「日本美を守り伝えるTUMUGU紡ぐプロジェクト」について伝える特別紙面として、9月6日の読売朝刊に3面全部という扱いで大きく取り上げられている。
工芸は日本美術の本流として日本の豊かな自然が育む美を伝えてきた。
明治維新以降、西洋美術が美術の中心を担うようになり、工芸はそれまでの美術とは別の実用品としての立場に置かれてきたが、海外で評価が高まるにつれ、美術品として見直されてきた。
ということで、政府が推進する「日本博」の一環として21日に開幕する特別展「工藝2020−自然と美の形ー」に出品する名匠の技と美を紹介している。
「自然とともに 工芸の巨匠たち」という見出しで紹介されていたのは漆芸家 室瀬和美さん、人形作家
奥田小由女さん、染織家 土屋順紀さん、陶芸家 森野泰明さん。
漆、胡粉、染めるのは植物、そして土と素材には日本の豊かな自然の力から頂戴したものばかり。
桃山、江戸時代の陶磁器を研究するため、大学時代に日本にやってきたという英国セインズベリー日本藝術研究所リサーチディレクター、ニコル・クーリッジ・ルマニエールさんが「大切な技術を継承していくには、マーケットを作ることが大事。展示会では現代の作品に力を入れるべきだ。小さな展示会を何回も開催し、作家の実演などを通して魅力を発信する。日本に注目が集まっている今がチャンスだ」と日本の工芸にエールをおくる。
それぞれの作家の詳しいことは紙面に譲るとして、どうしても書いておかなければならないことがある。
NHKが土曜日の朝のTV体操の前に、英国人で京都は大原にお住いのベニシアさんの暮らしぶりにスポットを当てた「猫のしっぽ カエルの手」を放送している。
出演しているベニシアさんが驚くなかれ、日本大好き人間なのだ。
何しろ、絣のモンペを身に着けていたりするのだから、たまらない。
今は、あまり見かけなくなってしまったが、絣のモンペを身に着けた農婦と言えば、映画「越後つついし親不知」の佐久間良子みたいなイメージで、活動的かつ、日本の女性の体形に合った素晴らしい衣類である。
ベニシアさんが日本の工芸品が大好きで、番組を視聴していると改めて日本の佳さを教えてくれていることに気づかされるのだ。
ルマニエールさんといいベニシアさんといい今や、外国人に日本の佳さ、とりわけ、工芸品の素晴らしさを教えてもらわないと、気づかない日本人が多くなってしまったことが残念でならない。
昭和の文豪と言われる作家井上ひさしが『吉里吉里人』(新潮文庫)で、工業化で公害が大きな社会問題となった日本国から、東北の町が「医学立国」「農業立国」などをスローガンに吉里吉里国として独立するという小説だが、ここには大自然を畏怖する日本人がいて、大自然と上手に付き合ってきた先人の知恵をうまく使っていこうという姿勢があったような気がする。
大自然が日本海側に雪を降らせ、雪解け水がうまいコメを作り、うまい酒をつくる。
例えば、漆芸と言えば、漆だが、藤沢周平『『漆の実のみのる国』(文春文庫)で描かれた米沢藩主上杉鷹山が藩の財政のために漆の木を植えるのだが、先人の先見の明というか知恵はすばらしい。
ちなみに、漆と言えば、自分が吹く尺八は竹製で、節を抜き、管内を削り、漆を塗ってある。
ここでも漆が重要な役割を果たす。
先人の知恵、大自然から頂戴したものをうまく活用し、工芸品は作られていて、美術品としても、実用品としても素晴らしい。
政府はマーケットを作り、政府の責任で販路を増やし、技術を継承することに力を貸してもらいたい。
2020年09月14日
2020年06月29日
竹細工 鞄
中高年層の視聴率が高いらしい日曜夜のTV番組「ポツンと一軒家」を視聴しているが、中国湖北省武漢発の新型コロナウイルス感染拡大で取材が難しくなっているため、以前、訪ねた家のその後を伝えるという工夫をしながら放送を続けている。
夕べの放送は静岡県の古民家に住む竹細工職人鈴木げんさん宅を2年半前に放送し、その後の様子を知らせるということだったが、偶々、そのときの放送を視聴していなかったので、新鮮に感動したので書いておく。
静岡県は浜松市の北方の深い山奥にあるポツンと一軒家の築130年の古民家に住む竹の鞄を作る職人鈴木げんさん(当時43)はその世界では知られた有名人だそうな。
鈴木さんの竹の鞄は、買い求めたい人の予約で、現在4年待ちというほど人気がある。まあ、手作りの現代のお宝だと言っても過言ではない。
竹の鞄の材料には真竹を使っていて、山奥の住まいの近くに真竹があり、地主さんから頂戴しているとのことだが、やはりお借りしているという古民家は水回りなど住みやすく手直しして住み心地はよさそうだ。
竹を材料にしているため、伐採してから、編み込むためにいろいろ手がかかり、火を使ったりすることで煙が出たりということで、近所迷惑にならないように山奥に引っ込んだらしい。
あれから、どうしているかスタッフが電話してみると、TVで放送されたからかして、山奥にやってきた年上の女性と結婚したそうで、幸せいっぱいの鈴木さんを見ていたら、嬉しくなってしまい、書かずにはいられなくなった。
竹細工職人鈴木げんさんを見て、思い浮かべたのは水上勉『越前竹人形』だった。
映画化されているが、竹人形の職人だった父親が亡くなり、息子の許に水商売風の女性が訪ねてきて・・・。
鈴木さんは、腕は確かだが、TVで紹介されたときは、委細は不明なれど一人暮らしだった。
視聴率が20%近い番組がTVで放送されるや、女性が訪ねてきたとなれば、押しかけ女房みたいだが、物語としてはこれ以上ない展開である。
しかも、女性は年上だというのだから。
ドラマ以上の展開のドキュメンタリーだから、視聴率が高いのも頷けるではないか。
ただし、日本の伝統工芸を紹介している立場としては、鈴木さんの竹鞄は素晴らしい。
何とか、後継者を育成してほしいし、外国の金持ちにはもっと高額で売れるように奥方と相談してほしい。
それだけの価値がある作品である。
夕べの放送は静岡県の古民家に住む竹細工職人鈴木げんさん宅を2年半前に放送し、その後の様子を知らせるということだったが、偶々、そのときの放送を視聴していなかったので、新鮮に感動したので書いておく。
静岡県は浜松市の北方の深い山奥にあるポツンと一軒家の築130年の古民家に住む竹の鞄を作る職人鈴木げんさん(当時43)はその世界では知られた有名人だそうな。
鈴木さんの竹の鞄は、買い求めたい人の予約で、現在4年待ちというほど人気がある。まあ、手作りの現代のお宝だと言っても過言ではない。
竹の鞄の材料には真竹を使っていて、山奥の住まいの近くに真竹があり、地主さんから頂戴しているとのことだが、やはりお借りしているという古民家は水回りなど住みやすく手直しして住み心地はよさそうだ。
竹を材料にしているため、伐採してから、編み込むためにいろいろ手がかかり、火を使ったりすることで煙が出たりということで、近所迷惑にならないように山奥に引っ込んだらしい。
あれから、どうしているかスタッフが電話してみると、TVで放送されたからかして、山奥にやってきた年上の女性と結婚したそうで、幸せいっぱいの鈴木さんを見ていたら、嬉しくなってしまい、書かずにはいられなくなった。
竹細工職人鈴木げんさんを見て、思い浮かべたのは水上勉『越前竹人形』だった。
映画化されているが、竹人形の職人だった父親が亡くなり、息子の許に水商売風の女性が訪ねてきて・・・。
鈴木さんは、腕は確かだが、TVで紹介されたときは、委細は不明なれど一人暮らしだった。
視聴率が20%近い番組がTVで放送されるや、女性が訪ねてきたとなれば、押しかけ女房みたいだが、物語としてはこれ以上ない展開である。
しかも、女性は年上だというのだから。
ドラマ以上の展開のドキュメンタリーだから、視聴率が高いのも頷けるではないか。
ただし、日本の伝統工芸を紹介している立場としては、鈴木さんの竹鞄は素晴らしい。
何とか、後継者を育成してほしいし、外国の金持ちにはもっと高額で売れるように奥方と相談してほしい。
それだけの価値がある作品である。
2020年04月09日
死ぬまでに訪ねたい「焼き物王国」佐賀
中国湖北省武漢発の新型コロナウイルスの上陸阻止水際作戦で、観光収入という目先の経済ばかり考えて中国人の入国阻止をせず、ウイルスを上陸、蔓延させてしまった安倍政権。
ウイルスの検査をできるだけさせないように仕組み、200億使ってマスクを1世帯2枚配布するとか、迷惑を被っている市民に1人10万円支給するのかと思いきや、収入が大幅にダウン、非課税世帯などと条件をつけて、30万円支給、3密を防ぐといいながら、明らかな3密である鉄道やバスの運行はそのままと誰が考えてもどうかしているとしか思えない的外れ、後手後手の対策しか打てない無能ぶりを露呈している政権には愛想が尽きた。
早く、自民党の誰でもいいから交代してくれと怒り心頭である。
というわけで、気分転換に読売が夕刊で「旅」と題し、3月25日の紙面で「伊万里」急峻な山が囲む秘窯の里を目的地に、「高級磁器生んだ鍋島藩窯」という見出しで、焼き物に関心がある自分が興味を惹かれたので、書いておく。
九州には行ったことがなかったが、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を始めたことから、鹿児島、長崎、福岡、大分、熊本と訪れたが、宮崎と佐賀には行ったことがなく、焼き物王国とされている佐賀にはどうしても行きたいと願ってきた。
焼き物といえば、鹿児島では薩摩焼、長崎では波佐見焼、福岡小石原焼、熊本では小代焼などが知られていて、ほかにもいくらでもある。
読売によれば、肥前(今の佐賀、長崎)で焼かれた磁器は、積出港が伊万里だったため、「イマリ」と呼ばれ、その主要産地は有田だった。
聞くところによれば、現在世に知られる長崎の波佐見焼は、有田焼として売られていた時期があると耳にしたことがある。
伊万里を特徴づける焼き物は鍋島藩が開いた藩窯である鍋島焼だという。
鍋島藩は1600年代後半に、製作技法が外部に漏れぬように険しい地形の大川内山に藩窯を設けたから、大川内山が「秘窯の里」と呼ばれる所以だとか。
佐賀は磁器の伊万里、有田、陶器の唐津、陶器も磁器も生産する武雄などがあるので、一度行かなければどうにもならないが、戦没者の慰霊碑などを巡る旅をしている手前、慰霊碑は佐賀も探せばあるかもしれないので、死ぬまでに一度は行っておきたい。
陶芸といえば、陶芸教室にも通ったことがある。
畑で有機無農薬野菜を作るのも、焼き物も同じ土いじりであるが、自分は、焼き物を作る方は向いていなかったのか、畑仕事がが忙しく、はたまた、若い頃から続けてきた尺八も毎日吹かなければならないしということで、時間がなかったというのは続かなかった言い訳にもならないか。
それでも、陶器、磁器を眺めたり、食器として使われているのを見るのは大好きである。
観光収入にばかり頼っていると、今回のようなウイルス騒動が起きればどうにもならない。
だから、日本の伝統工芸品は、世界の金持ちたちを相手に売ることをもっと積極的に考えるべきだ。
彼らは世界に二つとない品物を集めたり、飾ったりするのが好きだから、日本の伝統工芸品の一つである佐賀の焼き物ほどふさわしいものはないからである。
陶器より磁器の方が丈夫だし、絵柄が美しいので、素人目にも喜ばれるにちがいない。
そうなると世界の金持ちと日本の伝統工芸品を結びつけるコーデイネーターみたいな存在が大事になってくるだろう。
ウイルスの検査をできるだけさせないように仕組み、200億使ってマスクを1世帯2枚配布するとか、迷惑を被っている市民に1人10万円支給するのかと思いきや、収入が大幅にダウン、非課税世帯などと条件をつけて、30万円支給、3密を防ぐといいながら、明らかな3密である鉄道やバスの運行はそのままと誰が考えてもどうかしているとしか思えない的外れ、後手後手の対策しか打てない無能ぶりを露呈している政権には愛想が尽きた。
早く、自民党の誰でもいいから交代してくれと怒り心頭である。
というわけで、気分転換に読売が夕刊で「旅」と題し、3月25日の紙面で「伊万里」急峻な山が囲む秘窯の里を目的地に、「高級磁器生んだ鍋島藩窯」という見出しで、焼き物に関心がある自分が興味を惹かれたので、書いておく。
九州には行ったことがなかったが、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を始めたことから、鹿児島、長崎、福岡、大分、熊本と訪れたが、宮崎と佐賀には行ったことがなく、焼き物王国とされている佐賀にはどうしても行きたいと願ってきた。
焼き物といえば、鹿児島では薩摩焼、長崎では波佐見焼、福岡小石原焼、熊本では小代焼などが知られていて、ほかにもいくらでもある。
読売によれば、肥前(今の佐賀、長崎)で焼かれた磁器は、積出港が伊万里だったため、「イマリ」と呼ばれ、その主要産地は有田だった。
聞くところによれば、現在世に知られる長崎の波佐見焼は、有田焼として売られていた時期があると耳にしたことがある。
伊万里を特徴づける焼き物は鍋島藩が開いた藩窯である鍋島焼だという。
鍋島藩は1600年代後半に、製作技法が外部に漏れぬように険しい地形の大川内山に藩窯を設けたから、大川内山が「秘窯の里」と呼ばれる所以だとか。
佐賀は磁器の伊万里、有田、陶器の唐津、陶器も磁器も生産する武雄などがあるので、一度行かなければどうにもならないが、戦没者の慰霊碑などを巡る旅をしている手前、慰霊碑は佐賀も探せばあるかもしれないので、死ぬまでに一度は行っておきたい。
陶芸といえば、陶芸教室にも通ったことがある。
畑で有機無農薬野菜を作るのも、焼き物も同じ土いじりであるが、自分は、焼き物を作る方は向いていなかったのか、畑仕事がが忙しく、はたまた、若い頃から続けてきた尺八も毎日吹かなければならないしということで、時間がなかったというのは続かなかった言い訳にもならないか。
それでも、陶器、磁器を眺めたり、食器として使われているのを見るのは大好きである。
観光収入にばかり頼っていると、今回のようなウイルス騒動が起きればどうにもならない。
