2020年02月28日

奨学金 自治体が返済を肩代わり 就労や居住条件に

 地方創生の推進ということで、若者に地方で働いてもらうことを条件に、県などが奨学金の返済を「肩代わり」する動きが広まっている。と2月24日の読売が1面のトップで伝えている。

 読売によれば、2018年度までに16都府県が計1747人の肩代わりを行い、将来的な対象者も含めると全国で5000人超に上ることがわかった。
 肩代わりの人数が最も多いのは秋田県で、1年で516人に上っている。

 過疎化と人手不足に悩む地方では奨学金返済の負担減を呼び水にして、Uターンの若者らを増やしたい考えだ。

 
 奨学金を受けるには当然学業成績が加味されると理解していたので、成績が芳しいとは言い難い自分は、16歳になったばかりで父親が病死し、事実上の母子家庭になってしまっても、恵まれた家庭環境だったから、偶々父親が遺してくれたカネで学校に行かせてもらったので、奨学金に対する認識が甘く、借りたものは返さなければならない。
 などと以前書いた覚えがある。

 しかし、人材は人財でもあるわけで、勉強する意思があれば、カネのあるなしに関わらず、誰でも学校で勉強できるようにする必要があると考えるようになった。

 米国の大統領選においても民主党の候補者争いで国民皆保険、奨学金の返済免除という格差社会米国における大きな社会問題に対する取り組を訴えるサンダース候補が評価され、若者の支持を集めているという。

 日本でも、れいわ新選組の山本太郎代表が格差社会是正のため、奨学金返済免除を訴えている。

 独立行政法人日本学生支援機構のHPによれば、「『まち・ひと・しごと創生総合戦略』(平成26年12月27日閣議決定)において、「奨学金を活用した大学生等の地元定着や、地方公共団体と大学等との連携による雇用創出・若者定着に向けた取組等を推進する」こととされた。
 これを受けて、地方公共団体と地元産業界が協力し、地元企業に就業した方の奨学金返還を支援するための基金を造成することとされている。」

 ということで、国も地方からの若者の流出を防ぎ、地方に居住、就労を条件に自治体に奨学金の返済の肩代わりを推奨していることがわかる。

 幕末から明治初期にかけて活躍した長岡藩の藩士小林 虎三郎による米百俵の故事はあまりにも有名だが、教育の重要性は国家においても、家庭においても将来の人材ということでは何ものにも代えがたい。

 語り継ぐ戦争ではいえば、戦前戦中の偏向した軍部独裁のための教育は酷かった。
 戦後の米国型の教育も、必ずしも佳いとは思わないが、少なくとも自由が大切であることを教育では教えていく必要がある。

 奨学金返済が免除されれば、地方に住み、就労する若者は間違いなく増えるだろう。
 地域おこし、村おこしこそ、日本の将来を考えるとき、一番大事なことだからである。
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2020年02月08日

「不満を抱え、疲弊した人から、秀逸なアイデアは生まれない」

 日本の将来のために読売が「あすへの考」と題し、紙面1頁をほぼ使いそれぞれの分野の論客に訊く連載をしている。

 その2月2日は、地域再生などをテーマに発信している飯田泰之明治大学准教授(44)に「地域再生の道筋」を語ってもらうということで、地域おこしを訴えてきた立場から興味深かった。

 「活躍できる地方に生産性」「転職やUターン・Iターン 経済成長は人の移動から」「不満を抱え、疲弊した人から、秀逸なアイデアは生まれない」という見出しで気鋭の若手論客だと読売が称する飯田さんがコストの高い東京1極集中は経済効率面で問題が大きくなっていると指摘する。


 数年前、読売で限界集落の問題を取り上げたことがあり、そのとき、限界集落のことを調べていたのが記憶が間違っていなければ明治大学の飯田さんだった。

 連れ合いの両親、今は亡くなってしまったが、新潟は妙高の限界集落の出身で、仕事がないから都市部に出てきたということで、40代で亡くなった義父はともかく、先年亡くなった義母から望郷の念を聞かされ、とうとう車で訪ねたことがある。
 結果的に2回行ったことになるが、寺を含め確か9軒だけ残っているという話だった。

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国の慰霊碑を訪ね、お参りして10年が過ぎたが、地方都市は商店街がシャッターが閉まったままの所謂シャッター通りになっているところが少なくない。

 自分が若い頃、大都会東京の集積の利益なる言葉を耳にしたことがある。

 大都市には人が集まり、経済が活性化するというような意味合いだったと思う。

 反面、土地の価格が値上がりし、当然、家賃も高くなることからその弊害も指摘され、政府は東京1極集中を改めようとしてきたが、結果的に何も変わっていない。

 東京都内に集中していた大学が、こぞって首都圏に移転したかと思えば、都心回帰と称し、どんどん戻っている。

 地方都市でもも交通アクセスのよいところはあるが、何といっても、働く場が大事になってくる。
 雇用の創出ができれば、地方都市への人口移動も期待できる。
 同時に、地方には「働き口がない」のではなく、大都市では一般的になっている夫婦共働きという働き方が難しい。というのは地方都市では女性の働き口がなかなか見つからず、人口移動を困難にしていると飯田さんは指摘していた。
 
 さらに、地方都市をいかに魅力のある街にしていくか、地方都市は東京と同じ土俵に上がってはいけないともいい、東京にはない地元の資源を生かした街をいかにつくるか知恵を絞る必要があるというのだ。

 考えるに地方都市が絶対東京に勝てる街づくりは緑豊かな街にすること。これなら東京に負けない。

 例えば、青森ならヒバ、秋田ならスギ、木曽ならヒノキをふんだんに使った建築物をつくる。
 首都圏なら、まだまだ畑がたくさんあり、果樹園もあるので、田園風景を活かしつつ、首都圏の利便性を活かした街というコンセプトも考えられる。

 要するに東京と異なる街づくりを目指せばいいのではないか。

 子どもを産み育てやすい街づくりをすれば、人口が増えることは間違いないので、ヒントはこの辺にありそうだ。
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2019年10月13日

