水俣病の未認定患者に一時金などを支給する水俣病被害者救済法に基づく救済対象から外れた熊本県や鹿児島県の住民ら144人が国と熊本県、原因企業のチッソに1人あたり450万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、熊本地裁は22日、原告側の請求を棄却した。とメディアが伝えている。
3月22日の読売の夕刊1面トップ記事によれば、品川英基裁判長は原告のうち25人を水俣病と認定したが、いずれも不法行為から20年で損害賠償請求権が失われる「除斥期間」を適用して退けた。
同種訴訟は全国4地裁で起こされており、初の司法判断となった2023年9月の大阪地裁判決は、救済法対象外の住民らを水俣病と認定し、国などに賠償を命じており、判断が分かれた。大阪地裁判決は、2006年以降に訴訟のために実施された検診時を起算点として、国などの除斥期間適用の主張を退けていた。
救済法は09年に施行され、約5万5000人が補償を受けたが、約9600人は救済対象と認められない「非該当」と判断された。こうした救済法が適用されなかった住民らが、13年6月に熊本地裁に提訴した。
主な争点は、手足の感覚障害などを訴える原告らが水俣病に該当するか否か。救済法適用の条件となっている居住地域(メチル水銀が排出された水俣湾周辺の対象地域に1年以上居住)や、出生時期(水銀の排出が停止された翌年の1969年11月末までに出生)の妥当性なども争われた。
「除斥期間」適用の可否も争われた。被告側は仮に水俣病を発症したとしても、遅くとも72年が起算点だとして、20年が過ぎたと主張。原告側は健康調査をしていないことから、適用は正義公平の観点から許されないとし、2013年以降に受けた診断時を起算点とすべきだと訴えていた。
熊本訴訟を巡っては14回にわたって提訴を重ね、原告総数は4地裁で最多の1400人。今回の判決は1、2陣提訴分の144人(50歳代〜90歳代)が対象となった。
読売新聞の人生案内を読んでいるような子どもだったから、所謂早熟だったのだろう。世の中の出来事に関心を持つようになったのは必然と言えるかもしれない。
肝心な思春期に受験勉強にもう一つ身が入らず、3人姉弟の中で一番出来が悪く何処にも行くところがなかった愚息だった。明治生まれの父親は長男は跡取りという保守的な考えだったから、あまり怒られることはなかったが、その分、姉弟に八つ当たりしたと言われ、今でも、恨み言を言われたりしている。
学生時代が全共闘世代だから、ゲバ棒を持ってデモ行進するなど反体制運動に参加しそうだと周囲に思われていた節があるが、16歳になった夏休み、その父親が病死していたので、ゲバ棒持つどころではなくなり,おとなしくしていた。
それでも、世の中がどうも弱者が生きにくいという思いを持ち続けていたから、50代半ばを前に退職し、自由になってから、語り継ぐ戦争、犯罪被害者や公害病患者などのためにできることをやろうとするようになっていく。
公害病では何と言っても、水俣病、それも胎児性水俣病に激しく心を揺さぶられた。
若い頃、水俣病のことを知っていたにも関わらず、何もしなかったことに後ろめたさを感じるようになり、水俣を訪れて慰霊碑にお参りすることにしたというわけだ。
こうして発信するときでさえ、水俣病のことを書くと怒り心頭になってくる。
1956年5月1日、公式確認されたということで、連れ合いの誕生した時には公式確認されるほど、実際はもっと早くにわかっていたはずだから、それほど長いこと患者たちは苦しみを抱いて生活してきたことになる。
毎年5月1日、不知火の海を埋め立てした海浜公園と小高い丘の上にある乙女塚で慰霊祭が開催されている。
患者団体主催の乙女塚塚の慰霊祭に参加している胎児性水俣病の坂本しのぶさんは「水俣病は終わっていない」と未認定患者を患者と認めるように訴えている。
有機水銀が混ざった工場廃液で海を汚したのは誰だ。その不知火の海で生きていた魚は有機水銀が毒だとわからないから口に入れる。
その魚を食べた人たちが有機水銀中毒になったというのが水俣病である。
誰が悪いのか明白である。原因企業チッソである。工場からの有機水銀混じりの汚染水をなかなかストップさせなかった国の責任だって明白である。県にも同様に責任がある。
裁判所は除斥期間20年ということで損害賠償請求を棄却したが、除斥期間の取り方は、患者に有利になるようにやろうと思えば大阪地裁の裁判官のようの患者の主張する2013年からだと認めればいいだけのことではないか。
患者は悪くないのだ。この視点に立てば、患者の主張を認められるが、認めたくないとチッソや国や県の立場寄りになれば、おのずと答えは棄却することになる。
悪くない側が救済されない裁判なんて茶番だといってもいいくらいだ。
チッソ、国、県はどれ程患者を苦しめれば気がすむのだ。
裁判所は公平な立場から、苦しめられ続けている患者のことをもっと真剣に考えてもらいたい。
2024年03月23日
2024年03月22日
廃食油 航空燃料活用で「お宝」に
二酸化炭素(CO2)の排出削減につながる次世代航空燃料「SAF」の原料として、天ぷらや揚げ物の調理で使い終わった植物油(廃食油)に注目が集まっている。SAFは世界中で使用が広がり、来年には国内でも製造が始まる。廃食油は争奪戦の様相を呈している。と3月19日の読売(山下智寛記者)が伝えている。
◆SAF(持続可能な航空燃料)は廃食油や藻類などが原料。燃焼時に排出されるCO2は、原料の植物が光合成で吸収した量と相殺されるため、ジェット燃料に比べ、排出量を実質8割削減できる。と解説があった。
川崎市では2007年から、市民団体「かわさきかえるプロジェクト)が民家や公共施設など約150か所に廃食油の回収拠点を設け、回収してせっけんなどにリサイクルする。
地球温暖化への関心が高まり、原油由来のジェット燃料を使用して大量のCO2を排出する航空機には、欧米を中心に「フライト・シェイム(飛び恥)」との批判が強まっている。
代わる燃料として期待されるのが、植物由来のSAF。20年の全世界の製造量は6・3万キロ・リットルだが、国連の国際民間航空機関(ICAO)は、50年の需要量は、6億5000万キロ・リットルに達すると見込む。
そこで注目されているのが、年間10万トン排出される家庭の廃食油だが、回収は1割ほどにとどまる。
京都市や神奈川県藤沢市など、一般ごみと同じように回収拠点を設けたり、戸別に回収したりする自治体はある。東京都は23年度から、廃食油を回収する都内の区市町村に対し、回収経費を最大200万円補助する取り組みを始めている。
廃食油を回収してせっけんを作っていることは環境問題に関心があったことから知っていた。
廃食油を航空燃料にする試みも知ってはいたが、争奪戦になるほどとは知らなかった。
東京都とイトーヨーカ堂は、持続可能な航空燃料(SAF)の原料となる廃食用油の回収キャンペーン等を共同で実施している。と江東区の㏋にある。
リターナブルボトルを活用した廃食用油の回収だ。回収したら、せっけんをつくり、SAFも当然視野にいれているらしい。
近くのスーパーがペットボトルや牛乳パックを回収することに協力しているので、プラスして廃食油を回収することだってやる気になればできないことはない。
江戸時代の循環型社会を経ている日本は、リサイクルなどやる気になれば何でもできる。
古紙回収として、新聞の回収、段ボールや雑誌、本、次いで、びん、かん、その次がペットボトル、電池や蛍光灯、プラスチックを回収している自治体もある。牛乳パックやトレイはスーパーで回収している。廃食油の回収だってその気になれば難しいことではないだろう。
語り継ぐ戦争では、日本は資源に乏しかったことから、資源を手に入れるために戦線を広げ過ぎた。
敗色濃厚になるや、寺の鐘などめぼしい金属類は供出、松の根から松根油を取り出し、航空燃料になどと考えたこともあったやに聞く。
ごみは「分ければ資源」という標語を考えた人がいたが、雑紙まで自治体の回収では持って行ってくれる。
回収した廃食油で石けんを作ることだって悪いことでは無論ないが、航空燃料として使われた方がさらに地球環境のためにはベターである。
家庭から出る所謂生ごみ、野菜くずなどを畑に埋めることで循環型社会を作るための一助にしているわが家では、自治体の回収には当然のことながら協力的であるし、町内会(自治会)の資源回収にも協力的である。
ただし、天ぷらとかフライなどはお総菜売り場から買い求めてしまうため、廃食油の回収だけは参加できない。
まあ、食生活の問題でもあるが、天ぷらやフライなどほとんど食さず、ほぼ、野菜中心に食事しているし、脂を控えているからか、コレステロールなどの検査値も悪くない。
だから、回収は廃食油がたくさん出る家庭にお願いするしかないのである。
◆SAF(持続可能な航空燃料)は廃食油や藻類などが原料。燃焼時に排出されるCO2は、原料の植物が光合成で吸収した量と相殺されるため、ジェット燃料に比べ、排出量を実質8割削減できる。と解説があった。
川崎市では2007年から、市民団体「かわさきかえるプロジェクト)が民家や公共施設など約150か所に廃食油の回収拠点を設け、回収してせっけんなどにリサイクルする。
地球温暖化への関心が高まり、原油由来のジェット燃料を使用して大量のCO2を排出する航空機には、欧米を中心に「フライト・シェイム(飛び恥)」との批判が強まっている。
代わる燃料として期待されるのが、植物由来のSAF。20年の全世界の製造量は6・3万キロ・リットルだが、国連の国際民間航空機関(ICAO)は、50年の需要量は、6億5000万キロ・リットルに達すると見込む。
そこで注目されているのが、年間10万トン排出される家庭の廃食油だが、回収は1割ほどにとどまる。
京都市や神奈川県藤沢市など、一般ごみと同じように回収拠点を設けたり、戸別に回収したりする自治体はある。東京都は23年度から、廃食油を回収する都内の区市町村に対し、回収経費を最大200万円補助する取り組みを始めている。
廃食油を回収してせっけんを作っていることは環境問題に関心があったことから知っていた。
廃食油を航空燃料にする試みも知ってはいたが、争奪戦になるほどとは知らなかった。
東京都とイトーヨーカ堂は、持続可能な航空燃料(SAF)の原料となる廃食用油の回収キャンペーン等を共同で実施している。と江東区の㏋にある。
リターナブルボトルを活用した廃食用油の回収だ。回収したら、せっけんをつくり、SAFも当然視野にいれているらしい。
近くのスーパーがペットボトルや牛乳パックを回収することに協力しているので、プラスして廃食油を回収することだってやる気になればできないことはない。
江戸時代の循環型社会を経ている日本は、リサイクルなどやる気になれば何でもできる。
古紙回収として、新聞の回収、段ボールや雑誌、本、次いで、びん、かん、その次がペットボトル、電池や蛍光灯、プラスチックを回収している自治体もある。牛乳パックやトレイはスーパーで回収している。廃食油の回収だってその気になれば難しいことではないだろう。
語り継ぐ戦争では、日本は資源に乏しかったことから、資源を手に入れるために戦線を広げ過ぎた。
敗色濃厚になるや、寺の鐘などめぼしい金属類は供出、松の根から松根油を取り出し、航空燃料になどと考えたこともあったやに聞く。
ごみは「分ければ資源」という標語を考えた人がいたが、雑紙まで自治体の回収では持って行ってくれる。
回収した廃食油で石けんを作ることだって悪いことでは無論ないが、航空燃料として使われた方がさらに地球環境のためにはベターである。
家庭から出る所謂生ごみ、野菜くずなどを畑に埋めることで循環型社会を作るための一助にしているわが家では、自治体の回収には当然のことながら協力的であるし、町内会(自治会)の資源回収にも協力的である。
ただし、天ぷらとかフライなどはお総菜売り場から買い求めてしまうため、廃食油の回収だけは参加できない。
まあ、食生活の問題でもあるが、天ぷらやフライなどほとんど食さず、ほぼ、野菜中心に食事しているし、脂を控えているからか、コレステロールなどの検査値も悪くない。
だから、回収は廃食油がたくさん出る家庭にお願いするしかないのである。
2024年03月17日
石綿作業2か月「労災」 47年後肺がんで死亡
1970年にアスベスト(石綿)を使う作業に従事し、47年後に肺がんで死亡した男性(当時65歳)について、横須賀労働基準監督署が2023年3月に労災認定した。国は肺がんの場合の認定要件を「石綿にさらされた期間が10年以上などとするが、男性の作業期間は約2か月という異例の短さだった。と3月7日の読売が夕刊で伝えている。
石綿は1970〜90年にかけて多く輸入され、2006年から製造や使用が禁止された。石綿を吸って疾病を発症するまでの潜伏期間は30〜50年とされる。
労基署に意見書を提出するなど妻の労災申請を支援した「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」の担当者は「『たばこが原因』と言われて労災認定を諦める人は多いが、石綿による労災の疑いがあれば気軽に相談してほしい」と話している。
2023年12月13日のNHKWEBによれば、建物の解体作業に従事し、肺がんで死亡した81歳の男性がアスベストによるがんだったとして労災に認定されたことがわかった。男性は国の救済制度の申請が退けられていて、支援団体はその後、労災が認められたケースは異例だとしている。
アスベスト被害の患者などの支援にあたる団体は13日、厚生労働省で記者会見を開き、40年近く建物の解体作業に従事し、2022年、81歳で死亡した都内の男性が労災に認定されたことを明らかにした。
昨日、建設労働者の労働環境の改善に関して取り上げたが、建設労働者の多くが苦しめられたアスベスト(石綿)による公害病に関して、石綿作業に2か月従事し、47年後肺がんで死亡した男性が妻の労災申請が認められたことを伝えるニュースが流れた一方で、2023年の年末には、同じく肺がんで死亡した男性が国の救済制度の申請が退けられた後、労災が認められたことを伝えるニュースがあった。
労災で救済されたニュースは悪くはないが、当事者にしてみれば、肺に疾患となればおそらく相当な苦しみだったにちがいない。
苦しみながら亡くなった個人には気の毒なことだが、遺族にとってはいくらかなりとも生活の支援にはなるだろう。
公害病といえば、水俣病を筆頭に患者の苦しみは想像を絶する。
有機水銀による中毒のすさまじさは有機水銀が混じった工場廃液から魚を通じて胎児にまで及び、生まれてから重い荷物を背負わされて生きていかなければならない患者に対し、チッソや国、県などの関係者が患者の立場に寄り添っているとはとても思えない。
同じ公害病であっても、アスベスト(石綿)は水俣病などとは異なり、製造工場周辺の住民が吸って苦しめられたことはあるが、主には建設現場や工場作業などでアスベストを使用した労働者が吸って肺に異常を来したわけで、労働者が一所懸命に働きながら、体を蝕んでいった労働災害であることに特色がある。
水俣病、アスベストと何回となく書いてきたが、結局弱い立場の人間が苦しめられることになる構図は同じなのだ。
お上が原因を突き止めて承知していながら、企業寄りで患者のことは後回しにしてきたこともいつの世も変わらない。
国家権力は信用できないし、自分の行く末をあなた任せにしていると、語り継ぐ戦争での満蒙開拓団みたいなひどい目にあうことになってしまう。
アスベストは水俣病と異なり、労働者の問題として労災という救済制度があったのはよかった。
石綿は1970〜90年にかけて多く輸入され、2006年から製造や使用が禁止された。石綿を吸って疾病を発症するまでの潜伏期間は30〜50年とされる。
労基署に意見書を提出するなど妻の労災申請を支援した「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」の担当者は「『たばこが原因』と言われて労災認定を諦める人は多いが、石綿による労災の疑いがあれば気軽に相談してほしい」と話している。
2023年12月13日のNHKWEBによれば、建物の解体作業に従事し、肺がんで死亡した81歳の男性がアスベストによるがんだったとして労災に認定されたことがわかった。男性は国の救済制度の申請が退けられていて、支援団体はその後、労災が認められたケースは異例だとしている。
