NHKこころの時代〜宗教・人生〜「川とひとをみつめて 〜ある河川工学者の半生〜を視聴することができたので書いておく。
「ダムや河口堰など川の開発の必要性を問い続け、河川工学者でありながら「ダムは川の敵対物になっている」と発言してきた大熊孝さん。それはなぜなのか?その背景には、高度経済成長時代の河川工事の負の側面、新潟で初めて知った川の豊かな自然の力、未認定の新潟水俣病患者を描いた映画「阿賀に生きる」の製作委員会代表として活動した体験があった。人間にとって川とはどんな存在なのか。自然と人間の共生のあり方を考える。」と㏋にある。
国土面積の7割が森林だという日本。7割が森林なら降った雨は、川となって水が海に流れていく。
当然、森が豊かなら河川を通じて水も豊かで、豊かな水が土に森の栄養を運び、森林と水と農地は日本の財産である。
『森は生きている』(講談社)の著者富山和子さんは、自然と人間シリーズ『川は生きている』(同)を書いている。
「水道のじゃぐちをひねるとき、あなたは、その水が、どこから運ばれてくるか考えたことがありますか。この本は、水の話であり、緑の話であり、そして土の話でもあります。」と帯に書いている。
その59頁に「ダムのかなしみ」の項がある。
「水をきらってどんどん海へすてながら、いっぽうでは水を欲しがったのです。水はたりなくなるばかりでした。「では、上流にダムをつくって、そこから水をもってこよう。」こうしてダムがつくられるようになりました。」「これでもう、水はだいじょうぶだ。」
ところが、ダムは水といっしょに土砂もたくわえはじめるのだ。
土砂を山につなぎとめてくれるのは森林である。ダムを守ってくれているのは森林だった。
森林を守っているのは山に住む人たちである。
佐藤真監督、小林茂撮影『阿賀に生きる』を2012年、リバイバル上映されたときに観ている。
大熊孝さんが制作委員会代表だったことは知らなかったが、この映画がきっかけとなって、小林茂監督の『風の波紋』の制作にカンパしたり、『魂のきせき』の制作にもカンパしたりするようになった。
1983年公開の神山征二郎監督『ふるさと』を観て、岐阜県徳山村がダムに沈むことを知った。
奥多摩湖、相模湖とダムに沈んだことは知っているが、湖に行ったことはあっても、意識は低かったが、映画の力は強くて、『ふるさと』を観て、街がダムに沈んでしまう人々の哀しみというものを意識するようになった。
中学生の頃だったか、特攻隊の生き残り三島敏夫が歌った北国の春あさい川岸での少女の「面影」や、「北上川夜曲」「石狩川エレジー」と川は人々の暮らしを映すように歌われてもいる。
洪水は困るが抜本的な治水対策というものを私たちはもっと考えるときではないか。
2026年08月02日
2026年07月18日
パン 廃棄処分減らす
「パン 廃棄処分減らす」「売れ残り 駅のロッカー型自販機で」「冷凍して通販/ビル―副材料に」という見出しで、7月9日の読売(上田津希乃記者)が食品ロス、「ロスパン」削減について取り上げている。
社会の課題となっている「ロスパン」削減については、「廃棄パンを駅のロッカーで販売 横浜発の官民協働モデルが広げる食品ロス削減」ということで2025年11月28日の朝日新聞DIGITALが伝えていた。
横浜市が、食品ロス削減の取り組みを進めている。市営地下鉄の駅構内に「SDGsロッカー」と呼ばれるロッカー型自販機を設置し、近隣パン店の閉店時に残ったパンを割引価格で販売する仕組みだ。行政、ロッカーメーカー、パン店が役割を分担し、2024年1月から2025年10月末までに約19dの食品ロスを削減した。
事業者がパンの廃棄削減に力を入れるのは、パン製造業の食品ロスが少なくないためだ。農林水産省が23年、食品廃棄物などの発生量が年間100d以上になる75業種の事業者を対象に行った調査によると、パン製造業の食品ロスは推計約22万d。食品産業全体の推計約193万dの約1割を占めた。
首都圏の田舎町で小学校3年生まで近くの分校に通い、4年生から少し離れた本校に通うようになってから学校給食を食べるようになったことを思い出す。
ふだん、それまで米を食べてきたが、給食でパンを食べるようになった。
後期高齢者になった今日では、あれは食糧難の時代、米国が日本を支配するためにパンを食べさせるように仕向けたと考えたりすることもある。
現在の自分の食事は、朝は牛乳、大館から取り寄せているロシア製法の黒パンをシベリア抑留を忘れないために食すのだ。キューイフルーツを入れたカスピ海ヨーグルトは昼も夜も。炎症性腸疾患クローン病の主治医から処方されている栄養剤。昼はリンゴに野菜の煮物、17時ころ、朝飲む栄養剤をもう一杯、夜は宇和島から取り寄せている河内晩柑と野菜の煮物ということで、肉は食べないし、魚もほとんど食べない。
こんな食事だから栄養剤で栄養のバランスをとっている。
パンは黒パン以外は近くのパンの人気店で買い求めている。
この店では、土日、前日の売れ残りのパンを値引きして販売しているとのことで、土日は開店時間が早いにもかかわらず、行列ができるほどの人気らしい。
有機無農薬での野菜作りを実践していることから、土づくりに関心があり、ために、毎日出る所謂生ごみを畑に埋めて堆肥化させているくらいだから、食品ロスに関してはこんな罰当たりのことをしているといつかしっぺ返しが来ると何とかしなければいけないと思っていた。
賞味期限、消費期限に関係なく、まだ食べられるものを捨ててしまうということに野菜作りをしている立場から罪悪感を抱くことがないということに驚かされる。
食品ロス、「ロスパン」などやる気になってできないことはないはずだ。売れ残りを駅のロッカー型自販機で販売することは試みとしても応援したくなる取り組みである。
基本的には、ドキュメント72時間で放送していた大阪だったかのスーバーが夕方になると値引き販売してくれるということで、この時間まで買い物を待つ人のことをとりあげていたのを視聴したことがある。
捨てるくらいなら、値引きしてでも販売してもらいたい。
生活に困っている人にとって、それこそセーフティネットではないか。
支え合う社会とは、互いに助け合うことで生活できる社会のことだろう。
社会の課題となっている「ロスパン」削減については、「廃棄パンを駅のロッカーで販売 横浜発の官民協働モデルが広げる食品ロス削減」ということで2025年11月28日の朝日新聞DIGITALが伝えていた。
横浜市が、食品ロス削減の取り組みを進めている。市営地下鉄の駅構内に「SDGsロッカー」と呼ばれるロッカー型自販機を設置し、近隣パン店の閉店時に残ったパンを割引価格で販売する仕組みだ。行政、ロッカーメーカー、パン店が役割を分担し、2024年1月から2025年10月末までに約19dの食品ロスを削減した。
事業者がパンの廃棄削減に力を入れるのは、パン製造業の食品ロスが少なくないためだ。農林水産省が23年、食品廃棄物などの発生量が年間100d以上になる75業種の事業者を対象に行った調査によると、パン製造業の食品ロスは推計約22万d。食品産業全体の推計約193万dの約1割を占めた。
首都圏の田舎町で小学校3年生まで近くの分校に通い、4年生から少し離れた本校に通うようになってから学校給食を食べるようになったことを思い出す。
ふだん、それまで米を食べてきたが、給食でパンを食べるようになった。
後期高齢者になった今日では、あれは食糧難の時代、米国が日本を支配するためにパンを食べさせるように仕向けたと考えたりすることもある。
現在の自分の食事は、朝は牛乳、大館から取り寄せているロシア製法の黒パンをシベリア抑留を忘れないために食すのだ。キューイフルーツを入れたカスピ海ヨーグルトは昼も夜も。炎症性腸疾患クローン病の主治医から処方されている栄養剤。昼はリンゴに野菜の煮物、17時ころ、朝飲む栄養剤をもう一杯、夜は宇和島から取り寄せている河内晩柑と野菜の煮物ということで、肉は食べないし、魚もほとんど食べない。
こんな食事だから栄養剤で栄養のバランスをとっている。
パンは黒パン以外は近くのパンの人気店で買い求めている。
この店では、土日、前日の売れ残りのパンを値引きして販売しているとのことで、土日は開店時間が早いにもかかわらず、行列ができるほどの人気らしい。
有機無農薬での野菜作りを実践していることから、土づくりに関心があり、ために、毎日出る所謂生ごみを畑に埋めて堆肥化させているくらいだから、食品ロスに関してはこんな罰当たりのことをしているといつかしっぺ返しが来ると何とかしなければいけないと思っていた。
賞味期限、消費期限に関係なく、まだ食べられるものを捨ててしまうということに野菜作りをしている立場から罪悪感を抱くことがないということに驚かされる。
食品ロス、「ロスパン」などやる気になってできないことはないはずだ。売れ残りを駅のロッカー型自販機で販売することは試みとしても応援したくなる取り組みである。
基本的には、ドキュメント72時間で放送していた大阪だったかのスーバーが夕方になると値引き販売してくれるということで、この時間まで買い物を待つ人のことをとりあげていたのを視聴したことがある。
捨てるくらいなら、値引きしてでも販売してもらいたい。
生活に困っている人にとって、それこそセーフティネットではないか。
支え合う社会とは、互いに助け合うことで生活できる社会のことだろう。
2026年07月07日
魚を食べていただけ 水俣病被害者に関心を
7月5日の読売(長谷部耕二記者)に「水俣病被害者に関心を」という見出しのコラムを「東京春秋」※351でみつけたので書いておく。
築地魚河岸の仲買人の子に生まれ、3食のおかずは焼き魚、煮魚、刺し身とほとんど魚だったという記者。
似た食生活を送っていた人たち。九州の八代海周辺の地域に住んでいた水俣病の被害者である。何故、魚ばかり食べていたのか。たんぱく源が魚しかなく、おいしかったからだ。
被害者は魚に水銀が入っていたとは知らず、「手足のしびれや震え、体のふらつき」などに悩まされている。一見、軽症に見えるが、首都圏に住む女性(78)は、八代海近くで育ち、発症したのは40歳頃だった。一日中、手足がしびれてひどく痛み、夜でも足がつるので安眠できないという。症状は数十年続き、「本当に苦しい」と訴えている。
水俣病が公害病と判明した後、魚介類の水銀などの汚染も注目された。幼少期から魚をたくさん食べていた自分には「水俣病は他人事ではない」との思いから取材を続けている。
公式確認から70年。水俣病の救済策から漏れた約1600人が今も、国などを相手に係争中である。
国が補償すべきであるが、公費支出のためには国民の後押しが欠かせない。
八代海周辺に住み、魚を食べていただけで苦しみ続ける被害者に心を寄せる人が一人でも増えることを願っていると結ぶ。
生まれてから死ぬまでに自分のことしか考えない人がいる一方で、家業の関係で毎日、魚を食べていたから、同じく、毎日のように魚を食べていて、水俣病に罹患した八代海周辺で育った人たちに思いを寄せる記者がいたことに嬉しくなりエールをおくりたくなった。
わが身を振り返ってみれば、水俣病のことは大きな社会問題になっていた60年代頃から知ってはいたが、直接自分にできる何かをしなければならないと思ったのは、水俣病の患者で、語り部の杉本栄子さんの話をラジオで聴いたことで激しく心を揺さぶられたからだ。
まだ、原因が明らかでない頃、発病した網元杉本家の人たちは「感染する」と村八分にされたというのだ。
ところが、「いじめ返しはするな、木と水を大事にして人を好きになれ、でないと網元にはなれん」と父親に諭されたそうな。
「いじめ返しはするな」という教えに心を揺さぶられた。
自分たちはちっとも悪くないにも関わらずだからだ。
石牟礼道子さんの『苦界浄土』(講談社文庫)を買い求めて読み、東京大学安田講堂で開催されて公式確認60年シンポジウムに参加したりして学習をし、土本典昭さんの映画、写真家ユージン・スミスを描いた 「MINAMATA ミナマタ」を観るなどして学習を続けた。
熊本大地震の翌年2017年には、水俣に行き、慰霊碑にお参りもしている。
