文化遺産の保存・修復の現場での功績をたたえる「第15回読売あをによし賞」の受賞者が決まった。と9月8日の読売が伝えている。
本賞に選ばれたのは「正藍染」宮城県栗原市の千葉まつ江さん(91)。
「栽培から染色まで一貫 最古の技法」という見出しで、千葉さんが継承し、日本が世界に誇る「正藍染」が紹介されていた。
自然の温度で藍を発酵させた染液で染める日本最古の染色技術。
藍の栽培から染まで全工程を一貫して行い、染める麻布の機織りまで手掛けてきた。
1947年に嫁ぎ、人間国宝となった義祖母、義母の指導の下で技術を習得した。
藍の種を蒔いて育て、収穫した葉から藍玉を作り、乾燥、貯蔵する。
5月になると、木の桶に藍玉と木灰、湯を入れて発酵させる「藍建て」で染液を作り、布を染める。自宅前を流れる二迫川で洗うと鮮やかな藍色が表れる。
藍建てを加温して行うことで年中染めるところも多いが千葉家では加温せず、気温が上がって発酵が自然に進む、初夏の1か月だけ染める拘りが特色だ。
長男の正一さん(71)が後を継ぎ、姪の千葉京子さんも手伝うということで、後継者ができて安心だそうな。
会津の藍染の作務衣を買い求めて着ているが、藍染は理由は不明なれど、虫がつかない。
この1点だけで、いかに優れたものか理解できるだろう。
先人の智慧というものは本当に頭が下がる。
発酵させて藍建てで染液を作るということで、発酵ということもまた素晴らしい自然の作用を先人がみつけてくれたものである。
発酵といえば、自分も有機無農薬での野菜づくりに使用するため、肥料を作っているからお世話になっていることを思い出した。
米ぬかと油かすに魚粉末を混ぜて、発酵させるのだが、魚粉末は高価だから、別のもので代用できれば経済的には助かるかも。
たらいに入れてかき回し、水を適量入れて、さらにかき混ぜ、バケツをひっくり返したコンポストと呼ばれている容器に入れて発酵させるのだが、発酵中は物凄く熱くなる。
バケツに入れてほったらかしにしていると、腐ってしまい、蛆虫の住処になってしまう。
語り継ぐ戦争でも書いてきたが、米国に敗れた日本は、日本の文化を捨て去ってしまい、ものを大事にしなくなり、もったいないという言葉を捨て去り、米国型使い捨て社会にされてしまった。
脱プラスチックの時代になって喜んでいるが、脱プラスチックでいえば、腹立たしいのは店で買い物をしても、袋をくれなくなったことである。
プラスチックがダメなのは当然として、紙袋なら問題はないはずだ。
話が逸れてしまった。
藍染は、作業に携わる職人の手も染めてしまうほど、染める力も強い。
自然のものを使い、自然の力を使って代々受け継いできたものだから、これからも、しっかり次世代に受け継いでいきたい。
販路拡大という課題があるが、この良さを世界に広めない手はないので。どんどん外国に㏚していくことで需要もきっと増えるはずだ。
需要は喚起するものである。
2021年09月14日
2021年09月12日
文化財修理を支える職人を育成し、希少自然素材を守れ
「日本の美を守り伝えるTSUMUGU紡ぐプロジェクト」文化財修理を支えるというテーマで原材料などを手に入れることが困難になっている現状とこれからの展望などなどを8月22日の読売が見開き裏表4ページ全部使って大々的に掲載している。
国宝、重要文化財など日本の美や歴史を伝える貴重な美術品の修理、保存作業に必要な原材料が、生産者の高齢化、後継者不足のため、年々、調達が難しくなっている。
「紡ぐプロジェクト」の今回の特別紙面は修理を支える技術者と生産者の現状と支援に乗り出した「文化庁の匠プロジェクト」を紹介すると書いてあった。
修理用原材料と用具で紹介されていたのは、膠(北海道)、漆(岩手二戸)、桑(長野飯島)トロロアオイ(茨城小見玉)、刷毛(千葉習志野)、コウゾ(奈良吉野)、美栖紙(奈良吉野)、コウゾ(岐阜美濃)、紫根(高知土佐清水)、夜光貝(沖縄)である。
このことについては、7月31日の読売が解説の紙面で文化庁「匠プロジェクト」というタイトルで「文化財修理 原材料足りず」「輸入品では代替困難」という見出しで取り上げていた。
日本大好き人間の一人として、日本の文化、伝統工芸、伝統芸能などに関する思い入れは強い。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で訪れた土地でも時間があれば観光もしてきた。
語り継ぐ戦争の前にも、観光は大好きであちこち文化財などを観てきたが、一番好きなのは庭園の鑑賞である。
ある時、ふっと思ったのは、時の権力者が権勢を欲しいままに作ったものが文化財として残ってきたということだった。
城や庭園、神社仏閣いずれも例外なしにである。
しかし、文化財というのは作るときそれなりのカネがかかるので、民主主義の国になり、独裁者がいなくなれば、文化財として残せるものをつくれるのは一握りの富裕層しかいない。
その文化財は定期的に修理が必要だが、よくよく考えてみれば、これはある種の社会事業でそのおかげで携わる人間に仕事となって生活を潤わす。
文化財周辺で観光で食べている人たちにも同じことがいえる。
問題は原材料が手に入りにくくなっていることだが、生きていく、生活していくためには原材料の生産者にそれなりの見合った収入があればいいのだが、収入が低ければやっていられなくなるのは当たり前のことだ。
長い年月残ってきた文化財は当然、補修の原材料は昔から使われていたものが適しているはずだから、必要なら生産者に行政などから支援をしていく必要がある。
修理に携わる技術者、所謂職人の育成も大事だし、原材料も大事。
長い歴史で見れば、その時代に生きた人たちの継承責任でもある。
歴史は積み重ねでつくられていくものだから、疎かにはできない。
国宝、重要文化財など日本の美や歴史を伝える貴重な美術品の修理、保存作業に必要な原材料が、生産者の高齢化、後継者不足のため、年々、調達が難しくなっている。
「紡ぐプロジェクト」の今回の特別紙面は修理を支える技術者と生産者の現状と支援に乗り出した「文化庁の匠プロジェクト」を紹介すると書いてあった。
修理用原材料と用具で紹介されていたのは、膠(北海道)、漆(岩手二戸)、桑(長野飯島)トロロアオイ(茨城小見玉)、刷毛(千葉習志野)、コウゾ(奈良吉野)、美栖紙(奈良吉野)、コウゾ(岐阜美濃)、紫根(高知土佐清水)、夜光貝(沖縄)である。
このことについては、7月31日の読売が解説の紙面で文化庁「匠プロジェクト」というタイトルで「文化財修理 原材料足りず」「輸入品では代替困難」という見出しで取り上げていた。
日本大好き人間の一人として、日本の文化、伝統工芸、伝統芸能などに関する思い入れは強い。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で訪れた土地でも時間があれば観光もしてきた。
語り継ぐ戦争の前にも、観光は大好きであちこち文化財などを観てきたが、一番好きなのは庭園の鑑賞である。
ある時、ふっと思ったのは、時の権力者が権勢を欲しいままに作ったものが文化財として残ってきたということだった。
城や庭園、神社仏閣いずれも例外なしにである。
しかし、文化財というのは作るときそれなりのカネがかかるので、民主主義の国になり、独裁者がいなくなれば、文化財として残せるものをつくれるのは一握りの富裕層しかいない。
その文化財は定期的に修理が必要だが、よくよく考えてみれば、これはある種の社会事業でそのおかげで携わる人間に仕事となって生活を潤わす。
文化財周辺で観光で食べている人たちにも同じことがいえる。
問題は原材料が手に入りにくくなっていることだが、生きていく、生活していくためには原材料の生産者にそれなりの見合った収入があればいいのだが、収入が低ければやっていられなくなるのは当たり前のことだ。
長い年月残ってきた文化財は当然、補修の原材料は昔から使われていたものが適しているはずだから、必要なら生産者に行政などから支援をしていく必要がある。
修理に携わる技術者、所謂職人の育成も大事だし、原材料も大事。
長い歴史で見れば、その時代に生きた人たちの継承責任でもある。
歴史は積み重ねでつくられていくものだから、疎かにはできない。
2021年07月22日
日本の宝 文化財修理「匠」育成へ
文化庁は来年度から、文化財保護に欠かせない人材の育成や環境整備を強化する「文化財の匠たくみプロジェクト」と名づけた取り組みを始める。
国内の貴重な絵画や仏像、古文書が、経年劣化や災害によって損傷を受けていることを踏まえたものだ。 修理に不可欠な技術や必要な原材料を次世代に引き継ぐ体制を、5か年計画で大幅に拡充する。と6月2日の読売が伝えている。
読売によれば、文化庁は来年度、京都移転を予定しており、それに合わせた文化財保護強化の取り組みだ。
拠点施設となる「美術工芸品保存修理センター」を京都国立博物館(京博)の敷地内に建設する計画で、調査費を来年度予算に要求する。
文化財の修理には、特殊な技術を持つ人材や、繊細な作業を可能にする道具の作り手も必要だが、多くの現場で後継者不足に悩まされている。また、和紙に使うコウゾやトロロアオイなど伝統的な原材料の確保も難しくなりつつある。
新たに作る保存修理センターは、従来の修理所の機能などを引き継ぐとともに、次世代の文化財修理技術や原材料の研究を行う。また、水害に遭った文化財を乾燥させる大型真空乾燥機や大型収蔵庫などを備え、災害時には、文化財を緊急避難させる「文化財レスキュー」の活動拠点とする。
さらに同プロジェクトでは、修理を担う人材を育てるため、関西の美術工芸品修理工房で働く技術者ら30人以上を「修理調査員」に任命。同庁が作る後継者養成のマニュアル作りに参加してもらう。伝統文化を守るための優れた技術を持つ「選定保存技術」の保持者も現在の約1・5倍の80人に増やす方針だ。
また、修理に用いる伝統的原材料の生産に対する補助事業の対象を拡大する。現在はコウゾやトロロアオイなど5品目だが、2024年度までに夜光貝やニカワ、藍、真綿などを含む25品目とする。
日本大好き人間の一人として、日本の伝統文化、伝統工芸など文化財は先人が遺してくれた宝物だと認識している。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で北は北海道稚内から南は沖縄まで周ってきたが、同行してくれている連れ合いが観光地が大好きで、一緒に行ってもらう感謝の気持ちを込めて慰霊碑だけでなく、近くの観光地も訪れてきた。
大阪に行ったときなどは、京都にも必ず立ち寄るようにしたのは、連れ合いが京都が大好きなことと、京都にはそれこそ文化財がたくさんあって何回訪れても飽きないからである。
文化財の価値はといえば、カネには換算できないが、そのことを一番理解していたのは米国である。
語り継ぐ戦争では、米軍は日本を滅茶苦茶に空爆し、非武装の市民を殺戮したが、京都や奈良、鎌倉などは空爆しなかったお陰で文化財というお宝が無事だった。
しかし、京都の宝金閣寺や沖縄の宝首里城が火災で焼失してしまった。
文化財の価値、伝統を受け継ぐということをもう一度考えてみたい。
何もしないで、残るものなどあるわけがない。
建築物然りであるが、定期的にメンテナンスというか傷んだところを補修することで、材料や職人の持っている技術というものが継承されてきたわけである。
だから文化財に価値があるわけだ。
極論すれば、定期的なメンテナンスで関係者の食い扶持というか生活が維持されてきたということにもっと目を向けるべきだと言いたい。
技術を保持する「匠」の育成も大事だが、原材料も同じように大事だということ。
職人と原材料を作っている人たちにもっと光があてられなければならない。
国内の貴重な絵画や仏像、古文書が、経年劣化や災害によって損傷を受けていることを踏まえたものだ。 修理に不可欠な技術や必要な原材料を次世代に引き継ぐ体制を、5か年計画で大幅に拡充する。と6月2日の読売が伝えている。
読売によれば、文化庁は来年度、京都移転を予定しており、それに合わせた文化財保護強化の取り組みだ。
拠点施設となる「美術工芸品保存修理センター」を京都国立博物館(京博)の敷地内に建設する計画で、調査費を来年度予算に要求する。
文化財の修理には、特殊な技術を持つ人材や、繊細な作業を可能にする道具の作り手も必要だが、多くの現場で後継者不足に悩まされている。また、和紙に使うコウゾやトロロアオイなど伝統的な原材料の確保も難しくなりつつある。
新たに作る保存修理センターは、従来の修理所の機能などを引き継ぐとともに、次世代の文化財修理技術や原材料の研究を行う。また、水害に遭った文化財を乾燥させる大型真空乾燥機や大型収蔵庫などを備え、災害時には、文化財を緊急避難させる「文化財レスキュー」の活動拠点とする。
さらに同プロジェクトでは、修理を担う人材を育てるため、関西の美術工芸品修理工房で働く技術者ら30人以上を「修理調査員」に任命。同庁が作る後継者養成のマニュアル作りに参加してもらう。伝統文化を守るための優れた技術を持つ「選定保存技術」の保持者も現在の約1・5倍の80人に増やす方針だ。
また、修理に用いる伝統的原材料の生産に対する補助事業の対象を拡大する。現在はコウゾやトロロアオイなど5品目だが、2024年度までに夜光貝やニカワ、藍、真綿などを含む25品目とする。
日本大好き人間の一人として、日本の伝統文化、伝統工芸など文化財は先人が遺してくれた宝物だと認識している。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で北は北海道稚内から南は沖縄まで周ってきたが、同行してくれている連れ合いが観光地が大好きで、一緒に行ってもらう感謝の気持ちを込めて慰霊碑だけでなく、近くの観光地も訪れてきた。
大阪に行ったときなどは、京都にも必ず立ち寄るようにしたのは、連れ合いが京都が大好きなことと、京都にはそれこそ文化財がたくさんあって何回訪れても飽きないからである。
文化財の価値はといえば、カネには換算できないが、そのことを一番理解していたのは米国である。
