2023年09月06日

お座敷ライブハウスを作った元赤坂芸者

 かつて花街だった東京・四谷の荒木町にお座敷文化や伝統芸を気軽に楽しめる空間「津の守」を2023年4月に開いた元赤坂芸者塩見文枝さん(55)のことを8月20日の読売(編集委員祐成秀樹)がコラムの紙面に「顔Snnday」で紹介している。

 岡山市出身、お茶の水女子大学卒の才媛で「日本を知る、江戸に遊ぶ」をテーマに数々のイベントを主催。
 江戸時代に建てられた家で育ち、着物生活をしていた祖父の影響で和ものに親しんだ。 
 大学卒業後30代で呉服のプロデュースを始めた。
 着物を楽しむイベントを手がけているうちに、芸者衆から信頼を得るようになった。42歳の時、東京赤坂の芸者「ふみ香」になった。「見た目大ベテラン、中身何もできない。でお酌だけしていた」が、他人の3〜4倍は稽古に打ち込み、3年で何とか形になったという。

 やがて、気づいたのは芸者が料亭以外に踊れる場所がないこと。
 「仕事する場を作らないと、お座敷文化がなくなる」と場所づくりを思い立った。
 目指したのは「小さくとも本物」。クラウドファンディング約1300万円の資金を集め、引幕のついた20畳の座敷を作った。
 今、仕事で得た宣伝力を使って発信している。


 語り継ぐ戦争ではあるが、日本大好き人間の1人として、接客業では世界ナンバーワンと推奨している芸者衆の活躍を応援している。
 日本の伝統芸能のうち、歌に踊りに三絃、鼓、ときには箏なども習得して披露してくれる接客のプロは日本古来から伝承されてきた着物に日本髪のかつらに簪とどれも日本の美で、世界に誇れる衣装と芸能で宴席を賑わすプロ集団が芸者衆である。
 お座敷といえば、連れ合いが箏と三絃に自分は戦没者慰霊のための行脚で経を読む代わりに吹く尺八とふだんから和楽器が身近にあるわが家では、稽古で正座してきた箏や三絃のお師匠方が膝を酷使して、今では椅子を使って稽古するようになっていることから、芸者衆の膝の心配をしてしまう。

 東京赤坂や京都祇園などその世界の頂点にあるような場所ばかりでなく、夢千代が働いていた日本海側のひなびた温泉のようないわゆる温泉芸者だって立派な芸者衆である。

 日本の伝統芸能を身につけるにはそれ相当の時間がかかり、それなりの費用負担もある。
 それでも、芸は身を助けるではないが、一度身につければ、定年などあるわけではないから、長く働くことができるという点で、女性にとって、自立していくには参考になる職業である。

 その芸を身につける、磨くには、人前で発表することが不可欠であるから、その稽古所を拵えてくれた塩見さんにエールをおくりたい。
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2023年07月14日

有田焼白磁の美 身近な道具 茶碗

 佐賀県有田町の陶芸家で白磁の重要無形文化財保持者(人間国宝)、井上萬二さん(94)が2024年3月にニューヨークで開く個展に向けて準備を進めている。と6月28日の読売(井上裕介記者)が伝えている。

 有田町で、祖父が始めた窯元の家に生まれたが、飛行機乗りに憧れ、15歳で鹿児島海軍航空隊に入隊した。特攻基地の鹿屋に配属され、続く配転先の串良で終戦を迎えた。

 帰郷し、柿右衛門窯で修行するも無給の時代が続く。名工と言われた初代奥川忠右衛門と出会って弟子入りし、ろくろの腕を磨いたことが転機となった。

 佐賀県窯業試験場で、13年間技官として勤務し、陶土や釉薬、デザインなどを研究し、白磁を極めることを決心した
 米国の大学からも指導を依頼され、これまで20回以上にわたって渡米したことで、「伝統にとらわれない美意識に触れ、造形の幅が広がった」と振り返る。
 平凡な造形が一番難しいというこだわりを持つ。
 1970年に独立し、95年、白磁の陶芸家として初めて人間国宝に認定された。
 2020年に後継者の長男を病気で亡くすも、受け継いできた技術を孫に伝える。

 「茶の湯を旅する」というタイトルで6月25日の読売(伊丹理雄記者)が身近な道具 茶碗を購入する楽しみを伝えている。


 高橋伴明監督、吉沢悠主演、柳宗悦 に影響を与えた浅川巧 の半生を描いた『 道〜白磁の人〜 』を観ているので、焼き物においては、日本の師匠だと言っても過言ではない朝鮮半島のそれも磁器の素晴らしさを教えられた。

 焼き物には陶器と磁器があることくらいは誰でも知っていることだと思うが、陶器は簡単に割れてしまうが、磁器であれば、少しくらいぶつかっても割れない特性がある。

 食器は陶器より磁器の方が圧倒的に持ちが佳いが、磁器に絵付けしている点で、有田や瀬戸などの器や皿などは見た目もとても美しい。

 茶の湯を旅するというタイトルで、茶の湯を楽しむ初心者の記者が自分で茶を楽しむために茶碗を買い求める楽しみを知ったことを大いに喜んでいる。

 陶芸教室に通い、茶碗ばかり作ってみたことがあるが、なかなか軽くすることができなかった。
 それでも、自分でお茶を楽しもうと茶筅と抹茶を買い求めてみたが、結局、毎日飲んでいるのは煎茶、金子園の天下一ブランドである。

 京都に行ったとき、楽美術館というのか、楽茶碗を観たが、形が何とも気に入った。
 ところが、自分で作ると、いくらやっても、あんなふうにはならない。

 人間国宝とか歴史に刻まれるような作品の良し悪しなどわからないが、自分の好きな形というものはいつの間にか頭にインプットされているので、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では、買い求めることもある。

 人間国宝の作品でなくとも、陶磁器を眺めることは楽しい。
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2023年07月11日

竹細工の美 花器、食器、装飾品―使い方

 [Styleプラス」というタイトルで竹細工の美を6月19日の読売(谷本陽子記者)が特別面で伝えていたので、伝統工芸を支援する立場から紹介しておきたい。

 レースのように美しい模様の竹工芸の皿や籠―。京都市の竹工芸作家小倉智恵美さん(41)は、伝統技法をベースに、繊細で、生活に馴染む作品を生み出す。目にも涼やかな籠などは、インテリアとして飾っても、花や果物を入れて使っても趣がある。
 神奈川出身の小倉さん。京都の伝統工芸専門学校で竹工芸を学び、2011年に独立。
 パリの「ジャパンエキスポ」などにも参加。7月14日から京都市内で個展を開く。

 竹細工は、縄文時代から生活道具として用いられてきた。竹は成長が早く、伐採しても自然環境に与える影響が少ない。寒暖差が激しく土壌も豊かな京都は、良質な竹の産地としても知られ工芸品が数多く作られてきた。

 小倉さんが使用するのは真竹や黒竹。鉈で竹を割り、幅0・5〜3_ほどの竹ひごを作る。
 編み方は「六つ目編み」「麻の葉編み」など100種類以上。デザインは無限である。

 小倉さんの編み方は「差し六つ目」という編み方がベースで、レース編みに例えられるほど繊細である。

 竹は時間の経過とともに、あめ色に。「長く使える強度と、美しさを併せ持つもの作りをしていきたい」という小倉さんにエールをおくりたい。


 首都圏の田舎町に生まれ育ち、小学校の修学旅行が日光で、中学生では京都、奈良に行った。新幹線はまだなかったのか、所謂修学旅行列車だった。
 この時、京都に再び行きたいと思ったものである。
 連合赤軍あさま山荘事件が起きた時、学生生活最後ということで、アルバイトで貯めたカネで京都に再び向かった。