感性という言葉がある。想像力を磨くというのは口癖のように書いてきた。
生まれてから、死ぬまでにただ生きているというのも人生なら、世の中の出来事に関心を寄せ、苦しんでいる人たちがいれば、少しでも力になってやるという生き方があってもいいのではないか。
他者が苦しんでいても、なんとも思わない人がいてもかまわないが、自分は自分らしく生きるというのが、コラムへの感想である。
築地魚河岸の仲買人の子に生まれ、3食のおかずは焼き魚、煮魚、刺し身とほとんど魚だったという記者。
似た食生活を送っていた人たち。九州の八代海周辺の地域に住んでいた水俣病の被害者である。何故、魚ばかり食べていたのか。たんぱく源が魚しかなく、おいしかったからだ。
被害者は魚に水銀が入っていたとは知らず、「手足のしびれや震え、体のふらつき」などに悩まされている。一見、軽症に見えるが、首都圏に住む女性(78)は、八代海近くで育ち、発症したのは40歳頃だった。一日中、手足がしびれてひどく痛み、夜でも足がつるので安眠できないという。症状は数十年続き、「本当に苦しい」と訴えている。
水俣病が公害病と判明した後、魚介類の水銀などの汚染も注目された。幼少期から魚をたくさん食べていた自分には「水俣病は他人事ではない」との思いから取材を続けている。
公式確認から70年。水俣病の救済策から漏れた約1600人が今も、国などを相手に係争中である。
国が補償すべきであるが、公費支出のためには国民の後押しが欠かせない。
八代海周辺に住み、魚を食べていただけで苦しみ続ける被害者に心を寄せる人が一人でも増えることを願っていると結ぶ。
生まれてから死ぬまでに自分のことしか考えない人がいる一方で、家業の関係で毎日、魚を食べていたから、同じく、毎日のように魚を食べていて、水俣病に罹患した八代海周辺で育った人たちに思いを寄せる記者がいたことに嬉しくなりエールをおくりたくなった。
わが身を振り返ってみれば、水俣病のことは大きな社会問題になっていた60年代頃から知ってはいたが、直接自分にできる何かをしなければならないと思ったのは、水俣病の患者で、語り部の杉本栄子さんの話をラジオで聴いたことで激しく心を揺さぶられたからだ。
まだ、原因が明らかでない頃、発病した網元杉本家の人たちは「感染する」と村八分にされたというのだ。
ところが、「いじめ返しはするな、木と水を大事にして人を好きになれ、でないと網元にはなれん」と父親に諭されたそうな。
「いじめ返しはするな」という教えに心を揺さぶられた。
自分たちはちっとも悪くないにも関わらずだからだ。
石牟礼道子さんの『苦界浄土』(講談社文庫)を買い求めて読み、東京大学安田講堂で開催されて公式確認60年シンポジウムに参加したりして学習をし、土本典昭さんの映画、写真家ユージン・スミスを描いた 「MINAMATA ミナマタ」を観るなどして学習を続けた。
熊本大地震の翌年2017年には、水俣に行き、慰霊碑にお参りもしている。
感性という言葉がある。想像力を磨くというのは口癖のように書いてきた。
生まれてから、死ぬまでにただ生きているというのも人生なら、世の中の出来事に関心を寄せ、苦しんでいる人たちがいれば、少しでも力になってやるという生き方があってもいいのではないか。
他者が苦しんでいても、なんとも思わない人がいてもかまわないが、自分は自分らしく生きるというのが、コラムへの感想である。
2026年06月30日
水俣でタコを獲る漁師の姿から学ぶ
Dearにっぽん「それでも、この海で 〜熊本・水俣〜」を視聴することができたので書いておく。
「94歳の鴨川強己さんは週3回ほど漁に出る現役の漁師だ。その海はかつて、工場が排出したメチル水銀によって汚染された。魚介類を食べた人が次々に倒れた水俣病。「魚(いお)湧く海」と呼ばれた豊かな漁場は、長く漁の自粛に追い込まれ、漁獲量は最盛期の1割以下になっている。今やタコ一本で漁を続ける最後の漁師となった鴨川さん。水俣病が公式確認されて70年となる今年、誰にも話さなかった、この海と生きる理由を語った。」と熊本放送局の㏋にある。
ETV特集「患者さんの痛み写真家の葛藤」をNHK熊本放送局が放送してくれたので昨日、書いたばかりであるが、水俣湾の漁師として生きてきた男性のことも水俣病に関して学習を続ける立場から興味深かかった。
94歳の鴨川強己さんはタコを獲る現役の漁師である。
漁師以外に生きる術を知らないと言ったら失礼になるかもしれないが、漁師を続けられているからお元気なのか、お元気だから漁師が続けられるのか。そんなどうでもよいことを頭に浮かべながら生きるとはどういうことなのか考えさせられた。
水俣病公式確認70年で、4月28日の読売が文化の紙面で、水俣病の悲劇をどう受け止め、二度と繰り返さないために何を伝えるのか。写真、演劇、教育を通して水俣病と関わってきた3人に話を聞いたという記事についても書いた。
写真では、環境ジャーナリスト アイリーン・美緒子・スミスさん。演劇では、劇作家詩森ろばさんの二人のことが取り上げられていたことを書いた。
もう一人、教育では、都留文科大学准教授小川輝光さんが「学び、伝え続ける重要性」を訴えていた(江口武志記者)ことについてこれから書いておく。
横浜の中高一貫校で指導していたときのこと。認定患者で水俣病の語り部として知られている杉本栄子さんの語りに衝撃を受けたというのだ。
一家で罹患した杉本家は病が伝染するという誤解によって、村八分にされ集落で孤立。杉本さんは症状や差別に苦しみながらも、水俣病を「のさり」(天からの授かりもの)と表現するまでに変化した。「そう変化した経緯に学ぶべきことがある」と小川さんは思ったそうな。
2011年の東日本大震災での東京電力福島第一原子力発電所の事故が、子どもたちに遠い出来事だった水俣病を自分たちの問題として引き寄せる契機となった。
水俣病と似た構造が繰り返されていたからだ。
「人々が利益を追求する社会で、犠牲や矛盾が生じるのは普遍的な問題。水俣病を学ぶ中で、なぜ杉本さんのような苦しみを抱える人が発生するのか、という視点が身についていく」と思う。
「社会が人々の記憶を受け止め、伝え続けなければならない」と結ぶ。
杉本栄子さんの語りをラジオで聴いて激しく心を揺さぶられた自分と小川さんが全く同じ経験をされていたことに驚かされた。
94歳の鴨川強己さんはタコを獲る漁師で、手足のしびれなど水俣病の症状はありながらも、何とか生きられている。
深く刻まれた皺、日に焼けた顔で獲ってきたタコを調理し、タコをつまみにビールを飲む姿を映させていた。
チッソの工場が排出したメチル水銀で汚染された海を攫い、埋め立て、今では安全な海になっているとはいうものの、魚湧く海とまで呼ばれた水俣湾で漁獲量は最盛期の1割以下だというが、鴨川さんは水俣病のことは話したがらないのだ。
漁師だから、生きていくためには魚を獲るしかないといいながらである。
小川さんが学び、伝え続ける重要性を訴えているように、語り継ぐ戦争では戦争を企図する者は自らは安全地帯にいて、若者たちを戦場に送り、死なせても敗戦後も平然と生き残っていることに抗議するため、戦没者の声に耳を傾けようとしてきた。
水俣病では、チッソとその後ろ盾の政府が補償金を支払いたくないから、患者を認定しないようにしてきたことを学んできた。
まさに、学習しなければ、患者の痛みを想像することもなかったかもしれない。
戦争と水俣病は過去の出来事ではないぞ。と声高に訴えたい。
「94歳の鴨川強己さんは週3回ほど漁に出る現役の漁師だ。その海はかつて、工場が排出したメチル水銀によって汚染された。魚介類を食べた人が次々に倒れた水俣病。「魚(いお)湧く海」と呼ばれた豊かな漁場は、長く漁の自粛に追い込まれ、漁獲量は最盛期の1割以下になっている。今やタコ一本で漁を続ける最後の漁師となった鴨川さん。水俣病が公式確認されて70年となる今年、誰にも話さなかった、この海と生きる理由を語った。」と熊本放送局の㏋にある。
ETV特集「患者さんの痛み写真家の葛藤」をNHK熊本放送局が放送してくれたので昨日、書いたばかりであるが、水俣湾の漁師として生きてきた男性のことも水俣病に関して学習を続ける立場から興味深かかった。
94歳の鴨川強己さんはタコを獲る現役の漁師である。
漁師以外に生きる術を知らないと言ったら失礼になるかもしれないが、漁師を続けられているからお元気なのか、お元気だから漁師が続けられるのか。そんなどうでもよいことを頭に浮かべながら生きるとはどういうことなのか考えさせられた。
水俣病公式確認70年で、4月28日の読売が文化の紙面で、水俣病の悲劇をどう受け止め、二度と繰り返さないために何を伝えるのか。写真、演劇、教育を通して水俣病と関わってきた3人に話を聞いたという記事についても書いた。
写真では、環境ジャーナリスト アイリーン・美緒子・スミスさん。演劇では、劇作家詩森ろばさんの二人のことが取り上げられていたことを書いた。
もう一人、教育では、都留文科大学准教授小川輝光さんが「学び、伝え続ける重要性」を訴えていた(江口武志記者)ことについてこれから書いておく。
横浜の中高一貫校で指導していたときのこと。認定患者で水俣病の語り部として知られている杉本栄子さんの語りに衝撃を受けたというのだ。
一家で罹患した杉本家は病が伝染するという誤解によって、村八分にされ集落で孤立。杉本さんは症状や差別に苦しみながらも、水俣病を「のさり」(天からの授かりもの)と表現するまでに変化した。「そう変化した経緯に学ぶべきことがある」と小川さんは思ったそうな。
2011年の東日本大震災での東京電力福島第一原子力発電所の事故が、子どもたちに遠い出来事だった水俣病を自分たちの問題として引き寄せる契機となった。
水俣病と似た構造が繰り返されていたからだ。
「人々が利益を追求する社会で、犠牲や矛盾が生じるのは普遍的な問題。水俣病を学ぶ中で、なぜ杉本さんのような苦しみを抱える人が発生するのか、という視点が身についていく」と思う。
「社会が人々の記憶を受け止め、伝え続けなければならない」と結ぶ。
杉本栄子さんの語りをラジオで聴いて激しく心を揺さぶられた自分と小川さんが全く同じ経験をされていたことに驚かされた。
94歳の鴨川強己さんはタコを獲る漁師で、手足のしびれなど水俣病の症状はありながらも、何とか生きられている。
深く刻まれた皺、日に焼けた顔で獲ってきたタコを調理し、タコをつまみにビールを飲む姿を映させていた。
チッソの工場が排出したメチル水銀で汚染された海を攫い、埋め立て、今では安全な海になっているとはいうものの、魚湧く海とまで呼ばれた水俣湾で漁獲量は最盛期の1割以下だというが、鴨川さんは水俣病のことは話したがらないのだ。
漁師だから、生きていくためには魚を獲るしかないといいながらである。
小川さんが学び、伝え続ける重要性を訴えているように、語り継ぐ戦争では戦争を企図する者は自らは安全地帯にいて、若者たちを戦場に送り、死なせても敗戦後も平然と生き残っていることに抗議するため、戦没者の声に耳を傾けようとしてきた。
水俣病では、チッソとその後ろ盾の政府が補償金を支払いたくないから、患者を認定しないようにしてきたことを学んできた。
まさに、学習しなければ、患者の痛みを想像することもなかったかもしれない。
戦争と水俣病は過去の出来事ではないぞ。と声高に訴えたい。
2026年06月29日
写真が伝える水俣病患者の痛みと写真家の葛藤
【ETV特集】「患者さんの痛み 写真家の葛藤〜水俣病 公式確認から70年〜」を視聴することができたので書いておく。
「水俣に向き合う写真家たちがいる。桑原史成さん(89)は水俣病があまり知られていない時代に最初に水俣を訪れ、初期の重症患者を撮った。故・塩田武史さんは14年間、水俣に住み写真を撮るが、やがて撮れなくなった。アイリーン・美緒子・スミスさん(76)は、夫の故・ユージン・スミスさんとともに、世界に水俣を伝えたが、「封印」される写真も。芥川仁さん(78)のテーマは「見えない水俣病を撮る」。いまも撮り続ける。」と㏋にある。
水俣病に医療面で功績のあった4人として、細川一さん、原田正純さん、小嶋照和さん、武内忠男さんの名前がWEBに紹介されている。
