支援策を盛り込んだ「子どもの貧困対策に関する大綱」の見直しを政府が進めているということで、5月8日の読売が新大綱で必要な取り組みについて3人の専門家に聞いている。

 長崎大学小西祐馬准教授が「乳幼児期の支援手厚く」、大妻大学林明子講師が「家事負担軽減考えて」、アフターケア相談所「ゆずりは」高橋亜美所長が「社会に出ても見守りを」という見出しでそれぞれの立場から意見を述べていた。

 「貧困家庭で育ったのは本人の責任ではないが、その影響は大人になっても続き、生きることを困難にしている。そのような人たちの痛みに共感し、『辛いときは人に頼ってもいい』という感覚が育まれるように伴走することが、同じ社会に生きる一員としての役割だと思う」という高橋亜美さんの結びの言葉に「そうだよな」と頷く。
 
 そして、結論的には「長期的には、国が集めた税金や社会保険料を子どもがいる世帯により手厚く配分する「再配分機能」を強化することが貧困家庭で育つ子どもの支援に欠かせない」と結ぶ、小西さんの言葉に尽きると理解する。


 公明党が自民党に教育費の無償化を働きかけ、いずれ実現することになるだろうが、子どもの貧困問題が大きな社会問題となり、満足に食べられない貧困家庭の子どもに食べさせようと心ある人が立ち上がり、子ども食堂を運営し、子どもたちが食べられるようにしている。

 コンビニなどでの食品の廃棄ロス問題を取り上げたとき、賞味期限切れになりそうな食品を路上生活者や子ども食堂などに提供すれば、問題解決の一助になるはずだと書いた。

 コンビニには人手がないから、活動を支えているヴォランティアが取りに行けばいいのだが、捨ててしまうくらいなら、ゴミを減量することにもつながるから一石二鳥だとも。

 犯罪被害者支援をしてきて、刑事政策とか犯罪学を勉強すると、犯罪者というものは、はじめは親からのDNAだという説に始まり、次いで、育った環境の影響だということになり、さらに、その両方だという研究者の指摘があったことを知ることができた。

 さらに、一番大事なのは「親の愛があるかないかであり、親の愛がある家庭では、例え母子、父子家庭であれ、子どもが犯罪者になることは少ないと教えてくれたのは、日本で一番大きなその筋の団体の顧問弁護士を務めていた山之内弁護士だった。(現在も弁護士かどうかわからない)

 ということで、子どもの貧困問題にきちんと向き合い、痛みを共感できるような感覚を持てるかどうか、問われるとベンツなどのドイツ製高級車やレクサスなどの日本製の高級車に乗っている人たちが結構多い日本の社会では、貧富の差が大きく二極化していることを改めて痛感させられる。

 やはり、富の再配分の仕方がまだ、十分ではないのだ。
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2019年05月20日

食品 廃棄ロス対策広がる

 まだ食べられるのに捨てられてしまうというおかしなことがまかり通る食品の廃棄問題。ロスを減らそうと、コンビニ各社が取り組みを始める。

 定価販売へのこだわりを緩め、消費期限が迫った弁当やおにぎりを実質的に値引く。ロスの削減は世界的な課題かつ、食料自給率が低い日本では深刻な問題だとメデイアが伝える。

 5月17日の読売によれば、セブンが今秋からポイント還元による値引き販売を実施すると明らかにし、ローソンも値引きをポイントで還元すると発表した。

 農林水産省によれば、2016年度の国内食品ロスの推計量は約640万dだった。家庭以外は約350万dで、このうちスーパーやコンビニなどの小売業からは約70万dに達する。


 食品の廃棄ロスは、貧困問題と一緒に考える必要がある。

 まだ食べられるにもかかわらず、大量の食品が廃棄されてしまう、一方で、貧しき民はその日の食事にも事欠く有り様という社会はどこかおかしくないか。

 特に、子どもの貧困問題に対し、立ち上がった心ある人たちが子ども食堂を運営し、満足に食べられない子どもたちに救いの手を差し伸べているが、ここでも廃棄ロスとなる食品は役立つ。廃棄ロス食品の使い途はいくらでもある。

 わが家では、食品の廃棄はほとんどないが、調理で出た生ごみはすべて、畑に埋め、土壌改良に役立ててきた。
 ついでに書くなら、畑で収穫する野菜はできるだけ無駄にしないように親族、友人、知人に食べてもらっている。

 東京山谷、大阪西成、横浜寿町、川崎日進町など日雇い労働者が住む簡易宿泊所があるところでは、心ある人たちによって、炊き出しが行われていたり、行われることがあるが、廃棄ロスになる食品はここでも活用できるし、確か、大阪あいりん地区では消費期限の迫った食品で低価格の食堂が営まれていると耳にしたことがある。