吉幾三「TSUGARU」で見直す方言の伝承 

 「津軽弁ラップ 難解だヨ!」「吉幾三さん新曲人気」という見出しで、難解とされている津軽弁の伝承について、10月9日の読売が吉幾三さんにエールをおくっている。

 読売によれば、演歌の代表的な曲目の一つ、「雪国」の作詞、作曲、歌唱で知られる青森県は五所川原市の出身である吉幾三さんが「しゃべればしゃべたってしゃべられる しゃべねばしゃべねってしゃべられる」−と津軽弁で歌うラップ調の新曲「TSUGARU」がインターネット上で意味がよくわからないとかえって評判を呼んでいるそうな。

 「おめだの爺コ婆々(じこばば) どしてらば?(おたくのじいさん、ばあさんはどうしてる?)と歌詞には地元のありふれた日常を通して青森県の魅力や、古里を離れた若者への苦言などを盛り込み、最後は青森全部をなめんじゃねえ」と叫んでいる。

 吉さんは津軽に昔からある言葉を残したいと思って作った。子どもたちに少しでも津軽弁を恥ずかしがらずに使ってほしい」と話している。

  
 吉幾三といえば、青森県は五所川原に合併される前の金木町の出身で、この街の出身者での著名人といえば太宰治がいて、吉幾三が「TSUGARU]」とくれば、先輩の太宰には『津軽』(新潮文庫)という名作がある。

 吉幾三は「俺はぜったい!プレスリー」、「俺ら東京さ行ぐだ」という名曲で作曲家、作詞家としての才能を知られるようになり、「津軽平野」でもさらに知られるようになったが、何といっても、「雪国」のヒットでメジャーになった。

 青森といえば、学校を卒業し、就職してからまず、北海道に1週間くらい行き、その後、本州最北端ということで、下北半島、津軽半島、そして青森、弘前、十和田湖と旅するうちにこの地が好きになり、上野発の夜行列車、それも寝台特急ではない4人掛けシートで行ったこともあり、無論、夜行寝台にも乗ったことがある。
 青森ではねぶた祭りに跳人で参加したり、弘前の桜まつり、紅葉祭りの見学、正月の善知鳥神社への初詣、春、開通したばかり、雪の壁の中を十和田湖に行ったりもした。

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では2010年の6月、30年ぶりに青森を訪れ、アスパムという物産館が駅前にできていたのにはびっくりだった。善知鳥神社に久しぶりにお参りしたり、弘前にも行った。
 
 初めて、弘前に行った時のことだったと記憶するが平井信作『津軽艶笑譚』(津軽書房)を買い求めて読んでみて分かったのは、青森の風土というか県人の気質は、男女関係に大変おおらかだということ。

 青森というか津軽出身の有名人には奈良光枝、寺山修司、三上寛、伊奈かっぺい、高橋竹山、棟方志功と思いつくままに並べてみたら、個性的な面々が揃う。

 作家平井信作、津軽弁の詩人高木恭造、とタレント伊奈かっぺいによって、津軽弁の面白さに目覚め、2010年に行ったときには、『うっちゃんの今すぐ話せる津軽弁』(フィラーステーション)を買い求めてしまったくらいである。

 どちらかといえば、豊かではない県であるが、著名人で二人も重婚者が出たくらい、男女関係に緩い県民性があるかもしれない。
 酒が飲めれば、なお、楽しいこと請け合いである。

 方言の代表的な津軽弁を歌い手の西尾夕紀や吉幾三のように自信を持って使ってほしいと願う。
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2019年10月07日

氏神様の祭禮

 昨日、首都圏の田舎町で五穀豊穣を祈る氏神様の祭禮があった。

 日本の文化、伝統芸能に大いに関心があり、村おこし、町おこしなどの地域おこしも強い関心を持つ人間の一人としてどうしても書いておきたいことがある。

 氏神様の神社は田舎町でも、少し離れたところにあって、物心ついた頃から、近所の寺の境内で祭禮が行われていた。

 日本社会における長く続いた伝統、神仏習合の流れを汲んでのことだろうか、はたまた明治維新以降のアホな企みである廃仏毀釈の影響か、寺の境内に神社の神輿を納めた御輿庫があり、山車をしまっておく、御仮屋があった。

 物心ついた頃はこの寺の本堂には、坊主とは関係ない豊かでない親子4人が住んでいて、娘が掃き溜めに鶴のような容子の佳さだったから、その後、どうしているか今でも気になって仕方ない。
 
 祭礼の時は、境内に舞台を作り、旅芸人の一座を招いたり、地域の青年団が田舎芝居を演じたりしたものである。
 その後、地域の一つの町会が境内に寺務所兼町内会館を建て、祭りのときは、この建物が重要な役割を果たすようになったが、もう一つの町会も同様の建物を建てたことが後々の寺とその町会の人間とのトラブルの原因となった。

 祭禮は、5つの町会から当番が出て実施した。

 16歳になったばかりの夏、突然、父親が病死してしまったため、18歳になると初めて、各町会から順番で出る祭禮の当番の役目に当たった。
 爾来、28歳、38歳と3回当番を経験し、3回目では宮司たちを接待する炊事当番の責任者を担い、当然、やがては当番長になるはずだった。

 祭禮では、神社の宮司が神社のある町会で伝承されている獅子舞、神楽を引き連れ、田舎町自慢の神輿と山車の車上では囃子連がその後について、町内を練り歩くのだ。
 
 そして、夕刻になると、昔売れた歌手や売れていない演歌歌手を招いたり、地域の人たちの中で芸達者な人が歌や踊りを披露したりとその年によって、異なる催しを楽しむ。
 売れていない演歌歌手といっても、今や紅白にも出場するあの市川由紀乃さんも招いたことがあるのだ。

 祭りを盛り上がらせる神輿の巡行は、いつの頃からか担ぎ手がいなくて、車に載せて町内を回っていたのだが、神輿がブームになった頃、神輿会が結成され、神輿が巡行するようになって一時は盛り上がったが、再び担ぎ手不足で神輿は車で運ぶようになってしまい、盛り上がりに欠ける祭禮が続く。

