農村地域を中心に使われてきた藁細工など民具の製作技術の継承が危ぶまれている。各地に伝わる民具の製作者と素材の生産者、行事の担い手などを地域を超えてつなげる仕組みの必要性が指摘されている。と1月31日の読売(古沢由紀子編集委員)が伝えている。
2023年9月、佐賀市の伝統行事「見島のカセドリ」の保存会のメンバーが川崎市で荒川美津三さん(94)に藁製の蓑の編み方を習っていた。
約10年前に作製された現在の蓑が劣化したが、作り手が途絶えたため、支援を依頼された荒川さんらが独特の作り方を解明し、対面で講習を受けたというわけ。
荒川さんは故郷宮城県で培った技を活かし「佐賀の蓑は東北のものと異なり、雨が浸透しにくい作りで興味深い」と話す。
佐賀と荒川さんをつないだのは京都市などが運営する「伝統芸能アーカイブ&リサーチオフィス(TARO)。古典芸能や民俗行事の継承、用具・材料の確保などを18年度から全国規模で支援する事業の事務局である。
経費は1件100万円を上限に京都市が負担する。
岐阜県立森林文化アカデミーの久津輪雅教授は「技術継承の不可欠な『人』『原材料』『道具』が危機に瀕し、全国規模で材料を集めないと成り立たない時代。後継者養成や自然資源供給システムの確保、散在する作り手の情報収集など各地の現場と行政をつなぎ、地域を超えて支援する仕組みが必要だ」と訴えている。
語り継ぐ戦争で、数えてみれば敗戦後79年となる。
戦争に敗れれば、戦国時代から女性は勝者の男たちに性的暴行され、性奴隷にされ、男は首を切られるか奴隷にされたりした歴史がある。
アジア太平洋戦争では敗戦後、進駐軍として主には米軍が日本を占領し、沖縄は施政権を奪われ、広大な面積の土地を米軍基地として占拠された。
本土にも米軍基地として、広大な面積の土地が占拠されている。
しかし、目に見える軍事基地の問題とは別に、文化の面で米国は日本を改造し、2度と米国に逆らわないようにしようと企んだ。
まず食の問題で、米国産小麦を買わせるために学校給食でパン食を取り入れさせたことを筆頭に食文化を変えようとした。
米は五穀豊穣で日本の各地で祭りという形で日本の文化を形成してきた。
プラスチックの便利さを教え、使い捨てという形で日本の「勿体ない」というリサイクル文化を壊してきた。
かように、勝者の米国の御都合で日本の文化が変えられてきた。
ところがどっこい、日本の文化はそんな底が浅いものではなく、明治大正、そして昭和の初め生まれの人たちの躰に技として伝承されてきたから、少しは残ったのである。
その人たちが退場すれば、さらに、日本の文化が変容してしまいそうである。
日本大好き人間の一人である自分は、日本の文化、伝統芸能、伝統工芸などを大事にしたいという考えを持っている。
何とか、伝承、継承できるようにしなければならないと考えていた。京都の「伝統芸能アーカイブ&リサーチオフィス(TARO)は注目すべき試みで流石古からの都、京都である。
大いにエールをおくりたい。
2024年02月06日
2024年02月01日
輪島塗も甚大な被害
1月31日のNHKクローズアップ現代で、「能登半島地震1か月 暮らしの再建は今 輪島朝市の人たちの選択」というタイトルで能登半島の被災地の震災後1か月の現在の様子を伝えていた。
奥さんと息子を亡くした70代の男性が必死に涙をこらえながら取材に応じている姿に思わず泣きそうになってしまった。
子どもを亡くすのは辛いが、連れ合いを亡くしたら自分だったら生きていかれない。それほど大きな存在である連れ合いというものは。
輪島朝市の地域が火災でまさに廃墟みたいになっている中で、輪島塗が地震で苦境に陥っていることも伝えられた。
1月27日の読売も1面トップに「輪島塗 新たな苦境」「工房8割被災か」「政府 支援策検討」という見出しで日本の漆文化を代表する伝統工芸で能登地方の主要な観光資源の一つでもある輪島塗復活への支援が待たれるということを伝えていた。
輪島塗は高度な分業制を取る。特に懸念されるのが職人の高齢化だ。復活への道は険しい。
次世代の人間国宝を育てる拠点である石川県立輪島漆芸技術研修所には蒔絵や沈金などを学ぶ37人の研修生が所属する。
卒業年に当たる生徒の卒業制作も当面、中止したという。
今日は朝から東京は鶯谷にある西蔵院に行き、お世話になった女性の墓参りをしてきた。
お世話になった人には墓前で経を唱える代わりに「手向」を吹くのが自分のお参りのときのスタイルである。ついでに言うなら、いつも同行してくれる連れ合いが四国の遍路人が使うリンを一緒に鳴らしくれるのだ。
2020年の正月だったか、お世話になった女性が亡くなったことを知り、墓参りに行くとご家族に伝えたまま、コロナ禍で行かれなくなっていたことが重荷になっていたが、ようやく約束を果たせてほっとした。
輪島塗といえば、土蔵を解体した時、漆器類もあったが、輪島塗のような価値がある品物があるはずもなく、そのまま骨董屋に引き取ってもらった。
輪島塗は木製のお椀やお盆、重箱に地元産の珪藻土を原料とする「地の粉」を混ぜた下地漆を丁寧に塗り重ね、沈金や蒔絵で装飾する高度な技法などが特徴。95年に伝統的工芸品に指定されていると紙面に解説されていた。
わが国を代表する伝統工芸品であり、わが国の漆文化を代表する作品である。
このまま途絶えさせるわけにはいかない。
お世話になったということで、間隔が空いてしまったが、故人を想う気持ちがあればこそ、墓参りに行ったことになる。
伝統工芸、伝統文化いずれにしても、日本人として日本が外国に誇れる宝として輪島塗をこのまま衰退させるわけにはいかない。
心というか思いが如何に大事なことかわかってもらえればいい。
奥さんと息子を亡くした70代の男性が必死に涙をこらえながら取材に応じている姿に思わず泣きそうになってしまった。
子どもを亡くすのは辛いが、連れ合いを亡くしたら自分だったら生きていかれない。それほど大きな存在である連れ合いというものは。
輪島朝市の地域が火災でまさに廃墟みたいになっている中で、輪島塗が地震で苦境に陥っていることも伝えられた。
1月27日の読売も1面トップに「輪島塗 新たな苦境」「工房8割被災か」「政府 支援策検討」という見出しで日本の漆文化を代表する伝統工芸で能登地方の主要な観光資源の一つでもある輪島塗復活への支援が待たれるということを伝えていた。
輪島塗は高度な分業制を取る。特に懸念されるのが職人の高齢化だ。復活への道は険しい。
次世代の人間国宝を育てる拠点である石川県立輪島漆芸技術研修所には蒔絵や沈金などを学ぶ37人の研修生が所属する。
卒業年に当たる生徒の卒業制作も当面、中止したという。
今日は朝から東京は鶯谷にある西蔵院に行き、お世話になった女性の墓参りをしてきた。
お世話になった人には墓前で経を唱える代わりに「手向」を吹くのが自分のお参りのときのスタイルである。ついでに言うなら、いつも同行してくれる連れ合いが四国の遍路人が使うリンを一緒に鳴らしくれるのだ。
2020年の正月だったか、お世話になった女性が亡くなったことを知り、墓参りに行くとご家族に伝えたまま、コロナ禍で行かれなくなっていたことが重荷になっていたが、ようやく約束を果たせてほっとした。
輪島塗といえば、土蔵を解体した時、漆器類もあったが、輪島塗のような価値がある品物があるはずもなく、そのまま骨董屋に引き取ってもらった。
輪島塗は木製のお椀やお盆、重箱に地元産の珪藻土を原料とする「地の粉」を混ぜた下地漆を丁寧に塗り重ね、沈金や蒔絵で装飾する高度な技法などが特徴。95年に伝統的工芸品に指定されていると紙面に解説されていた。
わが国を代表する伝統工芸品であり、わが国の漆文化を代表する作品である。
このまま途絶えさせるわけにはいかない。
お世話になったということで、間隔が空いてしまったが、故人を想う気持ちがあればこそ、墓参りに行ったことになる。
伝統工芸、伝統文化いずれにしても、日本人として日本が外国に誇れる宝として輪島塗をこのまま衰退させるわけにはいかない。
心というか思いが如何に大事なことかわかってもらえればいい。
2024年01月11日
民芸運動と庄内地方の「ばんどり」
「取材帳」というタイトルで読売(古沢由紀子編集委員)が夕刊に連載している。その2023年11月28日は「藁を探して」の6回目で「米どころの手仕事 次世代へ」「祖父の技 受け継ぎたい」「『民芸』への思い 地域に根付く」という見出しで全国に知られた米どころ山形県が厳しい雪の季節に生み出してきた数々の藁製品のことをとりあげていた。
中でも、庄内地方で荷物の運搬に使われた背中当て「ばんどり」は、民芸運動を主導した思想家の柳宗悦が「日本の農民工芸の代表者」と絶賛したほどだと紹介されている。
その「藁文化」の伝統をつなごうとする動きもみられるという。
時代小説の藤沢周平の故郷鶴岡市、その藤島地区では、藁専用の水田で育てたササニシキをイネが実前に「青刈りし、瑞々しい緑色を保つように天日干しした藁を倉庫に積んでいるのは藁細工の名人として知られる斎藤栄一さん(88)。近隣の神社の注連縄作りを担い、京都の有名神社から奉納用草鞋の注文を受けたこともある。
その作業を孫の有里さん(32)が手伝う。写真撮影の仕事の合間、実家の工房で祖父と藁仕事に励む。
藁細工の手ほどきを受けたのは地元の小学校のクラブ活動で「縄のない方などが身についた」という。
「祖父の技を受け継ぎたい」という有里さんは有力な後継者候補である。
雪国振興へ戦前には輸出構想もあったという庄内の藁製品、とりわけ「ばんどり」の評価は高い。鶴岡市の「致道博物館」では農具や藁細工など多数を展示。「ばんどり」など戦前に作られた収蔵品など116点が重要有形民俗文化財」に指定されている。
「藁を探して」の連載から、藁のことは一度取り上げたことがある。
米を主食にしてきたわが国は、米にまつわることが文化となっている。
日本全国津々浦々で伝承されてきた秋祭りの多くが五穀豊穣の祈りに関連していると言っても過言ではない。
米を生産するとき、田に水を入れ、稲の苗を植え付ける。秋になって稲穂が実り、稲を刈る。脱穀し、藁は畑や田んぼの肥料にしてしまう。
その藁を農民の知恵で有効活用してきたのが所謂藁細工。
農閑期の冬場、家の中でできる仕事として藁で農作業で使うものを拵えてきた。
藁を編んで縄をない、履物にする草鞋、合羽にする蓑、敷物にする筵や叺という袋状の入れ物をつくったりしている。
農作業とは関係ないが、藁人形というのもある。
藁人形といえば、山崎ハコの歌に「呪い」があった。コンコンコンコン藁の人形にくぎをさすのだ。
わが家は農家ではないが、畑が少しばかりあったことから、父親が休みの日には小学生の頃から手伝いをさせられた。
田んぼはなかったが、陸稲(おかぼあるいはおかぶと呼んでいた)を畑で作っていたことがあり、脱穀機や唐箕があってモーターで動かして使っていた。脱穀後藁が残ったが畑の肥料にしたように記憶する。
その脱穀機とモータ、唐箕は公共施設に寄贈した。
縄や筵、叺も使っていたが、すべて、買い求めたもので、自分たちで作れたわけではない。
それだけに、庄内地方の「ばんどり」を筆頭に注連縄など藁製品を自分たちで拵えてしまう斎藤栄一さんの技はぜひとも、孫の有里さんに受け継いでもらい、伝承してほしい。
何とか、日本の伝統工芸品である藁製品を次世代に継承してもらいたい。
中でも、庄内地方で荷物の運搬に使われた背中当て「ばんどり」は、民芸運動を主導した思想家の柳宗悦が「日本の農民工芸の代表者」と絶賛したほどだと紹介されている。
その「藁文化」の伝統をつなごうとする動きもみられるという。
時代小説の藤沢周平の故郷鶴岡市、その藤島地区では、藁専用の水田で育てたササニシキをイネが実前に「青刈りし、瑞々しい緑色を保つように天日干しした藁を倉庫に積んでいるのは藁細工の名人として知られる斎藤栄一さん(88)。近隣の神社の注連縄作りを担い、京都の有名神社から奉納用草鞋の注文を受けたこともある。
その作業を孫の有里さん(32)が手伝う。写真撮影の仕事の合間、実家の工房で祖父と藁仕事に励む。
藁細工の手ほどきを受けたのは地元の小学校のクラブ活動で「縄のない方などが身についた」という。
「祖父の技を受け継ぎたい」という有里さんは有力な後継者候補である。
雪国振興へ戦前には輸出構想もあったという庄内の藁製品、とりわけ「ばんどり」の評価は高い。鶴岡市の「致道博物館」では農具や藁細工など多数を展示。「ばんどり」など戦前に作られた収蔵品など116点が重要有形民俗文化財」に指定されている。
「藁を探して」の連載から、藁のことは一度取り上げたことがある。
米を主食にしてきたわが国は、米にまつわることが文化となっている。
日本全国津々浦々で伝承されてきた秋祭りの多くが五穀豊穣の祈りに関連していると言っても過言ではない。
米を生産するとき、田に水を入れ、稲の苗を植え付ける。秋になって稲穂が実り、稲を刈る。脱穀し、藁は畑や田んぼの肥料にしてしまう。
その藁を農民の知恵で有効活用してきたのが所謂藁細工。
農閑期の冬場、家の中でできる仕事として藁で農作業で使うものを拵えてきた。
藁を編んで縄をない、履物にする草鞋、合羽にする蓑、敷物にする筵や叺という袋状の入れ物をつくったりしている。
農作業とは関係ないが、藁人形というのもある。
藁人形といえば、山崎ハコの歌に「呪い」があった。コンコンコンコン藁の人形にくぎをさすのだ。
わが家は農家ではないが、畑が少しばかりあったことから、父親が休みの日には小学生の頃から手伝いをさせられた。
田んぼはなかったが、陸稲(おかぼあるいはおかぶと呼んでいた)を畑で作っていたことがあり、脱穀機や唐箕があってモーターで動かして使っていた。脱穀後藁が残ったが畑の肥料にしたように記憶する。
その脱穀機とモータ、唐箕は公共施設に寄贈した。
縄や筵、叺も使っていたが、すべて、買い求めたもので、自分たちで作れたわけではない。
それだけに、庄内地方の「ばんどり」を筆頭に注連縄など藁製品を自分たちで拵えてしまう斎藤栄一さんの技はぜひとも、孫の有里さんに受け継いでもらい、伝承してほしい。
何とか、日本の伝統工芸品である藁製品を次世代に継承してもらいたい。
2024年01月07日
珠洲焼と山中塗 能登地震に負けるな!
