2024年09月23日

自然再生 未来照らす 岡山西粟倉村

 2050年、人口減少が進む日本はどのような姿を目指すべきか。「変わる暮らし」を展望した第1部に続き、第2部では「持続可能な社会」を考える。
 環境破壊や資源の枯渇、食料危機などの課題を克服するための変革の動きを追った。と9月17日の読売が「ニッポン2050 第2部 持続可能な社会」 上というタイトルで岡山県西粟倉村にスポットを当て「自然再生 未来照らす」「豊かな森 人戻った」という見出しで、「百年の森林構想」の下に村が主体となって、森を守る取り組みをしているとのことで、実に興味深かった。

 中国山地の谷あいにある同村は、面積の9割超を森林が占める。盛んだった林業が高齢化や過疎化で衰退。森林の手入れが行き届かなくなる中、2008年、「百年の森林構想」を掲げた。村が所有者から無償で森林を預かり、村内の森林管理会社百森に業務を委託。一部を自然林にして生態系の回復や災害対策を進めるなど、森林の再構築を図る。
 伐採した木は村内で製材加工し、家具などとして販売。廃棄する樹皮やおが粉でおイチゴを育て、製材で発電したり温泉施設の湯を沸かしたりする。契約を結んだ森林所有者は延べ700人。面積は計約1500f。08年に1億円だった売り上げが21年にT2億円へ増加。若者を中心に移住者が相次ぎ、今では人口約1300人の2割を占める。
 2024年消滅可能性自治体から脱却した。


 2024年正月元旦に能登地震が起きて、電気、水道、道路などライフラインの修復に時間がかかって住民たちは大変厳しい日々をおくっている。
 自民党の県知事はこの時、東京にいたというし、自民党の総理大臣は現地を訪れようともしなかった。
 自民党政権は能登を見捨てたとしかいいようがない。
 9月もお彼岸になって、能登に大雨が降り、被災した人々を苦しめているとき、外国に行くのが大好き総理大臣はまたしても米国に行っていた。

 語り継ぐ戦争では、政府の号令に応じた満蒙開拓団員が1945年8月9日未明、ソ連軍が侵攻してくるや、政府や日本軍から見捨てられ、棄民となって、広い曠野を彷徨し、集団自決に追い込まれた開拓団もあった。

 自民党政権は財界からカネを融資してもらっているから、財界のために政治をしてきた。
 選挙区は地方、例えば、総理は広島だったり、という人が多くても、実際に住んでいるのは東京の自宅か高級ホテルである議員宿舎だ。
 口では地方をよくすると言っても、現実に日本列島を改造しようとしたのは田中角栄さんと竹下登さんくらいだ。
 どちらかといえば、田舎に住めないようにしているとしか、能登の場合をみれば思えない。
 日本国が総力を挙げて対応すれば、能登のライフラインを整備することくらいできないわけがない。

 さて、国土の面積が7割は森林だという日本列島だから、林業を活性化させる必要があるが、岡山の西粟倉村での試みは大いに評価できるし、エールをおくりたくなる。
 森林は枝打ち、下草刈りなど手入れをしなければならないし、戦後のスギ、ヒノキなどの植林は木材のためとはいいながら、土砂災害を起こりやすくしたし、花粉症患者を苦しめることになった。
 外国から価格が廉価というだけで、木材を輸入することを禁止しなければ、外国の森林を破壊することになる。
 森林は水と共にわが国の有力な資源である。
 西粟倉村の取り組みを参考に他の町や村でも林業の活性化に取り組むことが求められている。
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2024年09月18日

ごみ収集への関心を高めるため、作業員になる学者

 「顔 Sunday」というタイトルで様々な分野で活躍する人物にスポットを当てる読売の連載。その9月15日は「ごみ収集への関心を高めたい」と清掃行政を体当たりで調査研究する行政学者藤井誠一郎さん(54)が紹介されている。
 ごみ袋を出せば、収集車が持ち去ってくれる。当たり前に運営される公共サービスの舞台裏を知るため、一作業員となって各地に出向いている。

 大東文化大学で専任講師をしていた2016年夏、東京新宿区で収集作業を体験以来、全国8市区で収集作業を体験。
 行政改革で清掃作業員は各地で削減され、そのしわ寄せはごみの分別作業にも及ぶ。
 不燃ごみは、瓶や缶が混じるので、分ければ資源ということで選別をやる必要があるのだ。

 学生にも収集作業を体験させ「大量廃棄の生活スタイルをいつまで続けるのか」と著書や論文で訴える。
 「ごみ収集は生活を支える根幹なのに世間の関心は薄く。清掃職員の社会的地位は低い。市民一人ひとりが関心を持ち、限りある資源の循環社会を実現させるべきだ」と語る。


 自民党総裁選で若手43歳の世襲議員のバックに学術会議のメンバーの選任に同意せず、官僚の人事権を握って睨みを聞かせていた元首相がいると報道されている。
 政治家が学者にいちゃもんをつけるときは政治が批判を許さない民主主義の危機みたいな証拠だとみている。
 学者は自らの研究に関して、政治家に何か言われる筋合いのものではないから、学者の味方である自分は元首相には嫌悪感しかない。

 ということで、藤井誠一郎先生が率先して、ごみの収集現場で収集作業員の仕事を体験していると聞いて応援しないわけにはいかない。
 目指すのは資源循環型社会だというから、自分と目的地は一緒である。

 家庭から出る所謂生ごみを毎日、畑に埋めて堆肥化させているので、行政改革だと人減らしばかりしながら、生ごみの堆肥化すら全く取り組めていない地方自治体に対し、怒りすら覚える。

 生ごみは畑に埋めると、9月とはいいながら、相変わらずの暑さであるから、土中の微生物の活動が活発になっているのか、すぐに堆肥化というか土に還ってしまうのだ。

 問題は畑がある人など限られているので、やはり、自治体が堆肥化させることが必要で、堆肥化されたら、その堆肥の使い途など考えればどうにでもなる。

 先般観た映画『うんこと死体の復権』というネーミングが感心しないが、内容は佳い作品で、人間は火葬される前、例えば、自分の生まれ育った首都圏の田舎町では、昭和38年に母方の祖母が亡くなったときはまだ土葬が許されていたが、自分の父親が亡くなった昭和40年は土葬が禁じられていて、初めて火葬場で骨の箸渡しを体験した。
 土葬すると土中の微生物が死体を土に還してくれる、循環型社会が実感できる。
 排泄物も同じことで、土に還るのだ。

 生態系も含めて、循環型社会というのは江戸時代にすでにできていたが、衛生面などから、現在ではいろいろ制約はあるにしても、根本は生物は土に還るということだ。

 決められたごみ袋に入れて、ごみ収集日に出せば、収集職員、あるいは作業員がパッカー車で焼却場に運んでくれることになっている。

 学者の先生は、どちらかといえば、頭でっかちで、ごみ収集作業員のことなどわかっていなかったはず。

 なれど、自らごみの収集作業員を体験すれば、何としてもごみを減らさなければならないと決意が固まりそうだし、生ごみの堆肥化も取り組むべき課題だとわかるはずだ。
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2024年09月13日

バイオ炭 温室ガス削減効果 

 木材や草などの生物資源(バイオマス)を低酸素状態で加熱して作る「バイオ炭」。取り込んだ炭素を放出せずに貯留できるため、政府は脱炭素の政策の一環として、温室効果ガスの「削減量(クレジット)取引」制度の対象と認めている。企業の関心も高まっており、農業だけでなく建設分野にも活用が広がってきた。と8月22日の読売(渡辺洋介記者)が夕刊で伝えていた。

 植物は光合成で大気中の二酸化炭素(CO2)を吸収して成長する。燃やしたり、微生物が分解したりすると、温室効果ガスのCO2が大気中に放出される。

 バイオ炭にすると炭素を分解されにくいように固定化できるため、温室効果ガスの実質的な排出量の削減につながる。2019年の国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の指針などによると、100年たっても分解されずに残る炭素の割合は65〜89%と見積もられている。