 賞味期限や消費期限が迫っている食品を値引きするのは当たり前のことで、廃棄ロスとなる食品を有効活用するのは企業としての最低限の社会的使命ではないか。

 派遣労働が認められ、非正規雇用が増える社会にしてきたツケが回り、その上で、一握りの金持ちに増税せず、貧しき者たちにもろに影響する消費増税を企む安倍自公政府のせいで、貧富の差がどうにもならないところまで来ている日本。

 廃棄ロス食品を有効に活用すれば、貧しき人たちだって、食べることだけはできるはずだ。

 コンビニの値引きだけが食品の廃棄ロス対策ではなく、生ごみを減らすためにも廃棄せず、有効に活用するためには、法律を変え、税制上の優遇措置、社会貢献で勲章をやるとか、いろいろな対策が考えられる。

 行政がもっと、真剣に考えていかなければならぬ。
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2019年01月31日

貧困対策法施行5年「貧困の連鎖」を断ち切るために

 子どもの貧困対策法施行5年ということで、1月28日の読売が社会保障の紙面で、「貧困の連鎖」を断ち切るために必要な取り組みは進んでいるのだろうか。と取材した内容を伝えている。

 読売によれば、貧困な家庭環境で育つ子どもが問題化したのを受け、2014年1月に施行された子どもの貧困対策法。
 国などに貧困対策の策定と実施を義務付けている。同法に基づき、14年8月には教育や生活、経済面への支援策を具体的に盛り込んだ大綱が閣議決定された。

 国は困窮者の自立を後押しするため15年に施行した生活困窮者自立支援法の基づき、貧困家庭の子どもの勉強を支援する団体の事業費を補助している。

「救え 貧しさが奪う自尊心」という見出しで、対策法が施行されて、子どもの貧困率はやや改善されたとはいえ、先進国の中では依然として高く、深刻な水準にある子どもの貧困に関し、取り上げられている子ども食堂などで支援に取り組む人たちの存在は心強い。

 紙面で紹介されているNPO法人「NGO未来の子どもネットワーク」が茨城県竜ケ崎市で開いている子ども食堂で、同法人代表の笠井広子さんは裁縫セットの費用を納める日に学校を休み、裁縫セットを使う日も休む子どもがいる。嘘を積み重ねるうちに「自尊心や自己肯定感が下がり、投げやりになってしまう」と心配する。

 笠井さんは、夕食だけでなく、学校の健康診断の前には靴下、修学旅行の前には下着も用意する。子どもの気持ちが落ち着いたら、別の日に開いている無料学習塾に通ってもらう。
 「心が安定してから、やっと勉強や将来のことを考える余裕ができるのではないか」と、まず、子どもの生活と心の安定が重要だと訴える。


 子どもは親を選べないし、当然、生まれ育った家庭環境、境遇に大きく影響される。
 このことは子どもの責任ではないので、貧困家庭の子どもが心ある人たちの支援で腹一杯食べられるということにまず、安堵する。

 読書家とは程遠いが、そこそこ本が好きで、山本周五郎、池波正太郎、藤沢周平、北原亞以子そして乙川優三郎と好きな作家の名前を並べてみた。

 その乙川優三郎に『安穏河原』があり、『生きる』という作品集の中の短編で、この作家の一番好きな作品である。

 時代小説で、武士が藩を辞め、浪々の身となり、貧しさから娘を身売りさせる話である。
 身売りさせた娘の様子を知るため、武士は、知り合った男に廓で春を鬻ぐ娘を買うカネを渡すのだ。

 やがて、男は商売がうまくいき、通りがかった団子屋の店先で団子を食い入るように見つめている少女の顔を見て愕然とする。少女はあの時、武士に頼まれ、会いに行ったあの時の女に瓜二つだった。

 男は団子を買い求め、少女に食べさせようとするのだが、、少女はひもじくて団子が食べたいにもかかわらず、何と「お腹いっぱい」というのだ。
 武家の娘として厳しく育てられた母親そのままにわけもなく施しを受けないという矜持をみせるのである。

 この光景を思い出すだけで、涙、涙、涙である。

 貧しさが奪う自尊心ということで、矜持ということで書いたが、自尊心というのは、誇りというか、これはかなり大事なことで、自尊心をなくせば、ただ生きていくだけなら楽になるが、これを奪われると支えがなくなり、真面目に生きていくのはつらいことだろうと推察する。

 貧困問題といえば、一方で、カルロス・ゴーンのような人間が一人で10億、20億の年収を得て、しかも税金をきちんと納めるのが嫌で、フランスから税法上の住所地を外国に移していたと報じられている。

 高額所得者がそれなりの所得に応じた税金を納めるのはごく当たり前のことで、このことを求めていくことを市民はないがしろにしてはならない。
 税金は富の再分配で、寄付とは異なる。

 政治家がきちんとその所得に見合った仕事をしていれば、こんなにも貧富の格差が広がることはないはずだ。

 心ある人たちと政治の力を結集して、貧困問題を少しでも解消していく取り組みが求められている。
posted by 遥か at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 貧困問題