2023年5月、石川県珠洲市で震度6強を観測した地震から5日で半年となるということで、揺れで窯が壊れるなど打撃を受けた地域の伝統工芸品「珠洲焼」の工房は、多くの人の支援で10月末に窯を再建したと11月4日の読売が(福原悠介記者)夕刊で伝えている。
5月の地震では石川県によれば、1人が死亡、47人が重軽傷を負った。県内の住宅被害は前回38棟、半壊263棟、一部破損1384棟。珠洲市は国から「局地激甚災害に指定された。市によれば、公的支援を受けるのに必要な罹災証明は10月末時点で4622件が発行された。
珠洲焼は、色つやを出す釉薬を使わずに焼き上げ、幽玄な灰黒色が特徴だ。12世紀中頃から5世紀末に同市周辺で生産され、日本海側に広く流通したが、衰退し、1970年代に市が伝統工芸品として復活させた。
紙面では珠洲焼作家篠原敬さん(63)の再建された窯が写真で紹介されている。
同じ石川県の伝統工芸品、加賀市の「山中塗」の事業者らの組合が漆器の新シリーズを共同開発したことを11月9日の読売が伝えている。
山中塗は安土桃山時代の木工職人・木地師が作り始めた。乾燥などでゆがみが出にくい頑丈さが特徴で、石川県の輪島塗が「塗りの輪島」と呼ばれるのに対し、「木地の山中」と評される。
生活スタイルの変化で引き出物などの大口需要が望めない中、日常の道具としてのブランド化を目指し、各工房がライバル関係を捨てて職人の技術を結集させた。
引き出物の定番だった1980年代空0年代半ばは88年の400億円をピークに年間300億円以上の生産額を誇ったがコロナ禍では50億円台に落ち込ん打ということで生産者の危機感が背景にある。
北陸地方、越前、越中、越後そして加賀、能登と呼ばれていたこの地域では越中富山と能登には行っていないが、越後と越前、加賀は訪れている。
津軽、下北の半島は若い頃行っているので、同じ半島である能登も行きたい候補地にはなっていたが、残念ながら行く機会がなかった。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では石川県芦原の吉崎御坊近くに「お町さん」の墓があるので行く予定はあった。
「お町さん」は満州と朝鮮半島の近くの安東で邦人の避難民救済に立ち上がった人で、中国共産党政権に銃殺された人物であるが、愛知県の三ヶ根山に慰霊碑があり、お参りしたことがあるのだ。
吉崎御坊近くの地はお町さんの故郷なのだ。
戦没者の慰霊と共に遊女、女郎と呼ばれし女性たちの供養もしてきたので、石川県小松市街地の南方、串茶屋町の東にある共同墓地内にある江戸時代中期から明治時代初期に建立された数多くの遊女の墓にもお参りに行くことにしていた。
能登半島には2023年の5月に地震が遭ったので、今思えば、大地震の前触れだったのかもしれない。
首都圏でも揺れたほどだから、地震の揺れが激しかったことは想像できる。
岸田首相は救援物資を携え、現地に行き、被災者を励ますくらいのことはやってもいいはずだ。
北陸は原発地帯だから、原発事故が起きているのではないかと心配しているが、不都合な真実は隠してしまう電力会社は事故はないと言っているが信用ならない。
災害が起きると何と言っても便りになるのは自衛隊で、自衛隊が米国の言うがままに海外に派兵されていたら、災害が起きた時、誰が助けてくれるのだ。
だから、自衛隊の海外派兵に反対しているのだ。
災害で一番困るライフライン、水と電気とトイレ、食料は空からヘリで物資を落とせるが、道路が地震でやられてしまっているから、重機が運べないとなったら、こちらも自衛隊にお願いするしかない。
東日本大震災の復興では、会津喜多方の大和川酒造の酒を買い求めることで、支援の一助にしてきたが、能登地震でも復興に役立ちそうな物産のどれかを買い求めるようにして協力したい。
5月の地震では石川県によれば、1人が死亡、47人が重軽傷を負った。県内の住宅被害は前回38棟、半壊263棟、一部破損1384棟。珠洲市は国から「局地激甚災害に指定された。市によれば、公的支援を受けるのに必要な罹災証明は10月末時点で4622件が発行された。
珠洲焼は、色つやを出す釉薬を使わずに焼き上げ、幽玄な灰黒色が特徴だ。12世紀中頃から5世紀末に同市周辺で生産され、日本海側に広く流通したが、衰退し、1970年代に市が伝統工芸品として復活させた。
紙面では珠洲焼作家篠原敬さん(63)の再建された窯が写真で紹介されている。
同じ石川県の伝統工芸品、加賀市の「山中塗」の事業者らの組合が漆器の新シリーズを共同開発したことを11月9日の読売が伝えている。
山中塗は安土桃山時代の木工職人・木地師が作り始めた。乾燥などでゆがみが出にくい頑丈さが特徴で、石川県の輪島塗が「塗りの輪島」と呼ばれるのに対し、「木地の山中」と評される。
生活スタイルの変化で引き出物などの大口需要が望めない中、日常の道具としてのブランド化を目指し、各工房がライバル関係を捨てて職人の技術を結集させた。
引き出物の定番だった1980年代空0年代半ばは88年の400億円をピークに年間300億円以上の生産額を誇ったがコロナ禍では50億円台に落ち込ん打ということで生産者の危機感が背景にある。
北陸地方、越前、越中、越後そして加賀、能登と呼ばれていたこの地域では越中富山と能登には行っていないが、越後と越前、加賀は訪れている。
津軽、下北の半島は若い頃行っているので、同じ半島である能登も行きたい候補地にはなっていたが、残念ながら行く機会がなかった。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では石川県芦原の吉崎御坊近くに「お町さん」の墓があるので行く予定はあった。
「お町さん」は満州と朝鮮半島の近くの安東で邦人の避難民救済に立ち上がった人で、中国共産党政権に銃殺された人物であるが、愛知県の三ヶ根山に慰霊碑があり、お参りしたことがあるのだ。
吉崎御坊近くの地はお町さんの故郷なのだ。
戦没者の慰霊と共に遊女、女郎と呼ばれし女性たちの供養もしてきたので、石川県小松市街地の南方、串茶屋町の東にある共同墓地内にある江戸時代中期から明治時代初期に建立された数多くの遊女の墓にもお参りに行くことにしていた。
能登半島には2023年の5月に地震が遭ったので、今思えば、大地震の前触れだったのかもしれない。
首都圏でも揺れたほどだから、地震の揺れが激しかったことは想像できる。
岸田首相は救援物資を携え、現地に行き、被災者を励ますくらいのことはやってもいいはずだ。
北陸は原発地帯だから、原発事故が起きているのではないかと心配しているが、不都合な真実は隠してしまう電力会社は事故はないと言っているが信用ならない。
災害が起きると何と言っても便りになるのは自衛隊で、自衛隊が米国の言うがままに海外に派兵されていたら、災害が起きた時、誰が助けてくれるのだ。
だから、自衛隊の海外派兵に反対しているのだ。
災害で一番困るライフライン、水と電気とトイレ、食料は空からヘリで物資を落とせるが、道路が地震でやられてしまっているから、重機が運べないとなったら、こちらも自衛隊にお願いするしかない。
東日本大震災の復興では、会津喜多方の大和川酒造の酒を買い求めることで、支援の一助にしてきたが、能登地震でも復興に役立ちそうな物産のどれかを買い求めるようにして協力したい。
2023年12月22日
「川反芸者」も世代交代
「秋田美人」の由来とされる川反芸者として、昭和時代から東北有数の花街を支えた浅利京子さん(81)(芸妓名・若勇)が28日で引退する。老舗料亭で常連客と過ごす最後の座敷を前に、浅利さんは「お客様がいらっしゃるからこそ芸をお見せできる。感謝の気持ちしかない」と語る。と12月19日の読売(田辺研吾記者)が伝えている。
秋田市の大家族に生まれた浅利さんは10歳で川反の置き屋に預けられ、学校に通いながら踊りや小唄の稽古に励み、20歳のとき芸者デビューした。
男踊りの「武田節」、女心を表現する「初雪」などを得意とし、売れっ子に。当時は高度経済成長期で、1日3回、お座敷に呼ばれることもあった。
しかし、1980年代になると、「お座敷離れ」が進み、酒席の盛り上げ役はコンパニオンに移っていった。40歳代半ば、一度は花柳界から身を引いた。料亭に芸者を取り次ぐ事務所も92年に姿を消した。
衰退していた川反芸者の復活を目指す動きが始まり、2014年に「あきた舞妓」を派遣する会社が設立され、「秋田川反芸妓連」も復活。
川反の代表的な小唄「酒の秋田」の踊りや、年始行事の作法といった花柳界で受け継がれてきた文化などを後進に伝えるとともに、自らも舞台に立った。
接客業では、歴史的にも文化的にもその代表的な職種である芸者。
女性の職業としても、芸を身につければ定年はなく、身を立てていくことができた。
京都を筆頭に東京など日本全国の歓楽街、温泉などにも芸者がいて、花街で接客に勤しみ。歓楽街の繁栄に寄与してきた。
同じ接客業でも、吉原など花街では芸者と遊女、女郎とは異なった存在で、芸者は芸を売るだけで、体を売るわけではない。
ところが、温泉芸者などの一部には、不見転というか、過去、生活のために、或いは気に入った客であればそういう関係になってしまったという話もあるくらいで、微妙な部分もあったみたいではある。
まあ、芸者でもパトロンを見つけて、落籍されるなんて話があったから、誤解を招くことになった部分もあるだろう。
日本の伝統芸能、伝統文化に誇りを持っている日本大好き人間の一人としては、接客業に芸者がいなくなってしまったら、日本にやってきた外国人をもてなすことに日本独特の輝きがなくなってしまうと危惧する。
芸能や工芸など、芸術の分野では、人と同じでないところに価値があるわけで、芸者の芸は一人ずつ力量が異なるから個性があってよいと評価されるのではないか。
9月27日の読売の文化の紙面で、「歌舞伎、工芸 企業が支援」「衣裳展、トークショー 職人動画、コラボ作品」という見出しに坂東玉三郎さんがトークショーで語っている写真が掲載され、日本の伝統文化振興に力を注ぐ企業の取り組みが目立つ。ということを伝えていた。
芸者の芸の本家みたいなのが歌舞伎や舞踊の世界で、そちらに企業の支援があるなら、芸者には土地土地の企業や客になれる恵まれている階層の人たちの支援が必要だ。
伝統芸能を守るためには、働く場が必要で、芸者でいえば、お座敷であり、恵まれている階層ばかりでなく、もう少し幅広い階層が利用できるようにしていくことも必要なことではないか。
80代だから世代交代で年齢的に引退、退場していくのは仕方ないとしても、若い後継者を育成するということも伝統を守るために欠かせない。
秋田市の大家族に生まれた浅利さんは10歳で川反の置き屋に預けられ、学校に通いながら踊りや小唄の稽古に励み、20歳のとき芸者デビューした。
男踊りの「武田節」、女心を表現する「初雪」などを得意とし、売れっ子に。当時は高度経済成長期で、1日3回、お座敷に呼ばれることもあった。
しかし、1980年代になると、「お座敷離れ」が進み、酒席の盛り上げ役はコンパニオンに移っていった。40歳代半ば、一度は花柳界から身を引いた。料亭に芸者を取り次ぐ事務所も92年に姿を消した。
衰退していた川反芸者の復活を目指す動きが始まり、2014年に「あきた舞妓」を派遣する会社が設立され、「秋田川反芸妓連」も復活。
川反の代表的な小唄「酒の秋田」の踊りや、年始行事の作法といった花柳界で受け継がれてきた文化などを後進に伝えるとともに、自らも舞台に立った。
接客業では、歴史的にも文化的にもその代表的な職種である芸者。
女性の職業としても、芸を身につければ定年はなく、身を立てていくことができた。
京都を筆頭に東京など日本全国の歓楽街、温泉などにも芸者がいて、花街で接客に勤しみ。歓楽街の繁栄に寄与してきた。
同じ接客業でも、吉原など花街では芸者と遊女、女郎とは異なった存在で、芸者は芸を売るだけで、体を売るわけではない。
ところが、温泉芸者などの一部には、不見転というか、過去、生活のために、或いは気に入った客であればそういう関係になってしまったという話もあるくらいで、微妙な部分もあったみたいではある。
まあ、芸者でもパトロンを見つけて、落籍されるなんて話があったから、誤解を招くことになった部分もあるだろう。
日本の伝統芸能、伝統文化に誇りを持っている日本大好き人間の一人としては、接客業に芸者がいなくなってしまったら、日本にやってきた外国人をもてなすことに日本独特の輝きがなくなってしまうと危惧する。
芸能や工芸など、芸術の分野では、人と同じでないところに価値があるわけで、芸者の芸は一人ずつ力量が異なるから個性があってよいと評価されるのではないか。
9月27日の読売の文化の紙面で、「歌舞伎、工芸 企業が支援」「衣裳展、トークショー 職人動画、コラボ作品」という見出しに坂東玉三郎さんがトークショーで語っている写真が掲載され、日本の伝統文化振興に力を注ぐ企業の取り組みが目立つ。ということを伝えていた。
芸者の芸の本家みたいなのが歌舞伎や舞踊の世界で、そちらに企業の支援があるなら、芸者には土地土地の企業や客になれる恵まれている階層の人たちの支援が必要だ。
伝統芸能を守るためには、働く場が必要で、芸者でいえば、お座敷であり、恵まれている階層ばかりでなく、もう少し幅広い階層が利用できるようにしていくことも必要なことではないか。
80代だから世代交代で年齢的に引退、退場していくのは仕方ないとしても、若い後継者を育成するということも伝統を守るために欠かせない。
2023年11月09日
土鍋原料が調達難 鉱石にリチウム含むため
国産土鍋の8割を占める三重県の特産品「 萬古焼ばんこやき 」が、原料の鉱石「ペタライト」の調達難に直面している。リチウムを含むため、電気自動車(EV)向けリチウムイオン電池の材料として世界的に需要が高まっており、争奪戦に巻き込まれた。製品価格が高騰する可能性もある。と11月5日の読売(増実健一、河野圭佑記者)が伝えている。