 バイオ炭の活用例として農業分野ではワイン用ブドウ畑にバイオ炭を撒いて温室効果ガス削減。建設分野ではコンクリートにバイオ炭を混ぜ、温室効果ガスを削減するがある。


 バイオ炭なんて知らなかったが、燻炭なら知っている。
 もみ殻や木くずを低温で蒸し焼きにするらしいのだが、土壌改良剤として、効果があるとされている。
 燻炭を畑で使ったことはないが、原材料が自然のものだから、佳いに決まっている。
 『工藤阿須加の農業始めちゃいました』で、先般、紀州の備長炭を生産している人を訪ねていた。
 ウバメガシを原材料に焼成することで、燃料として最高の炭ができるのだ。
 環境によいかどうかはしらないけれど、年間の生産量からして、問題となるようなことはないだろう。

 月に一度の映画館行きで、『うんこと死体の復権』という他者に薦められないネーミングの映画を観た。
 タイトルは工夫がなく感心しないが、作品としては環境問題に関心がある人なら観てよかったと言える映画だった。
 要するに人間の排泄物、死んで死体となれば両者共に微生物や虫たちが食べることで土に還ると
いうことである。

 死体ということで、死ねば微生物や虫たちが食べて、命はつながっていくのだが、生活様式の変化は、土葬から火葬になってしまい、微生物や虫たちは人間を食べることができるのは、行旅死亡者くらいになってしまった。

 持続可能な生き方、SDGsという考え方の参考にはなる話だった。

 バイオ炭に温室ガス削減効果があることは専門的な知識がなくともわかることだが、農業、建設の両分野に限らず、用途はもっとありそうだ。
 少なくとも、農業だって、燻炭の例からすれば、ワイン用のブドウ畑に限らず、わが家の畑にもあるブルーベリーなどにも効果がありそうだから、そうなると、今、ブルーベリーを育てている農家が多いので需要はまだまだありそうだ。 
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2024年09月12日

太陽光・風力 立地に課題

 再生可能エネルギーの導入が遅れている。太陽光・風力共に立地に課題を抱える。と8月31日の読売が解説の紙面(倉貫浩一編集委員)で「遅れる再生エネ導入というタイトルで伝えている。

 世界的な脱炭素社会の流れが強まる中で、企業に対して製品の製造から物流まで脱炭素を求める動きはさらに加速していく。
 日本が再生エネを主力電源として活用するためには、普及を妨げている課題を丁寧に解決していくしかない。

 9月3日の読売が1面トップで耐用年数が過ぎた太陽光パネルの大量廃棄に備え再利用へリサイクルすることを政府が義務化する方針を固めたと伝えている。

 早稲田大学創造理工学部の田辺新一教授に太陽光発電普及の課題を聞いている。
 「住宅の屋根への太陽光発電の設置については評価している。新築戸建て住宅の60%に設備を置くという目標に対して、実績は31%にとどまっているが、がんばっているといえる。
 民間の事業者や国民が太陽光発電への興味、将来性を感じていることがわかる。
 今後は洋上風力、特に浮体式の洋上風力、薄くて軽く、曲げられるペロブスカイト太陽電池への期待が高まっている」とのこと。


 太陽光発電のパネルを10年前に設置しようと概算の見積もりを取ったとき、約300万円くらいとのことだった。
 その時、風呂の追い炊き釜が壊れているところに東ガスが来て、エネファームの売り込みにやってきた。
 ガスを使うことで、発電ができるというので、見積もりを出してもらうと、ざっと100万円くらいだが、補助金が出るということで、設置してもらった。
 10年経って、耐用年数が過ぎたとのことで、新品と交換してもらったのだが、ざっと120万円くらいだった。
 いくら発電すると言っても、太陽光のような再生可能な自然エネルギーではないので、もっとよく考えて太陽光にすればよかったかなと思わないでもない。
 気休めかもしれないが、発電ということで、まあいいか。ということになっている。

 T00万円が何とかなったのだから、仮に300万円も何とかなるかと思ったが、無理だったのだ。

 ご近所で屋根の上に太陽光パネルを載せている住宅があり、歩いているとき目に入ってくると、何だか、後ろめたくなってしまうのだ。

 早稲田の田辺先生も「屋根があれば、太陽光パネルを載せられると思われるかもしれないが、強度とか、防水工事とか新築、既存の建築それなりにチェックが必要だ」とも指摘されている。

 今夏の猛暑、酷暑、炎暑、9月も10日過ぎてもこの暑さだから、地球温暖化を防ぐ脱炭素に協力していかなければならないとはわかっているのだが、無理もできないし・・・。
 
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2024年09月08日

終わりの見えない出費 休廃鉱の廃水

 採掘事業者が倒産ン度で撤退した「義務者不存在鉱山」の管理に自治体が頭を悩ませている。有害な排水の処理費などで負担する必要がある鉱山は13道府県に23か所あり、半世紀で投じられた公費は700億円を超える。処理施設の老朽化に加え、大雨などで排水が河川に流出するトラブルも相次ぎ、終わりの見えない出費を強いられている。と9月3日の読売が伝えている。

 国は1973年施行の金属鉱業等鉱害対策特別措置法に基づき、早期に廃水対策を完了させるとしていたが、鉱山内部で湧き続ける地下水を止めることは容易ではなく、対策が必要な鉱山の数はほぼ変わらない。

 処理費は特措法に基づき、国が4分の3、自治体が4分の1を負担している。

 1974〜2023年度の50年間に投じられた公費は約770億円、そのうち自治体負担分が約190億円で、今後も毎年約5億円の費用が発生する見通しだ。


 足尾銅山鉱毒事件(栃木県)、流域の渡良瀬川を汚染させたわが国初の鉱毒事件は明治時代の頃からのことで別子銅山(愛媛県)、日立鉱山(茨城県)、小坂鉱山(秋田県)と併せて四大鉱毒事件とされている。

 鉱毒事件といえば、四大公害病の一つ、イタイイタイ病は岐阜県三井金属鉱業の神岡事業所を原因とするカドミウムを含んだ廃水が神通川に流出し、流域の富山県富山市の住民に被害が出た鉱毒による公害である。

 鉱山を採掘すれば、有毒な化学物質であるカドミウムなどが処理されなければ、そのまま廃水から流れ出る危険があることが明らかになっている。

 休廃鉱の廃水といえば、処理されないで流れ出ていることは明らかである以上、住民に健康被害が出ることは自明の理である。

 事は処理費用の問題ではすまないのだ。

 健康被害が出てからでは遅い。
 企業は採算が取れなければ、すぐに廃鉱にして撤退してしまう。
 住民は逃げられないから、国や自治体が処理するのは当然のことである。
 本来、企業には後の世までまで責任があるわけで、「採掘しているときから、カネを拠出させて基金をつくり、会社が撤退してから後の処理費用に充てられるようにすべきである。」と関耕平島根大学教授も指摘しているとおりである。

 鉱毒事件、公害病事件を繰り返してはならない。
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2024年09月03日

石綿賠償「造船業にも」給付制度対象外 男性が提訴

 造船現場で作業中にアスベスト(石綿)による健康被害を受けたとして、元労働者らが国に損害賠償を求める民事裁判を相次いで起こしている。
 国は、建設労働者に対する石綿被害の責任を認めた2021年の最高裁判決を受けて給付金制度を設けたが、建設業に次いで被害の多い造船業は対象外だ。と8月22日の読売が夕刊(駒崎雄大記者))で伝えている。

 提訴したのは、千葉県市原市の小杉山辰哉さん(72)で、紙面で紹介される前、提訴した2024年2月14日にNHKが伝えていた。

 国際労働機関(ILO)が1972年に石綿の発がん性を指摘。国内でも95年から段階的に使用禁止となり2006年に全面禁止された。
 厚労省によれば、07年度から2023年度に石綿関連の労災認定を受けた人は、建設業(約1万5000人)、製造業(約7200人)、製造業の中で最も多いのが造船業(約2100人)だ。
 08年以降、元建設労働者らが国と建材メーカーを相手に損害賠償を求める動きが広がった。

 最高裁は21年の判決で国とメーカーの責任を認める統一判断を示し、防塵マスクの着用を義務付けなかったことなどを違法と認定。国は被害者一人当たり最大1300万円を支払う給付金制度を創設したが、対象を建設業に限定したため、造船労働者には給付金が支払われていない。


 原一男監督『ニッポン国VS泉南石綿村』を観て石綿(アスベスト)被害に関心が高くなった。
 肺をやられたら、息ができない。それは苦しいに決まっている。
 肺がんは喫煙と深い関係があると思っていたから、喫煙より厳しい石綿を防塵マスクをつけずに長期に吸い込めば中皮腫や肺がんになるだろう。