アスベスト被害の患者などの支援にあたる団体は13日、厚生労働省で記者会見を開き、40年近く建物の解体作業に従事し、2022年、81歳で死亡した都内の男性が労災に認定されたことを明らかにした。
昨日、建設労働者の労働環境の改善に関して取り上げたが、建設労働者の多くが苦しめられたアスベスト(石綿)による公害病に関して、石綿作業に2か月従事し、47年後肺がんで死亡した男性が妻の労災申請が認められたことを伝えるニュースが流れた一方で、2023年の年末には、同じく肺がんで死亡した男性が国の救済制度の申請が退けられた後、労災が認められたことを伝えるニュースがあった。
労災で救済されたニュースは悪くはないが、当事者にしてみれば、肺に疾患となればおそらく相当な苦しみだったにちがいない。
苦しみながら亡くなった個人には気の毒なことだが、遺族にとってはいくらかなりとも生活の支援にはなるだろう。
公害病といえば、水俣病を筆頭に患者の苦しみは想像を絶する。
有機水銀による中毒のすさまじさは有機水銀が混じった工場廃液から魚を通じて胎児にまで及び、生まれてから重い荷物を背負わされて生きていかなければならない患者に対し、チッソや国、県などの関係者が患者の立場に寄り添っているとはとても思えない。
同じ公害病であっても、アスベスト(石綿)は水俣病などとは異なり、製造工場周辺の住民が吸って苦しめられたことはあるが、主には建設現場や工場作業などでアスベストを使用した労働者が吸って肺に異常を来したわけで、労働者が一所懸命に働きながら、体を蝕んでいった労働災害であることに特色がある。
水俣病、アスベストと何回となく書いてきたが、結局弱い立場の人間が苦しめられることになる構図は同じなのだ。
お上が原因を突き止めて承知していながら、企業寄りで患者のことは後回しにしてきたこともいつの世も変わらない。
国家権力は信用できないし、自分の行く末をあなた任せにしていると、語り継ぐ戦争での満蒙開拓団みたいなひどい目にあうことになってしまう。
アスベストは水俣病と異なり、労働者の問題として労災という救済制度があったのはよかった。
2024年02月17日
事故45年 廃炉作業続く スリーマイル島原発
商用炉で世界初のメルトダウン(炉心溶融)事故となった1979年3月のスリーマイル島(TMI)原子力発電所事故から45年を前に、本紙記者が廃炉作業中の原発構内に入った。事故が起きた2号機では核燃料の大半が回収されたが、強い放射線を出すデブリが今なお残り、ロボットなどで取り出すための準備が進んでいた。と2月11日の読売(冨山優介記者)が伝えている。
6日、米ペンシルベニア州を流れるサスケハナ川の中州にある島に入る。
2号機は、元々の運営会社が買収されるなどの経緯をたどり、20年12月、廃炉ビジネスを手がける米エナジーソリューションズ社へ売却された。
東京電力福島第一原発と同様に、TMI原発でも放射性物質を含んだ大量の水が生じ、その処理が問題となった。福島第一原発では2023年8月から約130万トンの処理水の海洋放出が始まったが、TMI原発では蒸発させる方法が採用され、1991〜93年に約8700トンが水蒸気として大気に放出された。
原子炉内の核燃料約130トンのうち溶けて固まったデブリを含めて99%は、掘削機を挿入するなどして90年までに取り出され、アイダホ州の国立研究所で保管されている。ただ、最終的な処分地は未定という。
残る1%のデブリは原子炉底部などに散らばったままだ。廃炉作業の副責任者、フランク・エプラー氏は「2037年に廃炉を完了させる」との目標を明らかにした。
TMI原発での作業は、3基の原子炉で推定約880トンのデブリがあり、41〜51年の廃炉完了を目指す福島第一原発より難易度が低い。それでも完了まで事故から約60年を必要とする。「廃炉の困難さを認識した上で、企業と規制当局、地域が力を合わせることが大切だ。福島でも同じだろう」。エプラー氏はそう述べた。
原発事故が起きない。そう思いたいから東京電力は勝手にアピールしていた安全神話が真っ赤なウソだった。
語り継ぐ戦争だから、アジア太平洋戦争で真珠湾を攻撃し、米国に宣戦布告した日本軍の幹部は米国と戦争しても勝てるわけがないことを知っていたが米国が停戦を求めてくるとか、ソ連が参戦してくることがわかっていながら、ソ連が参戦しないと思い込みたくて、関東軍の主力を南下させてしまった。
そっくりである。
それでも、原発で懐が潤った連中は原発賛成、容認という態度である。
放射能に汚染された汚染水を処理水と言い換えたことも戦争に敗れた日を敗戦と呼ばずに終戦と呼んでいることとそっくりである。
まあ、汚染水を処理したから処理水と呼ぶのだろうが、トリチウムだとかいう放射性物質が除去できていないことを考えれば、処理水と呼ぶことも納得しにくいが、海洋放水してしまったから、もう遅いかも。
2011年の3月11日からもうじき、13年。記憶がだんだん風化しつつあるが、廃炉作業はこれからであることを考えるとき、読売の記者がスリーマイル島の原発を訪れたのはメディアの記者として大いに評価できる。
スルーマイル島原発同様1986年4月26日に事故が起きたウクライナのチェルノブイリ原発はロシアがウクライナに侵攻侵略中であるから、どうなっていることやら、詳しいことは不明である。
いずれにしても、原発は事故が起きるし、事故が起きてしまえば、廃炉作業に気の遠くなるような年月がかかるはずだ。
最終処分場がないにもかかわらず、原発を稼働させることは無責任極まりない。
原発が集中する日本海側、北陸地方は地震が多いことで知られている地域でもある。
原発はできるだけなくす方向で考えていくべきだ。
6日、米ペンシルベニア州を流れるサスケハナ川の中州にある島に入る。
2号機は、元々の運営会社が買収されるなどの経緯をたどり、20年12月、廃炉ビジネスを手がける米エナジーソリューションズ社へ売却された。
東京電力福島第一原発と同様に、TMI原発でも放射性物質を含んだ大量の水が生じ、その処理が問題となった。福島第一原発では2023年8月から約130万トンの処理水の海洋放出が始まったが、TMI原発では蒸発させる方法が採用され、1991〜93年に約8700トンが水蒸気として大気に放出された。
原子炉内の核燃料約130トンのうち溶けて固まったデブリを含めて99%は、掘削機を挿入するなどして90年までに取り出され、アイダホ州の国立研究所で保管されている。ただ、最終的な処分地は未定という。
残る1%のデブリは原子炉底部などに散らばったままだ。廃炉作業の副責任者、フランク・エプラー氏は「2037年に廃炉を完了させる」との目標を明らかにした。
TMI原発での作業は、3基の原子炉で推定約880トンのデブリがあり、41〜51年の廃炉完了を目指す福島第一原発より難易度が低い。それでも完了まで事故から約60年を必要とする。「廃炉の困難さを認識した上で、企業と規制当局、地域が力を合わせることが大切だ。福島でも同じだろう」。エプラー氏はそう述べた。
原発事故が起きない。そう思いたいから東京電力は勝手にアピールしていた安全神話が真っ赤なウソだった。
語り継ぐ戦争だから、アジア太平洋戦争で真珠湾を攻撃し、米国に宣戦布告した日本軍の幹部は米国と戦争しても勝てるわけがないことを知っていたが米国が停戦を求めてくるとか、ソ連が参戦してくることがわかっていながら、ソ連が参戦しないと思い込みたくて、関東軍の主力を南下させてしまった。
そっくりである。
それでも、原発で懐が潤った連中は原発賛成、容認という態度である。
放射能に汚染された汚染水を処理水と言い換えたことも戦争に敗れた日を敗戦と呼ばずに終戦と呼んでいることとそっくりである。
まあ、汚染水を処理したから処理水と呼ぶのだろうが、トリチウムだとかいう放射性物質が除去できていないことを考えれば、処理水と呼ぶことも納得しにくいが、海洋放水してしまったから、もう遅いかも。
2011年の3月11日からもうじき、13年。記憶がだんだん風化しつつあるが、廃炉作業はこれからであることを考えるとき、読売の記者がスリーマイル島の原発を訪れたのはメディアの記者として大いに評価できる。
スルーマイル島原発同様1986年4月26日に事故が起きたウクライナのチェルノブイリ原発はロシアがウクライナに侵攻侵略中であるから、どうなっていることやら、詳しいことは不明である。
いずれにしても、原発は事故が起きるし、事故が起きてしまえば、廃炉作業に気の遠くなるような年月がかかるはずだ。
最終処分場がないにもかかわらず、原発を稼働させることは無責任極まりない。
原発が集中する日本海側、北陸地方は地震が多いことで知られている地域でもある。
原発はできるだけなくす方向で考えていくべきだ。
2024年01月26日
海に残らない「プラ」開発
少し前のことになるが読売が「サイエンス Report」というタイトルで「海に残らない『プラ』開発」をテーマにマイクロプラスチックの現状や対策について2023年の9月3日の朝刊で伝えていた。
「釣り糸短期間で完全分解」「微生物パワーでMP解消」「世界中で24兆粒漂流か」という見出しで、海洋を漂いお魚君が誤飲するリスクが高く、食物連鎖で人間にも良いことにはならないはずのマイクロプラスチックを減らす試みが行われているのだという。
紙面の解説によれば、マイクロプラスチックは大きさ5_以下の微細なプラスチックの粒子。プラスチック素材のごみが海に流出し、紫外線や波の力の影響で細かく砕けてできる。海洋以外にも、土壌や大気、湖などで検出されている。
魚類やウミガメなど海洋生物の誤飲を招きやすく、解決策が模索されている。
そうした中で注目を浴びているのが、海中で水と二酸化炭素に分解される「海洋性分解性プラスチック」と呼ばれるプラスチックだ。
東京大学の伊藤耕三教授らのグループは海洋性分解性プラスチックの釣り糸や漁網、タイヤなどの開発を進めている。
群馬大学などの研究グループは、微生物埋め込み型プラスチックの開発に成功している。
各グループの研究は、技術革新を目指す「ムーンショット型研究開発制度」に採用されたことから政府から最長10年間にわたり研究費の支援がある。
大正から昭和の初めに建築されたと伝えられていた蔵を維持管理できなくなって解体したが、なんでも鑑定団に出品するようなお宝はなくてがっがリした。
池袋方面の骨董関係の業者にほとんどの品物を引き取ってもらったが、祖父の愛用していた釣り竿があったので、形見の品として保管している。
庭に池を作り、鯉に餌をやるのを楽しみにしていたというくらいだから、魚釣りが趣味だったのかもしれないが、釣りには全く興味関心がない自分としては、釣り竿を眺めて、祖父の時代はプラスチック製品があったのかどうか不明ながら、海洋を漂うマイクロプラスチック問題には関心があるので、海に残らない「プラ」開発には大いにエールをおくりたい。
畑で有機無農薬で野菜作りを実践している。首都圏には限らないだろうが、どこの畑でも通称マルチと呼ばれる黒いビニールを敷き詰め、保温と草除けをする人がほとんどである。
ところが、このマルチは腐らないので、畑に残ったりすると美観を汚す。そこで、不要になったマルチなどは農協が回収してくれるようになっている。
自分は非プラスチック派だから、マルチを使わないでもう20年近く野菜作りを実践してきたが、寄る年波で、除草が大変になってきたので、マルチの使用を検討してみたら、価格が高いが、微生物がマルチを溶かすというか土に還す優れもののマルチができていることがわかった。
堆肥化されるなら、使用することもやぶさかではないが、プラスチック製品には変わりがないので、同調したくはない。
TVで釣り番組が放送されるくらいだから、釣り人口は少なくないだろうから、まず、この人たちの意識を変えていく必要があるし、漁業関係者の意識改革も重要になって来る。
とにかく、ひとり一人が海洋に長く漂うマイクロプラスチックを減らす意識を持つことから始まる。
「釣り糸短期間で完全分解」「微生物パワーでMP解消」「世界中で24兆粒漂流か」という見出しで、海洋を漂いお魚君が誤飲するリスクが高く、食物連鎖で人間にも良いことにはならないはずのマイクロプラスチックを減らす試みが行われているのだという。
紙面の解説によれば、マイクロプラスチックは大きさ5_以下の微細なプラスチックの粒子。プラスチック素材のごみが海に流出し、紫外線や波の力の影響で細かく砕けてできる。海洋以外にも、土壌や大気、湖などで検出されている。
魚類やウミガメなど海洋生物の誤飲を招きやすく、解決策が模索されている。
そうした中で注目を浴びているのが、海中で水と二酸化炭素に分解される「海洋性分解性プラスチック」と呼ばれるプラスチックだ。
東京大学の伊藤耕三教授らのグループは海洋性分解性プラスチックの釣り糸や漁網、タイヤなどの開発を進めている。
群馬大学などの研究グループは、微生物埋め込み型プラスチックの開発に成功している。
各グループの研究は、技術革新を目指す「ムーンショット型研究開発制度」に採用されたことから政府から最長10年間にわたり研究費の支援がある。
大正から昭和の初めに建築されたと伝えられていた蔵を維持管理できなくなって解体したが、なんでも鑑定団に出品するようなお宝はなくてがっがリした。
池袋方面の骨董関係の業者にほとんどの品物を引き取ってもらったが、祖父の愛用していた釣り竿があったので、形見の品として保管している。
庭に池を作り、鯉に餌をやるのを楽しみにしていたというくらいだから、魚釣りが趣味だったのかもしれないが、釣りには全く興味関心がない自分としては、釣り竿を眺めて、祖父の時代はプラスチック製品があったのかどうか不明ながら、海洋を漂うマイクロプラスチック問題には関心があるので、海に残らない「プラ」開発には大いにエールをおくりたい。
畑で有機無農薬で野菜作りを実践している。首都圏には限らないだろうが、どこの畑でも通称マルチと呼ばれる黒いビニールを敷き詰め、保温と草除けをする人がほとんどである。
ところが、このマルチは腐らないので、畑に残ったりすると美観を汚す。そこで、不要になったマルチなどは農協が回収してくれるようになっている。
自分は非プラスチック派だから、マルチを使わないでもう20年近く野菜作りを実践してきたが、寄る年波で、除草が大変になってきたので、マルチの使用を検討してみたら、価格が高いが、微生物がマルチを溶かすというか土に還す優れもののマルチができていることがわかった。
堆肥化されるなら、使用することもやぶさかではないが、プラスチック製品には変わりがないので、同調したくはない。
TVで釣り番組が放送されるくらいだから、釣り人口は少なくないだろうから、まず、この人たちの意識を変えていく必要があるし、漁業関係者の意識改革も重要になって来る。
とにかく、ひとり一人が海洋に長く漂うマイクロプラスチックを減らす意識を持つことから始まる。
2024年01月25日
コーヒー「豆かす」からあられ「アップサイクル」で
廃棄物を加工して新たな商品を生み出す「アップサイクル」の取り組みが、企業にも広がっている。環境意識の高まりから、アップサイクル製品に好印象を抱く消費者も多く、市場は今後もますます拡大しそうだ。と1月20日の読売が夕刊で伝えている。
東京都立産業技術大学院大の越水重臣教授によると、「アップサイクル」は、1994年にドイツで初めて提唱された概念。廃品をいったん資源に戻して再び同等の素材として使う「リサイクル」に較べ、よりよいものを生み出すという意味合いが強い。
国内で2000年代に入って個人や中小企業の取り組みが見られるようになり、SDGsの浸透で資源の有効活用や廃棄物削減に対する消費者の意識の高まりを背景に、近年は大手企業にも広がり始めた。
実例としては、飲食チェーン「プロントコーポレーション」は2023年2月、コーヒーの「豆かす」で作ったあられを売り出している。
伊藤園は20年以上前からアップサイクル事業を進め、緑茶の茶殻を活用して様々な製品を生み出し、今やそのバリエーションは100種類を超える。
茶殻の消臭抗菌作用に目をつけ、茶殻を練り込んだ「畳ボード(畳の芯)」を開発。靴のインソール、枕の芯材、梱包する段ボールにも茶殻入りの再生紙を使う徹底ぶりだ。
語り継ぐ戦争で、九死に一生という経験を乗り越え、生き延びた人の証言を耳にし、人は生かされているのだと実感するようになった。
ついで、『鬼平犯科帳』などで知られる池波正太郎さんの「善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。 悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ」のがひとというものだ。に影響され、環境に良くないことをしたり、佳いことをしたりするものだと思うようになっている。