だから、日本の伝統工芸品は、世界の金持ちたちを相手に売ることをもっと積極的に考えるべきだ。
彼らは世界に二つとない品物を集めたり、飾ったりするのが好きだから、日本の伝統工芸品の一つである佐賀の焼き物ほどふさわしいものはないからである。
陶器より磁器の方が丈夫だし、絵柄が美しいので、素人目にも喜ばれるにちがいない。
そうなると世界の金持ちと日本の伝統工芸品を結びつけるコーデイネーターみたいな存在が大事になってくるだろう。
2020年03月22日
日本の文化「折り紙」
手許に緑と黄の折り鶴がある。
「実現しよう被爆者への国家補償を 京都教職員組合女性部」と印刷されている。
手に入れたのは2015年の4月のことだった。
あれは、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で2度目となるヒロシマ訪問のときである。
語り継ぐ戦争だから、若い人に原爆の惨禍を伝えるため、家族を伴い、安芸の宮島、厳島神社に行った折、原爆ドーム近くの橋の上辺りだったかで、年配の女性たちから頂戴した。
さて、「海外からも注目される『折り紙』の魅力とは?」というタイトルで、3月14日の読売が夕刊の「ジュニアプレス」で高校生、中学生、小学生のジュニア記者が東京文京区の「おりがみ会館」を訪ね、館長の小林一夫さん(78)に取材した結果を伝えている。
小林さんは江戸時代創業という和紙専門店「ゆしまの小林の4代目で、NPO法人「国際おりがみ協会」の理事長も務めている。
折り鶴などの伝承作品は300種類近くあるといい、中2階にあるギャラリーの壁には伝承折り紙の数々が展示されている。
折り紙の歴史は古く、中国から紙の製法が伝わった7世紀頃に遡る。日本では丈夫な和紙が作られ、江戸時代には商品のおまけや子どもの遊びとして普及。明治に入り子どもの創造性を育むとして教育に取り入れられ、正方形の折り紙が製造されるようになったそうな。
同館では、フランスや南米など海外からの研修生を受け入れていたことがあり、染紙や折り紙体験のほか、折り紙の実演販売などにとりくんでもらったこともあった。
最近では手先を使うリハビリテーションとして、病院や高齢者施設などの福祉の世界でも折り紙は活用されている。
先人の知恵や心遣いが詰まっている日本独自の文化である折り紙を「東京五輪を契機に世界中に広めていきたい」と小林さん。
いつ頃から折り鶴が見舞いの品になったり、被爆者に捧げられるようになったか知りたかったが、そのことは判然としなかったけれど、いずれにしても、折り紙は、言葉の表現にも使われている。
折り紙の原点ではないかと勝手に思い込んでいるが、確かな品物、品質の良さは折り紙つきという。
この場合の折り紙が、楽しみの折り紙に広がっていったのではないか。
わが家の柴犬が元気がなくなって、朝の散歩はともかく、夕方は自宅の近所をほんの僅かばかり歩くだけになってしまったが、このとき、よく見かけるのは高齢者のデイサービスの送迎車である。
先年亡くなったわが母も、80代半ばから認知症になってしまったが、この認知症の予防に指先を使う折り紙が役立つと思っていた。
というのも、連れ合いの母親、義母は針仕事が大好きで、いろいろな小物を良く作ってくれたが、先年亡くなる直前まで、歩くのは不自由になっても頭はしっかりしていたからである。
手先を使うことが認知症防止には絶対不可欠で、日本の伝統工芸品というか民芸品でもあるざるなどの手作りの籠を作っている人や機織りをしている人がボケた話がないからだ。
これからは、50代くらいから折り紙を嗜むことで、認知症予防につながるはずだから、ボケたくない人は折り紙をやるといい。
「実現しよう被爆者への国家補償を 京都教職員組合女性部」と印刷されている。
手に入れたのは2015年の4月のことだった。
あれは、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で2度目となるヒロシマ訪問のときである。
語り継ぐ戦争だから、若い人に原爆の惨禍を伝えるため、家族を伴い、安芸の宮島、厳島神社に行った折、原爆ドーム近くの橋の上辺りだったかで、年配の女性たちから頂戴した。
さて、「海外からも注目される『折り紙』の魅力とは?」というタイトルで、3月14日の読売が夕刊の「ジュニアプレス」で高校生、中学生、小学生のジュニア記者が東京文京区の「おりがみ会館」を訪ね、館長の小林一夫さん(78)に取材した結果を伝えている。
小林さんは江戸時代創業という和紙専門店「ゆしまの小林の4代目で、NPO法人「国際おりがみ協会」の理事長も務めている。
折り鶴などの伝承作品は300種類近くあるといい、中2階にあるギャラリーの壁には伝承折り紙の数々が展示されている。
折り紙の歴史は古く、中国から紙の製法が伝わった7世紀頃に遡る。日本では丈夫な和紙が作られ、江戸時代には商品のおまけや子どもの遊びとして普及。明治に入り子どもの創造性を育むとして教育に取り入れられ、正方形の折り紙が製造されるようになったそうな。
同館では、フランスや南米など海外からの研修生を受け入れていたことがあり、染紙や折り紙体験のほか、折り紙の実演販売などにとりくんでもらったこともあった。
最近では手先を使うリハビリテーションとして、病院や高齢者施設などの福祉の世界でも折り紙は活用されている。
先人の知恵や心遣いが詰まっている日本独自の文化である折り紙を「東京五輪を契機に世界中に広めていきたい」と小林さん。
いつ頃から折り鶴が見舞いの品になったり、被爆者に捧げられるようになったか知りたかったが、そのことは判然としなかったけれど、いずれにしても、折り紙は、言葉の表現にも使われている。
折り紙の原点ではないかと勝手に思い込んでいるが、確かな品物、品質の良さは折り紙つきという。
この場合の折り紙が、楽しみの折り紙に広がっていったのではないか。
わが家の柴犬が元気がなくなって、朝の散歩はともかく、夕方は自宅の近所をほんの僅かばかり歩くだけになってしまったが、このとき、よく見かけるのは高齢者のデイサービスの送迎車である。
先年亡くなったわが母も、80代半ばから認知症になってしまったが、この認知症の予防に指先を使う折り紙が役立つと思っていた。
というのも、連れ合いの母親、義母は針仕事が大好きで、いろいろな小物を良く作ってくれたが、先年亡くなる直前まで、歩くのは不自由になっても頭はしっかりしていたからである。
手先を使うことが認知症防止には絶対不可欠で、日本の伝統工芸品というか民芸品でもあるざるなどの手作りの籠を作っている人や機織りをしている人がボケた話がないからだ。
これからは、50代くらいから折り紙を嗜むことで、認知症予防につながるはずだから、ボケたくない人は折り紙をやるといい。
2020年02月23日
日本の文化を支える 木桶製造の技術を伝承
醤油や味噌、日本酒を仕込むのに使われる木桶への関心が高まっている。と2月19日の読売がくらしの紙面で伝えている。
読売によれば、香川県小豆島町で「木桶による発酵文化サミットin小豆島」が開かれるなど、伝統的な製法の魅力を伝え、技術を継承しようという取り組みが広がっている。
木桶仕込みをするメーカーは減少の一途を辿り、現在醤油の場合、流通量の1%以下だという。それに伴い醸造用の木桶の製造も減り続け、「このままでは日本の伝統文化が消滅してしまう」と危機感を抱いた小豆島のヤマロク醤油の5代目山本康夫さん(47)が2012年に「木桶職人復活プロジェクト」をスタートさせた。
毎年1月に業界関係者らが集まり、桶の製造技術を磨いている。
同プロジェクトは4月4日、東京渋谷のヒカリエでもサミットを開く予定だという。
一方、東日本大震災の被災地では、木桶を地域振興につなげようとしている。
宮城県塩釜市で醤油や味噌を製造する太田與八郎商店は震災で木桶が壊れたため、1月に必要な資金の一部をクラウドファンデイングで集め、木桶を新調した。
塩釜で11月20、21日に開催される「全国醤油サミットin塩釜」では、木桶で仕込んだ醤油をお披露目するとも。
日本酒では酒どころ秋田の新政酒造は秋田杉で木桶をつくることを目標にしている。
今や発酵食品が体に良いことは世界的に認められているが、国土の7割が森林という日本では、その発酵文化を木桶を使い伝承してきた歴史がある。
入れ物の材質でいえば、陶器や甕は日本でも大いに使われているが、もとはといえば、中国や朝鮮半島から渡来してきたものが少なくない。
一方、木桶は日本の発酵食品製造に欠かせないものとして、酒樽、味噌樽、醤油樽という具合に使われてきた。
開拓村で生きる人の暮らしを描いた映画、澄川嘉彦監督『タイマグラばあちゃん』を観たことを思い出した。
岩手県は早池峰山の山麓タイマグラと呼ばれる地域を10軒くらいの農民が戦後、開拓し、東京五輪の頃までに皆この地を去ってしまったが、最後まで残ったのがばあちゃんだった。
当然、自給自足の生活だから、味噌、醤油も自家製だったと記憶する。
物置には酵母菌が棲みついているといっていたが、容器は樽を使っていたのではなかったか。
自分の住む街には子どもの頃醤油工場があり、そこで、醤油樽がたくさんあるのを見た覚えもあるが、その後、工場は失火か放火か知らないが、火事を出し、お湯やに転業し、やがて、倒産して、土地は新興宗教団体に売り、団体の建造物が立つ。
陶器や甕は生きていないので呼吸をしないが、木は枯れても生きているのか、羽目板なども乾燥すると隙間ができるほど、微妙に呼吸しているかのような作用を持つ。
陶器と甕には容器の中身が沁み込むことはないが、木は中身が沁み込むということで、生き物である発酵の菌にとって快適な棲みかとなるのではないか。
先人の知恵である、味噌、醤油、酒という発酵を活かした製品を作る過程で木桶を使ってきた文化を伝承させていくことは日本の将来にとっても実に大事なことだし、林業を活性化させるためにも役立つ。
大いにエールをおくりたい。
読売によれば、香川県小豆島町で「木桶による発酵文化サミットin小豆島」が開かれるなど、伝統的な製法の魅力を伝え、技術を継承しようという取り組みが広がっている。
木桶仕込みをするメーカーは減少の一途を辿り、現在醤油の場合、流通量の1%以下だという。それに伴い醸造用の木桶の製造も減り続け、「このままでは日本の伝統文化が消滅してしまう」と危機感を抱いた小豆島のヤマロク醤油の5代目山本康夫さん(47)が2012年に「木桶職人復活プロジェクト」をスタートさせた。
毎年1月に業界関係者らが集まり、桶の製造技術を磨いている。
同プロジェクトは4月4日、東京渋谷のヒカリエでもサミットを開く予定だという。
一方、東日本大震災の被災地では、木桶を地域振興につなげようとしている。
宮城県塩釜市で醤油や味噌を製造する太田與八郎商店は震災で木桶が壊れたため、1月に必要な資金の一部をクラウドファンデイングで集め、木桶を新調した。
塩釜で11月20、21日に開催される「全国醤油サミットin塩釜」では、木桶で仕込んだ醤油をお披露目するとも。
日本酒では酒どころ秋田の新政酒造は秋田杉で木桶をつくることを目標にしている。
今や発酵食品が体に良いことは世界的に認められているが、国土の7割が森林という日本では、その発酵文化を木桶を使い伝承してきた歴史がある。
入れ物の材質でいえば、陶器や甕は日本でも大いに使われているが、もとはといえば、中国や朝鮮半島から渡来してきたものが少なくない。
一方、木桶は日本の発酵食品製造に欠かせないものとして、酒樽、味噌樽、醤油樽という具合に使われてきた。
開拓村で生きる人の暮らしを描いた映画、澄川嘉彦監督『タイマグラばあちゃん』を観たことを思い出した。
岩手県は早池峰山の山麓タイマグラと呼ばれる地域を10軒くらいの農民が戦後、開拓し、東京五輪の頃までに皆この地を去ってしまったが、最後まで残ったのがばあちゃんだった。
当然、自給自足の生活だから、味噌、醤油も自家製だったと記憶する。
物置には酵母菌が棲みついているといっていたが、容器は樽を使っていたのではなかったか。
自分の住む街には子どもの頃醤油工場があり、そこで、醤油樽がたくさんあるのを見た覚えもあるが、その後、工場は失火か放火か知らないが、火事を出し、お湯やに転業し、やがて、倒産して、土地は新興宗教団体に売り、団体の建造物が立つ。
陶器や甕は生きていないので呼吸をしないが、木は枯れても生きているのか、羽目板なども乾燥すると隙間ができるほど、微妙に呼吸しているかのような作用を持つ。
陶器と甕には容器の中身が沁み込むことはないが、木は中身が沁み込むということで、生き物である発酵の菌にとって快適な棲みかとなるのではないか。
先人の知恵である、味噌、醤油、酒という発酵を活かした製品を作る過程で木桶を使ってきた文化を伝承させていくことは日本の将来にとっても実に大事なことだし、林業を活性化させるためにも役立つ。
大いにエールをおくりたい。
2020年01月10日
国内農業の生産基盤強化と低い国内食料自給率
「島耕作、次世代農業の現場へ」「きゅうりの町、就農支援へ」という見出しでJAグループが12月22日の読売の紙面1頁に広告を掲載していた。
興味を惹かれたのは「低い国内食料自給率 国際情勢が食卓に影響」という囲み記事で東京農業大学上岡美保教授に食料自給率の低さがもたらす問題とその解決策について訊いていたことである。
2018年度のわが国の食料自給率は、過去最低の37%(カロリーベース)で、先進諸国と較べて極めて低い。
25年度までの国の目標値の45%を8㌽も下回っている。
食料自給率が必要なレベルに達していないと、国際紛争や異常気象などで国外から食料が輸入できなくなったとき、国内で食料不足が起きる可能性が高まる。
食料安全保障の点から食料自給率の向上が急がれるばかりでなく、環境保全、食文化の継承という点からも、食料自給率の向上は求められている。
食料を海外から輸入するには国内輸送の難波鋳物エネルギーを消費するうえ、多くの二酸化炭素を発生させるからだ。