 京都では嵯峨野を訪れ、竹細工の鳥を土産に買い求めた。
 これが、竹製品との出会いだった。

 次いで、仕事で美浜の原発に行ったとき、虚無僧と芸妓、二つの越前竹人形を買い求めている。

 その後、竹製品の楽器、尺八と出会い、尺八の魅力にはまってしまった。
 定年後、語り継ぐ戦争で尺八を手に宇佐を訪れるとき、湯布院に泊まり、タクシーで宇佐まで連れて行ってもらったが、大分が竹製品の宝庫であることを知った。

 竹製品は真竹を竹材とした尺八を吹く自分にとっては、極めて身近なもので、伝統工芸品として、製作者を応援してきた。

 竹製品とは直接関係ないけれど、高齢になると介護の世話になる人が多いが、竹製品の製作者でボケる人を見たことがないことから、認知症予防に編み物が効果的だと考えている。

 政府は認知症対策として、竹製品に限らないが、編み物を導入すべきだと提言しておく。

 紙面では小倉さんの作品が紹介されているが、一見の価値があるほどすばらしい。

 目の保養ばかりでなく、実用としても役立つので、買い求めたいくらいだ。
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2023年06月13日

若手が移住 漆生産倍に 岩手二戸

 国内の漆生産量の7割以上を占める岩手県二戸市浄法寺地区が、県外から若手生産者を積極的に受け入れ、漆の増産で活気づいている。と6月6日の読売が(西口大地記者)伝えている。

 同市の年間生産量は、文化庁が国産漆の利用促進を打ち出した2015年の0・82dから21年は1・67dと倍増した。国産全体でも15年の1・18dから21年は2・04dに伸び、国宝・重要文化財修復に必要な目標値2・2トンに迫る勢いになっている。

 浄法寺漆は、世界遺産の中尊寺や金閣寺などの文化財修復に用いられ、漆器も高く評価されている。

 国産漆は、戦後のプラスチックの普及や安価な外国産漆の輸入増加に伴い、需要が激減した。漆掻き職人も後継者不足に陥り、二戸市ではピーク時の1950年代には約300人いた職人が約10年前には20人程度まで減少した。

 国宝や重要文化財の保存や修理に国産漆のみ使うという文化庁の後押しを受け、同市は16年度から地域おこし協力隊として漆掻き職人の募集を始めた。
 今では10人の移住職人が活躍。


 漆といえば、一般的には漆器ということになるが、自分の場合は語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、経を唱える代わりに吹く尺八に漆が使用されている。

 興味関心がない向きに説明するのは難しいことだが、尺八は製管を仕事にしている人だけでなく、手先の器用な人は自分で作ってしまう人がいたりもする。

 真竹を根っこの部分から掘り起こし、使用する長さに応じて、竹の節を抜き、指孔を表面に4か所、裏に1か所空ける。
 この竹筒の中をきれいにした後、そこに漆を塗るのだ。
 理由はよくわからないが、多分、腐食を防止するためではないかと思われる。

 というわけで、毎日、吹いている尺八に漆が塗られているということで、結構漆には親近感がある。
 ただし、直接触るわけではないのでかぶれる心配はない。

 国宝や重要文化財の保存・修理といえば、歴史的事業だと言っても過言ではない。
 言うまでもなく、国産漆のみ使うなんて当たり前のことである。

 漆に限らないが、生産するに当たっては、樹木を育てることと、漆を掻く、樹液を採取する「漆掻き職人」の養成とやらなければならないことはいくらでもある。

 先人の智慧は大したもので、自然界から、よくぞ漆をみつけ、使用することを思いついたものだ。

 漆掻き職人といえば、陽があたる職業とは言えないだろうが、己の名前は残らずとも、国宝、文化財にはしっかり塗りこまれることになる。

 敬意を表したい。
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2023年04月29日

別府竹細工

 文化の紙面に「工芸の郷から」というタイトルで日本の伝統工芸品を紹介する読売。その4月26日は、別府竹細工である。(井上祐介記者)

 わずか0・5_の薄さにまで加工された竹ひごを繊細に編み込んでいく別府竹細工は、竹ひご作りが製作過程で重要な役割を果たす。

 用いるのは、丈夫で弾力性に富む特産の真竹だ。
 編み方には、正方形や六角形など基本となる八つがあり、組み合わせによって200種類以上もの文様が表現できるという。

 別府で竹細工が発展したのは江戸時代。温泉地として知られた別府には全国各地から湯治客が訪れるようになり、米とぎ用のざるといった生活用品の生産販売が盛んになった。
 明治から昭和にかけ。職人の育成機関も誕生し、地場産業として定着すると、1979年には国の「伝統的工芸品」に指定された。
 市内にある県立竹工芸品訓練センターでは、毎年10人前後の担い手を輩出していいる。

 安価なプラスチック製品が家庭の雑貨、生活用品で普及しているが、脱プラスチック、脱炭素という時代を追い風に「手作りの自然素材ということで、現代人の生活に溶け込む新し竹製品を国内外に発信したい」と竹細工の工房「竹楓舎」を主宰する伝統工芸士の大谷健一さん。


 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で2012年5月、宇佐海軍航空隊基地跡を訪ねた時、同行してくれた家族へのサービスで湯布院に泊まった。
 生憎の雨だったが、人気の観光地である湯布院でも、土産品には多数の竹細工があったので、大分は竹細工が盛んだということを知った。
 湯布院から耶馬渓を通って宇佐までタクシーで行ってしまったので、交通費はかかったが、別府には行かれなかったのが心残りではある。

 別府の竹細工が真竹を材料にしていると知り、真竹といえば、尺八も真竹を使っているということで親近感を抱いた。

 新聞で知ったことだが、篠竹を使ったメカイという籠を首都圏でも作っているとか。
 八王子に吸収合併された由木村辺りが盛んな土地だったらしい。
 今は、開発されてしまったので、もう作っている人はいないかもしれない。
 近所にも一人だけ、笊を作っていたおじさんがいたが、縁日で販売していたのを思い出した。

 竹細工など手先を使う人に認知症になった人がいないことをもっと研究してもらい、認知症を減らすために手先を使う工芸、手芸などを社会教育でもっと学ぶ機会を増やせばボケ防止ができるのではないか。

 脱炭素の時代に自然素材の竹を使うのは、脱プラスチックという点でも素晴らしい。
 消費者もプラスチック製品ではなく、自然素材の製品を使うようにしていかなければならない。
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2023年02月16日

螺鈿細工を現代に

 「工芸の里から」という読売の連載、「ガラスに螺鈿細工 柔軟思考」という見出しで2022年10月26日に高岡漆器武蔵川工房の4代目、武蔵川剛嗣さん(41)のことを取り上げていた。

 先の尖った棒で、細かなアワビ貝の薄片が十二角形のグラスの底に丁寧に貼り付けられて行くという工程で漆を塗ったグラスに螺鈿細工を施して仕上げるのだ。

 同じ読売が2月5日の特別面紡ぐでは、伝統の文化「驚きの独創性 未来へ飛躍」という見出しで木工芸、陶芸、染織(江戸小紋)そして漆芸(螺鈿)を取り上げている。

 前述の漆芸の螺鈿細工が富山の高岡なら、こちらは金沢市の池田晃将さん(35)で、高校時代世界遺産の修復でネパールの首都カトマンズを訪れ、街中にあふれる装飾に惹かれ、金沢美術工芸大学で漆芸に出会い、人ヲ引きつける不思議な色合いを表現できる螺鈿の道を選んだという。、
 創意工夫として、レーザーを使い緻密な加工をしている。

 高岡漆器は加賀前田家2代目前田利長の産業振興策として江戸初期に始まった。
 木地、加飾、塗りと伝統的な分業体制を敷く。
 1975年に伝統的工芸品として国の産地指定を受けたが、近年は販売額が減って、職人も減り、後継者不足も深刻な課題となっている。
 武蔵川剛嗣さんは2004年に工房入りし、同じく螺鈿師の連れ合いとスマホのカバーなど若い人にも使ってもらえる製品を作ってきた。
 普段使いできる螺鈿細工のアクセサリーなどをターゲットに売れる製品へと展開していこうとしている。