萬古焼は三重県四日市市などでつくられている伝統的工芸品で、土鍋は主力製品だ。地元の製造業者でつくる「萬古陶磁器工業協同組合」によると、ペタライトは陶器の耐熱性を高める効果があり、1959年から粘土に混ぜて土鍋を焼いている。原材料の4割程度を占めるという。
異変が起きたのは2022年春。ペタライトの主要産地であるアフリカ南部ジンバブエのビキタ鉱山が中国企業に買収され、輸入がストップした。EV開発競争の激化が背景にあるとされる。
萬古焼の土鍋は3000〜1万円程度のものが多く、同組合の熊本哲弥理事長は「採算が取れず、値上げせざるを得ない」と頭を抱える。
鍋料理に土鍋は必需品で、鍋料理の回数が少ないわが家でも、鍋料理のときは土鍋の出番となる。
若い頃から陶器や磁器を眺めるのが好きで、50代の頃、ひとりでは何もできない意気地なしの自分は、連れ合いに頼み一緒に陶芸教室に通ったことがある。
高等学校の教員を退職後、益子焼の窯元で修業したという師匠は自分より一回り上の穏やかな好々爺みたいな人物で、初心者の自分は手回しのろくろで形を作り、師匠が焼いてくれるということで、ほんの少しばかり陶芸気分を味わっただけだったが、体験できてよかったと今でも思い出す。
師匠は、茨城県の常陸大宮だったか常陸太田だったかに窯を造り、薪で焼いてくれるので出来上がりがとても楽しみだったし、想像を超えた火の芸術作品が何だかとても気に入った。
師匠が益子焼の陶器市に出店するというので、連れ合いが運転するパジェロで行ったことがある。
結局、師匠の作品を買い求めることになったのだった。
土鍋も師匠の作品を買い求めて使っているが、自分の湯飲みは自作の品を使っていたが、落としてしまい、今は、知人の奥方が手作りした陶器の夫婦湯飲みを使っている。
陶器であれ磁器であれ眺めるのは好きであるが、原材料には関心が低かったので万古焼の名前を知っていても、リチウムが含まれた鉱石ペタライトが関係しているなどとは思いもよらないことだった。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では土産に陶器や磁器の盃などを買い求めてきたくらいで、時間があれば、陶芸をもう一度やりたい気持ちはあるが、同じ土いじりでも、有機無農薬での野菜作りが忙しく、時間がつくれそうにない。
蔵を解体する前に整理した時、皿がたくさん出てきたが、素人目にはなんでも鑑定団に出せるような皿ではないように見えたが、骨董屋は有り難いことに全部持って行ってくれた。
「古ければいい」と言っていたらしいが、蔵の建築は昭和の初めで、祖父母は戦後すぐに亡くなっているので80年くらいは経っている、
土鍋に限らず、伝統工芸品が廃れてしまうのは寂しすぎるので、何とか次世代まで伝承していってほしい。というわけで、なんとか土鍋を造り続けてもらいたいと願っている。
萬古焼は三重県四日市市などでつくられている伝統的工芸品で、土鍋は主力製品だ。地元の製造業者でつくる「萬古陶磁器工業協同組合」によると、ペタライトは陶器の耐熱性を高める効果があり、1959年から粘土に混ぜて土鍋を焼いている。原材料の4割程度を占めるという。
異変が起きたのは2022年春。ペタライトの主要産地であるアフリカ南部ジンバブエのビキタ鉱山が中国企業に買収され、輸入がストップした。EV開発競争の激化が背景にあるとされる。
萬古焼の土鍋は3000〜1万円程度のものが多く、同組合の熊本哲弥理事長は「採算が取れず、値上げせざるを得ない」と頭を抱える。
鍋料理に土鍋は必需品で、鍋料理の回数が少ないわが家でも、鍋料理のときは土鍋の出番となる。
若い頃から陶器や磁器を眺めるのが好きで、50代の頃、ひとりでは何もできない意気地なしの自分は、連れ合いに頼み一緒に陶芸教室に通ったことがある。
高等学校の教員を退職後、益子焼の窯元で修業したという師匠は自分より一回り上の穏やかな好々爺みたいな人物で、初心者の自分は手回しのろくろで形を作り、師匠が焼いてくれるということで、ほんの少しばかり陶芸気分を味わっただけだったが、体験できてよかったと今でも思い出す。
師匠は、茨城県の常陸大宮だったか常陸太田だったかに窯を造り、薪で焼いてくれるので出来上がりがとても楽しみだったし、想像を超えた火の芸術作品が何だかとても気に入った。
師匠が益子焼の陶器市に出店するというので、連れ合いが運転するパジェロで行ったことがある。
結局、師匠の作品を買い求めることになったのだった。
土鍋も師匠の作品を買い求めて使っているが、自分の湯飲みは自作の品を使っていたが、落としてしまい、今は、知人の奥方が手作りした陶器の夫婦湯飲みを使っている。
陶器であれ磁器であれ眺めるのは好きであるが、原材料には関心が低かったので万古焼の名前を知っていても、リチウムが含まれた鉱石ペタライトが関係しているなどとは思いもよらないことだった。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では土産に陶器や磁器の盃などを買い求めてきたくらいで、時間があれば、陶芸をもう一度やりたい気持ちはあるが、同じ土いじりでも、有機無農薬での野菜作りが忙しく、時間がつくれそうにない。
蔵を解体する前に整理した時、皿がたくさん出てきたが、素人目にはなんでも鑑定団に出せるような皿ではないように見えたが、骨董屋は有り難いことに全部持って行ってくれた。
「古ければいい」と言っていたらしいが、蔵の建築は昭和の初めで、祖父母は戦後すぐに亡くなっているので80年くらいは経っている、
土鍋に限らず、伝統工芸品が廃れてしまうのは寂しすぎるので、何とか次世代まで伝承していってほしい。というわけで、なんとか土鍋を造り続けてもらいたいと願っている。
2023年10月22日
麻農家復活へ各地で再興に向けた取り組み
神社のしめ縄などに使われる国産の麻(産業用大麻)が生産者の減少で消滅の危機にある中、各地で再興に向けた取り組みが進みつつある。新たな麻製品を開発する農家や、地域ぐるみで栽培に乗り出す自治体も出てきた。関係者は「今こそ伝統産業の復活を」と意気込んでいる。と10月8日の読売(井上暢記者)が伝えている。
国内では薬物の大麻と同様に大麻取締法で規制されている産業用大麻。厚生労働省によると、50年代に全国で3万人以上が栽培していたが、生産者は2021年末時点で27人にまで激減した。年間約2000キロがしめ縄用などに出荷されるが、希少なためビニール製で代用する神社もあるという。
生産者は麻製の紙や建築資材の開発に挑戦しているほか、大阪市の繊維商社とともに麻製の紙器を商品化。
新たな産地として名乗りを上げたのは三重県明和町。古くは伊勢神宮に麻を納めたが、栽培農家がいなくなっていた。今年3月に町と三重大、生産者などが栽培プロジェクトを開始している。
東京農業大学ボクシング部、日本大学アメフト部と相次いで大麻事件で逮捕者が出ている。
薬物の大麻と産業用大麻は親族というか、近い関係にあるので、大麻規制法で栽培には一定の規制がなされてきた。ために産業用大麻の栽培には麻薬成分のほとんどない無毒性品種「とちぎしろ」が開発され、栽培されている栃木県。
厚労省も伝統文化の存続を図る観点から、規制を一部見直した。
「都道府県外への流通禁止」「畑には2bの柵や監視カメラが必要」といったルールについて、21年9月、実態に即して要件を緩和するように都道府県に通知した。
人格を崩壊させ、国を亡ぼす麻薬の一つ覚醒剤。
対して、大麻はさほどの害がないからと米国の州などでは所持が認められたりしているところもないではない。
ところが、大麻をやると人間というものは、より刺激のある薬物の摂取をしたくなるもので、決まって覚醒剤に手を出し、破滅することになる。
わが国では、ために大麻規制法で麻の栽培には厚労省の規制が為されている。
その産業用大麻は神社のしめ縄ばかりか横綱の綱に使われているというから、日本の伝統文化を支えてきたと言っても過言ではない。
小学生の時、父親から畑の手伝いを命じられていたとき、畝を作るために鍬を使うとき、列を真っ直ぐにするために麻ひもを使った。
この麻と産業用の麻は大いに異なるはずだが、現在のテープなどない時代には重宝されていた麻製品。
神社のしめ縄ともなれば、明らかに日本文化の象徴のようなものだから、どれほど産業用大麻が貴重なものか理解できるというものではないか。
紙器として商品化するなど何としても、存続させたい。
国内では薬物の大麻と同様に大麻取締法で規制されている産業用大麻。厚生労働省によると、50年代に全国で3万人以上が栽培していたが、生産者は2021年末時点で27人にまで激減した。年間約2000キロがしめ縄用などに出荷されるが、希少なためビニール製で代用する神社もあるという。
生産者は麻製の紙や建築資材の開発に挑戦しているほか、大阪市の繊維商社とともに麻製の紙器を商品化。
新たな産地として名乗りを上げたのは三重県明和町。古くは伊勢神宮に麻を納めたが、栽培農家がいなくなっていた。今年3月に町と三重大、生産者などが栽培プロジェクトを開始している。
東京農業大学ボクシング部、日本大学アメフト部と相次いで大麻事件で逮捕者が出ている。
薬物の大麻と産業用大麻は親族というか、近い関係にあるので、大麻規制法で栽培には一定の規制がなされてきた。ために産業用大麻の栽培には麻薬成分のほとんどない無毒性品種「とちぎしろ」が開発され、栽培されている栃木県。
厚労省も伝統文化の存続を図る観点から、規制を一部見直した。
「都道府県外への流通禁止」「畑には2bの柵や監視カメラが必要」といったルールについて、21年9月、実態に即して要件を緩和するように都道府県に通知した。
人格を崩壊させ、国を亡ぼす麻薬の一つ覚醒剤。
対して、大麻はさほどの害がないからと米国の州などでは所持が認められたりしているところもないではない。
ところが、大麻をやると人間というものは、より刺激のある薬物の摂取をしたくなるもので、決まって覚醒剤に手を出し、破滅することになる。
わが国では、ために大麻規制法で麻の栽培には厚労省の規制が為されている。
その産業用大麻は神社のしめ縄ばかりか横綱の綱に使われているというから、日本の伝統文化を支えてきたと言っても過言ではない。
小学生の時、父親から畑の手伝いを命じられていたとき、畝を作るために鍬を使うとき、列を真っ直ぐにするために麻ひもを使った。
この麻と産業用の麻は大いに異なるはずだが、現在のテープなどない時代には重宝されていた麻製品。
神社のしめ縄ともなれば、明らかに日本文化の象徴のようなものだから、どれほど産業用大麻が貴重なものか理解できるというものではないか。
紙器として商品化するなど何としても、存続させたい。
2023年09月17日
稲藁 循環型生活の象徴
編集委員(古沢由紀子)が興味を持ったテーマを取材し、結果を取材帳というタイトルで伝えてくれる連載が読売の夕刊にある。その9月12日は藁を探しての1だった。
米の副産物であり、様々な日用品や祭礼に使われるなど農村の人々に身近な存在だった稲藁。
田んぼの肥料や燃料になる循環型資源としても注目されているが、農業人口の減少や機械化の進展で、今や「貴重品」になりつつある。
藁を切り口に、地域のつながりや手仕事などの継承、活性化に奮闘する人々を各地で取材した。
新潟県上越市の桑取谷でチェコ出身の淑徳大学教授郷堀ヨゼフさん(44)は10年ほど前から家族で昔ながらの米作りに携わっている。無農薬で栽培し、稲架で天日干しするのだ。
コンバインが普及した米作りは稲藁が裁断されてしまうが、ヨゼフさんらがコメ作りをする7アールの田は長い藁の貴重な「供給源」となっている。
この藁を使った地域の歳時のリーダー西横山小正月行事保存会の和瀬田仙二会長(83)は小正月用の長い藁の入手に苦労していたが、郷堀家の藁に多くを頼っているそうな。
2022年11月18日のNHKが宮城県石巻で稲藁といぐさを使った昔ながらの畳を製造している「和楽」佐々木正悦会長が畳製造のために集めた丈の長い藁をネットで販売したところ日本全国から注文があるとのこと。
納豆、歳時に、カツオの調理などが用途らしい。
取材帳の第1回は歳時に使うための藁の話だったが、それぞれの行事をつなぐ藁は土から生まれ、役割を終えれば土に還る。「私たちが失い、取り戻そうとしている循環型生活様式の象徴でもある」と郷堀ヨゼフさんはつぶやくのだ。
首都圏の田舎町に生まれ育ち、後期高齢者を目前にした今も住み続ける。
コロナ禍で中止になっていた氏神様の祭礼が10月1日に実行されるという通知が回覧されている。
歳時は続けることに意義があると思うが、田舎町も都市化されつつあり、五穀豊穣を祈願する祭礼をいつまで続けられることか。
というのは、もう米作りをするような人はいないし、畑だって、野菜を作っている人など数えるほどだからだ。
しかし、循環型生活様式の象徴である藁が土から生まれ土に還ることを想うとき、人間の生活の古き良き時代の産物である米の副産物である藁を活用した先人の智慧に頭が下がる。
米作りの副産物を歳時に使い、冬の間は筵やわらじを編んだりと、当然、畑でマルチ代わりに敷いていたものだ。
プラスチックの分別収集とリサイクルの項でも書いたが、有機無農薬で野菜作りを実践しているとき、マルチを使わない。除草と土の保温のためにマルチと呼ばれる黒いシートを畑に敷く生産者がほとんどであるにもかかわらず。。
人と同じことをやるのが大嫌いだから、マルチは使っていないが、代わりに藁を使いたいと思っているがその藁が手に入らない。
これを書いているとき、宮城県石巻の畳製造業の会社が販売していることがわかったので、金額によっては注文してみようかなと思った次第である。
子どもの頃、筵がわが家にあって使っていたが、便利な敷物だった。蒲簀という筵を二つ折りにした袋もあった。
循環型生活をもう一度見直してみたい。
米の副産物であり、様々な日用品や祭礼に使われるなど農村の人々に身近な存在だった稲藁。
田んぼの肥料や燃料になる循環型資源としても注目されているが、農業人口の減少や機械化の進展で、今や「貴重品」になりつつある。