食料自給率を上げるには計算式の分母である国内消費量を減らす、あるいは分子の国内生産量を増やすことが考えられるが、前者なら食品ロスを減らす。後者なら、国を挙げて国内の農業基盤の強化を図り、生産力をアップさせると同時に消費者が農産物の価値を正しく評価し、消費することが求められる。
JAはTPP反対といっていたが、選挙ではTPP推進の自民党を支持してきたという矛盾を抱えている。
自民党政権が米国のトランプ大統領に脅され、日米二国間の自由貿易協定FTAを結ばされ、牛肉の関税など、米国に不都合なものは撤廃される見通しだ。
支持してきた自民党に裏切られ、JA解体、米国のグローバル企業を参入させようと企図する自民党をまだ支持するなどJAにはおめでたい人間しかいない。
JAは農薬と化学肥料を売ってきたが、これからの農業は有機無農薬の時代である。
飛騨高山の酪農家が乳酸菌を使って、臭わない牛舎というものを作りだした。
そして、その牛舎で生産された牛糞から作られた肥料商品名みな土をJAが取り扱うように農協に要請したが、旧態依然たるJAの職員は耳を貸そうともしなかった。
これでは、農協の将来はない。
もう少しましな理事、職員が育たなければ本当に農協の存在価値がない。
高知の馬路村、徳島の上勝町がユズや、葉っぱビジネスで成功したのはしっかりしたリーダーがいたからである。
無論農協も無関係ではない。
農協がやるべきは、食の安全、食料自給率の向上など、農業の価値を見直すことではないか。
農業の生産基盤の強化が必要なことは言うまでもないが、米国がやらない、食の安全という面にもっと力を入れることで、米国の大量生産に勝てる農産物をつくることである。
酪農、養豚、養鶏、これらが狂牛病、豚コレラ、鳥インフルなど昔なら考えられないことでダメージを受けてきた。
だからこそ、飛騨高山での乳酸菌による牛舎の無臭化の成功が新しい酪農、養豚、養鶏業となっていくはずである。
興味を惹かれたのは「低い国内食料自給率 国際情勢が食卓に影響」という囲み記事で東京農業大学上岡美保教授に食料自給率の低さがもたらす問題とその解決策について訊いていたことである。
2018年度のわが国の食料自給率は、過去最低の37%(カロリーベース)で、先進諸国と較べて極めて低い。
25年度までの国の目標値の45%を8㌽も下回っている。
食料自給率が必要なレベルに達していないと、国際紛争や異常気象などで国外から食料が輸入できなくなったとき、国内で食料不足が起きる可能性が高まる。
食料安全保障の点から食料自給率の向上が急がれるばかりでなく、環境保全、食文化の継承という点からも、食料自給率の向上は求められている。
食料を海外から輸入するには国内輸送の難波鋳物エネルギーを消費するうえ、多くの二酸化炭素を発生させるからだ。
食料自給率を上げるには計算式の分母である国内消費量を減らす、あるいは分子の国内生産量を増やすことが考えられるが、前者なら食品ロスを減らす。後者なら、国を挙げて国内の農業基盤の強化を図り、生産力をアップさせると同時に消費者が農産物の価値を正しく評価し、消費することが求められる。
JAはTPP反対といっていたが、選挙ではTPP推進の自民党を支持してきたという矛盾を抱えている。
自民党政権が米国のトランプ大統領に脅され、日米二国間の自由貿易協定FTAを結ばされ、牛肉の関税など、米国に不都合なものは撤廃される見通しだ。
支持してきた自民党に裏切られ、JA解体、米国のグローバル企業を参入させようと企図する自民党をまだ支持するなどJAにはおめでたい人間しかいない。
JAは農薬と化学肥料を売ってきたが、これからの農業は有機無農薬の時代である。
飛騨高山の酪農家が乳酸菌を使って、臭わない牛舎というものを作りだした。
そして、その牛舎で生産された牛糞から作られた肥料商品名みな土をJAが取り扱うように農協に要請したが、旧態依然たるJAの職員は耳を貸そうともしなかった。
これでは、農協の将来はない。
もう少しましな理事、職員が育たなければ本当に農協の存在価値がない。
高知の馬路村、徳島の上勝町がユズや、葉っぱビジネスで成功したのはしっかりしたリーダーがいたからである。
無論農協も無関係ではない。
農協がやるべきは、食の安全、食料自給率の向上など、農業の価値を見直すことではないか。
農業の生産基盤の強化が必要なことは言うまでもないが、米国がやらない、食の安全という面にもっと力を入れることで、米国の大量生産に勝てる農産物をつくることである。
酪農、養豚、養鶏、これらが狂牛病、豚コレラ、鳥インフルなど昔なら考えられないことでダメージを受けてきた。
だからこそ、飛騨高山での乳酸菌による牛舎の無臭化の成功が新しい酪農、養豚、養鶏業となっていくはずである。
2019年10月09日
白石和紙 中学で授業
日本の伝統芸能、伝統工芸など日本文化をこよなく愛する日本人の一人として、目に留まったのが10月3日の読売が「地域力」と題して連載している自治体とそこの特色、名産品などの紹介記事である。
「白石和紙伝承 中学で授業」、「羽生選手賞状や照明に」という見出しで紹介されていたのは宮城県白石市が誇る白石和紙だった。
読売によれば、白石市西部の山峡にある同市立小原中学校(生徒15人)で7月9日、生徒たちが地元の特産品白石和紙を使ったうちわ作りに挑戦した。
指導したのは、白石和紙の伝承に取り組む市内の住民グループ「蔵富人」(くらふとと読むらしい)のメンバー5人。
作業に先立ち、「蔵富人」代表の阿部桂治さん(51)が伊達政宗が生産を奨励して広まったことや、しなやかで丈夫な特徴を生かして紙の着物としても普及したことなどを紹介した。
「蔵富人」は城下町・白石に残る古い建物を活用したまちおこしを進めようと、地元の有志が1992年に結成。今は20から60歳代の男女10人程度で活動している。
03年から白石和紙を使った照明器具を作るワークショップを続け、作品の展示会も開いている。
15年に唯一残っていた白石和紙工房が職人の高齢化で廃業したが、「蔵富人」のメンバーが指導を受け、伝統的な製法、技術を習得、伝承しようとしている。
一方、白石和紙にはトラフコウゾ」が必要ということで、トロロアオイ共々栽培にも取り組んでいる。
少し前、石州半紙と本美濃紙、細川紙の3つの和紙が、ユネスコの無形文化遺産に登録され、大変喜び、当然、ここでも取り上げた。
ところが、和紙の素晴らしさを悪用するようなことを考えた輩がいる。
語り継ぐ戦争で、神奈川県川崎市にあった陸軍登戸研究所、(現在は明治大学平和研究所登戸資料館)を訪れのは2013年10月のこと。
ここで、和紙を使った風船爆弾を作っていたことを知る。
和紙は石州、美濃、秩父ばかりでなく、越前和紙だって知る人ぞ知るものだし、白石和紙の質の佳さはその歴史を調べれば知られたことだ。
ただし、和紙は出来上がったものの佳さと較べ、手すきで製造する作業と収入が見合わないから、もっと、日本の文化、伝統工芸を護る観点から、国が保護していく必要がある。
特に、原料となる、コウゾ、トロロアオイを育てることにもだ。
和紙だからこそ、歴史に残る書物が保存できたことを考えれば、いかに、貴重なものか理解できるはずである。
障子、灯り、洋服、用途などいくらでもあるし、日本から世界の金持ちに提供する商品として有望株だから、この点ももっと、積極的PRしてもらいたい。
「白石和紙伝承 中学で授業」、「羽生選手賞状や照明に」という見出しで紹介されていたのは宮城県白石市が誇る白石和紙だった。
読売によれば、白石市西部の山峡にある同市立小原中学校(生徒15人)で7月9日、生徒たちが地元の特産品白石和紙を使ったうちわ作りに挑戦した。
指導したのは、白石和紙の伝承に取り組む市内の住民グループ「蔵富人」(くらふとと読むらしい)のメンバー5人。
作業に先立ち、「蔵富人」代表の阿部桂治さん(51)が伊達政宗が生産を奨励して広まったことや、しなやかで丈夫な特徴を生かして紙の着物としても普及したことなどを紹介した。
「蔵富人」は城下町・白石に残る古い建物を活用したまちおこしを進めようと、地元の有志が1992年に結成。今は20から60歳代の男女10人程度で活動している。
03年から白石和紙を使った照明器具を作るワークショップを続け、作品の展示会も開いている。
15年に唯一残っていた白石和紙工房が職人の高齢化で廃業したが、「蔵富人」のメンバーが指導を受け、伝統的な製法、技術を習得、伝承しようとしている。
一方、白石和紙にはトラフコウゾ」が必要ということで、トロロアオイ共々栽培にも取り組んでいる。
少し前、石州半紙と本美濃紙、細川紙の3つの和紙が、ユネスコの無形文化遺産に登録され、大変喜び、当然、ここでも取り上げた。
ところが、和紙の素晴らしさを悪用するようなことを考えた輩がいる。
語り継ぐ戦争で、神奈川県川崎市にあった陸軍登戸研究所、(現在は明治大学平和研究所登戸資料館)を訪れのは2013年10月のこと。
ここで、和紙を使った風船爆弾を作っていたことを知る。
和紙は石州、美濃、秩父ばかりでなく、越前和紙だって知る人ぞ知るものだし、白石和紙の質の佳さはその歴史を調べれば知られたことだ。
ただし、和紙は出来上がったものの佳さと較べ、手すきで製造する作業と収入が見合わないから、もっと、日本の文化、伝統工芸を護る観点から、国が保護していく必要がある。
特に、原料となる、コウゾ、トロロアオイを育てることにもだ。
和紙だからこそ、歴史に残る書物が保存できたことを考えれば、いかに、貴重なものか理解できるはずである。
障子、灯り、洋服、用途などいくらでもあるし、日本から世界の金持ちに提供する商品として有望株だから、この点ももっと、積極的PRしてもらいたい。
2019年09月30日
黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部―美濃の陶器
昨9月29日、所用で東京の表参道に行き、連れ合いと待ち合わせして地下鉄で隣の駅乃木坂で下車、六本木のミッドタウンにあるサントリー美術館で、タイトルのネーミングの展示を鑑賞してきた。
青山熊野神社の祭禮だとかで、表参道では神輿が巡行していたらしいが、六本木にも祭禮を知らせる白地の布が飾られていた。
名前が知られている割に、ほとんど行ったことがない六本木、それもミッドタウンは初めてで、時分時だったから、美術館にある飲食の店で加賀麩を使った料理で昼食をすませた。
若い頃から、いろいろなことに興味関心があり、尺八、書道、柔道・茶道(二つともほとんど続かなかった)、陶芸とそれぞれ教えてくれる教室に通ったものである。
結局、何一つ身につかなかったが、長く続けている尺八は慰霊や供養の旅で役立ち、書も、下手ながら、筆は持てるし、茶道、陶芸では、美術館、博物館に見学に行く楽しみを覚えた。
陶芸は同じ土いじりで、有機無農薬での野菜づくりが忙しく、続けられなくなってしまったが、自分では作品を作れなくとも、鑑賞する楽しみは茶碗づくりを体験している分、充実している。
2019年11月、京都に行ったとき、楽美術館に立ち寄ったが、一番関心がある茶碗づくりの最高峰みたいな場所だから、鑑賞できてよかったと今でも思い出す。
さて、美濃の茶陶であるが、読売新聞で宣伝していたから、知ることができた。サントリー芸術財団50周年と銘打った展示であったが、新聞社が芸術分野の作品展を主催したり、力を貸すのはいいことだ。
作品は素人の自分が論評するなどというのは失礼な国の宝みたいなものばかりだから、専門家がネットに書いている講評に感想は譲る。
ただし、せっかく自分が書くのだから、他者では気づかないことを書いておく。
美濃の陶器に限らないが、茶陶は数寄者と呼ばれる、その時代の金持ちが買い求め、自ら資料館を建て、自慢の一品、逸品として所蔵していたことに注目したい。
今の時代、ネットや己の才覚を使って商売に成功した人間、名前を書けば誰でも知っている人たちも、数寄者を見習って、茶陶や絵画を買い求め、所蔵する作品で収蔵館を作ったり、庭園を造ってほしいと願う。
人間どんなにカネ儲けしてもあの世に持っていくことはできない。
その人間の評価は、カネ儲けした金額の多寡では決してなく、もうけたカネをどうしたかで歴史の評価が決まる。
貧しきものを救済することに使うということもあるかもしれない。
昔どおり、庭園を造る、茶陶や絵画などを蒐集し、所蔵し、公開する。
誰にもできないことで、名を残すということは素晴らしい。
大金持ちよ、数寄者になれといいたい。
青山熊野神社の祭禮だとかで、表参道では神輿が巡行していたらしいが、六本木にも祭禮を知らせる白地の布が飾られていた。
名前が知られている割に、ほとんど行ったことがない六本木、それもミッドタウンは初めてで、時分時だったから、美術館にある飲食の店で加賀麩を使った料理で昼食をすませた。
若い頃から、いろいろなことに興味関心があり、尺八、書道、柔道・茶道(二つともほとんど続かなかった)、陶芸とそれぞれ教えてくれる教室に通ったものである。
結局、何一つ身につかなかったが、長く続けている尺八は慰霊や供養の旅で役立ち、書も、下手ながら、筆は持てるし、茶道、陶芸では、美術館、博物館に見学に行く楽しみを覚えた。
陶芸は同じ土いじりで、有機無農薬での野菜づくりが忙しく、続けられなくなってしまったが、自分では作品を作れなくとも、鑑賞する楽しみは茶碗づくりを体験している分、充実している。
2019年11月、京都に行ったとき、楽美術館に立ち寄ったが、一番関心がある茶碗づくりの最高峰みたいな場所だから、鑑賞できてよかったと今でも思い出す。
さて、美濃の茶陶であるが、読売新聞で宣伝していたから、知ることができた。サントリー芸術財団50周年と銘打った展示であったが、新聞社が芸術分野の作品展を主催したり、力を貸すのはいいことだ。
作品は素人の自分が論評するなどというのは失礼な国の宝みたいなものばかりだから、専門家がネットに書いている講評に感想は譲る。
ただし、せっかく自分が書くのだから、他者では気づかないことを書いておく。