 漆器に螺鈿の装飾を加えた製品は漆器だけの製品よりおしゃれだし、魅力があるとは思っていた。
 作るのが大変だと思っていたが、ふだんわが家でも漆器を使う機会は少なくて、当然産地では需要と供給の関係から売り上げが厳しいことが予測される。

 その点、スマホのカバーとか普段使いのアクセサリーなどで螺鈿細工があれば、お洒落に目ざとい人なら、買い求めてくれそうだ。

 漆器といえば、漆を塗ったもので毎日、触っているものに尺八がある。
 竹の節を抜いた中に漆を塗ってあるのだ。
 先人の智慧で、漆は防虫とかいろいろな効果があるのだとか。

 朝食が秋田の大館から取り寄せているロシア製の黒パンだから、牛乳はたくさん飲むが、みそ汁をもう何年も食していないため、汁椀も使っていない。
 普通なら、汁椀こそは漆器ということになるはずだったが、伝統工芸品として応援したい気持ちはあっても現実はこの体たらくである。

 プラスチック製品が好きではないので、箸とか買い求める機会があれば、螺鈿細工のものをみつけて買い求めていくようにしたい。

 経済的に困っているわけではないので、伝統工芸品を心掛けて買い求め、使うことで、職人さんを応援したいとは考えている。
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2023年02月06日

器 文字とともに持つ人の思いを運ぶ

 江戸時代から続く金沢の茶陶、大樋焼の11代目でデザイナーでもある大樋長左衛門(年雄)さん(64)と日本文学研究者のロバート・キャンベルさん(65)がそれぞれ自身の専門を踏まえた『うつわの哲学』と『よむうつわ』を淡交社から刊行した。ということで器と文学、分野の違いを超える伝統文化の魅力を1月25日の読売が文化の紙面で(竹内和佳子記者)聞いている。

 大樋さんはボストン大学大学院修士課程修了ということで、米国留学で陶芸の勉強をし、キャンベルさんは日本文学を研究する一方で東京大学他で日本の学生に教えていたという経歴で、興味を惹かれた。

 「器の作り手に思いはせて」「見方に共通点 作られた時代に遡って」「触って気づく 文字とともに運ばれて」という見出しで伝えてくれたのは、「日本文化ではものを大切にすることがつながっている。器も大切に使われてきたからこそ次世代も大切に使う。その積み重ねが箱書きになる。日本人の美徳が文化を作ってきたと言える。陶芸に必要と感じるのは、時代に合わせた表現と発信だ」と大樋さん。

 「日本の器は文字に囲まれている。器を収める箱には由来などを記した箱書きがある。日本語は万葉、平安の時代から文字を使い、ものを伝えてきた。器は文字とともに、持つ人の思いを運んできた。器物と文字が響き合っている」とキャンベルさん。


 日本人であり、日本の伝統文化、伝統工芸が大好きで、直接的には関係ないが伝統芸能の尺八を吹き、最近では、古希を過ぎていながら、津軽三味線も習い始めてしまった自分から見れば、異国で育った人たちに日本の伝統文化を教えていただく時代、教えていただく立場になって、何だか、恥ずかしいような嬉しいような複雑な気持ちである。
 尺八も古典本曲と呼ばれる精神性と深く結びついたジャンルの曲が外国では喜ばれると耳にしたことがあるくらい、日本人より追求するものは奥が深い。

 陶芸は若い頃、少し習ったことがあって、陶芸家と言っても、国家試験があるわけではないので、名の知れた陶芸家の子どもはともかく、アマチュアとプロの垣根はそれほど高いようには思わない。
 まあ、陶芸だけで食べている人をプロと呼ぶなら、陶芸教室などでの収入を別にすれば、かなり少数ではないかとみている。

 大樋焼のことは詳しいことは知らなかったが、感心したのは米国に留学して、陶芸を勉強したという11代目の家元で、当然、「時代に合わせた表現と発信だ」と陶芸に必要な心得を語っているのは印象的である・

 米国に留学してこそ、今の時代というものを強く意識するようになったのではないか。

 「器を触ってこそ、作っているときの感触を味わえる」というのはキャンベルさんだが、美術館などに展示されている器は簡単に触らせてもらえるようなものではないし、陶芸の工房でも、そんなに簡単に触らせてもらえるとは限らないが、確かに触ると触らないでは意識が異なることだけは確かだろう。

 その世界のトップランナーの発言だから、なんとなく理解はできるが、もっと理解を深めるにはいろいろな器を知る必要がありそうだ。
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2023年01月10日

女性宮大工の道に挑む深田美穂さん

 1月から始まった読売社会面の連載「今もどこかで」5⃣伝統建築を守る、1月7日の紙面に登場したのは女性宮大工深田美穂さん(36)。
 社寺の建築を手がける「建部」(滋賀県長浜市)の宮大工である。
 
 24歳で転職先として、ハローワークで宮大工「建部」社長 建部清晶さん(55)の面接を受けたのは2011年、渋る社長を説得し、3か月続いたらという条件付きで採用された。
 7年で棟梁になり、あれから12年、今では社長に次ぐ古参の宮大工として働く。
 「設計から建築まで全て自分でてがけ、後世に残る建物をこの手で」というのが夢だそうな。

 紙面には笑顔で働く深田美穂さんと手がけた来入寺の鐘楼が写真で紹介されている。

 金沢市立工業高校建築科に幼い頃の夢に大きく近づこうとしている生徒がいる。三年の津田彩愛さん(18)。2022年4月から岐阜県関市の建築会社に就職し、宮大工としての一歩を踏み出す。津田さんは「宮大工というと男性が中心だと思う。立派な宮大工となって、後に続く女の子が増えたら」と話す。2021年12月15日の中日新聞(小川祥記者)が伝えていた。


 男も女も同じ人間だから、男にできて女にはできないなどということはない。
 あるのは男と女の躰の仕組みの違いによるものだけだ。

 それでも、藤井五冠で話題の将棋など一部ではまだまだ男の方が優勢という分野があることもまた事実で、宮大工もその典型であろう。

 しかし、滋賀県長浜市で宮大工として棟梁になった深田美穂さんの頑張りで、津田彩愛さんのような若い人が後に続くということで嬉しいことである。

 日本の伝統建築、中でも神社仏閣は所謂宮大工と呼ばれる腕の佳い大工でなければ建築できない。

 その宮大工は昔なら女性が担うことなど考えられなかったにちがいない。
 しかし、これからの日本は少子化で、かつ厳しい修行を経て1人前と言われるような宮大工になろうとする人は少ないだろう。

 そうなれば、女性の宮大工が求められるのも必然のことではないか。

 宮大工建部社長は「伝統建築を守るのに男も女も関係ない。それを彼女が体現してくれた」と細部にまでこだわり、根気強く仕事に取り組む姿勢を買っている。

 何と言っても手に職である。
 修業は厳しいが一人前になれば、食べることには困ることはないのが宮大工だ。
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2022年11月30日

文化遺産の保存・継承に貢献 補修紙など

 文化遺産の保存・継承に大きく貢献した個人や団体を顕彰する「第16回読売あをによし賞」の表彰式が3日、大阪市のリーガロイヤルホテルで開かれた。
 本賞は、文化財修理に使われる「補修紙」を製作する江渕 栄貫さん(74)(高知県土佐市)が受賞。
 奨励賞は、伝統的な手法で 錺 金具を製作する松田 聖さん(61)(京都市)、特別賞は、木彫刻の技術を伝承して文化財修復に生かす井波彫刻協同組合(富山県南砺市)に贈られた。と11月4日の読売が伝えている。