藁を切り口に、地域のつながりや手仕事などの継承、活性化に奮闘する人々を各地で取材した。
新潟県上越市の桑取谷でチェコ出身の淑徳大学教授郷堀ヨゼフさん(44)は10年ほど前から家族で昔ながらの米作りに携わっている。無農薬で栽培し、稲架で天日干しするのだ。
コンバインが普及した米作りは稲藁が裁断されてしまうが、ヨゼフさんらがコメ作りをする7アールの田は長い藁の貴重な「供給源」となっている。
この藁を使った地域の歳時のリーダー西横山小正月行事保存会の和瀬田仙二会長(83)は小正月用の長い藁の入手に苦労していたが、郷堀家の藁に多くを頼っているそうな。
2022年11月18日のNHKが宮城県石巻で稲藁といぐさを使った昔ながらの畳を製造している「和楽」佐々木正悦会長が畳製造のために集めた丈の長い藁をネットで販売したところ日本全国から注文があるとのこと。
納豆、歳時に、カツオの調理などが用途らしい。
取材帳の第1回は歳時に使うための藁の話だったが、それぞれの行事をつなぐ藁は土から生まれ、役割を終えれば土に還る。「私たちが失い、取り戻そうとしている循環型生活様式の象徴でもある」と郷堀ヨゼフさんはつぶやくのだ。
首都圏の田舎町に生まれ育ち、後期高齢者を目前にした今も住み続ける。
コロナ禍で中止になっていた氏神様の祭礼が10月1日に実行されるという通知が回覧されている。
歳時は続けることに意義があると思うが、田舎町も都市化されつつあり、五穀豊穣を祈願する祭礼をいつまで続けられることか。
というのは、もう米作りをするような人はいないし、畑だって、野菜を作っている人など数えるほどだからだ。
しかし、循環型生活様式の象徴である藁が土から生まれ土に還ることを想うとき、人間の生活の古き良き時代の産物である米の副産物である藁を活用した先人の智慧に頭が下がる。
米作りの副産物を歳時に使い、冬の間は筵やわらじを編んだりと、当然、畑でマルチ代わりに敷いていたものだ。
プラスチックの分別収集とリサイクルの項でも書いたが、有機無農薬で野菜作りを実践しているとき、マルチを使わない。除草と土の保温のためにマルチと呼ばれる黒いシートを畑に敷く生産者がほとんどであるにもかかわらず。。
人と同じことをやるのが大嫌いだから、マルチは使っていないが、代わりに藁を使いたいと思っているがその藁が手に入らない。
これを書いているとき、宮城県石巻の畳製造業の会社が販売していることがわかったので、金額によっては注文してみようかなと思った次第である。
子どもの頃、筵がわが家にあって使っていたが、便利な敷物だった。蒲簀という筵を二つ折りにした袋もあった。
循環型生活をもう一度見直してみたい。
2023年09月06日
お座敷ライブハウスを作った元赤坂芸者
かつて花街だった東京・四谷の荒木町にお座敷文化や伝統芸を気軽に楽しめる空間「津の守」を2023年4月に開いた元赤坂芸者塩見文枝さん(55)のことを8月20日の読売(編集委員祐成秀樹)がコラムの紙面に「顔Snnday」で紹介している。
岡山市出身、お茶の水女子大学卒の才媛で「日本を知る、江戸に遊ぶ」をテーマに数々のイベントを主催。
江戸時代に建てられた家で育ち、着物生活をしていた祖父の影響で和ものに親しんだ。
大学卒業後30代で呉服のプロデュースを始めた。
着物を楽しむイベントを手がけているうちに、芸者衆から信頼を得るようになった。42歳の時、東京赤坂の芸者「ふみ香」になった。「見た目大ベテラン、中身何もできない。でお酌だけしていた」が、他人の3〜4倍は稽古に打ち込み、3年で何とか形になったという。
やがて、気づいたのは芸者が料亭以外に踊れる場所がないこと。
「仕事する場を作らないと、お座敷文化がなくなる」と場所づくりを思い立った。
目指したのは「小さくとも本物」。クラウドファンディング約1300万円の資金を集め、引幕のついた20畳の座敷を作った。
今、仕事で得た宣伝力を使って発信している。
語り継ぐ戦争ではあるが、日本大好き人間の1人として、接客業では世界ナンバーワンと推奨している芸者衆の活躍を応援している。
日本の伝統芸能のうち、歌に踊りに三絃、鼓、ときには箏なども習得して披露してくれる接客のプロは日本古来から伝承されてきた着物に日本髪のかつらに簪とどれも日本の美で、世界に誇れる衣装と芸能で宴席を賑わすプロ集団が芸者衆である。
お座敷といえば、連れ合いが箏と三絃に自分は戦没者慰霊のための行脚で経を読む代わりに吹く尺八とふだんから和楽器が身近にあるわが家では、稽古で正座してきた箏や三絃のお師匠方が膝を酷使して、今では椅子を使って稽古するようになっていることから、芸者衆の膝の心配をしてしまう。
東京赤坂や京都祇園などその世界の頂点にあるような場所ばかりでなく、夢千代が働いていた日本海側のひなびた温泉のようないわゆる温泉芸者だって立派な芸者衆である。
日本の伝統芸能を身につけるにはそれ相当の時間がかかり、それなりの費用負担もある。
それでも、芸は身を助けるではないが、一度身につければ、定年などあるわけではないから、長く働くことができるという点で、女性にとって、自立していくには参考になる職業である。
その芸を身につける、磨くには、人前で発表することが不可欠であるから、その稽古所を拵えてくれた塩見さんにエールをおくりたい。
岡山市出身、お茶の水女子大学卒の才媛で「日本を知る、江戸に遊ぶ」をテーマに数々のイベントを主催。
江戸時代に建てられた家で育ち、着物生活をしていた祖父の影響で和ものに親しんだ。
大学卒業後30代で呉服のプロデュースを始めた。
着物を楽しむイベントを手がけているうちに、芸者衆から信頼を得るようになった。42歳の時、東京赤坂の芸者「ふみ香」になった。「見た目大ベテラン、中身何もできない。でお酌だけしていた」が、他人の3〜4倍は稽古に打ち込み、3年で何とか形になったという。
やがて、気づいたのは芸者が料亭以外に踊れる場所がないこと。
「仕事する場を作らないと、お座敷文化がなくなる」と場所づくりを思い立った。
目指したのは「小さくとも本物」。クラウドファンディング約1300万円の資金を集め、引幕のついた20畳の座敷を作った。
今、仕事で得た宣伝力を使って発信している。
語り継ぐ戦争ではあるが、日本大好き人間の1人として、接客業では世界ナンバーワンと推奨している芸者衆の活躍を応援している。
日本の伝統芸能のうち、歌に踊りに三絃、鼓、ときには箏なども習得して披露してくれる接客のプロは日本古来から伝承されてきた着物に日本髪のかつらに簪とどれも日本の美で、世界に誇れる衣装と芸能で宴席を賑わすプロ集団が芸者衆である。
お座敷といえば、連れ合いが箏と三絃に自分は戦没者慰霊のための行脚で経を読む代わりに吹く尺八とふだんから和楽器が身近にあるわが家では、稽古で正座してきた箏や三絃のお師匠方が膝を酷使して、今では椅子を使って稽古するようになっていることから、芸者衆の膝の心配をしてしまう。
東京赤坂や京都祇園などその世界の頂点にあるような場所ばかりでなく、夢千代が働いていた日本海側のひなびた温泉のようないわゆる温泉芸者だって立派な芸者衆である。
日本の伝統芸能を身につけるにはそれ相当の時間がかかり、それなりの費用負担もある。
それでも、芸は身を助けるではないが、一度身につければ、定年などあるわけではないから、長く働くことができるという点で、女性にとって、自立していくには参考になる職業である。
その芸を身につける、磨くには、人前で発表することが不可欠であるから、その稽古所を拵えてくれた塩見さんにエールをおくりたい。
2023年07月14日
有田焼白磁の美 身近な道具 茶碗
佐賀県有田町の陶芸家で白磁の重要無形文化財保持者(人間国宝)、井上萬二さん(94)が2024年3月にニューヨークで開く個展に向けて準備を進めている。と6月28日の読売(井上裕介記者)が伝えている。
有田町で、祖父が始めた窯元の家に生まれたが、飛行機乗りに憧れ、15歳で鹿児島海軍航空隊に入隊した。特攻基地の鹿屋に配属され、続く配転先の串良で終戦を迎えた。
帰郷し、柿右衛門窯で修行するも無給の時代が続く。名工と言われた初代奥川忠右衛門と出会って弟子入りし、ろくろの腕を磨いたことが転機となった。
佐賀県窯業試験場で、13年間技官として勤務し、陶土や釉薬、デザインなどを研究し、白磁を極めることを決心した
米国の大学からも指導を依頼され、これまで20回以上にわたって渡米したことで、「伝統にとらわれない美意識に触れ、造形の幅が広がった」と振り返る。
平凡な造形が一番難しいというこだわりを持つ。
1970年に独立し、95年、白磁の陶芸家として初めて人間国宝に認定された。
2020年に後継者の長男を病気で亡くすも、受け継いできた技術を孫に伝える。
「茶の湯を旅する」というタイトルで6月25日の読売(伊丹理雄記者)が身近な道具 茶碗を購入する楽しみを伝えている。
高橋伴明監督、吉沢悠主演、柳宗悦 に影響を与えた浅川巧 の半生を描いた『 道〜白磁の人〜 』を観ているので、焼き物においては、日本の師匠だと言っても過言ではない朝鮮半島のそれも磁器の素晴らしさを教えられた。
焼き物には陶器と磁器があることくらいは誰でも知っていることだと思うが、陶器は簡単に割れてしまうが、磁器であれば、少しくらいぶつかっても割れない特性がある。
食器は陶器より磁器の方が圧倒的に持ちが佳いが、磁器に絵付けしている点で、有田や瀬戸などの器や皿などは見た目もとても美しい。
茶の湯を旅するというタイトルで、茶の湯を楽しむ初心者の記者が自分で茶を楽しむために茶碗を買い求める楽しみを知ったことを大いに喜んでいる。
陶芸教室に通い、茶碗ばかり作ってみたことがあるが、なかなか軽くすることができなかった。
それでも、自分でお茶を楽しもうと茶筅と抹茶を買い求めてみたが、結局、毎日飲んでいるのは煎茶、金子園の天下一ブランドである。
京都に行ったとき、楽美術館というのか、楽茶碗を観たが、形が何とも気に入った。
ところが、自分で作ると、いくらやっても、あんなふうにはならない。
人間国宝とか歴史に刻まれるような作品の良し悪しなどわからないが、自分の好きな形というものはいつの間にか頭にインプットされているので、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では、買い求めることもある。
人間国宝の作品でなくとも、陶磁器を眺めることは楽しい。
有田町で、祖父が始めた窯元の家に生まれたが、飛行機乗りに憧れ、15歳で鹿児島海軍航空隊に入隊した。特攻基地の鹿屋に配属され、続く配転先の串良で終戦を迎えた。
帰郷し、柿右衛門窯で修行するも無給の時代が続く。名工と言われた初代奥川忠右衛門と出会って弟子入りし、ろくろの腕を磨いたことが転機となった。
佐賀県窯業試験場で、13年間技官として勤務し、陶土や釉薬、デザインなどを研究し、白磁を極めることを決心した
米国の大学からも指導を依頼され、これまで20回以上にわたって渡米したことで、「伝統にとらわれない美意識に触れ、造形の幅が広がった」と振り返る。
平凡な造形が一番難しいというこだわりを持つ。
1970年に独立し、95年、白磁の陶芸家として初めて人間国宝に認定された。
2020年に後継者の長男を病気で亡くすも、受け継いできた技術を孫に伝える。
「茶の湯を旅する」というタイトルで6月25日の読売(伊丹理雄記者)が身近な道具 茶碗を購入する楽しみを伝えている。
高橋伴明監督、吉沢悠主演、柳宗悦 に影響を与えた浅川巧 の半生を描いた『 道〜白磁の人〜 』を観ているので、焼き物においては、日本の師匠だと言っても過言ではない朝鮮半島のそれも磁器の素晴らしさを教えられた。
焼き物には陶器と磁器があることくらいは誰でも知っていることだと思うが、陶器は簡単に割れてしまうが、磁器であれば、少しくらいぶつかっても割れない特性がある。
食器は陶器より磁器の方が圧倒的に持ちが佳いが、磁器に絵付けしている点で、有田や瀬戸などの器や皿などは見た目もとても美しい。
茶の湯を旅するというタイトルで、茶の湯を楽しむ初心者の記者が自分で茶を楽しむために茶碗を買い求める楽しみを知ったことを大いに喜んでいる。
陶芸教室に通い、茶碗ばかり作ってみたことがあるが、なかなか軽くすることができなかった。
それでも、自分でお茶を楽しもうと茶筅と抹茶を買い求めてみたが、結局、毎日飲んでいるのは煎茶、金子園の天下一ブランドである。
京都に行ったとき、楽美術館というのか、楽茶碗を観たが、形が何とも気に入った。
ところが、自分で作ると、いくらやっても、あんなふうにはならない。
人間国宝とか歴史に刻まれるような作品の良し悪しなどわからないが、自分の好きな形というものはいつの間にか頭にインプットされているので、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では、買い求めることもある。
人間国宝の作品でなくとも、陶磁器を眺めることは楽しい。
2023年07月11日
竹細工の美 花器、食器、装飾品―使い方
[Styleプラス」というタイトルで竹細工の美を6月19日の読売(谷本陽子記者)が特別面で伝えていたので、伝統工芸を支援する立場から紹介しておきたい。
レースのように美しい模様の竹工芸の皿や籠―。京都市の竹工芸作家小倉智恵美さん(41)は、伝統技法をベースに、繊細で、生活に馴染む作品を生み出す。目にも涼やかな籠などは、インテリアとして飾っても、花や果物を入れて使っても趣がある。
神奈川出身の小倉さん。京都の伝統工芸専門学校で竹工芸を学び、2011年に独立。
パリの「ジャパンエキスポ」などにも参加。7月14日から京都市内で個展を開く。
竹細工は、縄文時代から生活道具として用いられてきた。竹は成長が早く、伐採しても自然環境に与える影響が少ない。寒暖差が激しく土壌も豊かな京都は、良質な竹の産地としても知られ工芸品が数多く作られてきた。
小倉さんが使用するのは真竹や黒竹。鉈で竹を割り、幅0・5〜3_ほどの竹ひごを作る。