水俣病を世間に周知させた4人として、作家石牟礼道子さん、(1927〜2018)、医師原田正純さん(1934〜2012)、写真家桑原史成さん(1936〜)、環境科学者宇井純さん(1932〜2006)の4人が同じく紹介されている。
他に、映画の世界では土本典昭さんがいる。
水俣病患者を撮った写真家としては、桑原史成さん、塩田武史さん、ユージン・スミスさんとアイリーン・美緒子・スミスさんそして芥川仁さんにスポットが当てられているが、石川武志、北原秀郎、小柴一良、田中史子、宮本成美の9人いる。
戦場における被写体が訴える効果は、想像力に働きかける文章とは異なり、視覚に訴える分インパクトがある。
アジア太平洋戦争における沖縄戦やヒロシマ、ナガサキの被爆者然りで、被写体が訴える力は視る者の心を激しく揺さぶり、戦争をやってはいけない気持ちにさせてくれる。
「水俣病患者の痛みと撮った写真家の葛藤」というタイトルですぐに頭に浮かんだのは、ユージン・スミスさんが撮った上村智子さんの入浴する母子の写真について、ご本人やご家族にしてみれば、「見世物ではない」との拒否反応があって当然のことである。
しかし、胎児性水俣病の悲惨さを訴えるにこれほどインパクトを与え、水俣病患者の実相が伝えられた機会はなかったようにも思えるので、写真家が患者の痛みを理解しているか、想像しているかで患者側の受け止め方が異なるのではないか。
チッソの企業城下町水俣で、チッソと対峙するのは並大抵のことではなく、当初、患者はほぼ四面楚歌の状態であっただろうと想像する。
そこに、桑原史成さんが水俣病を被写体にしたことで、企業城下町以外の人たちに水俣病の悲惨さを伝え、『苦界浄土』で石牟礼道子さんが文章で、原田正純医師が母親の胎盤がメチル水銀の猛毒から守ってくれるということはなく、胎児性水俣病の子どもが生まれたことを明らかにし、東大の宇井純さんが環境科学者として、水俣病とメチル水銀の関係、企業責任を明らかにしてというように水俣病が認知され、患者が訴訟をするケースが増えていく。
それでも、補償金を支払いたくない企業チッソとその後ろ盾となっている国、自民党政権は患者として認めることをずっとさせないようにしてきた。
4月28日の読売(今岡竜弥、北川洋平記者)が水俣病公式確認70年ということで、アイリーン・美緒子・スミスさんが環境ジャーナリストとして水俣病は解決しておらず、「現在進行形の問題」だとし、次代へ写真集をを刊行したこと。
劇作家の詩森ろばさんが水俣病は「社会を深く考える原点」だとし、演劇で表現すると伝えていた。
今回の放送はジョニー・デップさんがユージンスミスを演じた『MINAMATA』を観たとき、以来、再び上村智子さんや坂本しのぶさんたち胎児性水俣病患者たちが声に出せない心の思いを想像させる機会を与えてくれた。
水俣病を学習させてもらうに佳い機会を与えてくれたことを感謝したい。
「水俣に向き合う写真家たちがいる。桑原史成さん(89)は水俣病があまり知られていない時代に最初に水俣を訪れ、初期の重症患者を撮った。故・塩田武史さんは14年間、水俣に住み写真を撮るが、やがて撮れなくなった。アイリーン・美緒子・スミスさん(76)は、夫の故・ユージン・スミスさんとともに、世界に水俣を伝えたが、「封印」される写真も。芥川仁さん(78)のテーマは「見えない水俣病を撮る」。いまも撮り続ける。」と㏋にある。
水俣病に医療面で功績のあった4人として、細川一さん、原田正純さん、小嶋照和さん、武内忠男さんの名前がWEBに紹介されている。
水俣病を世間に周知させた4人として、作家石牟礼道子さん、(1927〜2018)、医師原田正純さん(1934〜2012)、写真家桑原史成さん(1936〜)、環境科学者宇井純さん(1932〜2006)の4人が同じく紹介されている。
他に、映画の世界では土本典昭さんがいる。
水俣病患者を撮った写真家としては、桑原史成さん、塩田武史さん、ユージン・スミスさんとアイリーン・美緒子・スミスさんそして芥川仁さんにスポットが当てられているが、石川武志、北原秀郎、小柴一良、田中史子、宮本成美の9人いる。
戦場における被写体が訴える効果は、想像力に働きかける文章とは異なり、視覚に訴える分インパクトがある。
アジア太平洋戦争における沖縄戦やヒロシマ、ナガサキの被爆者然りで、被写体が訴える力は視る者の心を激しく揺さぶり、戦争をやってはいけない気持ちにさせてくれる。
「水俣病患者の痛みと撮った写真家の葛藤」というタイトルですぐに頭に浮かんだのは、ユージン・スミスさんが撮った上村智子さんの入浴する母子の写真について、ご本人やご家族にしてみれば、「見世物ではない」との拒否反応があって当然のことである。
しかし、胎児性水俣病の悲惨さを訴えるにこれほどインパクトを与え、水俣病患者の実相が伝えられた機会はなかったようにも思えるので、写真家が患者の痛みを理解しているか、想像しているかで患者側の受け止め方が異なるのではないか。
チッソの企業城下町水俣で、チッソと対峙するのは並大抵のことではなく、当初、患者はほぼ四面楚歌の状態であっただろうと想像する。
そこに、桑原史成さんが水俣病を被写体にしたことで、企業城下町以外の人たちに水俣病の悲惨さを伝え、『苦界浄土』で石牟礼道子さんが文章で、原田正純医師が母親の胎盤がメチル水銀の猛毒から守ってくれるということはなく、胎児性水俣病の子どもが生まれたことを明らかにし、東大の宇井純さんが環境科学者として、水俣病とメチル水銀の関係、企業責任を明らかにしてというように水俣病が認知され、患者が訴訟をするケースが増えていく。
それでも、補償金を支払いたくない企業チッソとその後ろ盾となっている国、自民党政権は患者として認めることをずっとさせないようにしてきた。
4月28日の読売(今岡竜弥、北川洋平記者)が水俣病公式確認70年ということで、アイリーン・美緒子・スミスさんが環境ジャーナリストとして水俣病は解決しておらず、「現在進行形の問題」だとし、次代へ写真集をを刊行したこと。
劇作家の詩森ろばさんが水俣病は「社会を深く考える原点」だとし、演劇で表現すると伝えていた。
今回の放送はジョニー・デップさんがユージンスミスを演じた『MINAMATA』を観たとき、以来、再び上村智子さんや坂本しのぶさんたち胎児性水俣病患者たちが声に出せない心の思いを想像させる機会を与えてくれた。
水俣病を学習させてもらうに佳い機会を与えてくれたことを感謝したい。
2026年06月15日
新たな救済法案で政治解決を求める新潟水俣病
新潟水俣病被害者の会と新潟水俣病共闘会議は14日、新潟市北区の県立環境と人間のふれあい館で合同総会を開いた。国による被害者の早期救済を求める意見書が県議会と県内全30市町村議会で2025年採択されたことを受け、新潟県として新たな救済法案の成立による政治解決を求めていく方針を決めた。と6月15日の朝のNHKと新潟日報などが伝えている。
先般、水俣病が解決しないのは、発生源対策と被害者救済の制度設計に見込み違いがあったからだと原因企業のチッソと国の責任であることを明確に指摘していた國學院大學の広瀬美佳教授への読売のインタビューを取り上げた。
「自由のために」毎日、書き続けて発信している立場としては、戦争における、戦没者、死没者、犯罪被害者支援における「心の殺人」「魂の殺人」と被害者が訴える不同意性交罪所謂レイプ犯罪、そして、公害病である水俣病や、隔離されたハンセン病患者たちが奪われた「自由」というものにどうしても目が向いてしまう。
中でも、水俣病は1956年5月1日の公式確認から70年ということで、この年に生まれたわが連れ合いと同い年ということでも放っておけない。
同じ水俣病であるが、熊本が本家で、新潟が分家みたいに自分の意識の中で区別されてしまうのは熊本の水俣には犠牲者というか被害者の供養のためにお参りに行き、資料館を見学したりもしていることに対し、新潟には2度行っているにも関わらず、水俣病の資料館にも行っていないばかりか、被害者の供養もしてこなかった後ろめたさもあったりするからだ。
今回、合同総会が開催された「新潟県立環境と人間のふれあい館」が別名水俣病の資料館でもあるらしいことが分かったので、㏋を確認させてもらった。
原因企業である昭和電工鹿瀬工場(現レゾナック)が工場排水に含まれていたメチル水銀化合物を処理せずに阿賀野川に流したために体内に蓄積した魚を食した人たちが所謂食物連鎖で水俣病と同じ症状が出たので、新潟水俣病と呼ばれている。
公式確認されたのが1965(昭和40)年だから、2026年で61年になる。
國學院大學の広瀬美佳教授のご指摘のとおり、原因企業の発生源対策、被害者救済における国の制度設計の甘さが招いたことで、長いこと解決しなかった公害病として熊本同様新潟の水俣病もまた長く歴史にその名をきざまれることになるはずだ。
大企業経営者の代弁者で、患者の味方ではない自民党政権では、被害者救済が重要視されてこなかった。
水俣病問題を解決するには、患者であることを訴えているものはすべからく患者であると認めればいいだけのことであり、見舞金を納得のゆくように支払うことである。
企業がつぶれるとか、国の負担金が増えるとか言い訳をしている場合ではない。
患者が皆亡くなって水俣病が終わったとしたいのが企業や国の経営者やお役人の考えだとしたら、きっと天罰がくだるに違いない。
先般、水俣病が解決しないのは、発生源対策と被害者救済の制度設計に見込み違いがあったからだと原因企業のチッソと国の責任であることを明確に指摘していた國學院大學の広瀬美佳教授への読売のインタビューを取り上げた。
「自由のために」毎日、書き続けて発信している立場としては、戦争における、戦没者、死没者、犯罪被害者支援における「心の殺人」「魂の殺人」と被害者が訴える不同意性交罪所謂レイプ犯罪、そして、公害病である水俣病や、隔離されたハンセン病患者たちが奪われた「自由」というものにどうしても目が向いてしまう。
中でも、水俣病は1956年5月1日の公式確認から70年ということで、この年に生まれたわが連れ合いと同い年ということでも放っておけない。
同じ水俣病であるが、熊本が本家で、新潟が分家みたいに自分の意識の中で区別されてしまうのは熊本の水俣には犠牲者というか被害者の供養のためにお参りに行き、資料館を見学したりもしていることに対し、新潟には2度行っているにも関わらず、水俣病の資料館にも行っていないばかりか、被害者の供養もしてこなかった後ろめたさもあったりするからだ。
今回、合同総会が開催された「新潟県立環境と人間のふれあい館」が別名水俣病の資料館でもあるらしいことが分かったので、㏋を確認させてもらった。
原因企業である昭和電工鹿瀬工場(現レゾナック)が工場排水に含まれていたメチル水銀化合物を処理せずに阿賀野川に流したために体内に蓄積した魚を食した人たちが所謂食物連鎖で水俣病と同じ症状が出たので、新潟水俣病と呼ばれている。
公式確認されたのが1965(昭和40)年だから、2026年で61年になる。
國學院大學の広瀬美佳教授のご指摘のとおり、原因企業の発生源対策、被害者救済における国の制度設計の甘さが招いたことで、長いこと解決しなかった公害病として熊本同様新潟の水俣病もまた長く歴史にその名をきざまれることになるはずだ。
大企業経営者の代弁者で、患者の味方ではない自民党政権では、被害者救済が重要視されてこなかった。
水俣病問題を解決するには、患者であることを訴えているものはすべからく患者であると認めればいいだけのことであり、見舞金を納得のゆくように支払うことである。
企業がつぶれるとか、国の負担金が増えるとか言い訳をしている場合ではない。
患者が皆亡くなって水俣病が終わったとしたいのが企業や国の経営者やお役人の考えだとしたら、きっと天罰がくだるに違いない。
2026年06月14日
産廃撤去運動に奔走した安岐正三さん追悼
国内最大規模の約91万トンもの産業廃棄物が持ち込まれた 豊島(香川県土庄町)の不法投棄事件で、産廃の撤去を求めた住民運動の中心的な役割を果たし、23日に75歳で亡くなった廃棄物対策豊島住民会議の事務局長・安岐正三さん。1970年代から反対運動に加わり、2000年に不法投棄を見逃した県の謝罪と撤去を勝ち取っただけでなく、環境問題の大切さも訴え続けた。関係者からは惜しむ声が上がった。と4月25日の読売(福永健人記者)が伝えていた。