 寺にあった寺務所兼町内会館も寺の管理者、本山から派遣される住職が交代してから、取り壊され、祭禮の会場も変転し、寺の管理をしていた坊主が亡くなり、住民のうちの心ある人が世話人になってから、境内に寺務所を再建したことから、今回、再び、寺の境内で祭禮が行われる運びとなった。

 40代になるかならないかで、炎症性腸疾患であることが判明し、結婚してからは、町会にも、祭禮の当番も距離を置くようになって、連れ合いに代わりにでてもらっている。

 夕べは、連れ合いが役員から頼まれたということで、仲間と一緒に箏と尺八の演奏を披露するというので久しぶりに会場に出かけた。

 こうして日本の氏神様の祭禮は田舎町でも続いてきたが、関係者と話してわかったのは、ここでも、創意工夫のできるリーダーが求められていて、祭りを盛り上げるには、神輿をj巡行させることが必要だから、近所にある大学の格闘系の学生や留学生を派遣してくれるように要請すれば神輿の巡行だって可能なはずだが、役員は謝礼がないとか全く前向きではないということだった。

 いつの時代も上に立つ人間次第だとつくづく考えさせられた。
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2019年04月26日

「文化国家」への道

 NHKの「サラメシ」で、驚いたことに米国大使館を取材していた。

 日本人も含め、様々な人が働いているが、面白かったのはその経歴である。
 日本にやってきたときは地方の英語教員だった人が、日本の生活が気に入り、米国大使館での仕事を見つけ、働いていたのである。
 取材すると、当然日本語が喋れて、しかも、驚いたことに和食を好むという人までいたのだから。

 地方勤務といえば、読売の解説の紙面、4月12日の「論点」で、「『文化国家』へ地方再生から」という見出しで、国際日本文化研究センターの瀧井一博教授が経済大国から文化国家へ、為に、地方再生がその礎となると論じていいた。

 「バブルがはじけて経済が低迷した、所謂「失われた20年」の時代、日本経済は成長が困難になった、世界第2位の経済大国になった国民的な自信が吹き飛んでしまった。
 これからの日本の進むべき道として、示唆を与えてくれるのが1980年にまとめられた大平正芳首相政策研究会の報告書である。
 来るべき低成長時代を見据え、文化を生み出す基盤としての地方の再生を重要視した。
 地方が人々の創意工夫の「器」となることが望まれる」というのだ。


 首都圏の田舎町に生まれ育ったから、都会には近いがまあ、自分が田舎者であることはまちがいない。
 しかし、緑は豊かだし、災害の心配も少ないので住みやすい。

 だから、理解できるのが田舎のよさである。

 NHKは、「日本の素顔」、「新日本紀行」、「新日本風土記」、テレ東は「田舎に泊まろう」、「昼めし旅」と日本の地方を取材し、地方の風土や文化、食生活などを伝えてくれている。

 大都会東京への人口1極集中で、東京には集積の利益があるなどとされた時代もあった。
 
 確かに、首都圏に住んではいるものの街に映画館がないから、東京に行くときといえば、月に一度映画を観に行くくらいであるが交通アクセスがいいから便利ではある。

 しかし、NHKが放送を続けてきてくれた上記の番組を視聴してきた立場としては、地方にこそ、日本の佳さが残っていて、今は米国大使館で働いている人も、以前、地方で英語教師をして、日本の住みやすさに納得し、日本での仕事を選んでいるのであろうと推測した。

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、2008年から北は稚内から、南は沖縄まで各地を周って来て思うのは、外国のような治安の心配、爆弾テロを心配することはないばかりか、地方に住む人は尊敬に値する人々が少なくない。

 というのは、雪国に住む人、限界集落に住む人、津波がいつか来るかもしれない沿岸部に住む人、土砂崩れが起きる恐れがある山間部に住む人、皆、大自然の力を畏怖しながらも、神々に祈りを捧げながら、一生懸命生きているからだ。

 便利さとは遠い所で暮らすのは、本当に厳しい。

 北海道ではところによって、7月くらいまで暖房が必要だいうし、都会で30aの雪が積もれば、電車はストップし、車の運転も厳しいが、雪国では雪掘りと表現し、屋根に積もった雪を落とすのは命がけであるにもかかわらず、雪の季節は日々必要に応じてやらなければならない。

 「日本列島改造」、「地方創生」などといわれてから久しいが、地方にこそ、日本の将来があることは少し考えてみればわかることだ。

 地方に住める社会を作っていかなければ、日本の未来はない。
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2019年01月26日

障がい者が継ぐ房州うちわ

 1月25日夜、NHKが「新日本風土記」で「十津川村」を放送したらしい。
 地域おこしに関心があるので、NHKの番組スタッフにエールをおくると共に「地域力」と題し、読売が連載している記事の1月17日の南房総市を舞台に伝統工芸である房州うちわを障がい者が受け継ぐという伝統工芸と福祉が連携しているという内容に興味を惹かれた。

 読売によれば、房州うちわは、京都の京うちわ、香川の丸亀うちわとともに日本の三大うちわとされる。
 南房総に自生する「女竹」を材料に使い、丸い柄が特徴だ。柄の先は細かく割かれてうちわの「骨」となっている。
 夏の季節ものだが、竹の伐採など準備は冬場から始まる。

 江戸うちわが源流で、関東大震災で問屋や職人が房総半島南部に移り住み、一大産地となった。
 南房総市によれば、大正末期から昭和初期の最盛期は年間700万から800万本を生産したが今は2万本ほどになった。

 工房は5カ所ほどに減り、生産を支える伝統工芸士は太田美津江さん(66)のみとなった。

 太田さんと障がい者をつないだのは「房州うちわ伝福連携の会」の山本直宏会長で「障がい者に農業分野で活躍してもらう農福連携がある。伝統工芸でもできるのではないかと考え、伝統工芸と福祉をつなげる「伝」「福」連携活動を始めた」