美濃の陶器に限らないが、茶陶は数寄者と呼ばれる、その時代の金持ちが買い求め、自ら資料館を建て、自慢の一品、逸品として所蔵していたことに注目したい。
今の時代、ネットや己の才覚を使って商売に成功した人間、名前を書けば誰でも知っている人たちも、数寄者を見習って、茶陶や絵画を買い求め、所蔵する作品で収蔵館を作ったり、庭園を造ってほしいと願う。
人間どんなにカネ儲けしてもあの世に持っていくことはできない。
その人間の評価は、カネ儲けした金額の多寡では決してなく、もうけたカネをどうしたかで歴史の評価が決まる。
貧しきものを救済することに使うということもあるかもしれない。
昔どおり、庭園を造る、茶陶や絵画などを蒐集し、所蔵し、公開する。
誰にもできないことで、名を残すということは素晴らしい。
大金持ちよ、数寄者になれといいたい。
2019年09月29日
『幽玄』
月に一度の映画館行き、9月は、坂東玉三郎演出、主演、鼓動共演のシネマ歌舞伎『幽玄』を観てきた。
月に一度とはいいながら、無農薬での野菜づくり、草むしり、虫取りで忙しく、映画館に行ける日時が限られている関係で、観たい映画が必ずしも観られるわけではないが、シネマ歌舞伎は、普段なかなか観られない芝居が映画館という身近な場所で2100円で観られるのでありがたい。
『幽玄』は歌舞伎界の女形というより、歌舞伎界のトップランナーで追随するものがいない坂東玉三郎という稀有な役者が佐渡島を本拠地にする太鼓集団鼓動の指導をして17年、過去、公演された作品とは視点を変え、能の世界から、羽衣、娘道成寺、石橋の三作品を玉三郎が鼓動の太鼓で演じると、2000円で買い求めた資料に書いてある。
能については恥ずかしながら勉強不足であるが、羽衣は、三保の松原で天から舞い降りた天女が木にかけていた羽衣を漁師に取られてしまい、舞姿を見せるから、返してほしいと頼むというような筋書きだ。
娘道成寺は、恋の妄執の話で、鐘を見せてほしいと女人禁制の寺にやってきた白拍子が舞姿を見せることで許可を得て、舞を披露するうちに鐘の中に入ってしまい、出てきたときは男女だったというような情炎の物語である。
石橋は、中国の清涼山にある石橋を渡ろうとする法師の前に、童子が現れ、神仏の加護なしには渡れないからしばらく待てというと、やがて、獅子が現れて…。という話だった。
石橋(しゃっきょうと読む)は筝曲にあるので、知っていたが、そういえば、太鼓集団の鼓動のメンバー3人のうち、2人は女性に見えたが、箏を演奏したし、笛を吹く人もいたくらい、皆芸達者だということを知った。
鼓動の本拠地佐渡島といえば、語り継ぐ戦争と遊女、女郎と呼ばれし女性たちへの供養で2017年の8月に訪れているが、鼓動の本拠地には行かれなかった。
しかし、過去、佐渡島で活動した鬼太鼓座のことを紹介した映画を観ているので、佐渡の風土と和太鼓が妙に似合っていることは知っている。
その昔、佐渡金山で働く鉱山労働者の稼いだカネをまきあげるべく、つくられた佐渡の水金遊廓。
廓で働く女郎と金山で働く無宿人の恋を描いた津村節子『海鳴』(文春文庫)を読んで、とうとう、佐渡島に渡ってしまったが、せっかく佐渡に行ったにもかかわらず、鼓動の見学まではできなかったのが残念である。
シネマ歌舞伎『幽玄』というタイトル通り、玉三郎が日本の美を教えてくれたが、この人には早く文化勲章をあげるべきではないか。
月に一度とはいいながら、無農薬での野菜づくり、草むしり、虫取りで忙しく、映画館に行ける日時が限られている関係で、観たい映画が必ずしも観られるわけではないが、シネマ歌舞伎は、普段なかなか観られない芝居が映画館という身近な場所で2100円で観られるのでありがたい。
『幽玄』は歌舞伎界の女形というより、歌舞伎界のトップランナーで追随するものがいない坂東玉三郎という稀有な役者が佐渡島を本拠地にする太鼓集団鼓動の指導をして17年、過去、公演された作品とは視点を変え、能の世界から、羽衣、娘道成寺、石橋の三作品を玉三郎が鼓動の太鼓で演じると、2000円で買い求めた資料に書いてある。
能については恥ずかしながら勉強不足であるが、羽衣は、三保の松原で天から舞い降りた天女が木にかけていた羽衣を漁師に取られてしまい、舞姿を見せるから、返してほしいと頼むというような筋書きだ。
娘道成寺は、恋の妄執の話で、鐘を見せてほしいと女人禁制の寺にやってきた白拍子が舞姿を見せることで許可を得て、舞を披露するうちに鐘の中に入ってしまい、出てきたときは男女だったというような情炎の物語である。
石橋は、中国の清涼山にある石橋を渡ろうとする法師の前に、童子が現れ、神仏の加護なしには渡れないからしばらく待てというと、やがて、獅子が現れて…。という話だった。
石橋(しゃっきょうと読む)は筝曲にあるので、知っていたが、そういえば、太鼓集団の鼓動のメンバー3人のうち、2人は女性に見えたが、箏を演奏したし、笛を吹く人もいたくらい、皆芸達者だということを知った。
鼓動の本拠地佐渡島といえば、語り継ぐ戦争と遊女、女郎と呼ばれし女性たちへの供養で2017年の8月に訪れているが、鼓動の本拠地には行かれなかった。
しかし、過去、佐渡島で活動した鬼太鼓座のことを紹介した映画を観ているので、佐渡の風土と和太鼓が妙に似合っていることは知っている。
その昔、佐渡金山で働く鉱山労働者の稼いだカネをまきあげるべく、つくられた佐渡の水金遊廓。
廓で働く女郎と金山で働く無宿人の恋を描いた津村節子『海鳴』(文春文庫)を読んで、とうとう、佐渡島に渡ってしまったが、せっかく佐渡に行ったにもかかわらず、鼓動の見学まではできなかったのが残念である。
シネマ歌舞伎『幽玄』というタイトル通り、玉三郎が日本の美を教えてくれたが、この人には早く文化勲章をあげるべきではないか。
2019年09月10日
日本の美 庭園
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、この10年、日本全国の慰霊碑を周り、追悼、供養のためにお参りしてきた。
訪ねた街では、戦没者ばかりでなく、虐げられし民、遊女、女郎と呼ばれし女性たちの慰霊碑があれば、併せてお参りしている。
ただ、自分はこれで、旅の目的を果たしたことになるが、一緒に歩いてくれている連れ合いへの慰労を兼ねて、温泉地に泊ったり、神社仏閣へのお参り、拝観、観光などもしてきた。
神社仏閣では、仏像や文化財よりも庭園に興味関心を持っていて、庭園があれば必ず眺めさせてもらう。
庭園といえば、9月1日の読売、文化の紙面、「本よみうり堂」で「涼を感じる庭編」と題し、枡野俊明さんが水野克比古さんの写真集『京都・禅寺の名庭』(光村推古書院)の書評を担当している。
枡野さんは横浜市にある曹洞宗の禅寺建功寺の住職で、庭園のデザインをすることで知られた人物である。
確か、NHKのEテレだったかで庭園を取り上げていたときに出演していて、この番組を視聴し、名前は知っていた。
わが家は首都圏の田舎町にあって、旧家で、素封家として知られる本家からの分家で、昔のことだから、財産を分けてもらったわけがあったわけではなく、商売で成功した祖父が子どもがいない分の楽しみに庭に池を作り、鯉に餌をやっていたらしい。
池の周囲に松や伽羅や紅葉、モチノキなどを植えていたので、さほど広くはないが、植木職人が毎年、刈込に来ていた。
ところが、方丈記ではないが、没落というのか、件の池は自分が物心ついた時には壊れてしまい、土蔵は漆喰の壁に野球のボールをぶつけて壊してしまい、松、伽羅、紅葉みな枯れてしまい、今では見る影もない、情けない状態になっている。
ただし、昨日の台風15号の大雨がその壊れた池にたまり、雨水の排水池として役立ってはいる。
しかし、子ども心にこの庭で育ったから、長じて庭園に関心を持ることになったのだろう。
庭園の素人ではあるが、日本の庭園は池の周りを歩き、眺める池泉回遊式と呼ばれるものと、禅寺の庭にみられる砂利と石の枯山水と呼ばれるものがあり、枯山水の庭園は、「簡素の美 心の境地」だと枡野さん。
水野さんの写真集では、大徳寺の塔頭大仙院、天竜寺の曹源池庭園、竜安寺の方丈庭園と日本の名園とされている庭園のことが書評で取り上げられていたが、この3カ所は若い頃、一度行ったことがあるが、死ぬまでにもう一度眺めておきたいと意欲がわいてきた。
庭園は写真集で見るのも一興だが、現地に行き、ゆっくり何も考えずに眺めるというのは至福のときである。
訪ねた街では、戦没者ばかりでなく、虐げられし民、遊女、女郎と呼ばれし女性たちの慰霊碑があれば、併せてお参りしている。
ただ、自分はこれで、旅の目的を果たしたことになるが、一緒に歩いてくれている連れ合いへの慰労を兼ねて、温泉地に泊ったり、神社仏閣へのお参り、拝観、観光などもしてきた。
神社仏閣では、仏像や文化財よりも庭園に興味関心を持っていて、庭園があれば必ず眺めさせてもらう。
庭園といえば、9月1日の読売、文化の紙面、「本よみうり堂」で「涼を感じる庭編」と題し、枡野俊明さんが水野克比古さんの写真集『京都・禅寺の名庭』(光村推古書院)の書評を担当している。
枡野さんは横浜市にある曹洞宗の禅寺建功寺の住職で、庭園のデザインをすることで知られた人物である。
確か、NHKのEテレだったかで庭園を取り上げていたときに出演していて、この番組を視聴し、名前は知っていた。
わが家は首都圏の田舎町にあって、旧家で、素封家として知られる本家からの分家で、昔のことだから、財産を分けてもらったわけがあったわけではなく、商売で成功した祖父が子どもがいない分の楽しみに庭に池を作り、鯉に餌をやっていたらしい。
池の周囲に松や伽羅や紅葉、モチノキなどを植えていたので、さほど広くはないが、植木職人が毎年、刈込に来ていた。
ところが、方丈記ではないが、没落というのか、件の池は自分が物心ついた時には壊れてしまい、土蔵は漆喰の壁に野球のボールをぶつけて壊してしまい、松、伽羅、紅葉みな枯れてしまい、今では見る影もない、情けない状態になっている。
ただし、昨日の台風15号の大雨がその壊れた池にたまり、雨水の排水池として役立ってはいる。
しかし、子ども心にこの庭で育ったから、長じて庭園に関心を持ることになったのだろう。
庭園の素人ではあるが、日本の庭園は池の周りを歩き、眺める池泉回遊式と呼ばれるものと、禅寺の庭にみられる砂利と石の枯山水と呼ばれるものがあり、枯山水の庭園は、「簡素の美 心の境地」だと枡野さん。
水野さんの写真集では、大徳寺の塔頭大仙院、天竜寺の曹源池庭園、竜安寺の方丈庭園と日本の名園とされている庭園のことが書評で取り上げられていたが、この3カ所は若い頃、一度行ったことがあるが、死ぬまでにもう一度眺めておきたいと意欲がわいてきた。
庭園は写真集で見るのも一興だが、現地に行き、ゆっくり何も考えずに眺めるというのは至福のときである。
2019年09月03日
和紙材料ピンチ トロロアオイ農家生産中止か
伝統的な手すき和紙づくりの存続が危機を迎えている。とメデイアが伝えている。
読売が7月30日に、朝日が6月9日にそれぞれ伝えていた。
朝日DIGITALによれば、生産に不可欠なトロロアオイを栽培する茨城県小美玉市の農家5戸が、来年で作付けをやめる方針を決めたからだ。この5戸で全国生産の7、8割を占めており、和紙生産者には大打撃になりかねない。
作付けをやめる最大の理由は高齢化と重労働だ。5戸の農家はいずれも60代〜70代半ば。
2018年、全員で協議のうえ「これ以上続けるのは難しい」と判断した。昨秋の出荷の際、2020年秋以降は生産できないと伝える文書を添えた。
トロロアオイはアオイ科の植物で、秋に収穫する。根からつくる「ねり」は手すき和紙づくりに欠かせない。
日本特産農産物協会のまとめでは、16年度の国内生産量の87%(17トン)、17年度の同67%(13トン)を、小美玉市小川地区で栽培している。
栽培が大変なのは機械化が難しいからだ。商品となる根の部分を太くするために新芽を摘み取る「芽かき」は、夏の炎天下に手作業で行う。農薬に弱く除草剤が使えないため、草取りも手作業だ。重労働が嫌われ、繁忙期のパート従業員を集めるのにも苦労しているという。
同市では約30年前、約50戸が栽培していたという。その後減り続け、ここ数年は、和紙生産者の需要を満たせない状態が続いてきた。以前から農協に苦境を訴えてきたが、国や県から補助金などの支援はないという。
朗報もある。
読売によれば、福井県和紙工業協同組合の五十嵐康三副理事長らが栽培方法を学びに5月、小美玉の農家田上進さん(63)を訪れたという。
和紙や漆を共同で守る試みが始まっていると8月20日の読売が文化財継承の今その2、「つなぐ」で取り上げている。
ここには、トロロアオイのことは書いてなかったが、ユネスコの無形文化遺産に日本の和紙が指定されたことで脚光を浴びるようになった和紙の材料がピンチだというのは放っておけない。
「越前鳥の子紙」、「美濃紙」、石州半紙」がネリにトロロアオイを用いる必要があるというのだから、それぞれの地域でトロロアオイを生産するしかない。
やる気になれば、できないことはないはずだ。
グローバル化だと言い、米国を中心とする多国籍企業がカネ儲けのため、米国政府を動かし、属国となってしまった日本政府を思いのままに操り、横浜にカジノをつくるという。
反米の自分は絶対反対だが、旗振り役が横浜を選挙で地盤とする官房長官だというから決まってしまうかもしれない。
カネ儲けというのは実によろしくない。
和紙はカネ儲けとは程遠いが、歴史を積み重ね、記録が遺されてきたのは和紙があったからである。
パソコンだからペーパーレスだなどといっても、印刷するときは、紙が必要で再生紙では、やがて、変色し、長持ちしない。
若い頃書道をたしなんでいたから、和紙についてはよく知っているし、日本大好き人間の一人だから、障子紙、ふすま、ランプシェードと和紙の効用についてもよく知っているつもりだ。
和紙は日本の宝である。
国策で保護する必要があるものだ。