 読売が主催する「あをによし賞」受賞に関して、詳しいことを10月3日の読売が文化の紙面で伝えていた。


 鴨長明『方丈記』ではないが、わが家は分家で、3代目の自分の代で没落ということを日々実感しながら暮らす。
 本家はNHK「ファミリーヒストリー」で取り上げてもらいたいくらいの歴史がある。ご先祖が阿闍梨だとものの本に書いてあるくらいだから出鱈目を書いているわけではない。

 没落というのは栄耀栄華があって、初めて成立するから、没落というのは大袈裟だという向きもあるかもしれない。

 それでも、本家から独立した祖父は塩、酒、たばこ、みそ、しょうゆなどを販売する店を開いていたことは間違いない。
 ここからは推測だが、こんなことでコツコツカネを貯め、そのカネを貸すことで利ザヤでも稼いでいたのかもしれない。
 
 ときは昭和の初めの頃で、稼いだカネをつぎ込んで店とは別に離れ家と土蔵に築山のある庭に鯉が泳ぐ大きな池をつくったらしいのである。
 というのは、子どもがいなかった祖父にはそのくらいしか楽しみがなかったのであろう。

 祖父は本家から事実上の養女として自分の母親を迎え、戦争から帰ってきた父親を養子にしたというのだ。
 戦後、間もなく亡くなった祖父。祖父が大事にしていた池が壊れたのはいつ頃だったか不明なれど、子どもの頃、毎年、寒い時季に植木屋が庭木の手入れに来ていたことを覚えている。しかし、この樹木たちも松、もみじ、梅、伽羅とどんどん枯れていく。

 さて、文化遺産の保存・継承についてであった。

 あをによし賞第16回で大賞を受賞された補修紙の手すき和紙を制作している江渕栄貫さん、奨励賞の「錺金具」の松田聖さん、特別賞で、欄間彫刻を手がける井波彫刻協同組合の皆さんにエールを送りたくて書いている。

 というのは、祖父が腕が佳いと言われていた近所の大工に頼んで建築した離れ家に子どもの頃住んでいたことがあり、床の間に掛かっている掛け軸、ふすまの引手の錺金具、欄間の彫り物などが身近にある暮らしをしていたからだ。

 国の文化財とはくらぶべくもないが、現在、住んでいる1983年ごろ新築した家には欄間も間仕切りのふすまもないので、築90年くらい経って現在残っているだけで価値がありそうな気がするからだ。

 というようなわけで、補修紙としての手漉き和紙、錺金具、木彫刻の職人さんには敬意を表しないわけにはいかない。
 
 文化遺産の保存、継承には、ありとあらゆる日本文化に関する職人の技が欠かせない。
 職人といえば、どこの世界でも後継者が課題となっているが、高知県土佐市で補修紙を制作している江渕さんには、紙漉きのために高知へUターンした吉田裕子さん(44)がいて、技を伝承しているとのことで、この点も嬉しくなるニュースだ。

 件の築90年くらいの離れ家の天井にハクビシンが入り込み、困り抜いた結果、日本瓦の屋根をふき替えてもらい、天井のチェックと清掃をしてもらい28日に終わった。

 ただし、ハクビシンのことだから、油断ならず、しばらくは様子をみていかなければならない。

 古い物にそれなりの価値があることはわかるが、維持していくのは本当に大変なことなのだ。 
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2022年11月11日

伝統工芸 国際分業と高度な技術 流出の懸念

 漆芸や陶芸など、日本の伝統工芸が海外でも高い評価を受ける中、技術の学び場も外国人に注目されている。と10月18日の読売が「伝統文化」のタイトルで伝えている。

 竹内和佳子記者によれば、中国人留学生が各地で学び、工芸産業の国際分業も進むが、一方で、デザインや高度な技術の流出の懸念もあり、利害が相反する状況となっているという。

 漆芸の次世代の重要無形文化財保持者を育成する石川県輪島市の県立輪島漆芸技術研修所では今夏、沈金の人間国宝山岸一男主任講師(68)の普通研修過程の授業を2人の中国人女性を含む4人の研修生が受講していた。

 同研修所は文化財保護法による人間国宝の技術伝承者養成などを目的に、1967年に開設された。
 3年制の普通研修過程は入学金、授業料ともに不要で、9人の人間国宝が主任講師を務める。2022年は2150万円の国庫補助を受けており、研修生は教材費など最小限の自己負担で学べる。

 中国人研修生が研修後、帰国し、作家になるケースが一般化している。一方で、日本の工芸産業は後継者不足で分業が成り立たなくなった産地が、人件費が安い中国の産地にほとんどの工程を発注し、技術指導している現状もある。


 語り継ぐ戦争戦没者慰霊のための行脚を始めたとき、まず、知覧の特攻隊平和会館を訪ね、隣接している知覧特攻平和観音堂内で、責任者の許可を得て、経を読む代わりに尺八を吹いた。

 その後、薩摩焼の沈壽官窯を訪ねた。
 司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』(文春文庫)を読んでいる影響からである。

 ご先祖は無理やり朝鮮半島から連れてこられたわけで、中国人が日本で研修を受け、帰国後作家になってもとやくいえることではない。
 日本人が後継者になるような日本の文化を大事にする教育をしてこなかったことにそもそも問題があるのではないか。
 国費を投入して、学ぶのが中国人というのでは日本の政府や自治体は何を考えているのかと批判されることはあるが、日本人の後継者が育たない原因を究明し、改善していかなければならない。

 新潟県は十日町の竹所で古民家の保存と活用に取り組むドイツ人カール・ベンクスさんを筆頭に日本文化を理解し、伝統工芸品などに関しても発信している外国人は少なくない。

 同じ人間だから、中国人や韓国人否欧米の人も含めて外国人が伝統工芸に携わるのは大いに結構なことではないか。
 日本人の後継者がいないなら、外国人に後継者になってもらえばいい。

 伝統工芸品の産地では、何故、後継者不足になるか考えていないのではないか。

 仕事に魅力があっても食べていかれなければ、仕事としてその職に就くことはできない。

 伝統工芸品が売れないわけがない。世界にはカネ持ちはいくらでもいる。
 そのカネ持ちが欲しがるようなもの、広告、宣伝、販路などトータルで取り組む必要がある。
 一つの産地だけでの努力には限りがあるので、オールジャパンで取り組まないと難しいかも。

 とにかく、日本の文化、伝統工芸品などを絶えさせてはならない。
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2022年10月14日

日本文化の根底には「無常観」

 文化庁、宮内庁と読売新聞社による「日本美を守り伝える『紡ぐプロジェクト』−皇室の至宝・国宝プロジェクトー」協賛企業からの協力を得て、2019年度からの文化財修理の助成を続けている。

 このことに関連して10月1日の紙面で「伝統文化」と題し、京都仁和寺の茶室「遼廓亭」で社会思想家佐伯啓思さんに伝統文化について文化部の前田啓介記者が訊いている。
 その内容が日本大好き、日本の伝統文化大好きという自分の心に響いたので書いておく。
 
 紙面には「染司よしおか」6代目吉岡更紗さんと美術ライターでNHKマイあさラジオ日曜日の美術館散歩の橋本麻里さんが対談していて、こちらも伝統文化に関心があれば大いに参考になる。

 日本の伝統文化ということで、茶室を訪れた佐伯さんは茶道の茶碗を例に完璧なものを求めないという考え方には日本人の精神性が表れている。
 鴨長明の『方丈記』の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」この精神性をもっとも端的に言い表している。
 一言でいえば、「無常」ということ。万物は生々流転し、常なるものはない。全ては生成し、変形し、滅ぶ。この変化は永遠に繰り返され、個体は大きな流れに浮かぶあぶくのごとく現れては消えていく。
 こういう無常感が日本文化の根底にはある。
 海、川、山やあらゆる生物は全てお互いにつながっている。人間の知恵なども超えて、もっと大きなものに動かされている。そういう感覚が日本人の自然観や死生観を作ってきた。
 それはまた、我々の生きているこの世界は、死後世界と完全に切り離されているわけではなく、どこかでつながっているという考えにも表れている。
 精神性を大切にする日本文化では、形あるものを通して、その向こう側に形のない精神的なものを見ようとした。
 形あるもの、例えば器なら、その背後にあるそれを生み出してきた文化的背景、日常生活、人々の思いなどに思いをはせる。