 太田さんが指導するのは富浦作業所から通う障がい者4人、健常者3人。

 2018年7月の西日本豪雨では、うちわ約60本を被災者に配布した。障がい者が作った絞り染めを健常者のメンバーがうちわに仕上げ、地元の道の駅で販売、月20本から30本売れたという。


 今の時節、うちわではないが、冬場でもうなぎや焼き鳥を炭火で焼くときはうちわであおぐし、竹の有効活用について書いたとき、伝統工芸として、うちわのことを書かなかった。
 日本庭園、京都の詩仙堂などにあることで知られる蹲にある鹿威しも竹が使われていたり、夏の風物詩、七夕や流しそうめんにも竹が使われていることを補足しておきたい。

 南房総市の房州うちわで特筆されるのは、伝統工芸士が障がい者にその技術を伝授し、継承されていけそうだということである。

 障がい者にとって、働く場の確保は一番大きな問題であり、課題であるが、農業と職人への道というのは自分も考えていたことであり、実践している指導者の太田さんには頭が下がる。企図した山元さんにもエールをおくりたい。

 京都でも、京鹿の子絞りの老舗が18年3月、発達障害の障がい者を採用している。和ろうそくの店でも精神障がい者が絵付師として働く。

 年末から片付け始めた部屋は、インフルになってしまったこともあって、未だ、整理整頓がなされていないが、季節外れにもうちわがおいてある。

 うちわは、皆、プラ製品化されてしまったが、反プラ、廃プラ運動の高まりで、うちわのプラ製品も遠からず、発売禁止になることは間違いないので、日本の三大うちわ、とりわけ、首都圏にある房州うちわの将来は明るい。

 プラスチックでなく、竹を使えばいいのだ。廃ラスチックが世界の海を汚染し、魚を苦しめてきたのではなかったか。

 だとすれば、プラスチック製品の見直し運動が高まり、うちわは昔どおり、竹が骨になることは間違いない。

 ようやく、人類も気づいてきたのである。
 竹が人間の暮らしに役立ち、公害とは無縁であるものだということに。
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2018年10月28日

高速道路 補修せよ! 橋・トンネル 検査院指摘

 高速道路会社のNEXCO3社(東日本、中日本、西日本)が管理する橋やトンネルで、早急な対策が必要と判断されながら、2年以上も補修されていない場所が1474カ所あることが、会計検査院の調査で判明した。とメデイアが伝えている。

 10月2日の朝日のデジタルによれば、不十分な点検や記録の不備なども見つかり、検査院は適切な対策を実施するよう近く改善を求めるという。

 10月10日の読売によれば、定期点検で6669カ所の損傷が見つかり、「速やかな補修が必要とされながら、東日本と西日本で計268カ所の補修計画が立てられず、補修対象から漏れていたことが会計検査院の調べでわかった。

 9人が死亡した2012年の中央道笹子トンネル天井版崩落事故などを受け、14年7月に施行された改正道路法施行規則は、高速道路などについて、5年に1度の点検とその結果の保存を義務付ける。


 2018年6月、語り継ぐ戦争で、信州は阿智村にある満蒙開拓平和記念館に行った。
 あまりにも交通不便なところにあるため、滅多に遠出しない車で行ったのだが、運転免許を取ってから50年、高速道路は数えるほどしか運転したことがないから、車にETCが付いていない。
 久しぶりの高速で怖かったが、それでも予定通り無事行ってこれたことを喜んでいる。

 連れ合いのい愛車はパジェロで、中央高速を飯田山本インターまで運転したのは無論連れ合いで、一般道になってから、運転を交代したが、久しぶりの中央道は、随分路面が傷み、笹子トンネルでは崩落事故のことが頭を過り、トンネルと通過するたび気が気ではなかった。

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では、車を使う方が旅費がかからないかもしれないが、運転が好きではないこともあるし、安心して慰霊の旅ができないので、交通手段は基本的に新幹線など公共交通機関を頼っている。
 レンタカーを使ったこともあるが、交通アクセスがよくないときは、タクシーを使ってきた。

 過去、政治家が介入し、公共事業が杜撰に行われていたことから、公共事業への市民の眼が厳しくなり、利権に動く輩は、政府自民党、公明党の了解の許、五輪を誘致するや、国立競技場をすぐにぶち壊し、使えないようにした上で、新競技場を建設するように仕向けるなど五輪のためと称し、すでに8000億円ものカネを使ったと伝えられている。

 8000億円を無駄に使わず、高速道路などの補修に使ってほしかった。

 笹子トンネルに限らないが、工事事業者には愚か者がいて、あんなに重いものを天井から吊るせば、やがて、落ちてくることは明らかにも関わらず、予想通り崩落事故が起きた。
 
 読売によれば、2012年8月、と2013年1月、東北道で、2013年3月、中央道で、2014年6月、中国道でそれぞれトンネル内で内装板の脱落事故が起きているではないか。

 橋だって、道路だって維持管理を適切に行わなければ、長持ちしないし、事故につながる原因となる。

 中央道の損傷はかなり目立つほどだから、高速の利用者なら誰でも知っていることだろう。

 事故が起きてからでは遅い。真剣に補修をしていかなければならぬ。
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2018年10月26日

釜石に花街を再び 街の復興と共に

 「釜石の最後の芸者」として知られ、2016年に亡くなった伊藤艶子さんのことを以前取り上げたことがある。

 鉄の街、釜石が隆盛だった頃、40人を超える芸者がいたという釜石も製鉄業の衰退で、最後の一人となった芸者艶子さん。

 東日本大震災で被災しても、芸事を披露し続けた艶子さんに感銘を受け、東京は八王子の芸者衆が生前、唄や踊りを継承したということで、芸者衆の代表、めぐみさんは「大切な芸の種をお預かりしている。大きく育てたい」と釜石の花街復活を夢見ていると10月10日の読売が伝えていた。