語り継ぐ戦争では、米軍は日本を滅茶苦茶に空爆し、非武装の市民を殺戮したが、京都や奈良、鎌倉などは空爆しなかったお陰で文化財というお宝が無事だった。
しかし、京都の宝金閣寺や沖縄の宝首里城が火災で焼失してしまった。
文化財の価値、伝統を受け継ぐということをもう一度考えてみたい。
何もしないで、残るものなどあるわけがない。
建築物然りであるが、定期的にメンテナンスというか傷んだところを補修することで、材料や職人の持っている技術というものが継承されてきたわけである。
だから文化財に価値があるわけだ。
極論すれば、定期的なメンテナンスで関係者の食い扶持というか生活が維持されてきたということにもっと目を向けるべきだと言いたい。
技術を保持する「匠」の育成も大事だが、原材料も同じように大事だということ。
職人と原材料を作っている人たちにもっと光があてられなければならない。
2021年06月19日
方言は文化だ 方言で地域を活性化させよう
「方言は個性 自然に使う」「抵抗感薄れる 日常会話・接客・歌詞に」という見出しで、6月15日の読売が朝刊のくらしの紙面に「関心アリ!」というタイトルで方言のことを伝えている。
というわけで、方言について書く。
16歳になったばかりの夏、父親が病死してしまったが、その父親が遺してくれたカネで学校に行かせてもらったし、恵まれたことに長男だから、親の家に住み続けていくことができたから、普通の男たちが働いて家を買い、ローンを払い続けるということもなかったため、旅と趣味や本を買い求めることにカネを使ってしまい、蓄えることなど考えもせずに今日に至る。
たぶん、40代早々に病気になってしまい、長生きすることはないと虚無的になっていたのだと思うが、どういうわけか、古来稀なる齢を過ぎるまで死ぬことはなかった。
長生きさせてもらった分、そのお礼も兼ねて10年ほど前から語り継ぐ戦争で北は北海道稚内から南は沖縄まで戦没者慰霊のための行脚を始めたので、各地の方言と接することが増えた。
しかし、方言と初めて出合ったのは学生時代のことで、身近に秋田や岩手出身の学生がいて、彼らの話す言葉のイントネーションの違いに気づいた。
ところが、彼らは、方言でしゃべることをよしとしない気持ちがあったのか、気軽に会話をしないようなところがあった。
今思えば、田舎者だとみられないように気にしていたのだろう。
方言といえば、運が良かったのは日本の代表的な方言の一つ津軽弁の故郷青森地方を若い頃の旅先に選択したことであろうか。
本格的に方言と出合ったのは上野発の夜行列車で降り立った青森駅で、以降、下北半島、津軽半島、十和田湖と旅を重ね、ねぶた祭や弘前の桜まつり、もみじ祭り、暮れから正月雪の降りしきる季節と訪れたので、同じ青森でも津軽弁と南部弁の違いも知った。
というわけで、今回は青森地方にスポットを当て、方言の良さを伝えておきたい。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、青函連絡船が米海軍の艦載機からの攻撃で沈められたため、犠牲者を慰霊するため、青森港にある青函連絡船八甲田丸の南側にある慰霊碑を訪れたのは2010年6月のことだった。
この時、昔賑やかだった浅虫温泉に泊まったのだが、面影が全くないほど寂れてしまっていた。
でも、そこは青森だから、旅館の仲居さんがしゃべる言葉は独特のイントネーションがあり、青森までやってきてよかったと思わせてくれた。
青森といえば、青森を代表する著名人として奈良光枝、太宰治、棟方志功、横綱若乃花、高橋竹山、寺山修司そして吉幾三と思いつくままに挙げてみる。
青森の方言に関していえば、近年では何といっても、吉幾三の活躍が光る。
吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」は名曲中の名曲だが、最近では津軽弁ラップ[TSUGARU」に至っては通訳が欲しくなるほどの迷曲である。
吉幾三の功績は彼が使う津軽弁でマイナーだったものが、今ではメジャーとまではいわないまでも、普通に使えば座が和むようになっていることだ。
もう、東京で青森だなどと田舎者扱いするものはいないはずだ。
TVで『秘密のケンミンSHOW 極』が放送されていたのを視聴したことがあるが、もっと方言特集をやってもらいたい。
高齢者が使う方言を若い人にも是非とも伝承してもらいたい。
方言は文化だからだ。
というわけで、方言について書く。
16歳になったばかりの夏、父親が病死してしまったが、その父親が遺してくれたカネで学校に行かせてもらったし、恵まれたことに長男だから、親の家に住み続けていくことができたから、普通の男たちが働いて家を買い、ローンを払い続けるということもなかったため、旅と趣味や本を買い求めることにカネを使ってしまい、蓄えることなど考えもせずに今日に至る。
たぶん、40代早々に病気になってしまい、長生きすることはないと虚無的になっていたのだと思うが、どういうわけか、古来稀なる齢を過ぎるまで死ぬことはなかった。
長生きさせてもらった分、そのお礼も兼ねて10年ほど前から語り継ぐ戦争で北は北海道稚内から南は沖縄まで戦没者慰霊のための行脚を始めたので、各地の方言と接することが増えた。
しかし、方言と初めて出合ったのは学生時代のことで、身近に秋田や岩手出身の学生がいて、彼らの話す言葉のイントネーションの違いに気づいた。
ところが、彼らは、方言でしゃべることをよしとしない気持ちがあったのか、気軽に会話をしないようなところがあった。
今思えば、田舎者だとみられないように気にしていたのだろう。
方言といえば、運が良かったのは日本の代表的な方言の一つ津軽弁の故郷青森地方を若い頃の旅先に選択したことであろうか。
本格的に方言と出合ったのは上野発の夜行列車で降り立った青森駅で、以降、下北半島、津軽半島、十和田湖と旅を重ね、ねぶた祭や弘前の桜まつり、もみじ祭り、暮れから正月雪の降りしきる季節と訪れたので、同じ青森でも津軽弁と南部弁の違いも知った。
というわけで、今回は青森地方にスポットを当て、方言の良さを伝えておきたい。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、青函連絡船が米海軍の艦載機からの攻撃で沈められたため、犠牲者を慰霊するため、青森港にある青函連絡船八甲田丸の南側にある慰霊碑を訪れたのは2010年6月のことだった。
この時、昔賑やかだった浅虫温泉に泊まったのだが、面影が全くないほど寂れてしまっていた。
でも、そこは青森だから、旅館の仲居さんがしゃべる言葉は独特のイントネーションがあり、青森までやってきてよかったと思わせてくれた。
青森といえば、青森を代表する著名人として奈良光枝、太宰治、棟方志功、横綱若乃花、高橋竹山、寺山修司そして吉幾三と思いつくままに挙げてみる。
青森の方言に関していえば、近年では何といっても、吉幾三の活躍が光る。
吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」は名曲中の名曲だが、最近では津軽弁ラップ[TSUGARU」に至っては通訳が欲しくなるほどの迷曲である。
吉幾三の功績は彼が使う津軽弁でマイナーだったものが、今ではメジャーとまではいわないまでも、普通に使えば座が和むようになっていることだ。
もう、東京で青森だなどと田舎者扱いするものはいないはずだ。
TVで『秘密のケンミンSHOW 極』が放送されていたのを視聴したことがあるが、もっと方言特集をやってもらいたい。
高齢者が使う方言を若い人にも是非とも伝承してもらいたい。
方言は文化だからだ。
2021年06月07日
規格統一 作陶は手作業 小石原ポタリーの器
日本大好き、自称民族派の一人として日本の伝統芸能、伝統工芸の素晴らしさを発信してきた。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚、遊女、女郎と呼ばれし女性たちの供養も兼ねて、コロナ感染拡大が進むまでの10年全国を回ってきたから、伝統工芸など各地でいろいろ見てきた。
5月8日、読売が朝刊のくらしの紙面で「日用品をゆたかに」というタイトルで福岡県東峰村の小石原ポタリーの器を紹介していたので、書いておく。
福岡県東峰村は大分県日田市と隣接する山間地域で、江戸時代から続く小石原焼の産地として知られる。
1950年代後半以降の柳宗悦らの民藝運動によるブームで注目されるようになった。
現在も約40軒の窯元があるが、高齢化が進む。
小石原焼は2008年、「小石原ポタリー」としてブランド化され、料理研究家の長尾智子さんに商品のデザインなどを依頼したそうな。
形やサイズなどの規格を統一し、参加する9軒の窯元が競作している。
化粧土を刷毛で塗る「刷毛目」や「工具で削り目を付ける「飛びかんな」と呼ばれる模様も窯元で異なる。
和洋中問わず、使い勝手の良さをセールスポイントに新たな商品開発での試作を繰り返す。
陶芸は好きで、教室に通って作陶した経験もあるくらいだし、戦没者慰霊のための行脚で全国を回っているとき、気に入った器があれば、買い求めてきたので、それなりの数がある。
犯罪被害者支援の究極として、受刑者の更生を支援してきたので、受刑者が作った陶器も買い求めてきた。
ついでに言うなら、平凡社の『陶磁体系』全48巻を買い求めてしまったが、尺八と畑で忙しくて、陶芸の作陶まで手が回らないので、いずれ、自分の新しい家族の誰かが活かしてくれることを密かに期待している。
手許に小学館ウイークリーブック『やきものを楽しむ』がある。
監修は「なんでも鑑定団」の中島誠之助と娘の中島由美」。
その20が上野焼・小石原焼・小鹿田焼である。
九州には戦没者慰霊のための行脚で知覧、ナガサキ、二日市、宇佐、熊本、水俣と回っているが、陶芸でいえば、肝心な有田、唐津に寄ることができていない。
コロナで、空白ができたのが痛い。
その間、時間ばかり過ぎてしまい、こちらは衰えが進んでしまった。
なかなか思うようにいかないと痛感しているが、それでも、コロナのワクチンを接種したら、もう少し慰霊と供養の行脚を続けたい。
九州にもまだ鹿屋始め、行きたいところはいくらでもある。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚、遊女、女郎と呼ばれし女性たちの供養も兼ねて、コロナ感染拡大が進むまでの10年全国を回ってきたから、伝統工芸など各地でいろいろ見てきた。
5月8日、読売が朝刊のくらしの紙面で「日用品をゆたかに」というタイトルで福岡県東峰村の小石原ポタリーの器を紹介していたので、書いておく。
福岡県東峰村は大分県日田市と隣接する山間地域で、江戸時代から続く小石原焼の産地として知られる。
1950年代後半以降の柳宗悦らの民藝運動によるブームで注目されるようになった。
現在も約40軒の窯元があるが、高齢化が進む。
小石原焼は2008年、「小石原ポタリー」としてブランド化され、料理研究家の長尾智子さんに商品のデザインなどを依頼したそうな。
形やサイズなどの規格を統一し、参加する9軒の窯元が競作している。
化粧土を刷毛で塗る「刷毛目」や「工具で削り目を付ける「飛びかんな」と呼ばれる模様も窯元で異なる。
和洋中問わず、使い勝手の良さをセールスポイントに新たな商品開発での試作を繰り返す。
陶芸は好きで、教室に通って作陶した経験もあるくらいだし、戦没者慰霊のための行脚で全国を回っているとき、気に入った器があれば、買い求めてきたので、それなりの数がある。
犯罪被害者支援の究極として、受刑者の更生を支援してきたので、受刑者が作った陶器も買い求めてきた。
ついでに言うなら、平凡社の『陶磁体系』全48巻を買い求めてしまったが、尺八と畑で忙しくて、陶芸の作陶まで手が回らないので、いずれ、自分の新しい家族の誰かが活かしてくれることを密かに期待している。
手許に小学館ウイークリーブック『やきものを楽しむ』がある。
監修は「なんでも鑑定団」の中島誠之助と娘の中島由美」。
その20が上野焼・小石原焼・小鹿田焼である。
九州には戦没者慰霊のための行脚で知覧、ナガサキ、二日市、宇佐、熊本、水俣と回っているが、陶芸でいえば、肝心な有田、唐津に寄ることができていない。
コロナで、空白ができたのが痛い。
その間、時間ばかり過ぎてしまい、こちらは衰えが進んでしまった。
なかなか思うようにいかないと痛感しているが、それでも、コロナのワクチンを接種したら、もう少し慰霊と供養の行脚を続けたい。
九州にもまだ鹿屋始め、行きたいところはいくらでもある。
2021年04月25日
登録制度新設 無形の文化継承のため
地域の祭りや食文化、書道など、日本の文化を幅広く捉え、保護強化を目指す改正文化財保護法が16日成立した。
これらを無形文化財として「登録」する制度の新設が柱だ。知名度を高め、新型コロナウイルスの感染拡大や後継者不足に悩む様々な文化活動の後押しになると期待される。と4月19日の読売が「スキャナー」の紙面で伝えている。
無形の文化財とは、紙面の解説によれば、芸能や技術をはじめ形のない文化財のうち、歴史的にも芸術的にも価値が高いもの。演劇や音楽、工芸技術などを指す「無形文化財」と郷土芸能や行事などの「無形民俗文化財」がある。
要するに文化財保護制度には、手厚い支援が受けられるが規制が厳しい「指定」と規制が緩く、広い範囲を対象とした「登録」があり、登録制度はこれまで建物や工芸品など有形の文化財や民俗文化財だけを対象にしていたものを無形の文化財にも広げるということで大いに歓迎したい。
NHKでは「日本の素顔」「新日本紀行」「新日本風土記」そして、「小さな旅」と日本の各地を巡り、そこに住む人の暮らし、文化、芸能などを紹介してくれた。
今でもテーマ音楽がすぐに思い浮かぶのが冨田勲の「新日本紀行」で流れたメロディだ。
団塊の世代で、かつ首都圏の田舎町に生まれ育ったことから、この地域に伝承される氏神様の祭りや盆踊りなどにはいろいろ思い出がある。
氏神様は少し離れた地域にあるのだが、明治の神仏習合の名残なのか、祭りで巡行する神輿と山車をしまっておく御仮屋と呼ばれた建物が子どもの頃は寺の境内にあった。