 尺八を吹くから、息を吸い込むことには大いに関心がある。
 尺八は腹式呼吸というか、しっかり息を吸い込み、唇を極細くして、無駄に息を使わないようにしないと音が続かない。

 肺は昔は結核で悪くする人が多く、先年亡くなった母親の身内は若い頃結核で亡くなったりしている。
 肺を病むって、息ができなくなるのだから、苦しいだろうと想像する。

 石綿っていつ頃から建材として使われていたのか詳しいことはわからないが、昨年、土蔵を解体した時は大丈夫だったのかと心配になる。
 昭和の初めの建築だと耳にしているから、多分もう使われていたのかもしれないけれど。

 花粉症で毎年、薬を服用しているが、薬を処方してもらう前、夜中に鼻が詰まり、苦しくなったことがある。
 鼻が詰まった程度でも、息を吸うことに大いに影響するくらいだから、アスベストの被害者のつらさ、苦しさが想像できる。

 建設業は当然としても、造船業もアスベストを使っていれば、当然、給付金の対象にすべきだ。
 働く人は、自ら防塵マスクというわけにいかず、使用者、国に責任があって当然である。
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2024年09月02日

生存の認定患者ゼロ イタイイタイ病 富山の93歳死亡

 4大公害病の一つで、富山市の神通川流域で発生したイタイイタイ病(イ病)を巡り、生存する唯一の認定患者だった同市の女性(93)が、11日に亡くなっていたことがわかった。遺族が明らかにした。富山県が1967年に患者の認定を始めて以来、生存患者がゼロになるのは初めて。だと8月14日の読売が夕刊で伝えている。

 イ病は、三井金属鉱業神岡鉱業所(現神岡鉱業、岐阜県飛騨市)の鉱山から排出されたカドミウムで、腎臓が障害を受け、骨が極端にもろくなる公害病。この女性は2022年8月、富山県知事から認定通知を受けた。新規の認定は15年以来、7年ぶりだった。

 県健康課によると、これまでに認定された患者は201人。イ病になる可能性が否定できない「要観察者」は345人で、このうち生存者は90歳代の女性1人となっている。このほか、新たな申請が出され、患者に認定される可能性もある。

 死亡した女性は神通川流域で育ち、幼い頃から川の水を飲み、近くで収穫されたコメを食べていた。40歳頃から足や膝に痛みを覚え、70歳を過ぎると就寝中に全身の痛みで目覚めるようになった。足の骨や骨盤も折れ、7年前から歩行につえが必要になったという。


 イタイイタイ病の資料館が富山にあるので行くつもりだったが、2020年からコロナ禍になってしまい、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚や公害病の患者の慰霊などに行かれなくなってしまった。
 その間、心身の著しい衰えがあり、もうどこにも出かけられなくなってしまったと嘆いていたが、もう一度、気力を奮い立たせ、復活できないものかと思案中である。
 イタイイタイ病といえば、どれほどつらいことか自分にはよく理解できるのだ。

 というのは40代早々に炎症性腸疾患クローン病になってしまい、その後、2度も腸閉塞(イレウス)になってしまい激しい痛みを経験したからである。
 連れ合いは股関節の痛みで、ロキソニンなどの痛み止めを服用していたが、結局人工股関節の手術を受け、障がい者手帳をもらっている。
 さらに、自分は歯周病の影響か時々、歯茎の痛みに見舞われ、一度は顔が腫れてしまったが、コロナ禍全盛期だったこともあって、発熱もあったことから、近くの病院に行くも、発熱外来に行くように指示され、院外へと追い出されてしまったことがある。
 その痛みがまたぞろ復活し、これから近くのかかりつけの先生のところに行き、痛み止めを処方してもらうつもりだ。
 とにかく、体のどこの部位であれ、痛いのは勘弁してもらいたい。

 そんなわけで、病名にイタイイタイと名付けられるくらいだから、その痛さは半端ないことであろう。
 痛さは本人のみ知ることで、他人の痛みがわかるには自らも痛みを感じてみないと本当のところはわからない。
 人間想像力が豊かであれば、他人の痛みを想像することで、少しはその気持ちを理解できるであろう。

 公害病といえば、水俣病、それも熊本と新潟で、イタイイタイ病は富山で、四日市は喘息、さらに、石綿(アスベスト)は泉南地域から全国へというように頭に浮かぶ。

 患者の苦しみに違いがあるわけではないが、有機水銀、カドミウム、ばい煙、アスベストと原因物質によって、病む部位は異なっても、なんでもない人にはその苦しみが理解されにくい。

 歯茎の痛みで思考力が低下し、気持ちがうつ状態になりそうであるが、薬を処方してもらって何とか痛みが治まるように祈るような気持ちである。

 イタイイタイ病はこれからも、患者が出てくると思うし、患者は何も悪くないけれど、こういうことがあったということを忘れてはならない。
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2024年08月31日

水俣病「もやい直し」奔走 吉井元市長追悼

 「追悼抄」というタイトルで亡くなった著名人の業績を称える記事が読売の夕刊にある。
 その8月22日(白石一弘記者)伝えてくれたのは、水俣病「もやい直し」を唱えた元熊本県水俣市長吉井正澄さん(5月31日、92歳で死去)の追悼抄だった。

 1994年5月1日、水俣市での水俣病犠牲者慰霊式で「犠牲になられた方々に対し、十分な対策を取り得なかったことを誠に申し訳なく思います」と公式に初めて謝罪し、「困難な事柄を克服し、今日の日を市民みんなが心を寄せ合う『もやい直し』の始まりの日といたします」と宣言したことで知られる吉井さん。

 原因企業チッソの企業城下町だった水俣市。人間関係は分断され、補償の差などで被害者間にも溝が生まれた。船同士をつなぐ意味の「もやい」に由来し、地域の絆を結び直す「もやい直し」を吉井さんは
提唱した。

 「立場の違いを超えた歩み寄りが『もやい直し』の精神」だそうな。
 
 未認定患者に一時金などが支給された95年の政治決着で、村山政権と交渉を重ね,約1万人が救済された。
 2004年の最高裁判決は患者の認定基準を行政より幅広く捉え、これを受けて認定申請者が急増した。
 09年に第2の政治決着で被害者救済法が成立。10年には、未認定患者が起こした集団訴訟で救済対象を決める第三者委員会の座長に就任し、和解成立へ導いた。

 2期8年の任期中は、公害の反省から環境モデル都市としての再生を掲げ、20種類を超えるごみの分別は今も続く。
 「加害者と被害者の両方から信頼が厚かった」とは和解成立へ導いた時の原告側代理人を務めた園田昭人さん(69)だ。


 水俣病が公式確認された1956(昭和31)年は、自分の連れ合いの生まれた年だから、忘れることはないが、実はもっと早くから水俣病は地元では、不知火の海の魚を食していた漁民の躰に異変が起きて、大きな問題となっていたのである。
 しかし、現実には症状が出ても、原因が素人にはわからなかったから、患者たちの苦しみは理解されなかった。
 原因がチッソが排出した工場廃液に含まれた有機水銀だとわかってからも、企業城下町だから、企業と関係のある市民が多かったことも原因究明の足枷になっていたように今なら言えることだが、当時は企業の側の方が圧倒的に力関係が上だった。

 公害病には極めて高い関心を持つ立場であるが、部外者から見ると、国はいつものことながら患者寄りではなく、企業寄りで、未認定患者をなかなか認定しようとはしてこなかった。
 つまり、認定患者、未認定患者、補償金の多寡などで、患者間でも分断が起きているように思われてならない。
 わかりやすくいえば、毎年、5月1日の慰霊祭も市主催と乙女塚に集まる患者主催とに分かれて行っているくらいである。

 吉井市長のことは恥ずかしながら、追悼抄で知ったくらいだが、水俣市が患者寄りかどうか、2017年6月に資料館を訪れた時の雰囲気では疑問だった。

 胎児性患者の坂本しのぶさんは「水俣病は終わっていない」と未認定患者がまだまだいることを訴えている。
 政治決着がついている割に、最終的な合意がなされていないところに水俣病の重さを教えられる。
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2024年08月29日