編み方は「六つ目編み」「麻の葉編み」など100種類以上。デザインは無限である。
小倉さんの編み方は「差し六つ目」という編み方がベースで、レース編みに例えられるほど繊細である。
竹は時間の経過とともに、あめ色に。「長く使える強度と、美しさを併せ持つもの作りをしていきたい」という小倉さんにエールをおくりたい。
首都圏の田舎町に生まれ育ち、小学校の修学旅行が日光で、中学生では京都、奈良に行った。新幹線はまだなかったのか、所謂修学旅行列車だった。
この時、京都に再び行きたいと思ったものである。
連合赤軍あさま山荘事件が起きた時、学生生活最後ということで、アルバイトで貯めたカネで京都に再び向かった。
京都では嵯峨野を訪れ、竹細工の鳥を土産に買い求めた。
これが、竹製品との出会いだった。
次いで、仕事で美浜の原発に行ったとき、虚無僧と芸妓、二つの越前竹人形を買い求めている。
その後、竹製品の楽器、尺八と出会い、尺八の魅力にはまってしまった。
定年後、語り継ぐ戦争で尺八を手に宇佐を訪れるとき、湯布院に泊まり、タクシーで宇佐まで連れて行ってもらったが、大分が竹製品の宝庫であることを知った。
竹製品は真竹を竹材とした尺八を吹く自分にとっては、極めて身近なもので、伝統工芸品として、製作者を応援してきた。
竹製品とは直接関係ないけれど、高齢になると介護の世話になる人が多いが、竹製品の製作者でボケる人を見たことがないことから、認知症予防に編み物が効果的だと考えている。
政府は認知症対策として、竹製品に限らないが、編み物を導入すべきだと提言しておく。
紙面では小倉さんの作品が紹介されているが、一見の価値があるほどすばらしい。
目の保養ばかりでなく、実用としても役立つので、買い求めたいくらいだ。
レースのように美しい模様の竹工芸の皿や籠―。京都市の竹工芸作家小倉智恵美さん(41)は、伝統技法をベースに、繊細で、生活に馴染む作品を生み出す。目にも涼やかな籠などは、インテリアとして飾っても、花や果物を入れて使っても趣がある。
神奈川出身の小倉さん。京都の伝統工芸専門学校で竹工芸を学び、2011年に独立。
パリの「ジャパンエキスポ」などにも参加。7月14日から京都市内で個展を開く。
竹細工は、縄文時代から生活道具として用いられてきた。竹は成長が早く、伐採しても自然環境に与える影響が少ない。寒暖差が激しく土壌も豊かな京都は、良質な竹の産地としても知られ工芸品が数多く作られてきた。
小倉さんが使用するのは真竹や黒竹。鉈で竹を割り、幅0・5〜3_ほどの竹ひごを作る。
編み方は「六つ目編み」「麻の葉編み」など100種類以上。デザインは無限である。
小倉さんの編み方は「差し六つ目」という編み方がベースで、レース編みに例えられるほど繊細である。
竹は時間の経過とともに、あめ色に。「長く使える強度と、美しさを併せ持つもの作りをしていきたい」という小倉さんにエールをおくりたい。
首都圏の田舎町に生まれ育ち、小学校の修学旅行が日光で、中学生では京都、奈良に行った。新幹線はまだなかったのか、所謂修学旅行列車だった。
この時、京都に再び行きたいと思ったものである。
連合赤軍あさま山荘事件が起きた時、学生生活最後ということで、アルバイトで貯めたカネで京都に再び向かった。
京都では嵯峨野を訪れ、竹細工の鳥を土産に買い求めた。
これが、竹製品との出会いだった。
次いで、仕事で美浜の原発に行ったとき、虚無僧と芸妓、二つの越前竹人形を買い求めている。
その後、竹製品の楽器、尺八と出会い、尺八の魅力にはまってしまった。
定年後、語り継ぐ戦争で尺八を手に宇佐を訪れるとき、湯布院に泊まり、タクシーで宇佐まで連れて行ってもらったが、大分が竹製品の宝庫であることを知った。
竹製品は真竹を竹材とした尺八を吹く自分にとっては、極めて身近なもので、伝統工芸品として、製作者を応援してきた。
竹製品とは直接関係ないけれど、高齢になると介護の世話になる人が多いが、竹製品の製作者でボケる人を見たことがないことから、認知症予防に編み物が効果的だと考えている。
政府は認知症対策として、竹製品に限らないが、編み物を導入すべきだと提言しておく。
紙面では小倉さんの作品が紹介されているが、一見の価値があるほどすばらしい。
目の保養ばかりでなく、実用としても役立つので、買い求めたいくらいだ。
2023年06月13日
若手が移住 漆生産倍に 岩手二戸
国内の漆生産量の7割以上を占める岩手県二戸市浄法寺地区が、県外から若手生産者を積極的に受け入れ、漆の増産で活気づいている。と6月6日の読売が(西口大地記者)伝えている。
同市の年間生産量は、文化庁が国産漆の利用促進を打ち出した2015年の0・82dから21年は1・67dと倍増した。国産全体でも15年の1・18dから21年は2・04dに伸び、国宝・重要文化財修復に必要な目標値2・2トンに迫る勢いになっている。
浄法寺漆は、世界遺産の中尊寺や金閣寺などの文化財修復に用いられ、漆器も高く評価されている。
国産漆は、戦後のプラスチックの普及や安価な外国産漆の輸入増加に伴い、需要が激減した。漆掻き職人も後継者不足に陥り、二戸市ではピーク時の1950年代には約300人いた職人が約10年前には20人程度まで減少した。
国宝や重要文化財の保存や修理に国産漆のみ使うという文化庁の後押しを受け、同市は16年度から地域おこし協力隊として漆掻き職人の募集を始めた。
今では10人の移住職人が活躍。
漆といえば、一般的には漆器ということになるが、自分の場合は語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、経を唱える代わりに吹く尺八に漆が使用されている。
興味関心がない向きに説明するのは難しいことだが、尺八は製管を仕事にしている人だけでなく、手先の器用な人は自分で作ってしまう人がいたりもする。
真竹を根っこの部分から掘り起こし、使用する長さに応じて、竹の節を抜き、指孔を表面に4か所、裏に1か所空ける。
この竹筒の中をきれいにした後、そこに漆を塗るのだ。
理由はよくわからないが、多分、腐食を防止するためではないかと思われる。
というわけで、毎日、吹いている尺八に漆が塗られているということで、結構漆には親近感がある。
ただし、直接触るわけではないのでかぶれる心配はない。
国宝や重要文化財の保存・修理といえば、歴史的事業だと言っても過言ではない。
言うまでもなく、国産漆のみ使うなんて当たり前のことである。
漆に限らないが、生産するに当たっては、樹木を育てることと、漆を掻く、樹液を採取する「漆掻き職人」の養成とやらなければならないことはいくらでもある。
先人の智慧は大したもので、自然界から、よくぞ漆をみつけ、使用することを思いついたものだ。
漆掻き職人といえば、陽があたる職業とは言えないだろうが、己の名前は残らずとも、国宝、文化財にはしっかり塗りこまれることになる。
敬意を表したい。
同市の年間生産量は、文化庁が国産漆の利用促進を打ち出した2015年の0・82dから21年は1・67dと倍増した。国産全体でも15年の1・18dから21年は2・04dに伸び、国宝・重要文化財修復に必要な目標値2・2トンに迫る勢いになっている。
浄法寺漆は、世界遺産の中尊寺や金閣寺などの文化財修復に用いられ、漆器も高く評価されている。
国産漆は、戦後のプラスチックの普及や安価な外国産漆の輸入増加に伴い、需要が激減した。漆掻き職人も後継者不足に陥り、二戸市ではピーク時の1950年代には約300人いた職人が約10年前には20人程度まで減少した。
国宝や重要文化財の保存や修理に国産漆のみ使うという文化庁の後押しを受け、同市は16年度から地域おこし協力隊として漆掻き職人の募集を始めた。
今では10人の移住職人が活躍。
漆といえば、一般的には漆器ということになるが、自分の場合は語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、経を唱える代わりに吹く尺八に漆が使用されている。
興味関心がない向きに説明するのは難しいことだが、尺八は製管を仕事にしている人だけでなく、手先の器用な人は自分で作ってしまう人がいたりもする。
真竹を根っこの部分から掘り起こし、使用する長さに応じて、竹の節を抜き、指孔を表面に4か所、裏に1か所空ける。
この竹筒の中をきれいにした後、そこに漆を塗るのだ。
理由はよくわからないが、多分、腐食を防止するためではないかと思われる。
というわけで、毎日、吹いている尺八に漆が塗られているということで、結構漆には親近感がある。
ただし、直接触るわけではないのでかぶれる心配はない。
国宝や重要文化財の保存・修理といえば、歴史的事業だと言っても過言ではない。
言うまでもなく、国産漆のみ使うなんて当たり前のことである。
漆に限らないが、生産するに当たっては、樹木を育てることと、漆を掻く、樹液を採取する「漆掻き職人」の養成とやらなければならないことはいくらでもある。
先人の智慧は大したもので、自然界から、よくぞ漆をみつけ、使用することを思いついたものだ。
漆掻き職人といえば、陽があたる職業とは言えないだろうが、己の名前は残らずとも、国宝、文化財にはしっかり塗りこまれることになる。
敬意を表したい。
2023年04月29日
別府竹細工
文化の紙面に「工芸の郷から」というタイトルで日本の伝統工芸品を紹介する読売。その4月26日は、別府竹細工である。(井上祐介記者)
わずか0・5_の薄さにまで加工された竹ひごを繊細に編み込んでいく別府竹細工は、竹ひご作りが製作過程で重要な役割を果たす。
用いるのは、丈夫で弾力性に富む特産の真竹だ。
編み方には、正方形や六角形など基本となる八つがあり、組み合わせによって200種類以上もの文様が表現できるという。
別府で竹細工が発展したのは江戸時代。温泉地として知られた別府には全国各地から湯治客が訪れるようになり、米とぎ用のざるといった生活用品の生産販売が盛んになった。
明治から昭和にかけ。職人の育成機関も誕生し、地場産業として定着すると、1979年には国の「伝統的工芸品」に指定された。
市内にある県立竹工芸品訓練センターでは、毎年10人前後の担い手を輩出していいる。
安価なプラスチック製品が家庭の雑貨、生活用品で普及しているが、脱プラスチック、脱炭素という時代を追い風に「手作りの自然素材ということで、現代人の生活に溶け込む新し竹製品を国内外に発信したい」と竹細工の工房「竹楓舎」を主宰する伝統工芸士の大谷健一さん。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で2012年5月、宇佐海軍航空隊基地跡を訪ねた時、同行してくれた家族へのサービスで湯布院に泊まった。
生憎の雨だったが、人気の観光地である湯布院でも、土産品には多数の竹細工があったので、大分は竹細工が盛んだということを知った。
湯布院から耶馬渓を通って宇佐までタクシーで行ってしまったので、交通費はかかったが、別府には行かれなかったのが心残りではある。
別府の竹細工が真竹を材料にしていると知り、真竹といえば、尺八も真竹を使っているということで親近感を抱いた。
新聞で知ったことだが、篠竹を使ったメカイという籠を首都圏でも作っているとか。
八王子に吸収合併された由木村辺りが盛んな土地だったらしい。
今は、開発されてしまったので、もう作っている人はいないかもしれない。
近所にも一人だけ、笊を作っていたおじさんがいたが、縁日で販売していたのを思い出した。
竹細工など手先を使う人に認知症になった人がいないことをもっと研究してもらい、認知症を減らすために手先を使う工芸、手芸などを社会教育でもっと学ぶ機会を増やせばボケ防止ができるのではないか。
脱炭素の時代に自然素材の竹を使うのは、脱プラスチックという点でも素晴らしい。
消費者もプラスチック製品ではなく、自然素材の製品を使うようにしていかなければならない。
わずか0・5_の薄さにまで加工された竹ひごを繊細に編み込んでいく別府竹細工は、竹ひご作りが製作過程で重要な役割を果たす。
用いるのは、丈夫で弾力性に富む特産の真竹だ。
編み方には、正方形や六角形など基本となる八つがあり、組み合わせによって200種類以上もの文様が表現できるという。
別府で竹細工が発展したのは江戸時代。温泉地として知られた別府には全国各地から湯治客が訪れるようになり、米とぎ用のざるといった生活用品の生産販売が盛んになった。
明治から昭和にかけ。職人の育成機関も誕生し、地場産業として定着すると、1979年には国の「伝統的工芸品」に指定された。
市内にある県立竹工芸品訓練センターでは、毎年10人前後の担い手を輩出していいる。
安価なプラスチック製品が家庭の雑貨、生活用品で普及しているが、脱プラスチック、脱炭素という時代を追い風に「手作りの自然素材ということで、現代人の生活に溶け込む新し竹製品を国内外に発信したい」と竹細工の工房「竹楓舎」を主宰する伝統工芸士の大谷健一さん。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で2012年5月、宇佐海軍航空隊基地跡を訪ねた時、同行してくれた家族へのサービスで湯布院に泊まった。
生憎の雨だったが、人気の観光地である湯布院でも、土産品には多数の竹細工があったので、大分は竹細工が盛んだということを知った。
湯布院から耶馬渓を通って宇佐までタクシーで行ってしまったので、交通費はかかったが、別府には行かれなかったのが心残りではある。
別府の竹細工が真竹を材料にしていると知り、真竹といえば、尺八も真竹を使っているということで親近感を抱いた。
新聞で知ったことだが、篠竹を使ったメカイという籠を首都圏でも作っているとか。
八王子に吸収合併された由木村辺りが盛んな土地だったらしい。
今は、開発されてしまったので、もう作っている人はいないかもしれない。
近所にも一人だけ、笊を作っていたおじさんがいたが、縁日で販売していたのを思い出した。