寺の境内から神輿が出発し、町内を回って寺に帰ってきたが、当時は何の違和感も抱くことはなかった。
寺の境内では、各町会から出てくる役員が余興のための舞台を作り、そこで、当時の青年団だろうか、それこそ田舎芝居を演じたものである。
無論、旅役者の一座が来たことだってあるのだ。
しかし、時の流れで、寺の住職から、神社のものは神社で管理ということで、神輿と山車の御仮屋は取り壊され、いつの間にか、寺の境内で祭りが開かれることはなくなってしまった。
ついでに言うなら、この地域には不釣り合いなほど立派な神輿があるが、担ぎ手がいなくなり、車に載せて町内を回っていた。神輿を担ぎたい人が集まり、神輿会が結成され、いっとき、復活したのもつかの間、再び担ぎ手がいないという情けないことになっている。
地域の祭りなどどこの地域にもありそうだが、これらも日本の文化だから、「登録」制度が新設されるのが大いに結構なことだ。
語り継ぐ戦争だから、米国と無謀にも戦争し、敗れたから、日本の文化を否定するようなことがいろいろな分野で起きている。
コメを主とした日本型食生活がパンやパスタなどにとってかわられようとしているが、食文化というくらいだから、これもまた、無形の文化として残しておきたい。
戦争には敗れたが文化面では米国など相手にならないほど豊かなのが日本である。
しかし、自分が趣味としている尺八も今や欧米の方が本家より盛んになりつつあるくらいで、いずれ、日本人が外国人に教えを乞う時代がやってくるだろう。
日本の文化を誇り、守っていくのは日本人なら当然のことではないか。
これらを無形文化財として「登録」する制度の新設が柱だ。知名度を高め、新型コロナウイルスの感染拡大や後継者不足に悩む様々な文化活動の後押しになると期待される。と4月19日の読売が「スキャナー」の紙面で伝えている。
無形の文化財とは、紙面の解説によれば、芸能や技術をはじめ形のない文化財のうち、歴史的にも芸術的にも価値が高いもの。演劇や音楽、工芸技術などを指す「無形文化財」と郷土芸能や行事などの「無形民俗文化財」がある。
要するに文化財保護制度には、手厚い支援が受けられるが規制が厳しい「指定」と規制が緩く、広い範囲を対象とした「登録」があり、登録制度はこれまで建物や工芸品など有形の文化財や民俗文化財だけを対象にしていたものを無形の文化財にも広げるということで大いに歓迎したい。
NHKでは「日本の素顔」「新日本紀行」「新日本風土記」そして、「小さな旅」と日本の各地を巡り、そこに住む人の暮らし、文化、芸能などを紹介してくれた。
今でもテーマ音楽がすぐに思い浮かぶのが冨田勲の「新日本紀行」で流れたメロディだ。
団塊の世代で、かつ首都圏の田舎町に生まれ育ったことから、この地域に伝承される氏神様の祭りや盆踊りなどにはいろいろ思い出がある。
氏神様は少し離れた地域にあるのだが、明治の神仏習合の名残なのか、祭りで巡行する神輿と山車をしまっておく御仮屋と呼ばれた建物が子どもの頃は寺の境内にあった。
寺の境内から神輿が出発し、町内を回って寺に帰ってきたが、当時は何の違和感も抱くことはなかった。
寺の境内では、各町会から出てくる役員が余興のための舞台を作り、そこで、当時の青年団だろうか、それこそ田舎芝居を演じたものである。
無論、旅役者の一座が来たことだってあるのだ。
しかし、時の流れで、寺の住職から、神社のものは神社で管理ということで、神輿と山車の御仮屋は取り壊され、いつの間にか、寺の境内で祭りが開かれることはなくなってしまった。
ついでに言うなら、この地域には不釣り合いなほど立派な神輿があるが、担ぎ手がいなくなり、車に載せて町内を回っていた。神輿を担ぎたい人が集まり、神輿会が結成され、いっとき、復活したのもつかの間、再び担ぎ手がいないという情けないことになっている。
地域の祭りなどどこの地域にもありそうだが、これらも日本の文化だから、「登録」制度が新設されるのが大いに結構なことだ。
語り継ぐ戦争だから、米国と無謀にも戦争し、敗れたから、日本の文化を否定するようなことがいろいろな分野で起きている。
コメを主とした日本型食生活がパンやパスタなどにとってかわられようとしているが、食文化というくらいだから、これもまた、無形の文化として残しておきたい。
戦争には敗れたが文化面では米国など相手にならないほど豊かなのが日本である。
しかし、自分が趣味としている尺八も今や欧米の方が本家より盛んになりつつあるくらいで、いずれ、日本人が外国人に教えを乞う時代がやってくるだろう。
日本の文化を誇り、守っていくのは日本人なら当然のことではないか。
2021年03月15日
日本のもの作り職人たちにエール
運転免許を取得してから、早半世紀が経ち、ついに高齢者講習を受けなければ免許が更新できないという年齢になってしまったことは書いた。
任意保険への加入は当然のことだが、万が一の時のために日本自動車連盟(JAF)に加入したのが1989(平成元年)のことだから、もう会員歴は長い。
そのJAFから毎月、「JAFMate」という月刊誌が送られてくる。
いつもしっかり読んでいるわけではないが、時々、興味を惹かれる記事があって、いつか、取り上げようと考えていたの2020年7月の「日本の魅力、再発見」「日本のもの作り職人たち」である。
弁当箱などで知られる秋田の大館曲げわっぱの高清水勲さん。
簪や帯留めなどの金属工芸職人滋賀県草津の銀峰工房伊庭拓也さん。
愛媛県宇和島で大漁旗や鯉のぼりを作る黒田のぼり店の黒田勉さん。
鹿児島市の幻のガラス薩摩切子の工場で働く松林雄一郎さん。
島根県出雲の出西窯の15人の陶工の一人、島根大さん。
福岡県東峰村の小石原焼早川窯の早川結理さん。
大分県国東市でくにさき七島藺工房ななつむぎの岩切千佳さん。
山形県天童市の天童木工の西尾佳斗さん。
長野県軽井沢市の軽井沢彫一彫堂の春原武さん。
徳島県徳島市の藍染古庄美智子さん。
日本の伝統工芸に勤しむ上記の人、その他全国で頑張る伝統工芸職人と関係者にまず、エールをおくりたい。
伝統工芸とはいいながら、需要と供給という経済の原則から、需要が少なくなれば、自ずとその工芸品は廃れてしまう運命をたどることになってしまう。
しかし、需要は喚起できるものだから、愛すべき日本の伝統工芸品を廃れさせてはならない。
日本は馬鹿な軍人たちのせいで、無謀にも国力が違いすぎる米国に宣戦布告し、勝てるわけがない戦争を仕掛け、300万人もの人たちが死んだ。
戦争に敗れた結果、江戸時代以降からの資源循環型社会がぶち壊され、米国型使い捨て社会になり、プラスチック製品全盛となり、プラスチック製品の廃棄による環境汚染に悩まされるようになってしまう。
とりあえず、そんな風潮に敢えて逆らうかのように立ち向かっている人が上記紹介した人の中の一人、くにさきしちとういの工芸士の岩切千佳さんだ。
国東七島藺という畳表の材料となる植物を栽培し、ラグやアクセサリーを製作しながら、全国に㏚活動をしていると知り、応援したくなった。
取材した記者も「日本全国各地で自分にしかできないもの作りを極めるため、真っ直ぐに取り組む人がいる。清々しく働く彼らがまぶしく映った」とコメントしている。
若い人が就活で企業に雇われることだけ見据えている例が少なくないが、農業、林業と並んで職人、それも伝統工芸の職人の道に進むことを薦めたい。
技術を身に着ければ、定年など関係なく働けるからだ。
任意保険への加入は当然のことだが、万が一の時のために日本自動車連盟(JAF)に加入したのが1989(平成元年)のことだから、もう会員歴は長い。
そのJAFから毎月、「JAFMate」という月刊誌が送られてくる。
いつもしっかり読んでいるわけではないが、時々、興味を惹かれる記事があって、いつか、取り上げようと考えていたの2020年7月の「日本の魅力、再発見」「日本のもの作り職人たち」である。
弁当箱などで知られる秋田の大館曲げわっぱの高清水勲さん。
簪や帯留めなどの金属工芸職人滋賀県草津の銀峰工房伊庭拓也さん。
愛媛県宇和島で大漁旗や鯉のぼりを作る黒田のぼり店の黒田勉さん。
鹿児島市の幻のガラス薩摩切子の工場で働く松林雄一郎さん。
島根県出雲の出西窯の15人の陶工の一人、島根大さん。
福岡県東峰村の小石原焼早川窯の早川結理さん。
大分県国東市でくにさき七島藺工房ななつむぎの岩切千佳さん。
山形県天童市の天童木工の西尾佳斗さん。
長野県軽井沢市の軽井沢彫一彫堂の春原武さん。
徳島県徳島市の藍染古庄美智子さん。
日本の伝統工芸に勤しむ上記の人、その他全国で頑張る伝統工芸職人と関係者にまず、エールをおくりたい。
伝統工芸とはいいながら、需要と供給という経済の原則から、需要が少なくなれば、自ずとその工芸品は廃れてしまう運命をたどることになってしまう。
しかし、需要は喚起できるものだから、愛すべき日本の伝統工芸品を廃れさせてはならない。
日本は馬鹿な軍人たちのせいで、無謀にも国力が違いすぎる米国に宣戦布告し、勝てるわけがない戦争を仕掛け、300万人もの人たちが死んだ。
戦争に敗れた結果、江戸時代以降からの資源循環型社会がぶち壊され、米国型使い捨て社会になり、プラスチック製品全盛となり、プラスチック製品の廃棄による環境汚染に悩まされるようになってしまう。
とりあえず、そんな風潮に敢えて逆らうかのように立ち向かっている人が上記紹介した人の中の一人、くにさきしちとういの工芸士の岩切千佳さんだ。
国東七島藺という畳表の材料となる植物を栽培し、ラグやアクセサリーを製作しながら、全国に㏚活動をしていると知り、応援したくなった。
取材した記者も「日本全国各地で自分にしかできないもの作りを極めるため、真っ直ぐに取り組む人がいる。清々しく働く彼らがまぶしく映った」とコメントしている。
若い人が就活で企業に雇われることだけ見据えている例が少なくないが、農業、林業と並んで職人、それも伝統工芸の職人の道に進むことを薦めたい。
技術を身に着ければ、定年など関係なく働けるからだ。
2020年11月21日
伝統建築修復の技 無形遺産に ユネスコ登録勧告
世界最古の法隆寺に代表される日本の伝統的な木造建築を修復する職人の技術をまとめた「伝統建築工匠の技」17件について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の評価機関は、無形文化遺産に登録するよう勧告した。文化庁が17日、明らかにした。とメデイアが伝えている。
11月17日のJIJI.COMによれば、12月14日からパリで開かれる政府間委員会で正式決定される見通し。登録されれば2018年の「来訪神 仮面・仮装の神々」以来で、国内の無形文化遺産は22件となる。
読売は11月17日夕刊の1面で取り上げているほどの大きなかつ嬉しいニュースだ。
その読売は翌18日の朝刊で「登録 匠たちの励みに」という見出しで無形遺産に関わる人の喜びの声を伝えていた。
日本建築史の藤井恵介・東京大学名誉教授は「伝統建築工匠の技を構成する17の技術は日本の伝統的な木造建築物を保存・修理し、後世に残すためにいずれも欠かせない。
一方で、洋風の建物が一般化し、若い職人が経験が足りず、後継者不足で業界の先細りが懸念される。登録を機に官民の連携で保護の機運が高まることを期待したい」と歓迎のコメントを寄せている。
伝統建築工匠の技は次のとおり。
建造物修理、建造物木工、檜皮葺・杮葺き、茅葺、檜皮採取、屋根板製作、茅採取、建造物装飾、建造物彩色、建造物漆塗り、屋根瓦葺き(本瓦葺き)、左官(日本壁)、建具製作、畳製作、装潢修理技術、日本産漆生産・精製、縁付金箔製造
読売によれば、文化財保存に不可欠な国の「選定保存技術」として14の保存団体が継承している。
菅内閣は日本学術会議の6人のメンバーが安倍内閣に批判的だったからか、選任同意を拒否する一方で、GoTOトラベルで自らの支援者食べログの社長を儲けさせ、かつ、文化功労者にしたと伝えられている。
安倍政権よりやっていることは酷すぎて話にならない。
携帯電話の料金の値下げをさせることで、人気をとることを企んでいるが、これは、この業界に参入して日が浅い楽天の社長と菅首相が近しいからで、楽天への援護射撃だという見方もある。
まあ、とわいうものの、儲けすぎている携帯電話の料金の値下げは歓迎する。
そう、菅首相は自分のことしか考えないトランプ大統領と同じ身勝手な首相だということに有権者は目覚めてほしい。
さて、民族派を自任する立場としては、ユネスコが伝統建築を評価し、その技術を無形遺産にしてくれるのは大歓迎である。
教育が間違っているから、学生が就活で技術を身につける、手に職を持つことではなく、誰がやっても同じような仕事にばかりつきたがるようになってしまった。
いつも、一次産業の農林水産業、とりわけ、食料という人間が生きていくうえで絶対的な必需品を生産する農業への就職、就農を薦めてきた。
農業で食べていくのは厳しいが、雇用形態で非正規雇用が4割ということでは先が知れている企業の歯車にされるより、食べていくことだけはできる農業には明るい未来があると訴えてきた。
そこに、伝統建築の修復の技術にユネスコのお墨付きを与えてもらえば、これは職人たちの励みになるだけでなく、若い人たちが就職先に選ぶ可能性が広がる。
非正規雇用で企業でいいように使われ、消耗するより、手に職と江戸時代から言われていたことを実践する人が増えれば、この業界が活性化し、需要も間違いなく伸びる。
日本の伝統工芸、伝統芸能、伝統建築、これらに関わる人達に共通しているのは彼らの技術は一朝一夕では身につくものではなく、どんな技も最低で10年程度は修業しなければ話にならない。
その代わり、一度身につけた技術に定年などないから、死ぬまで力を発揮することだって可能である。
卑俗な例で恐縮であるが、芸者とコンパニオンという職業がある。
芸者になって、三絃や踊り、歌などをマスターするのは大変であるが、一度身につけた芸は死なない。
コンパニオンの若さ溢れる肌はこれまた魅力的で人気がある。
しかし、お肌、容色は年を重ねれば衰えてしまう。芸を身につけておけば、容色の衰えなど問題にならない。