読売が7月30日に、朝日が6月9日にそれぞれ伝えていた。
朝日DIGITALによれば、生産に不可欠なトロロアオイを栽培する茨城県小美玉市の農家5戸が、来年で作付けをやめる方針を決めたからだ。この5戸で全国生産の7、8割を占めており、和紙生産者には大打撃になりかねない。
作付けをやめる最大の理由は高齢化と重労働だ。5戸の農家はいずれも60代〜70代半ば。
2018年、全員で協議のうえ「これ以上続けるのは難しい」と判断した。昨秋の出荷の際、2020年秋以降は生産できないと伝える文書を添えた。
トロロアオイはアオイ科の植物で、秋に収穫する。根からつくる「ねり」は手すき和紙づくりに欠かせない。
日本特産農産物協会のまとめでは、16年度の国内生産量の87%(17トン)、17年度の同67%(13トン)を、小美玉市小川地区で栽培している。
栽培が大変なのは機械化が難しいからだ。商品となる根の部分を太くするために新芽を摘み取る「芽かき」は、夏の炎天下に手作業で行う。農薬に弱く除草剤が使えないため、草取りも手作業だ。重労働が嫌われ、繁忙期のパート従業員を集めるのにも苦労しているという。
同市では約30年前、約50戸が栽培していたという。その後減り続け、ここ数年は、和紙生産者の需要を満たせない状態が続いてきた。以前から農協に苦境を訴えてきたが、国や県から補助金などの支援はないという。
朗報もある。
読売によれば、福井県和紙工業協同組合の五十嵐康三副理事長らが栽培方法を学びに5月、小美玉の農家田上進さん(63)を訪れたという。
和紙や漆を共同で守る試みが始まっていると8月20日の読売が文化財継承の今その2、「つなぐ」で取り上げている。
ここには、トロロアオイのことは書いてなかったが、ユネスコの無形文化遺産に日本の和紙が指定されたことで脚光を浴びるようになった和紙の材料がピンチだというのは放っておけない。
「越前鳥の子紙」、「美濃紙」、石州半紙」がネリにトロロアオイを用いる必要があるというのだから、それぞれの地域でトロロアオイを生産するしかない。
やる気になれば、できないことはないはずだ。
グローバル化だと言い、米国を中心とする多国籍企業がカネ儲けのため、米国政府を動かし、属国となってしまった日本政府を思いのままに操り、横浜にカジノをつくるという。
反米の自分は絶対反対だが、旗振り役が横浜を選挙で地盤とする官房長官だというから決まってしまうかもしれない。
カネ儲けというのは実によろしくない。
和紙はカネ儲けとは程遠いが、歴史を積み重ね、記録が遺されてきたのは和紙があったからである。
パソコンだからペーパーレスだなどといっても、印刷するときは、紙が必要で再生紙では、やがて、変色し、長持ちしない。
若い頃書道をたしなんでいたから、和紙についてはよく知っているし、日本大好き人間の一人だから、障子紙、ふすま、ランプシェードと和紙の効用についてもよく知っているつもりだ。
和紙は日本の宝である。
国策で保護する必要があるものだ。
2019年01月24日
荒れる竹林 過疎化で放置 竹の用途を考える
所有者による手入れが行き届かず、放置された竹林が全国的に拡大し続けている。竹林は大雨によって地滑りが起こりやすくなるほか、周りの植物の成長を脅かして生態系に悪影響を及ぼすとされる。
こうした危険性を軽減するため、竹林を整備し、伐採した竹を有効活用する動きも出ている。と1月10日の読売が伝えている。
読売によれば、2018年12月中旬熊本県和水町で竹林が地滑りを起こしたが、熊本県森林保全課の山辺峰人課長補佐は「放置された竹林の対策が必要だが、有効な手立てはない」と話す。
17日から風邪かなと思っていたら、翌日から熱発で不調ではあったものの連れ合いが臥せってしまったため何とか頑張ったが、19日にインフルと診断され、そのまま隔離状態で21日まで臥せっていて、ようやく起き出した。
それでも、何とか、快方に向かっているようだが、相変わらず、薬の後遺症で眠りが浅く、持病のクローン病の関係もあって体調はよろしくない。
そんなとき、出勤途上の37歳の女性がインフルの影響か、ホームから線路に転倒し、電車にはねられたニュースが流れて、インフルでも休めないのだと思い知らされ、自分も気持ちを強く持たなければと思い直す。
さて、竹林が手入れが行き届かず、地滑りの原因になっているからということで、竹林バッシングの雰囲気であるが、ここで、竹について、擁護しておきたい。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、全国の慰霊碑を周ってきたが、慰霊碑の前で般若心経などを唱える代わりに自分が虚無僧尺八の世界で伝承されてきた曲を演奏してきた。
この尺八が竹に5つの穴を開けたもので、歌口と呼ばれるところから息を吹き込み、音を鳴らすという楽器だから、竹のお世話にいつもなっている。
竹にはいろいろ種類があり、尺八は真竹で、竹の子を食すのは孟宗竹だ。
竹は成長が早く、繁茂するから、昔から日本では竹細工が盛んである。
麹を使った食材を活用してきたわが国では、みそ、しょうゆ、酒造りが盛んにおこなわれてきたが、そのとき、使われてきたのが木の樽というか桶で、その樽を締めてきた箍が竹である。
桶にもいろいろあり、おひつや手桶など身近なものもある。
桶の命は箍であるといってもいいくらいで、木の桶を箍がしっかり締めてくれてこそ桶が役立つ。
竹細工は以前、取り上げたこともあるが、越前竹人形とか京都の嵯峨野、大分湯布院など日本全国にあるが、工芸品として笊など用途は多い。
竹は炭としても使われている。
このように使われてきたのだから、きちんと竹林を管理させ、有効に活用していく必要があるだろう。
こうした危険性を軽減するため、竹林を整備し、伐採した竹を有効活用する動きも出ている。と1月10日の読売が伝えている。
読売によれば、2018年12月中旬熊本県和水町で竹林が地滑りを起こしたが、熊本県森林保全課の山辺峰人課長補佐は「放置された竹林の対策が必要だが、有効な手立てはない」と話す。
17日から風邪かなと思っていたら、翌日から熱発で不調ではあったものの連れ合いが臥せってしまったため何とか頑張ったが、19日にインフルと診断され、そのまま隔離状態で21日まで臥せっていて、ようやく起き出した。
それでも、何とか、快方に向かっているようだが、相変わらず、薬の後遺症で眠りが浅く、持病のクローン病の関係もあって体調はよろしくない。
そんなとき、出勤途上の37歳の女性がインフルの影響か、ホームから線路に転倒し、電車にはねられたニュースが流れて、インフルでも休めないのだと思い知らされ、自分も気持ちを強く持たなければと思い直す。
さて、竹林が手入れが行き届かず、地滑りの原因になっているからということで、竹林バッシングの雰囲気であるが、ここで、竹について、擁護しておきたい。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、全国の慰霊碑を周ってきたが、慰霊碑の前で般若心経などを唱える代わりに自分が虚無僧尺八の世界で伝承されてきた曲を演奏してきた。
この尺八が竹に5つの穴を開けたもので、歌口と呼ばれるところから息を吹き込み、音を鳴らすという楽器だから、竹のお世話にいつもなっている。
竹にはいろいろ種類があり、尺八は真竹で、竹の子を食すのは孟宗竹だ。
竹は成長が早く、繁茂するから、昔から日本では竹細工が盛んである。
麹を使った食材を活用してきたわが国では、みそ、しょうゆ、酒造りが盛んにおこなわれてきたが、そのとき、使われてきたのが木の樽というか桶で、その樽を締めてきた箍が竹である。
桶にもいろいろあり、おひつや手桶など身近なものもある。
桶の命は箍であるといってもいいくらいで、木の桶を箍がしっかり締めてくれてこそ桶が役立つ。
竹細工は以前、取り上げたこともあるが、越前竹人形とか京都の嵯峨野、大分湯布院など日本全国にあるが、工芸品として笊など用途は多い。
竹は炭としても使われている。
このように使われてきたのだから、きちんと竹林を管理させ、有効に活用していく必要があるだろう。
2018年12月29日
「日本美を守り伝える『紡ぐプロジェクト』
日本美を守り伝える『紡ぐプロジェクト』−皇室の至宝・国宝プロジェクトーが始まることになったと11月30日の読売が伝えている。
文化庁のHPによれば、「文化庁,宮内庁及び株式会社読売新聞グループ本社は、日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」を共同で進めることに合意した。
国宝・重要文化財及び宮内庁三の丸尚蔵館に収蔵される皇室ゆかりの優品の特別展を開催。
特別展などプロジェクトの収益を活かした文化財修理から美術品を紹介する多言語ポータルサイトの開設運営までを一体的に行う国内初の取組で、平成と次の時代を紡ぐ。」
年の瀬に行く年を振り返ってみて、日本の文化財保護という面で、たいへん、佳いニュースが流れたことを書いておきたい。
国宝、文化財などを展示した収益を、修理に回す、「保存・修理・公開」を一体にするのに、読売が協力するというものである。
読売新聞を生まれる前から購読してきたが、朝日、毎日、読売、産経、東京の中でも、産経と並んで保守的とされ、政治部の記事はまるで安倍自公内閣の機関紙のようで、政権を批判する立場であるはずのジャーナリズムの世界からみれば、情けないダメ新聞である。
内閣の番頭に命じられ、政権に批判的な前川文科省事務次官のことを公安が後をつけまわし調べあげたが、法律に反することなどしていないにもかかわらず、番頭の言うがままにネガテイヴな記事として、個人を貶める記事を掲載して、大いに市民から批判を招いたのも2018年のメデイアの世界で一番のニュースであり、読者を失望させた責任は重大だ。
語り継ぐ戦争で、戦時中、読売が軍の宣伝機関に成り下がり、イケイケで市民を煽った反省もない。
しかし、社会部などは相変わらず、優れた連載などを掲載しており、批判は批判として、佳いこともしているその例として、文化財の修理、保存する費用を公開した時の入場料で賄う、その事業に読売が一役買うというのは大いに結構なことである。
文化財は宝である。
森友に国有財産を不当な価格で払い下げした財務省の役人は売国奴と言われてんも仕方ないと思うが、文化財も国の財産であり、不当に払下げされてはいけないし、大事に保存していく必要がある。
こちらは長い歴史の中で、傷むものだから、修理が欠かせず、その費用の負担をどうするか誰でもわかることで、鑑賞する人が負担の一助を担うというのは理解できることで、文化庁の考えに賛同する。
文化財は長い年月を経て、今日に至るということを考えたとき、市民も協力して、次世代に伝えていかなければならない。
まあ、語り継ぐ戦争と同じで、今の世代の責務である。
文化庁のHPによれば、「文化庁,宮内庁及び株式会社読売新聞グループ本社は、日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」を共同で進めることに合意した。
国宝・重要文化財及び宮内庁三の丸尚蔵館に収蔵される皇室ゆかりの優品の特別展を開催。
特別展などプロジェクトの収益を活かした文化財修理から美術品を紹介する多言語ポータルサイトの開設運営までを一体的に行う国内初の取組で、平成と次の時代を紡ぐ。」
年の瀬に行く年を振り返ってみて、日本の文化財保護という面で、たいへん、佳いニュースが流れたことを書いておきたい。
国宝、文化財などを展示した収益を、修理に回す、「保存・修理・公開」を一体にするのに、読売が協力するというものである。
読売新聞を生まれる前から購読してきたが、朝日、毎日、読売、産経、東京の中でも、産経と並んで保守的とされ、政治部の記事はまるで安倍自公内閣の機関紙のようで、政権を批判する立場であるはずのジャーナリズムの世界からみれば、情けないダメ新聞である。
内閣の番頭に命じられ、政権に批判的な前川文科省事務次官のことを公安が後をつけまわし調べあげたが、法律に反することなどしていないにもかかわらず、番頭の言うがままにネガテイヴな記事として、個人を貶める記事を掲載して、大いに市民から批判を招いたのも2018年のメデイアの世界で一番のニュースであり、読者を失望させた責任は重大だ。
語り継ぐ戦争で、戦時中、読売が軍の宣伝機関に成り下がり、イケイケで市民を煽った反省もない。
しかし、社会部などは相変わらず、優れた連載などを掲載しており、批判は批判として、佳いこともしているその例として、文化財の修理、保存する費用を公開した時の入場料で賄う、その事業に読売が一役買うというのは大いに結構なことである。
文化財は宝である。
森友に国有財産を不当な価格で払い下げした財務省の役人は売国奴と言われてんも仕方ないと思うが、文化財も国の財産であり、不当に払下げされてはいけないし、大事に保存していく必要がある。
こちらは長い歴史の中で、傷むものだから、修理が欠かせず、その費用の負担をどうするか誰でもわかることで、鑑賞する人が負担の一助を担うというのは理解できることで、文化庁の考えに賛同する。
文化財は長い年月を経て、今日に至るということを考えたとき、市民も協力して、次世代に伝えていかなければならない。
まあ、語り継ぐ戦争と同じで、今の世代の責務である。
2018年10月04日
陶芸と布製品の作品展
昨日、知人の奥方が友人と二人で陶芸と布の作品展を開いているということで行ってきた。
知人は自分よりやや先輩ながら、団塊の世代で、奥方の詳しい年齢は知らなかったが、60代だろうか、見目麗しく、おしとかやという今や、死語ではないかという言葉を思い出してしまったほどである。
容姿はともかく、驚いたのは、並べられている作品の繊細さで、陶芸教室に通い、抹茶碗だけ作り続けたが、落伍してしまった自分から見れば、わずか7年のキャリアだというから、これまた信じられず、よほど、適性があったのだろうとみた。
せっかくだからと、土産に作品を買い求めたが、今も、続けられたと仮定しても、自分にはとてもできないし、やろうとも思わないオリジナルな技なのである。