さらに、ひとりの力は知れているが、大勢集まれば世の中を変えられることを教えてもらった事件があった。 米国で著名な映画プロデューサーから受けた性暴力を告発した女性の勇気が#MeTooを起こし、世の中を変える力になった。
具体的にはわが国の刑法で、性暴力の名称が強姦罪から強制性交罪を経て、不同意性交罪となったことで、芸人の性暴力が告発され、時効になっていない被害者が刑事、民事で告訴すれば、この男は間違いなく裁かれ有罪となる可能性が高くなっている。
ということで、ささやかではあるが、わが家ではコーヒーの豆かす、本格的なものではないが、豆かすを集めて畑の肥料にしている。
アップサイクルが理想ではあるが、わが家では、所謂生ごみは毎日、畑に埋め、コメのとぎ汁は野菜の根本にかけている。
水俣病のことを勉強するうちに農薬、化学肥料を使わない、プラスチック製品はなるべく使わないことを旨に有機無農薬で野菜作りをするようになった。
肥料に豚糞を主に使っていたが、YOUTUBEや本で教えてもらったぼかし肥料を使うようになったら、野菜の出来が著しくよくなったので、今後は切り替えていくつもりだ。
因みに、ぼかし肥料とは米ぬか、油かす、そして魚粉末に水を加えて混ぜ合わせてつくる。
一人で頑張っているが、畑に限らず、戸建てに住んでいて、土がある家なら埋めることができるが、開発が進む東京では厳しいかもしれない。
アップサイクルになるかわからないが、豆腐を作るときに出るおから、酒造りで出る酒かすなどはコーヒーの豆かす同様、量がたくさんあるはずだから、これを廃棄するなんてとんでもない資源の無駄である。
米を精米して取れる米ぬかが肥料として極めて有効であることを考えれば、おからや酒かすは家畜の飼料に使えるはずだし、ここからアップサイクルすれば、菓子などつくれるはずだ。
SDGsの考え方が浸透し、廃棄物の見直しを進めれば、循環型社会が一歩前進する。
一人ひとりが集まって行けば、世の中を変えられる。
東京都立産業技術大学院大の越水重臣教授によると、「アップサイクル」は、1994年にドイツで初めて提唱された概念。廃品をいったん資源に戻して再び同等の素材として使う「リサイクル」に較べ、よりよいものを生み出すという意味合いが強い。
国内で2000年代に入って個人や中小企業の取り組みが見られるようになり、SDGsの浸透で資源の有効活用や廃棄物削減に対する消費者の意識の高まりを背景に、近年は大手企業にも広がり始めた。
実例としては、飲食チェーン「プロントコーポレーション」は2023年2月、コーヒーの「豆かす」で作ったあられを売り出している。
伊藤園は20年以上前からアップサイクル事業を進め、緑茶の茶殻を活用して様々な製品を生み出し、今やそのバリエーションは100種類を超える。
茶殻の消臭抗菌作用に目をつけ、茶殻を練り込んだ「畳ボード(畳の芯)」を開発。靴のインソール、枕の芯材、梱包する段ボールにも茶殻入りの再生紙を使う徹底ぶりだ。
語り継ぐ戦争で、九死に一生という経験を乗り越え、生き延びた人の証言を耳にし、人は生かされているのだと実感するようになった。
ついで、『鬼平犯科帳』などで知られる池波正太郎さんの「善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。 悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ」のがひとというものだ。に影響され、環境に良くないことをしたり、佳いことをしたりするものだと思うようになっている。
さらに、ひとりの力は知れているが、大勢集まれば世の中を変えられることを教えてもらった事件があった。 米国で著名な映画プロデューサーから受けた性暴力を告発した女性の勇気が#MeTooを起こし、世の中を変える力になった。
具体的にはわが国の刑法で、性暴力の名称が強姦罪から強制性交罪を経て、不同意性交罪となったことで、芸人の性暴力が告発され、時効になっていない被害者が刑事、民事で告訴すれば、この男は間違いなく裁かれ有罪となる可能性が高くなっている。
ということで、ささやかではあるが、わが家ではコーヒーの豆かす、本格的なものではないが、豆かすを集めて畑の肥料にしている。
アップサイクルが理想ではあるが、わが家では、所謂生ごみは毎日、畑に埋め、コメのとぎ汁は野菜の根本にかけている。
水俣病のことを勉強するうちに農薬、化学肥料を使わない、プラスチック製品はなるべく使わないことを旨に有機無農薬で野菜作りをするようになった。
肥料に豚糞を主に使っていたが、YOUTUBEや本で教えてもらったぼかし肥料を使うようになったら、野菜の出来が著しくよくなったので、今後は切り替えていくつもりだ。
因みに、ぼかし肥料とは米ぬか、油かす、そして魚粉末に水を加えて混ぜ合わせてつくる。
一人で頑張っているが、畑に限らず、戸建てに住んでいて、土がある家なら埋めることができるが、開発が進む東京では厳しいかもしれない。
アップサイクルになるかわからないが、豆腐を作るときに出るおから、酒造りで出る酒かすなどはコーヒーの豆かす同様、量がたくさんあるはずだから、これを廃棄するなんてとんでもない資源の無駄である。
米を精米して取れる米ぬかが肥料として極めて有効であることを考えれば、おからや酒かすは家畜の飼料に使えるはずだし、ここからアップサイクルすれば、菓子などつくれるはずだ。
SDGsの考え方が浸透し、廃棄物の見直しを進めれば、循環型社会が一歩前進する。
一人ひとりが集まって行けば、世の中を変えられる。
2024年01月20日
イタイイタイ病 和解から10年 まだ終わっていない
「『まだ終わっていない』 イタイイタイ病 “全面解決”10年 被害者団体の当時の代表に聞く10年の思い」を1月20日の朝のNHKで視聴することができた。
2023年の12月27日に初回の放送していたらしいが、知らずに過ごしていた。
「四大公害病の1つ、富山県の「イタイイタイ病」。患者は骨がもろくなり、わずかな動きでも骨折するため、「痛い、痛い」と苦しみながら亡くなった。
被害者団体と原因企業三井金属鉱業が、イタイイタイ病の問題が「全面的に解決した」とする合意書を取り交してから、2023年12月17日で10年となった。
しかし、当時、原因企業との交渉にあたった被害者団体の前代表の木勲寛さん(82)は、「イタイイタイ病はまだ終わっていない」と言います。なぜなのか、その思いを聞いた。(林慶介記者)」と㏋にコンセプトがある。
1968年、日本で初めて公害病と認定されたイタイイタイ病。
高木さんは少年時代、祖母がイタイイタイ病で苦しみ、母親が看病する様子を見て育ち、被害者団体の代表を2022年まで20年近く務めていた。
祖母の苦しみは20年くらいは続いていたと記憶する。
患者の多くは、子どものいる30代半ば以上の農家の女性だった。
患者やその家族は、「病気がうつる」などと、誤解や偏見、差別にも苦しめられてきた。
イタイイタイ病は、神通川上流にある岐阜県の三井金属鉱業神岡鉱山から流れ出た「カドミウム」による、川や農地の汚染が原因だった。
1972年、被害住民たちは、原因企業を訴えた裁判で勝訴。
木さんは被害者の救済などに長年取り組み、10年前、原因企業との間で全面解決の合意にこぎつけた。
しかし、いわゆる“カドミウム腎症”、カドミウムによる腎臓の機能低下とか障害が出ている人の救済が残っている。
全面解決では、企業側が1人60万円の一時金を支払うことで合意した。
団体としては、それまで求めていた“カドミウム腎症”などの公害病の認定は諦めるかたちで、苦渋の決断だったという。
国の健康調査を受けるなどして一時金を受け取った人たちは、この10年で286人(2023年11月末時点)。
一方、被害者団体は、対象は500人以上と見込んでいる。
団体は健康調査の受診や一時金の申請を呼びかけていて、健康管理支援制度の周知が課題となっている。
「イタイイタイ病がまだ終わっていない」と考えるもう1つの理由が、復元された農地の「地盤沈下」の問題である。
復元された農地は、860ヘクタール余り。
修復が必要となった田んぼは、これまでに650か所余り確認されている。
さらに、「教訓の継承」に力を注ぎ、富山県立イタイイタイ病資料館で「語り部」としてイタイイタイ病公害のことを次の世代に語り継ごうとしている。
イタイイタイ病の認定患者201人のうち、生存しているのは90代のただ1人。
2020年になってからコロナ禍でそれまで全国を周っていた語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚に行かれなくなってしまった。
同じ公害病の水俣には2017年6月に行き、犠牲者の慰霊碑にお参りしてきた。
戦没者の慰霊ではあるが、公害病の犠牲者の慰霊でもお参りすることにしているので、富山にも行き、イタイイタイ病資料館に行くつもりだった。
富山は語り継ぐ戦争でも、1945年8月2日の富山空襲、米軍からの空爆で約50万発以上の焼夷弾で市街地がほぼ全焼しているので慰霊碑にお参りしようと考えていた。
八尾の風の盆にも大いに関心があるので、祭りはともかく、八尾にも行ってみたかった。
明けて2024年の元日の能登半島地震である。
能登半島と富山の距離感をつかんでいないが、影響がないはずがないにしても、2024年は大阪でお世話になった知人の墓参りに行くつもりだから、出来たら、富山まで行ってみたいと願っている。
さて、イタイイタイ病である。
1968年5月8日に公害病として全国初の認定されてから50年ということで2018年の5月に書いているが、水俣病があまりにも有名になった反面、イタイイタイ病はそれほどでもないような気がしている。
炎症性腸疾患クローン病で小腸が数か所狭隘になってしまったため、ほぼ、毎日のように腸閉塞で腹痛が起きてしまう。
ということで、痛いのは苦手であるから、痛いという言葉が一つでなく、イタイイタイと重なり、泣き叫んでいるほどの痛みだろうからその苦しみは半端ないであろうと推察する。
原因物質が水俣病が有機水銀なら、イタイイタイ病はカドミウムであり、もっと広く知られてもいいはずなのによく知られていないように思えるのはメディアの取り上げる回数にもよるかもしれない。
カドミウムが腎臓を悪化させているということなら、きちんと認定すべきである。
水俣病とイタイイタイ病、いずれも未認定の患者がいるとされているからには、最後の一人まできちんと認定するのが国の責任であり、役割である。
2023年の12月27日に初回の放送していたらしいが、知らずに過ごしていた。
「四大公害病の1つ、富山県の「イタイイタイ病」。患者は骨がもろくなり、わずかな動きでも骨折するため、「痛い、痛い」と苦しみながら亡くなった。
被害者団体と原因企業三井金属鉱業が、イタイイタイ病の問題が「全面的に解決した」とする合意書を取り交してから、2023年12月17日で10年となった。
しかし、当時、原因企業との交渉にあたった被害者団体の前代表の木勲寛さん(82)は、「イタイイタイ病はまだ終わっていない」と言います。なぜなのか、その思いを聞いた。(林慶介記者)」と㏋にコンセプトがある。
1968年、日本で初めて公害病と認定されたイタイイタイ病。
高木さんは少年時代、祖母がイタイイタイ病で苦しみ、母親が看病する様子を見て育ち、被害者団体の代表を2022年まで20年近く務めていた。
祖母の苦しみは20年くらいは続いていたと記憶する。
患者の多くは、子どものいる30代半ば以上の農家の女性だった。
患者やその家族は、「病気がうつる」などと、誤解や偏見、差別にも苦しめられてきた。
イタイイタイ病は、神通川上流にある岐阜県の三井金属鉱業神岡鉱山から流れ出た「カドミウム」による、川や農地の汚染が原因だった。
1972年、被害住民たちは、原因企業を訴えた裁判で勝訴。
木さんは被害者の救済などに長年取り組み、10年前、原因企業との間で全面解決の合意にこぎつけた。
しかし、いわゆる“カドミウム腎症”、カドミウムによる腎臓の機能低下とか障害が出ている人の救済が残っている。
全面解決では、企業側が1人60万円の一時金を支払うことで合意した。
団体としては、それまで求めていた“カドミウム腎症”などの公害病の認定は諦めるかたちで、苦渋の決断だったという。
国の健康調査を受けるなどして一時金を受け取った人たちは、この10年で286人(2023年11月末時点)。
一方、被害者団体は、対象は500人以上と見込んでいる。
団体は健康調査の受診や一時金の申請を呼びかけていて、健康管理支援制度の周知が課題となっている。
「イタイイタイ病がまだ終わっていない」と考えるもう1つの理由が、復元された農地の「地盤沈下」の問題である。
復元された農地は、860ヘクタール余り。
修復が必要となった田んぼは、これまでに650か所余り確認されている。
さらに、「教訓の継承」に力を注ぎ、富山県立イタイイタイ病資料館で「語り部」としてイタイイタイ病公害のことを次の世代に語り継ごうとしている。
イタイイタイ病の認定患者201人のうち、生存しているのは90代のただ1人。
2020年になってからコロナ禍でそれまで全国を周っていた語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚に行かれなくなってしまった。
同じ公害病の水俣には2017年6月に行き、犠牲者の慰霊碑にお参りしてきた。
戦没者の慰霊ではあるが、公害病の犠牲者の慰霊でもお参りすることにしているので、富山にも行き、イタイイタイ病資料館に行くつもりだった。
富山は語り継ぐ戦争でも、1945年8月2日の富山空襲、米軍からの空爆で約50万発以上の焼夷弾で市街地がほぼ全焼しているので慰霊碑にお参りしようと考えていた。
八尾の風の盆にも大いに関心があるので、祭りはともかく、八尾にも行ってみたかった。
明けて2024年の元日の能登半島地震である。
能登半島と富山の距離感をつかんでいないが、影響がないはずがないにしても、2024年は大阪でお世話になった知人の墓参りに行くつもりだから、出来たら、富山まで行ってみたいと願っている。
さて、イタイイタイ病である。
1968年5月8日に公害病として全国初の認定されてから50年ということで2018年の5月に書いているが、水俣病があまりにも有名になった反面、イタイイタイ病はそれほどでもないような気がしている。
炎症性腸疾患クローン病で小腸が数か所狭隘になってしまったため、ほぼ、毎日のように腸閉塞で腹痛が起きてしまう。
ということで、痛いのは苦手であるから、痛いという言葉が一つでなく、イタイイタイと重なり、泣き叫んでいるほどの痛みだろうからその苦しみは半端ないであろうと推察する。
原因物質が水俣病が有機水銀なら、イタイイタイ病はカドミウムであり、もっと広く知られてもいいはずなのによく知られていないように思えるのはメディアの取り上げる回数にもよるかもしれない。
カドミウムが腎臓を悪化させているということなら、きちんと認定すべきである。
水俣病とイタイイタイ病、いずれも未認定の患者がいるとされているからには、最後の一人まできちんと認定するのが国の責任であり、役割である。
2023年12月11日
無電柱化世界に遅れ 欧州は「100%」なのに
電線を地中に埋める「無電柱化」が進んでいない。道路の安全確保や良好な景観形成につながることから、普及が期待されているが、多額の工事費などがネックになり、無電柱化の目標を盛り込んだ推進計画を策定済みの自治体は約1割。電柱のない区間は道路全体の1%にとどまる。
国土交通省は工事費の補助制度を設けるなど、整備の促進に力を入れる。と12月2日の読売(石坂麻子記者)が夕刊で伝えている。
無電柱化は世界的な潮流だ。国交省によると、ロンドンやパリなど欧州の主要都市は100 %で、アジアでも台北96%、ソウル49%で実現している。
国は無電柱化を促すため、2016年に無電柱化推進法を施行。都道府県と市町村が「無電柱化推進計画」を策定し、公表することを努力義務としたほか、11月10日を「無電柱化の日」として啓発に取り組むことなどを盛り込んだ。
20年度には推進計画を定めた自治体に工事費を補助する制度を創設。工事費は原則として国、自治体、電力会社・通信会社が3分の1ずつ負担するが、制度では自治体負担分の約半分を補助する。