 佐伯さんの話の概要は以上で、自分が思っていることと変わりはしないが、自分ではこんなにわかりやすく説明できない。


 わが家に手作りで未完成かつ歌口(息を吹き込むところ)が壊れた尺八があり、遊び半分で吹いていたら少し音が鳴ったので、興味が湧いて、通信教育の尺八講座に申し込みしたが、全くダメで、教えてくれる人を探したのは20代の最後だった。
 あれから、40年有余の年数が経ち、その間プロの指導者のレッスンを受け、お陰で語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で経を唱える代わりに尺八を吹くということを10年くらい続けてこられたが、コロナ禍でどこにもでかけられなくなってしまった。

 尺八では箏や三絃との合奏は楽しいが、虚無僧が吹いてきたという古典本曲を演奏する横山勝也師のカセットやCDを聴いて自分も吹いてみたくなった。

 何故、尺八のことを書くのかといえば、尺八の古典本曲こそは佐伯さんが語ってくれた「無常観」と言いうか精神性を大切にすることを体感できたからである。

 日本の尺八演奏家が欧州で一番受けるのは袴をつけ、古典本曲を演奏するときだと耳にしたことがある。
 ヨーロッパの人は、日本文化が持つその精神性にとっくに気づいていて、日本人よりもっと受け入れてくれるらしい。
 TVでも、英国からやってきて、京都は大原に住むベニシアさんが日本人が忘れかけている日本の伝統文化と暮らしを再現というか教えてくれている。
 新潟は十日町の竹所ではドイツ人のカール・ベンクスさんが古民家のよいところに水回りや暖房など暮らしやすさを追求した利便性をプラスした住宅を移築というか建てている。

 『方丈記』では住宅についても取り上げていて、昔からの家がそのまま残っているということは非常に少ない。と言っている。

 首都圏の田舎町に生まれ育ったが、この街でも昔の街道に面した住宅のうち既に数軒がしくじりがあったか、理由は不明なれど、夜逃げ同然に転居したり、売却して引っ越していった。
 その跡地には、建売住宅が所狭しと立ち並ぶ。

 生まれてきて、必ず死ぬことになっている摂理に逆らうことなどできはしないように形あるものは壊れるということはとても大事な教えで、完璧なものを求めないという精神性は先人の智慧だと感心する。

 ネットで他人を誹謗中傷する輩、クレーマー、トラブルメーカーみたいな輩はいつの時代にもいるとしても、自分で自分の首を絞めているだけで、そういう輩のせいで余計住みにくい社会になってしまう。

 もう一度、八百万の神が住む寛容な日本文化が見直されるときが必ずやってくるはずだ。
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2022年07月03日

瞽女

 書くつもりでいたが遅くなってしまった。

 「邦楽ジャーナル」を定期購読しているが、その2022年4月号で「瞽女」を特集していた。
 1977年に公開された水上勉原作、篠田正浩監督、岩下志麻主演『はなれ瞽女おりん』を観て、瞽女のことを知った。
 CD「最後の瞽女小林ハル96歳の絶唱」が静かに売れ続けているので、製作者の川野楠己にその思いを語ってもらうというのが邦楽ジャーナルが取り上げた理由のようである。

 目が不自由という障害を持ったがために、平等に生きられなかった時代に、卓越した三味線藝を身につけて職業的に自立し、独自の社会を構築した瞽女。
 彼女たちが残した大きな遺産に民謡の伝播者であったことがあげられるという。
 女性だけの集団であったために師匠を頂点に厳しい掟がある。
 何より厳しいのは異性関係で、過ちを犯すと追放される。結婚は許されず、そのためには瞽女を廃業しなければならない。

 明治時代、全国から新潟県に集まり、長岡瞽女400人と高田瞽女80人が残った。
 小林ハルさんは長岡系で高田には杉本キクイとシズという名の知られた二人がいた。


 わが家に斎藤真一画伯が描いた瞽女の版画があって、寝室に飾ってある。
 2022年は斎藤真一生誕100年だ。

 連れ合いの両親が越後は中頸城郡妙高村の出身で、先年亡くなった義母は子どもの頃、やってきた瞽女の歌を聴いたことがあると言っていた。
 斎藤真一さんの版画を写メで連れ合いに送って貰ったら、大変喜んだそうな。

 邦楽ジャーナルで、過去取り上げられた尺八演奏家に小濱明人さんがいて、彼は、四国の出身だからか、歩き遍路で野宿し、それぞれの寺で尺八を吹き、結願したと書いてあった。

 その彼がソロライブで共演した瞽女歌の伝承者月岡祐紀子さんもまた遍路の本を読んでいたら、遍路で出会った人として紹介されていたので、結願まで行ったかどうか知らないが、歩き遍路をしていたらしい。
 瞽女は少しでも見える人が先頭に立ち、後ろは捕まって集団で歩くということで、遍路との共通項があるのかと思った。

 映画では、確か掟を破ってしまったがために、互いに助け合う群れから追放され、はなれ瞽女となったおりんのことを描いていたと記憶する。

 これだけでは、書き足りないので、もう一度書かなければいけないだろう。
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2022年07月02日

小千谷縮 雪国育ちで日本の夏を涼しく

 「Style プラス」という洒落たタイトルで新潟県小千谷市で織られる麻織物「小千谷縮」を6月20日の読売が「小千谷縮 雪国の夏着物」という見出しで取り上げていた。

 小千谷市や周辺の新潟県南部の魚沼地方は古来、日本に自生する麻「苧麻」を用いた麻織物の産地。繊維につやがある苧麻を細く紡いだ糸で織られる布は、平安時代には献上品として尊ばれた。

 江戸時代の1660〜70年代。この布を夏場にも着やすいように改良して生まれたと伝わるのが小千谷縮。横糸によりをかけて織り、「思慕」と呼ばれるしわをつける。
 布の美しさはそのままに肌触りをよくする製法で今に受け継がれてきた。

 夏向きの布が雪国で織られているのは、伸縮性が低い麻の特性ゆえだそうな。
 「湿気がないと繊維が切れる。糸を紡ぐのも織るのも難しい」というのは小千谷織物同業協同組合の理事長高橋直久さん(54)。
 深い雪に閉ざされる冬場の空気は湿潤で、伝統製法では、雪上で太陽光に当てて漂白する雪ざらしという工程を経て仕上げる。
 1955年に国の重要無形文化財に指定され、2009年にはユネスコの無形文化遺産にも日本の染織物技術として初登録されている。


 地球温暖化による異常気象なのか。
 2022年の首都圏は梅雨明けが滅茶苦茶に早くて、しかも6月末の暑さと言ったら連日、猛暑日だから、電力会社は電力需要が多くて、いつ停電するかわからないと脅す。

 エアコンがないわが家では、この点は電力会社に貢献しているはずで、それでも死なずに生きてられるのは、わが家の周辺には田舎町故に樹木が多いからだ。
 東京都と関係者のおバカが明治神宮外苑の樹木を伐採すると言い出しているが、信じられない暴挙である。

 NHKの「ブラタモリ」のことを書こうと思ったら、NHKのアナが節電を呼びかけながら、エアコンで部屋を徹底的に冷やし、上着にネクタイとクールビズの時代に逆行したことをしている。
 NHKよふざけるな!厳しく反省を求める。

 暑いから八つ当たり気味であるが、そのブラタモリで京都大原三千院を紹介していた。
 そう、永六輔さんの名曲、「女ひとり」の歌詞が自然に頭に浮かんだ。
 永さんと思しき作詞家が観ていた恋に疲れた女がひとりで身に着けていた着物が紹介されていたが、小千谷縮ではなかったと今になって思う。