技を身に着けるのは大変だが、技を身につけさえすれば、非正規雇用など吹っ飛ばせる。
がんばれ!職人たち。
11月17日のJIJI.COMによれば、12月14日からパリで開かれる政府間委員会で正式決定される見通し。登録されれば2018年の「来訪神 仮面・仮装の神々」以来で、国内の無形文化遺産は22件となる。
読売は11月17日夕刊の1面で取り上げているほどの大きなかつ嬉しいニュースだ。
その読売は翌18日の朝刊で「登録 匠たちの励みに」という見出しで無形遺産に関わる人の喜びの声を伝えていた。
日本建築史の藤井恵介・東京大学名誉教授は「伝統建築工匠の技を構成する17の技術は日本の伝統的な木造建築物を保存・修理し、後世に残すためにいずれも欠かせない。
一方で、洋風の建物が一般化し、若い職人が経験が足りず、後継者不足で業界の先細りが懸念される。登録を機に官民の連携で保護の機運が高まることを期待したい」と歓迎のコメントを寄せている。
伝統建築工匠の技は次のとおり。
建造物修理、建造物木工、檜皮葺・杮葺き、茅葺、檜皮採取、屋根板製作、茅採取、建造物装飾、建造物彩色、建造物漆塗り、屋根瓦葺き(本瓦葺き)、左官(日本壁)、建具製作、畳製作、装潢修理技術、日本産漆生産・精製、縁付金箔製造
読売によれば、文化財保存に不可欠な国の「選定保存技術」として14の保存団体が継承している。
菅内閣は日本学術会議の6人のメンバーが安倍内閣に批判的だったからか、選任同意を拒否する一方で、GoTOトラベルで自らの支援者食べログの社長を儲けさせ、かつ、文化功労者にしたと伝えられている。
安倍政権よりやっていることは酷すぎて話にならない。
携帯電話の料金の値下げをさせることで、人気をとることを企んでいるが、これは、この業界に参入して日が浅い楽天の社長と菅首相が近しいからで、楽天への援護射撃だという見方もある。
まあ、とわいうものの、儲けすぎている携帯電話の料金の値下げは歓迎する。
そう、菅首相は自分のことしか考えないトランプ大統領と同じ身勝手な首相だということに有権者は目覚めてほしい。
さて、民族派を自任する立場としては、ユネスコが伝統建築を評価し、その技術を無形遺産にしてくれるのは大歓迎である。
教育が間違っているから、学生が就活で技術を身につける、手に職を持つことではなく、誰がやっても同じような仕事にばかりつきたがるようになってしまった。
いつも、一次産業の農林水産業、とりわけ、食料という人間が生きていくうえで絶対的な必需品を生産する農業への就職、就農を薦めてきた。
農業で食べていくのは厳しいが、雇用形態で非正規雇用が4割ということでは先が知れている企業の歯車にされるより、食べていくことだけはできる農業には明るい未来があると訴えてきた。
そこに、伝統建築の修復の技術にユネスコのお墨付きを与えてもらえば、これは職人たちの励みになるだけでなく、若い人たちが就職先に選ぶ可能性が広がる。
非正規雇用で企業でいいように使われ、消耗するより、手に職と江戸時代から言われていたことを実践する人が増えれば、この業界が活性化し、需要も間違いなく伸びる。
日本の伝統工芸、伝統芸能、伝統建築、これらに関わる人達に共通しているのは彼らの技術は一朝一夕では身につくものではなく、どんな技も最低で10年程度は修業しなければ話にならない。
その代わり、一度身につけた技術に定年などないから、死ぬまで力を発揮することだって可能である。
卑俗な例で恐縮であるが、芸者とコンパニオンという職業がある。
芸者になって、三絃や踊り、歌などをマスターするのは大変であるが、一度身につけた芸は死なない。
コンパニオンの若さ溢れる肌はこれまた魅力的で人気がある。
しかし、お肌、容色は年を重ねれば衰えてしまう。芸を身につけておけば、容色の衰えなど問題にならない。
技を身に着けるのは大変だが、技を身につけさえすれば、非正規雇用など吹っ飛ばせる。
がんばれ!職人たち。
2020年10月26日
祭りや郷土食を「登録文化財」として保護へ
地域のお祭りや郷土料理などの文化の保存・活用を強化するため、政府は文化財保護法を改正する方針を固めたメディアが伝えている。10月19日の読売が朝刊1面トップ記事で、産経新聞もこの日取り上げていた。
読売によれば、文化財保護法は、文化財をその重要性に応じて区分しており、強い規制と手厚い支援が受けられる「指定文化財」とより緩やかな「登録文化財」がある。
登録文化財の対象は現在、有形文化財と有形民俗文化財だが、法改正で無形文化財と無形民俗文化財をを追加したい考えだ。
郷土料理や地域のお祭りのほか、書道、日本酒の醸造技術などが新たに登録になるとみられる。
登録対象の拡充とは別に、価値が定まっていない芸術分野について、文化庁長官の判断で同庁が調査に乗り出す制度も設ける。
お上のやることは基本的によくないことが多いが、今回は大いに賛同できることで、エールをおくりたい。
一言でいうなら、民俗学の世界のことというか、南方熊楠や柳田國男、柳宗悦、そして泉靖一というこの世界のビッグネームたちの築いてきた分野での功績のお陰と呼んでもいいかもしれない。
ちなみに、泉靖一さんの名前hは語り継ぐ戦争で、満州からの引揚者が博多港に上陸するとき尽力した人物ということで知った。
満州でソ連兵や朝鮮の保安隊や中国人などから性的暴行され、生憎妊娠してしまい、あるいは梅毒を罹患させられた女性たちが中絶手術をした時、奮闘された人物である。
さて、人間が生きていくとき、長い年数を経て、伝承されてきたものを文化と呼ぶとするなら、祭りや郷土料理が無形文化財だということに異議を唱えるひとはあるまい。
特に、祭りや郷土料理というなら、方言をまず、無形文化財として、もっと保存するようにしてもらいた。
各地方の方言を使うから、祭りであれ、郷土料理であれ、郷土の思いが全国に発信されるといっても過言ではない。
まず、方言の保存と活用に力をいれるべきだ。
読売によれば、文化財保護法は、文化財をその重要性に応じて区分しており、強い規制と手厚い支援が受けられる「指定文化財」とより緩やかな「登録文化財」がある。
登録文化財の対象は現在、有形文化財と有形民俗文化財だが、法改正で無形文化財と無形民俗文化財をを追加したい考えだ。
郷土料理や地域のお祭りのほか、書道、日本酒の醸造技術などが新たに登録になるとみられる。
登録対象の拡充とは別に、価値が定まっていない芸術分野について、文化庁長官の判断で同庁が調査に乗り出す制度も設ける。
お上のやることは基本的によくないことが多いが、今回は大いに賛同できることで、エールをおくりたい。
一言でいうなら、民俗学の世界のことというか、南方熊楠や柳田國男、柳宗悦、そして泉靖一というこの世界のビッグネームたちの築いてきた分野での功績のお陰と呼んでもいいかもしれない。
ちなみに、泉靖一さんの名前hは語り継ぐ戦争で、満州からの引揚者が博多港に上陸するとき尽力した人物ということで知った。
満州でソ連兵や朝鮮の保安隊や中国人などから性的暴行され、生憎妊娠してしまい、あるいは梅毒を罹患させられた女性たちが中絶手術をした時、奮闘された人物である。
さて、人間が生きていくとき、長い年数を経て、伝承されてきたものを文化と呼ぶとするなら、祭りや郷土料理が無形文化財だということに異議を唱えるひとはあるまい。
特に、祭りや郷土料理というなら、方言をまず、無形文化財として、もっと保存するようにしてもらいた。
各地方の方言を使うから、祭りであれ、郷土料理であれ、郷土の思いが全国に発信されるといっても過言ではない。
まず、方言の保存と活用に力をいれるべきだ。
2020年09月21日
コロナ禍で苦境に 伝統工芸
語り継ぐ戦争をメインに人身売買に反対する立場から売春問題、自由と尊厳が重要だという立場から犯罪被害者支援など、訴えたいことが山ほどある。
少しばかり視点を変えると、日本大好き人間の一人として、伝統工芸、伝統芸能の分野でも書かなければいられないことがある。
9月14日の読売夕刊、写真で記録する現代史ともいうべき「ズームアップ」。
「伝統の技 コロナ下の挑戦」という見出しにたくさんの升が積み上げられている写真とともに製造元、岐阜県大垣市の「大橋量器」の工房の保管室で大橋博行社長(56)がマスクはつけているものの無念の表情を浮かべている。
慶事での需要が多い升であるが、その慶事が中国は湖北省武漢発の新型コロナウイルスの感染大爆発で中止に追い込まれているからだ。
座して待つわけにもいかないから、インテリアなど新たな販路の拡大を目指しているという。
1987年創業だという京都の老舗「中村ローソク」の田川広一社長(57)も、神事、祭事、仏事と和ろうそくが使われるイベントが中止に追い込まれ、売り上げが前年の半分以下と低迷し、オンライン販売に活路を見出す。
一方、扇子の老舗京都の「大西京扇堂」は扇子をウイルスの飛沫防止に使うことを提唱して、販路拡大を進めている。
群馬県沼田市の「丸山下駄製造所」では下駄をゴム底で室内履き用、しかも、安定性を高めた「平ら下駄」とストレッチする「リフレッシュ下駄」の2種類をつくっているそうな。
升といえば、今はもうどこの家庭にもあるというわけにはいかないかもしれないが、我が家はコメを量るときに使う、1升、5合、1合と3種類の升が物心ついた時から使われていた。
酒飲みが升酒を飲むことを角打ちということを耳にしたことがあるが、一つ思いだしたことがある。
正月恒例となっている箱根駅伝の応援を50回大会から40年以上もずっと続けてきたが、2020年はとうとう体調不良、加齢による気力の低下で行かれなかった。
若い頃は正月2日の箱根の往路のゴールまで行っていたが、交通事情その他で小田原で応援していた時のこと、某デパート、名前を失念したが、升酒をふるまってくれたことがあった。
木の香りと酒は見事にマッチして、ありがたく頂戴したことを遅まきながらお礼申し上げたい。
ついでに書くと、箱根町では甘酒をふるまってくれた。
さて、升はインテリアとしても使えるし、日本独特の文化とともにあるものだから、アンチプラスチックの代表として入れ物として、使うことを提唱したい。
やはり、需要がなくなれば廃れてしまうからだ。
和ろうそく、扇子、下駄とどれも自分の好きなものばかりだが、ろうそくの火には神秘性があるし、下駄は自分も玄関に置いてあるが、映画「木靴の樹」ではヨーロッパの一部では貧しい人は木靴をはいていたことを考えると、下駄の方がはるかに文化の程度が高い。
扇子は酷暑の夏に浴衣で団扇とともに扇いでいる姿をみかけると、嬉しくなって暑さを忘れさせてくれるほど日本の夏に似合う。
日本伝統工芸が中国武漢発の新型コロナウイルス、中国共産党の覇権主義に負けるわけにはいかない。
少しばかり視点を変えると、日本大好き人間の一人として、伝統工芸、伝統芸能の分野でも書かなければいられないことがある。
9月14日の読売夕刊、写真で記録する現代史ともいうべき「ズームアップ」。
「伝統の技 コロナ下の挑戦」という見出しにたくさんの升が積み上げられている写真とともに製造元、岐阜県大垣市の「大橋量器」の工房の保管室で大橋博行社長(56)がマスクはつけているものの無念の表情を浮かべている。
慶事での需要が多い升であるが、その慶事が中国は湖北省武漢発の新型コロナウイルスの感染大爆発で中止に追い込まれているからだ。
座して待つわけにもいかないから、インテリアなど新たな販路の拡大を目指しているという。
1987年創業だという京都の老舗「中村ローソク」の田川広一社長(57)も、神事、祭事、仏事と和ろうそくが使われるイベントが中止に追い込まれ、売り上げが前年の半分以下と低迷し、オンライン販売に活路を見出す。
一方、扇子の老舗京都の「大西京扇堂」は扇子をウイルスの飛沫防止に使うことを提唱して、販路拡大を進めている。
群馬県沼田市の「丸山下駄製造所」では下駄をゴム底で室内履き用、しかも、安定性を高めた「平ら下駄」とストレッチする「リフレッシュ下駄」の2種類をつくっているそうな。
升といえば、今はもうどこの家庭にもあるというわけにはいかないかもしれないが、我が家はコメを量るときに使う、1升、5合、1合と3種類の升が物心ついた時から使われていた。
酒飲みが升酒を飲むことを角打ちということを耳にしたことがあるが、一つ思いだしたことがある。
正月恒例となっている箱根駅伝の応援を50回大会から40年以上もずっと続けてきたが、2020年はとうとう体調不良、加齢による気力の低下で行かれなかった。
若い頃は正月2日の箱根の往路のゴールまで行っていたが、交通事情その他で小田原で応援していた時のこと、某デパート、名前を失念したが、升酒をふるまってくれたことがあった。
木の香りと酒は見事にマッチして、ありがたく頂戴したことを遅まきながらお礼申し上げたい。
ついでに書くと、箱根町では甘酒をふるまってくれた。
さて、升はインテリアとしても使えるし、日本独特の文化とともにあるものだから、アンチプラスチックの代表として入れ物として、使うことを提唱したい。
やはり、需要がなくなれば廃れてしまうからだ。
和ろうそく、扇子、下駄とどれも自分の好きなものばかりだが、ろうそくの火には神秘性があるし、下駄は自分も玄関に置いてあるが、映画「木靴の樹」ではヨーロッパの一部では貧しい人は木靴をはいていたことを考えると、下駄の方がはるかに文化の程度が高い。
扇子は酷暑の夏に浴衣で団扇とともに扇いでいる姿をみかけると、嬉しくなって暑さを忘れさせてくれるほど日本の夏に似合う。
日本伝統工芸が中国武漢発の新型コロナウイルス、中国共産党の覇権主義に負けるわけにはいかない。
2020年09月19日
浪江と大堀相馬焼
2011年3月11日の東日本大震災から9年と半年が経ったが、東京電力福島第一原発の事故現場では放射能に汚染された汚染水を処理した水が溜まる一方で海へ放流するのも時間の問題だろう。
そうなると、福島関連の漁港に水揚げされた魚は売れなくなってしまう恐れがある。
原発事故の後始末は全く終わる気配がない。
原発はやめ、再生可能な自然エネルギーの利用にシフトを変えるしかない。