 東日本大震災の津波で、自宅が流され、愛用の三味線や着物などすべてをなくした艶子さんのことを新聞などで知った八王子の芸妓めぐみさんが震災の翌月、若手芸者衆とともに避難所に駆け付け、三味線を届けたことがきっかけとなり、釜石に何度か通ううちに「芸を受け継いでほしい」という艶子さんの願いを知り、避難所で「釜石浜唄」と「釜石小唄』の唄と振り付けを教わるようになった。

 艶子さんをモチーフにした映画「フクシマ・モナムール」をドイツ人監督がつくり、28日に上映するということらしいが、チケットは既に完売ということで、いつの日にかこの映画を観てみたいと願うとともに釜石の復興を祈って書いておく。


 東京八王子という街は東京の市部、三多摩では歴史のある街で、その昔から織物が盛んだった。
 織物が隆盛だった頃は、当然のことながら、花街も賑やかで、芸者衆も多かったが、織物が衰退すると共に芸者衆も少なくなってしまったのを、めぐみさんたちが奮闘し、若手を育成するようになったということで、海はないが、釜石に似たところがあるかもしれない。

 その東京八王子の有名人といえば、第一に第二次大戦後のドイツ東部ブリーツェン市で伝染病の治療に尽くして病死した医師、肥沼信次博士がいて、現在は日本代表のサッカーの中島翔哉選手が八王子は別所中の出身ということで知られている。
 めぐみさんのことは、自分のように隠れ芸妓応援団を自認している人たちにはよく知られた存在であるが、一般的にはどれほどの知名度があるかわからない。

 釜石はラグビーで明治大学OBの松尾雄治が新日鐵釜石にいた時代は強くてニュースでもその名がよく流れていたが、その後、ニュースになったのが東日本大震災の津波のニュースで、そのとき、芸者艶子さんのことも知った。

 芸者というと、あまりよいイメージを持っていない人がいたりするが、接客業のプロとしては、断然トップクラスに位置するし、日本文化の継承、女性の自立という点でも、立派な職業である。

 ただ、誤解されやすいのは、花街といえば、家が貧しくて年季奉公として売られてきた女性が体を売らされ、搾取された廓があり、芸者とは明らかに境目はあったはずだが、職業の性格上、贔屓というか、カネがかかる身支度その他の面倒を診てくれるパトロンの存在などのためであろうか。

 花街、それも、温泉町の芸者といえば、自分の勝手なイメージでは、『夢千代日記』だから、夢千代が踊った「貝殻節」ということになってしまう。
 
 都市部の八王子と釜石では、少し雰囲気が異なる気はするが、芸事は誰かが継承していかなければ滅んでしまうわけで、めぐみさんの心意気は大いに応援したくなるではないか。

 というわけで、釜石が復興し、製鉄に代わる企業なりが育ち、花街が復活することを祈っている。
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2018年10月20日

鉄道駅への思い

 木曜日の夜、テレ東で『カンブリア宮殿』が放送されていて、興味、関心のあることを取り上げられることが多いので、視聴することが少なくない。

 10月18日は、JR東日本の仕事の紹介と冨田哲郎会長と作家村上龍、タレント小池栄子のトークだった。
 番組のHPによれば、「利用者を無視し、地域を切り捨て、巨額債務を抱えていた国鉄の民営化から30年。
 JR東日本は、常識破りの手法で、客に愛される"究極の鉄道"を目指し挑戦を続けている。知られざるその戦いとは?」ということで、JR東日本の仕事を紹介する内容で、あまりにも巨大な企業だから、次週も第2弾を放送すると予告があった。

 風呂から出てから視聴したのだが、大人の休日倶楽部、Suica、高架下利用、エキナカでの商売と興味は尽きなかった。

 細かいことをいえば、JRをはじめとする3公社5現業などの民営化でスト権を奪われた労働者の末路が正規雇用から非正規雇用への雇用形態の格下げで、社会的に見れば、為に、格差社会が米国みたいに目立つようになってしまったことから、労働者にとっては、いいことばかりとはいえない民営化である。

 しかし、当時の国鉄労働組合、国労、動労のストライキにおける労働者の態度は客に背を向けたもので、自業自得という見方をされてもやむをえないほど酷かった。

 こういう背景があっての民営化であるから、サービスが飛躍的に向上し、不満を言う人はほとんどいない。

 中でもSuicaの便利さは500円をJRに預けてあるということを忘れさせるほどで、ネットワーク化されてからは、バスでも利用できるから有難い。

 Suicaといえば、発売され、しばらくして自分も欲しくなったのだが、買い求め方が分からず、恥ずかしくて他人に聞けないしで、かなり経ってから、友人のs君と会食した折、「お前、Suica持っているよな?、あれどうやって買うのだ」と教えてもらったことを懐かしく思い出す。

 番組では地方の廃線で、駅がなくなった街のさびれた様子を伝えていたが、痛々しくてみていられなくなった。

 若い頃、学校を出て、就職し、父親が亡くなっていたから、豊かとはいえないまでも、経済的には、自分で自由になるカネを手にすることができるようになり、生来の旅好きに目覚めたかのように北海道、東北を旅するようになった。

 東北への旅といえば、上野発の夜行列車の時代だし、北海道といえば、夜行で朝着いた青森から青函連絡船に乗って、という時代のことである。
 
 上野駅、青森駅と旅は駅から始まり終着駅に着き、思い出をバッグに詰め込んで、夜行列車に乗り、日常生活に戻るということで、駅がないと旅が始まらないというほど駅というものは重要だった。

 それだけに駅は映画の舞台にもなっていて、『駅 STATION』で観た増毛のことが忘れられず、先年、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で訪れたとき、増毛に立ち寄ってみたのである。

 増毛駅は鉄道が廃線になった哀しみに包まれ、哭いているようだった。

 営利至上主義で、日本の地方の鉄道を廃線にすることは絶対やめてほしい。
 地域活性化には何と言っても駅の果たす役割が大きいからだ。

 JRに限らないが、私鉄にしても都市部から郊外へ鉄道を敷設し、街づくりをしてきたではないか。
 日本がやらなければならないのは、地方を活性化させることである。

 ために、駅が核になるから、単線でもいい。1両でもいい。列車を動かし続けてほしい。

 先月、語り継ぐ戦争で、飛騨高山に行ってきたが、高山本線は単線で、飛騨川はじめ、いくつもの川に橋脚をかけ、数えたわけではないが、何回渡ったことか。
 その都度、工事した人たちの苦労に頭が下がると共に鉄道がなければ、観光地飛騨高山といえども、観光客が行くことができない。