竹細工など手先を使う人に認知症になった人がいないことをもっと研究してもらい、認知症を減らすために手先を使う工芸、手芸などを社会教育でもっと学ぶ機会を増やせばボケ防止ができるのではないか。
脱炭素の時代に自然素材の竹を使うのは、脱プラスチックという点でも素晴らしい。
消費者もプラスチック製品ではなく、自然素材の製品を使うようにしていかなければならない。
2023年02月16日
螺鈿細工を現代に
「工芸の里から」という読売の連載、「ガラスに螺鈿細工 柔軟思考」という見出しで2022年10月26日に高岡漆器武蔵川工房の4代目、武蔵川剛嗣さん(41)のことを取り上げていた。
先の尖った棒で、細かなアワビ貝の薄片が十二角形のグラスの底に丁寧に貼り付けられて行くという工程で漆を塗ったグラスに螺鈿細工を施して仕上げるのだ。
同じ読売が2月5日の特別面紡ぐでは、伝統の文化「驚きの独創性 未来へ飛躍」という見出しで木工芸、陶芸、染織(江戸小紋)そして漆芸(螺鈿)を取り上げている。
前述の漆芸の螺鈿細工が富山の高岡なら、こちらは金沢市の池田晃将さん(35)で、高校時代世界遺産の修復でネパールの首都カトマンズを訪れ、街中にあふれる装飾に惹かれ、金沢美術工芸大学で漆芸に出会い、人ヲ引きつける不思議な色合いを表現できる螺鈿の道を選んだという。、
創意工夫として、レーザーを使い緻密な加工をしている。
高岡漆器は加賀前田家2代目前田利長の産業振興策として江戸初期に始まった。
木地、加飾、塗りと伝統的な分業体制を敷く。
1975年に伝統的工芸品として国の産地指定を受けたが、近年は販売額が減って、職人も減り、後継者不足も深刻な課題となっている。
武蔵川剛嗣さんは2004年に工房入りし、同じく螺鈿師の連れ合いとスマホのカバーなど若い人にも使ってもらえる製品を作ってきた。
普段使いできる螺鈿細工のアクセサリーなどをターゲットに売れる製品へと展開していこうとしている。
漆器に螺鈿の装飾を加えた製品は漆器だけの製品よりおしゃれだし、魅力があるとは思っていた。
作るのが大変だと思っていたが、ふだんわが家でも漆器を使う機会は少なくて、当然産地では需要と供給の関係から売り上げが厳しいことが予測される。
その点、スマホのカバーとか普段使いのアクセサリーなどで螺鈿細工があれば、お洒落に目ざとい人なら、買い求めてくれそうだ。
漆器といえば、漆を塗ったもので毎日、触っているものに尺八がある。
竹の節を抜いた中に漆を塗ってあるのだ。
先人の智慧で、漆は防虫とかいろいろな効果があるのだとか。
朝食が秋田の大館から取り寄せているロシア製の黒パンだから、牛乳はたくさん飲むが、みそ汁をもう何年も食していないため、汁椀も使っていない。
普通なら、汁椀こそは漆器ということになるはずだったが、伝統工芸品として応援したい気持ちはあっても現実はこの体たらくである。
プラスチック製品が好きではないので、箸とか買い求める機会があれば、螺鈿細工のものをみつけて買い求めていくようにしたい。
経済的に困っているわけではないので、伝統工芸品を心掛けて買い求め、使うことで、職人さんを応援したいとは考えている。
先の尖った棒で、細かなアワビ貝の薄片が十二角形のグラスの底に丁寧に貼り付けられて行くという工程で漆を塗ったグラスに螺鈿細工を施して仕上げるのだ。
同じ読売が2月5日の特別面紡ぐでは、伝統の文化「驚きの独創性 未来へ飛躍」という見出しで木工芸、陶芸、染織(江戸小紋)そして漆芸(螺鈿)を取り上げている。
前述の漆芸の螺鈿細工が富山の高岡なら、こちらは金沢市の池田晃将さん(35)で、高校時代世界遺産の修復でネパールの首都カトマンズを訪れ、街中にあふれる装飾に惹かれ、金沢美術工芸大学で漆芸に出会い、人ヲ引きつける不思議な色合いを表現できる螺鈿の道を選んだという。、
創意工夫として、レーザーを使い緻密な加工をしている。
高岡漆器は加賀前田家2代目前田利長の産業振興策として江戸初期に始まった。
木地、加飾、塗りと伝統的な分業体制を敷く。
1975年に伝統的工芸品として国の産地指定を受けたが、近年は販売額が減って、職人も減り、後継者不足も深刻な課題となっている。
武蔵川剛嗣さんは2004年に工房入りし、同じく螺鈿師の連れ合いとスマホのカバーなど若い人にも使ってもらえる製品を作ってきた。
普段使いできる螺鈿細工のアクセサリーなどをターゲットに売れる製品へと展開していこうとしている。
漆器に螺鈿の装飾を加えた製品は漆器だけの製品よりおしゃれだし、魅力があるとは思っていた。
作るのが大変だと思っていたが、ふだんわが家でも漆器を使う機会は少なくて、当然産地では需要と供給の関係から売り上げが厳しいことが予測される。
その点、スマホのカバーとか普段使いのアクセサリーなどで螺鈿細工があれば、お洒落に目ざとい人なら、買い求めてくれそうだ。
漆器といえば、漆を塗ったもので毎日、触っているものに尺八がある。
竹の節を抜いた中に漆を塗ってあるのだ。
先人の智慧で、漆は防虫とかいろいろな効果があるのだとか。
朝食が秋田の大館から取り寄せているロシア製の黒パンだから、牛乳はたくさん飲むが、みそ汁をもう何年も食していないため、汁椀も使っていない。
普通なら、汁椀こそは漆器ということになるはずだったが、伝統工芸品として応援したい気持ちはあっても現実はこの体たらくである。
プラスチック製品が好きではないので、箸とか買い求める機会があれば、螺鈿細工のものをみつけて買い求めていくようにしたい。
経済的に困っているわけではないので、伝統工芸品を心掛けて買い求め、使うことで、職人さんを応援したいとは考えている。
2023年02月06日
器 文字とともに持つ人の思いを運ぶ
江戸時代から続く金沢の茶陶、大樋焼の11代目でデザイナーでもある大樋長左衛門(年雄)さん(64)と日本文学研究者のロバート・キャンベルさん(65)がそれぞれ自身の専門を踏まえた『うつわの哲学』と『よむうつわ』を淡交社から刊行した。ということで器と文学、分野の違いを超える伝統文化の魅力を1月25日の読売が文化の紙面で(竹内和佳子記者)聞いている。
大樋さんはボストン大学大学院修士課程修了ということで、米国留学で陶芸の勉強をし、キャンベルさんは日本文学を研究する一方で東京大学他で日本の学生に教えていたという経歴で、興味を惹かれた。
「器の作り手に思いはせて」「見方に共通点 作られた時代に遡って」「触って気づく 文字とともに運ばれて」という見出しで伝えてくれたのは、「日本文化ではものを大切にすることがつながっている。器も大切に使われてきたからこそ次世代も大切に使う。その積み重ねが箱書きになる。日本人の美徳が文化を作ってきたと言える。陶芸に必要と感じるのは、時代に合わせた表現と発信だ」と大樋さん。
「日本の器は文字に囲まれている。器を収める箱には由来などを記した箱書きがある。日本語は万葉、平安の時代から文字を使い、ものを伝えてきた。器は文字とともに、持つ人の思いを運んできた。器物と文字が響き合っている」とキャンベルさん。
日本人であり、日本の伝統文化、伝統工芸が大好きで、直接的には関係ないが伝統芸能の尺八を吹き、最近では、古希を過ぎていながら、津軽三味線も習い始めてしまった自分から見れば、異国で育った人たちに日本の伝統文化を教えていただく時代、教えていただく立場になって、何だか、恥ずかしいような嬉しいような複雑な気持ちである。
尺八も古典本曲と呼ばれる精神性と深く結びついたジャンルの曲が外国では喜ばれると耳にしたことがあるくらい、日本人より追求するものは奥が深い。
陶芸は若い頃、少し習ったことがあって、陶芸家と言っても、国家試験があるわけではないので、名の知れた陶芸家の子どもはともかく、アマチュアとプロの垣根はそれほど高いようには思わない。
まあ、陶芸だけで食べている人をプロと呼ぶなら、陶芸教室などでの収入を別にすれば、かなり少数ではないかとみている。
大樋焼のことは詳しいことは知らなかったが、感心したのは米国に留学して、陶芸を勉強したという11代目の家元で、当然、「時代に合わせた表現と発信だ」と陶芸に必要な心得を語っているのは印象的である・
米国に留学してこそ、今の時代というものを強く意識するようになったのではないか。
「器を触ってこそ、作っているときの感触を味わえる」というのはキャンベルさんだが、美術館などに展示されている器は簡単に触らせてもらえるようなものではないし、陶芸の工房でも、そんなに簡単に触らせてもらえるとは限らないが、確かに触ると触らないでは意識が異なることだけは確かだろう。
その世界のトップランナーの発言だから、なんとなく理解はできるが、もっと理解を深めるにはいろいろな器を知る必要がありそうだ。
大樋さんはボストン大学大学院修士課程修了ということで、米国留学で陶芸の勉強をし、キャンベルさんは日本文学を研究する一方で東京大学他で日本の学生に教えていたという経歴で、興味を惹かれた。
「器の作り手に思いはせて」「見方に共通点 作られた時代に遡って」「触って気づく 文字とともに運ばれて」という見出しで伝えてくれたのは、「日本文化ではものを大切にすることがつながっている。器も大切に使われてきたからこそ次世代も大切に使う。その積み重ねが箱書きになる。日本人の美徳が文化を作ってきたと言える。陶芸に必要と感じるのは、時代に合わせた表現と発信だ」と大樋さん。
「日本の器は文字に囲まれている。器を収める箱には由来などを記した箱書きがある。日本語は万葉、平安の時代から文字を使い、ものを伝えてきた。器は文字とともに、持つ人の思いを運んできた。器物と文字が響き合っている」とキャンベルさん。
日本人であり、日本の伝統文化、伝統工芸が大好きで、直接的には関係ないが伝統芸能の尺八を吹き、最近では、古希を過ぎていながら、津軽三味線も習い始めてしまった自分から見れば、異国で育った人たちに日本の伝統文化を教えていただく時代、教えていただく立場になって、何だか、恥ずかしいような嬉しいような複雑な気持ちである。
尺八も古典本曲と呼ばれる精神性と深く結びついたジャンルの曲が外国では喜ばれると耳にしたことがあるくらい、日本人より追求するものは奥が深い。
陶芸は若い頃、少し習ったことがあって、陶芸家と言っても、国家試験があるわけではないので、名の知れた陶芸家の子どもはともかく、アマチュアとプロの垣根はそれほど高いようには思わない。
まあ、陶芸だけで食べている人をプロと呼ぶなら、陶芸教室などでの収入を別にすれば、かなり少数ではないかとみている。
大樋焼のことは詳しいことは知らなかったが、感心したのは米国に留学して、陶芸を勉強したという11代目の家元で、当然、「時代に合わせた表現と発信だ」と陶芸に必要な心得を語っているのは印象的である・
米国に留学してこそ、今の時代というものを強く意識するようになったのではないか。
「器を触ってこそ、作っているときの感触を味わえる」というのはキャンベルさんだが、美術館などに展示されている器は簡単に触らせてもらえるようなものではないし、陶芸の工房でも、そんなに簡単に触らせてもらえるとは限らないが、確かに触ると触らないでは意識が異なることだけは確かだろう。
その世界のトップランナーの発言だから、なんとなく理解はできるが、もっと理解を深めるにはいろいろな器を知る必要がありそうだ。
2023年01月10日
女性宮大工の道に挑む深田美穂さん
1月から始まった読売社会面の連載「今もどこかで」5⃣伝統建築を守る、1月7日の紙面に登場したのは女性宮大工深田美穂さん(36)。
社寺の建築を手がける「建部」(滋賀県長浜市)の宮大工である。
24歳で転職先として、ハローワークで宮大工「建部」社長 建部清晶さん(55)の面接を受けたのは2011年、渋る社長を説得し、3か月続いたらという条件付きで採用された。
7年で棟梁になり、あれから12年、今では社長に次ぐ古参の宮大工として働く。
「設計から建築まで全て自分でてがけ、後世に残る建物をこの手で」というのが夢だそうな。
紙面には笑顔で働く深田美穂さんと手がけた来入寺の鐘楼が写真で紹介されている。
金沢市立工業高校建築科に幼い頃の夢に大きく近づこうとしている生徒がいる。三年の津田彩愛さん(18)。2022年4月から岐阜県関市の建築会社に就職し、宮大工としての一歩を踏み出す。津田さんは「宮大工というと男性が中心だと思う。立派な宮大工となって、後に続く女の子が増えたら」と話す。2021年12月15日の中日新聞(小川祥記者)が伝えていた。
男も女も同じ人間だから、男にできて女にはできないなどということはない。
あるのは男と女の躰の仕組みの違いによるものだけだ。
それでも、藤井五冠で話題の将棋など一部ではまだまだ男の方が優勢という分野があることもまた事実で、宮大工もその典型であろう。
しかし、滋賀県長浜市で宮大工として棟梁になった深田美穂さんの頑張りで、津田彩愛さんのような若い人が後に続くということで嬉しいことである。
日本の伝統建築、中でも神社仏閣は所謂宮大工と呼ばれる腕の佳い大工でなければ建築できない。
その宮大工は昔なら女性が担うことなど考えられなかったにちがいない。
しかし、これからの日本は少子化で、かつ厳しい修行を経て1人前と言われるような宮大工になろうとする人は少ないだろう。
そうなれば、女性の宮大工が求められるのも必然のことではないか。
宮大工建部社長は「伝統建築を守るのに男も女も関係ない。それを彼女が体現してくれた」と細部にまでこだわり、根気強く仕事に取り組む姿勢を買っている。
何と言っても手に職である。
修業は厳しいが一人前になれば、食べることには困ることはないのが宮大工だ。
社寺の建築を手がける「建部」(滋賀県長浜市)の宮大工である。
24歳で転職先として、ハローワークで宮大工「建部」社長 建部清晶さん(55)の面接を受けたのは2011年、渋る社長を説得し、3か月続いたらという条件付きで採用された。
7年で棟梁になり、あれから12年、今では社長に次ぐ古参の宮大工として働く。
「設計から建築まで全て自分でてがけ、後世に残る建物をこの手で」というのが夢だそうな。
紙面には笑顔で働く深田美穂さんと手がけた来入寺の鐘楼が写真で紹介されている。