さて、そんな福島にエールを送るかのように9月2日の読売が朝刊社会面で「原発と福島居場所2」で福島の伝統工芸大堀相馬焼の窯元小野田利治さん(58)が原発事故で工房があった浪江を追われ、内陸部本宮市郊外に工房を構えて3年が経ち、やはり、故郷浪江に工房が欲しいという願いが強くなっていると伝えている。
大堀相馬焼については、過去2016年に2回取り上げている。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国の慰霊碑を周って10年経ったので、訪れた街の土産物に陶芸があれば、気に入った作品を買い求めてきたくらい陶磁器が好きだ。
まだ、大堀相馬焼の作品は持っていないが、いずれ手に入れたいと願っている。
東日本大震災の復興支援で東北に来てほしい。東北の農産物、魚介類など買い求めてほしい。という声を耳にし、今、自分がやっている復興支援は福島の酒を買い求めていることでいくらかなりとも支援しているつもりだ。
以前、連れ合いが職場の福島復興支援でバス旅行で福島に行ったとき、会津喜多方の大和川酒造の酒を送ってきたことがあり、爾来ずっと盆暮れに案内のチラシを送ってくれていた。
自分は病気のこともあり、酒を飲まないが、我が家の情況が年月とともに変わり、日本酒大好き人間が身近にやってきたので、早速、何年振りかで注文したのである。
大和川酒造の主が弥右衛門さんで、この人が福島で再生可能な自然エネルギーの活用に取り組んでいて、関連の映画に出演していたことが一番の理由である。
酒の味など全く不調法な自分には判断できないが、酒好き人間から見れば、大和川酒造の金額の高い酒はやはり金額相当に旨いそうな。
脱線してしまったが、小野田利治さんは、全町避難で始め、二本松に移転し、陶芸の教え子に誘われ、いわき市で、陶芸を復活させ、知人の紹介で17年11月、本宮市に家を建て、二本松の家族を呼び寄せた。
大堀相馬焼の作陶を実演する場を浪江の道の駅につくるということで、小野田利治さんは今、浪江に足を運ぶ機会が増えたという。
しかし、窯元が集中していた浪江の大堀地区はまだ帰還困難地区だ。
5年前から、窯元を束ねる組合の理事長をしている小野田利治さんによれば、避難先で再建できたのはまだ10軒だという。
陶芸は日本全国どこにでもあるが、皆それぞれの土地の土を使って特色を出しているはずだから、よその土地に移って、そこの土地の土を使えば、もう、同じ名前の焼き物ではなくなってしまうような気がする。
まあ、同じ県内であれば、大差はないかもしれないが。
故郷を追われるということをこれほど考えさせてくれる土地への愛着というものをもう一度考えてみたい。
そうなると、福島関連の漁港に水揚げされた魚は売れなくなってしまう恐れがある。
原発事故の後始末は全く終わる気配がない。
原発はやめ、再生可能な自然エネルギーの利用にシフトを変えるしかない。
さて、そんな福島にエールを送るかのように9月2日の読売が朝刊社会面で「原発と福島居場所2」で福島の伝統工芸大堀相馬焼の窯元小野田利治さん(58)が原発事故で工房があった浪江を追われ、内陸部本宮市郊外に工房を構えて3年が経ち、やはり、故郷浪江に工房が欲しいという願いが強くなっていると伝えている。
大堀相馬焼については、過去2016年に2回取り上げている。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国の慰霊碑を周って10年経ったので、訪れた街の土産物に陶芸があれば、気に入った作品を買い求めてきたくらい陶磁器が好きだ。
まだ、大堀相馬焼の作品は持っていないが、いずれ手に入れたいと願っている。
東日本大震災の復興支援で東北に来てほしい。東北の農産物、魚介類など買い求めてほしい。という声を耳にし、今、自分がやっている復興支援は福島の酒を買い求めていることでいくらかなりとも支援しているつもりだ。
以前、連れ合いが職場の福島復興支援でバス旅行で福島に行ったとき、会津喜多方の大和川酒造の酒を送ってきたことがあり、爾来ずっと盆暮れに案内のチラシを送ってくれていた。
自分は病気のこともあり、酒を飲まないが、我が家の情況が年月とともに変わり、日本酒大好き人間が身近にやってきたので、早速、何年振りかで注文したのである。
大和川酒造の主が弥右衛門さんで、この人が福島で再生可能な自然エネルギーの活用に取り組んでいて、関連の映画に出演していたことが一番の理由である。
酒の味など全く不調法な自分には判断できないが、酒好き人間から見れば、大和川酒造の金額の高い酒はやはり金額相当に旨いそうな。
脱線してしまったが、小野田利治さんは、全町避難で始め、二本松に移転し、陶芸の教え子に誘われ、いわき市で、陶芸を復活させ、知人の紹介で17年11月、本宮市に家を建て、二本松の家族を呼び寄せた。
大堀相馬焼の作陶を実演する場を浪江の道の駅につくるということで、小野田利治さんは今、浪江に足を運ぶ機会が増えたという。
しかし、窯元が集中していた浪江の大堀地区はまだ帰還困難地区だ。
5年前から、窯元を束ねる組合の理事長をしている小野田利治さんによれば、避難先で再建できたのはまだ10軒だという。
陶芸は日本全国どこにでもあるが、皆それぞれの土地の土を使って特色を出しているはずだから、よその土地に移って、そこの土地の土を使えば、もう、同じ名前の焼き物ではなくなってしまうような気がする。
まあ、同じ県内であれば、大差はないかもしれないが。
故郷を追われるということをこれほど考えさせてくれる土地への愛着というものをもう一度考えてみたい。
2020年09月15日
文化財保護法 70年
自民党総裁選の結果について書くつもりだったが、事前のメディアからのニュースで自分が批判していた候補が圧勝するとされていて、結果がそのとおりだったから、自民党の議員に怒り心頭で頭を冷やしてから書く。
それでも、あえて一言。石破さんあきらめるな!必ず、出番はある。当然、岸田さんもだ。安倍政治を変えなくては日本がよくならないからだ。
さて、昨日、「日本美を守り伝えるTSUMUGU紡ぐプロジェクト」を取り上げたが、同じ紙面で紹介されていた文化財保護法が1950年8月29日に施行され、2020年で70周年の節目を迎えた。ということで、文化財保護法の歩みと意義を振り返ると読売が9月6日の朝刊紡ぐの紙面で伝えていた。
文化財保護行政の変遷と主な出来事を紙面で伝えているなかで、文化財の焼失という絶対に許されないことが過去起きていることがわかる。
1949(昭和24)年1月、法隆寺金堂の火災、同年2月松山城筒井門全焼、1950(昭和25)年7月の金閣寺全勝事件だ。
近年では2019年10月30日、沖縄の首里城が火災で全焼した事件もある。
金閣寺は僧侶の放火だったということで、三島由紀夫「金閣寺」(新潮文庫)や水上勉『金閣炎上』(新潮文庫)で描かれているが生憎読んでいない。
ただ、水上勉『五番町夕霧楼』(新潮文庫)を買い求めて読み、1963年に公開された田坂具隆監督、佐久間良子主演の映画をリバイバル上映で観ているので、この作品でも金閣寺の放火事件は出てくる。
江戸時代、火付け盗賊改めという役所が設置され、その長官長谷川平蔵の活躍を描いた池波正太郎『鬼平犯科帳』を買い求めて読破し、TVでドラマ化された作品を繰り返し再放送で視聴してきたので、日本の建築物が極めて火災に弱いということを知っているので、文化財の防火にはしっかり目配りする必要がある。
文化財の焼失といえば、なんといっても戦争が一番被害が大きい。
米国は一応文化財の宝庫、京都、奈良、鎌倉への攻撃は控えてくれたようだが、都市は空襲、空爆で焦土と化したから、当然文化財も多数焼失しているはずだ。
文化財の保護といえば、建築物だけでなく、文化、芸能、工芸など無形のものだって、文化財である。無形文化財の保護にももっと力をいれてもらいたい。
文化財は過去の権力者が残したものだけが文化財ではなく、あらゆる階層で先人が残してきたものが広い意味で日本の文化であるから、残すことに力をいれるべきである。
同時に、保護していくためには活用方法も考えていく必要がある。
それでも、あえて一言。石破さんあきらめるな!必ず、出番はある。当然、岸田さんもだ。安倍政治を変えなくては日本がよくならないからだ。
さて、昨日、「日本美を守り伝えるTSUMUGU紡ぐプロジェクト」を取り上げたが、同じ紙面で紹介されていた文化財保護法が1950年8月29日に施行され、2020年で70周年の節目を迎えた。ということで、文化財保護法の歩みと意義を振り返ると読売が9月6日の朝刊紡ぐの紙面で伝えていた。
文化財保護行政の変遷と主な出来事を紙面で伝えているなかで、文化財の焼失という絶対に許されないことが過去起きていることがわかる。
1949(昭和24)年1月、法隆寺金堂の火災、同年2月松山城筒井門全焼、1950(昭和25)年7月の金閣寺全勝事件だ。
近年では2019年10月30日、沖縄の首里城が火災で全焼した事件もある。
金閣寺は僧侶の放火だったということで、三島由紀夫「金閣寺」(新潮文庫)や水上勉『金閣炎上』(新潮文庫)で描かれているが生憎読んでいない。
ただ、水上勉『五番町夕霧楼』(新潮文庫)を買い求めて読み、1963年に公開された田坂具隆監督、佐久間良子主演の映画をリバイバル上映で観ているので、この作品でも金閣寺の放火事件は出てくる。
江戸時代、火付け盗賊改めという役所が設置され、その長官長谷川平蔵の活躍を描いた池波正太郎『鬼平犯科帳』を買い求めて読破し、TVでドラマ化された作品を繰り返し再放送で視聴してきたので、日本の建築物が極めて火災に弱いということを知っているので、文化財の防火にはしっかり目配りする必要がある。
文化財の焼失といえば、なんといっても戦争が一番被害が大きい。
米国は一応文化財の宝庫、京都、奈良、鎌倉への攻撃は控えてくれたようだが、都市は空襲、空爆で焦土と化したから、当然文化財も多数焼失しているはずだ。
文化財の保護といえば、建築物だけでなく、文化、芸能、工芸など無形のものだって、文化財である。無形文化財の保護にももっと力をいれてもらいたい。
文化財は過去の権力者が残したものだけが文化財ではなく、あらゆる階層で先人が残してきたものが広い意味で日本の文化であるから、残すことに力をいれるべきである。
同時に、保護していくためには活用方法も考えていく必要がある。
2020年09月14日
ニッポンのKOGEI
「日本美を守り伝えるTUMUGU紡ぐプロジェクト」について伝える特別紙面として、9月6日の読売朝刊に3面全部という扱いで大きく取り上げられている。
工芸は日本美術の本流として日本の豊かな自然が育む美を伝えてきた。
明治維新以降、西洋美術が美術の中心を担うようになり、工芸はそれまでの美術とは別の実用品としての立場に置かれてきたが、海外で評価が高まるにつれ、美術品として見直されてきた。
ということで、政府が推進する「日本博」の一環として21日に開幕する特別展「工藝2020−自然と美の形ー」に出品する名匠の技と美を紹介している。
「自然とともに 工芸の巨匠たち」という見出しで紹介されていたのは漆芸家 室瀬和美さん、人形作家
奥田小由女さん、染織家 土屋順紀さん、陶芸家 森野泰明さん。
漆、胡粉、染めるのは植物、そして土と素材には日本の豊かな自然の力から頂戴したものばかり。
桃山、江戸時代の陶磁器を研究するため、大学時代に日本にやってきたという英国セインズベリー日本藝術研究所リサーチディレクター、ニコル・クーリッジ・ルマニエールさんが「大切な技術を継承していくには、マーケットを作ることが大事。展示会では現代の作品に力を入れるべきだ。小さな展示会を何回も開催し、作家の実演などを通して魅力を発信する。日本に注目が集まっている今がチャンスだ」と日本の工芸にエールをおくる。
それぞれの作家の詳しいことは紙面に譲るとして、どうしても書いておかなければならないことがある。
NHKが土曜日の朝のTV体操の前に、英国人で京都は大原にお住いのベニシアさんの暮らしぶりにスポットを当てた「猫のしっぽ カエルの手」を放送している。
出演しているベニシアさんが驚くなかれ、日本大好き人間なのだ。
何しろ、絣のモンペを身に着けていたりするのだから、たまらない。
今は、あまり見かけなくなってしまったが、絣のモンペを身に着けた農婦と言えば、映画「越後つついし親不知」の佐久間良子みたいなイメージで、活動的かつ、日本の女性の体形に合った素晴らしい衣類である。
ベニシアさんが日本の工芸品が大好きで、番組を視聴していると改めて日本の佳さを教えてくれていることに気づかされるのだ。
ルマニエールさんといいベニシアさんといい今や、外国人に日本の佳さ、とりわけ、工芸品の素晴らしさを教えてもらわないと、気づかない日本人が多くなってしまったことが残念でならない。
昭和の文豪と言われる作家井上ひさしが『吉里吉里人』(新潮文庫)で、工業化で公害が大きな社会問題となった日本国から、東北の町が「医学立国」「農業立国」などをスローガンに吉里吉里国として独立するという小説だが、ここには大自然を畏怖する日本人がいて、大自然と上手に付き合ってきた先人の知恵をうまく使っていこうという姿勢があったような気がする。
大自然が日本海側に雪を降らせ、雪解け水がうまいコメを作り、うまい酒をつくる。
例えば、漆芸と言えば、漆だが、藤沢周平『『漆の実のみのる国』(文春文庫)で描かれた米沢藩主上杉鷹山が藩の財政のために漆の木を植えるのだが、先人の先見の明というか知恵はすばらしい。
ちなみに、漆と言えば、自分が吹く尺八は竹製で、節を抜き、管内を削り、漆を塗ってある。
ここでも漆が重要な役割を果たす。
先人の知恵、大自然から頂戴したものをうまく活用し、工芸品は作られていて、美術品としても、実用品としても素晴らしい。
政府はマーケットを作り、政府の責任で販路を増やし、技術を継承することに力を貸してもらいたい。
工芸は日本美術の本流として日本の豊かな自然が育む美を伝えてきた。
明治維新以降、西洋美術が美術の中心を担うようになり、工芸はそれまでの美術とは別の実用品としての立場に置かれてきたが、海外で評価が高まるにつれ、美術品として見直されてきた。