『うんこと死体の復権』

 月に一度の映画館行き、8月は関野吉晴監督の『うんこと死体の復権』を観てきた。
 タイトルからして観たくなるような作品ではなかったが、8月に上映しているはずだった『人間の境界』を見逃してしまい、観たい作品がなかったので、ポレポレ東中野なら、関心のある作品を上映しているかもしれないと調べたら本作品になったというわけ。

 排せつを自分の所有する里山で行い、自らの排泄物が処理されていく過程をチェックする糞土師伊沢正名の活動を紹介した第一章うんこの行方、糞虫の生態を研究している保全生態学者の高槻成紀の活動を紹介している第二章生き物の視点に立つ、死体喰らいの虫の営みを観察する絵本作家舘野 鴻の活動を取り上げる第三章死体を巡る攻防と協力、そして、エピローグでは監督の関野が東京は青梅の山に囲まれた林で石器時代に倣い、狩猟、採取の時代へと時を遡る旅をするという構成のドキュメンタリー作品である。
 
 毎日、家庭から出る所謂生ごみを畑に埋めて、土の中に棲む微生物の力を借りて堆肥化していることと同じことを人間の排せつ物でやっている人がいることを知り驚いた。

 D・モントゴメリー+A・ビクレー、片岡夏実訳『土と内臓 微生物がつくる世界』(築地書館)を読んで、毎日、実践していることの学術的なことが少しわかっていたが、人間の排泄物を畑の肥やしにしていた時代ならともかく、水洗トイレにシャワートイレが普及した今、こんなことを大真面目にやって、連れ合いに愛想をつかされたという伊沢さん。価値観の違いで離婚したということで、その変人ぶりは生態系を守る観点から表彰してやりたいほどである。

 ところが、後期高齢者になったという関野監督がドキュメントした人たちは生態系とか地球環境ということを考えた時、忘れてはいけない自然界の営みの一端に関わるという点で、実は素晴らしい実践活動をしているということだった。

 品性というか、タイトルのネーミングで毛嫌いされそうな点を除けば、一人でも多くの人に観てもらい、地球環境の一部とはいいながら、我々の生活で改めていかなければならないことを少しでも変えていく必要があると考えさせられた。

 畑で生ごみを埋めると、今の時節なら1〜2週間もあれば堆肥化される。堆肥化されにくいものを除けば思っているより早く土になっている。しかも、肥沃な土にである。

 飛騨高山の牧場で乳酸菌入り飼料を食べた牛糞などで生産した「みな土」を農協が取り寄せてくれなかったので、自前でぼかし肥料をつくるようになった。

 米ぬかに菜種の油かす、魚粉末に水を加えて、緑のコンポストというバケツ上容器で発酵させるのだが、白カビが出ているうちはいいのだが、少し経つとウジ虫が多量にわいてくるのだ。

 そんな光景に慣れっこになっている自分はスクリーンを眺めていても、どうってことはなかったが、慣れていない人にはグロテスクというか、気持ちがいいものではないかもしれない。

 しかし、人間だけが地球で生きているわけでなし、縁の下の力持ち的な糞虫やミミズなどの活動にスポットを当てた点を高く評価している。

 人間社会だって、裏方や人の嫌がる仕事をしてくれている人たちのお陰で、生活できていることを肝に命じるべきだ。
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2024年08月03日

敦賀2号機再稼働認めず 原発直下活断層恐れ

 日本原子力発電の敦賀原子力発電所2号機(福井県)について、原子力規制委員会は2日、再稼働を事実上認めないとした審査チームの結論を了承し、審査結果を取りまとめるよう指示した。原電側の審査継続の要望を認めず、敦賀2号機は2012年の規制委発足後、初めて審査で「不合格」の原発になる見通しとなった。とメディアが伝えている。

 7月27日と8月2日の読売によれば、2号機の審査を巡っては、原電が原子炉建屋直下に将来動く可能性がある活断層がないことを証明できておらず、規制委の審査チームが7月26日、原発の安全対策を定めた「新規制基準」に適合していないとの結論をまとめていた。

 規制委の委員5人はこの日の会合で、原電の村松衛社長から意見を聴取。村松社長は今後1年以上かけて追加の掘削調査などを行うとし、「説明に全力を尽くしたい」と述べた。これに対し、山中伸介委員長は「(追加調査の計画は)具体性に乏しく、調査期間も不明確だ」と述べ、一連の審査に区切りをつけた。

 規制委は秋頃にも、審査チームがまとめた審査書を正式に了承する見通し。


 原子力規制委員会の審査はごく妥当なもので、原子炉建屋の直下に活断層がある可能性が高いとするなら、東京電力福島第一原発における事故を教訓に再稼働させないことで一安心である。

 エネルギーを原子力でという原発推進派は、なんだかんだと言いながら、原発再稼働を企む。

 2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻、侵略した結果、ウクライナの原発が危機に瀕している。
 島国ではあるが、仮に日本の原発が攻撃されたらと考えただけでゾッとする。

 1945年8月のヒロシマ、ナガサキへの米軍による原爆投下、1954年3月、ビキニ環礁での米国による水爆実験で第五福竜丸の乗組員久保山愛吉さんたちが被爆し、1979年3月、米国スリーマイル島、1986年、当時ソ連、現在ウクライナのチェルノブイリ、そして、2011年3月11日の福島と被爆者ばかりでなく、原発事故による被曝者が出ているにもかかわらず、21世紀のヒトラー+スターリンこと悪魔殺人鬼のプーチンは核兵器を使うぞとウクライナへの脅しの材料にしている。

 再生可能な自然エネルギーの活用はドイツを筆頭に、中国でも太陽光の活用が進む。

 活断層を甘くみてはいけない。

 関東大震災から100年が経ち、そろそろ地震大国日本では次の大きな地震への心配をする人が少なくない。
 1995年1月17日の阪神淡路、2023年3月11日の東日本大震災という二つの大きな地震災害が発生しているばかりでなく、十勝沖、中越、熊本、そして、2024年元旦に起きた能登地震と次から次へと地震災害が発生している。

 幸い、原発事故は東京電力福島第一原発くらいだからいいが、地震の多い、日本海側では原発がひしめいていることから危険極まりない。

 原子力規制委員会が真面目に取り組んで、大地震で活断層がずれてしまう前に再稼働を止めてくれてよかった。
 
 災害は忘れた頃にやってくると言われている。
 その忘れた頃が、多分、100年ということになるだろうから、首都圏だって、関東大震災クラスの大地震がもうそろそろ来るかもしれない。

 原発推進派は自民党の議員と同じで自分さえよければいいという自己本位の考え方をしているので、全く信用できない。

 原子力規制委員会の皆さんには引き続きがんばってもらいたい。
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2024年07月27日

緑地増やす試み 都心が舞台

 東京都心は「100年に1度」と評される大規模開発が相次いでいる。高層ビルや複合施設の建設を目の当たりにしている人も多いだろう。それだけではなく、企業などによって新たな緑地が造りだされていることをご存じだろうか。地価が高い都心で敢えて緑を増やす理由は何なのか。と7月25日の読売(中根圭一記者)が夕刊で伝えている。

 東京は、新宿の大日本印刷の敷地(5・4f)にある「市谷の杜」、面積が1・5f。2015年に誕生。
 千代田、中央、港の3区では、緑が地表を覆う面積が地域全体に占める割合を示す「緑被率」が増加している。最近の大規模開発で計6fの緑地が新たに生まれた。


 年々、夏の暑さが酷くなっている。
 若い頃、肉を好んで食していたときにはどちらかといえば、暑がりだったが、食事制限で縁がなくなれば長じて寒がりになった反面、暑さには強かった。

 この酷い暑さでも畑の草むしりをやってきて、熱中症になりかかったことはあったが、何とか無事だった。
 
 連れ合いと一緒になった頃は、寝室にはエアコンがあったし、皆がいる部屋にはエアコンがあったが、そのエアコンが故障してから、わが家ではエアコンが使えず、夏の厳しい暑さを扇風機で凌いできた。
 連れ合いは、冷風扇とか呼んでいる扇風機のようなものをキッチンで使っている。

 それでも、何とか乗り越えてきた大きな理由は、ご近所さんの庭に樹木が多く、この樹々が風を運んでくれるからで、わが家にも樹木はそれなりにあることも大いに影響しているだろう。