陶芸は、土と火の芸術である。
土を練り、成形し、素焼き、灰でつくった釉薬をかけ、1000度を超すような高温で長時間焼くわけだが、成形した土にどんな意匠を凝らすかは腕のみせどころで、その意匠が細かい作業で、こつこつと仕上げた様子が伝わってきたから、ただただ、感心するばかりだった。
ギャラリ―内の壁面には、もう一人の女性がつくったという大きなパッチワークキルト、話を訊いてみれば、NHKで放送したテキストで独習したということ。
こちらもびっくりで、はじめは気づかなかったが、反対側の壁面には自分で糸を撚り合わせた布を壁掛けのように飾り、着物をほどいて作ったというバッグが並べられていたのである。
知人の奥方は、友人が来られていた由で、作品を仕上げるときのことを少しばかり、聞いただけだったが、布の作者にはいろいろ質問し、実に興味深いことを訊きだしてしまった。
手に職、自立ということもあったのだろうか、教員をしていた由で、体調を崩してしまい、定年前、50代になって仕事を辞めたが、その後、連れ合いを亡くし、元気をなくした。
このとき、出会ったのが布製品だったというのである。
実は、結城の出身で自宅に織り機があり、子どもの頃から母親手作りの洋服を身に着けていて、姉もその方面に進み、自分も大学を出てから、そちら方面に進みたくなったが、親から反対され、実現しなかったそうな。
今の自分の作品は生活の糧とするにはまだまだ未熟であるが、今や、これが私の生きがいになっている。
伝統工芸というか、親が受け継いできたものを何とか受け継いでいきたいし、日本全国にある伝統工芸すべてに共通していると思うが、皆、継承していってほしいと願っているという。
このことは、毎日、書き続けている中で、時折、自分が伝統工芸、伝統芸能のことを取り上げていることにつながるわけで、趣味とはいえ、実践している人にこんな形で巡り合え、嬉しくなってしまったというわけ。
ただし、加齢で視力が低下ということが大きな問題で、大きなルーペが必要みたいだから、自分が身近にいれば、プレゼントするところだが、何とかこの素晴らしい手工芸を続けてほしいものだと願うばかりである。
シニア世代の生き方を考えるときの一つの参考になることではないか。
知人は自分よりやや先輩ながら、団塊の世代で、奥方の詳しい年齢は知らなかったが、60代だろうか、見目麗しく、おしとかやという今や、死語ではないかという言葉を思い出してしまったほどである。
容姿はともかく、驚いたのは、並べられている作品の繊細さで、陶芸教室に通い、抹茶碗だけ作り続けたが、落伍してしまった自分から見れば、わずか7年のキャリアだというから、これまた信じられず、よほど、適性があったのだろうとみた。
せっかくだからと、土産に作品を買い求めたが、今も、続けられたと仮定しても、自分にはとてもできないし、やろうとも思わないオリジナルな技なのである。
陶芸は、土と火の芸術である。
土を練り、成形し、素焼き、灰でつくった釉薬をかけ、1000度を超すような高温で長時間焼くわけだが、成形した土にどんな意匠を凝らすかは腕のみせどころで、その意匠が細かい作業で、こつこつと仕上げた様子が伝わってきたから、ただただ、感心するばかりだった。
ギャラリ―内の壁面には、もう一人の女性がつくったという大きなパッチワークキルト、話を訊いてみれば、NHKで放送したテキストで独習したということ。
こちらもびっくりで、はじめは気づかなかったが、反対側の壁面には自分で糸を撚り合わせた布を壁掛けのように飾り、着物をほどいて作ったというバッグが並べられていたのである。
知人の奥方は、友人が来られていた由で、作品を仕上げるときのことを少しばかり、聞いただけだったが、布の作者にはいろいろ質問し、実に興味深いことを訊きだしてしまった。
手に職、自立ということもあったのだろうか、教員をしていた由で、体調を崩してしまい、定年前、50代になって仕事を辞めたが、その後、連れ合いを亡くし、元気をなくした。
このとき、出会ったのが布製品だったというのである。
実は、結城の出身で自宅に織り機があり、子どもの頃から母親手作りの洋服を身に着けていて、姉もその方面に進み、自分も大学を出てから、そちら方面に進みたくなったが、親から反対され、実現しなかったそうな。
今の自分の作品は生活の糧とするにはまだまだ未熟であるが、今や、これが私の生きがいになっている。
伝統工芸というか、親が受け継いできたものを何とか受け継いでいきたいし、日本全国にある伝統工芸すべてに共通していると思うが、皆、継承していってほしいと願っているという。
このことは、毎日、書き続けている中で、時折、自分が伝統工芸、伝統芸能のことを取り上げていることにつながるわけで、趣味とはいえ、実践している人にこんな形で巡り合え、嬉しくなってしまったというわけ。
ただし、加齢で視力が低下ということが大きな問題で、大きなルーペが必要みたいだから、自分が身近にいれば、プレゼントするところだが、何とかこの素晴らしい手工芸を続けてほしいものだと願うばかりである。
シニア世代の生き方を考えるときの一つの参考になることではないか。
2018年09月09日
九谷焼生地粘土業者操業再開
日本の伝統芸能、伝統工芸をこよなく愛する日本人の一人として、支援を呼びかける発信をしてきたが、8月25日の読売夕刊の「九谷焼支える土 復活」という見出しが目に留まった。
読売によれば、2月の大雪による被害で工場を閉鎖していた九谷焼生地の粘土業者「二股製土所」(石川県小松市)二股裕代表が今夏、5カ月ぶりに操業を再開したというもの。
一時は廃業も検討したが、産地でわずか2軒しかない粘土業者の復活を願う作家や職人から後押しされ、工場の再建にこぎつけたそうな。
今年の冬、北陸地方は金沢市の降雪量が313aに達したという大雪に見舞われ、二股さんの工場の屋根が雪の重みで崩落し、製土工場の廃止も考えたという。
県によると、九谷焼の売り上げは1990年度の165億円から、2014年度は46億円に激減。かつて10軒ほどあった粘土業者の閉鎖が相次ぎ、2軒にまで減り、かつて、最盛期には10人いた従業員も妻の慶子さんを残すのみとなってしまった。
九谷焼は地元小松市で採れる陶石を砕いて粘土状にした生地に色絵をつけて焼き上げる。
陶芸は好きで、作陶を習ったこともあるが、同じ土いじりの畑が忙しく、両立を諦めた。
教室に通っているとき、薪窯で焼いてもらった湯飲みを愛用しているくらいだし、若い頃、陶芸の全集、(平凡社だったか)を買い求めていたくらいだから、もっと、やりたかったが、あれもこれもというわけにもいかない。
今では、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で訪れた地で、焼き物を土産に買い求めて、自宅で眺めたリ、陶芸の好きな知人への土産に買い求めたりしている。
若い頃、仕事で松任市(今は白山市というのか)を訪れたことがあり、母親に九谷焼の湯飲み、(確か片手くらい)を買い求めたら、絵柄が美しいので喜ばれたが、寄る年波で割ってしまったことを思い出す。
色絵が美しいといえば、知覧を訪ねたとき、薩摩焼の沈壽官さんのところまで見学に行ったことがある。
薩摩焼も色絵が美しく、母親に湯呑を買い求めたら、これもまた大いに喜ばれた。
有田、伊万里、清水など色絵が美しい焼き物の産地があるが、九谷は色絵が美しいということでは、他の産地の製品と並ぶ。
記者が取り上げてくれたのが、九谷焼の縁の下の力持ちである粘土業者のことだったから、余計嬉しいではないか。
表で光り輝くものには、皆裏方がいて、それを支えているのである。
戦没者慰霊で、無縁仏の慰霊碑、遊女、女郎などの供養で墓で手を合わせてきたのも、お参りする人がほとんどいないからということに通じるのではないか。
読売によれば、2月の大雪による被害で工場を閉鎖していた九谷焼生地の粘土業者「二股製土所」(石川県小松市)二股裕代表が今夏、5カ月ぶりに操業を再開したというもの。
一時は廃業も検討したが、産地でわずか2軒しかない粘土業者の復活を願う作家や職人から後押しされ、工場の再建にこぎつけたそうな。
今年の冬、北陸地方は金沢市の降雪量が313aに達したという大雪に見舞われ、二股さんの工場の屋根が雪の重みで崩落し、製土工場の廃止も考えたという。
県によると、九谷焼の売り上げは1990年度の165億円から、2014年度は46億円に激減。かつて10軒ほどあった粘土業者の閉鎖が相次ぎ、2軒にまで減り、かつて、最盛期には10人いた従業員も妻の慶子さんを残すのみとなってしまった。
九谷焼は地元小松市で採れる陶石を砕いて粘土状にした生地に色絵をつけて焼き上げる。
陶芸は好きで、作陶を習ったこともあるが、同じ土いじりの畑が忙しく、両立を諦めた。
教室に通っているとき、薪窯で焼いてもらった湯飲みを愛用しているくらいだし、若い頃、陶芸の全集、(平凡社だったか)を買い求めていたくらいだから、もっと、やりたかったが、あれもこれもというわけにもいかない。
今では、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で訪れた地で、焼き物を土産に買い求めて、自宅で眺めたリ、陶芸の好きな知人への土産に買い求めたりしている。
若い頃、仕事で松任市(今は白山市というのか)を訪れたことがあり、母親に九谷焼の湯飲み、(確か片手くらい)を買い求めたら、絵柄が美しいので喜ばれたが、寄る年波で割ってしまったことを思い出す。
色絵が美しいといえば、知覧を訪ねたとき、薩摩焼の沈壽官さんのところまで見学に行ったことがある。
薩摩焼も色絵が美しく、母親に湯呑を買い求めたら、これもまた大いに喜ばれた。
有田、伊万里、清水など色絵が美しい焼き物の産地があるが、九谷は色絵が美しいということでは、他の産地の製品と並ぶ。
記者が取り上げてくれたのが、九谷焼の縁の下の力持ちである粘土業者のことだったから、余計嬉しいではないか。
表で光り輝くものには、皆裏方がいて、それを支えているのである。
戦没者慰霊で、無縁仏の慰霊碑、遊女、女郎などの供養で墓で手を合わせてきたのも、お参りする人がほとんどいないからということに通じるのではないか。
2018年08月08日
「見番」新築で、街の活性化なるか
昨日、9月に開催する予定の第3回の尺八ライヴに協力させてもらうため、リハーサルに帯同した。
予算の関係で、合奏相手の箏の演奏家をプロに頼めず、代わりに連れ合いが合奏させてもらうということで、主催者側の強みで、かなり無理を通して実現させているが、関係者だけの観客にはそれでも大いに喜ばれている。
さて、首都圏の田舎町に生まれ育ったから、東京23区は無論のこと、東京の市部、横浜、鎌倉などの神奈川などの街の動静にも大いに関心を持ってきた。
東京の市部で歴史のある街、広くて、人口が多い街といえば、八王子であるが、街づくりが上手くいかなかったのか、今や、市部で一番賑やかな街は立川になってしまった。
その証拠に、駅前は賑やかでなく、東京地裁の支部がいつの間にか八王子から立川に移転している。
しかし、絹織物の産地として、歴史のある街だから、その昔の八王子には接客業のプロ、芸妓衆が最盛期には215人を数えたが、絹織物産業の衰退共に芸妓衆の数も80年代には9人にまで減ってしまった。
危機感を抱いた人たち、置屋「ゆき乃恵」をとりしきるめぐみさんらが八王子芸妓の復活を呼びかけ、現在は21人にまで回復し、花街を支える八王子三業組合の事務所「見番」が60年ぶりに新築されたと7月29日の読売が伝えていたそうな。
基地の街だった立川には、戦後、米軍の進駐と共に生活のために米兵相手に春を鬻いだパンパンと呼ばれた女性たちが多数いた。
同じような、接客業ではあるが、三味線、踊りと芸を身に着け、それなりの矜持を抱いた女性たちと躰を張って、星の流れをみつめて生きてきた女性たち。
あれから幾星霜、基地の街では、米軍からの基地返還が進み、併せて、国営の昭和記念公園を誘致し、モノレールの駅を誘致、国営の病院(今は独立行政法人かも?)あり、さらに、北口の駅前開発に成功し、ついに、正月の箱根駅伝の予選会を誘致するまでになった立川。
一方の八王子はといえば、駅前の開発が上手くいかなかったようで、中央線と京王線があるにもかかわらず、両駅が離れていて、不便この上なく、東京地裁の支部も立川に移転されてしまうという事態にようやく、危機感を募らせたのが、行政ではなく、芸妓衆だった。
絹織物の所謂繊維業の衰退といっても、栄枯盛衰はいずこの世界でもつきもので、伝統あるものは、そこから、関係者の工夫と努力で盛り上げていけばいいのである。
その点、接客業のプロの存在は心強い。
接客業はどこの街にもあるが、芸妓衆はいきなり連れてきて、街に馴染むというものではないから、伝統の力で、続いてきた接客業を盛り立てることで、街の活性化にもつながるというものではないか。
「自由のために」毎日書いているが、伝統芸能、伝統工芸は日本大好き人間の一人として、よく取り上げてきた。
花街には、芸妓と、自由を奪われ、廓で生きることを余儀なくされている女郎とよばれし女性たちがいた。
芸妓の所属している置屋、料理屋、待合などの三業種の組合の事務所とされる「見番」は、「検番」とも書くが、三味線や踊りの稽古などをする芸妓にとって、大事な稽古場でもある。
八王子芸妓を盛り立てようと、読売の記者もよく記事にしてきたみたいだが、八王子では接客業のプロをとりあえず、観光資源としていくらしい。
芸妓には伝統芸能の担い手としてエールをくりたい。
若い人の就活に、接客業の一つとして、各地での芸妓への就職ということも選択肢の一つになることを伝えてきた。
これからの日本は景観と神社仏閣などの豊かな観光資源と共に祭りや伝統芸能、工芸など人々が織りなすものに芸妓のおもてなしが加味され、観光客が世界中からやってくるだろうと見込まれる。