失われた30年と言われている。
この30年間財界のために代理人のような政治を進めてきた自民党政権が非正規雇用者を増やし、賃金を上げさせず、消費税率は上げる政策で景気がよくならなかったことを指摘している。
その典型が東京五輪、大阪万博で、終わってしまった五輪は、事前に予測された通り汚職まみれの利権大会になり、逮捕者がでている。
東京五輪で一握りの企業や役員が利権に群がり税金を食い物にしてしまったが、東京都民の将来のことを考えれば、無電柱化にカネを使うべきだった。
このことは自民党清和政策研究会(安部派)のパーティ券収入裏金流用問題が証明している。
絶対権力者が倒されるや、それまで手が出せなかった反日反社の旧統一教会の悪事が暴かれ、国会で糾弾されるようになった。
かと思えば、東京地検特捜部でさえ手が出せなかった安倍派の政治資金集めと帳簿に記載しない裏金の追及まで行われている。
一人の権力者が倒れると、政治が変わるのだ。
公共工事を税金の還流が行われるからということで悪者みたいに考えていたこともあったが、公共工事こそどんどんやって、景気を下支えする必要がある。
無電柱化は無論のこと、古くなった道路、橋梁、トンネル、上下水道、など計画的に改修を進めなければならない。
TVで時代劇といえば、再放送ばかりで、TV局の怠慢で新しい時代劇が制作されなくなった。
時代劇といえば、撮影所のセットはともかく、撮影シーンに電線があったり、電柱があっては困るので、ロケ現場を探すのは大変だろうと推察する。
つまり、電柱や電線が如何に景観にとって邪魔な存在というか、空が狭くなってしまうのだ。
無電柱化率100%のロンドンやパリなど欧州は流石だし、台北でさえ96%だというのだから、やればできるはずだ。
米軍の役にも立たないトマホークを買わないで、無電柱化に取り組めと言いたい。
国土交通省は工事費の補助制度を設けるなど、整備の促進に力を入れる。と12月2日の読売(石坂麻子記者)が夕刊で伝えている。
無電柱化は世界的な潮流だ。国交省によると、ロンドンやパリなど欧州の主要都市は100 %で、アジアでも台北96%、ソウル49%で実現している。
国は無電柱化を促すため、2016年に無電柱化推進法を施行。都道府県と市町村が「無電柱化推進計画」を策定し、公表することを努力義務としたほか、11月10日を「無電柱化の日」として啓発に取り組むことなどを盛り込んだ。
20年度には推進計画を定めた自治体に工事費を補助する制度を創設。工事費は原則として国、自治体、電力会社・通信会社が3分の1ずつ負担するが、制度では自治体負担分の約半分を補助する。
失われた30年と言われている。
この30年間財界のために代理人のような政治を進めてきた自民党政権が非正規雇用者を増やし、賃金を上げさせず、消費税率は上げる政策で景気がよくならなかったことを指摘している。
その典型が東京五輪、大阪万博で、終わってしまった五輪は、事前に予測された通り汚職まみれの利権大会になり、逮捕者がでている。
東京五輪で一握りの企業や役員が利権に群がり税金を食い物にしてしまったが、東京都民の将来のことを考えれば、無電柱化にカネを使うべきだった。
このことは自民党清和政策研究会(安部派)のパーティ券収入裏金流用問題が証明している。
絶対権力者が倒されるや、それまで手が出せなかった反日反社の旧統一教会の悪事が暴かれ、国会で糾弾されるようになった。
かと思えば、東京地検特捜部でさえ手が出せなかった安倍派の政治資金集めと帳簿に記載しない裏金の追及まで行われている。
一人の権力者が倒れると、政治が変わるのだ。
公共工事を税金の還流が行われるからということで悪者みたいに考えていたこともあったが、公共工事こそどんどんやって、景気を下支えする必要がある。
無電柱化は無論のこと、古くなった道路、橋梁、トンネル、上下水道、など計画的に改修を進めなければならない。
TVで時代劇といえば、再放送ばかりで、TV局の怠慢で新しい時代劇が制作されなくなった。
時代劇といえば、撮影所のセットはともかく、撮影シーンに電線があったり、電柱があっては困るので、ロケ現場を探すのは大変だろうと推察する。
つまり、電柱や電線が如何に景観にとって邪魔な存在というか、空が狭くなってしまうのだ。
無電柱化率100%のロンドンやパリなど欧州は流石だし、台北でさえ96%だというのだから、やればできるはずだ。
米軍の役にも立たないトマホークを買わないで、無電柱化に取り組めと言いたい。
2023年12月04日
地球沸騰「気候難民」増加社会不安に
今夏、世界を襲った猛暑は「地球沸騰化時代」の到来を予感させた。30日開幕の国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)を前に、温暖化が人々の暮らしを脅かす現場や、世界の対策の現状をリポートする。ということで11月27日から読売が「地球沸騰COP28」というタイトルで上中下3回1面で取り上げていた。
「干ばつ・洪水 故郷捨て」「『気候難民』増加 社会不安に」、「山火事 日常のみ込む」「欧州 『脱炭素』先送り」という見出しが伝える内容は、人類の活動で地球が危機に瀕しているということである。
NHKクローズアップ現代でも11月27日、「桑子キャスターが行く“地球沸騰化”の世界 第1夜 急増“気候難民” 故郷追われた先に」でこの問題を取り上げていた。
「いま世界で気候変動によって住み慣れた場所からの移住を余儀なくされる“気候難民”が急増。2050年までに2億人以上が“気候難民”になり、世界が不安定化するとの指摘も。しかし国際社会で明確な位置づけがなく、支援の手は届きにくい。番組では桑子キャスターが歴史的な干ばつに見舞われたアフリカ東部などを取材。私たちの暮らしがどんな影響を及ぼしているのか、日本など先進国の責任や役割とは―。現地から生中継。」と㏋に概要がある。
学校を卒業し、社会人になって給料をもらうようになって、夏に北海道に旅行した。
1973(昭和48)年の夏のことではなかったか。
上野発の夜行列車で青森に到着し、青函連絡船で函館に渡り、あちこち名所を見学し、知床に行ったときのこと。原生林というのかみどり豊かで人が足を踏み入れていないところがあることを生まれて初めて知った。
青森と秋田県境にある白神山地がそういう雰囲気があると耳にするが、激しく心を揺さぶられた。
つい少し前まで、「地球温暖化」といっていたにもかかわらず、2023年になって「地球沸騰化」だというので自然界を荒らし、住みにくくしているのは自然界の天敵人間だということを自覚せざるをえない。
昨日、福岡マラソンがTV中継されていたが、先頭集団はケニアなどの出身者ばかりだった。
そのケニアでは、干ばつで農業がダメになり、農民たちが悲鳴をあげていた。
食べられないから、生きるために故郷を捨て、他国に向かう人々のことを「気候難民」と呼んでいたが、移民先は当然のことのように政情不安になっていく。
干ばつといえば、国土が砂漠化しているアフガニスタンで農作物ができないため、困窮している住民のために医師でありながら、農業用水の灌漑事業に取り組んでいた中村哲医師が志半ばで恩を仇で返す武装勢力に殺害されてしまった。
しかし、中村哲医師のお陰で、灌漑用水ができているところでは農作物が採れるようになっている。
ケニアでも先進国が力を合わせて、灌漑用水路を敷設するようにしてやらない限り、気候難民を減らすことは難しい。
次いで、山火事で地球の貴重なみどりが失われていく様子をTVで視聴し、茫然とし、なんてことをするんだと怒りが沸き上がってきた。
山火事といえば、カナダのケベック州の2023年の森林消失面積は、過去10年間の平均の23倍以上となる523万f。8月にハワイのマウイ島で大規模な山火事が発生し、ギリシャでも山火事が発生している。
山火事の多発や大規模化は地球温暖化の影響だという識者の指摘もある。
脱炭素政策をリードしてきた欧州に揺り戻し現象が起きているのはロシアによるウクライナ侵略がきっかけとなったインフレである。
天然ガスをロシアに依存してきたエネルギー政策を見直す必要にも迫られている。
日本はといえば、東日本大震災で福島第一原発で事故が起きた当時はおとなしかった原発推進派が脱炭素といえば、息を吹き返してきたかのように原発推進を企む。
発展途上国というか、先般取り上げた、インドネシアにおける貧しき人達によるプラごみが混入した廃棄物の焼却が行われていたようにまず、アジアの脱炭素に日本の技術が貢献できるかということも地球規模で考えれば大きな問題である。
温暖化どころか地球沸騰だと聞けば、やれるところから少しずつでも脱炭素を進めていくよりない。
意識改革も重要である。
「干ばつ・洪水 故郷捨て」「『気候難民』増加 社会不安に」、「山火事 日常のみ込む」「欧州 『脱炭素』先送り」という見出しが伝える内容は、人類の活動で地球が危機に瀕しているということである。
NHKクローズアップ現代でも11月27日、「桑子キャスターが行く“地球沸騰化”の世界 第1夜 急増“気候難民” 故郷追われた先に」でこの問題を取り上げていた。
「いま世界で気候変動によって住み慣れた場所からの移住を余儀なくされる“気候難民”が急増。2050年までに2億人以上が“気候難民”になり、世界が不安定化するとの指摘も。しかし国際社会で明確な位置づけがなく、支援の手は届きにくい。番組では桑子キャスターが歴史的な干ばつに見舞われたアフリカ東部などを取材。私たちの暮らしがどんな影響を及ぼしているのか、日本など先進国の責任や役割とは―。現地から生中継。」と㏋に概要がある。
学校を卒業し、社会人になって給料をもらうようになって、夏に北海道に旅行した。
1973(昭和48)年の夏のことではなかったか。
上野発の夜行列車で青森に到着し、青函連絡船で函館に渡り、あちこち名所を見学し、知床に行ったときのこと。原生林というのかみどり豊かで人が足を踏み入れていないところがあることを生まれて初めて知った。
青森と秋田県境にある白神山地がそういう雰囲気があると耳にするが、激しく心を揺さぶられた。
つい少し前まで、「地球温暖化」といっていたにもかかわらず、2023年になって「地球沸騰化」だというので自然界を荒らし、住みにくくしているのは自然界の天敵人間だということを自覚せざるをえない。
昨日、福岡マラソンがTV中継されていたが、先頭集団はケニアなどの出身者ばかりだった。
そのケニアでは、干ばつで農業がダメになり、農民たちが悲鳴をあげていた。
食べられないから、生きるために故郷を捨て、他国に向かう人々のことを「気候難民」と呼んでいたが、移民先は当然のことのように政情不安になっていく。
干ばつといえば、国土が砂漠化しているアフガニスタンで農作物ができないため、困窮している住民のために医師でありながら、農業用水の灌漑事業に取り組んでいた中村哲医師が志半ばで恩を仇で返す武装勢力に殺害されてしまった。
しかし、中村哲医師のお陰で、灌漑用水ができているところでは農作物が採れるようになっている。
ケニアでも先進国が力を合わせて、灌漑用水路を敷設するようにしてやらない限り、気候難民を減らすことは難しい。
次いで、山火事で地球の貴重なみどりが失われていく様子をTVで視聴し、茫然とし、なんてことをするんだと怒りが沸き上がってきた。
山火事といえば、カナダのケベック州の2023年の森林消失面積は、過去10年間の平均の23倍以上となる523万f。8月にハワイのマウイ島で大規模な山火事が発生し、ギリシャでも山火事が発生している。
山火事の多発や大規模化は地球温暖化の影響だという識者の指摘もある。
脱炭素政策をリードしてきた欧州に揺り戻し現象が起きているのはロシアによるウクライナ侵略がきっかけとなったインフレである。
天然ガスをロシアに依存してきたエネルギー政策を見直す必要にも迫られている。
日本はといえば、東日本大震災で福島第一原発で事故が起きた当時はおとなしかった原発推進派が脱炭素といえば、息を吹き返してきたかのように原発推進を企む。
発展途上国というか、先般取り上げた、インドネシアにおける貧しき人達によるプラごみが混入した廃棄物の焼却が行われていたようにまず、アジアの脱炭素に日本の技術が貢献できるかということも地球規模で考えれば大きな問題である。
温暖化どころか地球沸騰だと聞けば、やれるところから少しずつでも脱炭素を進めていくよりない。
意識改革も重要である。
2023年12月03日
PFAS規制 メーカー代替物質開発商機に
有機フッ素化合物「PFAS(ピーファス)」の中で、毒性が問題視されている「PFOS(ピーフォス)」などが各地の河川や井戸水から検出され、自治体が調査や対応に追われている。
PFASは半導体や電気自動車(EV)など、幅広い製品の素材として使われているが、欧州などで規制を強化する動きもある。素材メーカーは代替物質の開発を進めており、新たな商機となる可能性もある。と11月27日の読売(田中俊資記者)が伝えている。
PFASは1万種類以上ある有機フッ素化合物の総称で、水や油をはじき、熱に強い性質を持つ。半導体の基板に塗る感光剤などのほか、フライパンのコーティングや泡消火剤にも使われている。自然界で分解されにくく、水や地中に長期間残る。PFASのうち、毒性が懸念されているのは、「PFOS」と「PFOA(ピーフォア)」だ。体内に多く取り込むと、がんなどを引き起こす可能性が指摘されており、政府は2021年までに製造や輸入を全面禁止した。
欧州では早ければ20年代後半に規制が強化される可能性があり、PFASを使った製品を欧州に輸出できなくなる恐れもある。
一方、規制強化が新たな商機となる可能性もある。
戦後の日本ではプラスチック製品が活用され、建材などではアスベスト製品が重用され,そしてPFASと日常生活のあらゆる場面で化学製品の便利さを享受してきた。
ところが、便利さは人類の生命と密接な関連があり、その負の遺産ともいうべき部分が今日、問題となっている。
例えば、プラスチックの原料アセトアルデヒドだったかを作るときできた有機水銀がチッソの工場廃液に混じって水俣湾に流され、水俣病の原因となったことが明らかになった。
プラスチック製品は、ふだんの生活に大変便利であるが、燃やすと有毒物質ダイオキシンを発生させる。
ダイオキシンは枯葉剤に使われ、ドクちゃんベトちゃんのような障がい児が多数生まれた。
ダイオキシン類のポリ塩化ビフェニールが製造過程で混入したカネミ油症事件も起きている。
アスベストは石綿として建材などで使われてきたが、労働者や工場周辺の住民が肺をやられる中皮腫などを発症し大きな社会問題となっている。
PFASは泡の消火剤や焦げないフライパンなどに利用されてきた優れものだが、人体に有害であるとされている。
米軍が基地内で使用し、基地外の井戸水など水質を汚染し大きな社会問題となっている。
米国内では日本の比ではないほど基地周辺の住民がこの問題を重視し、米軍は対応に追われているが、植民地同然の日本の基地内では米軍はやりたい放題で、危険物質を埋めたりすることを平然とやってきた。
PFASの規制を強化しようとしている欧州は流石だが、危険だとわかっていても対処せず放置してきたことで水俣病が広がった事実がある。
代替物質開発大いに結構、新たな商機大いに結構だからメーカーは頑張って取り組んでもらいたい。
併せて、日米地位協定を見直し、米軍に日本の基地をゴミ捨て場にするなと協議できるようにすべきである。
危ないとわかった時点で使用禁止にすることは当然として、わかっていながら、手を打たなかったために水俣病で苦しむ人が増えた事実をもっと重く受け止めるべきだ。
PFASは半導体や電気自動車(EV)など、幅広い製品の素材として使われているが、欧州などで規制を強化する動きもある。素材メーカーは代替物質の開発を進めており、新たな商機となる可能性もある。と11月27日の読売(田中俊資記者)が伝えている。
PFASは1万種類以上ある有機フッ素化合物の総称で、水や油をはじき、熱に強い性質を持つ。半導体の基板に塗る感光剤などのほか、フライパンのコーティングや泡消火剤にも使われている。自然界で分解されにくく、水や地中に長期間残る。PFASのうち、毒性が懸念されているのは、「PFOS」と「PFOA(ピーフォア)」だ。体内に多く取り込むと、がんなどを引き起こす可能性が指摘されており、政府は2021年までに製造や輸入を全面禁止した。
欧州では早ければ20年代後半に規制が強化される可能性があり、PFASを使った製品を欧州に輸出できなくなる恐れもある。