 ところが、近所の寺でこの暑い夏にせっかく植えたクスノキを裸にし、先日、とうとう伐採してしまったのである。自由主義社会だから、他人の土地で誰が何をやろうが余計なことを四の五の言えないが、アホかと怒り心頭である。

 暑いから、クスノキがどれほど暑さをしのいでくれることか考えずに、伐採するなんて何を考えているのだと思っても伐採してしまったものはもう元には戻らない。

 大都会東京に対し、自分が生まれ育った首都圏の田舎町には結構緑が残されていたが、住宅建築のための開発が進むたび、樹木が減ってしまう。

 神社仏閣は宗教法人ということで、固定資産税の支払いが免除されているのだから、近隣住民のために1本でも多く樹木を植え、育て、守っていかなければならない。

 街路樹に除草剤をかけ、枯らして伐採したビッグモーターの社員のような男は地球に対する犯罪として極刑にしてもいいくらいの悪辣さである。

 手近な暑さ対策として、街の緑を増やす、それも形ばかりではなく、樹林地のような場所が少しでも増えることが望ましい。
 街路樹であれば、欅が望ましいし。一定の高さも必要だ。

 大規模開発の是非は別にして、理由は何でもいいから、都市部の暑さ対策のために樹木の数を増やすことを求めている。

 高級住宅地といえば、緑が多いというのが代名詞である。
 都内でも、緑豊かであることが街のレベルアップにつながる。
 それほど、緑、樹林地は大事な存在でる。
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2024年07月10日

水俣病患者会との再懇談での要望に真剣に取り組め

 水俣病の患者・被害者団体と伊藤環境相の再懇談が始まった8日、団体側は、認定患者の補償充実や認定制度の見直し、未認定患者救済の再開、係争中の訴訟の解決など多岐にわたるテーマについて主張や要望を伝えた。とメディアが伝えている。

 7月9日の読売によれば、認定制度見直し訴え この日の再懇談は、5月1日の懇談に参加した8団体のうち6団体が対象。個別の団体との意見交換も間に挟みながら、午前8時半から午後5時半頃まで約9時間にわたり行われた。

 認定申請を熊本、鹿児島両県に棄却された未認定患者らでつくる「水俣病被害者互助会」の佐藤英樹会長(69)は、患者認定制度について「妹だけ認定されて姉は認定されなかったり、子どもは認定されて母親が認定されなかったりする例もある」と指摘。伊藤氏に対し、「患者を切り捨てることばかり。もうちょっと患者のことを真剣に考えてほしい」と訴えた。

 胎児性患者の坂本しのぶさん(67)も、「私と同じ年に生まれて認定されていない人がいるのはおかしい。本当に考えて、ちゃんとするようお願いします」と求めた。

 2012年に申請が締め切られた水俣病被害者救済法に基づく救済措置に代わる新たな救済を要望する声も上がった。被害者団体「水俣病不知火患者会」の岩崎明男会長(70)は、救済対象とされた地域以外からも多くの被害者が見つかったことに触れ、「被害が不知火海(八代海)沿岸一円に広がっていたことは明らか。対象外地域の被害者の早期救済を」と訴えた。

 「水俣病胎児性小児性患者・家族・支援者の会」との個別懇談には、母親の胎内で水銀の被害を受けた胎児性患者ら6人が参加した。年々悪化する患者の症状などについて訴え、認定された後も病状の進行に応じてより高い水準の補償を受けられるようにする「ランク変更」の柔軟な運用を求めた。


 環境省というお役所ができたのは、水俣病など四大公害病が起きたことと大いに関係があるのではなかったか。
 そこのお役人が水俣病患者との懇談会を形ばかりやって、患者の訴えに真剣に向き合おうとしなかった。
 懇談会を打ち切り、批判されると再び懇談会に応じたが、メディアなどからの批判を怖れ、時間だけはたっぷりと応じた。

 何事もそうだが、相手とのトラブルを解消するときには、まず、話を聴くところから始まる。
 心情を真剣に訴える患者たちときちんと向き合うところから、解決の糸口が見えてくる。

 水俣病は公式確認されたのが1956(昭和31)年5月1日。毎年、5月1日がやってくると慰霊祭を水俣市と患者会とで別々に開催している。
 発症から長い年月、不知火の海に面した地域の住民ということで、患者の病状も様々なら、地域も熊本だけにとどまらず、国からの認定に関しても、未だに認定されていない人がいて、患者会も分かれてそれぞれの思い、願いの許に集まっている。

 自分の連れ合いが生まれた年に公式確認されたが、現実にはもっと前から水俣では患者は苦しんでいたことはよく知られたことである。
 差別も酷かった。村八分にされたというほどだ。
 環境省は懇談会で患者と向き合おうとしていなかったことが露見してしまったことを汚名返上のチャンスととらえ、読売の記者が伝えてくれた患者の要望に今度こそ真剣に向き合うべきだ。

 水俣条約で名前が使われるほど世界的に知られている水俣病である。
 いくら何でも、患者が死ぬ前に真剣に要望を実現させなければ、国際社会に恥ずかしいではないか。
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2024年06月13日

“PFAS汚染”岡山県吉備中央町汚染源は?

 NHK「クローズアップ現代」追跡“PFAS汚染” 汚染源は?健康リスクは?を視聴することができたので書いておく。  
 
 「自然界でほとんど分解されず“永遠の化学物質”と呼ばれる有機フッ素化合物=PFAS。2023年、高濃度のPFASが水道水から検出されたことが明らかになった岡山県吉備中央町。検査を受けた住民の血中濃度の平均は健康リスクが高まるとされる値の9倍以上に。住民の病歴などから健康への影響を検証。さらに、国が“98%は不明”だとする汚染源を徹底取材。産廃処分場や在日米軍基地など関連が疑われる施設と汚染との関係を追跡。」と番組の㏋にある。


 水俣病で公害病に目覚めたから、沖縄の米軍基地が原因とみられるPFASによる水質汚染の問題が起きたことを書いたことがある。
 水俣病はチッソの工場から処理せずに排水に流れ出した有機水銀が海に流れ出し、魚の体内に取り込まれた有機水銀の毒で魚を食した人々が苦しめられた。
 有機フッ素化合物=PFASは泡消火剤などに含まれ、自然界でほとんど分解されず、米軍基地内で地中に埋められた廃棄物からPFASが流れ出し地下水を汚染したばかりでなく、川に流れだし、飲料水となる水道水を汚染することなってしまったというわけである。

 岡山県吉備中央町で何故,PFASに汚染されたのかは正確なところはよくわからなかったが、水質が汚染されたことで、活性炭を使って浄化しようと試みたが、その使用済み活性炭が汚染されたにもかかわらず、野積み状態であったため、そこから、PFASが流れ出して、汚染が広がったことは明らかだ。

 汚染された活性炭を野済みにしていたと聞けば、原発の使用済み核燃料、あるいは福島第一原発事故での放射能に汚染された水を処理した処理水も、結果的に海洋放流してしまった。

 東京三多摩の日の出町にある谷戸沢と二ツ塚の処分場では地下水が汚染されないようにということでゴムシートを敷き詰めてあるということだったが、そのゴムシートが不具合だったことがあったように記憶する。
 野積みにされただけでは、仮にゴムシートを敷いてあったとしても、あてにはならないのだ。

 有機物は地中の様々なバクテリアが土に還してくれることになっていることは、デイビッド・モントゴメリー, アン・ビクレー; 片岡夏実訳『土と内臓 : 微生物がつくる世界』(築地書館)に書いてある。
 水俣病の原因物質有機水銀、イタイイタイ病の原因物質カドミウム、カネミ油症の原因物質ダイオキシンのPCB(ポリ塩化ビフェニール),そして,PFASと化学物質はバクテリアでもお手上げということで、安易に、便利だからといって、使ってきたことへの天罰みたいにして、人間の体を蝕んでいくのだ。

 水俣病然りで、すぐに結果が出るわけではないが、やがて、出てくる答えは怖いことになりそうだ。
 サリドマイド薬禍のとき、米国で被害が少なかったのは、FDAの審査官フランシス・キャサリーン・オルダム・ケルシー審査官のおかげである。