「豊島・産廃撤去運動の中心だった安岐正三さん、『子々孫々までやり続ける』と弁護団長・中坊公平さんの心を動かす…亡くなるまで『自然取り戻したい信念が一貫』」という見出しで安岐さんが産廃撤去運動で果たした役割がわかるものだった。
6月11日の読売(田尾茂樹編集委員)夕刊の追悼抄でも安岐さんの業績を称え、取り上げられていた。
美しい豊島や瀬戸内海を子孫に継承することは「現在に生きる私たちすべてに課せられた責務」だと安岐さんが心情を明らかにされていることは、次世代に語り継いでいかなければならない。
毎日、柴犬の散歩を1時間くらいしている。
当然、自分の住んでいる街の変わりゆく姿を目撃することになる。
狭い街でも、どこかしこで建物の解体が行われ、作業するのは東南アジア、バングラデイッシュなどの人たちだった。
解体は、昔と打って変わって、木製品、金属、コンクリートなどの分類がきちんとなされている。産廃の受け入れ場が分類されていないと受け入れしてくれないからだ。
ゴミは一般廃棄物と産業廃棄物(産廃)に大別される。
産業廃棄物と聞けば、工場とか会社から出されるゴミだと思う向きもあるかもしれないが、そうではない。
家庭から出されるゴミ、通常の燃えるゴミ、燃えないゴミ、プラスチック系など資源として活用されるものなどは一般廃棄物であるが、家を解体するときに出るものは産業廃棄物として扱われるのだ。
昔は、解体ゴミが分類されずひとまとめになっていたため、島に限らず、耕作放棄地や空き地に保管されたり、投棄されてしまったというわけである。
ところが、一般廃棄物のごみ減量が大きな社会問題となってから、「分類すれば資源」を合言葉に資源化することでごみ減量をするようになっていく。
当然、住宅の解体などにも波及し、分類することで資源として、再利用というか、活用するようになっていくのだ。
解体の段階できちんと分類されたものは、木にしても、金属にしても、コンクリートガラ、全て、有効に活用できるようになった。
ところが、分類されずに投棄されたままのものは、なかなか片付けられないから厄介である。
特に、ごみにしても、産廃にしても不法投棄されてしまうと地下水を汚染してしまうからなおさら厄介なのだ。
米国とイスラエルが結託して、イランを攻撃したため、怒ったイランがホルムズ海峡を封鎖したため、石油、その精製品であるナフサが不足したばかりか、建築資材の値上げで、建築工事が進まなくなっていることから、建築資材として、解体で出されたものを有効に活用せざるを得なくなっているのは朗報である。
産廃投棄事件が大量消費、廃棄社会からの脱却を提起していたという安岐さん。
リサイクルが進むことで、産廃と言えど、無駄に捨てられることがなくなっていくのではないか。
「豊島・産廃撤去運動の中心だった安岐正三さん、『子々孫々までやり続ける』と弁護団長・中坊公平さんの心を動かす…亡くなるまで『自然取り戻したい信念が一貫』」という見出しで安岐さんが産廃撤去運動で果たした役割がわかるものだった。
6月11日の読売(田尾茂樹編集委員)夕刊の追悼抄でも安岐さんの業績を称え、取り上げられていた。
美しい豊島や瀬戸内海を子孫に継承することは「現在に生きる私たちすべてに課せられた責務」だと安岐さんが心情を明らかにされていることは、次世代に語り継いでいかなければならない。
毎日、柴犬の散歩を1時間くらいしている。
当然、自分の住んでいる街の変わりゆく姿を目撃することになる。
狭い街でも、どこかしこで建物の解体が行われ、作業するのは東南アジア、バングラデイッシュなどの人たちだった。
解体は、昔と打って変わって、木製品、金属、コンクリートなどの分類がきちんとなされている。産廃の受け入れ場が分類されていないと受け入れしてくれないからだ。
ゴミは一般廃棄物と産業廃棄物(産廃)に大別される。
産業廃棄物と聞けば、工場とか会社から出されるゴミだと思う向きもあるかもしれないが、そうではない。
家庭から出されるゴミ、通常の燃えるゴミ、燃えないゴミ、プラスチック系など資源として活用されるものなどは一般廃棄物であるが、家を解体するときに出るものは産業廃棄物として扱われるのだ。
昔は、解体ゴミが分類されずひとまとめになっていたため、島に限らず、耕作放棄地や空き地に保管されたり、投棄されてしまったというわけである。
ところが、一般廃棄物のごみ減量が大きな社会問題となってから、「分類すれば資源」を合言葉に資源化することでごみ減量をするようになっていく。
当然、住宅の解体などにも波及し、分類することで資源として、再利用というか、活用するようになっていくのだ。
解体の段階できちんと分類されたものは、木にしても、金属にしても、コンクリートガラ、全て、有効に活用できるようになった。
ところが、分類されずに投棄されたままのものは、なかなか片付けられないから厄介である。
特に、ごみにしても、産廃にしても不法投棄されてしまうと地下水を汚染してしまうからなおさら厄介なのだ。
米国とイスラエルが結託して、イランを攻撃したため、怒ったイランがホルムズ海峡を封鎖したため、石油、その精製品であるナフサが不足したばかりか、建築資材の値上げで、建築工事が進まなくなっていることから、建築資材として、解体で出されたものを有効に活用せざるを得なくなっているのは朗報である。
産廃投棄事件が大量消費、廃棄社会からの脱却を提起していたという安岐さん。
リサイクルが進むことで、産廃と言えど、無駄に捨てられることがなくなっていくのではないか。
2026年06月13日
「発生源対策」と「被害者救済」が不十分 水俣病
公害の原点とされる水俣病の公式確認から70年がたった。だが、いまも国などを相手取っての訴訟が続く。なぜ解決に時間がかかるのか。環境法の観点から、水俣病を研究している国学院大学法学部の広瀬美佳教授に聞いた。と6月10日の読売(長谷部耕二記者)が伝えている。
加害企業チッソや国の「発生源対策」と「被害者救済」が不十分だった。チッソは高度経済成長期に日本を代表する重化学工業会社で、国も同社の無責任な姿勢に歯止めをかけなかった。今も多くの被害者が苦しんでおり、現在進行形の社会問題であることを認識すべきだ。
水俣工場が製造過程でメチル水銀を発生させるアセトアルデヒドを作り始めたのは、1932年にさかのぼる。41年にはすでに水俣病の被害者がいたとみられる。水俣病の表面化は50年代前半からで、漁獲量の減少や猫の狂い死になどが起きた。公式発見前に対策を取る機会は何度もあった。
「水俣病を日本の歴史の中にきちんと位置付けることが重要だ。」という広瀬さんのご指摘は水俣病について学習している立場としては大いに参考になった。
まず、原因企業チッソは発生源だとは認めず、何の対策もとらなかったこと。
企業城下町で、市長は長年元水俣工場長橋本彦七さん(50〜58、62〜70年)が務めていた。チッソの存在を脅かす被害者の声は押しつぶされがちだった。
被害者が国や企業を相手取り、損害賠償や損害認定を求める裁判が今も続いているのは国の補償・救済策の制度設計に問題があり、膨大な潜在患者がいる可能性を視野に入れていなかったからだ。
熊本地裁の判決後、チッソの経営が大幅に悪化した。チッソが補償金の原資を出す設計で、倒産すると救済できなくなるため、77〜78年に認定基準の厳格化や国費支出が実施されたのは、チッソの存続と国の財政負担を抑えるため政府が認定患者の数をおさえようとしたのではないか。
2009年の水俣病被害者救済法は申請を2年3か月で打ち切り、対象地域や患者の年齢に枠をはめた。この枠から漏れた約1600人が裁判を続けている。
これまでに認定患者は約3000人にとどまるが、国の何らかの救済措置を受けた人は約70000人に上る。
という説明は概ね学習していたが、チッソの経営幹部たちが原因企業としての責任を認めようとしてこなかった人間性の欠如、所謂悪魔の所業であったことが再確認された。
チッソの経営陣が悪魔なら、その経営陣を支えていた自民党政権の中枢にいた人たちもまた悪魔だったと言わざるをえない。
というのも、患者の救済より、企業の倒産、国の財政負担を優先したことが悪魔の所業であり、自分がいつもこういう時に登場願ってきた破れ傘刀舟先生なら「てめーら人間じゃねえや 叩っ斬ってやる」という口上で切られてしまうような悪人たちだということになる。
三権分立ということになっているから、原因企業のみならず、行政までもが味方してくれないとするなら、裁判所にお願いするよりないわけで、これでは、水俣病は患者が死んでも解決は遠い。
結局、企業の経営者も政治家もお役人様も他人事で、誰も患者の痛み、苦しみをわかろうとしてこなかったということになる。
日本の歴史に刻まれる水俣病は患者ばかりが苦しめられた、弱いものが虐められる日本の国を象徴している出来事として記憶されていくことになるのだろうか。
加害企業チッソや国の「発生源対策」と「被害者救済」が不十分だった。チッソは高度経済成長期に日本を代表する重化学工業会社で、国も同社の無責任な姿勢に歯止めをかけなかった。今も多くの被害者が苦しんでおり、現在進行形の社会問題であることを認識すべきだ。
水俣工場が製造過程でメチル水銀を発生させるアセトアルデヒドを作り始めたのは、1932年にさかのぼる。41年にはすでに水俣病の被害者がいたとみられる。水俣病の表面化は50年代前半からで、漁獲量の減少や猫の狂い死になどが起きた。公式発見前に対策を取る機会は何度もあった。
「水俣病を日本の歴史の中にきちんと位置付けることが重要だ。」という広瀬さんのご指摘は水俣病について学習している立場としては大いに参考になった。
まず、原因企業チッソは発生源だとは認めず、何の対策もとらなかったこと。
企業城下町で、市長は長年元水俣工場長橋本彦七さん(50〜58、62〜70年)が務めていた。チッソの存在を脅かす被害者の声は押しつぶされがちだった。
被害者が国や企業を相手取り、損害賠償や損害認定を求める裁判が今も続いているのは国の補償・救済策の制度設計に問題があり、膨大な潜在患者がいる可能性を視野に入れていなかったからだ。
熊本地裁の判決後、チッソの経営が大幅に悪化した。チッソが補償金の原資を出す設計で、倒産すると救済できなくなるため、77〜78年に認定基準の厳格化や国費支出が実施されたのは、チッソの存続と国の財政負担を抑えるため政府が認定患者の数をおさえようとしたのではないか。
2009年の水俣病被害者救済法は申請を2年3か月で打ち切り、対象地域や患者の年齢に枠をはめた。この枠から漏れた約1600人が裁判を続けている。
これまでに認定患者は約3000人にとどまるが、国の何らかの救済措置を受けた人は約70000人に上る。
という説明は概ね学習していたが、チッソの経営幹部たちが原因企業としての責任を認めようとしてこなかった人間性の欠如、所謂悪魔の所業であったことが再確認された。
チッソの経営陣が悪魔なら、その経営陣を支えていた自民党政権の中枢にいた人たちもまた悪魔だったと言わざるをえない。
というのも、患者の救済より、企業の倒産、国の財政負担を優先したことが悪魔の所業であり、自分がいつもこういう時に登場願ってきた破れ傘刀舟先生なら「てめーら人間じゃねえや 叩っ斬ってやる」という口上で切られてしまうような悪人たちだということになる。
三権分立ということになっているから、原因企業のみならず、行政までもが味方してくれないとするなら、裁判所にお願いするよりないわけで、これでは、水俣病は患者が死んでも解決は遠い。
結局、企業の経営者も政治家もお役人様も他人事で、誰も患者の痛み、苦しみをわかろうとしてこなかったということになる。
日本の歴史に刻まれる水俣病は患者ばかりが苦しめられた、弱いものが虐められる日本の国を象徴している出来事として記憶されていくことになるのだろうか。
2026年06月03日
水俣病なぜ、被害拡大を防げなかったのか?