 鉄道の有難味を教えてくれたカンブリア宮殿、こういうところにも目を向けてほしい。
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2018年10月05日

留置場からの逃走犯逮捕で脚光を浴びる道の駅

 大阪の富田林署の警察官の怠慢で、凶悪犯が逃亡し、何と、山口県周南市の道の駅で窃盗でガードマンに身柄を抑えられ、捕まった。
 その間の足取りを調べたら、盗んだ自転車で日本1周、四国では遍路に化けという具合に逃走していたが、そのとき、道の駅を上手に使っていたらしい。

 道の駅といえば、「地方創生に道の駅の更なる活用を」というシンポジウムが道の駅25周年記念事業として開催されたと9月30日の読売が伝えている。

 その中で、土木学会大石久和会長と京都大学大学院藤井聰教授の特別対談があり、「災害対策が地域活性化の基本だ」とし、災害時にどうやって逃げるかといった議論ばかりしているが、まずは、災害の被害を最小限にすることだと指摘してる。

 「南海トラフ地震が起これば約1400兆円の被害が出る。予想被害が大きくなったのは首都圏への1極集中だ。
 住む場所によって利便性に大きな差が出ないように環境を整備していくことが問題の解決につながるはずだ。

 現状を打破するためにも、道の駅の発展が地方に人々が移住できる環境を整える契機になるとことを願っている」と道の駅への思いを対談している。


 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、全国を周るようになって10年。ただし、免許を取って50年も乗っていても車の運転が好きでないため、鉄道が頼りで、レンタカーを使ったことは数えるほどで、ほとんど市電やタクシーを頼りにしてきたから、道の駅を利用したことは少ない。

 その数少ない体験でも、道の駅には広い駐車スペース、その土地の名産品が陳列され、食事処、トイレがあるので便利この上ない。

 印象はすこぶるよかった。

 カネがない人が車旅をするとき、道の駅で泊まるのが問題だ、迷惑だということをTVで取り上げていたが、宿泊所ではないから、これは宜しくないと思うが、一方では、富田林の凶悪犯のように警察の追っ手から逃げるには便利なところだといえる。

 地方創生と道の駅の関連については、明らかに良い影響があることは間違いない。
 特別対談でも指摘されていたように、まずは、地域活性化のためには、地域のためにカネを使うこと。
 
 東京五輪ですでに8000億円もの大金を使ったと報道されているが、五輪にカネを使い一部の人間だけが儲かるということではなく、長い目でみて、災害対策にカネを使い、道の駅はじめ、地方を活性化させるための人口移住が進む施策を考えていく必要がある。

 シンポジウムの駅長会議では「地域に根ざした道の駅づくり」が語られていたが、トークセッションでは「「『連携』が地域発展のキーワード」とし、「産官学連携の必要性」について話し合われたという。

 ここで、道の駅でもトイレ環境の整備の重要性について、メーカーから、道の駅のトイレが災害時にもふだんと同じように使える水洗トイレの開発を進めているという力強い話があり、意を強くした。

 そう、道の駅が災害時に上手く活用できれば、更なる、道の駅の発展につながることはまちがいない。 
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2018年03月26日

横手市の共助組織 高齢者を支援

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚の副産物とでもいえばいいのだろうか、日本全国を周っているうちに、地域おこしに関心が向くようになった。

 関心があるから、自然に関係情報に敏感になっていくわけだが、「地域力」というタイトルで3月15日の読売が地域の紙面に秋田県横手市狙半内地区にある共助組織「狙半内共助運営体」のことを紹介している。

 読売によれば、組織は2012年9月に発足し、約40人が有償で雪下ろしや買い物・通院の送迎など高齢者支援を担っている。
 横手市内の同様の組織は同年に4団体で始まり、現在は10団体に増えた。
 15年に「横手市共助組織連合会」を結成し、研修会を開くなど連携。人口減が進む中、行政に頼らず、住民同士で有償、無償の共助サービスを展開している。
 その実践は「横手モデル」として、17年2月、全国の地方新聞社などが認定する「第7回地域再生大賞」の「北海道・東北ブロック賞」を受賞。
 視察にやってくる関係者約20件に及ぶ。  
 
 運営体の会長奥山良治さん(67)は「いつでも頼れる病院のようだといってくれる人もいる」と笑いながら、人口減少で、今や439人(2月末時点で)の地域で、自治会長として、あるいはワラビ栽培の名人と称され、さらに民謡の全国大会で2回の優勝を誇る芸達者として、地域で一目置かれる存在として、運営体発足に尽力した時の様子を語る。

 「雪下ろしは危ないが、始めなければ、何も変わんねえべった」と。

 
 秋田の横手といえば、秋田美人が多いとされている横手盆地にあって、角館、大曲、湯沢と共に知られた街である。
 横手は雪まつりのかまくらでも著名だ。

 日本大好き人間の一人として、偶々、自分は首都圏の田舎町に生まれ育ったという運の佳さで、雪下ろしというか、雪掘りなどとは縁がなく育ったが、日本列島はその形からみても、北は北海道から南は沖縄まで、あるいは日本海側と太平洋側というように気候やその影響による雪などは地域によって随分異なり、豪雪地帯での住民の苦しみは想像するだけで、たいへんだろうと推測する。

 しかし、はっきり言って、地方があってこその日本であり、地方に住めなくしている政府の政策は間違っているが、住民が共助組織をつくり、自衛に乗り出したという話ほどうれしいことはない。

 「昼めし旅」という旅番組を視聴することが多いが、この番組の特色は地方で暮らす人々が生き生きと豊かな自然の中で暮らしている様子を伝えてくれるところが何といっても見どころだ。