 日本の蒸し暑い夏に麻の繊維はピッタリだが、着物となると、生活とかけ離れてしまっている。
 作務衣や甚平なら馴染みもあるが、シャツや上着は麻製品を持っているので、麻製品の涼しさは知っているつもりではある。
 だから、応援するために取り上げさせてもらった。

 日本の夏に、麻製品といえば、子どもの頃使っていた蚊帳を思い出す。
 麻ではないがい草のござも肌にここちよいし、沖縄の芭蕉布は今や高級品で買い求めることはできないが、これもまた暑い南の島に住む先人の知恵が育てた着物である。

 需要を喚起して、何とか日本の伝統工芸品を守っていきたい。
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2022年06月05日

輪島塗で味わう料理店

 「転換力」というタイトルで、様々な分野で業績を上げたりする事業などを紹介する読売の連載、5月19日は漆器のトップランナー輪島塗の工房田谷漆器店が出来上がった椀などを使って食事できる会員制の和食レストラン[CRAFEATクラフィート」を金沢市中心部に2021年7月にオープンしたことを伝えていた。

 国内最高峰の漆器と言われ、海外からも高い評価を得ている輪島塗。
 能登半島の北端に位置する石川県輪島市は古くからの生産地として知られる。
 田谷漆器店は市内で輪島塗の職人をまとめる塗師屋として200年の歴史を持つ。
 その老舗が和食レストランを観光客の多い金沢市の中心部にオープンさせたのは何といっても輪島塗の佳さを知ってもらうためだ。
 店の食器はすべて県内の伝統工芸品を使っている。
 椀やレンゲ、箸など輪島塗が7割ほどで、九谷焼や珠洲焼、山中塗、金箔を貼ったグラスもある。

 輪島塗は、幾重にも漆を塗り重ねた後、金や銀粉を蒔きつける「蒔絵」漆塗面を刃物で模様を彫って金や銀で装飾する「沈金」などの技法で知られる。
 工程は分業化され、完成する。
 商品の販路の拡大が課題となっていて、デパートの展示会などが行われてきたが、コロナ禍で軒並み中止となり苦境に立たされていた。
 そこで、レストランの開業ということで販路の拡大を目指したというわけ。


 わが家に昭和の初めに建築された土蔵がある。
 所謂なまこ壁というのか漆喰の壁は、この家のバカ息子が子どもの頃野球のボールをぶつけて、北面のほどんどを壊してしまった。

 家が没落し、維持が難しくなって、解体を考えているが、壊すだけでもかなりの金額がかかるので思案中である。

 もう50年くらいは中に入ったことがない。結婚してから一度も土蔵の中に入ったことがない連れ合いは、中に入るのを楽しみにしているが、2階に上がる階段の重みか1階の床が落ちて、簡単には2階に上がれなくなっている。

 いつだったか、鎌倉に行ったとき、テレ東だったと思うがお宝さがしの番組の企画で土蔵を探していると問われ、「土蔵はあるけど、お宝なんかないよ」と応えたら、見るだけでも見させてくれと食い下がり、非常に残念がっていたことを思い出した。
 
 土蔵には、昔人寄せした時の膳、椀などがそれなりの数しまってあるということは耳にしたことがある。輪島塗かどうかわからないが、祖父の代に土蔵を建てたりした財力から見れば、輪島塗の漆器があってもおかしくはないかもしれない。

 話が逸れてしまった。

 輪島塗の漆については、職人というものの凄さを教えられる。
 自分の身近では漆は尺八の竹の筒の中に塗るということで、竹の保護に役立つことは知っていたが、食器となれば、熱いものを入れるわけだから、溶けてしまっては困ることになるので、この点でも漆器を考えた人は賢いと感心させられる。

 漆器は日本各地にあるが、自分の貧しい食生活では椀を使うのは語り継ぐ戦争で、各地を旅した折、夕食で頂くときくらいだから、需要を喚起するのは厳しい。

 家族の使う椀を見てみると、確かに漆器を使っていた。

 漆器とは言いながら、食器は飾り物ではない、実用品だから、使ってもらわなければ話にならない。
 ために、和食が見直される。

 ただし、食料品の値上げで貧しい人は食べることもままならない現状を変えてもらわないと漆器の需要を増やすことは難しいが、経済的に困っていない人にとっては、価値観として、輪島塗の漆器で食事ができる喜びを自慢してもらっていい。
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2022年04月30日

津軽「こぎん刺し」伝統の模様に魅せられて

 伝統工芸品などを紹介する読売夕刊の「いま風」、その4月19日は、津軽の伝統工芸品、「こぎん刺し」だった。

 知る人ぞ知る逸品で、刺し子技法を使って、ひし形の美しい幾何学模様が連なる洗練されたデザインが人気で、日曜雑貨やインテリアなどに取り入れられていると紹介されている。

 こぎん刺しは江戸時代、津軽地方で農家の女性が布目の粗い麻の農作業着に白い糸で刺し、布を補強して保温性を高めたのが始まりで、様々な幾何学模様が発展した。昭和初期には柳宗悦の民芸運動の中で注目された。
 近年、デザイン性の高さや機能美から再び関心が高まっている。


 「遠くへ行きたい」という旅好きの心をつかんだ名曲を作詞した永六輔さんが刺し子の上着を身に着けているのを見て、カネがあったら自分も欲しいと思ったものである。

 というのは、16歳になったばかりで父親が病死してしまい、苦労というほどのことではないが、学生時代カネがなかったため、社会人になって、給料をもらえるようになったら、ボーナスなど少なからず、自由になるカネを手にすることができるようになったら、刺し子の上着ではなく、歌の影響もあってか、旅に出ることになってしまったからだ。

 旅をするようになり、流行り歌ではないが上野発の夜行列車に乗ってとりあえず北に向かった。
 まず、北海道に行き、次いで、下北半島、津軽半島を旅した折、津軽三味線、こぎん刺しを生んだ風土と津軽弁、そこに生きる人達のことが少なからず気に入った。
 今、思えば、水上勉『飢餓海峡』が映画化され、左幸子が演じた八重さんのような女性がいるかもしれないというような期待とでも言えば正直なところか。

 「こぎん刺し」との出合いは下北半島、津軽半島への旅であったが、農作業着に刺し子を身に着けた農婦というのは絵になるが、現実の青森は長い冬が去り、弘前の櫻が咲いて春を告げ、散ってしまうとねぶた祭で夏が終わり、弘前の紅葉であっという間に雪の季節到来ということで、生きていくとなれば非常に厳しい風土である。

 たぶん、首都圏の田舎町に生まれ育った自分にとって、そこはもっと田舎で、一次産業以外これといった産業もなく、貧しいから父ちゃんは出稼ぎということで、母ちゃんたちが頑張って留守を守っていながら、結構明るいというのか、住むには大変だが、旅人には何だか居心地はよかったのかもしれない。

 刺し子と同列にあるものとしてパッチワークキルトがあるが、農婦が布を補強して保温性を高めたのがこぎん刺しの始まりだという点で、そもそもの起源からして、雪景色や北風、地吹雪といった自然とともに生きていく上での先人の智慧であったように思える。

 出発がそうであってもデザインが洒落ているように思えるのは贔屓目でみているからだけではないだろう。

 この伝統工芸を是非とも、次世代に残してほしい。
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2022年04月13日

鋳物の技を活かす無水調理鍋

 人生何があるかわからないものだとつくづく思うことがある。
 生まれた時代、生まれ育った土地、生まれた家などで大きく変わってしまうこともままあるが、戦後生まれの団塊の世代としては、戦争は何とか逃れ、阪神大震災や、東日本大震災も生まれ育ったのが首都圏の田舎町だったから福島の原発事故も、被害を受けた方々には申し訳ないが、何とか無事やり過ごすことができた。
 ロシアのウクライナ侵攻が北海道であったなら、大変なことで、ウクライナの祖国防衛隊にはエールを送ってきたが、日本は日本国憲法と米国の軍隊の駐留もあって、米国の戦争に巻き込まれず、ロシアと中国からの侵攻から運よく免れている。