ということで、政府が推進する「日本博」の一環として21日に開幕する特別展「工藝2020−自然と美の形ー」に出品する名匠の技と美を紹介している。
「自然とともに 工芸の巨匠たち」という見出しで紹介されていたのは漆芸家 室瀬和美さん、人形作家
奥田小由女さん、染織家 土屋順紀さん、陶芸家 森野泰明さん。
漆、胡粉、染めるのは植物、そして土と素材には日本の豊かな自然の力から頂戴したものばかり。
桃山、江戸時代の陶磁器を研究するため、大学時代に日本にやってきたという英国セインズベリー日本藝術研究所リサーチディレクター、ニコル・クーリッジ・ルマニエールさんが「大切な技術を継承していくには、マーケットを作ることが大事。展示会では現代の作品に力を入れるべきだ。小さな展示会を何回も開催し、作家の実演などを通して魅力を発信する。日本に注目が集まっている今がチャンスだ」と日本の工芸にエールをおくる。
それぞれの作家の詳しいことは紙面に譲るとして、どうしても書いておかなければならないことがある。
NHKが土曜日の朝のTV体操の前に、英国人で京都は大原にお住いのベニシアさんの暮らしぶりにスポットを当てた「猫のしっぽ カエルの手」を放送している。
出演しているベニシアさんが驚くなかれ、日本大好き人間なのだ。
何しろ、絣のモンペを身に着けていたりするのだから、たまらない。
今は、あまり見かけなくなってしまったが、絣のモンペを身に着けた農婦と言えば、映画「越後つついし親不知」の佐久間良子みたいなイメージで、活動的かつ、日本の女性の体形に合った素晴らしい衣類である。
ベニシアさんが日本の工芸品が大好きで、番組を視聴していると改めて日本の佳さを教えてくれていることに気づかされるのだ。
ルマニエールさんといいベニシアさんといい今や、外国人に日本の佳さ、とりわけ、工芸品の素晴らしさを教えてもらわないと、気づかない日本人が多くなってしまったことが残念でならない。
昭和の文豪と言われる作家井上ひさしが『吉里吉里人』(新潮文庫)で、工業化で公害が大きな社会問題となった日本国から、東北の町が「医学立国」「農業立国」などをスローガンに吉里吉里国として独立するという小説だが、ここには大自然を畏怖する日本人がいて、大自然と上手に付き合ってきた先人の知恵をうまく使っていこうという姿勢があったような気がする。
大自然が日本海側に雪を降らせ、雪解け水がうまいコメを作り、うまい酒をつくる。
例えば、漆芸と言えば、漆だが、藤沢周平『『漆の実のみのる国』(文春文庫)で描かれた米沢藩主上杉鷹山が藩の財政のために漆の木を植えるのだが、先人の先見の明というか知恵はすばらしい。
ちなみに、漆と言えば、自分が吹く尺八は竹製で、節を抜き、管内を削り、漆を塗ってある。
ここでも漆が重要な役割を果たす。
先人の知恵、大自然から頂戴したものをうまく活用し、工芸品は作られていて、美術品としても、実用品としても素晴らしい。
政府はマーケットを作り、政府の責任で販路を増やし、技術を継承することに力を貸してもらいたい。
2020年06月29日
竹細工 鞄
中高年層の視聴率が高いらしい日曜夜のTV番組「ポツンと一軒家」を視聴しているが、中国湖北省武漢発の新型コロナウイルス感染拡大で取材が難しくなっているため、以前、訪ねた家のその後を伝えるという工夫をしながら放送を続けている。
夕べの放送は静岡県の古民家に住む竹細工職人鈴木げんさん宅を2年半前に放送し、その後の様子を知らせるということだったが、偶々、そのときの放送を視聴していなかったので、新鮮に感動したので書いておく。
静岡県は浜松市の北方の深い山奥にあるポツンと一軒家の築130年の古民家に住む竹の鞄を作る職人鈴木げんさん(当時43)はその世界では知られた有名人だそうな。
鈴木さんの竹の鞄は、買い求めたい人の予約で、現在4年待ちというほど人気がある。まあ、手作りの現代のお宝だと言っても過言ではない。
竹の鞄の材料には真竹を使っていて、山奥の住まいの近くに真竹があり、地主さんから頂戴しているとのことだが、やはりお借りしているという古民家は水回りなど住みやすく手直しして住み心地はよさそうだ。
竹を材料にしているため、伐採してから、編み込むためにいろいろ手がかかり、火を使ったりすることで煙が出たりということで、近所迷惑にならないように山奥に引っ込んだらしい。
あれから、どうしているかスタッフが電話してみると、TVで放送されたからかして、山奥にやってきた年上の女性と結婚したそうで、幸せいっぱいの鈴木さんを見ていたら、嬉しくなってしまい、書かずにはいられなくなった。
竹細工職人鈴木げんさんを見て、思い浮かべたのは水上勉『越前竹人形』だった。
映画化されているが、竹人形の職人だった父親が亡くなり、息子の許に水商売風の女性が訪ねてきて・・・。
鈴木さんは、腕は確かだが、TVで紹介されたときは、委細は不明なれど一人暮らしだった。
視聴率が20%近い番組がTVで放送されるや、女性が訪ねてきたとなれば、押しかけ女房みたいだが、物語としてはこれ以上ない展開である。
しかも、女性は年上だというのだから。
ドラマ以上の展開のドキュメンタリーだから、視聴率が高いのも頷けるではないか。
ただし、日本の伝統工芸を紹介している立場としては、鈴木さんの竹鞄は素晴らしい。
何とか、後継者を育成してほしいし、外国の金持ちにはもっと高額で売れるように奥方と相談してほしい。
それだけの価値がある作品である。
夕べの放送は静岡県の古民家に住む竹細工職人鈴木げんさん宅を2年半前に放送し、その後の様子を知らせるということだったが、偶々、そのときの放送を視聴していなかったので、新鮮に感動したので書いておく。
静岡県は浜松市の北方の深い山奥にあるポツンと一軒家の築130年の古民家に住む竹の鞄を作る職人鈴木げんさん(当時43)はその世界では知られた有名人だそうな。
鈴木さんの竹の鞄は、買い求めたい人の予約で、現在4年待ちというほど人気がある。まあ、手作りの現代のお宝だと言っても過言ではない。
竹の鞄の材料には真竹を使っていて、山奥の住まいの近くに真竹があり、地主さんから頂戴しているとのことだが、やはりお借りしているという古民家は水回りなど住みやすく手直しして住み心地はよさそうだ。
竹を材料にしているため、伐採してから、編み込むためにいろいろ手がかかり、火を使ったりすることで煙が出たりということで、近所迷惑にならないように山奥に引っ込んだらしい。
あれから、どうしているかスタッフが電話してみると、TVで放送されたからかして、山奥にやってきた年上の女性と結婚したそうで、幸せいっぱいの鈴木さんを見ていたら、嬉しくなってしまい、書かずにはいられなくなった。
竹細工職人鈴木げんさんを見て、思い浮かべたのは水上勉『越前竹人形』だった。
映画化されているが、竹人形の職人だった父親が亡くなり、息子の許に水商売風の女性が訪ねてきて・・・。
鈴木さんは、腕は確かだが、TVで紹介されたときは、委細は不明なれど一人暮らしだった。
視聴率が20%近い番組がTVで放送されるや、女性が訪ねてきたとなれば、押しかけ女房みたいだが、物語としてはこれ以上ない展開である。
しかも、女性は年上だというのだから。
ドラマ以上の展開のドキュメンタリーだから、視聴率が高いのも頷けるではないか。
ただし、日本の伝統工芸を紹介している立場としては、鈴木さんの竹鞄は素晴らしい。
何とか、後継者を育成してほしいし、外国の金持ちにはもっと高額で売れるように奥方と相談してほしい。
それだけの価値がある作品である。
2020年04月09日
死ぬまでに訪ねたい「焼き物王国」佐賀
中国湖北省武漢発の新型コロナウイルスの上陸阻止水際作戦で、観光収入という目先の経済ばかり考えて中国人の入国阻止をせず、ウイルスを上陸、蔓延させてしまった安倍政権。
ウイルスの検査をできるだけさせないように仕組み、200億使ってマスクを1世帯2枚配布するとか、迷惑を被っている市民に1人10万円支給するのかと思いきや、収入が大幅にダウン、非課税世帯などと条件をつけて、30万円支給、3密を防ぐといいながら、明らかな3密である鉄道やバスの運行はそのままと誰が考えてもどうかしているとしか思えない的外れ、後手後手の対策しか打てない無能ぶりを露呈している政権には愛想が尽きた。
早く、自民党の誰でもいいから交代してくれと怒り心頭である。
というわけで、気分転換に読売が夕刊で「旅」と題し、3月25日の紙面で「伊万里」急峻な山が囲む秘窯の里を目的地に、「高級磁器生んだ鍋島藩窯」という見出しで、焼き物に関心がある自分が興味を惹かれたので、書いておく。
九州には行ったことがなかったが、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を始めたことから、鹿児島、長崎、福岡、大分、熊本と訪れたが、宮崎と佐賀には行ったことがなく、焼き物王国とされている佐賀にはどうしても行きたいと願ってきた。
焼き物といえば、鹿児島では薩摩焼、長崎では波佐見焼、福岡小石原焼、熊本では小代焼などが知られていて、ほかにもいくらでもある。
読売によれば、肥前(今の佐賀、長崎)で焼かれた磁器は、積出港が伊万里だったため、「イマリ」と呼ばれ、その主要産地は有田だった。
聞くところによれば、現在世に知られる長崎の波佐見焼は、有田焼として売られていた時期があると耳にしたことがある。
伊万里を特徴づける焼き物は鍋島藩が開いた藩窯である鍋島焼だという。
鍋島藩は1600年代後半に、製作技法が外部に漏れぬように険しい地形の大川内山に藩窯を設けたから、大川内山が「秘窯の里」と呼ばれる所以だとか。
佐賀は磁器の伊万里、有田、陶器の唐津、陶器も磁器も生産する武雄などがあるので、一度行かなければどうにもならないが、戦没者の慰霊碑などを巡る旅をしている手前、慰霊碑は佐賀も探せばあるかもしれないので、死ぬまでに一度は行っておきたい。
陶芸といえば、陶芸教室にも通ったことがある。
畑で有機無農薬野菜を作るのも、焼き物も同じ土いじりであるが、自分は、焼き物を作る方は向いていなかったのか、畑仕事がが忙しく、はたまた、若い頃から続けてきた尺八も毎日吹かなければならないしということで、時間がなかったというのは続かなかった言い訳にもならないか。
それでも、陶器、磁器を眺めたり、食器として使われているのを見るのは大好きである。
観光収入にばかり頼っていると、今回のようなウイルス騒動が起きればどうにもならない。
だから、日本の伝統工芸品は、世界の金持ちたちを相手に売ることをもっと積極的に考えるべきだ。
彼らは世界に二つとない品物を集めたり、飾ったりするのが好きだから、日本の伝統工芸品の一つである佐賀の焼き物ほどふさわしいものはないからである。
陶器より磁器の方が丈夫だし、絵柄が美しいので、素人目にも喜ばれるにちがいない。
そうなると世界の金持ちと日本の伝統工芸品を結びつけるコーデイネーターみたいな存在が大事になってくるだろう。
ウイルスの検査をできるだけさせないように仕組み、200億使ってマスクを1世帯2枚配布するとか、迷惑を被っている市民に1人10万円支給するのかと思いきや、収入が大幅にダウン、非課税世帯などと条件をつけて、30万円支給、3密を防ぐといいながら、明らかな3密である鉄道やバスの運行はそのままと誰が考えてもどうかしているとしか思えない的外れ、後手後手の対策しか打てない無能ぶりを露呈している政権には愛想が尽きた。
早く、自民党の誰でもいいから交代してくれと怒り心頭である。
というわけで、気分転換に読売が夕刊で「旅」と題し、3月25日の紙面で「伊万里」急峻な山が囲む秘窯の里を目的地に、「高級磁器生んだ鍋島藩窯」という見出しで、焼き物に関心がある自分が興味を惹かれたので、書いておく。
九州には行ったことがなかったが、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を始めたことから、鹿児島、長崎、福岡、大分、熊本と訪れたが、宮崎と佐賀には行ったことがなく、焼き物王国とされている佐賀にはどうしても行きたいと願ってきた。
焼き物といえば、鹿児島では薩摩焼、長崎では波佐見焼、福岡小石原焼、熊本では小代焼などが知られていて、ほかにもいくらでもある。
読売によれば、肥前(今の佐賀、長崎)で焼かれた磁器は、積出港が伊万里だったため、「イマリ」と呼ばれ、その主要産地は有田だった。
聞くところによれば、現在世に知られる長崎の波佐見焼は、有田焼として売られていた時期があると耳にしたことがある。
伊万里を特徴づける焼き物は鍋島藩が開いた藩窯である鍋島焼だという。
鍋島藩は1600年代後半に、製作技法が外部に漏れぬように険しい地形の大川内山に藩窯を設けたから、大川内山が「秘窯の里」と呼ばれる所以だとか。
佐賀は磁器の伊万里、有田、陶器の唐津、陶器も磁器も生産する武雄などがあるので、一度行かなければどうにもならないが、戦没者の慰霊碑などを巡る旅をしている手前、慰霊碑は佐賀も探せばあるかもしれないので、死ぬまでに一度は行っておきたい。
陶芸といえば、陶芸教室にも通ったことがある。
畑で有機無農薬野菜を作るのも、焼き物も同じ土いじりであるが、自分は、焼き物を作る方は向いていなかったのか、畑仕事がが忙しく、はたまた、若い頃から続けてきた尺八も毎日吹かなければならないしということで、時間がなかったというのは続かなかった言い訳にもならないか。
それでも、陶器、磁器を眺めたり、食器として使われているのを見るのは大好きである。
観光収入にばかり頼っていると、今回のようなウイルス騒動が起きればどうにもならない。
だから、日本の伝統工芸品は、世界の金持ちたちを相手に売ることをもっと積極的に考えるべきだ。
彼らは世界に二つとない品物を集めたり、飾ったりするのが好きだから、日本の伝統工芸品の一つである佐賀の焼き物ほどふさわしいものはないからである。
陶器より磁器の方が丈夫だし、絵柄が美しいので、素人目にも喜ばれるにちがいない。
そうなると世界の金持ちと日本の伝統工芸品を結びつけるコーデイネーターみたいな存在が大事になってくるだろう。
2020年03月22日
日本の文化「折り紙」
手許に緑と黄の折り鶴がある。