一方、規制強化が新たな商機となる可能性もある。
戦後の日本ではプラスチック製品が活用され、建材などではアスベスト製品が重用され,そしてPFASと日常生活のあらゆる場面で化学製品の便利さを享受してきた。
ところが、便利さは人類の生命と密接な関連があり、その負の遺産ともいうべき部分が今日、問題となっている。
例えば、プラスチックの原料アセトアルデヒドだったかを作るときできた有機水銀がチッソの工場廃液に混じって水俣湾に流され、水俣病の原因となったことが明らかになった。
プラスチック製品は、ふだんの生活に大変便利であるが、燃やすと有毒物質ダイオキシンを発生させる。
ダイオキシンは枯葉剤に使われ、ドクちゃんベトちゃんのような障がい児が多数生まれた。
ダイオキシン類のポリ塩化ビフェニールが製造過程で混入したカネミ油症事件も起きている。
アスベストは石綿として建材などで使われてきたが、労働者や工場周辺の住民が肺をやられる中皮腫などを発症し大きな社会問題となっている。
PFASは泡の消火剤や焦げないフライパンなどに利用されてきた優れものだが、人体に有害であるとされている。
米軍が基地内で使用し、基地外の井戸水など水質を汚染し大きな社会問題となっている。
米国内では日本の比ではないほど基地周辺の住民がこの問題を重視し、米軍は対応に追われているが、植民地同然の日本の基地内では米軍はやりたい放題で、危険物質を埋めたりすることを平然とやってきた。
PFASの規制を強化しようとしている欧州は流石だが、危険だとわかっていても対処せず放置してきたことで水俣病が広がった事実がある。
代替物質開発大いに結構、新たな商機大いに結構だからメーカーは頑張って取り組んでもらいたい。
併せて、日米地位協定を見直し、米軍に日本の基地をゴミ捨て場にするなと協議できるようにすべきである。
危ないとわかった時点で使用禁止にすることは当然として、わかっていながら、手を打たなかったために水俣病で苦しむ人が増えた事実をもっと重く受け止めるべきだ。
2023年11月30日
「人新世」廃棄物焼却とダイオキシン
NHKETV特集「人新世 ある村にて」を視聴することができた。「人新世」って何のことだろう。と思いながら視聴していたら、人が生きていくことがすなわち、地球の環境や生態系を悪化させることなんだと理解しつつ興味深く視聴したので書いておく。
「もっと豊かに、より良い明日を…人類の活動が地球の環境や生態系を変えつつあると提唱される「人新世」。その影響が人や社会に及ぶ場合、貧しいコミュニティに大きく現れることが指摘され始めている。
インドネシアのある村。かつては穏やかな沼地だった。
今、各地のプラスチック廃棄物が流れ着く。廃棄物は意外な方法で金になった…規制に取り組む政府。一方で、時代の渦にのみ込まれていく村の日々を見つめる。と㏋にコンセプトが書いてあった。
インドネシアの貧民街といえば失礼な表現かもしれないが、ここでは、プラスチックが混入した廃棄物を燃やして燃料にし、豆腐をつくることで生活の糧にしているのだ。
ゴミ問題に大いに関心を持っている立場からすれば、プラスチックを燃やせばどうなるか。すぐに有毒なダイオキシンが発生するから危ないじゃないかとなる。
枯葉剤や水俣病など公害問題に目が向くようになったら、現実にわが家では以前はともかく、プラスチックごみはなるべく、燃えないごみとして行政の回収に出すようになった。
プラスチック類が混じった多量の廃棄物はどこから来るのかといえば、先進国からやってくるわけで、番組でも貧しい人たちの暮らしむきがまるで植民地ではないか指摘されていた。
わかりやすくいえば、カネ持ちの後処理を貧乏人に委ねられているということになる。
先進国から出されたプラスチックが混入した廃棄物を焼却処理することをインドネシア政府も黙認しているわけではないようだが、貧しい人たちだって生きていかなければならないわけで、大気汚染の前に食べていくことが優先されることになってしまう。
結果、地球環境にとって大いなるマイナスであることはまちがいない。
タイの貧民街で売られてしまった子どもたちが幼児性愛者の買春相手をさせられ、エイズに感染して、死ぬと黒いごみ袋に入れられ、田んぼで火葬というより焼却されてしまう。買春の相手ばかりでなく、売られてしまった子どもたちは臓器移植をさせられてしまうことを伝えてくれた阪本順治監督『闇の子供たち』を観たとき激しく心を揺さぶられたことを思い出しながら、番組を視聴していた。
インドネシアの人々に限らず、食べるためなら人間何でもやるに決まっている。
政府が規制を強めても、ダイオキシンが発生すると言っても理解は得られまい。
廃棄物を先進国が国内で処理することと、貧富の格差是正の問題に取り組まなければプラスチックが混入した廃棄物が焼却されてしまいそうだ。
いつの時代も変わらない。
日本だって、戦前、戦中、戦後と貧しさ故に売られてしまった娘たちが遊廓で楼主から徹底的に搾取され、病気で死ねば、投げ込み寺に捨てられた。
売春防止法が成立したことが一番効果があったが、同時に戦後、一時期日本の経済がよくなって娘たちが身売りさせられなくなったという事情もある。
ところが、新自由主義を支持する自民党政権で貧富の格差が再び広がり、貧しい家庭では子どもたちが食べられず、見かねた心ある人たちが「子ども食堂」という形で支援に乗り出した。
財界の言うことだけを聞き、利権まみれ、差別主義者が跋扈する自民党政権が続く限り日本は浮上しない。
「生きているだけで素晴らしい」という理想を追求するれいわ新選組の山本太郎さんのような政治家が増えない限り日本に明るい展望は開けない。
インドネシアの話ではないのである。
「もっと豊かに、より良い明日を…人類の活動が地球の環境や生態系を変えつつあると提唱される「人新世」。その影響が人や社会に及ぶ場合、貧しいコミュニティに大きく現れることが指摘され始めている。
インドネシアのある村。かつては穏やかな沼地だった。
今、各地のプラスチック廃棄物が流れ着く。廃棄物は意外な方法で金になった…規制に取り組む政府。一方で、時代の渦にのみ込まれていく村の日々を見つめる。と㏋にコンセプトが書いてあった。
インドネシアの貧民街といえば失礼な表現かもしれないが、ここでは、プラスチックが混入した廃棄物を燃やして燃料にし、豆腐をつくることで生活の糧にしているのだ。
ゴミ問題に大いに関心を持っている立場からすれば、プラスチックを燃やせばどうなるか。すぐに有毒なダイオキシンが発生するから危ないじゃないかとなる。
枯葉剤や水俣病など公害問題に目が向くようになったら、現実にわが家では以前はともかく、プラスチックごみはなるべく、燃えないごみとして行政の回収に出すようになった。
プラスチック類が混じった多量の廃棄物はどこから来るのかといえば、先進国からやってくるわけで、番組でも貧しい人たちの暮らしむきがまるで植民地ではないか指摘されていた。
わかりやすくいえば、カネ持ちの後処理を貧乏人に委ねられているということになる。
先進国から出されたプラスチックが混入した廃棄物を焼却処理することをインドネシア政府も黙認しているわけではないようだが、貧しい人たちだって生きていかなければならないわけで、大気汚染の前に食べていくことが優先されることになってしまう。
結果、地球環境にとって大いなるマイナスであることはまちがいない。
タイの貧民街で売られてしまった子どもたちが幼児性愛者の買春相手をさせられ、エイズに感染して、死ぬと黒いごみ袋に入れられ、田んぼで火葬というより焼却されてしまう。買春の相手ばかりでなく、売られてしまった子どもたちは臓器移植をさせられてしまうことを伝えてくれた阪本順治監督『闇の子供たち』を観たとき激しく心を揺さぶられたことを思い出しながら、番組を視聴していた。
インドネシアの人々に限らず、食べるためなら人間何でもやるに決まっている。
政府が規制を強めても、ダイオキシンが発生すると言っても理解は得られまい。
廃棄物を先進国が国内で処理することと、貧富の格差是正の問題に取り組まなければプラスチックが混入した廃棄物が焼却されてしまいそうだ。
いつの時代も変わらない。
日本だって、戦前、戦中、戦後と貧しさ故に売られてしまった娘たちが遊廓で楼主から徹底的に搾取され、病気で死ねば、投げ込み寺に捨てられた。
売春防止法が成立したことが一番効果があったが、同時に戦後、一時期日本の経済がよくなって娘たちが身売りさせられなくなったという事情もある。
ところが、新自由主義を支持する自民党政権で貧富の格差が再び広がり、貧しい家庭では子どもたちが食べられず、見かねた心ある人たちが「子ども食堂」という形で支援に乗り出した。
財界の言うことだけを聞き、利権まみれ、差別主義者が跋扈する自民党政権が続く限り日本は浮上しない。
「生きているだけで素晴らしい」という理想を追求するれいわ新選組の山本太郎さんのような政治家が増えない限り日本に明るい展望は開けない。
インドネシアの話ではないのである。
2023年11月23日
使用済み紙おむつ処理焼却負担 国再生利用へ対策
介護が必要な高齢者の増加に伴い、使用済み紙おむつの廃棄量が増え続けている。水分を多く含む紙おむつごみは焼却処理が難しく、自治体はコスト増に頭を悩ませる。
環境省は今夏、リサイクルに取り組む自治体を3倍に増やす計画を策定したが、実現への道のりは容易ではない。と11月17日の読売(矢野恵祐、小野寺経太記者)が伝えている。
使用済み紙おむつのリサイクル技術は、民間業者の手で着実に進歩している。
千葉県松戸市のリサイクル会社「サムズ」は、病院や高齢者施設から毎月約25トンを回収し、洗剤入りの温水で洗浄。かくはんで分離させたプラスチックやパルプを乾燥させて固形燃料とし、販売している。
段ボールの製造にも成功し、全国の自治体や同業者から見学が相次ぐ。鴨沢卓郎社長は「自治体とも連携し、リサイクル体制の構築に協力したい」と話す。
焼却施設がなく全て埋め立て処分していた鹿児島県志布志市は2019年から、おむつメーカー「ユニ・チャーム」(東京)の協力を得て、紙おむつごみを分解・消毒し、紙おむつに再生する取り組みを進めている。埋め立て処分場は当初、約30年間で満杯になる予定だったが、使用期間を約13年延ばせる見通しになったという。
数年前、親の介護をし旅立たせたら、団塊の世代の一員としては自分が後期高齢者を目前にし、いつ自分が介護される立場になるかわからないという怖ろしい世代を迎えている。
介護される前にお迎えが来てくれることを祈りつつ、畑でもなるべく頭を使い、指先を使い、夕方の散歩を日課とし、何とか、ぼけずに寝たきりにならず、トイレにも自分で行かれるようにと努力している。
というのは、自分の母親がデイサービスのお世話になっているときは、まだ、トイレにも自分で行かれていたし、職員のお陰で元気でいてくれてありがたかった。しかし、やがて、認知症が進んだかして、トイレが自分で済ませられなくなって、最後は施設に入所ということになったことを反面教師としてみているからだ。
施設に入所してからは息子の自分のことさえわかっているのかどうかよくわからないというなんともいえない哀しみを体験した。
さて、乳児が使う紙おむつは当たり前のことで、自治体が悩むようなことではないが、高齢化で紙おむつの廃棄増が止まらず処理に自治体が悩んでいることには無関心ではいられない。
自分だっていつ紙おむつを使う立場にならないとも限らないし、焼却の負担のことを耳にすれば、国が再生利用への対策に力を入れてもらわなければ困るなとは思う。
民間のリサイクル技術が着実に進歩しているということで固形燃料或いは段ボールの製造にも成功した話は大いに喜びたい。
やればできるのだ。
紙おむつ処理に悩んでいる自治体の担当者は千葉県松戸市のリサイクル会社「サムズ」を視察し、リサイクルへの取り組みに力をいれてもらいたい。
心身の衰えに気分が暗くなるばかりであるが、こればかりは仕方ないことなのであきらめるよりない。
環境省は今夏、リサイクルに取り組む自治体を3倍に増やす計画を策定したが、実現への道のりは容易ではない。と11月17日の読売(矢野恵祐、小野寺経太記者)が伝えている。
使用済み紙おむつのリサイクル技術は、民間業者の手で着実に進歩している。
千葉県松戸市のリサイクル会社「サムズ」は、病院や高齢者施設から毎月約25トンを回収し、洗剤入りの温水で洗浄。かくはんで分離させたプラスチックやパルプを乾燥させて固形燃料とし、販売している。
段ボールの製造にも成功し、全国の自治体や同業者から見学が相次ぐ。鴨沢卓郎社長は「自治体とも連携し、リサイクル体制の構築に協力したい」と話す。
焼却施設がなく全て埋め立て処分していた鹿児島県志布志市は2019年から、おむつメーカー「ユニ・チャーム」(東京)の協力を得て、紙おむつごみを分解・消毒し、紙おむつに再生する取り組みを進めている。埋め立て処分場は当初、約30年間で満杯になる予定だったが、使用期間を約13年延ばせる見通しになったという。
数年前、親の介護をし旅立たせたら、団塊の世代の一員としては自分が後期高齢者を目前にし、いつ自分が介護される立場になるかわからないという怖ろしい世代を迎えている。
介護される前にお迎えが来てくれることを祈りつつ、畑でもなるべく頭を使い、指先を使い、夕方の散歩を日課とし、何とか、ぼけずに寝たきりにならず、トイレにも自分で行かれるようにと努力している。
というのは、自分の母親がデイサービスのお世話になっているときは、まだ、トイレにも自分で行かれていたし、職員のお陰で元気でいてくれてありがたかった。しかし、やがて、認知症が進んだかして、トイレが自分で済ませられなくなって、最後は施設に入所ということになったことを反面教師としてみているからだ。
施設に入所してからは息子の自分のことさえわかっているのかどうかよくわからないというなんともいえない哀しみを体験した。
さて、乳児が使う紙おむつは当たり前のことで、自治体が悩むようなことではないが、高齢化で紙おむつの廃棄増が止まらず処理に自治体が悩んでいることには無関心ではいられない。
自分だっていつ紙おむつを使う立場にならないとも限らないし、焼却の負担のことを耳にすれば、国が再生利用への対策に力を入れてもらわなければ困るなとは思う。
民間のリサイクル技術が着実に進歩しているということで固形燃料或いは段ボールの製造にも成功した話は大いに喜びたい。
やればできるのだ。
紙おむつ処理に悩んでいる自治体の担当者は千葉県松戸市のリサイクル会社「サムズ」を視察し、リサイクルへの取り組みに力をいれてもらいたい。
心身の衰えに気分が暗くなるばかりであるが、こればかりは仕方ないことなのであきらめるよりない。
2023年11月10日
廃プラの流出 対策底上げ
廃プラスチックの流出を抑制することが必要であることから、13日から始まる政府間交渉委員会から国際条約の交渉が本格化する。と11月4日の読売が解説の紙面で伝えている。
自然界へのプラ流出の抑制は、後回しできない問題だ。経済協力開発機構(OECD)によると、放出は世界で年間8200万d、うち600万dが川や海に流出する。回収は極めて難しく、分解されずに長期間環境中に残る。生態系や健康影響に対する危機感の高まりが条約策定の動きを後押しした経緯がある。
各国はすでに「上流」の製造、「中流」の使用、「下流」の廃棄に至るライフサイクル全体を交渉対象にすることで合意している。
使い捨てプラの削減、リサイクルしやすい製品の拡大といったテーマでどこまで踏み込んで合意できるかがポイントとなる。
環境への流出はアジアが多い。通常のプラは全体の5割、直径5_未満のマイクロチップでも4割を占める。使用量が多いわりに廃棄物処理が不十分でアジアの処理体制がカギとなっている。
プラスチック製品はいろいろあるが、よく使われているものとしてペットボトルはすぐに思い浮かぶ。
わが家では、2か月に1回行政が回収するときと、近くのスーパーに買い物に行くとき、設置されている回収ボックスを利用して処分している。
スーパーなどでは買い物した時のレジ袋が有料になったので、袋を持参するようにしているが、レジ袋は様々な用途で使用した後、ごみ袋として活用してきたのでレジ袋有料化による減量は好きではないが、捨てる奴がいる以上やむを得ないとは思っている。
有機無農薬での野菜作りをしているので、畑では除草や保温等から黒いマルチと呼ばれる敷物を使う人が100%であるが、自分は天邪鬼で他者と同じことをやりたくないという理由でこのマルチを使わない。