 しかし、まさかの流行り病、新型コロナウイルスには本当に参った。
 感染して死ぬと、家族に看取られず、火葬されるというのが絶対に嫌で、毎月、一度は必ず出かけていた映画館にも行かず、電車にもバスにも乗らず、安全な場所である畑に通っている。

 古来稀なる齢が過ぎ、いつお迎えが来てもいいが、それまで、戦没者を主に慰霊のための行脚を続ける予定だったが、これも感染予防のために取りやめている。
 もう、自分の持ち時間が少なくなっているのだから、一刻も早くコロナ禍が収束してもらいたい。

 そんな時、「鋳物の技で無水調理鍋」「思考1万回密閉性生む」「コロナ下 自炊頻度高く」という見出しで4月7日の読売が「転換力」というタイトルを付けて、興味深い記事を掲載していた。

 「成功するためには世の中を徹底的に研究し、何が求められているか突き詰めて考える必要がある」と語っているのが新しい鋳物ホーロー鍋「バーミキュラ」を世に送り出した名古屋市中区の鋳造メーカー「愛知ドビー」の土方邦裕社長(47)だ。
 シリーズ累計受注60万個を突破。今や米国や中国など海外展開もするが、かつては倒産の危機に直面していた。
 野菜を入れた鍋を弱火にかけるだけで、旨味たっぷりのスープが完成。という無水調理法が評判を呼ぶ。


 コロナ禍で経営が苦しくなったのが観光、飲食、接客業などで、新型ウイルスの感染予防で、出かけることを我慢してくれとなれば、自分もそうだが、旅行や映画を観に行くことを控えざるをえない。
 自分が使っていたカネなどたかが知れているが、それでもトータルすれば、かなりの金額になるので、これだけでも、その方面では収入が減っているだろう。

 中小企業の経営者はいつの時代も経営が苦しいことは間違いないが、彼らには技術力はある。なければ、とっくに会社は倒産しているはずだからだ。
 産業では一番関心が高い分野である農業でみれば、六次産業化で農家が収入を増やしている例がいくらでもあり、地域の活性化につなげてもいる。

 そこで生きてくるのが、上述の言葉ではないか。

 なんの世界であっても、「成功するためには世の中を徹底的に研究し、何が求められているか突き詰めて考える必要がある」まさに至言である。
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2022年03月04日

越前和紙 伝承する父と娘

 NHK小さな旅「紙漉く女神の里〜福井県 越前市〜」を偶々、途中からであるが視聴する機会に恵まれた。

 番組の㏋によれば、「福井県越前市の山間にある五箇地区は50軒の工場が並ぶ越前和紙の産地。
 この町では古くから紙漉きは女性の仕事です。戦後の建築ブーム、ふすまや障子紙の生産を担った女たち。この道50年のベテラン女性は、紙漉きに使う道具作りを学び、衰退の一途をたどる町を支えます。
美しい模様和紙を手がける工房では、一人の若き女性が父から秘伝の技を教わりました。脈々と受け継がれるたくましき女神たちの魂に触れる旅。」だと内容が紹介されていた。

 近年心身ともに衰えてしまい。メモを取り忘れてしまったから、判然としないが、確か岡田さん父娘だった。父が57歳、娘は27歳だったか。

 模様和紙を手がける工房では、伝承された中にも受け継ぐ人の個性というか独創性をプラスした美しい模様を考案しながら試行錯誤し、奮闘する父の背中に張り付くように娘が父の手許に目をくぎ付けにして技術を覚えようと必死な姿がアップされて、泣きそうになってしまった。

 聞けば、娘は工房に出入りすることなく、地方の若い人が一様にそうであるように東京に惹かれて旅立ってしまったが、近年になって、Uターンというか戻ってきて、父の工房の跡を継ぐ気持ちになったというではないか。

 一方で、父親は工房は自分でお仕舞だということで、寂しさを隠せなかったそうな。

 ところがである、

 女神の里というだけであって、娘が女神になってもいいと戻ってきてくれたというのだから、無縁な自分も嬉しくなって泣いてしまったというわけ。

 連れ合いによれば、福井県出身の連れ合いの知人が若い頃、首都圏で働いていたが、40代を前にした頃、実家の紙漉きを手伝うということで田舎に帰っていったとのこと。

 近年、ネット社会になって、調べたら、越前和紙の作家として活躍しているようで、他人事ながら、自分は喜んでいる。

 福井といえば、2019年11月に永平寺にお参りに行ったのだが、福井駅構内に赤ちょうちんというか日本酒が飲める店があり、女性たちが気軽に酒を飲んでいる光景を目にした。

 こんなことは初めてのことで、嬉しくなってしまった。
 女性が駅構内で日本酒をぐびぐびやるなんてなんて素晴らしい街だと感心した。

 忘れもしない出来事の次が、女神の里の紙漉きだというから、応援しないわけにはいかない。

 若い頃、書道に親しんだことがあり、和紙、半切という軸にするときに使える大きさの和紙がたくさん買ってあるのだが、何とか死ぬまでにもう一度書道も再開したいと願っている。

 ネットの時代になって、紙は不要だみたいなバカなことを言う輩がいるが、和紙は永遠に不滅である。
 越前和紙には限らないが、和紙作りに関わっている皆さんにエールをおくりたい。

 和紙を何とか伝承してください。
 岡田さんの娘さん、頑張って!
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2022年01月10日

徳島県立城西高校「阿波藍専攻班」

 国連が提唱する「持続可能な目標(SDGs)の達成につながるとして、社会や環境に配慮した消費行動「エシカル消費」を推進する徳島県で、伝統産業「阿波藍」の継承と振興に励む徳島県立城西高校「阿波藍専攻班」のことを1月5日の読売が「SDGs @スクール」と題する紙面で紹介している。

 日本遺産に認定されている「阿波藍」であるが、最盛期の明治以降衰退し、地域の伝統産業の危機に立ち上がったのが当時の校長で、2010年3月、城西高校に約400平方bの藍畑をつくったのが活動の始まりだ。

 現在、同校植物活用科「阿波藍専攻班」を指導する川西和男教諭は翌11年に赴任。「元々は全くの素人で、
OBに藍師や染色家がいたので教えを請い、一から勉強してきた」そうな。

 「阿波藍専攻班」の特色は、生産、加工、販売という一次産業の六次産業化がなされていることである。
  これまで、県内企業・団体の制服などを手掛けてきた。
 現在作っているのは「藍LOVEマスク」(1枚500円、税込み)、これまで700枚以上が売れている。
 生徒たちの活動は、原料の「タデアイ」の栽培から始まる。1月に20eの畑に肥料を入れ、3月に種を蒔き、水やりや除草作業は土日や夏休みも欠かさない。刈り取り、秋には葉藍を発酵させる「寝せ込み」が始まり、12月にやっと天然の藍の染料「すくも」が完成する。

 取材では川西教諭と青木望愛さん、桜間里奈さんが班員を代表して写真で紹介されていた。


 藍染の素晴らしさは何も徳島の「阿波藍」に限らず、日本全国どこにでもある藍染もいいものだ。
 以前書いたことだが、福島の会津から藍染の作務衣を取り寄せて着ているが、藍染は理由は不明ながら、虫がつかないことに驚いた。
 悪い虫がつかないから、娘がいたら藍染のものを身に着けさせるといいかもしれない。

 「阿波藍」を一人でも多くの人に知ってもらいたくなったのは、県立高校で教えているという事から、「阿波藍専攻班」のメンバーから一人でも多くの後継者が生まれ、育っていくことを願うからだ。
 