 番組では、日本全国取り分け、米軍基地、空港周辺などPFAS汚染が考えられる地域に危険信号を灯していた。
米軍横田基地で働く人が証言してくれていたが、いくら治外法権だからといっても、米軍は酷すぎる。
 抗議もできない自民党政権では市民は苦しめられるだけである。
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2024年06月07日

里山と世界の乾燥地で進む砂漠化

 明星大学(日野市)と読売新聞立川支局が共催する連続市民講座「わたしたちの多摩」の第2回が25日、同大日野校で開かれた。柳川亜季准教授が「多摩の里山を楽しむ ―『里山なんて…』から始まった私の旅」と題して、世界の乾燥地で進む砂漠化の問題、日本や多摩地域での里山について講義し、501人が参加した。と5月29日の読売が伝えている。

 「SATOYAMA」は、生物多様性の保全と人間の福利向上のために、日本の里山のように、人間が周囲の自然に寄り添いながら農林漁業などを通じて形成されてきた二次的自然地域を指す。

 地球の表面の約3割弱が陸だが、そのうち最も多いのは乾燥地であり、乾燥地の劣化、砂漠化が進んでいる。
 日本の食料自給率は4割を下回り、多くを輸入に頼っているが、これが意味するところは、輸入先の国の資源を間接的に消費しているということだ。水資源だけで、日本人1人当たり約1000リットルの海外の水を毎日消費している。このように、私たちの暮らしと乾燥地で進む砂漠化は関係している。

 このような問題意識から、モンゴルでの調査をしてきたが、遊牧と呼ばれる放牧システムが長期にわたり営まれてきたが、食の多様化で、野菜の需要が高まり、耕作地が増加し、砂漠化している。周りの自然の草原では風食を防ぎ、不毛の耕作地からの飛砂を捕捉している。
 
 日本の年間降水量は世界平均の約2倍の1700ミリだが、 急峻な地形のため、河川の水はすぐに海に流出してしまい利用可能な水資源量が限られる。また、日本は火山列島であり、特に関東では火山灰が降り積もっている。
 このような恵まれない水・土壌環境において、日本では、水路や田畑を整備し、水路を使って、し尿を効率よく回収、散布し、持続的な農業を営んでいた。
 しかも、先人たちは住まいの近くに里山を作り、燃料のため薪炭林としてコナラやクヌギ林を設けた。
 こうして命をつないできたが、その里山の景観が都市開発で失われてていく。

 以上が概要である。


 ご先祖のお陰で狭い面積ながらも、有機無農薬での循環型農業を実践しているので、環境問題には非常に敏感である。
 明星大学の柳川亜季准教授の話で心を揺さぶられたのはモンゴルの遊牧民が生産性の低い草原を持続的に使うため、季節ごとに放牧の場所を移動する遊牧システムを発達させてきたことで、国土の砂漠化が防げたことはまさに先人の知恵だということ。
 ところが、食の多様化で野菜を作るために耕作地が増えると皮肉なことに砂漠化するというのだ。

 さらに、食料自給率が4割を下回る日本では輸入先の国の資源を間接的に消費しているという見方である。
 私たちの暮しと乾燥地で進む砂漠化は関係しているというのだが、そんな意識は持ったことがなかった。

 先人の知恵には恐れ入った。
 標高の高いところにため池を作り、そこから水路を下方に延ばし、水田に水を送りながら、低い所には畑を配置。水田は洪水時には自然のダム機能を発揮するし、灌水時には土壌の養分分解速度を低下させる。

 乾燥地アフガンで医師でありながら、灌漑用水を敷設した中村哲先生は恩を仇で返した馬鹿なテロリストに殺害されてしまったが、目の付け所は素晴らしい。
 水がなければ、作物は育たないからだ。

 里山で燃料の炭を作ったことも特筆される。
 「ポツンと一軒家」を視聴し、ご先祖から引き継いだからと言って、当代が自給自足に近い生活で守っている姿にいつも感動してきた。

 食料自給率にしても、他国における資源を日本が食料を輸入することで、食いつぶしていると考えれば、自給率を上げることをもっと真剣に考えていく必要があるのではないか。

 里山の有難みを考えたことがあまりなかったような気がする。
 住環境を考えるとき、樹木がどれほどあるかということが価値になることは気づいていた。
 都市部における農地も意外と重要になってくるのではないか。
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2024年06月01日

新潟水俣病公式確認59年 教訓伝える式典

 新潟水俣病の公式確認から59年を迎えた31日、新潟市で県主催の式典が開かれた。出席した被害者や原因企業、環境省、自治体の関係者ら約100人は、次世代に教訓を伝えていくことを誓った。国定勇人・環境政務官は、熊本県の水俣病被害者らに対する同省の対応について陳謝した。と6月1日の読売が伝えている。

 式典「新潟水俣病の歴史と教訓を伝えるつどい」の冒頭、出席者らは1分間黙とうし、亡くなった被害者に祈りをささげた。
 新潟水俣病阿賀野患者会の曽我浩会長代行(76)は「水俣病をどう語り次いでいくか、高齢化した被害者にとって大きな問題だ。今日のつどいを機に、ぜひ検討してほしい」と訴えた。

 式典後、会場となった同市北区の「県立環境と人間のふれあい館(新潟水俣病資料館)」の近くで、患者・被害者団体などと国定氏の懇談が行われた。

 団体側は、新潟水俣病の発生当時に魚を多食していたことや現在の症状、差別や偏見に苦しんできたことを説明し、早期解決を訴えた。

 同会の皆川栄一副会長(80)は「解決が遅れれば遅れるほど(高齢の)被害者は亡くなっていく。私たちには時間がない」と語気を強め、「一日でも早い解決を望んでいる。私たちの切なる思いをどうか環境相に届けていただきたい」と訴えた。


 熊本の水俣で未処理のまま海に流された工場排水から発生した有機水銀中毒だから水俣病と呼ばれ、水俣条約に名前が使われたことから、今や有機水銀中毒の代名詞みたいになっている水俣病。
 新潟でも、阿賀野川流域で同じ症状で患者が苦しみを訴えたことから、水俣病に地域の名前を冠して新潟水俣病と呼ばれている。
 両者ともに工場排水に含まれた有機水銀に汚染された魚を食した人々が苦しめられた公害病であり、地域住民から差別されたこともまた共通している。

 水俣病は母親が有機水銀に汚染された魚を食していれば、胎児もまた胎児性水俣病として、生まれながらに重き荷を背負わされたかのような苦しみが死ぬまで続くという怖ろしさである。

 水俣病の公式確認が1956年5月1日ということで、連れ合いが生まれてすぐのことだから、あまりにも気の毒だと水俣に行き、犠牲者の慰霊碑にお参りしている。

 一方、新潟は連れ合いの両親が妙高の出身ということもあって、30代の頃に車で新潟に行っているが、この頃、新潟水俣病のことはほとんど知らなくて観光しただけだった。
 
 後に、連れ合いの両親の故郷には2回車で行っているが、この時もまた新潟水俣病のことは頭を過ることはなかった。

 新潟水俣病は佐藤真監督『阿賀に生きる』をリバイバル上映で観て知ることになる。
 新潟でも阿賀野川流域で水俣病があったくらいのことは、一般常識程度には知っていたが、映画では新潟水俣病を声高に告発するようなことはなかったが、もともと、雪国の人は我慢強く、寡黙な人が多いという印象だったから、じっと耐えてきたのだろうと推察したことを覚えている。

 熊本は連れ合いの箏の仲間の一人で近しくして頂いている女性が熊本出身だったこと。新潟は連れ合いの両親の故郷ということで、都道府県の中でも、親しみを持って訪れてもいる土地である。

 その水俣病がまだ、完全に決着していないのは政府の怠慢以外の何物でもない。
 これほどまでに苦しめられてきた上に、環境省のお役人に手ひどい仕打ちを受けたことで、怒り心頭である。

 とにかく、水俣病に苦しめられてきた人たち全員の救済が急がれる。
 水俣病患者は一つも悪くない。
 何とか救済できるように願っている。
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2024年05月23日

英国で薬害発生 政府が補償

 英国で1970〜90年代に、汚染された血液製剤や輸血により約3万人がエイズウイルス(HIV)やC型肝炎に感染し、約3千人が死亡した英史上最大規模の薬害があり、調査委員会は20日、政府の責任を認める最終報告書を公表した。英メディアによると、政府は総額約100億ポンド(約1兆9800億円)規模の補償案を発表する見通し。とメディアが伝えている。