NHK見るラジオ「斎藤幸平が掘る!日本の現場 〜水俣病の70年〜なぜ、被害拡大を防げなかったのか?」が興味深い内容で大いに学習させてもらったので書いておく。
「戦後最大の公害事件と言われる水俣病は、2026年、公式確認から70年を迎える。原因は有機水銀を含んだ工場排水だったが、企業も国も有効な対策を取らないまま、被害が拡大した。
これまでに被害を訴える人は7万人を超え、70年たった現在も救済を求める議論が続いている。
未曽有の公害事件は、私たちに何を問いかけているのか。経済思想家の斎藤幸平さんが水俣の現地を訪れ、「公害の原点」と言われる水俣病事件の意味を思索する。
公式確認から70年を迎えることで、メディア、NHKや読売などが力を入れて水俣病のことを伝えてくれている。
連れ合いが公式確認の年に生まれたこともあって、他人事であってはならないと、遅れてやってきた水俣病学習者としては、懺悔の気持ちも込め、少しでも、実情を知り、次世代に発信していくつもりで書いている。
水俣病に関わった代表的人物として、石牟礼道子、宇井純、原田正純そして桑原史成の4人の名前を出演していた熊本学園大学招聘教授高峰武さんが紹介してくれた。
『苦界浄土―わが水俣病』の文学者石牟礼道子さん。70年代に水俣病のことを科学的な立場から解説してくれた東京大学の大学院生だったか、助手だったか科学者宇井純さん。胎児に悪影響を与える物質は胎盤が防ぐという俗説の誤りを見抜き、胎児性水俣病患者のことを明らかにした医師原田正純さん。60年以上水俣病患者に寄り添い、患者の実情を写真で伝え続けてくれた報道カメラマンの桑原史成さん。
原因企業で働いていた労働者の集まり新日本窒素労働組合が昭和43年8月30日の第31回定期大会で「今まで水俣病と斗い得なかったことは、正に人間として、労働者として恥しいことであり、心から反省しなければならない。」という所謂「恥宣言」という歴史に刻まれる労働組合員の決意表明が、その後の労働組合の水俣病患者への関わり方を変えていく。
水俣病センター相思社理事の永野三智さんも番組に出演していたが、相思社の㏋を開くと、「水俣病を繰り返さない世の中をつくるために」キャッチコピーがあった。
2017年6月、水俣病犠牲者の慰霊碑に祈りを捧げるために訪れたとき、相思社のことは知っていたが、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚のときも、まず、死者への供養が先にあるので、供養が終われば用件が終わったみたいになり、安堵してしまうことから、相思社を訪ねることができなかったのが悔やまれる。
せっかくの機会だから、タクシーで周ってもらえばよかった。
それでも、運転手氏の機転で、百間の排水口には案内してもらえたし、海浜公園の慰霊碑だけでなく、乙女塚にも連れて行ってもらえたので、概ね、満足できた供養旅であった。
水俣病のことを取材していた「日本の素顔」1959年放送を視聴できたことで、NHKのスタッフにはエールをおくりたい。
どうしても書いておかなければならないことが最後になってしまった。
取材に応える国のお役人様が煙草を吸いながらコメントしている態度が上から目線というか、横柄な態度で、これが、水俣病を原因企業と国が認めようとしなかったことを示唆している。
原因企業の経営者は全く反省していないし、国のお役人様も同じことだ。
自分が、あるいは家族が水俣病患者にならなければ、彼らは他者の痛みなどわかろうとしない。
公式確認から70年経っても解決しない理由は明確である。
「毒死列島 身悶えしつつ 野辺の花」
石牟礼道子さんが法政大学前総長の田中優子さんとの対談で披露した句である。(2025年2月18日の読売)
「戦後最大の公害事件と言われる水俣病は、2026年、公式確認から70年を迎える。原因は有機水銀を含んだ工場排水だったが、企業も国も有効な対策を取らないまま、被害が拡大した。
これまでに被害を訴える人は7万人を超え、70年たった現在も救済を求める議論が続いている。
未曽有の公害事件は、私たちに何を問いかけているのか。経済思想家の斎藤幸平さんが水俣の現地を訪れ、「公害の原点」と言われる水俣病事件の意味を思索する。
公式確認から70年を迎えることで、メディア、NHKや読売などが力を入れて水俣病のことを伝えてくれている。
連れ合いが公式確認の年に生まれたこともあって、他人事であってはならないと、遅れてやってきた水俣病学習者としては、懺悔の気持ちも込め、少しでも、実情を知り、次世代に発信していくつもりで書いている。
水俣病に関わった代表的人物として、石牟礼道子、宇井純、原田正純そして桑原史成の4人の名前を出演していた熊本学園大学招聘教授高峰武さんが紹介してくれた。
『苦界浄土―わが水俣病』の文学者石牟礼道子さん。70年代に水俣病のことを科学的な立場から解説してくれた東京大学の大学院生だったか、助手だったか科学者宇井純さん。胎児に悪影響を与える物質は胎盤が防ぐという俗説の誤りを見抜き、胎児性水俣病患者のことを明らかにした医師原田正純さん。60年以上水俣病患者に寄り添い、患者の実情を写真で伝え続けてくれた報道カメラマンの桑原史成さん。
原因企業で働いていた労働者の集まり新日本窒素労働組合が昭和43年8月30日の第31回定期大会で「今まで水俣病と斗い得なかったことは、正に人間として、労働者として恥しいことであり、心から反省しなければならない。」という所謂「恥宣言」という歴史に刻まれる労働組合員の決意表明が、その後の労働組合の水俣病患者への関わり方を変えていく。
水俣病センター相思社理事の永野三智さんも番組に出演していたが、相思社の㏋を開くと、「水俣病を繰り返さない世の中をつくるために」キャッチコピーがあった。
2017年6月、水俣病犠牲者の慰霊碑に祈りを捧げるために訪れたとき、相思社のことは知っていたが、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚のときも、まず、死者への供養が先にあるので、供養が終われば用件が終わったみたいになり、安堵してしまうことから、相思社を訪ねることができなかったのが悔やまれる。
せっかくの機会だから、タクシーで周ってもらえばよかった。
それでも、運転手氏の機転で、百間の排水口には案内してもらえたし、海浜公園の慰霊碑だけでなく、乙女塚にも連れて行ってもらえたので、概ね、満足できた供養旅であった。
水俣病のことを取材していた「日本の素顔」1959年放送を視聴できたことで、NHKのスタッフにはエールをおくりたい。
どうしても書いておかなければならないことが最後になってしまった。
取材に応える国のお役人様が煙草を吸いながらコメントしている態度が上から目線というか、横柄な態度で、これが、水俣病を原因企業と国が認めようとしなかったことを示唆している。
原因企業の経営者は全く反省していないし、国のお役人様も同じことだ。
自分が、あるいは家族が水俣病患者にならなければ、彼らは他者の痛みなどわかろうとしない。
公式確認から70年経っても解決しない理由は明確である。
「毒死列島 身悶えしつつ 野辺の花」
石牟礼道子さんが法政大学前総長の田中優子さんとの対談で披露した句である。(2025年2月18日の読売)
2026年06月01日
水俣病は認知機能にも障害 頼藤医師が証言
ETV特集「見過ごされた声 〜水俣病 知られざる水銀被害〜」が放送されたので、書いておかなければならない。
「水俣病公式確認から70年。3年にわたる調査で判明した知られざる被害に迫る。水俣湾沿岸で生まれ育った高齢者を対象にした調査で、認知機能の課題を抱える人が数多くいることが明らかになった。母親の胎内で水銀によって脳に影響を受けたとみられている。生きづらさを抱えて生きてきた水俣の人たち、その事実を記録に残し、後世に伝えようとする人々。見過ごされた声を拾い上げようとする苦闘の日々を追った。」と㏋にある。
NHK熊本放送局が制作したとのことらしいが、熊本放送局員はよう頑張ってくれた。
ブラタモリで10年ぶりに熊本城を訪れ、大地震前の放送時と大地震で損壊した熊本城の修復状況を知らせてくれた。
10年前のブラタモリを見て、水俣病公式確認から60年ということで「そうだ、熊本行こう。」とJR東海のキャッチコピーよろしく、熊本に行こうとしたら、大地震発生で、翌年の2017年6月、損壊した熊本城は無論のこと、水俣の資料館を訪ねた。
水俣病公式確認されてから70年の2026年。
メチル水銀を食べさせられた水俣湾沿岸の漁村の人たちはチッソや国の神を怖れぬ大罪で、表向き、感覚神経をやられたことになっていた。
水俣病患者の悲劇に目を覚めさせられたのは恥ずかしながら、公式確認60年記念で東京大学安田講堂で開催された水俣病シンポジウムであった。
石牟礼道子『苦界浄土』(講談社文庫)を買い求めて読んだ時も、メチル水銀を食べさせられた漁民とその家族は、感覚障害に苦しめられたいる光景が描写されていた。
水俣病の資料館を訪ねた時、胎児性水俣病のことを世に知らしめてくれた原田正純医師のことも紹介されていたが、胎児性水俣病のことで、まだまだ分かっていないことがあるだろうと思っていたら、認知機能、つまり、脳にも障害を与えていたことを突き止めてくれたのは頼藤貴志岡山大学大学院教授だということを番組で教えてくれた。
人間の業というか、チッソの罪深い大罪で、生まれつき重荷を背負わされて生きてきた胎児性水俣病に苦しめられながら生きてきた患者たちに、感覚障害だけでなく、記憶力であったり、判断力であったりの認知機能にメチル水銀が大きな影響を与えてきたことがわかった。
頼藤貴志医師は、水俣病と言えば、裁判でも、感覚障害が患者認定に果たす役割を認めているくらいだから、感覚障害のみならず、認知機能に障害があることを研究で見つけたことを厚生労働省や県などは歓迎しないであろうというようなことを話された。
新発見ともいうべき、水俣病には感覚障害だけでなく、加えて認知機能障害も認められると医師が判断した以上、厚生労働省、県、市はもう一度原点に立ち返り、調査をし、チッソと国が犯した神を畏れぬ大罪を反省し、認定基準を見直す勇気をもってもらいたい。
メチル水銀を食べた人たちの苦しみは食べた人でなければ分からない。
食べた水銀は体外に排出せず、体内に蓄積しているのではないか。
NHK熊本放送局は水俣湾を埋め立てした海浜公園にある慰霊碑の前で開催された慰霊祭を映していたが、乙女塚でも開催されている慰霊祭については何故、取り上げないのか。
それでも、放送でもう一つの水俣病として、認知機能障害にスポットを当ててくれたことは勇気ある行動であり、水俣病患者認定に大きな一石を投じたものとして高く評価する。
「祈るべき天と思えど天のやむ」は石牟礼道子さんの句である。
NHK熊本放送局の担当者たちにエールをおくりたい。
「水俣病公式確認から70年。3年にわたる調査で判明した知られざる被害に迫る。水俣湾沿岸で生まれ育った高齢者を対象にした調査で、認知機能の課題を抱える人が数多くいることが明らかになった。母親の胎内で水銀によって脳に影響を受けたとみられている。生きづらさを抱えて生きてきた水俣の人たち、その事実を記録に残し、後世に伝えようとする人々。見過ごされた声を拾い上げようとする苦闘の日々を追った。」と㏋にある。
NHK熊本放送局が制作したとのことらしいが、熊本放送局員はよう頑張ってくれた。
ブラタモリで10年ぶりに熊本城を訪れ、大地震前の放送時と大地震で損壊した熊本城の修復状況を知らせてくれた。