金沢市立工業高校建築科に幼い頃の夢に大きく近づこうとしている生徒がいる。三年の津田彩愛さん(18)。2022年4月から岐阜県関市の建築会社に就職し、宮大工としての一歩を踏み出す。津田さんは「宮大工というと男性が中心だと思う。立派な宮大工となって、後に続く女の子が増えたら」と話す。2021年12月15日の中日新聞(小川祥記者)が伝えていた。
男も女も同じ人間だから、男にできて女にはできないなどということはない。
あるのは男と女の躰の仕組みの違いによるものだけだ。
それでも、藤井五冠で話題の将棋など一部ではまだまだ男の方が優勢という分野があることもまた事実で、宮大工もその典型であろう。
しかし、滋賀県長浜市で宮大工として棟梁になった深田美穂さんの頑張りで、津田彩愛さんのような若い人が後に続くということで嬉しいことである。
日本の伝統建築、中でも神社仏閣は所謂宮大工と呼ばれる腕の佳い大工でなければ建築できない。
その宮大工は昔なら女性が担うことなど考えられなかったにちがいない。
しかし、これからの日本は少子化で、かつ厳しい修行を経て1人前と言われるような宮大工になろうとする人は少ないだろう。
そうなれば、女性の宮大工が求められるのも必然のことではないか。
宮大工建部社長は「伝統建築を守るのに男も女も関係ない。それを彼女が体現してくれた」と細部にまでこだわり、根気強く仕事に取り組む姿勢を買っている。
何と言っても手に職である。
修業は厳しいが一人前になれば、食べることには困ることはないのが宮大工だ。
2022年11月30日
文化遺産の保存・継承に貢献 補修紙など
文化遺産の保存・継承に大きく貢献した個人や団体を顕彰する「第16回読売あをによし賞」の表彰式が3日、大阪市のリーガロイヤルホテルで開かれた。
本賞は、文化財修理に使われる「補修紙」を製作する江渕 栄貫さん(74)(高知県土佐市)が受賞。
奨励賞は、伝統的な手法で 錺 金具を製作する松田 聖さん(61)(京都市)、特別賞は、木彫刻の技術を伝承して文化財修復に生かす井波彫刻協同組合(富山県南砺市)に贈られた。と11月4日の読売が伝えている。
読売が主催する「あをによし賞」受賞に関して、詳しいことを10月3日の読売が文化の紙面で伝えていた。
鴨長明『方丈記』ではないが、わが家は分家で、3代目の自分の代で没落ということを日々実感しながら暮らす。
本家はNHK「ファミリーヒストリー」で取り上げてもらいたいくらいの歴史がある。ご先祖が阿闍梨だとものの本に書いてあるくらいだから出鱈目を書いているわけではない。
没落というのは栄耀栄華があって、初めて成立するから、没落というのは大袈裟だという向きもあるかもしれない。
それでも、本家から独立した祖父は塩、酒、たばこ、みそ、しょうゆなどを販売する店を開いていたことは間違いない。
ここからは推測だが、こんなことでコツコツカネを貯め、そのカネを貸すことで利ザヤでも稼いでいたのかもしれない。
ときは昭和の初めの頃で、稼いだカネをつぎ込んで店とは別に離れ家と土蔵に築山のある庭に鯉が泳ぐ大きな池をつくったらしいのである。
というのは、子どもがいなかった祖父にはそのくらいしか楽しみがなかったのであろう。
祖父は本家から事実上の養女として自分の母親を迎え、戦争から帰ってきた父親を養子にしたというのだ。
戦後、間もなく亡くなった祖父。祖父が大事にしていた池が壊れたのはいつ頃だったか不明なれど、子どもの頃、毎年、寒い時季に植木屋が庭木の手入れに来ていたことを覚えている。しかし、この樹木たちも松、もみじ、梅、伽羅とどんどん枯れていく。
さて、文化遺産の保存・継承についてであった。
あをによし賞第16回で大賞を受賞された補修紙の手すき和紙を制作している江渕栄貫さん、奨励賞の「錺金具」の松田聖さん、特別賞で、欄間彫刻を手がける井波彫刻協同組合の皆さんにエールを送りたくて書いている。
というのは、祖父が腕が佳いと言われていた近所の大工に頼んで建築した離れ家に子どもの頃住んでいたことがあり、床の間に掛かっている掛け軸、ふすまの引手の錺金具、欄間の彫り物などが身近にある暮らしをしていたからだ。
国の文化財とはくらぶべくもないが、現在、住んでいる1983年ごろ新築した家には欄間も間仕切りのふすまもないので、築90年くらい経って現在残っているだけで価値がありそうな気がするからだ。
というようなわけで、補修紙としての手漉き和紙、錺金具、木彫刻の職人さんには敬意を表しないわけにはいかない。
文化遺産の保存、継承には、ありとあらゆる日本文化に関する職人の技が欠かせない。
職人といえば、どこの世界でも後継者が課題となっているが、高知県土佐市で補修紙を制作している江渕さんには、紙漉きのために高知へUターンした吉田裕子さん(44)がいて、技を伝承しているとのことで、この点も嬉しくなるニュースだ。
件の築90年くらいの離れ家の天井にハクビシンが入り込み、困り抜いた結果、日本瓦の屋根をふき替えてもらい、天井のチェックと清掃をしてもらい28日に終わった。
ただし、ハクビシンのことだから、油断ならず、しばらくは様子をみていかなければならない。
古い物にそれなりの価値があることはわかるが、維持していくのは本当に大変なことなのだ。
本賞は、文化財修理に使われる「補修紙」を製作する江渕 栄貫さん(74)(高知県土佐市)が受賞。
奨励賞は、伝統的な手法で 錺 金具を製作する松田 聖さん(61)(京都市)、特別賞は、木彫刻の技術を伝承して文化財修復に生かす井波彫刻協同組合(富山県南砺市)に贈られた。と11月4日の読売が伝えている。
読売が主催する「あをによし賞」受賞に関して、詳しいことを10月3日の読売が文化の紙面で伝えていた。
鴨長明『方丈記』ではないが、わが家は分家で、3代目の自分の代で没落ということを日々実感しながら暮らす。
本家はNHK「ファミリーヒストリー」で取り上げてもらいたいくらいの歴史がある。ご先祖が阿闍梨だとものの本に書いてあるくらいだから出鱈目を書いているわけではない。
没落というのは栄耀栄華があって、初めて成立するから、没落というのは大袈裟だという向きもあるかもしれない。
それでも、本家から独立した祖父は塩、酒、たばこ、みそ、しょうゆなどを販売する店を開いていたことは間違いない。
ここからは推測だが、こんなことでコツコツカネを貯め、そのカネを貸すことで利ザヤでも稼いでいたのかもしれない。
ときは昭和の初めの頃で、稼いだカネをつぎ込んで店とは別に離れ家と土蔵に築山のある庭に鯉が泳ぐ大きな池をつくったらしいのである。
というのは、子どもがいなかった祖父にはそのくらいしか楽しみがなかったのであろう。
祖父は本家から事実上の養女として自分の母親を迎え、戦争から帰ってきた父親を養子にしたというのだ。
戦後、間もなく亡くなった祖父。祖父が大事にしていた池が壊れたのはいつ頃だったか不明なれど、子どもの頃、毎年、寒い時季に植木屋が庭木の手入れに来ていたことを覚えている。しかし、この樹木たちも松、もみじ、梅、伽羅とどんどん枯れていく。
さて、文化遺産の保存・継承についてであった。
あをによし賞第16回で大賞を受賞された補修紙の手すき和紙を制作している江渕栄貫さん、奨励賞の「錺金具」の松田聖さん、特別賞で、欄間彫刻を手がける井波彫刻協同組合の皆さんにエールを送りたくて書いている。
というのは、祖父が腕が佳いと言われていた近所の大工に頼んで建築した離れ家に子どもの頃住んでいたことがあり、床の間に掛かっている掛け軸、ふすまの引手の錺金具、欄間の彫り物などが身近にある暮らしをしていたからだ。
国の文化財とはくらぶべくもないが、現在、住んでいる1983年ごろ新築した家には欄間も間仕切りのふすまもないので、築90年くらい経って現在残っているだけで価値がありそうな気がするからだ。
というようなわけで、補修紙としての手漉き和紙、錺金具、木彫刻の職人さんには敬意を表しないわけにはいかない。
文化遺産の保存、継承には、ありとあらゆる日本文化に関する職人の技が欠かせない。
職人といえば、どこの世界でも後継者が課題となっているが、高知県土佐市で補修紙を制作している江渕さんには、紙漉きのために高知へUターンした吉田裕子さん(44)がいて、技を伝承しているとのことで、この点も嬉しくなるニュースだ。
件の築90年くらいの離れ家の天井にハクビシンが入り込み、困り抜いた結果、日本瓦の屋根をふき替えてもらい、天井のチェックと清掃をしてもらい28日に終わった。
ただし、ハクビシンのことだから、油断ならず、しばらくは様子をみていかなければならない。
古い物にそれなりの価値があることはわかるが、維持していくのは本当に大変なことなのだ。
2022年11月11日
伝統工芸 国際分業と高度な技術 流出の懸念
漆芸や陶芸など、日本の伝統工芸が海外でも高い評価を受ける中、技術の学び場も外国人に注目されている。と10月18日の読売が「伝統文化」のタイトルで伝えている。
竹内和佳子記者によれば、中国人留学生が各地で学び、工芸産業の国際分業も進むが、一方で、デザインや高度な技術の流出の懸念もあり、利害が相反する状況となっているという。
漆芸の次世代の重要無形文化財保持者を育成する石川県輪島市の県立輪島漆芸技術研修所では今夏、沈金の人間国宝山岸一男主任講師(68)の普通研修過程の授業を2人の中国人女性を含む4人の研修生が受講していた。
同研修所は文化財保護法による人間国宝の技術伝承者養成などを目的に、1967年に開設された。
3年制の普通研修過程は入学金、授業料ともに不要で、9人の人間国宝が主任講師を務める。2022年は2150万円の国庫補助を受けており、研修生は教材費など最小限の自己負担で学べる。
中国人研修生が研修後、帰国し、作家になるケースが一般化している。一方で、日本の工芸産業は後継者不足で分業が成り立たなくなった産地が、人件費が安い中国の産地にほとんどの工程を発注し、技術指導している現状もある。
語り継ぐ戦争戦没者慰霊のための行脚を始めたとき、まず、知覧の特攻隊平和会館を訪ね、隣接している知覧特攻平和観音堂内で、責任者の許可を得て、経を読む代わりに尺八を吹いた。
その後、薩摩焼の沈壽官窯を訪ねた。
司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』(文春文庫)を読んでいる影響からである。
ご先祖は無理やり朝鮮半島から連れてこられたわけで、中国人が日本で研修を受け、帰国後作家になってもとやくいえることではない。
日本人が後継者になるような日本の文化を大事にする教育をしてこなかったことにそもそも問題があるのではないか。
国費を投入して、学ぶのが中国人というのでは日本の政府や自治体は何を考えているのかと批判されることはあるが、日本人の後継者が育たない原因を究明し、改善していかなければならない。
新潟県は十日町の竹所で古民家の保存と活用に取り組むドイツ人カール・ベンクスさんを筆頭に日本文化を理解し、伝統工芸品などに関しても発信している外国人は少なくない。
同じ人間だから、中国人や韓国人否欧米の人も含めて外国人が伝統工芸に携わるのは大いに結構なことではないか。
日本人の後継者がいないなら、外国人に後継者になってもらえばいい。
伝統工芸品の産地では、何故、後継者不足になるか考えていないのではないか。
仕事に魅力があっても食べていかれなければ、仕事としてその職に就くことはできない。
伝統工芸品が売れないわけがない。世界にはカネ持ちはいくらでもいる。
そのカネ持ちが欲しがるようなもの、広告、宣伝、販路などトータルで取り組む必要がある。
一つの産地だけでの努力には限りがあるので、オールジャパンで取り組まないと難しいかも。
とにかく、日本の文化、伝統工芸品などを絶えさせてはならない。
竹内和佳子記者によれば、中国人留学生が各地で学び、工芸産業の国際分業も進むが、一方で、デザインや高度な技術の流出の懸念もあり、利害が相反する状況となっているという。
漆芸の次世代の重要無形文化財保持者を育成する石川県輪島市の県立輪島漆芸技術研修所では今夏、沈金の人間国宝山岸一男主任講師(68)の普通研修過程の授業を2人の中国人女性を含む4人の研修生が受講していた。
同研修所は文化財保護法による人間国宝の技術伝承者養成などを目的に、1967年に開設された。
3年制の普通研修過程は入学金、授業料ともに不要で、9人の人間国宝が主任講師を務める。2022年は2150万円の国庫補助を受けており、研修生は教材費など最小限の自己負担で学べる。
中国人研修生が研修後、帰国し、作家になるケースが一般化している。一方で、日本の工芸産業は後継者不足で分業が成り立たなくなった産地が、人件費が安い中国の産地にほとんどの工程を発注し、技術指導している現状もある。
語り継ぐ戦争戦没者慰霊のための行脚を始めたとき、まず、知覧の特攻隊平和会館を訪ね、隣接している知覧特攻平和観音堂内で、責任者の許可を得て、経を読む代わりに尺八を吹いた。
その後、薩摩焼の沈壽官窯を訪ねた。
司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』(文春文庫)を読んでいる影響からである。
ご先祖は無理やり朝鮮半島から連れてこられたわけで、中国人が日本で研修を受け、帰国後作家になってもとやくいえることではない。
日本人が後継者になるような日本の文化を大事にする教育をしてこなかったことにそもそも問題があるのではないか。
国費を投入して、学ぶのが中国人というのでは日本の政府や自治体は何を考えているのかと批判されることはあるが、日本人の後継者が育たない原因を究明し、改善していかなければならない。
新潟県は十日町の竹所で古民家の保存と活用に取り組むドイツ人カール・ベンクスさんを筆頭に日本文化を理解し、伝統工芸品などに関しても発信している外国人は少なくない。
同じ人間だから、中国人や韓国人否欧米の人も含めて外国人が伝統工芸に携わるのは大いに結構なことではないか。