「実現しよう被爆者への国家補償を 京都教職員組合女性部」と印刷されている。
手に入れたのは2015年の4月のことだった。
あれは、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で2度目となるヒロシマ訪問のときである。
語り継ぐ戦争だから、若い人に原爆の惨禍を伝えるため、家族を伴い、安芸の宮島、厳島神社に行った折、原爆ドーム近くの橋の上辺りだったかで、年配の女性たちから頂戴した。
さて、「海外からも注目される『折り紙』の魅力とは?」というタイトルで、3月14日の読売が夕刊の「ジュニアプレス」で高校生、中学生、小学生のジュニア記者が東京文京区の「おりがみ会館」を訪ね、館長の小林一夫さん(78)に取材した結果を伝えている。
小林さんは江戸時代創業という和紙専門店「ゆしまの小林の4代目で、NPO法人「国際おりがみ協会」の理事長も務めている。
折り鶴などの伝承作品は300種類近くあるといい、中2階にあるギャラリーの壁には伝承折り紙の数々が展示されている。
折り紙の歴史は古く、中国から紙の製法が伝わった7世紀頃に遡る。日本では丈夫な和紙が作られ、江戸時代には商品のおまけや子どもの遊びとして普及。明治に入り子どもの創造性を育むとして教育に取り入れられ、正方形の折り紙が製造されるようになったそうな。
同館では、フランスや南米など海外からの研修生を受け入れていたことがあり、染紙や折り紙体験のほか、折り紙の実演販売などにとりくんでもらったこともあった。
最近では手先を使うリハビリテーションとして、病院や高齢者施設などの福祉の世界でも折り紙は活用されている。
先人の知恵や心遣いが詰まっている日本独自の文化である折り紙を「東京五輪を契機に世界中に広めていきたい」と小林さん。
いつ頃から折り鶴が見舞いの品になったり、被爆者に捧げられるようになったか知りたかったが、そのことは判然としなかったけれど、いずれにしても、折り紙は、言葉の表現にも使われている。
折り紙の原点ではないかと勝手に思い込んでいるが、確かな品物、品質の良さは折り紙つきという。
この場合の折り紙が、楽しみの折り紙に広がっていったのではないか。
わが家の柴犬が元気がなくなって、朝の散歩はともかく、夕方は自宅の近所をほんの僅かばかり歩くだけになってしまったが、このとき、よく見かけるのは高齢者のデイサービスの送迎車である。
先年亡くなったわが母も、80代半ばから認知症になってしまったが、この認知症の予防に指先を使う折り紙が役立つと思っていた。
というのも、連れ合いの母親、義母は針仕事が大好きで、いろいろな小物を良く作ってくれたが、先年亡くなる直前まで、歩くのは不自由になっても頭はしっかりしていたからである。
手先を使うことが認知症防止には絶対不可欠で、日本の伝統工芸品というか民芸品でもあるざるなどの手作りの籠を作っている人や機織りをしている人がボケた話がないからだ。
これからは、50代くらいから折り紙を嗜むことで、認知症予防につながるはずだから、ボケたくない人は折り紙をやるといい。
「実現しよう被爆者への国家補償を 京都教職員組合女性部」と印刷されている。
手に入れたのは2015年の4月のことだった。
あれは、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で2度目となるヒロシマ訪問のときである。
語り継ぐ戦争だから、若い人に原爆の惨禍を伝えるため、家族を伴い、安芸の宮島、厳島神社に行った折、原爆ドーム近くの橋の上辺りだったかで、年配の女性たちから頂戴した。
さて、「海外からも注目される『折り紙』の魅力とは?」というタイトルで、3月14日の読売が夕刊の「ジュニアプレス」で高校生、中学生、小学生のジュニア記者が東京文京区の「おりがみ会館」を訪ね、館長の小林一夫さん(78)に取材した結果を伝えている。
小林さんは江戸時代創業という和紙専門店「ゆしまの小林の4代目で、NPO法人「国際おりがみ協会」の理事長も務めている。
折り鶴などの伝承作品は300種類近くあるといい、中2階にあるギャラリーの壁には伝承折り紙の数々が展示されている。
折り紙の歴史は古く、中国から紙の製法が伝わった7世紀頃に遡る。日本では丈夫な和紙が作られ、江戸時代には商品のおまけや子どもの遊びとして普及。明治に入り子どもの創造性を育むとして教育に取り入れられ、正方形の折り紙が製造されるようになったそうな。
同館では、フランスや南米など海外からの研修生を受け入れていたことがあり、染紙や折り紙体験のほか、折り紙の実演販売などにとりくんでもらったこともあった。
最近では手先を使うリハビリテーションとして、病院や高齢者施設などの福祉の世界でも折り紙は活用されている。
先人の知恵や心遣いが詰まっている日本独自の文化である折り紙を「東京五輪を契機に世界中に広めていきたい」と小林さん。
いつ頃から折り鶴が見舞いの品になったり、被爆者に捧げられるようになったか知りたかったが、そのことは判然としなかったけれど、いずれにしても、折り紙は、言葉の表現にも使われている。
折り紙の原点ではないかと勝手に思い込んでいるが、確かな品物、品質の良さは折り紙つきという。
この場合の折り紙が、楽しみの折り紙に広がっていったのではないか。
わが家の柴犬が元気がなくなって、朝の散歩はともかく、夕方は自宅の近所をほんの僅かばかり歩くだけになってしまったが、このとき、よく見かけるのは高齢者のデイサービスの送迎車である。
先年亡くなったわが母も、80代半ばから認知症になってしまったが、この認知症の予防に指先を使う折り紙が役立つと思っていた。
というのも、連れ合いの母親、義母は針仕事が大好きで、いろいろな小物を良く作ってくれたが、先年亡くなる直前まで、歩くのは不自由になっても頭はしっかりしていたからである。
手先を使うことが認知症防止には絶対不可欠で、日本の伝統工芸品というか民芸品でもあるざるなどの手作りの籠を作っている人や機織りをしている人がボケた話がないからだ。
これからは、50代くらいから折り紙を嗜むことで、認知症予防につながるはずだから、ボケたくない人は折り紙をやるといい。
2020年02月23日
日本の文化を支える 木桶製造の技術を伝承
醤油や味噌、日本酒を仕込むのに使われる木桶への関心が高まっている。と2月19日の読売がくらしの紙面で伝えている。
読売によれば、香川県小豆島町で「木桶による発酵文化サミットin小豆島」が開かれるなど、伝統的な製法の魅力を伝え、技術を継承しようという取り組みが広がっている。
木桶仕込みをするメーカーは減少の一途を辿り、現在醤油の場合、流通量の1%以下だという。それに伴い醸造用の木桶の製造も減り続け、「このままでは日本の伝統文化が消滅してしまう」と危機感を抱いた小豆島のヤマロク醤油の5代目山本康夫さん(47)が2012年に「木桶職人復活プロジェクト」をスタートさせた。
毎年1月に業界関係者らが集まり、桶の製造技術を磨いている。
同プロジェクトは4月4日、東京渋谷のヒカリエでもサミットを開く予定だという。
一方、東日本大震災の被災地では、木桶を地域振興につなげようとしている。
宮城県塩釜市で醤油や味噌を製造する太田與八郎商店は震災で木桶が壊れたため、1月に必要な資金の一部をクラウドファンデイングで集め、木桶を新調した。
塩釜で11月20、21日に開催される「全国醤油サミットin塩釜」では、木桶で仕込んだ醤油をお披露目するとも。
日本酒では酒どころ秋田の新政酒造は秋田杉で木桶をつくることを目標にしている。
今や発酵食品が体に良いことは世界的に認められているが、国土の7割が森林という日本では、その発酵文化を木桶を使い伝承してきた歴史がある。
入れ物の材質でいえば、陶器や甕は日本でも大いに使われているが、もとはといえば、中国や朝鮮半島から渡来してきたものが少なくない。
一方、木桶は日本の発酵食品製造に欠かせないものとして、酒樽、味噌樽、醤油樽という具合に使われてきた。
開拓村で生きる人の暮らしを描いた映画、澄川嘉彦監督『タイマグラばあちゃん』を観たことを思い出した。
岩手県は早池峰山の山麓タイマグラと呼ばれる地域を10軒くらいの農民が戦後、開拓し、東京五輪の頃までに皆この地を去ってしまったが、最後まで残ったのがばあちゃんだった。
当然、自給自足の生活だから、味噌、醤油も自家製だったと記憶する。
物置には酵母菌が棲みついているといっていたが、容器は樽を使っていたのではなかったか。
自分の住む街には子どもの頃醤油工場があり、そこで、醤油樽がたくさんあるのを見た覚えもあるが、その後、工場は失火か放火か知らないが、火事を出し、お湯やに転業し、やがて、倒産して、土地は新興宗教団体に売り、団体の建造物が立つ。
陶器や甕は生きていないので呼吸をしないが、木は枯れても生きているのか、羽目板なども乾燥すると隙間ができるほど、微妙に呼吸しているかのような作用を持つ。
陶器と甕には容器の中身が沁み込むことはないが、木は中身が沁み込むということで、生き物である発酵の菌にとって快適な棲みかとなるのではないか。
先人の知恵である、味噌、醤油、酒という発酵を活かした製品を作る過程で木桶を使ってきた文化を伝承させていくことは日本の将来にとっても実に大事なことだし、林業を活性化させるためにも役立つ。
大いにエールをおくりたい。
読売によれば、香川県小豆島町で「木桶による発酵文化サミットin小豆島」が開かれるなど、伝統的な製法の魅力を伝え、技術を継承しようという取り組みが広がっている。
木桶仕込みをするメーカーは減少の一途を辿り、現在醤油の場合、流通量の1%以下だという。それに伴い醸造用の木桶の製造も減り続け、「このままでは日本の伝統文化が消滅してしまう」と危機感を抱いた小豆島のヤマロク醤油の5代目山本康夫さん(47)が2012年に「木桶職人復活プロジェクト」をスタートさせた。
毎年1月に業界関係者らが集まり、桶の製造技術を磨いている。
同プロジェクトは4月4日、東京渋谷のヒカリエでもサミットを開く予定だという。
一方、東日本大震災の被災地では、木桶を地域振興につなげようとしている。
宮城県塩釜市で醤油や味噌を製造する太田與八郎商店は震災で木桶が壊れたため、1月に必要な資金の一部をクラウドファンデイングで集め、木桶を新調した。
塩釜で11月20、21日に開催される「全国醤油サミットin塩釜」では、木桶で仕込んだ醤油をお披露目するとも。
日本酒では酒どころ秋田の新政酒造は秋田杉で木桶をつくることを目標にしている。
今や発酵食品が体に良いことは世界的に認められているが、国土の7割が森林という日本では、その発酵文化を木桶を使い伝承してきた歴史がある。
入れ物の材質でいえば、陶器や甕は日本でも大いに使われているが、もとはといえば、中国や朝鮮半島から渡来してきたものが少なくない。
一方、木桶は日本の発酵食品製造に欠かせないものとして、酒樽、味噌樽、醤油樽という具合に使われてきた。
開拓村で生きる人の暮らしを描いた映画、澄川嘉彦監督『タイマグラばあちゃん』を観たことを思い出した。
岩手県は早池峰山の山麓タイマグラと呼ばれる地域を10軒くらいの農民が戦後、開拓し、東京五輪の頃までに皆この地を去ってしまったが、最後まで残ったのがばあちゃんだった。
当然、自給自足の生活だから、味噌、醤油も自家製だったと記憶する。
物置には酵母菌が棲みついているといっていたが、容器は樽を使っていたのではなかったか。
自分の住む街には子どもの頃醤油工場があり、そこで、醤油樽がたくさんあるのを見た覚えもあるが、その後、工場は失火か放火か知らないが、火事を出し、お湯やに転業し、やがて、倒産して、土地は新興宗教団体に売り、団体の建造物が立つ。
陶器や甕は生きていないので呼吸をしないが、木は枯れても生きているのか、羽目板なども乾燥すると隙間ができるほど、微妙に呼吸しているかのような作用を持つ。
陶器と甕には容器の中身が沁み込むことはないが、木は中身が沁み込むということで、生き物である発酵の菌にとって快適な棲みかとなるのではないか。
先人の知恵である、味噌、醤油、酒という発酵を活かした製品を作る過程で木桶を使ってきた文化を伝承させていくことは日本の将来にとっても実に大事なことだし、林業を活性化させるためにも役立つ。
大いにエールをおくりたい。
2020年01月10日
国内農業の生産基盤強化と低い国内食料自給率
「島耕作、次世代農業の現場へ」「きゅうりの町、就農支援へ」という見出しでJAグループが12月22日の読売の紙面1頁に広告を掲載していた。
興味を惹かれたのは「低い国内食料自給率 国際情勢が食卓に影響」という囲み記事で東京農業大学上岡美保教授に食料自給率の低さがもたらす問題とその解決策について訊いていたことである。
2018年度のわが国の食料自給率は、過去最低の37%(カロリーベース)で、先進諸国と較べて極めて低い。
25年度までの国の目標値の45%を8㌽も下回っている。
食料自給率が必要なレベルに達していないと、国際紛争や異常気象などで国外から食料が輸入できなくなったとき、国内で食料不足が起きる可能性が高まる。
食料安全保障の点から食料自給率の向上が急がれるばかりでなく、環境保全、食文化の継承という点からも、食料自給率の向上は求められている。
食料を海外から輸入するには国内輸送の難波鋳物エネルギーを消費するうえ、多くの二酸化炭素を発生させるからだ。
食料自給率を上げるには計算式の分母である国内消費量を減らす、あるいは分子の国内生産量を増やすことが考えられるが、前者なら食品ロスを減らす。後者なら、国を挙げて国内の農業基盤の強化を図り、生産力をアップさせると同時に消費者が農産物の価値を正しく評価し、消費することが求められる。
JAはTPP反対といっていたが、選挙ではTPP推進の自民党を支持してきたという矛盾を抱えている。
自民党政権が米国のトランプ大統領に脅され、日米二国間の自由貿易協定FTAを結ばされ、牛肉の関税など、米国に不都合なものは撤廃される見通しだ。
支持してきた自民党に裏切られ、JA解体、米国のグローバル企業を参入させようと企図する自民党をまだ支持するなどJAにはおめでたい人間しかいない。