 5月21日のWEBの産経によれば、スナク首相は謝罪を表明し、包括的な補償を約束した。血液製剤の危険性や輸血による肝炎発症のリスクは当時から指摘されており、調査委は「病院や政府が患者の安全を最優先にしなかった」と指摘。「被害の大部分は避けることができた」と断じた。

 同様の薬害はフランスや日本でも社会問題となったが、英国では調査や補償の動きが遅れた。2017年に当時のメイ政権が調査開始を表明。当事者への聞き取りを進めたが、証拠隠滅などによって難航した。(共同)


 日本では、足尾鉱山の鉱毒事件に始まり、水俣病、イタイイタイ病、新潟水俣病、四日市ぜんそくそしてカネミ油症事件と公害病が発生してきた。
 薬害は、サリドマイドは、スモン、クロロキン筋短縮症、薬害エイズ、陣痛促進剤、新三種混合ワクチン禍、薬害ヤコブ、薬害肝炎、薬害イレッサと次から次へと発生してきた。

 公害と薬害、両者ともに原因者があって患者が出ているという因果関係が明らかになっているものがほとんどである。

 当然のことながら、公害と薬害共に起こさないようにしなければならないことであるが、起きてしまった以上は、医療支援と補償ということが大事になってくる。

 ところが、公式確認されたのが1956年5月1日とされている水俣病は実はもっと早くに異常が見つかっていたのである。
 あれから幾星霜、未だに水俣病の未認定患者が認定を求めて裁判をしているくらいで、胎児性水俣病の坂本しのぶさんは、毎年、慰霊祭で「水俣病は終わっていない」と訴え続けてきた。

 公害と薬害の範疇からは外れるが、被爆者も、黒い雨に打たれた云々と、政府が決めた被爆の範囲外にいた人たちから抗議の声があがっている。

 政府は本来患者寄りでなければならないが、公害病、薬害共に企業寄りであることはその姿勢をみればあきらかである。

 患者とせっかくの懇談会を開いた環境省の役人は、水俣病で苦しんで亡くなった連れ合いのことを話している患者に3分間の約束時間が過ぎたことを理由にマイクのスイッチを切ったそうな。
 その対応をメディアに取り上げられた環境大臣は謝罪することになった。
 患者寄りであったなら、こんな失礼な対応はとれないはずだ。

 薬害での英国政府の対応は、調査や補償の動きが遅かったとはいうものの、政府の責任を認めて謝罪し、補償金も用意したというから、現政権は誠意の一端は認められる。

 患者の苦しみを思えば、当然のことではあるとしてもだ。
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2024年05月13日

米スリーマイル島原発事故 45年 廃炉に課題

 1979年3月28日、米ペンシルべニア州で、商用原子力発電所として初めて炉心溶融(メルトダウン)が起きたスリーマイル島(TMI)原発事故から45年が経過した。事故が発生した2号機を所有する米エナジ―ソリューションズ社は、廃炉の最終段階に向けて作業を進めているが、課題も残されている。と5月4日の読売が「サイエンスReport」(冨山優介記者)で伝えている。

 TMI事故では、2号機原子炉内にあった核燃料(約130d)の約45%が溶け落ちたと推定されている。ただ、溶融した核燃料(デブリ)が原子炉圧力容器の底を突き破った東京電力福島第一原発事故と違い、TMIの核燃料は圧力容器内にどどまった。
 米国の総力を結集し、原子炉上部から器具を差し込んで核燃料を取り出す方法が採用され、85〜90年には99%の回収を終えた。
 残った1%の回収には「80年代にはなかった最新の技術を使い、廃炉をより安全、効率的に進められる」と廃炉作業の副責任者フランク・エプラーさんはいう。

 米原子力規制委員会(NRC)の元職員レイク・バレッドさんは、NRCが主催した住民との対話と較べ、東電や日本政府の住民への説明は一方通行だったのではないかと危惧する。
 福島事故から30〜40年で廃炉を完了させる目標の実現性は「廃炉の進展は想定していたよりも遅かった。スケジュール達成は非常に難しいだろう」とのことである。


 米スリーマイル島原発事故から45年、2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻侵略で、ロシアの原発攻撃での事故が心配されているウクライナ。そのウクライナのチェルノブイリ原発での事故を経て、2011年3月11日に起きた福島での原発事故と世界では3回も大きな原発事故が起きている。
 原発は安全だということが全くの嘘だということが立証されたことになるこれらの事故はまだ処理が完全に終わってはいないところに問題がある。
 
 原発は一度事故が起きてしまえば、廃炉まで気が遠くなるような年月が必要になってくる。
 つまり、福島の原発が廃炉になるまで、自分は生きられないということで、このことは原発反対という立場の自分としては、重大な問題である。

 米国はスリーマイル島原発事故に米国の総力を挙げて廃炉に取り組んだということだが、事故の程度が福島より軽かったことも幸いしている。
 それでも、使用済み核燃料は敷地内に暫定的な保管施設を建設しているだけで、最終処分施設も一時的な貯蔵施設の建設もまだだという米国。日本でも全く同じで、最終処分施設がない中で、原発を稼働させることに反対する所以である。
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2024年05月08日

水俣病患者を見下す環境省の役人の対応

 熊本県水俣市で1日に行われた水俣病の患者・被害者団体と伊藤環境相との懇談で、団体側の発言中に環境省の職員がマイクの音を切っていたことがわかった。同省側は「事前に伝えた発言時間を超過した」と説明するが、団体側は「一方的に発言を打ち切られた」と抗議。同省は7日、担当室長が謝罪に出向くことを明らかにした。

 懇談は、水俣病の公式確認から68年を迎えた1日に営まれた犠牲者慰霊式後に行われ、8団体が出席。患者や被害者が順次、要望などを述べたが、環境省側は「1団体3分」で発言を終えるよう何度も促し、超過した際にはマイクの音量をゼロにする対応をとった。

 未認定患者団体「水俣病患者連合」の松崎重光副会長(82)は、被害に苦しみながら亡くなった妻について話していた際、「話をまとめてください」と遮られ、直後にマイク、伊藤環境相は「マイクを切ったことについては認識しておりません」と述べ、紛糾する会場を去った。


 水俣病の原因企業はチッソであることに間違いはないが、国はといえば、原因企業寄りであることはこれまでの対応をみれば誰にでもわかることであった。今回の環境省の患者団体との懇談での発言打ち切りという強引な手法がこのことを証明することに奇しくもなった。

 患者の声を聞くという見せかけの懇談会であるから、やるまえから、環境省職員は患者の声を聞く耳など持っていなかったのでポーズとしてやっただけのことである。つい、態度に本音がでてしまったということだろう。

 水俣病の患者団体が認定患者や未認定患者、水俣病に対する考え方、住む地域などによって、数団体に分かれている。
 毎年5月1日に行われる水俣病犠牲者の慰霊祭も海浜公園と乙女塚とに分かれて行われている。

 カスハラが大きな社会問題となっているが、強要、恐喝などは刑法の犯罪として裁かれる行為だから警察を呼べばいい。
 しかし、一般的な苦情に関しては、まず、苦情を聞くことから問題解決が始まることは苦情対応の初歩である。
 懇談会で、話のプロではないから、3分に限定するということ自体聞く耳を持っていない証拠であり、問題解決する意思がないことの証明でもある。
 懇談会をやる以上、要点がまとまらなくとも、気持ちが納まるようにする姿勢が大事で、それが嫌なら見せかけの懇談会などやる必要がない。

 患者と支援者は選挙で大臣の所属する自民党、そのパートナー公明党に絶対投票しないことである。
 患者に寄り添ってくれる政党と政治家に投票しなければならない。

 公式確認から68年、未だに未認定患者がいて、認定してもらえるように訴訟しているのはどう考えてもおかしい。
 胎児性水俣病の坂本しのぶさんは「水俣病は終わっていません」といつも訴えている。

 裏金脱税の自民党議員が支える岸田首相は能登半島地震で、未だに断水して、トイレも満足に使えないでいるのを国の総力を挙げて解消しようとせず、米国に国賓待遇で招かれ、その後も外遊と海外にはのこのこ出かけ、税金を手土産にするから歓待されているくせに能登半島の住民を助けようとはしていない。
 