日本人の後継者がいないなら、外国人に後継者になってもらえばいい。
伝統工芸品の産地では、何故、後継者不足になるか考えていないのではないか。
仕事に魅力があっても食べていかれなければ、仕事としてその職に就くことはできない。
伝統工芸品が売れないわけがない。世界にはカネ持ちはいくらでもいる。
そのカネ持ちが欲しがるようなもの、広告、宣伝、販路などトータルで取り組む必要がある。
一つの産地だけでの努力には限りがあるので、オールジャパンで取り組まないと難しいかも。
とにかく、日本の文化、伝統工芸品などを絶えさせてはならない。
2022年10月14日
日本文化の根底には「無常観」
文化庁、宮内庁と読売新聞社による「日本美を守り伝える『紡ぐプロジェクト』−皇室の至宝・国宝プロジェクトー」協賛企業からの協力を得て、2019年度からの文化財修理の助成を続けている。
このことに関連して10月1日の紙面で「伝統文化」と題し、京都仁和寺の茶室「遼廓亭」で社会思想家佐伯啓思さんに伝統文化について文化部の前田啓介記者が訊いている。
その内容が日本大好き、日本の伝統文化大好きという自分の心に響いたので書いておく。
紙面には「染司よしおか」6代目吉岡更紗さんと美術ライターでNHKマイあさラジオ日曜日の美術館散歩の橋本麻里さんが対談していて、こちらも伝統文化に関心があれば大いに参考になる。
日本の伝統文化ということで、茶室を訪れた佐伯さんは茶道の茶碗を例に完璧なものを求めないという考え方には日本人の精神性が表れている。
鴨長明の『方丈記』の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」この精神性をもっとも端的に言い表している。
一言でいえば、「無常」ということ。万物は生々流転し、常なるものはない。全ては生成し、変形し、滅ぶ。この変化は永遠に繰り返され、個体は大きな流れに浮かぶあぶくのごとく現れては消えていく。
こういう無常感が日本文化の根底にはある。
海、川、山やあらゆる生物は全てお互いにつながっている。人間の知恵なども超えて、もっと大きなものに動かされている。そういう感覚が日本人の自然観や死生観を作ってきた。
それはまた、我々の生きているこの世界は、死後世界と完全に切り離されているわけではなく、どこかでつながっているという考えにも表れている。
精神性を大切にする日本文化では、形あるものを通して、その向こう側に形のない精神的なものを見ようとした。
形あるもの、例えば器なら、その背後にあるそれを生み出してきた文化的背景、日常生活、人々の思いなどに思いをはせる。
佐伯さんの話の概要は以上で、自分が思っていることと変わりはしないが、自分ではこんなにわかりやすく説明できない。
わが家に手作りで未完成かつ歌口(息を吹き込むところ)が壊れた尺八があり、遊び半分で吹いていたら少し音が鳴ったので、興味が湧いて、通信教育の尺八講座に申し込みしたが、全くダメで、教えてくれる人を探したのは20代の最後だった。
あれから、40年有余の年数が経ち、その間プロの指導者のレッスンを受け、お陰で語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で経を唱える代わりに尺八を吹くということを10年くらい続けてこられたが、コロナ禍でどこにもでかけられなくなってしまった。
尺八では箏や三絃との合奏は楽しいが、虚無僧が吹いてきたという古典本曲を演奏する横山勝也師のカセットやCDを聴いて自分も吹いてみたくなった。
何故、尺八のことを書くのかといえば、尺八の古典本曲こそは佐伯さんが語ってくれた「無常観」と言いうか精神性を大切にすることを体感できたからである。
日本の尺八演奏家が欧州で一番受けるのは袴をつけ、古典本曲を演奏するときだと耳にしたことがある。
ヨーロッパの人は、日本文化が持つその精神性にとっくに気づいていて、日本人よりもっと受け入れてくれるらしい。
TVでも、英国からやってきて、京都は大原に住むベニシアさんが日本人が忘れかけている日本の伝統文化と暮らしを再現というか教えてくれている。
新潟は十日町の竹所ではドイツ人のカール・ベンクスさんが古民家のよいところに水回りや暖房など暮らしやすさを追求した利便性をプラスした住宅を移築というか建てている。
『方丈記』では住宅についても取り上げていて、昔からの家がそのまま残っているということは非常に少ない。と言っている。
首都圏の田舎町に生まれ育ったが、この街でも昔の街道に面した住宅のうち既に数軒がしくじりがあったか、理由は不明なれど、夜逃げ同然に転居したり、売却して引っ越していった。
その跡地には、建売住宅が所狭しと立ち並ぶ。
生まれてきて、必ず死ぬことになっている摂理に逆らうことなどできはしないように形あるものは壊れるということはとても大事な教えで、完璧なものを求めないという精神性は先人の智慧だと感心する。
ネットで他人を誹謗中傷する輩、クレーマー、トラブルメーカーみたいな輩はいつの時代にもいるとしても、自分で自分の首を絞めているだけで、そういう輩のせいで余計住みにくい社会になってしまう。
もう一度、八百万の神が住む寛容な日本文化が見直されるときが必ずやってくるはずだ。
このことに関連して10月1日の紙面で「伝統文化」と題し、京都仁和寺の茶室「遼廓亭」で社会思想家佐伯啓思さんに伝統文化について文化部の前田啓介記者が訊いている。
その内容が日本大好き、日本の伝統文化大好きという自分の心に響いたので書いておく。
紙面には「染司よしおか」6代目吉岡更紗さんと美術ライターでNHKマイあさラジオ日曜日の美術館散歩の橋本麻里さんが対談していて、こちらも伝統文化に関心があれば大いに参考になる。
日本の伝統文化ということで、茶室を訪れた佐伯さんは茶道の茶碗を例に完璧なものを求めないという考え方には日本人の精神性が表れている。
鴨長明の『方丈記』の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」この精神性をもっとも端的に言い表している。
一言でいえば、「無常」ということ。万物は生々流転し、常なるものはない。全ては生成し、変形し、滅ぶ。この変化は永遠に繰り返され、個体は大きな流れに浮かぶあぶくのごとく現れては消えていく。
こういう無常感が日本文化の根底にはある。
海、川、山やあらゆる生物は全てお互いにつながっている。人間の知恵なども超えて、もっと大きなものに動かされている。そういう感覚が日本人の自然観や死生観を作ってきた。
それはまた、我々の生きているこの世界は、死後世界と完全に切り離されているわけではなく、どこかでつながっているという考えにも表れている。
精神性を大切にする日本文化では、形あるものを通して、その向こう側に形のない精神的なものを見ようとした。
形あるもの、例えば器なら、その背後にあるそれを生み出してきた文化的背景、日常生活、人々の思いなどに思いをはせる。
佐伯さんの話の概要は以上で、自分が思っていることと変わりはしないが、自分ではこんなにわかりやすく説明できない。
わが家に手作りで未完成かつ歌口(息を吹き込むところ)が壊れた尺八があり、遊び半分で吹いていたら少し音が鳴ったので、興味が湧いて、通信教育の尺八講座に申し込みしたが、全くダメで、教えてくれる人を探したのは20代の最後だった。
あれから、40年有余の年数が経ち、その間プロの指導者のレッスンを受け、お陰で語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で経を唱える代わりに尺八を吹くということを10年くらい続けてこられたが、コロナ禍でどこにもでかけられなくなってしまった。
尺八では箏や三絃との合奏は楽しいが、虚無僧が吹いてきたという古典本曲を演奏する横山勝也師のカセットやCDを聴いて自分も吹いてみたくなった。
何故、尺八のことを書くのかといえば、尺八の古典本曲こそは佐伯さんが語ってくれた「無常観」と言いうか精神性を大切にすることを体感できたからである。
日本の尺八演奏家が欧州で一番受けるのは袴をつけ、古典本曲を演奏するときだと耳にしたことがある。
ヨーロッパの人は、日本文化が持つその精神性にとっくに気づいていて、日本人よりもっと受け入れてくれるらしい。
TVでも、英国からやってきて、京都は大原に住むベニシアさんが日本人が忘れかけている日本の伝統文化と暮らしを再現というか教えてくれている。
新潟は十日町の竹所ではドイツ人のカール・ベンクスさんが古民家のよいところに水回りや暖房など暮らしやすさを追求した利便性をプラスした住宅を移築というか建てている。
『方丈記』では住宅についても取り上げていて、昔からの家がそのまま残っているということは非常に少ない。と言っている。
首都圏の田舎町に生まれ育ったが、この街でも昔の街道に面した住宅のうち既に数軒がしくじりがあったか、理由は不明なれど、夜逃げ同然に転居したり、売却して引っ越していった。
その跡地には、建売住宅が所狭しと立ち並ぶ。
生まれてきて、必ず死ぬことになっている摂理に逆らうことなどできはしないように形あるものは壊れるということはとても大事な教えで、完璧なものを求めないという精神性は先人の智慧だと感心する。
ネットで他人を誹謗中傷する輩、クレーマー、トラブルメーカーみたいな輩はいつの時代にもいるとしても、自分で自分の首を絞めているだけで、そういう輩のせいで余計住みにくい社会になってしまう。
もう一度、八百万の神が住む寛容な日本文化が見直されるときが必ずやってくるはずだ。
2022年07月03日
瞽女
書くつもりでいたが遅くなってしまった。
「邦楽ジャーナル」を定期購読しているが、その2022年4月号で「瞽女」を特集していた。
1977年に公開された水上勉原作、篠田正浩監督、岩下志麻主演『はなれ瞽女おりん』を観て、瞽女のことを知った。
CD「最後の瞽女小林ハル96歳の絶唱」が静かに売れ続けているので、製作者の川野楠己にその思いを語ってもらうというのが邦楽ジャーナルが取り上げた理由のようである。
目が不自由という障害を持ったがために、平等に生きられなかった時代に、卓越した三味線藝を身につけて職業的に自立し、独自の社会を構築した瞽女。
彼女たちが残した大きな遺産に民謡の伝播者であったことがあげられるという。
女性だけの集団であったために師匠を頂点に厳しい掟がある。
何より厳しいのは異性関係で、過ちを犯すと追放される。結婚は許されず、そのためには瞽女を廃業しなければならない。
明治時代、全国から新潟県に集まり、長岡瞽女400人と高田瞽女80人が残った。
小林ハルさんは長岡系で高田には杉本キクイとシズという名の知られた二人がいた。
わが家に斎藤真一画伯が描いた瞽女の版画があって、寝室に飾ってある。
2022年は斎藤真一生誕100年だ。
連れ合いの両親が越後は中頸城郡妙高村の出身で、先年亡くなった義母は子どもの頃、やってきた瞽女の歌を聴いたことがあると言っていた。
斎藤真一さんの版画を写メで連れ合いに送って貰ったら、大変喜んだそうな。
邦楽ジャーナルで、過去取り上げられた尺八演奏家に小濱明人さんがいて、彼は、四国の出身だからか、歩き遍路で野宿し、それぞれの寺で尺八を吹き、結願したと書いてあった。
その彼がソロライブで共演した瞽女歌の伝承者月岡祐紀子さんもまた遍路の本を読んでいたら、遍路で出会った人として紹介されていたので、結願まで行ったかどうか知らないが、歩き遍路をしていたらしい。
瞽女は少しでも見える人が先頭に立ち、後ろは捕まって集団で歩くということで、遍路との共通項があるのかと思った。
映画では、確か掟を破ってしまったがために、互いに助け合う群れから追放され、はなれ瞽女となったおりんのことを描いていたと記憶する。
これだけでは、書き足りないので、もう一度書かなければいけないだろう。
「邦楽ジャーナル」を定期購読しているが、その2022年4月号で「瞽女」を特集していた。
1977年に公開された水上勉原作、篠田正浩監督、岩下志麻主演『はなれ瞽女おりん』を観て、瞽女のことを知った。
CD「最後の瞽女小林ハル96歳の絶唱」が静かに売れ続けているので、製作者の川野楠己にその思いを語ってもらうというのが邦楽ジャーナルが取り上げた理由のようである。
目が不自由という障害を持ったがために、平等に生きられなかった時代に、卓越した三味線藝を身につけて職業的に自立し、独自の社会を構築した瞽女。
彼女たちが残した大きな遺産に民謡の伝播者であったことがあげられるという。
女性だけの集団であったために師匠を頂点に厳しい掟がある。
何より厳しいのは異性関係で、過ちを犯すと追放される。結婚は許されず、そのためには瞽女を廃業しなければならない。
明治時代、全国から新潟県に集まり、長岡瞽女400人と高田瞽女80人が残った。
小林ハルさんは長岡系で高田には杉本キクイとシズという名の知られた二人がいた。
わが家に斎藤真一画伯が描いた瞽女の版画があって、寝室に飾ってある。
2022年は斎藤真一生誕100年だ。
連れ合いの両親が越後は中頸城郡妙高村の出身で、先年亡くなった義母は子どもの頃、やってきた瞽女の歌を聴いたことがあると言っていた。
斎藤真一さんの版画を写メで連れ合いに送って貰ったら、大変喜んだそうな。
邦楽ジャーナルで、過去取り上げられた尺八演奏家に小濱明人さんがいて、彼は、四国の出身だからか、歩き遍路で野宿し、それぞれの寺で尺八を吹き、結願したと書いてあった。
その彼がソロライブで共演した瞽女歌の伝承者月岡祐紀子さんもまた遍路の本を読んでいたら、遍路で出会った人として紹介されていたので、結願まで行ったかどうか知らないが、歩き遍路をしていたらしい。
瞽女は少しでも見える人が先頭に立ち、後ろは捕まって集団で歩くということで、遍路との共通項があるのかと思った。
映画では、確か掟を破ってしまったがために、互いに助け合う群れから追放され、はなれ瞽女となったおりんのことを描いていたと記憶する。
これだけでは、書き足りないので、もう一度書かなければいけないだろう。