10年前のブラタモリを見て、水俣病公式確認から60年ということで「そうだ、熊本行こう。」とJR東海のキャッチコピーよろしく、熊本に行こうとしたら、大地震発生で、翌年の2017年6月、損壊した熊本城は無論のこと、水俣の資料館を訪ねた。
水俣病公式確認されてから70年の2026年。
メチル水銀を食べさせられた水俣湾沿岸の漁村の人たちはチッソや国の神を怖れぬ大罪で、表向き、感覚神経をやられたことになっていた。
水俣病患者の悲劇に目を覚めさせられたのは恥ずかしながら、公式確認60年記念で東京大学安田講堂で開催された水俣病シンポジウムであった。
石牟礼道子『苦界浄土』(講談社文庫)を買い求めて読んだ時も、メチル水銀を食べさせられた漁民とその家族は、感覚障害に苦しめられたいる光景が描写されていた。
水俣病の資料館を訪ねた時、胎児性水俣病のことを世に知らしめてくれた原田正純医師のことも紹介されていたが、胎児性水俣病のことで、まだまだ分かっていないことがあるだろうと思っていたら、認知機能、つまり、脳にも障害を与えていたことを突き止めてくれたのは頼藤貴志岡山大学大学院教授だということを番組で教えてくれた。
人間の業というか、チッソの罪深い大罪で、生まれつき重荷を背負わされて生きてきた胎児性水俣病に苦しめられながら生きてきた患者たちに、感覚障害だけでなく、記憶力であったり、判断力であったりの認知機能にメチル水銀が大きな影響を与えてきたことがわかった。
頼藤貴志医師は、水俣病と言えば、裁判でも、感覚障害が患者認定に果たす役割を認めているくらいだから、感覚障害のみならず、認知機能に障害があることを研究で見つけたことを厚生労働省や県などは歓迎しないであろうというようなことを話された。
新発見ともいうべき、水俣病には感覚障害だけでなく、加えて認知機能障害も認められると医師が判断した以上、厚生労働省、県、市はもう一度原点に立ち返り、調査をし、チッソと国が犯した神を畏れぬ大罪を反省し、認定基準を見直す勇気をもってもらいたい。
メチル水銀を食べた人たちの苦しみは食べた人でなければ分からない。
食べた水銀は体外に排出せず、体内に蓄積しているのではないか。
NHK熊本放送局は水俣湾を埋め立てした海浜公園にある慰霊碑の前で開催された慰霊祭を映していたが、乙女塚でも開催されている慰霊祭については何故、取り上げないのか。
それでも、放送でもう一つの水俣病として、認知機能障害にスポットを当ててくれたことは勇気ある行動であり、水俣病患者認定に大きな一石を投じたものとして高く評価する。
「祈るべき天と思えど天のやむ」は石牟礼道子さんの句である。
NHK熊本放送局の担当者たちにエールをおくりたい。
2026年05月30日
柏レイソル ピッチの芝 堆肥に 従来年40d廃棄を活用
千葉県柏市を拠点にするサッカーJ1の柏レイソルで、育成組織「アカデミー」の子どもたちが、稲作を通じて農業や持続可能な社会について学ぶ活動が始まった。本拠地のスタジアムで刈り取った芝を、地元農場の協力で肥料に活用。それをまいた水田で米作りに挑戦している。と5月17日の東京新聞(平野梓記者)と5月27日の読売(大森遥都記者)の夕刊が伝えている。
刈った芝は年間40dに上り、長年廃棄されてきたが、芝を管理する造園会社「グリーンテック」の張ヶ谷社長の提案で2017年に再利用が始まった。
グリーンテックは、米や大豆の生産を手がける「柏染谷農場」に刈った芝を無償で提供する。
Jリーグでは、2026年、気候変動対策への貢献度を各クラブが競う「スポーツポジティブリーグ」が始まっており、ごみの削減で「二冠」を狙う。
気候変動対策と言えば、「温暖化と異常気象との関係解明」という見出しで、優れた女性研究者に贈られる「猿橋賞」を受賞した今田由紀子東大准教授のことを4月26日の読売が「顔 Sunday」で伝えている。
毎日、書き続けているのは「自由のために」である。
語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援、公害病など自由を奪われた人たちへのレクイエムみたいな気持ちが強いが、世の中のあらゆる事象を取り上げることもあり、中でも環境問題は関心が高い分野でもある。
毎日、わが家から出る残菜所謂生ごみを畑に埋め、コメのとぎ汁を畑の野菜に撒いているくらいだから、柏レイソルの刈った芝の有効活用は嬉しい限りである。
実はいろいろな競技がある中で、サッカーは疎い方の筆頭格であり、柏レイソルと聞いてもピンとこない。
何回も書いている通り、スポーツで一番好きなのは駅伝競走で、正月の箱根駅伝では追っかけ応援を40年以上もやってきたくらいのファンだった。
コロナ渦もあったが、心身の衰えで行かれなくなって久しい。それでも、今も、心を動かされる。
というわけで、サッカーには疎いが、刈った芝の堆肥化に関しては、循環型農業を実践している立場上、嬉しくなってしまう。
刈った芝を捨てていたと知れば、「なんてもったいないことを、愚か者が」と思ってしまうが、有効活用するに遅いことはないので、目覚めてくれたことに感謝の一言しかない。
ここで、もう一度声を大にして訴えたい。
家庭から出る生ごみをたい肥化する国家プロジェクトで、地方自治体を動かし、更なるごみ減量と、資源の有効活用をすべきだと訴えておく。
刈った芝は年間40dに上り、長年廃棄されてきたが、芝を管理する造園会社「グリーンテック」の張ヶ谷社長の提案で2017年に再利用が始まった。
グリーンテックは、米や大豆の生産を手がける「柏染谷農場」に刈った芝を無償で提供する。
Jリーグでは、2026年、気候変動対策への貢献度を各クラブが競う「スポーツポジティブリーグ」が始まっており、ごみの削減で「二冠」を狙う。
気候変動対策と言えば、「温暖化と異常気象との関係解明」という見出しで、優れた女性研究者に贈られる「猿橋賞」を受賞した今田由紀子東大准教授のことを4月26日の読売が「顔 Sunday」で伝えている。
毎日、書き続けているのは「自由のために」である。
語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援、公害病など自由を奪われた人たちへのレクイエムみたいな気持ちが強いが、世の中のあらゆる事象を取り上げることもあり、中でも環境問題は関心が高い分野でもある。
毎日、わが家から出る残菜所謂生ごみを畑に埋め、コメのとぎ汁を畑の野菜に撒いているくらいだから、柏レイソルの刈った芝の有効活用は嬉しい限りである。
実はいろいろな競技がある中で、サッカーは疎い方の筆頭格であり、柏レイソルと聞いてもピンとこない。
何回も書いている通り、スポーツで一番好きなのは駅伝競走で、正月の箱根駅伝では追っかけ応援を40年以上もやってきたくらいのファンだった。
コロナ渦もあったが、心身の衰えで行かれなくなって久しい。それでも、今も、心を動かされる。
というわけで、サッカーには疎いが、刈った芝の堆肥化に関しては、循環型農業を実践している立場上、嬉しくなってしまう。
刈った芝を捨てていたと知れば、「なんてもったいないことを、愚か者が」と思ってしまうが、有効活用するに遅いことはないので、目覚めてくれたことに感謝の一言しかない。
ここで、もう一度声を大にして訴えたい。
家庭から出る生ごみをたい肥化する国家プロジェクトで、地方自治体を動かし、更なるごみ減量と、資源の有効活用をすべきだと訴えておく。
2026年05月22日
貧困や差別に苦しめられた家族の苦悩
公式確認から70年となった水俣病で、深刻な被害を受けたのは患者だけではない。その家族は、親が働けなくなったことによる貧困や、差別に苦しんできた。都内ゆかりの患者家族は「風化させてはならない」と訴える。と5月19日の読売(長谷部耕二記者)が伝えている。
北区の病院に長年勤務した看護師の 光栄みほ子さん(50)(埼玉県深谷市)の父親は1938年に生まれ、47年から熊本県水俣市で暮らした。高校卒業後に上京して音響会社などに勤め、埼玉県内のマイホームで生活していた。
光栄さんが10歳の頃、40歳代の父は頭痛や手足のしびれ、足のつりを訴えるようになり、働きに行かなくなり、酒におぼれ、家族に当たり散らすようになっていく。
看護師として自立した光栄さんは、2014年に熊本県天草市に水俣病患者の検診に行った。そのことを母に話すと、「父も患者だ」と明かした。父は、水俣病被害者救済法で一時金を受け取っていた。父を狂わせていた本当の敵は水俣病だった。
30年以上、江東区役所内で働いた丹木幸美さん(78)(千葉県習志野市)は、「近所や学校では『奇病の子』と、いじめられた。物に触ると『汚い』と言われ、一緒に縄跳びをしてもらえなかった」という。
1947年、水俣市の漁村で8人きょうだいの6人目として生まれた丹木さん。父は公式確認より前の53年頃、40歳代で水俣病の症状が出た。原因が分からず、水俣市によって精神科病院に入院させられたという。
働き手を失った大家族は貧困のどん底に。
父は約28年間、重度の水俣病で苦しんだ末、症状が改善しないまま、76歳で亡くなった。
丹木さんも手や足がよくつるし、感覚も鈍い。水俣病の症状があったため、95年、国が定めた救済策で一時金を受け取った。
今も残る水俣病に関する無知と偏見に憤る。
人はなぜ、教養を身につけなければならないのか。
無知と偏見と縁遠くなるためだ。
サッカーの試合で、水俣の子どもを誹謗中傷した対戦相手の子どもたちのことがニュースとして流れたことがあった。
丹木さんも「子どもに遺伝しなかったのか」と言われたことがあるという。
水俣病はメチル水銀による中毒だから、遺伝などするわけがないことくらいわからないでどうする。と言いたいところだが、無知とおさらばすれば、メチル水銀中毒だから、遺伝とは関係ないことくらいすぐに理解できることではないのか。
サッカーの試合で、水俣病が感染するような誤った認識だった子どもたち。
正しく、水俣病のことを学んでいれば、水俣病は感染症ではないことくらいわかったはずである。
差別と偏見を繰り返すということは、自らの程度の低さを明らかにすることだということが分かっていないからこそであり、事実関係がきちんと理解できていれば、差別や偏見をしなくなるはずだ。
教養を身につけていれば、他者の痛みを自ら経験しなくとも自分の痛みとする想像力が磨かれる。
成長期に水俣で暮らし、魚を食していれば、誰の身の上にも起きうることだ。
何事も、冷静に考えてみれば紙一重である。
ボタンを掛け違えてしまえば、自分が水俣病に罹患したかもしれない。
北区の病院に長年勤務した看護師の 光栄みほ子さん(50)(埼玉県深谷市)の父親は1938年に生まれ、47年から熊本県水俣市で暮らした。高校卒業後に上京して音響会社などに勤め、埼玉県内のマイホームで生活していた。
光栄さんが10歳の頃、40歳代の父は頭痛や手足のしびれ、足のつりを訴えるようになり、働きに行かなくなり、酒におぼれ、家族に当たり散らすようになっていく。
看護師として自立した光栄さんは、2014年に熊本県天草市に水俣病患者の検診に行った。そのことを母に話すと、「父も患者だ」と明かした。父は、水俣病被害者救済法で一時金を受け取っていた。父を狂わせていた本当の敵は水俣病だった。
30年以上、江東区役所内で働いた丹木幸美さん(78)(千葉県習志野市)は、「近所や学校では『奇病の子』と、いじめられた。物に触ると『汚い』と言われ、一緒に縄跳びをしてもらえなかった」という。
1947年、水俣市の漁村で8人きょうだいの6人目として生まれた丹木さん。父は公式確認より前の53年頃、40歳代で水俣病の症状が出た。原因が分からず、水俣市によって精神科病院に入院させられたという。