JAは農薬と化学肥料を売ってきたが、これからの農業は有機無農薬の時代である。
飛騨高山の酪農家が乳酸菌を使って、臭わない牛舎というものを作りだした。
そして、その牛舎で生産された牛糞から作られた肥料商品名みな土をJAが取り扱うように農協に要請したが、旧態依然たるJAの職員は耳を貸そうともしなかった。
これでは、農協の将来はない。
もう少しましな理事、職員が育たなければ本当に農協の存在価値がない。
高知の馬路村、徳島の上勝町がユズや、葉っぱビジネスで成功したのはしっかりしたリーダーがいたからである。
無論農協も無関係ではない。
農協がやるべきは、食の安全、食料自給率の向上など、農業の価値を見直すことではないか。
農業の生産基盤の強化が必要なことは言うまでもないが、米国がやらない、食の安全という面にもっと力を入れることで、米国の大量生産に勝てる農産物をつくることである。
酪農、養豚、養鶏、これらが狂牛病、豚コレラ、鳥インフルなど昔なら考えられないことでダメージを受けてきた。
だからこそ、飛騨高山での乳酸菌による牛舎の無臭化の成功が新しい酪農、養豚、養鶏業となっていくはずである。
興味を惹かれたのは「低い国内食料自給率 国際情勢が食卓に影響」という囲み記事で東京農業大学上岡美保教授に食料自給率の低さがもたらす問題とその解決策について訊いていたことである。
2018年度のわが国の食料自給率は、過去最低の37%(カロリーベース)で、先進諸国と較べて極めて低い。
25年度までの国の目標値の45%を8㌽も下回っている。
食料自給率が必要なレベルに達していないと、国際紛争や異常気象などで国外から食料が輸入できなくなったとき、国内で食料不足が起きる可能性が高まる。
食料安全保障の点から食料自給率の向上が急がれるばかりでなく、環境保全、食文化の継承という点からも、食料自給率の向上は求められている。
食料を海外から輸入するには国内輸送の難波鋳物エネルギーを消費するうえ、多くの二酸化炭素を発生させるからだ。
食料自給率を上げるには計算式の分母である国内消費量を減らす、あるいは分子の国内生産量を増やすことが考えられるが、前者なら食品ロスを減らす。後者なら、国を挙げて国内の農業基盤の強化を図り、生産力をアップさせると同時に消費者が農産物の価値を正しく評価し、消費することが求められる。
JAはTPP反対といっていたが、選挙ではTPP推進の自民党を支持してきたという矛盾を抱えている。
自民党政権が米国のトランプ大統領に脅され、日米二国間の自由貿易協定FTAを結ばされ、牛肉の関税など、米国に不都合なものは撤廃される見通しだ。
支持してきた自民党に裏切られ、JA解体、米国のグローバル企業を参入させようと企図する自民党をまだ支持するなどJAにはおめでたい人間しかいない。
JAは農薬と化学肥料を売ってきたが、これからの農業は有機無農薬の時代である。
飛騨高山の酪農家が乳酸菌を使って、臭わない牛舎というものを作りだした。
そして、その牛舎で生産された牛糞から作られた肥料商品名みな土をJAが取り扱うように農協に要請したが、旧態依然たるJAの職員は耳を貸そうともしなかった。
これでは、農協の将来はない。
もう少しましな理事、職員が育たなければ本当に農協の存在価値がない。
高知の馬路村、徳島の上勝町がユズや、葉っぱビジネスで成功したのはしっかりしたリーダーがいたからである。
無論農協も無関係ではない。
農協がやるべきは、食の安全、食料自給率の向上など、農業の価値を見直すことではないか。
農業の生産基盤の強化が必要なことは言うまでもないが、米国がやらない、食の安全という面にもっと力を入れることで、米国の大量生産に勝てる農産物をつくることである。
酪農、養豚、養鶏、これらが狂牛病、豚コレラ、鳥インフルなど昔なら考えられないことでダメージを受けてきた。
だからこそ、飛騨高山での乳酸菌による牛舎の無臭化の成功が新しい酪農、養豚、養鶏業となっていくはずである。
2019年10月09日
白石和紙 中学で授業
日本の伝統芸能、伝統工芸など日本文化をこよなく愛する日本人の一人として、目に留まったのが10月3日の読売が「地域力」と題して連載している自治体とそこの特色、名産品などの紹介記事である。
「白石和紙伝承 中学で授業」、「羽生選手賞状や照明に」という見出しで紹介されていたのは宮城県白石市が誇る白石和紙だった。
読売によれば、白石市西部の山峡にある同市立小原中学校(生徒15人)で7月9日、生徒たちが地元の特産品白石和紙を使ったうちわ作りに挑戦した。
指導したのは、白石和紙の伝承に取り組む市内の住民グループ「蔵富人」(くらふとと読むらしい)のメンバー5人。
作業に先立ち、「蔵富人」代表の阿部桂治さん(51)が伊達政宗が生産を奨励して広まったことや、しなやかで丈夫な特徴を生かして紙の着物としても普及したことなどを紹介した。
「蔵富人」は城下町・白石に残る古い建物を活用したまちおこしを進めようと、地元の有志が1992年に結成。今は20から60歳代の男女10人程度で活動している。
03年から白石和紙を使った照明器具を作るワークショップを続け、作品の展示会も開いている。
15年に唯一残っていた白石和紙工房が職人の高齢化で廃業したが、「蔵富人」のメンバーが指導を受け、伝統的な製法、技術を習得、伝承しようとしている。
一方、白石和紙にはトラフコウゾ」が必要ということで、トロロアオイ共々栽培にも取り組んでいる。
少し前、石州半紙と本美濃紙、細川紙の3つの和紙が、ユネスコの無形文化遺産に登録され、大変喜び、当然、ここでも取り上げた。
ところが、和紙の素晴らしさを悪用するようなことを考えた輩がいる。
語り継ぐ戦争で、神奈川県川崎市にあった陸軍登戸研究所、(現在は明治大学平和研究所登戸資料館)を訪れのは2013年10月のこと。
ここで、和紙を使った風船爆弾を作っていたことを知る。
和紙は石州、美濃、秩父ばかりでなく、越前和紙だって知る人ぞ知るものだし、白石和紙の質の佳さはその歴史を調べれば知られたことだ。
ただし、和紙は出来上がったものの佳さと較べ、手すきで製造する作業と収入が見合わないから、もっと、日本の文化、伝統工芸を護る観点から、国が保護していく必要がある。
特に、原料となる、コウゾ、トロロアオイを育てることにもだ。
和紙だからこそ、歴史に残る書物が保存できたことを考えれば、いかに、貴重なものか理解できるはずである。
障子、灯り、洋服、用途などいくらでもあるし、日本から世界の金持ちに提供する商品として有望株だから、この点ももっと、積極的PRしてもらいたい。
「白石和紙伝承 中学で授業」、「羽生選手賞状や照明に」という見出しで紹介されていたのは宮城県白石市が誇る白石和紙だった。
読売によれば、白石市西部の山峡にある同市立小原中学校(生徒15人)で7月9日、生徒たちが地元の特産品白石和紙を使ったうちわ作りに挑戦した。
指導したのは、白石和紙の伝承に取り組む市内の住民グループ「蔵富人」(くらふとと読むらしい)のメンバー5人。
作業に先立ち、「蔵富人」代表の阿部桂治さん(51)が伊達政宗が生産を奨励して広まったことや、しなやかで丈夫な特徴を生かして紙の着物としても普及したことなどを紹介した。
「蔵富人」は城下町・白石に残る古い建物を活用したまちおこしを進めようと、地元の有志が1992年に結成。今は20から60歳代の男女10人程度で活動している。
03年から白石和紙を使った照明器具を作るワークショップを続け、作品の展示会も開いている。
15年に唯一残っていた白石和紙工房が職人の高齢化で廃業したが、「蔵富人」のメンバーが指導を受け、伝統的な製法、技術を習得、伝承しようとしている。
一方、白石和紙にはトラフコウゾ」が必要ということで、トロロアオイ共々栽培にも取り組んでいる。
少し前、石州半紙と本美濃紙、細川紙の3つの和紙が、ユネスコの無形文化遺産に登録され、大変喜び、当然、ここでも取り上げた。
ところが、和紙の素晴らしさを悪用するようなことを考えた輩がいる。
語り継ぐ戦争で、神奈川県川崎市にあった陸軍登戸研究所、(現在は明治大学平和研究所登戸資料館)を訪れのは2013年10月のこと。
ここで、和紙を使った風船爆弾を作っていたことを知る。
和紙は石州、美濃、秩父ばかりでなく、越前和紙だって知る人ぞ知るものだし、白石和紙の質の佳さはその歴史を調べれば知られたことだ。
ただし、和紙は出来上がったものの佳さと較べ、手すきで製造する作業と収入が見合わないから、もっと、日本の文化、伝統工芸を護る観点から、国が保護していく必要がある。
特に、原料となる、コウゾ、トロロアオイを育てることにもだ。
和紙だからこそ、歴史に残る書物が保存できたことを考えれば、いかに、貴重なものか理解できるはずである。
障子、灯り、洋服、用途などいくらでもあるし、日本から世界の金持ちに提供する商品として有望株だから、この点ももっと、積極的PRしてもらいたい。
2019年09月30日
黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部―美濃の陶器
昨9月29日、所用で東京の表参道に行き、連れ合いと待ち合わせして地下鉄で隣の駅乃木坂で下車、六本木のミッドタウンにあるサントリー美術館で、タイトルのネーミングの展示を鑑賞してきた。
青山熊野神社の祭禮だとかで、表参道では神輿が巡行していたらしいが、六本木にも祭禮を知らせる白地の布が飾られていた。
名前が知られている割に、ほとんど行ったことがない六本木、それもミッドタウンは初めてで、時分時だったから、美術館にある飲食の店で加賀麩を使った料理で昼食をすませた。
若い頃から、いろいろなことに興味関心があり、尺八、書道、柔道・茶道(二つともほとんど続かなかった)、陶芸とそれぞれ教えてくれる教室に通ったものである。
結局、何一つ身につかなかったが、長く続けている尺八は慰霊や供養の旅で役立ち、書も、下手ながら、筆は持てるし、茶道、陶芸では、美術館、博物館に見学に行く楽しみを覚えた。
陶芸は同じ土いじりで、有機無農薬での野菜づくりが忙しく、続けられなくなってしまったが、自分では作品を作れなくとも、鑑賞する楽しみは茶碗づくりを体験している分、充実している。
2019年11月、京都に行ったとき、楽美術館に立ち寄ったが、一番関心がある茶碗づくりの最高峰みたいな場所だから、鑑賞できてよかったと今でも思い出す。
さて、美濃の茶陶であるが、読売新聞で宣伝していたから、知ることができた。サントリー芸術財団50周年と銘打った展示であったが、新聞社が芸術分野の作品展を主催したり、力を貸すのはいいことだ。
作品は素人の自分が論評するなどというのは失礼な国の宝みたいなものばかりだから、専門家がネットに書いている講評に感想は譲る。
ただし、せっかく自分が書くのだから、他者では気づかないことを書いておく。
美濃の陶器に限らないが、茶陶は数寄者と呼ばれる、その時代の金持ちが買い求め、自ら資料館を建て、自慢の一品、逸品として所蔵していたことに注目したい。
今の時代、ネットや己の才覚を使って商売に成功した人間、名前を書けば誰でも知っている人たちも、数寄者を見習って、茶陶や絵画を買い求め、所蔵する作品で収蔵館を作ったり、庭園を造ってほしいと願う。
人間どんなにカネ儲けしてもあの世に持っていくことはできない。
その人間の評価は、カネ儲けした金額の多寡では決してなく、もうけたカネをどうしたかで歴史の評価が決まる。
貧しきものを救済することに使うということもあるかもしれない。
昔どおり、庭園を造る、茶陶や絵画などを蒐集し、所蔵し、公開する。
誰にもできないことで、名を残すということは素晴らしい。
大金持ちよ、数寄者になれといいたい。
青山熊野神社の祭禮だとかで、表参道では神輿が巡行していたらしいが、六本木にも祭禮を知らせる白地の布が飾られていた。
名前が知られている割に、ほとんど行ったことがない六本木、それもミッドタウンは初めてで、時分時だったから、美術館にある飲食の店で加賀麩を使った料理で昼食をすませた。
若い頃から、いろいろなことに興味関心があり、尺八、書道、柔道・茶道(二つともほとんど続かなかった)、陶芸とそれぞれ教えてくれる教室に通ったものである。
結局、何一つ身につかなかったが、長く続けている尺八は慰霊や供養の旅で役立ち、書も、下手ながら、筆は持てるし、茶道、陶芸では、美術館、博物館に見学に行く楽しみを覚えた。
陶芸は同じ土いじりで、有機無農薬での野菜づくりが忙しく、続けられなくなってしまったが、自分では作品を作れなくとも、鑑賞する楽しみは茶碗づくりを体験している分、充実している。
2019年11月、京都に行ったとき、楽美術館に立ち寄ったが、一番関心がある茶碗づくりの最高峰みたいな場所だから、鑑賞できてよかったと今でも思い出す。
さて、美濃の茶陶であるが、読売新聞で宣伝していたから、知ることができた。サントリー芸術財団50周年と銘打った展示であったが、新聞社が芸術分野の作品展を主催したり、力を貸すのはいいことだ。
作品は素人の自分が論評するなどというのは失礼な国の宝みたいなものばかりだから、専門家がネットに書いている講評に感想は譲る。
ただし、せっかく自分が書くのだから、他者では気づかないことを書いておく。
美濃の陶器に限らないが、茶陶は数寄者と呼ばれる、その時代の金持ちが買い求め、自ら資料館を建て、自慢の一品、逸品として所蔵していたことに注目したい。
今の時代、ネットや己の才覚を使って商売に成功した人間、名前を書けば誰でも知っている人たちも、数寄者を見習って、茶陶や絵画を買い求め、所蔵する作品で収蔵館を作ったり、庭園を造ってほしいと願う。
人間どんなにカネ儲けしてもあの世に持っていくことはできない。
その人間の評価は、カネ儲けした金額の多寡では決してなく、もうけたカネをどうしたかで歴史の評価が決まる。
貧しきものを救済することに使うということもあるかもしれない。
昔どおり、庭園を造る、茶陶や絵画などを蒐集し、所蔵し、公開する。
誰にもできないことで、名を残すということは素晴らしい。
大金持ちよ、数寄者になれといいたい。