 さて、地域に生きる人々が自衛するのは止むにやまれずではあっても、その心は、次の言葉に尽きる。

 高齢女性を病院から家に送り、小さな背中を見守った運営体の高橋淳一さん(62)に「いつもありがとう」とお礼の言葉があり、「なあんも。お互いさまだ」と返している。
 このお互いさまこそが、昔からの日本にあったが、今では、地方はともかく、戦争に敗れてからなくなってしまったような気がしてならない。 
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2018年03月04日

電力は「地産地消」で

 『おだやかな革命』という太陽光など自然エネルギーの活用で地域おこしをしている様子を取材し、ドキュメンタリー映画に仕上げた作品を観た。

 読売でも、2月22日に編集委員河野博子の署名入りの「解説スペシャル」で、「電力は「地産地消」で」という見出しで、太陽光や風力で起こした電力を活用し、大地震など災害時の電力を確保する、あるいは「エネルギーの地産地消」を目指す取り組みが全国各地で進んでいると伝えていた。

 読売によれば、地域新電力の例として、自治体の出資があるものとして、山形県の(株)やまがた新電力、群馬県中之条町の(株)中之条パワー、鳥取県米子市のローカルエナジー(株)、福岡県みやま市のみやまスマートエネルギー(株)がいずれも2015年に設立されているという。

 自治体の出資がない例として、湘南電力(株)、一般社団法人松島みらいとし機構、合同会社北上新電力、真庭バイオエネルギー(株)が2014年以前に設立していたことも併せて紹介している。

 自前の発電施設と蓄電池を設け、地区内で電力供給を行う「自立分散型」と地域の太陽光発電施設などを電源に不足分を電力市場から調達し、公共施設、民間企業、家庭への電力の小売りを行う「地域新電力」という二つの仕組みがあるとのことで、それぞれ具体例を説明していた。

 映画同様、再生可能エネルギーを利用した地域振興が多くの地域で一つの流れになってきているのだ。

 読売の記者は取材した内容をかなり詳しく書いてくれているが、その分は部分は省略する。

 自治体が出資、あるいは協力・支援する地域新電力には様々なタイプがあるが、「日本全体の電力販売量でみると1%以下と微々たるものだが、確実に増えている」と環境省の担当者が言う。

 全国の太陽光、風力発電の多くは、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度による電力会社への売電が目的。
 この制度は期限付きで、19年以降期限切れの施設が増えていく。
 19年以降が正念場なのだ。


 その昔、田中角栄元総理や竹下登元総理政権を担っていた頃、列島改造やふるさと創生などと名称はともかく、日本の田舎、地域振興を図ろうとしてきた事実がある。

 田中角栄元総理は新潟、竹下元総理は島根、その流れをくむ小沢一郎自由党リーダーは岩手県といずれも住まいは東京でも、選挙の地盤は地方であるから、地方を何とかしなければならないと考えるのは当然のことだ。

 しかし、東京1極集中の流れに抗するのは難しく、地域振興を図ることができたとは言い難い。

 ところが、まもなく、あの3.11がやってくるが、東日本大震災における大津波でフクシマの原発が事故を起こし、何んら罪のない人たちが故郷を追われたことから、少しでも、ふつうにものを考えることができる人は、原発によるエネルギ―ではなく、太陽光など再生可能な自然エネルギーの活用を模索するようになっていく。

 全国各地域にいる賢いリーダーたちは、自然エネルギの活用と地域おこしを連動させ、少しずつ、住民たちにも浸透していき、徐々にではあるが、流れは原発から自然エネルギー活用へとなってきた。

 それでも、自分さえよければいい、今だけよければいいという輩は未だに、安倍総理はじめ、原発再稼働を目論む。

 世界の潮流は明らかに原発から自然エネルギーへとシフトされてしまったにもかかわらず、時代遅れなことに拘泥し、経済的にも後れをとろうとしている。

 廃棄物処理のことでも書いたが、放射性廃棄物の終末処理場がないことから、最早、原発を再稼働させることは孫子の時代への負の遺産どころが、犯罪である。

 原発を廃炉にしていくことに反対することは、最早犯罪だという見方が現実的だ。

 電力に限らないが、「地産地消」というのはこれからの日本の進む道として、キーワードとなるはずである。

 食料の自給自足、自給率を高めていかなければ、米国など身勝手な国が食料の供給をいつストップしないとも限らず、ストップされてからでは間に合わない。

 電力供給は、自然エネルギーでやろうとしてこなかった東電などの経営者は愚かで、先見の明がなかったことを恥じるとともに、自然エネルギー開発にシフトしていくことが求められている。
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2018年03月03日

『おだやかな革命』

 月に一度の映画館行き、3月は東京は東中野に行き、渡辺智史監督のドキュメンタリー『おだやかな革命』を観てきた。

 映画の内容を一言でいうなら、地域おこしを再生可能な自然エネルギーの活用と共に進めている人々をおだやかな革命と称して紹介している作品で、地域おこしかつ、自然エネルギーの活用に関心がある自分にとっては、大いに参考になる映画である。

 その地域とは、会津、飯舘村、石徹白、西粟倉村、にかほ、遊佐町、であり、そこに住む人々が主演ということになろうか。

 子どもの頃から、NHKが放送していた「日本の素顔」が好きで、視聴していて、その後の冨田勲のテーマソングがよかった「新日本紀行」そして「新日本風土記」とその番宣である「もういちど、日本」と続いている番組も時々、視聴している。

 地域おこしのこと、為に欠かせない農業や林業などの一次産業の振興、さらに一次産業の六次産業化などについては、しばしば取り上げてきたし、環境問題、とりわけ、エネルギーの問題についても、原発に反対する立場から、再生可能な自然エネルギーの活用について、応援してきた。

 地域おこしが上手くいっている例を見ていると、やはり、リーダーというか、キーパーソンとして、先頭に立つ人間が必要で、この点、石徹白(いとしろと読む)に移住した平野彰秀さん(NPO法人地域再生機構副理事長)とその連れ合いで石徹白洋品店店主平野馨生里さんの存在が一つの参考になる。