卒業した大学の名前を聞くと、恐れ入る演奏家も安定した仕事を捨て、芸能の道に進んだとのことだが、生活の安定とは程遠く、何とか、力になってやりたいと応援してきた。
芸の道は厳しいが、それでも好きなことで食べていけるなら、それはそれで、いいのではないか。
予算の関係で、合奏相手の箏の演奏家をプロに頼めず、代わりに連れ合いが合奏させてもらうということで、主催者側の強みで、かなり無理を通して実現させているが、関係者だけの観客にはそれでも大いに喜ばれている。
さて、首都圏の田舎町に生まれ育ったから、東京23区は無論のこと、東京の市部、横浜、鎌倉などの神奈川などの街の動静にも大いに関心を持ってきた。
東京の市部で歴史のある街、広くて、人口が多い街といえば、八王子であるが、街づくりが上手くいかなかったのか、今や、市部で一番賑やかな街は立川になってしまった。
その証拠に、駅前は賑やかでなく、東京地裁の支部がいつの間にか八王子から立川に移転している。
しかし、絹織物の産地として、歴史のある街だから、その昔の八王子には接客業のプロ、芸妓衆が最盛期には215人を数えたが、絹織物産業の衰退共に芸妓衆の数も80年代には9人にまで減ってしまった。
危機感を抱いた人たち、置屋「ゆき乃恵」をとりしきるめぐみさんらが八王子芸妓の復活を呼びかけ、現在は21人にまで回復し、花街を支える八王子三業組合の事務所「見番」が60年ぶりに新築されたと7月29日の読売が伝えていたそうな。
基地の街だった立川には、戦後、米軍の進駐と共に生活のために米兵相手に春を鬻いだパンパンと呼ばれた女性たちが多数いた。
同じような、接客業ではあるが、三味線、踊りと芸を身に着け、それなりの矜持を抱いた女性たちと躰を張って、星の流れをみつめて生きてきた女性たち。
あれから幾星霜、基地の街では、米軍からの基地返還が進み、併せて、国営の昭和記念公園を誘致し、モノレールの駅を誘致、国営の病院(今は独立行政法人かも?)あり、さらに、北口の駅前開発に成功し、ついに、正月の箱根駅伝の予選会を誘致するまでになった立川。
一方の八王子はといえば、駅前の開発が上手くいかなかったようで、中央線と京王線があるにもかかわらず、両駅が離れていて、不便この上なく、東京地裁の支部も立川に移転されてしまうという事態にようやく、危機感を募らせたのが、行政ではなく、芸妓衆だった。
絹織物の所謂繊維業の衰退といっても、栄枯盛衰はいずこの世界でもつきもので、伝統あるものは、そこから、関係者の工夫と努力で盛り上げていけばいいのである。
その点、接客業のプロの存在は心強い。
接客業はどこの街にもあるが、芸妓衆はいきなり連れてきて、街に馴染むというものではないから、伝統の力で、続いてきた接客業を盛り立てることで、街の活性化にもつながるというものではないか。
「自由のために」毎日書いているが、伝統芸能、伝統工芸は日本大好き人間の一人として、よく取り上げてきた。
花街には、芸妓と、自由を奪われ、廓で生きることを余儀なくされている女郎とよばれし女性たちがいた。
芸妓の所属している置屋、料理屋、待合などの三業種の組合の事務所とされる「見番」は、「検番」とも書くが、三味線や踊りの稽古などをする芸妓にとって、大事な稽古場でもある。
八王子芸妓を盛り立てようと、読売の記者もよく記事にしてきたみたいだが、八王子では接客業のプロをとりあえず、観光資源としていくらしい。
芸妓には伝統芸能の担い手としてエールをくりたい。
若い人の就活に、接客業の一つとして、各地での芸妓への就職ということも選択肢の一つになることを伝えてきた。
これからの日本は景観と神社仏閣などの豊かな観光資源と共に祭りや伝統芸能、工芸など人々が織りなすものに芸妓のおもてなしが加味され、観光客が世界中からやってくるだろうと見込まれる。
卒業した大学の名前を聞くと、恐れ入る演奏家も安定した仕事を捨て、芸能の道に進んだとのことだが、生活の安定とは程遠く、何とか、力になってやりたいと応援してきた。
芸の道は厳しいが、それでも好きなことで食べていけるなら、それはそれで、いいのではないか。
2018年07月21日
戦禍乗り越えた沖縄文化を後世に
1980年代に始まった首里城復元プロジェクトに当初から携わってきた高良倉吉琉球大学名誉教授が7月11日の読売「論点」に登場し、「戦禍を乗り越え、発展してきた沖縄の文化を後世に受け継いでいくことが求められている」と沖縄戦に関心を持つ立場として興味深いことを述べられていた。
高良名誉教授によれば、「2017年春、沖縄県教育委員会が研究者を動員して、沖縄県史の各論として沖縄戦を刊行している。
沖縄では、立場や主義主張はともかく、沖縄を語る原点に共有すべき歴史的事実として沖縄戦が厳然と横たわる。
沖縄戦では住民の4人に1人が命を失った。生き延びた4人に3人が戦後の沖縄、米軍統治や「基地オキナワ」という現実に生活者として向き合った。
沖縄芸能の担い手たち、沖縄空手の継承者たち、染織や陶芸、漆器など伝統工芸の担い手たちも戦後、それぞれ活動を始めたのである。
技芸や記憶としての無形文化遺産はそれを担う人材が生き続けるかぎり、過酷な沖縄戦でも絶やすことはできなかった。
沖縄芸能の担い手たちが見せたのは、したたかで、しなやかな文化的応対だった。
芸能や工芸の担い手たちは、自分という存在を工夫しながら発揮できるソフトパワーを堅持していたが、その原点は450年に渡って存続した琉球王国であった。
その拠り所が首里城であり、だから、首里城の復元が価値があり、沖縄の文化を後世に受け継いでいくことが求められる」と結ぶ。
自分と沖縄との関わりの原点は、やはり、沖縄戦である。
父親が遺してくれたのであろう、石野徑一郎『ひめゆりの塔』(河出書房市民文庫)、昭和26年に初版で、28年に7版とある。たぶん、中学生の時に読んで心を揺さぶられたからだ。
1953年に今井正監督で映画化された『ひめゆりの塔』の原作だから香川京子と津島恵子の美しい女学生姿の写真が表紙にある。
この映画はTVで放送したときに観ている。
その後、1995年に神山征二郎監督で映画されたときの原作は仲宗根政善の『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』であるが、こちらは映画館で観た。
沖縄に都合4回行っているので、復元した首里城にも運転手兼ガイド氏の案内で行ったことがあるが、やはり、かつて450年も琉球王国があったというくらいだから、日本とは異なる文化が伝承されているので、この文化をぜひとも、きちんと伝承してほしいと願う。
先だって、「軍隊は女性を守らないin沖縄」のパネル展を観てきたが、沖縄は、戦争中は日本軍に酷い目に遭わされ、戦後は、進駐してきた米兵に多くの女性たちが性的暴行されてきた。
鬼畜米兵は、沖縄の女児に襲いかかるという本国でも絶対許されない卑劣な性犯罪を多発させてもいる。
しかし、沖縄の市民は、米国の統治下においても、辺野古の美しい海を米国によって、無理やり性的暴行されるかのように埋め立てられてしまう2018年の今も、いかに理不尽な目に遭っても、沖縄戦を生き延び、伝統芸能や工芸に向かってきたしたたかさ、しなやかさで自分たちが先祖から受け継いできた文化を大事にしてきた。
先祖供養の芸能エイサー、武道の世界でその名が轟く沖縄空手、芭蕉布、紅型染め、壺屋焼などの伝統工芸品、どれをとっても、沖縄の風土とそこで生きてきた人々が育んできた琉球魂が伝わってくる芸能、武道、逸品ばかりである。
沖縄が戦時中から、戦後の今日まで、本土の犠牲にされ、満蒙開拓団員の如く、棄民とされてきたが、県民はよくぞこらえてくれたものである。
沖縄に自然の力そのままに光が当たり、米軍基地のない沖縄、青い海の沖縄を取り戻せるように神に祈りたい。
高良名誉教授によれば、「2017年春、沖縄県教育委員会が研究者を動員して、沖縄県史の各論として沖縄戦を刊行している。
沖縄では、立場や主義主張はともかく、沖縄を語る原点に共有すべき歴史的事実として沖縄戦が厳然と横たわる。
沖縄戦では住民の4人に1人が命を失った。生き延びた4人に3人が戦後の沖縄、米軍統治や「基地オキナワ」という現実に生活者として向き合った。
沖縄芸能の担い手たち、沖縄空手の継承者たち、染織や陶芸、漆器など伝統工芸の担い手たちも戦後、それぞれ活動を始めたのである。
技芸や記憶としての無形文化遺産はそれを担う人材が生き続けるかぎり、過酷な沖縄戦でも絶やすことはできなかった。
沖縄芸能の担い手たちが見せたのは、したたかで、しなやかな文化的応対だった。
芸能や工芸の担い手たちは、自分という存在を工夫しながら発揮できるソフトパワーを堅持していたが、その原点は450年に渡って存続した琉球王国であった。
その拠り所が首里城であり、だから、首里城の復元が価値があり、沖縄の文化を後世に受け継いでいくことが求められる」と結ぶ。
自分と沖縄との関わりの原点は、やはり、沖縄戦である。
父親が遺してくれたのであろう、石野徑一郎『ひめゆりの塔』(河出書房市民文庫)、昭和26年に初版で、28年に7版とある。たぶん、中学生の時に読んで心を揺さぶられたからだ。
1953年に今井正監督で映画化された『ひめゆりの塔』の原作だから香川京子と津島恵子の美しい女学生姿の写真が表紙にある。
この映画はTVで放送したときに観ている。
その後、1995年に神山征二郎監督で映画されたときの原作は仲宗根政善の『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』であるが、こちらは映画館で観た。
沖縄に都合4回行っているので、復元した首里城にも運転手兼ガイド氏の案内で行ったことがあるが、やはり、かつて450年も琉球王国があったというくらいだから、日本とは異なる文化が伝承されているので、この文化をぜひとも、きちんと伝承してほしいと願う。
先だって、「軍隊は女性を守らないin沖縄」のパネル展を観てきたが、沖縄は、戦争中は日本軍に酷い目に遭わされ、戦後は、進駐してきた米兵に多くの女性たちが性的暴行されてきた。
鬼畜米兵は、沖縄の女児に襲いかかるという本国でも絶対許されない卑劣な性犯罪を多発させてもいる。
しかし、沖縄の市民は、米国の統治下においても、辺野古の美しい海を米国によって、無理やり性的暴行されるかのように埋め立てられてしまう2018年の今も、いかに理不尽な目に遭っても、沖縄戦を生き延び、伝統芸能や工芸に向かってきたしたたかさ、しなやかさで自分たちが先祖から受け継いできた文化を大事にしてきた。
先祖供養の芸能エイサー、武道の世界でその名が轟く沖縄空手、芭蕉布、紅型染め、壺屋焼などの伝統工芸品、どれをとっても、沖縄の風土とそこで生きてきた人々が育んできた琉球魂が伝わってくる芸能、武道、逸品ばかりである。
沖縄が戦時中から、戦後の今日まで、本土の犠牲にされ、満蒙開拓団員の如く、棄民とされてきたが、県民はよくぞこらえてくれたものである。
沖縄に自然の力そのままに光が当たり、米軍基地のない沖縄、青い海の沖縄を取り戻せるように神に祈りたい。
2018年05月19日
深江の菅笠づくり
文化財の保存・修復に多大な貢献をした個人や団体を顕彰する「第12回読売あをによし賞」本賞に菅笠をはじめとする伝統的な菅細工の製作技術を継承してきた「深江菅細工保存会」が選ばれたと5月2日の読売が伝えていた。
読売によれば、大阪市東成区深江地区で、16人の会員がカヤツリグサ科の植物カサスゲを使って菅笠や円座、釜敷きなどの菅細工を作り、小学生らに技法を教えているという。
会長の島谷真由美さん(53)は、「地域ぐるみでコツコツ続けてきた活動が評価され、大変光栄。伝統文化を継承する使命感、責任感が増しました」と喜んでいるそうな。
深江の菅笠づくりは第11代垂仁天皇の頃、大和の国で菅加工を職能とした笠縫氏が湿地帯で菅が豊富だった深江に移住したのが起源だと伝わる。
竹の骨組みに約150本の菅を1本づつ縫い込んでいく。直径50aの笠を作るのに約5000針、30時間はかかるという。
熟練した技術が求められ、1人前になるのに5年は必要だというから、農閑期の女性が担ってきた仕事としては、たいへんな労力だったのであろう。
こうもり傘の普及などで需要が減少するや、50年代には菅田が姿を消し、80年代には菅細工を作るのは島谷さんの母親幸田正子さん(80)だけになってしまった。
「技術が途絶えてしまうと危機感を募らせた幸田さんは88年に保存会を結成。07年には地元の公園に菅田を復元、その後、大阪市の指定文化財、大阪府の伝統工芸品になっている。
菅笠といえば、越中福岡の菅笠が有名で、国の重要無形民俗文化財に指定されているくらいで、そのシェアも90%だというから、知名度では劣るかもしれないが、深江の菅笠づくりの方も伝統があり、伝承されていってほしい。
面積は狭くとも、畑で有機無農薬の野菜作りをしているから、農作業で、菅笠を被ってみたいとも思っているが、風が強いと顎のところで縛らないと飛ばされてしまうのが煩わしい。
菅笠はじめ、被り物は昔からいろいろあった。
尺八を吹くから、虚無僧が被った天蓋と呼ばれる深編笠にも関心がないわけではないが、托鉢などしないから、買い求めるところまでいかない。
ということで、需要が少ないというのは仕方ないことだが、菅細工は笠だけではないので、技術を伝承させることには大いにエールをおくる。
統計を確認したわけではないが、手仕事、細工物に関わってきた人が認知症になったということを耳にしたことがない。
これからは、認知症対策として、若い頃から、伝統工芸に携わる人を増やしていくことも行政は考えた方がいいのではないか。
連れ合いの母親は、先年旅立ったが、生前、手工芸というのか、弁当を入れる袋など皆、手製でつくっていて、だからか、躰は衰えても、頭ははっきりしていた。
ここに、認知症対策のポイントがあるとみているが、さて、どうだろうか。
読売によれば、大阪市東成区深江地区で、16人の会員がカヤツリグサ科の植物カサスゲを使って菅笠や円座、釜敷きなどの菅細工を作り、小学生らに技法を教えているという。