 次の選挙で、能登半島の被災者は自民党、公明党に投票はできないだろう。

 水俣病だって、岸田首相が水俣を訪れることなどありえないのではないか。
 水俣病患者はよくよく考えた方がいい。
 水俣病はそもそも自民党とその政権が大きくかかわっていて、患者たちを苦しめてきたのだ。
 彼らに患者を真に救済する気持ちがあるのだろうか。 
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2024年05月07日

生物多様性 暮らし育む

 自然環境の悪化により、現代は生物の絶滅や減少に歯止めがかからない。その一方、生物は食料や薬の原料などに活用され、人々の暮らしや健康を支えている。
 生物多様性(種、生態系、遺伝子)を守る取り組みは、世界の潮流になりつつある。
 生物多様性に関する国際的な動きを追う香坂玲東京大学教授は、人間と生物がうまく共生するには、まずは地域で守る取り組みを広げていくことが大切だと説く。
 5月5日の読売(渡辺洋介記者)が「あすへの考」で「人間と生物の共生」をテーマに香坂玲さんに聞いている。
 
 「人間は自然を超越した存在ではない。生物の輪のようなつながりに組み込まれたものだと認識することが必要だ。
 生物は人間の生活や経済を支えている。生物から多くの恩恵を受けており、生物多様性が失われることは生物からの恩恵を受けられなくなることを意味する。
 世界のGDPの半分以上が自然資本に強く依存。保全へ具体的な行動を起こさなければならない。
 生物多様性が危機に直面する要因として
 @森林伐採などによる過剰な開発行為A中山間地の里山などの手入れ不足B人間がもちこんだ外来種や化学物質C気候変動の4つが挙げられる。

 地域の取り組みは重要で、衣食住や観光ならではのものを生みだすことは地域の活性化やビジネスに役立つとともに生物多様性の維持にも役立つ。
 土地ならではのものを作るにも生態系や土壌の個性が大事だ。

 今後のカギを握る若い世代は国内外を旅して、その土地ならではの生活、食、気候を肌身で感じ体験してほしい。生物多様性が育む景観や衣食住などへ意識を広げることで、新たな価値が生まれる可能性は十二分にあると信じるから。」以上が概要である。


 香坂さんはカナダ生まれの日系4世で環境活動家で当時12歳だったセバン・スズキが、1992年に開催された国連の「地球サミット」で「どうやって直すのかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください」と伝説的なスピーチをした。「私は怒っていますが、自分を見失ってはいません」と訴えたことを紹介してくれている。

 2003年生まれのスゥエーデンの若き環境活動家グレタ・トゥンベリーさんがひとりではじめた「気候のためのスクールストライキ」は、瞬く間に世界の若者運動として広がっていった。
 地球温暖化を何とか食い止めなければといても立ってもいられなくなった15歳の少女がスゥエーデン議会の前で「気候のためのスクールストライキ」というプラカードを持ってスピーチしたことで知られるようになった。

 人生の持ち時間が残り少ない自分と較べ、若い人がこれだけ地球温暖化を止めなければ大変なことになるとの危機感を抱いていることに敬意を表するとともに恥じ入るばかりである。

 自分の立ち位置でできることをやってきたつもりではある。
 有機無農薬での野菜作り、家庭から出る所謂生ごみは畑に埋め、畑で毟った草などは堆肥化させる循環型農業を実践したりしてきたが、目立つことは嫌いで、こうして毎日発信するくらいで、人前でアピールすることなどとても恐れ多くてというか気が小さくてできなかった。

 それでも、ひとり一人が自分のような意識をもって行動すれば、世の中は変えられるとは思っている。
 香坂さんが指摘するように今後のカギを握る若い世代はグレタ・トゥンベリーさんたちと共に手を携え生物多様性を育む景観や衣食住などへ意識を広げることが求められている。

 と同時に具体的行動に立ち上がることを期待したい。 
posted by 遥か at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題・公害問題

2024年05月02日

「乙女塚」での慰霊祭と患者の老々介護

 水俣病の公式確認から68年となった1日、水俣市では、患者団体「水俣病互助会」による慰霊祭が営まれた。
 患者の遺品などが納められている水俣市の「乙女塚」での慰霊祭はことしで44回目で、水俣病の患者や遺族などおよそ60人が参列した。と5月1日のNHKが伝えている。

 参列した人たちは、かつて原因企業のチッソと交渉する際に歌われた「御詠歌」を詠じたあと、読経にあわせて焼香をして、水俣病で犠牲になった命に祈りをささげた。

 水俣病公式確認の年に生まれた胎児性患者の坂本しのぶさん(67)は、「水俣病は終わっていません。胎児性患者だけでなく、症状の比較的軽い患者など、いろいろな被害者がいることを覚えておいてほしい」と訴えた。

 祖母と両親が水俣病の患者で、裁判で被害を訴えている佐藤英樹さん(69)は、「国や県は、水俣病問題を早く終わらせようとしているように感じる。被害者に対してきちんと向き合ってほしい」と訴えていた。

 1956年5月1日。2歳11か月で「原因不明の疾患」として熊本県水俣市の水俣保健所に届けられ、水俣病公式確認のきっかけとなった小児性患者・田中 実子 さん(70)は、寝たきりでしゃべれず、ヘルパーが24時間態勢で命をつなぐ。長年支えてきた長姉は2023年、亡くなり、義兄の下田良雄さん(76)がヘルパーの助けを得て支えている。平均年齢が80歳を超えた認定患者に、支える家族らの高齢化という課題がのしかかる。と5月1日の読売(白石一弘記者)が伝えている。

 実子さんら水俣病の認定患者は、1973年に原因企業のチッソと締結した協定に基づく補償を受けている。医療費はチッソが全額負担するが、ヘルパー派遣のような福祉については、介護保険で患者側が一部を負担する必要がある。支援者側は改善を求めているが、チッソ側は「協定を遵守している」との立場を崩さない。

 熊本、鹿児島両県の認定患者は3月末現在、2284人(2055人が死去)で、生存する229人の平均年齢は80・4歳に達した。良雄さんは「多くの認定患者が老々介護の問題を抱えている。国や熊本県も課題の解決に向け、主体的に動いてほしい」と願う。


 昔からそうだった。
 お上は冷たくて、強い立場の原因企業寄りで患者という弱い立場の人間に寄り添おうという気持ちはみられないものだった。
 国、県、市で働く公務員は、水俣不知火の海の魚は食べなかったのだろう。
 仮に、魚を食べて、水俣病になっていれば、当然、患者寄りの姿勢で事にあたるはずだからだ。

 母親の胎内で水俣病になった胎児性の患者坂本しのぶさん。と自分の連れ合いが同い年だから、生まれてから重き荷を背負わされて生きて来なければならなかったことを想像するだけで気が遠くなりそうだ。
 生まれてから2歳11か月で水俣病を発症した田中実子さんは寝たきりで、医療費は原因企業のチッソが負担しても、介護保険適用だから、自己負担があり、この負担をチッソが負担すべきであるにもかかわらず、チッソは知らん顔で、約束を遵守しているなどといっている。
 許せない!

 公式確認された5月1日、毎年慰霊祭が水俣の埋め立て地にある海浜公園にある慰霊碑と高台にある乙女塚で行われている。
 海浜公園は行政が主催し、乙女塚では患者団体「水俣病互助会」が主催する。
 乙女塚は高台にあって、2017年6月にお参りに訪れた時は、砂利道で、雨が降った後で泥濘もあって歩きにくかったから、車いすの坂本さんは、サポートしてもらわなければ上がれないが、参加すれば、「水俣病は終わっていない」といつも訴えてきた言葉は重い。

 患者は何も悪くない、ただ魚を食べただけだから、過失すらないわけで、一生苦しみ続けなければならない患者の気持ちにチッソも行政も寄り添う姿勢がみられない。

 何故なのだろう。
 その熊本に2016年大地震が発生し、あの熊本城さえも壊れた。
 1637年にはキリスト教系農民などによる島原の乱、島原天草一揆がおきている。
 水俣条約ができて、水俣は世界の歴史に名前が刻まれることになった。

 水俣病を他人事としてみていると、必ず、また、日本のどこかで同じようなことが起きるような気がしてならない。 
posted by 遥か at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題・公害問題