これは廃プラの削減に貢献しているばかりか、一つの自慢である。
しかし、その分、草むしりを人一倍頑張らなければならないし、今、植えつけているタマネギなどは手間がかかってたいへんである。
自分の部屋を見回してみて、主の好みでプラスチック類は少ない。
物入れにしているハコはソーメンの木箱、菓子が入っていた紙製であり、プラスチックの箱はない。
我が家には使えるエアコンがないし、夏は扇風機も部屋に置かなかった分、団扇は使うが、これも骨の部分がプラスチックの団扇は使わないので竹製のものである。
廃プラの流出問題を書くくらいだから、意識して脱プラ生活を心がけているが、現実はかなりな部分でお世話になっていることは事実である。だから、使用したものの処分には留意してきたが、ひとり一人の心がけで廃プラの流出を減らすことは可能だ。
まずは意識を変えていくことが課題ではないか。
自然界へのプラ流出の抑制は、後回しできない問題だ。経済協力開発機構(OECD)によると、放出は世界で年間8200万d、うち600万dが川や海に流出する。回収は極めて難しく、分解されずに長期間環境中に残る。生態系や健康影響に対する危機感の高まりが条約策定の動きを後押しした経緯がある。
各国はすでに「上流」の製造、「中流」の使用、「下流」の廃棄に至るライフサイクル全体を交渉対象にすることで合意している。
使い捨てプラの削減、リサイクルしやすい製品の拡大といったテーマでどこまで踏み込んで合意できるかがポイントとなる。
環境への流出はアジアが多い。通常のプラは全体の5割、直径5_未満のマイクロチップでも4割を占める。使用量が多いわりに廃棄物処理が不十分でアジアの処理体制がカギとなっている。
プラスチック製品はいろいろあるが、よく使われているものとしてペットボトルはすぐに思い浮かぶ。
わが家では、2か月に1回行政が回収するときと、近くのスーパーに買い物に行くとき、設置されている回収ボックスを利用して処分している。
スーパーなどでは買い物した時のレジ袋が有料になったので、袋を持参するようにしているが、レジ袋は様々な用途で使用した後、ごみ袋として活用してきたのでレジ袋有料化による減量は好きではないが、捨てる奴がいる以上やむを得ないとは思っている。
有機無農薬での野菜作りをしているので、畑では除草や保温等から黒いマルチと呼ばれる敷物を使う人が100%であるが、自分は天邪鬼で他者と同じことをやりたくないという理由でこのマルチを使わない。
これは廃プラの削減に貢献しているばかりか、一つの自慢である。
しかし、その分、草むしりを人一倍頑張らなければならないし、今、植えつけているタマネギなどは手間がかかってたいへんである。
自分の部屋を見回してみて、主の好みでプラスチック類は少ない。
物入れにしているハコはソーメンの木箱、菓子が入っていた紙製であり、プラスチックの箱はない。
我が家には使えるエアコンがないし、夏は扇風機も部屋に置かなかった分、団扇は使うが、これも骨の部分がプラスチックの団扇は使わないので竹製のものである。
廃プラの流出問題を書くくらいだから、意識して脱プラ生活を心がけているが、現実はかなりな部分でお世話になっていることは事実である。だから、使用したものの処分には留意してきたが、ひとり一人の心がけで廃プラの流出を減らすことは可能だ。
まずは意識を変えていくことが課題ではないか。
2023年11月07日
服 着なくなっら 福に 大田全域に回収箱
大田区内で古着の回収箱を設け、リサイクルやリメイクに回す独自の取り組みが広がっている。
当初はJR蒲田駅東口の駅前だけだった回収箱も、今では区内全域に拡大。関係者は「いらなくなった服を再活用するのが当たり前の街にしたい」と意気込む。と10月6日の読売(岡本立記者)が伝えている。
蒲田駅東口の駅前広場。毎週金、土曜になると、その一角に「クローゼットに眠った服はありませんか?」というメッセージが書かれた90センチ四方の木箱が4月から置かれている。
回収された古着は、リサイクル会社「FASHION X」(杉並区)がリメイクなどを担う。
状態のいい古着は、9月から蒲田東口商店街にある同社が倉庫として利用しているテナントの一角で販売し、古着を工場用の軍手や雑巾に生まれ変わらせる計画も進行中だという。
同社を設立した畠山怜之さん(32)は「大田区でモデルケースを構築して、いずれは全国や海外にもこの取り組みを広げていきたい」と目標を掲げている。
首都圏の田舎町に生まれ育った団塊の世代として、恥ずかしながらカミングアウトしてしまう。
祖父が昭和の初めに建てたと耳にしている蔵がわが家にあるのだが、3代目が不甲斐なくてとうとう解体することになった。
なまこ壁というのか、見てくれはかなり立派で、南側と南西側にモチノキが風よけとして植樹されている。ご近所にある蔵と較べても一番様子が佳くて、できれば修繕してずっと残したかったが、維持できなくなり、解体することになったのである。
子どもの頃、中に入ったことはあったが、大人になってからはわが家を建て替えときに家族が入ったくらいで、およそ40年ぶりに扉を開けた。長い間、開けることがなかったので鍵がさびついていて心配したが、蔵の片づけを依頼した家族が何とか開けてくれた。
1階の床板が半分くらい落ちていたが、わが家の3代目としては、せっかくだから2階にあがってみた。
「なんでも鑑定団」に出せるようなものはなく、片づけを頼んだ家族がアンティック、早くいえば骨董屋に連絡し、10月9日雨の降る中、東京は池袋の方から車2台でやってきて、かなりの量の品物を運び出して持って行ってくれたのである。助かった。
ゴミを片付けるのは有料だから、少しでも持って行ってもらえれば処分の手間と費用が助かるので、大いに喜んでいる。
片づけをやってくれた家族には少なかったが買取費用として日当分くらいにはなったらしい。
因みにどんなものがあったのか、何を持って行ってくれたのか書いておきたい。
祖父の釣り竿は形見の品として、商店を営んでいたということで、木箱に入った小さな秤があったので記念品として、座布団が使えそうだったので残す。父親が戦争で帰還してもらったのだろうか、日の丸がついている盃を父の形見として取っておくことにした。
片付けが終わってから、蔵の中に入っていないので、聞いたところによると、タンス、火鉢、椅子、皿など、ほかに自分が生まれてから買ってもらった兜や姉のお雛様などガラスケース入りの人形など、商店をしていたときの昭和の初めの提灯など、大きな竹の籠も持って行ってくれた。
持って行かなかったのは布団で、不明なのは箪笥の中の祖母の着物など。
とにかく、立派な柱以外お宝と呼べるようなものはなかったそうだが、買取の男たちは10月17,18日の埼玉スーパーアリーナで開催される骨董市に出品すると言っていたらしい。
さて、着なくなった服の活用であるが、わが家では町会の資源回収に出していたが、まだ着られるものはもったいないと思いつつ、資源回収に出してしまっていた。
リサイクルショップに行くのは面倒で、そんな気力がなかったからだが、大田区のような回収ボックスがあれば、そこまで持っていくくらいのことはできるかもしれない。
服は着られるにもかかわらず捨ててしまう人がいるくらいだし、古着ということで立派に商売している人だっているくらいだから、大田区の試みは素晴らしい。全国に広がってほしい。
当初はJR蒲田駅東口の駅前だけだった回収箱も、今では区内全域に拡大。関係者は「いらなくなった服を再活用するのが当たり前の街にしたい」と意気込む。と10月6日の読売(岡本立記者)が伝えている。
蒲田駅東口の駅前広場。毎週金、土曜になると、その一角に「クローゼットに眠った服はありませんか?」というメッセージが書かれた90センチ四方の木箱が4月から置かれている。
回収された古着は、リサイクル会社「FASHION X」(杉並区)がリメイクなどを担う。
状態のいい古着は、9月から蒲田東口商店街にある同社が倉庫として利用しているテナントの一角で販売し、古着を工場用の軍手や雑巾に生まれ変わらせる計画も進行中だという。
同社を設立した畠山怜之さん(32)は「大田区でモデルケースを構築して、いずれは全国や海外にもこの取り組みを広げていきたい」と目標を掲げている。
首都圏の田舎町に生まれ育った団塊の世代として、恥ずかしながらカミングアウトしてしまう。
祖父が昭和の初めに建てたと耳にしている蔵がわが家にあるのだが、3代目が不甲斐なくてとうとう解体することになった。
なまこ壁というのか、見てくれはかなり立派で、南側と南西側にモチノキが風よけとして植樹されている。ご近所にある蔵と較べても一番様子が佳くて、できれば修繕してずっと残したかったが、維持できなくなり、解体することになったのである。
子どもの頃、中に入ったことはあったが、大人になってからはわが家を建て替えときに家族が入ったくらいで、およそ40年ぶりに扉を開けた。長い間、開けることがなかったので鍵がさびついていて心配したが、蔵の片づけを依頼した家族が何とか開けてくれた。
1階の床板が半分くらい落ちていたが、わが家の3代目としては、せっかくだから2階にあがってみた。
「なんでも鑑定団」に出せるようなものはなく、片づけを頼んだ家族がアンティック、早くいえば骨董屋に連絡し、10月9日雨の降る中、東京は池袋の方から車2台でやってきて、かなりの量の品物を運び出して持って行ってくれたのである。助かった。
ゴミを片付けるのは有料だから、少しでも持って行ってもらえれば処分の手間と費用が助かるので、大いに喜んでいる。
片づけをやってくれた家族には少なかったが買取費用として日当分くらいにはなったらしい。
因みにどんなものがあったのか、何を持って行ってくれたのか書いておきたい。
祖父の釣り竿は形見の品として、商店を営んでいたということで、木箱に入った小さな秤があったので記念品として、座布団が使えそうだったので残す。父親が戦争で帰還してもらったのだろうか、日の丸がついている盃を父の形見として取っておくことにした。
片付けが終わってから、蔵の中に入っていないので、聞いたところによると、タンス、火鉢、椅子、皿など、ほかに自分が生まれてから買ってもらった兜や姉のお雛様などガラスケース入りの人形など、商店をしていたときの昭和の初めの提灯など、大きな竹の籠も持って行ってくれた。
持って行かなかったのは布団で、不明なのは箪笥の中の祖母の着物など。
とにかく、立派な柱以外お宝と呼べるようなものはなかったそうだが、買取の男たちは10月17,18日の埼玉スーパーアリーナで開催される骨董市に出品すると言っていたらしい。
さて、着なくなった服の活用であるが、わが家では町会の資源回収に出していたが、まだ着られるものはもったいないと思いつつ、資源回収に出してしまっていた。
リサイクルショップに行くのは面倒で、そんな気力がなかったからだが、大田区のような回収ボックスがあれば、そこまで持っていくくらいのことはできるかもしれない。
服は着られるにもかかわらず捨ててしまう人がいるくらいだし、古着ということで立派に商売している人だっているくらいだから、大田区の試みは素晴らしい。全国に広がってほしい。
2023年10月28日
ノーモア・ミナマタ全ての水俣病被害者の救済を
水俣病被害者救済法を巡る訴訟で、9月の大阪地裁判決は、救済対象から漏れた近畿などに住む原告128人全員を水俣病だと認め、国などに賠償を命じた。
判決は救済法の枠組みを「狭い」と指摘したと言える。国などは控訴したが、救済法で定めた健康調査を実施ておらず、公害認定から55年が過ぎても、被害実態の把握が進んでいない。
原告は高齢化しており、国は解決を急ぐべきだ。と10月20日の読売が「『あたう限りすべて』理念とズレ」、「『脱水銀』日本が主導」という見出しとともに解説の紙面で伝えている。
国の控訴理由をみてみると、発症までの期間は通常1か月〜1年程度
水銀の摂取量は地裁判決は国際的な科学的知見と大きく異なる
汚染が続いた時期 水銀の排出が止まった翌年の1969年以降は解消されたとするものだ
判決は発症までの期間で特定の年数で発症時期を限定できないとして、遅発性を認定
水銀の摂取量は低濃度でも長期に摂取することで発症する
汚染が続いた時期は水俣湾に仕切り網が設置された1974年1月まで続いたとする妥当なものだった。
広範な救済と調査の早期実施を求めてきた未認定患者団体は「いつまで解決を引き延ばすのか」と怒りの声をあげている。
被害実態の調査も怠っている国に対し、救済法を巡る集団訴訟は熊本、東京、新潟の3地域でも争われ、原告総数は約1750人に上る。
往生際が悪いぞ、悪代官そのものも権力者たちよ。
ここは破れ傘刀舟先生にご登場願うよりないな。
「やかましいや!この野郎!」と救済したくないから控訴だなどと御託を並べる悪代官たちの理不尽な罪状を上げ「許せねぇ!」「てめえら人間じゃねえや!叩っ斬ってやる!」という決め台詞で悪党どもの権力者たちを切り捨ててもらうよりない。
昭和の出来事で、誰が何と言っても、一番はアジア太平洋戦争であろう。
次いで、水俣病を筆頭にイタイイタイ病、四日市ぜんそくなどの公害病だというのが自分の認識である。
とりわけ、水俣病は「水銀に関する水俣条約」が2013年に熊本県で開かれた外交会議で採択され、17年に発効し、環境省によれば、9月までに147の批准国・地域に達している。
1956年に公式確認されたが、実はもっと以前から奇病として地元では患者が出ていた。68年にようやく公害病として認定された、77年に国が水俣病の認定基準を改定、95年に未認定患者に一時金を支払う救済策を実施し、政治決着が図られた。
今日に至るまで、未認定患者が各地で訴訟を起こしている。
魚を摂取した人間に何ひとつ落ち度などなかった。
悪いのは有機水銀を処理しないで、不知火の海に流したチッソと容認していたのも同然の熊本県、国で、水俣市も被害者の味方だったとは認められない。
患者だと訴える人は全て救済するのが当然のことである。
生き地獄を生きる胎児性水俣病の患者のことを思えば、昭和史におけるアジア太平洋戦争と並んで忘れてはいけない悲劇である。
国や県は控訴している場合ではない。
判決は救済法の枠組みを「狭い」と指摘したと言える。国などは控訴したが、救済法で定めた健康調査を実施ておらず、公害認定から55年が過ぎても、被害実態の把握が進んでいない。
原告は高齢化しており、国は解決を急ぐべきだ。と10月20日の読売が「『あたう限りすべて』理念とズレ」、「『脱水銀』日本が主導」という見出しとともに解説の紙面で伝えている。
国の控訴理由をみてみると、発症までの期間は通常1か月〜1年程度
水銀の摂取量は地裁判決は国際的な科学的知見と大きく異なる
汚染が続いた時期 水銀の排出が止まった翌年の1969年以降は解消されたとするものだ
判決は発症までの期間で特定の年数で発症時期を限定できないとして、遅発性を認定
水銀の摂取量は低濃度でも長期に摂取することで発症する
汚染が続いた時期は水俣湾に仕切り網が設置された1974年1月まで続いたとする妥当なものだった。
広範な救済と調査の早期実施を求めてきた未認定患者団体は「いつまで解決を引き延ばすのか」と怒りの声をあげている。
被害実態の調査も怠っている国に対し、救済法を巡る集団訴訟は熊本、東京、新潟の3地域でも争われ、原告総数は約1750人に上る。
往生際が悪いぞ、悪代官そのものも権力者たちよ。
ここは破れ傘刀舟先生にご登場願うよりないな。
「やかましいや!この野郎!」と救済したくないから控訴だなどと御託を並べる悪代官たちの理不尽な罪状を上げ「許せねぇ!」「てめえら人間じゃねえや!叩っ斬ってやる!」という決め台詞で悪党どもの権力者たちを切り捨ててもらうよりない。
昭和の出来事で、誰が何と言っても、一番はアジア太平洋戦争であろう。
次いで、水俣病を筆頭にイタイイタイ病、四日市ぜんそくなどの公害病だというのが自分の認識である。
とりわけ、水俣病は「水銀に関する水俣条約」が2013年に熊本県で開かれた外交会議で採択され、17年に発効し、環境省によれば、9月までに147の批准国・地域に達している。
1956年に公式確認されたが、実はもっと以前から奇病として地元では患者が出ていた。68年にようやく公害病として認定された、77年に国が水俣病の認定基準を改定、95年に未認定患者に一時金を支払う救済策を実施し、政治決着が図られた。
今日に至るまで、未認定患者が各地で訴訟を起こしている。
魚を摂取した人間に何ひとつ落ち度などなかった。