働き手を失った大家族は貧困のどん底に。
父は約28年間、重度の水俣病で苦しんだ末、症状が改善しないまま、76歳で亡くなった。
丹木さんも手や足がよくつるし、感覚も鈍い。水俣病の症状があったため、95年、国が定めた救済策で一時金を受け取った。
今も残る水俣病に関する無知と偏見に憤る。
人はなぜ、教養を身につけなければならないのか。
無知と偏見と縁遠くなるためだ。
サッカーの試合で、水俣の子どもを誹謗中傷した対戦相手の子どもたちのことがニュースとして流れたことがあった。
丹木さんも「子どもに遺伝しなかったのか」と言われたことがあるという。
水俣病はメチル水銀による中毒だから、遺伝などするわけがないことくらいわからないでどうする。と言いたいところだが、無知とおさらばすれば、メチル水銀中毒だから、遺伝とは関係ないことくらいすぐに理解できることではないのか。
サッカーの試合で、水俣病が感染するような誤った認識だった子どもたち。
正しく、水俣病のことを学んでいれば、水俣病は感染症ではないことくらいわかったはずである。
差別と偏見を繰り返すということは、自らの程度の低さを明らかにすることだということが分かっていないからこそであり、事実関係がきちんと理解できていれば、差別や偏見をしなくなるはずだ。
教養を身につけていれば、他者の痛みを自ら経験しなくとも自分の痛みとする想像力が磨かれる。
成長期に水俣で暮らし、魚を食していれば、誰の身の上にも起きうることだ。
何事も、冷静に考えてみれば紙一重である。
ボタンを掛け違えてしまえば、自分が水俣病に罹患したかもしれない。
2026年05月14日
水俣病と認めて! 首都圏に移り住む患者
公害の原点とされる水俣病の公式確認から5月1日で70年を迎えた。熊本、鹿児島県の八代海沿岸地域を中心に被害が生じたが、進学や就職で首都圏に移り住み、今も病に苦しみ続けている出身者がいる。水俣病だと認定するよう国を訴えている2人がつらい経験を語った。と5月12日の読売(長谷部耕二、大重真弓記者)が伝えている。
水俣市で生まれ育った坂本好市さん(78)は、親子2代原因企業のチッソの元社員だ。5人きょうだいの長男で、家では漁師から買ったタチウオやアジをよく食べていた。
父親は工場の取水や排水の担当で、「水銀を出していたことはわかっていたと思う」と推し量る。水俣病症状が出ていたが、会社に恩義があると、水俣病の検診を受けなかった。84年に60歳で亡くなった後、解剖の結果、水俣病の所見があったが、父の意思を尊重し、認定申請しなかった。
好市さんは千葉の工場で働き、父の死の翌年、退職し、9年前、水俣病症状の感覚障害だと診断された。
水俣に住んでいた母と弟は国の救済策を受けられたが、坂本さんや愛知県に住む妹の松尾さんは救済法(12年7月で申請受け付け終了)を知らず、申請できなかった。このため、きょうだいは国などに損害賠償を求める「ノーモア・ミナマタ第2次訴訟」の原告になっている。「被害を拡大させた国の責任は大きい」と強調した。
八王子市に暮らす元小学校教諭、小中沢麻里さん(81)は2026年3月、水俣病の認定申請と行政不服審査請求を棄却されたことを不服とし、国と熊本県を相手取り、棄却処分の取り消しと認定するよう求める訴訟を東京地裁に起こした。「苦しい思いを抱える人たちがたくさんいるのに、国は応えていない。公害によるものだと認めてほしい」と訴える。
水俣病に関心を示すようになって、原因企業チッソの社員にも水俣湾の魚を食べ、水俣病になった人がいるはずだが、その人たちの水俣病認定はどうなっただろうか。と気になっていた。
坂本さんのように親子でチッソの社員だった人だって少なくなかったはずだとも。
坂本さんの父親のように会社には「恩義」があるなどと言う古いタイプの人間にとっては、会社を告発するどころか、自分の患者認定さえしようともしなかった人もいたであろう。
家族が父親の意思を尊重し、患者認定しなかったことも理解できなくはない。
しかし、坂本さんの父親が工場の給排水の担当で、水銀を流していたことを知っていた可能性が高いことを子息が示唆していることから、罪悪感を抱くこともまたあるのではないかとみているが、その点を聴いてみたい気がする。
自業自得という言葉がある。
会社の社員ともなれば、会社を告発すればどうなるか。その後のことを考えてしまう。
しかし、自分が会社の悪業の手先にさせられていたことを思えば、患者としての己の苦しみは恩義だけでなく、自責故に患者認定を受けなかったのではないかとさえ思えてならない。
患者認定でいえば、八王子在住の小中沢麻里さんや坂本好市さんのように水俣で育ったことが明らかで、家族が患者認定受けているにもかかわらず、患者認定されない人が一向に救済されないことには国のお役人様に激しい怒りを抱く。
と同時に裁判官にも実情をよく見てほしいと訴えたい。
家族が一緒に水俣湾の魚を食べていながら、水俣から転居した人が患者認定されないでは真の救済、解決にはならない。
何としても未認定患者を認定することで解決に向けての足掛かりにしてほしい。
水俣市で生まれ育った坂本好市さん(78)は、親子2代原因企業のチッソの元社員だ。5人きょうだいの長男で、家では漁師から買ったタチウオやアジをよく食べていた。
父親は工場の取水や排水の担当で、「水銀を出していたことはわかっていたと思う」と推し量る。水俣病症状が出ていたが、会社に恩義があると、水俣病の検診を受けなかった。84年に60歳で亡くなった後、解剖の結果、水俣病の所見があったが、父の意思を尊重し、認定申請しなかった。
好市さんは千葉の工場で働き、父の死の翌年、退職し、9年前、水俣病症状の感覚障害だと診断された。
水俣に住んでいた母と弟は国の救済策を受けられたが、坂本さんや愛知県に住む妹の松尾さんは救済法(12年7月で申請受け付け終了)を知らず、申請できなかった。このため、きょうだいは国などに損害賠償を求める「ノーモア・ミナマタ第2次訴訟」の原告になっている。「被害を拡大させた国の責任は大きい」と強調した。
八王子市に暮らす元小学校教諭、小中沢麻里さん(81)は2026年3月、水俣病の認定申請と行政不服審査請求を棄却されたことを不服とし、国と熊本県を相手取り、棄却処分の取り消しと認定するよう求める訴訟を東京地裁に起こした。「苦しい思いを抱える人たちがたくさんいるのに、国は応えていない。公害によるものだと認めてほしい」と訴える。
水俣病に関心を示すようになって、原因企業チッソの社員にも水俣湾の魚を食べ、水俣病になった人がいるはずだが、その人たちの水俣病認定はどうなっただろうか。と気になっていた。
坂本さんのように親子でチッソの社員だった人だって少なくなかったはずだとも。
坂本さんの父親のように会社には「恩義」があるなどと言う古いタイプの人間にとっては、会社を告発するどころか、自分の患者認定さえしようともしなかった人もいたであろう。
家族が父親の意思を尊重し、患者認定しなかったことも理解できなくはない。
しかし、坂本さんの父親が工場の給排水の担当で、水銀を流していたことを知っていた可能性が高いことを子息が示唆していることから、罪悪感を抱くこともまたあるのではないかとみているが、その点を聴いてみたい気がする。
自業自得という言葉がある。
会社の社員ともなれば、会社を告発すればどうなるか。その後のことを考えてしまう。
しかし、自分が会社の悪業の手先にさせられていたことを思えば、患者としての己の苦しみは恩義だけでなく、自責故に患者認定を受けなかったのではないかとさえ思えてならない。
患者認定でいえば、八王子在住の小中沢麻里さんや坂本好市さんのように水俣で育ったことが明らかで、家族が患者認定受けているにもかかわらず、患者認定されない人が一向に救済されないことには国のお役人様に激しい怒りを抱く。
と同時に裁判官にも実情をよく見てほしいと訴えたい。
家族が一緒に水俣湾の魚を食べていながら、水俣から転居した人が患者認定されないでは真の救済、解決にはならない。
何としても未認定患者を認定することで解決に向けての足掛かりにしてほしい。
2026年05月12日
廃棄品再生 「アップサイクル」様々な分野に
廃棄物や不要になったものに新たな価値を加えて別の製品に再生させる「アップサイクル」の取り組みが、雑貨や衣料品、酒といった様々な分野で広がりを見せている。リサイクルと比べて廃棄物を資源に戻す過程で使われるエネルギーも減らせるため、より環境に優しいのが特徴だ。他企業とのコラボや、町ぐるみで取り組む動きもある。と5月8日の読売(中薗あずさ記者)が夕刊で伝えている。
東京都台東区の蔵前では、地元の企業や学校などが協力してアップサイクルを行う「KURAMAEモデル」を実施している。
カフェやチョコレート店などから廃棄されるコーヒーの抽出かすやカカオの皮、学校給食で使われない野菜の芯などを福祉作業所が回収。機械を使って、土の中で分解させて 堆肥にし、学校の花壇や近隣の企業の緑化に役立てている。
消費者庁によると、23年度の食品ロスは464万トンで、価値に換算すると約4兆円に上る。家庭から捨てられた食品の大半は傷んだ野菜や賞味期限切れの加工食品など手つかずの「直接廃棄」で100万トンと22%を占めた。また、環境省によると、衣料品は年間約50万トンが可燃ゴミなどとして焼却や埋め立て処分されている。
5月11日はインターネットにつながらなくなり、滅多にないことだが、書くことができなかった。
本日は胃カメラを予約してあったので、受けてきたが何とか無事だったみたいである。
廃棄品の再生を「アップサイクル」と呼ぶらしいが、様々な分野で広がりを見せている。ということで、紙面で取り上げられていた東京台東区の蔵前で、コーヒーの抽出かすや学校給食で使われない野菜の芯などを福祉作業者が回収するという点を高く評価し、堆肥にして緑化に貢献していることは自分と同じ考え方だから宣伝させていただく。
ほぼ毎日、家庭から出る所謂生ごみを畑で堆肥化させることで土づくりをし、有機無農薬での野菜作りをしている立場からこういったこともアップサイクルというなら、もっともっと広めていきたい。
23年度の食品ロスの価値が約4兆円だと知れば、何ともったいないことをしているのか。天罰が下ると何とか有効活用を考える必要性を訴えたくなってしまう。
衣料品が年間約50万dが焼却や埋め立て処分されていることもまた問題だ。
語り継ぐ戦争だから、たかだか80年前には飢餓で大変な思いをしていた日本人がこんな罰当たりなことをしていて反省もしなくなっていることに人間の傲慢さを思わないわけにはいかない。
米国のトランプ大統領が同じ穴の狢よろしくイスラエルのネタニヤフ首相と結託し、イランを攻撃したことで、ホルムズ海峡をイランが封鎖したから、石油製品の製造で企業が困っているとトイレなど水回り製品をつくっているTOTOなどの名前が挙がっている。
反日、反社の旧統一教会とズブズブの関係にある高市政権が戦争ができない国から、戦争をやる国に日本を変えてしまおうとしている。
冷静に考えてみれば、食料自給率の低い日本は遠からず食料が不足することは明らかである。
食料が足りなくなってからでは遅いのだ。
たかが、アップサイクルではない。
東京都台東区の蔵前では、地元の企業や学校などが協力してアップサイクルを行う「KURAMAEモデル」を実施している。
カフェやチョコレート店などから廃棄されるコーヒーの抽出かすやカカオの皮、学校給食で使われない野菜の芯などを福祉作業所が回収。機械を使って、土の中で分解させて 堆肥にし、学校の花壇や近隣の企業の緑化に役立てている。