 学校を卒業しても手に職と昔から言われているように技術を身につけなければ、企業で働くといっても多くが非正規にしかなれないからそれではどうにもならない。

 さらに、阿波藍で六次産業化を達成していることも将来を明るくしている。

 経済的に困っているわけではないが、着るものにはさほどカネをかけず、旅行、映画や本とか、尺八などの文化的なものには惜しげもなく消費してしてきた。

 会津綿できた藍染の作務衣は結構な値段だったが、欲しくなったから買い求めた。
 結果は、藍染の部分が一番気に入っているくらいで、藍染はお薦めである。

 最後に徳島といえば、県名を昔ながらの「阿波」に変更した方がいいし、葉っぱビジネスで知られる「彩」の上勝町も頑張っていることは知っていたが、もう一つ付け加えたい。

 「ラジオ深夜便」だったと思うが美馬市に移住したフランス人シェフがいると言っていたので調べたら、ゴーラン・オリビエ・ポールさんのことだった。
 武術、中でも合気道の指導を受けるために日本にやってきて、東京から徳島に住む師匠の指導を仰いていたが、定年を機に、東京から美馬市に移住し、そば粉ガレット専門店Cap'tainオーナーシェフをしている。
 美馬市はフランス南部の田舎の雰囲気がある由。

 誰でもが田舎に住めるわけではないが、気力があれば、田舎暮らしは悪いものではない。
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2022年01月01日

NHKアナから伊勢根付職人に

 2022年が明けた。
 相変わらず、コロナ禍が続き、先行き不透明な時代が続きそうで、不安がいっぱいである。
 年頭に仏壇と神棚にコロナに感染せず、1年間安穏に暮らせるように祈った。

 2022年の1回目に取り上げるのは、日本の伝統工芸、伝統芸能の分野から三重県指定伝統工芸品「伊勢根付」の職人梶浦明日香さん(40)のことを取り上げておきたい。

 2021年12月27日の読売「就活ON!」で紹介されていた梶浦さんは元NHKアナという安定した職業を捨て、「伊勢根付」の職人に転職したという事で、絣の作務衣のような仕事着で写されたとびっきりの笑顔に惹きつけられ書きたくなった。

 就活応援の紙面だから、「目の前のことに面白がって打ち込めば、きっと新しい道が見えてくる。」という梶浦さんのアドバイスも就活生に送られている。

 梶浦さんは入社3年目に「東海の技」という職人を紹介するコーナーを担当した時、手工芸品が身近にない現代は、その価値を職人自ら発信しなければ伝わらず、、後継者不足で衰退してしまう。誰かがやらなければ…。と考えた時、「発信する仕事をしてきた私がやろう」と思った。
 27歳で退職し、取材を機に親しくなった伊勢根付職人、中川忠峰さんの元で修業を始めた。
 根付を選んだのは、栗の中にネズミをデザインした根付を「栗鼠」リスと名付けるようなユーモアに惹かれたから。
 根付は現代でいうストラップ。巾着などを帯からつるす留め具で、直径数aの中に細かな造形を彫り込む芸術品である。

 一般財団法人「伝統的工芸品産業振興協会」によれば、経済産業大臣指定する伝統的工芸品は全国に236品目ある。(2021年1月現在)。
 職人の数は1979年に約28万人いたが、2018年には約5万人に減少。生産額も1983年の約5405億円をピークに減少し、2017年には約927億円とおよそ6分の1に減った。
 経産省も補助金などで支援している。


 NHKアナという給料も高く、社会的注目度も高い職業を捨て、伊勢根付職人に転職した梶浦さんにまずエールを送りたい。
 梶浦さんのような女性が社会を変革するトップランナーだと言っても過言ではない。

 以前から訴えてきたのは、農業林業などの一次産業への若い人たちの就職であるが、当然、職人も農業、林業と同じように有望な職業だという事を発信してきた。

 しかも、職人の世界は様々な分野があり、身近なところではとび職、大工、左官などから伝統工芸品まで多岐にわたっている。

 しかし、仕事が大変な割に社会的な注目度はそれほどでもないという事で、職人全般について、希望する人が決して多いとは言えない状況が続く。

 しかし、企業が正規雇用から、非正規雇用にシフトしてから、正規雇用ならいざ知らず、非正規雇用では安定した生活が望めず、それならという事で、今後は一次産業や職人のなり手が増えていくことはまちがいない。

 職人は技術を身に着ければ、定年はないし、やりがいもあるが、宣伝力がなかった。
 ネットの時代だから、職人の世界の㏚が上手くいけば希望者が増えていくだろうし、生産されたものの需要も増えるであろう。

 先行きは絶対明るいはずだ。
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2021年10月26日

「伝統的酒造り」「書道」初の登録無形文化財へ

 文化審議会は15日、改正文化財保護法で新設した登録無形文化財に、「書道」と「伝統的酒造り」を登録するよう文部科学相に答申した。とメデイアが伝えている。

 10月15日の朝日のデジタルや10月20日の読売によれば、従来の指定制度に比べて規制や基準が緩やかで、幅広く無形の文化財を保護して継承を後押しする。

 書道は漢字の伝来以来、中国の優れた書から技法を吸収し、平安中期以降に日本独特の表現が生まれ、和歌文化とともに仮名の書が発展。広く生活に浸透し、歴史上の意義があり芸術上の価値が高いと評価した。

 伝統的酒造りは日本の風土が作り上げてきた麴菌を使う手作業のわざを指し、日本酒や焼酎、泡盛、みりんなどの酒造りに生かされてきた。酒は「古事記」にも登場し古くから日本に根ざしてきた食文化の一つで、歴史上の意義があるとした。

 関係者は国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)への将来の登録も見据え技術継承により一層努めることになりそうだ。


 40代早々で炎症性腸疾患クローン病になってしまい、それまでは、酒を飲むことはあったが、病気になってしまってからは、食事制限を長く続けてきて酒を飲むどころではなくなってしまった。

 ところが、世の中よくしたもので、連れ合いがビール大好き人間で、仲間の女性と毎月定例で飲み会をするほどで、その都度、駅から遠いわが家のこととて、必ず、車で迎えに行っていた。

 映画を一緒に観に行くときなどは昼食でもビールを飲むし、それでも定年まで頑張って働いてくれたから、自分は50代早々に退職し、畑をやることができたので感謝している。

 しかし、退職後は、キッチンドリンカーというのだろうか、ビールを飲みながら夕食の支度をしているのでアルコール依存症にならないか心配だ。

 やがて、わが家に新しい家族が増え、その御仁がこれまた無類の酒好きときてるから、自分は飲まなくとも、わが家ではビールだけでなく、酒もよく買い求めるようになったので、伝統的な酒造りが無形文化財になったことを喜んでいる。
 そもそも、先人の智慧で発酵食品がつくられ、できたものが、体に佳いことは大昔から、わかっていたことである。
 だから、過ぎたるは及ばざるがごとしで飲み過ぎなければ酒が体に悪いことがあるわけがない。

 次いで、書道であるが、パソコンがいくら普及しようが書道が衰退することなどありえない。
 今をときめく、将棋の藤井聡太さんが揮毫した扇子など飛ぶように売れる。
 印刷など価値がないし、サインペンではダメで、筆に墨ということでなければ揮毫とは言わない。

 神社仏閣などでの札所巡りで、寺で筆に墨を使わず、筆ペンなどというところがたまにあるが、有難みが全くない。

 というように書道は日本の文化、生活に根付いているので、社会的地位がいくらあっても、筆が持てないようでは、尊敬されない。

 若い頃10年以上書道をやっていたことがあって、書道の価値がよくわかっているから、書道の無形文化財登録に大いに気分を佳くした。

 書道の師匠は中国の王義之などの大家であることは間違いないが、今ではすっかり日本の文化として根付いている。
 日本酒は麹菌が日本のものだから日本酒など、日本の宝である。

 ユネスコなど全く関心がないが、日本の伝統を守っていくことは実はとても大事なことである。
posted by 遥か at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝統芸能、伝統工芸