悪いのは有機水銀を処理しないで、不知火の海に流したチッソと容認していたのも同然の熊本県、国で、水俣市も被害者の味方だったとは認められない。
患者だと訴える人は全て救済するのが当然のことである。
生き地獄を生きる胎児性水俣病の患者のことを思えば、昭和史におけるアジア太平洋戦争と並んで忘れてはいけない悲劇である。
国や県は控訴している場合ではない。
2023年10月12日
脱炭素官民共に 環境と成長 両立
2050年の脱炭素社会実現への道筋を考えるシンポジウム「読売カーボンニュートラル・デイVol.3」が8月30日、オンライン形式で開かれた。GX(グリーン・トランスフォーメーション)の本格始動にあたり、企業・団体や経済産業省をはじめとする関係省庁の各担当者が、温室効果ガスの排出削減と経済成長を両立する方策などについて意見を交わした。
この時の概要を9且21日の読売が伝えていた。
GXとは温室効果ガスの排出量と吸収量を同じにして全体でゼロにするカーボンニュートラルの実現に向け、社会を変革することだと解説されている。
9月25日から10月5日まで東京GXウイークでGXの実現に向け、国際会議が開催された。
シンポジウムでは自分の一番の関心事である国産木材の活用と循環型社会を考えるで林野庁木材利用課長三上善之さん、ナイス上席執行役員資材事業本部副本部長高木靖さん、三菱地所木造木質化事業推進室長森下喜隆さん、日本ウッドデザイン協会専務理事末広耕也さんが国産木材の活用とカーボンニュートラルとのつながりを論じていて興味深かった。
日本は国土面積の3分の2が森林で、4割は人工林で半数以上が樹齢50年を超え、伐採して木材として使う時期を迎えている。
森林はCO2の代表的な吸収源。木材内のCO2は建物などへの使用で長期間、排出されずに「固定」され、その量は京都議定書による吸収量に算定できる。木質バイオマスの利用も排出削減に貢献する。切って使って植える、さらに育てるという循環がカーボンニュートラルや林業の活性化に重要だ。と林野庁の三上さん。
中高層や大規模の建築物の木造・木質化を進めている。為に鹿児島の湧水町に工場を建設し、建築用木材から住宅の製造・販売までを行っている。という三菱地所の森下さん。木材の流通事業で建材から戸建て住宅まで広く事業を展開しているというナイスの高木さん。「ウッドデザイン」は木を活用した社会課題の解決を目指す取り組みだ。というウッドデザイン協会の末広さん。
国産木材は環境に良く、社会を変えるという認識を共通のものにしていきたいと願うと結ぶ。
語り継ぐ戦争で北は北海道稚内から南は沖縄の摩文仁まで戦没者の慰霊のための行脚をしてきた。
遠いところは飛行機も使うが、基本的には鉄道が大好きで車窓の風景を眺めるのが好きだ。
新幹線ばかりでなく、在来線も使うし、というわけで、日本は本当に森林というか樹林地が多いということがわかる。
ために、この樹林地の緑を有効に活用できないものかといつも考えてきた。
というのも、アジア太平洋戦争で米国に敗れ、300万人以上もの人が犠牲となって殺されたり死んでいるからだ。
亡くなった人たちの犠牲の上に廃墟となった日本を立て直すために戦後、植林したから、人工林が4割もあるのだ。
いろいろ問題はある。
木材にということでスギやヒノキばかり植えたから土砂崩れが起きやすいし、春先は花粉症に悩まされている。さらに言えば、クマの餌となる広葉樹を植えないから、腹を空かしたクマが人里に下りて来ざるをえなくなっている。
50年経って、伐採したら、今度は針葉樹ばかり植えないで、クマのことも考えて、広葉樹も一定割合植樹しなければならない。
とにかく、国産材を使わなければならないような法規制をしてでも、国産材を使うようにする必要がある。
わが国の資源は森林と水であるから、その資源の有効活用を図らなければ、カーボンニュートラルなど言葉だけで終わってしまう。
この時の概要を9且21日の読売が伝えていた。
GXとは温室効果ガスの排出量と吸収量を同じにして全体でゼロにするカーボンニュートラルの実現に向け、社会を変革することだと解説されている。
9月25日から10月5日まで東京GXウイークでGXの実現に向け、国際会議が開催された。
シンポジウムでは自分の一番の関心事である国産木材の活用と循環型社会を考えるで林野庁木材利用課長三上善之さん、ナイス上席執行役員資材事業本部副本部長高木靖さん、三菱地所木造木質化事業推進室長森下喜隆さん、日本ウッドデザイン協会専務理事末広耕也さんが国産木材の活用とカーボンニュートラルとのつながりを論じていて興味深かった。
日本は国土面積の3分の2が森林で、4割は人工林で半数以上が樹齢50年を超え、伐採して木材として使う時期を迎えている。
森林はCO2の代表的な吸収源。木材内のCO2は建物などへの使用で長期間、排出されずに「固定」され、その量は京都議定書による吸収量に算定できる。木質バイオマスの利用も排出削減に貢献する。切って使って植える、さらに育てるという循環がカーボンニュートラルや林業の活性化に重要だ。と林野庁の三上さん。
中高層や大規模の建築物の木造・木質化を進めている。為に鹿児島の湧水町に工場を建設し、建築用木材から住宅の製造・販売までを行っている。という三菱地所の森下さん。木材の流通事業で建材から戸建て住宅まで広く事業を展開しているというナイスの高木さん。「ウッドデザイン」は木を活用した社会課題の解決を目指す取り組みだ。というウッドデザイン協会の末広さん。
国産木材は環境に良く、社会を変えるという認識を共通のものにしていきたいと願うと結ぶ。
語り継ぐ戦争で北は北海道稚内から南は沖縄の摩文仁まで戦没者の慰霊のための行脚をしてきた。
遠いところは飛行機も使うが、基本的には鉄道が大好きで車窓の風景を眺めるのが好きだ。
新幹線ばかりでなく、在来線も使うし、というわけで、日本は本当に森林というか樹林地が多いということがわかる。
ために、この樹林地の緑を有効に活用できないものかといつも考えてきた。
というのも、アジア太平洋戦争で米国に敗れ、300万人以上もの人が犠牲となって殺されたり死んでいるからだ。
亡くなった人たちの犠牲の上に廃墟となった日本を立て直すために戦後、植林したから、人工林が4割もあるのだ。
いろいろ問題はある。
木材にということでスギやヒノキばかり植えたから土砂崩れが起きやすいし、春先は花粉症に悩まされている。さらに言えば、クマの餌となる広葉樹を植えないから、腹を空かしたクマが人里に下りて来ざるをえなくなっている。
50年経って、伐採したら、今度は針葉樹ばかり植えないで、クマのことも考えて、広葉樹も一定割合植樹しなければならない。
とにかく、国産材を使わなければならないような法規制をしてでも、国産材を使うようにする必要がある。
わが国の資源は森林と水であるから、その資源の有効活用を図らなければ、カーボンニュートラルなど言葉だけで終わってしまう。
2023年10月11日
「怒り心頭」水俣病患者 岸田自公内閣退陣へ追い込め
水俣病被害者救済特別措置法に基づく救済策から漏れた128人全員を水俣病と認め、国や熊本県、原因企業のチッソ(東京都)に賠償を命じた大阪地裁判決を不服として国と熊本県が10日、大阪高裁に控訴したことを受け、大阪訴訟の原告と弁護団が10日、大阪市内で記者会見し「被害者と向き合い、早期救済に動いてほしかった」と訴えた。とメディアが伝えている。
10月10日の毎日新聞(鈴木拓也記者)によれば、原告らは判決後、環境省や県に控訴しないように要望していた。原告の前田芳枝さん(74)は「怒り心頭だ。被害者は高齢化しており、裁判の途中で亡くなった原告もいる。一刻の猶予もない」と憤った。徳井義幸弁護団長は「極めて残念で、抗議の意思を表明する」としたうえで、国などに早期解決に向けた協議に応じるよう求めた。
水俣病に関する報道に力が入っている読売は大阪地裁が128人全員を水俣病と認めた判決後、9月28日、「公害認定55年『やっと』「全員救済原告ら喜びの涙」という見出しで判決を評価するとともに被害者たちの喜びの声を伝えていた。
加えて総合の紙面「スキャナー」では「救済漏れ是正促す」「線引きのあり方 問題視」「他訴訟に影響か 原告総数1700人」という見出しで国が控訴するかもしれないことを予見している。
水俣病は1956年に公式確認されたが、実際はもっと前から、原因不明の奇病として現地では怖れられていた。
68年政府が水俣病を公害病と認定したことを受け、73年水俣病第1次訴訟で原告の患者側勝訴
77年国が水俣病の認定基準を改定
95年一時金を支払う救済策を実施
2004年関西水俣病訴訟の最高裁判決で国の認定基準より幅広い基準を採用
09年被害者救済法成立
12年救済法の申請期限
13年熊本地裁に集団提訴、大阪や東京でも
23年救済法を巡る集団訴訟で原告全員を水俣病と認定
以上が水俣病の経緯として読売が教えてくれている。
国と県の役人は自分たちに非があったことが明白であるにもかかわらず、大阪地裁の裁判官が認めた原告全員の水俣病認定に関して認めないと控訴した。ならば、水俣病患者と支援者、関心を持つものは国と県に対し、主導した岸田内閣の打倒を声を大にして訴えるように呼びかけたい。
水俣病に苦しむ患者に背を向けた自民党岸田内閣打倒。
公害認定から55年。不知火の海の魚を食していた人間で体の不調を訴える者はみな水俣病の可能性が高い。
55年も経って、魚を食していたかどうかなど証明できるわけがない。
原因者がいて、魚を食していて、体調が不良となっているなら、皆、患者として認定して救済する。これこそが政治の取るべき施策である。
国と県の役人は自分たちは安全な場所にいて、不知火の魚を食していない。
患者の気持ちが理解できないなら、今からでも有機水銀入りの魚を家族と一緒に食べ続けてみよ。
語り継ぐ戦争では、戦争を主導した軍人たちは自らは安全な場所にいて、戦後もおめおめと生き残っている。
末端の兵士や市民ばかりが犠牲になったのが戦争である。
水俣病に関していえば、原因企業チッソで働いていた人間はかなり早くから窒素に何らかの原因があったのではないかと知っていたはずである。
無論、国や県の役人も同じこと。
チッソで働いていた人の家族も水俣病にはなっているが、幹部たちはどうか。
控訴に関わった国や県の役人は魚を食べていないにちがいない。
自分たちは安全な場所にいたから、苦しむ患者に寄り添うことさえできないのだ。
10月10日の毎日新聞(鈴木拓也記者)によれば、原告らは判決後、環境省や県に控訴しないように要望していた。原告の前田芳枝さん(74)は「怒り心頭だ。被害者は高齢化しており、裁判の途中で亡くなった原告もいる。一刻の猶予もない」と憤った。徳井義幸弁護団長は「極めて残念で、抗議の意思を表明する」としたうえで、国などに早期解決に向けた協議に応じるよう求めた。
水俣病に関する報道に力が入っている読売は大阪地裁が128人全員を水俣病と認めた判決後、9月28日、「公害認定55年『やっと』「全員救済原告ら喜びの涙」という見出しで判決を評価するとともに被害者たちの喜びの声を伝えていた。
加えて総合の紙面「スキャナー」では「救済漏れ是正促す」「線引きのあり方 問題視」「他訴訟に影響か 原告総数1700人」という見出しで国が控訴するかもしれないことを予見している。
水俣病は1956年に公式確認されたが、実際はもっと前から、原因不明の奇病として現地では怖れられていた。
68年政府が水俣病を公害病と認定したことを受け、73年水俣病第1次訴訟で原告の患者側勝訴
77年国が水俣病の認定基準を改定
95年一時金を支払う救済策を実施
2004年関西水俣病訴訟の最高裁判決で国の認定基準より幅広い基準を採用
09年被害者救済法成立
12年救済法の申請期限
13年熊本地裁に集団提訴、大阪や東京でも
23年救済法を巡る集団訴訟で原告全員を水俣病と認定
以上が水俣病の経緯として読売が教えてくれている。
国と県の役人は自分たちに非があったことが明白であるにもかかわらず、大阪地裁の裁判官が認めた原告全員の水俣病認定に関して認めないと控訴した。ならば、水俣病患者と支援者、関心を持つものは国と県に対し、主導した岸田内閣の打倒を声を大にして訴えるように呼びかけたい。
水俣病に苦しむ患者に背を向けた自民党岸田内閣打倒。
公害認定から55年。不知火の海の魚を食していた人間で体の不調を訴える者はみな水俣病の可能性が高い。
55年も経って、魚を食していたかどうかなど証明できるわけがない。
原因者がいて、魚を食していて、体調が不良となっているなら、皆、患者として認定して救済する。これこそが政治の取るべき施策である。
国と県の役人は自分たちは安全な場所にいて、不知火の魚を食していない。
患者の気持ちが理解できないなら、今からでも有機水銀入りの魚を家族と一緒に食べ続けてみよ。
語り継ぐ戦争では、戦争を主導した軍人たちは自らは安全な場所にいて、戦後もおめおめと生き残っている。
末端の兵士や市民ばかりが犠牲になったのが戦争である。
水俣病に関していえば、原因企業チッソで働いていた人間はかなり早くから窒素に何らかの原因があったのではないかと知っていたはずである。
無論、国や県の役人も同じこと。
チッソで働いていた人の家族も水俣病にはなっているが、幹部たちはどうか。
控訴に関わった国や県の役人は魚を食べていないにちがいない。
自分たちは安全な場所にいたから、苦しむ患者に寄り添うことさえできないのだ。
2023年10月05日
地熱資源を活かす 温泉と共栄
9月4日(月)に「第11回地熱シンポジウムin由布」が独立行政法人エネルギー・金属鉱物資源機構(JOGMEC)主催で開催された。
来場者及びオンラインでの視聴者を合わせて約1,300名を数えた今回のシンポジウムでは、「地熱と温泉の共創共栄」をテーマに、地熱発電の歴史の解説や、地熱と温泉の共創共栄のモデルケースについてのクロストークを実施した。と9月29日の読売が広告の紙面であるが伝えている。
日本最初の地熱発電の研究は、1919年に大分県別府市で始まった。磁気を吹き出す井戸の掘削に成功し、1925年に最初の発電が行われた。
戦争で中断を経て、1953年由布市の隣の九重町で九州電力の前身の九州配電が調査を開始するも発電には至らず終了した。
1967年に九重町に日本初の熱水分離型の大岳発電所が完成した。
1970年代には石油危機で地熱開発が推進され、大分の八丁原発電所を始め、九州・北海道。東北エリアで地熱発電所が続々と誕生。
2000年代には八丁原に日本初のバイナリー発電所が建設された。
現在、固定価格買取制度やJOGMECの調査費支援制度などが整備され、日本各地で地熱発電所の開発が進められていると基調講演で九州電力の火力発電本部地熱部長の本山達也さんが現状について教えてくれた。
次いで、クロストークでは地熱発電がもたらす地域振興ということで、衣食住それぞれの分野で地熱を利用する実践例が報告された。
絞り染め、パプリカ・キクラゲ栽培、そして、グリーン水素が衣食中の分野で地熱発電で取り組まれていることがわかった。
最後に、温泉と共栄することが可能なのか不安がる関係者に共創共栄関係を築くための方策について議論が交わされた。
地元との合意形成が欠かせない。ということが理解を得るための第一歩ということのようである。
NHKクローズアップ現代の昨夜の放送で、太陽光発電の推進について取り上げていた。
諸物価高騰で電気代の家庭での負担が厳しくなっており、太陽光発電+蓄電池で電気代を半減させた家庭を紹介していた。
東日本大震災における津波で東京電力福島第一原発が事故を起こし、原子力は安全だというのは真っ赤なウソだということが証明された。
エネルギーを原子力にシフトしていた政府の政策が間違っていたことが明らかになった今日、再生可能な自然エネルギーの活用以外、生きる道がないと言っても過言ではない。
その再生可能な自然エネルギーの活用の一番手は太陽光で、住宅の屋根の上に太陽光発電緒パネルが載せられている光景が増えている。
太陽光の欠点である畜められない点について、蓄電池が開発され、太陽光+蓄電池で電気が蓄えられるようになったので、今後さらに、導入されていくであろう。
太陽光に次いで、有力な資源が風力で、こちらは騒音や設置場所が問題であったが、洋上に設置することで、さらなる活用が見込まれる。
そして、本命が世界で第三位の埋蔵量ではないかとされている地熱利用が最も有力である。こちらは温泉の関係者が枯渇してしまうのではないかと心配しているが、そんなことは杞憂に過ぎないことを関係者は説明を尽くして、取り組んでもらいたい。