 それぞれの地域にそれぞれ、キーパーソンとなる人がいることを映画が教えてくれた。
 
 しかも地域おこしを自然エネルギーの活用に着目している点も共通していて、豊かな水に恵まれている所は水力で、森に恵まれている所は、間伐材を燃やすことで、風に恵まれている所は風力で、太陽光の活用に適している所は太陽光でという具合だ。

 昭和、平成と20世紀から21世紀にかけての日本で起きたことで絶対忘れてはならないことを挙げるなら、戦争、原爆、水俣病、原発事故、そして、数ある冤罪事件である。
 そして、東京1極集中で、村が限界集落となり、日本の田舎が崩壊しつつある。

 原爆、水俣病、原発事故は今も、多くの人々を苦しめ続けているが、その反省に立つなら、原発を廃炉にし、自然エネルギーの活用を考えていかなければならない。

 そこで重要になってくるのが、実践である。

 村、地方、田舎こそ、日本の屋台骨であり、田舎に人が住めないような政治は間違っているし、何とか、田舎を活性化させ、人々が田舎に住めるようにすれば、都市部での路上生活だって、やがてはなくすことだってできるだろう。

 田舎を活性化させる地域おこしには、その地に恵まれた財産である山や水や土地などを活用するのが近道になる。

 まず、エネルギーからということで、映画で取り上げられた地域がモデルケースみたいになって、日本全体に広がっていくことを期待したい。
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2018年02月22日

集落独自の事業で経済的に自立した地域

 平昌五輪で、またしても日本の選手(チーム)が金メダルをとった。
 パシュートというよくわからないが3人で一緒に競争するスケートで、チームワークの勝利だということで、夕べからメデイアが大いに盛り上がっている。
 一方、地元開催の韓国チームが力はあるにもかかわらず、チームワークがもう一つで、成績が振るわなかったから、選手がバッシングを受けていると伝えられていると知り驚く。

 安易に他者を集団で批判する勢力が大嫌いな自分は、チームとして機能しなかったのは選手が悪かったからではなく、今の韓国の政治が悪いからだと原因をみているので、選手が可哀想でならない。

 日本を悪者にし、若者に希望が持てない政治をやっている、財閥が未だに幅を利かせている社会構造にこそ問題があるわけで、徒に競争を強いられている若者にチームワークを求めること自体無理な要求ではないか。

 さて、チームワークということで、注目したいことに地域おこしの問題がある。

 「地域力」というタイトルで、「地域再生のモデルケース」として全国から視察が相次いでいるという鹿児島県は鹿屋市のことを紹介する記事が2月15日の読売、地域の紙面に掲載されていた。

 読売によれば、行政の補助金に頼らない、経済的に自立した地域づくり。それを20年前以上から実践しているという。

 鹿屋市串良町の柳谷集落では、住民が自分たちで育てたサツマイモなどの産品を加工して販売し、その利益を原資に集落独自の様々な事業を展開している。
 
 取り組みの先頭に立つのが柳谷自治公民館長の豊重哲郎さん(76)だ。
 1996年、集落の総会で選ばれ、「補助金に頼ると知恵が生まれない。感動もなく、集落や人も育たない」そう考え、住民の手で財源を確保しようと動き出す。

 最初に始めたのがサツマイモの栽培で、遊休農地を活用し、しかも、栽培の作業をまず、高校生に体験させ、その姿を見た住民が助勢するということで、イモづくりで住民の心がまとまっていく。

 収穫したイモを市内の酒造会社に持ち込んで焼酎にし、集落内の施設やネットで売りだした結果、2006年には、経費を差し引いた余剰金が約500万円にもなり、全戸に1万円の「ボーナス」を支給した。

 こうした収入源は、今では10種類もある。
 空き家を改修し、カフェレストランや移住者用住宅などができ、現在、彫刻家などの芸術家4人が移住してきている。
 豊重さんは人材育成などの課題を見据えつつ「住民一人ひとりの出番を増やすことで、地域の力は引き出される」と誇らしげだそうな。


 鹿屋と聞けば、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では、海軍の特攻隊が出撃したところとすぐに反応する。
 事実、海上自衛隊鹿屋航空基地もある。

 同じ鹿児島、薩摩では、陸軍の特攻隊が出撃した知覧があまりにも有名で、鹿屋の知名度はもう一つであるが、知覧、鹿屋両基地から沖縄方面めがけて出撃した特攻隊員は、開聞岳を目印にしたとも聞く。

 知覧が戦没者慰霊のための行脚の事実上の第一歩を印した土地であり、慰霊のため、鹿屋に行かずば、同じ特攻隊員に申し訳ないので、必ず行くつもりではある。

 今、鹿屋といえば、全国で唯一の国立体育大学があることで知られている。

 地域おこしといえば、高知の馬路村のゆずと徳島の上勝町のつまに目を付けた葉っぱビジネス彩りが有名だ。

 鹿屋の柳谷集落も、内閣府の「地域活性化伝道師」を務める豊重哲郎さんの尽力があってのことだし、上勝町には横石知二さんがいたことが大きい。
 馬路村には村をこよなく愛する農協職員が全面的バックアップしたと聞いている。

 昨年、知人の女性から何と、馬路村のユズジュースを送ってもらい、美味しく飲んだことを思い出した。
 ユズはわが家にもあるが、料理に少し使うくらいで、ユズ湯に入れているくらいしか活用してないので、ユズジュースの美味しさを考えたら、一次産業の六次産業化は実に素晴らしいアイデアであり、エールを送りたい。

 鹿屋の柳谷集落のサツマイモ栽培から焼酎づくり、焼き豚や豚味噌など、どれも旨そうだし、移住者を増やそうとする試みも地域おこしを応援する立場からみれば嬉しいことだ。

 パシュートでのチーム力での金メダル、陸上の男子4×100bリレーでメダルを取るチーム力は、まさに、「住民一人ひとりの出番を増やすことで地域力は引き出される」という豊重さんの言葉を裏付けているのではないか。
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