会長の島谷真由美さん(53)は、「地域ぐるみでコツコツ続けてきた活動が評価され、大変光栄。伝統文化を継承する使命感、責任感が増しました」と喜んでいるそうな。
深江の菅笠づくりは第11代垂仁天皇の頃、大和の国で菅加工を職能とした笠縫氏が湿地帯で菅が豊富だった深江に移住したのが起源だと伝わる。
竹の骨組みに約150本の菅を1本づつ縫い込んでいく。直径50aの笠を作るのに約5000針、30時間はかかるという。
熟練した技術が求められ、1人前になるのに5年は必要だというから、農閑期の女性が担ってきた仕事としては、たいへんな労力だったのであろう。
こうもり傘の普及などで需要が減少するや、50年代には菅田が姿を消し、80年代には菅細工を作るのは島谷さんの母親幸田正子さん(80)だけになってしまった。
「技術が途絶えてしまうと危機感を募らせた幸田さんは88年に保存会を結成。07年には地元の公園に菅田を復元、その後、大阪市の指定文化財、大阪府の伝統工芸品になっている。
菅笠といえば、越中福岡の菅笠が有名で、国の重要無形民俗文化財に指定されているくらいで、そのシェアも90%だというから、知名度では劣るかもしれないが、深江の菅笠づくりの方も伝統があり、伝承されていってほしい。
面積は狭くとも、畑で有機無農薬の野菜作りをしているから、農作業で、菅笠を被ってみたいとも思っているが、風が強いと顎のところで縛らないと飛ばされてしまうのが煩わしい。
菅笠はじめ、被り物は昔からいろいろあった。
尺八を吹くから、虚無僧が被った天蓋と呼ばれる深編笠にも関心がないわけではないが、托鉢などしないから、買い求めるところまでいかない。
ということで、需要が少ないというのは仕方ないことだが、菅細工は笠だけではないので、技術を伝承させることには大いにエールをおくる。
統計を確認したわけではないが、手仕事、細工物に関わってきた人が認知症になったということを耳にしたことがない。
これからは、認知症対策として、若い頃から、伝統工芸に携わる人を増やしていくことも行政は考えた方がいいのではないか。
連れ合いの母親は、先年旅立ったが、生前、手工芸というのか、弁当を入れる袋など皆、手製でつくっていて、だからか、躰は衰えても、頭ははっきりしていた。
ここに、認知症対策のポイントがあるとみているが、さて、どうだろうか。
2018年05月11日
「信三郎帆布」のものづくり
夕べ、5月10日の「カンブリア宮殿」が面白かったので書いておく。
帆布を使ったバッグで関心のある人なら誰でも知っているブランド京都の一澤信三郎の主が出演し、帆布を使った製品販売のこだわりを村上龍に問われ、吐露していたのである。
番組のHPによれば、「京都に1軒だけ。オンライン販売なし。社員は全員職人を兼ねる。売っているのは帆布のカバンが中心。けれど長年の熱烈なファンに支えられる老舗。「お家騒動」の時代を経て自社ブランド「一澤信三郎帆布」を立ち上げ、復活。100年前の創業当時と変わらないビジネススタイル。時代に遅れ続ける老舗カバンが愛される秘密に迫る。」というもの。
お家騒動も過去のこととはいえ、世間を騒がせたから、その方面に興味のある人なら、よく知っているだろう。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国の慰霊碑を巡礼のように訪ね始めてから、頭を丸め煩悩を捨て去ったはずだが、実際には、これが難しい。
身だしなみは加齢とともに、しゃれっ気などとっくになくなったが、実用面では、便利さを優先しつつ、それなりのこだわりもある。
信三郎帆布というわけにはいかないが、自分が愛用しているバッグも布製で、色は赤、肩にかけ持ち歩けるようになっている。
出かけるとき、身に着けるジャケットに似合うかどうかわからない。
実は刑務所の受刑者がつくったもので、受刑者の更生のために買い求め、更生を願い、持ち歩いてきた。
他の人が持っていないので、変り者だと自覚している自分としては結構気に入っている。
書いておきたかったのは、ネット販売はやらない、生産者と消費者というか、使用者の距離が近い分、流通経費が掛からない、支店もつくらないという一見時代遅れともいうべき商法ながら、根強い人気に支えられ売れ行きは好調だという点である。
月に一度出かける映画館で、あるとき、茂木綾子監督ドキュメンタリー映像詩『島の色 静かな声』という映画のプログラムを頂戴したのが手許にあり、沖縄の西表島で繭から絹糸を紡ぎ、植物を使い染色し、機を織る芭蕉布の作家石垣昭子さんとその連れ合い石垣金星にスポットを当てて、映画を作り、上映されたらしい。
その石垣昭子さんが、ゴミになるようなものはつくりたくないと、機を織るときの気持ちを述べられている。」
全く、そのとおりで、信三郎帆布も傷めば修理してくれるということで、米国型使い捨て社会とは全く正反対の道を行く。
石垣昭子さんの芭蕉布、信三郎帆布共に、これからの日本のものづくりの一つの形を示唆する。
バッグといえば、カネがあれば、自分の連れ合いなどは、すぐにフランスやイタリアのブランドバッグをほしがりそうだが、そういうブランドに全く興味、関心がない自分としては、信三郎帆布を持ち歩くようなこだわりは大好きだ。
当然、それなりの値段がするはずだが、一つくらい持っていたいような気がしないでもない。
ただし、刑務所の受刑者がつくったバッグは、犯罪被害者支援を訴え、究極の犯罪被害者支援は犯罪を減らすことだ、為に、受刑者の更生が重要だという持論を唱える自分としては、こちらも持ち続けていくつもりである。
帆布を使ったバッグで関心のある人なら誰でも知っているブランド京都の一澤信三郎の主が出演し、帆布を使った製品販売のこだわりを村上龍に問われ、吐露していたのである。
番組のHPによれば、「京都に1軒だけ。オンライン販売なし。社員は全員職人を兼ねる。売っているのは帆布のカバンが中心。けれど長年の熱烈なファンに支えられる老舗。「お家騒動」の時代を経て自社ブランド「一澤信三郎帆布」を立ち上げ、復活。100年前の創業当時と変わらないビジネススタイル。時代に遅れ続ける老舗カバンが愛される秘密に迫る。」というもの。
お家騒動も過去のこととはいえ、世間を騒がせたから、その方面に興味のある人なら、よく知っているだろう。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国の慰霊碑を巡礼のように訪ね始めてから、頭を丸め煩悩を捨て去ったはずだが、実際には、これが難しい。
身だしなみは加齢とともに、しゃれっ気などとっくになくなったが、実用面では、便利さを優先しつつ、それなりのこだわりもある。
信三郎帆布というわけにはいかないが、自分が愛用しているバッグも布製で、色は赤、肩にかけ持ち歩けるようになっている。
出かけるとき、身に着けるジャケットに似合うかどうかわからない。
実は刑務所の受刑者がつくったもので、受刑者の更生のために買い求め、更生を願い、持ち歩いてきた。
他の人が持っていないので、変り者だと自覚している自分としては結構気に入っている。
書いておきたかったのは、ネット販売はやらない、生産者と消費者というか、使用者の距離が近い分、流通経費が掛からない、支店もつくらないという一見時代遅れともいうべき商法ながら、根強い人気に支えられ売れ行きは好調だという点である。
月に一度出かける映画館で、あるとき、茂木綾子監督ドキュメンタリー映像詩『島の色 静かな声』という映画のプログラムを頂戴したのが手許にあり、沖縄の西表島で繭から絹糸を紡ぎ、植物を使い染色し、機を織る芭蕉布の作家石垣昭子さんとその連れ合い石垣金星にスポットを当てて、映画を作り、上映されたらしい。
その石垣昭子さんが、ゴミになるようなものはつくりたくないと、機を織るときの気持ちを述べられている。」
全く、そのとおりで、信三郎帆布も傷めば修理してくれるということで、米国型使い捨て社会とは全く正反対の道を行く。
石垣昭子さんの芭蕉布、信三郎帆布共に、これからの日本のものづくりの一つの形を示唆する。
バッグといえば、カネがあれば、自分の連れ合いなどは、すぐにフランスやイタリアのブランドバッグをほしがりそうだが、そういうブランドに全く興味、関心がない自分としては、信三郎帆布を持ち歩くようなこだわりは大好きだ。
当然、それなりの値段がするはずだが、一つくらい持っていたいような気がしないでもない。
ただし、刑務所の受刑者がつくったバッグは、犯罪被害者支援を訴え、究極の犯罪被害者支援は犯罪を減らすことだ、為に、受刑者の更生が重要だという持論を唱える自分としては、こちらも持ち続けていくつもりである。
2018年04月21日
着物で街を歩く
「いま風 水曜日」「粋」と題し、読売が連載しているが、4月11日にNPO法人代表藤井美登利さんをナビゲーターに小江戸として、近年よく旅番組などで紹介されている埼玉県は川越で、着物を着て街に出ようと呼びかけている。
藤井さんは欧州の航空会社で働き、観光で訪れた川越をすっかり気に入り、都内から転居し、2001年から川越のタウン誌「小江戸物語」を発行しているそうな。
紙面には、着物姿が素敵な藤井さんが川越の街を友人と散策し、買い物を楽しんでいる様子が写されていて、確かに、川越の街に着物がよく似合っていることが理解できる。
藤井さんは18年前から「着物を身近な暮らしに取り戻したい」と着物姿で川越の街を散歩する集まりを開いている。
着物というと高額なイメージがあるが、カジュアルな木綿や中古品なら数千円から手に入れることはできるし、手持ちの着物がなければ、借りてもいい。
古い街並みのある観光地なら着物のレンタルショップがあるところも多く、手ぶらで訪れても、着物姿になることができるという。
「まずは、自宅や実家のタンスで眠っている着物を思い出してみることから始めませんか」と藤井さん。
日本大好き人間の一人として、日本の伝統工芸や伝統芸能など日本の文化に関係するものとして、織物を取り上げたときだったか、着物のことも書いたことがあるような気がする。
近年、日本の佳さを外国人に教えてもらう事例が少なくない。
日本の古民家の水回り、トイレや暖房などをリフォームし、住みよくして提供しているドイツ人のカールさん、京都大原に居をを構え、大都会に出られる交通アクセスのよさと四季の豊かさがある日本の山里暮らしの楽しさを教えてくれているイギリス人のベニシアさん。
夏目漱石の研究で知られる米国人のキャンベルさんは、民芸に関心があるとのことで、TV番組に出演するとき、着物姿だった。とりあえず、思いつくままに3人の名前が挙がる。
着物は今や、歌舞伎などの古典芸能や職人、芸妓など接客業など職業とかかわりの深い人たちのものとなってしまった感がなきにしも非ずであるが、職業とは関係なく、単純に着物姿を楽しむ人がいることを知り嬉しくなってしまった。
京都、奈良、鎌倉など古都と呼ばれる街、そして、少し異なる雰囲気であるが、小江戸と称される川越といずれも着物姿がよく似合う。
齢を重ね、もう何時お迎えが来てもおかしくないが、そろそろ、自分にしても、連れ合いにしても、タンスに眠る母親の着物にもう一度、光を当ててやりたいと願っている。
ふだんの生活では、余裕がないと着物姿になれないが、若い頃みたTVドラマの父親のように仕事が終わった夕方以降は何とか着物を着られるように心がけ、その第一歩として、作務衣を着てみようかな思案している。
こちらは、煩悩を捨て去るため、頭を丸めているからお似合いとなるかも。
藤井さんは欧州の航空会社で働き、観光で訪れた川越をすっかり気に入り、都内から転居し、2001年から川越のタウン誌「小江戸物語」を発行しているそうな。
紙面には、着物姿が素敵な藤井さんが川越の街を友人と散策し、買い物を楽しんでいる様子が写されていて、確かに、川越の街に着物がよく似合っていることが理解できる。
藤井さんは18年前から「着物を身近な暮らしに取り戻したい」と着物姿で川越の街を散歩する集まりを開いている。
着物というと高額なイメージがあるが、カジュアルな木綿や中古品なら数千円から手に入れることはできるし、手持ちの着物がなければ、借りてもいい。
古い街並みのある観光地なら着物のレンタルショップがあるところも多く、手ぶらで訪れても、着物姿になることができるという。
「まずは、自宅や実家のタンスで眠っている着物を思い出してみることから始めませんか」と藤井さん。
日本大好き人間の一人として、日本の伝統工芸や伝統芸能など日本の文化に関係するものとして、織物を取り上げたときだったか、着物のことも書いたことがあるような気がする。
近年、日本の佳さを外国人に教えてもらう事例が少なくない。
日本の古民家の水回り、トイレや暖房などをリフォームし、住みよくして提供しているドイツ人のカールさん、京都大原に居をを構え、大都会に出られる交通アクセスのよさと四季の豊かさがある日本の山里暮らしの楽しさを教えてくれているイギリス人のベニシアさん。
夏目漱石の研究で知られる米国人のキャンベルさんは、民芸に関心があるとのことで、TV番組に出演するとき、着物姿だった。とりあえず、思いつくままに3人の名前が挙がる。
着物は今や、歌舞伎などの古典芸能や職人、芸妓など接客業など職業とかかわりの深い人たちのものとなってしまった感がなきにしも非ずであるが、職業とは関係なく、単純に着物姿を楽しむ人がいることを知り嬉しくなってしまった。
京都、奈良、鎌倉など古都と呼ばれる街、そして、少し異なる雰囲気であるが、小江戸と称される川越といずれも着物姿がよく似合う。
齢を重ね、もう何時お迎えが来てもおかしくないが、そろそろ、自分にしても、連れ合いにしても、タンスに眠る母親の着物にもう一度、光を当ててやりたいと願っている。
ふだんの生活では、余裕がないと着物姿になれないが、若い頃みたTVドラマの父親のように仕事が終わった夕方以降は何とか着物を着られるように心がけ、その第一歩として、作務衣を着てみようかな思案している。
こちらは、煩悩を捨て去るため、頭を丸めているからお似合いとなるかも。