神様は、日本には資源を与えてくれなかったと考える向きがあるかもしれない。
ところが、日本には森林資源、水資源、そして地熱と三つも有力な資源を与えてくれた。
これらを活用しないでどうするといいたい。
地熱の活用こそ、日本が取り組まなければならないエネルギー開発である。
来場者及びオンラインでの視聴者を合わせて約1,300名を数えた今回のシンポジウムでは、「地熱と温泉の共創共栄」をテーマに、地熱発電の歴史の解説や、地熱と温泉の共創共栄のモデルケースについてのクロストークを実施した。と9月29日の読売が広告の紙面であるが伝えている。
日本最初の地熱発電の研究は、1919年に大分県別府市で始まった。磁気を吹き出す井戸の掘削に成功し、1925年に最初の発電が行われた。
戦争で中断を経て、1953年由布市の隣の九重町で九州電力の前身の九州配電が調査を開始するも発電には至らず終了した。
1967年に九重町に日本初の熱水分離型の大岳発電所が完成した。
1970年代には石油危機で地熱開発が推進され、大分の八丁原発電所を始め、九州・北海道。東北エリアで地熱発電所が続々と誕生。
2000年代には八丁原に日本初のバイナリー発電所が建設された。
現在、固定価格買取制度やJOGMECの調査費支援制度などが整備され、日本各地で地熱発電所の開発が進められていると基調講演で九州電力の火力発電本部地熱部長の本山達也さんが現状について教えてくれた。
次いで、クロストークでは地熱発電がもたらす地域振興ということで、衣食住それぞれの分野で地熱を利用する実践例が報告された。
絞り染め、パプリカ・キクラゲ栽培、そして、グリーン水素が衣食中の分野で地熱発電で取り組まれていることがわかった。
最後に、温泉と共栄することが可能なのか不安がる関係者に共創共栄関係を築くための方策について議論が交わされた。
地元との合意形成が欠かせない。ということが理解を得るための第一歩ということのようである。
NHKクローズアップ現代の昨夜の放送で、太陽光発電の推進について取り上げていた。
諸物価高騰で電気代の家庭での負担が厳しくなっており、太陽光発電+蓄電池で電気代を半減させた家庭を紹介していた。
東日本大震災における津波で東京電力福島第一原発が事故を起こし、原子力は安全だというのは真っ赤なウソだということが証明された。
エネルギーを原子力にシフトしていた政府の政策が間違っていたことが明らかになった今日、再生可能な自然エネルギーの活用以外、生きる道がないと言っても過言ではない。
その再生可能な自然エネルギーの活用の一番手は太陽光で、住宅の屋根の上に太陽光発電緒パネルが載せられている光景が増えている。
太陽光の欠点である畜められない点について、蓄電池が開発され、太陽光+蓄電池で電気が蓄えられるようになったので、今後さらに、導入されていくであろう。
太陽光に次いで、有力な資源が風力で、こちらは騒音や設置場所が問題であったが、洋上に設置することで、さらなる活用が見込まれる。
そして、本命が世界で第三位の埋蔵量ではないかとされている地熱利用が最も有力である。こちらは温泉の関係者が枯渇してしまうのではないかと心配しているが、そんなことは杞憂に過ぎないことを関係者は説明を尽くして、取り組んでもらいたい。
神様は、日本には資源を与えてくれなかったと考える向きがあるかもしれない。
ところが、日本には森林資源、水資源、そして地熱と三つも有力な資源を与えてくれた。
これらを活用しないでどうするといいたい。
地熱の活用こそ、日本が取り組まなければならないエネルギー開発である。
2023年09月28日
救済法対象外の原告らを「水俣病」と認定
メチル水銀を含む水が流された不知火海沿岸で暮らしていたのに、水俣病被害者救済法(特措法)に基づく救済を受けられなかったとして、大阪府などに住む128人が国や熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟の判決が27日、大阪地裁であった。達野ゆき裁判長は、沿岸で暮らした原告ら全員を水俣病と認め、1人あたり275万円の賠償を命じた。とメディアが伝えている。
9月27日の朝日のDIGITAL(森下裕介記者)によれば、同種訴訟は、熊本や新潟、東京地裁でも起こされ、初の地裁判決。原告らを幅広く水俣病と認め、特措法の運用見直しを迫る形となった。
水俣病は1956年に公式確認された。公害健康被害補償法に基づく認定患者は3千人。95年に「政治決着」で約1万人に一時金260万円などが支払われたほか、2009年施行の特措法に基づき、特徴的な症状がある約3万8千人に一時金210万円などが支払われた。対象から漏れたり、申請できなかったりした原告らが提訴した。
水俣病は、汚染された魚介類を食べることなどでメチル水銀に曝露し、発症するとされる。熊本県などは特措法に基づき、不知火海沿岸のうち、水俣湾周辺の一部地域に、68年までに1年以上住んだことなどを救済の要件としてきた。
判決は、毛髪の水銀値の調査などを踏まえ、低濃度でも長期間、メチル水銀に曝露すれば発症する可能性があるほか、長期間たってから発症することもあるとした。
その上で、魚介類の流通状況などから、特措法の対象地域外でも、不知火海でとれた魚介類を継続的に多食していればメチル水銀を摂取したと推認できると判断。水俣湾に仕切り網が設置された74年までに魚介類を多食し、感覚障害もある原告らについて水俣病と認めた。
水俣病が公式確認されたのが1956年5月1日、私事ながら連れ合いが誕生した4月とほぼ同時期である。
連れ合いの年齢分、年月が経ってしまった。否。実際はそれ以前から患者の苦しみは始まっていた。
語り継ぐ戦争であるが、昭和の時代といえば、大きな出来事といえば、300万人以上もの人々が犠牲になったアジア太平洋戦争が筆頭に上がる。
次いで、水俣病が昭和史における忘れてはいけない出来事として記憶された。
戦争は日本が真珠湾攻撃をして始めたわけだから、日本の軍部に責任があり、迎合した国民にも責任の一端がないわけではない。
しかし、水俣病の患者は不知火の海で生活していた貧しい漁民たちで、ただ、有機水銀に汚染された魚を食しただけのことだから、患者には全く責任がない。
しかも、加害者の罪深いことに胎児性水俣病患者は生まれてから死ぬまで抱えきれないほどの苦しみ、重荷を背負わされている。チッソという会社が有機水銀が含まれた汚染水を不知火の海に流したばかりにである。
原因不明だった当初はともかく、患者が出て明らかにチッソに原因があることがわかってからもである。
今回の判決は、未認定患者からの患者だと訴える声を受け止め、患者であることを認めた上、チッソや国、県に賠償をするように言い渡したものでごく妥当な判決である。
今日まで、ずいぶん長い旅路であったことであろう未認定患者たち。
しかし、不十分であっても、患者として認められたことを共に喜びたい。
社会科の勉強、修学旅行などで、一度は水俣を訪れる機会が多くの子どもたちに与えられるように願うばかりである。
まだ、患者として認められていない人たち。患者として認められていても、苦しみは何ら変わらないことに思いを致せばせめて、少しでも、痛みが少なくなり、苦しみが緩和されるように祈るばかりである。
9月27日の朝日のDIGITAL(森下裕介記者)によれば、同種訴訟は、熊本や新潟、東京地裁でも起こされ、初の地裁判決。原告らを幅広く水俣病と認め、特措法の運用見直しを迫る形となった。
水俣病は1956年に公式確認された。公害健康被害補償法に基づく認定患者は3千人。95年に「政治決着」で約1万人に一時金260万円などが支払われたほか、2009年施行の特措法に基づき、特徴的な症状がある約3万8千人に一時金210万円などが支払われた。対象から漏れたり、申請できなかったりした原告らが提訴した。
水俣病は、汚染された魚介類を食べることなどでメチル水銀に曝露し、発症するとされる。熊本県などは特措法に基づき、不知火海沿岸のうち、水俣湾周辺の一部地域に、68年までに1年以上住んだことなどを救済の要件としてきた。
判決は、毛髪の水銀値の調査などを踏まえ、低濃度でも長期間、メチル水銀に曝露すれば発症する可能性があるほか、長期間たってから発症することもあるとした。
その上で、魚介類の流通状況などから、特措法の対象地域外でも、不知火海でとれた魚介類を継続的に多食していればメチル水銀を摂取したと推認できると判断。水俣湾に仕切り網が設置された74年までに魚介類を多食し、感覚障害もある原告らについて水俣病と認めた。
水俣病が公式確認されたのが1956年5月1日、私事ながら連れ合いが誕生した4月とほぼ同時期である。
連れ合いの年齢分、年月が経ってしまった。否。実際はそれ以前から患者の苦しみは始まっていた。
語り継ぐ戦争であるが、昭和の時代といえば、大きな出来事といえば、300万人以上もの人々が犠牲になったアジア太平洋戦争が筆頭に上がる。
次いで、水俣病が昭和史における忘れてはいけない出来事として記憶された。
戦争は日本が真珠湾攻撃をして始めたわけだから、日本の軍部に責任があり、迎合した国民にも責任の一端がないわけではない。
しかし、水俣病の患者は不知火の海で生活していた貧しい漁民たちで、ただ、有機水銀に汚染された魚を食しただけのことだから、患者には全く責任がない。
しかも、加害者の罪深いことに胎児性水俣病患者は生まれてから死ぬまで抱えきれないほどの苦しみ、重荷を背負わされている。チッソという会社が有機水銀が含まれた汚染水を不知火の海に流したばかりにである。
原因不明だった当初はともかく、患者が出て明らかにチッソに原因があることがわかってからもである。
今回の判決は、未認定患者からの患者だと訴える声を受け止め、患者であることを認めた上、チッソや国、県に賠償をするように言い渡したものでごく妥当な判決である。
今日まで、ずいぶん長い旅路であったことであろう未認定患者たち。
しかし、不十分であっても、患者として認められたことを共に喜びたい。
社会科の勉強、修学旅行などで、一度は水俣を訪れる機会が多くの子どもたちに与えられるように願うばかりである。
まだ、患者として認められていない人たち。患者として認められていても、苦しみは何ら変わらないことに思いを致せばせめて、少しでも、痛みが少なくなり、苦しみが緩和されるように祈るばかりである。
2023年09月24日
「東京のイチョウはこんな色なんですね。本当はもっときれいですよ」
にほんご、言葉のアルバム「いま風 金曜日」というタイトルで、著名人の発した言葉を新聞の紙面らしく紹介する記事が読売の夕刊にある(佐藤淳編集委員)が、その9月22日は「水俣の光奪った悲劇 次代へ」という見出しで水俣フォーラム理事長実川悠太さんが活動を通じて知り合った作家石牟礼道子さんの言葉が忘れがたい。と紹介しているのが冒頭の東京のイチョウの色である。
1990年代には、上京した作家をしばしば訪問先に案内していたある晩秋の夕暮れ、中央線の駅の改札をでたときのことだった
東京生まれの自分が『きれいだな』と思って見上げたイチョウが作家にはまるで違って見えていた。人、生物、風景の「健康な姿」を知っているからこそ、悲劇の根源に迫る本が書けたのだと思ったそうな。
『苦界浄土』を始めとする石牟礼作品が取り分け光を放つのは、漁師暮らしのまばゆいきらめきが描かれ、水俣病によって、患者が放り込まれた闇は深く、暗く感じられたからだ。
政治も道徳も語らず、素朴で名もない水俣の漁民たち。その暮らしと魂のあり方を作家は敬い、見上げるような目線で書き続けた。
水俣病60年記念 特別講演会が2016年5月、東京大学安田講堂で開催されることを知り、東京大学のあの安田講堂なら一度は行ってみたいという連れ合いと一緒に参加した。
連れ合いは公式確認された1956年の4月生まれだから、同い年ということもあったのだろう。
そこで、頂戴した「事件の遺言を人びとの手に 水俣病六十年」という小冊子が手許にある。
冒頭に石牟礼道子さんの「ほの明かり」というメッセージが載っている。
福島の原発事故のことで始まり、水俣病に関心を持つ人びとへ贈る言葉として、「この腐れ行く真暗闇の世の中で、皆様のまなざしだけがほの明かりだ」と結ぶ。
講演会で『苦界浄土』を読んでいなかったことに恥ずかしながら気づかされ、買い求めて読んだら、これは水俣に行かなければならないと激しく心を揺さぶられた。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚ではあるが、知らん顔はできないと夏には行くと決心した。ところが、熊本に大地震が起きてしまい、翌年2017年の6月、その日は自分の誕生日という偶然もあって忘れられない訪問かつ慰霊の旅となった。
余談ではあるが、映画監督の森達也さんの話をこの講演会で聴くことができた。
その森達也監督が『福田村事件』を映像化した作品を観ることができ、何だか、繋がっていることの不思議さを思わないわけにはいかない。
関東大震災で不安に慄く人々によって、朝鮮人や中国人、朝鮮人と間違えられた被差別部落出身者、そして社会主義者などが殺された1923(大正13)年9月から100年。
1956年5月1日に水俣病は公式確認されたとはいうものの、実際の患者の苦しみはもっと以前からだということははっきりしている。
患者は当初、原因不明で村八分のような差別を受け、胎児性患者に至っては生まれてから死ぬまで苦しむために生きているようなものなのに原因企業のチッソとは異なり、本来味方のはずの政府や自治体が患者寄りではないため、今も認定されずに苦しんでいるひともいる。
石牟礼道子さんは原田正純医師同様立派であるが、水俣フォーラムの実川さんにも頭が下がる。
1990年代には、上京した作家をしばしば訪問先に案内していたある晩秋の夕暮れ、中央線の駅の改札をでたときのことだった
東京生まれの自分が『きれいだな』と思って見上げたイチョウが作家にはまるで違って見えていた。人、生物、風景の「健康な姿」を知っているからこそ、悲劇の根源に迫る本が書けたのだと思ったそうな。
『苦界浄土』を始めとする石牟礼作品が取り分け光を放つのは、漁師暮らしのまばゆいきらめきが描かれ、水俣病によって、患者が放り込まれた闇は深く、暗く感じられたからだ。
政治も道徳も語らず、素朴で名もない水俣の漁民たち。その暮らしと魂のあり方を作家は敬い、見上げるような目線で書き続けた。
水俣病60年記念 特別講演会が2016年5月、東京大学安田講堂で開催されることを知り、東京大学のあの安田講堂なら一度は行ってみたいという連れ合いと一緒に参加した。
連れ合いは公式確認された1956年の4月生まれだから、同い年ということもあったのだろう。
そこで、頂戴した「事件の遺言を人びとの手に 水俣病六十年」という小冊子が手許にある。
冒頭に石牟礼道子さんの「ほの明かり」というメッセージが載っている。
福島の原発事故のことで始まり、水俣病に関心を持つ人びとへ贈る言葉として、「この腐れ行く真暗闇の世の中で、皆様のまなざしだけがほの明かりだ」と結ぶ。
講演会で『苦界浄土』を読んでいなかったことに恥ずかしながら気づかされ、買い求めて読んだら、これは水俣に行かなければならないと激しく心を揺さぶられた。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚ではあるが、知らん顔はできないと夏には行くと決心した。ところが、熊本に大地震が起きてしまい、翌年2017年の6月、その日は自分の誕生日という偶然もあって忘れられない訪問かつ慰霊の旅となった。
余談ではあるが、映画監督の森達也さんの話をこの講演会で聴くことができた。
その森達也監督が『福田村事件』を映像化した作品を観ることができ、何だか、繋がっていることの不思議さを思わないわけにはいかない。
関東大震災で不安に慄く人々によって、朝鮮人や中国人、朝鮮人と間違えられた被差別部落出身者、そして社会主義者などが殺された1923(大正13)年9月から100年。
1956年5月1日に水俣病は公式確認されたとはいうものの、実際の患者の苦しみはもっと以前からだということははっきりしている。
患者は当初、原因不明で村八分のような差別を受け、胎児性患者に至っては生まれてから死ぬまで苦しむために生きているようなものなのに原因企業のチッソとは異なり、本来味方のはずの政府や自治体が患者寄りではないため、今も認定されずに苦しんでいるひともいる。
石牟礼道子さんは原田正純医師同様立派であるが、水俣フォーラムの実川さんにも頭が下がる。