消費者庁によると、23年度の食品ロスは464万トンで、価値に換算すると約4兆円に上る。家庭から捨てられた食品の大半は傷んだ野菜や賞味期限切れの加工食品など手つかずの「直接廃棄」で100万トンと22%を占めた。また、環境省によると、衣料品は年間約50万トンが可燃ゴミなどとして焼却や埋め立て処分されている。
5月11日はインターネットにつながらなくなり、滅多にないことだが、書くことができなかった。
本日は胃カメラを予約してあったので、受けてきたが何とか無事だったみたいである。
廃棄品の再生を「アップサイクル」と呼ぶらしいが、様々な分野で広がりを見せている。ということで、紙面で取り上げられていた東京台東区の蔵前で、コーヒーの抽出かすや学校給食で使われない野菜の芯などを福祉作業者が回収するという点を高く評価し、堆肥にして緑化に貢献していることは自分と同じ考え方だから宣伝させていただく。
ほぼ毎日、家庭から出る所謂生ごみを畑で堆肥化させることで土づくりをし、有機無農薬での野菜作りをしている立場からこういったこともアップサイクルというなら、もっともっと広めていきたい。
23年度の食品ロスの価値が約4兆円だと知れば、何ともったいないことをしているのか。天罰が下ると何とか有効活用を考える必要性を訴えたくなってしまう。
衣料品が年間約50万dが焼却や埋め立て処分されていることもまた問題だ。
語り継ぐ戦争だから、たかだか80年前には飢餓で大変な思いをしていた日本人がこんな罰当たりなことをしていて反省もしなくなっていることに人間の傲慢さを思わないわけにはいかない。
米国のトランプ大統領が同じ穴の狢よろしくイスラエルのネタニヤフ首相と結託し、イランを攻撃したことで、ホルムズ海峡をイランが封鎖したから、石油製品の製造で企業が困っているとトイレなど水回り製品をつくっているTOTOなどの名前が挙がっている。
反日、反社の旧統一教会とズブズブの関係にある高市政権が戦争ができない国から、戦争をやる国に日本を変えてしまおうとしている。
冷静に考えてみれば、食料自給率の低い日本は遠からず食料が不足することは明らかである。
食料が足りなくなってからでは遅いのだ。
たかが、アップサイクルではない。
2026年05月09日
データセンター建設 騒音・排熱懸念 首都圏の住宅街
都市部の住宅街でデータセンター(DC)の建設を進める事業者と住民の間で、摩擦が生じる事例が相次いでいる。生成AI(人工知能)の普及で世界的に需要が高まる一方、国内では規制が追いついていないためだ。東京都が独自の指針を策定するなど共生に向けた模索も続くが、専門家は法整備の必要性を指摘する。と5月1日の読売(松下聖記者)が伝えている。
計画では、東京日野市の自動車工場の広大な跡地(11万4000平方メートル)に高さ約50〜70メートルのDC3棟が建つ。一帯は戸建てが並ぶ住宅街で、建物から受ける圧迫感や日照の悪化、騒音や排熱を不安視する住民たちが指導強化を市に求める約7600人分の署名を集めた。
同社は住民説明会を3回開き、自治会向けにも個別に意見交換の場を設けた。規模を縮小するなどの配慮も重ねたといい、取材に「DCは保安上の理由から秘匿性が高い。全ての情報は出せないものの、理解を得られるよう丁寧に対応していく」としている。
5月1日、水俣病が公式確認されてから70年。水俣病の原因企業チッソは水俣市にとって、企業城下町といっていいくらいの影響力があった。
ところが、そのチッソがプラスチックの原料であるアセトアルデヒドを作るときにできるメチル水銀を処理せず、工場廃液として水俣湾に放流したため水銀に汚染された魚を食べた漁民たちが水俣病と呼ばれる水銀中毒になった。
その熊本にTSMCの半導体工場が誘致され、水が汚染され、水俣病が再来する危険があると心配する声が上がっている。
原発の使用済み核燃料などの貯蔵施設の建設でも受け入れ先がなかなか決まらない。
ゴミの焼却施設の建設でも、予定地の近隣住民の理解を得るのは大変である。
所謂迷惑施設の建設で、付近住民が反対することはよくあることだが、無理もないと理解するのは大阪泉南で、アスベストの工場の付近住民がアスベストで肺をやられたり、原発事故で原発に近い住民が故郷を追われたりしたからだ。
DCが社会に必要なインフラ(社会基盤)であることは言を俟たない。
それでも、どこに何を作ってもよいということにはならない。識者が指摘しているとおり、国による立地規制が必要ではないか。
都市計画で住居専用地域が定められていることを考えれば、当然のことである。
必要なインフラだと言っても、首都圏の住宅街に作らなければならない理由が明確でない。
このことが一番の問題ではないのか。
計画では、東京日野市の自動車工場の広大な跡地(11万4000平方メートル)に高さ約50〜70メートルのDC3棟が建つ。一帯は戸建てが並ぶ住宅街で、建物から受ける圧迫感や日照の悪化、騒音や排熱を不安視する住民たちが指導強化を市に求める約7600人分の署名を集めた。
同社は住民説明会を3回開き、自治会向けにも個別に意見交換の場を設けた。規模を縮小するなどの配慮も重ねたといい、取材に「DCは保安上の理由から秘匿性が高い。全ての情報は出せないものの、理解を得られるよう丁寧に対応していく」としている。
5月1日、水俣病が公式確認されてから70年。水俣病の原因企業チッソは水俣市にとって、企業城下町といっていいくらいの影響力があった。
ところが、そのチッソがプラスチックの原料であるアセトアルデヒドを作るときにできるメチル水銀を処理せず、工場廃液として水俣湾に放流したため水銀に汚染された魚を食べた漁民たちが水俣病と呼ばれる水銀中毒になった。
その熊本にTSMCの半導体工場が誘致され、水が汚染され、水俣病が再来する危険があると心配する声が上がっている。
原発の使用済み核燃料などの貯蔵施設の建設でも受け入れ先がなかなか決まらない。
ゴミの焼却施設の建設でも、予定地の近隣住民の理解を得るのは大変である。
所謂迷惑施設の建設で、付近住民が反対することはよくあることだが、無理もないと理解するのは大阪泉南で、アスベストの工場の付近住民がアスベストで肺をやられたり、原発事故で原発に近い住民が故郷を追われたりしたからだ。
DCが社会に必要なインフラ(社会基盤)であることは言を俟たない。
それでも、どこに何を作ってもよいということにはならない。識者が指摘しているとおり、国による立地規制が必要ではないか。
都市計画で住居専用地域が定められていることを考えれば、当然のことである。
必要なインフラだと言っても、首都圏の住宅街に作らなければならない理由が明確でない。
このことが一番の問題ではないのか。
2026年05月03日
罪悪感胸に支援に力を入れ、国と交渉
5月3日、憲法記念日である。平和と基本的人権を理念とする日本国憲法のお陰で戦後80年余平和な暮らしが守られてきた。
その日本国憲法を反日反社の旧統一教会とズブズブの関係にあった安倍元首相とその後継者である高市首相が戦争ができるように改めようとしていることに危機感を抱いている。
平和な暮らしが一番であるが、スパイ防止法、緊急事態条項とピンチにある基本的人権ということもまた極めて大事なことであり、水俣病公式確認70年で書いた胎児性患者たちの基本的人権について書き足りないことがあるので書いておきたい。
水俣病には、長年にわたって患者・被害者を支えてきた人々がいる。差別や偏見を恐れて上がりにくい声を拾い集め、行政や原因企業と交渉を重ねる。自立した生活を望む患者の希望がかなうようサポートする。つらいことが多い中で、少しでもいい人生と思ってもらえるように手助けしたい――。そんな思いを胸に、患者らと二人三脚で歩んできた。と5月1日の読売(石原圭介)が夕刊で伝えている。
加害者側に身を置いた罪の意識から、支援に力を入れてきた人もいる。チッソの元社員で、国との交渉などで先頭に立ち続けている「水俣病被害者・支援者連絡会」代表の山下善寛さん(85)だ。
公式確認の2か月前に入社。会社の廃水が原因とのうわさは耳にしていたが、否定する会社を信じていた。
ところが、同僚が、工場廃水から抽出したメチル水銀を見せながら「これが問題になっているやつだ」と言い放ったのだ。それでも、秘密を社外に漏らすことはできなかった。政府は68年、工場廃水が原因と断定したが、同僚に見せられたあの日から6年ほどが経っていた。
山下善寛さんが夕刊で伝える証言は重要である。
水俣病が公式確認されたのは1956(昭和31)年5月1日であるが、水俣病の語り部だった杉本栄子さんの話ではその日よりかなり前から、被害者が出ていたことがわかっていた。
公式確認されてから6年後、1962年には、原因企業のチッソでは原因物質が工場廃液に含まれるメチル水銀であることをトップが知っていたはずだし、厚生省(当時)の役人も知っていたはずである。
工場排水から抽出したメチル水銀が原因だと承知していながら相変わらず何ら処理せず工場廃液を垂れ流ししていたチッソのトップと国の役人の罪は万死に値する。
1968年国がチッソの工場廃液が原因であることを認めたが、知っていて工場廃液を処理せず垂れ流していたのだから、明らかな犯罪である。
加害者チッソの人間には水俣病患者の人権を守る意識など全くなかった。
このことが80年余経ってもちっとも変わっていないことが問題である。
事実を知っていながら明らかにできなかったことの罪悪感から患者の力になり、認定申請の支援などを行うようになったチッソの元社員だった山下善寛さんは立派である。
4月30日の読売の水俣病確認70年特集によれば、水俣病の認定、救済を求めて今も全国で計約1500人(新潟水俣病関連を除く)が係争中である。
国と県の責任を認める最高裁判決を受け、09年、議員立法で水俣病被害者救済特別措置法(救済法)が制定され、2回目の政治決着が図られた。約3万6000人が一時金210万円を受け取るなどした。
それでも、まだ約1500人が係争中なのだ。
裁判で係争中なのは、原因企業、国、県、市などが水俣病患者にきちんと向き合ってこなかったことを証明している。
原因者があって、被害者である水俣病患者が出ている事実を重く受け止めていない。
読売が取り上げてくれたNPO法人が運営する「水俣ほたるの家」の職員谷洋一さん(77)は、半世紀以上。水俣病と向き合ってきた。
福岡県八幡市(現北九州市)の出身で水俣に縁もゆかりもなかったが、鹿児島の大学に通っている頃に「水俣病第1次訴訟」を傍聴し、理不尽な公害で困っている人を救済しようと決心したという。
山下善寛さん、谷洋一さんと心ある人はきちんと患者と向き合っているではないか。
その日本国憲法を反日反社の旧統一教会とズブズブの関係にあった安倍元首相とその後継者である高市首相が戦争ができるように改めようとしていることに危機感を抱いている。
平和な暮らしが一番であるが、スパイ防止法、緊急事態条項とピンチにある基本的人権ということもまた極めて大事なことであり、水俣病公式確認70年で書いた胎児性患者たちの基本的人権について書き足りないことがあるので書いておきたい。
水俣病には、長年にわたって患者・被害者を支えてきた人々がいる。差別や偏見を恐れて上がりにくい声を拾い集め、行政や原因企業と交渉を重ねる。自立した生活を望む患者の希望がかなうようサポートする。つらいことが多い中で、少しでもいい人生と思ってもらえるように手助けしたい――。そんな思いを胸に、患者らと二人三脚で歩んできた。と5月1日の読売(石原圭介)が夕刊で伝えている。
加害者側に身を置いた罪の意識から、支援に力を入れてきた人もいる。チッソの元社員で、国との交渉などで先頭に立ち続けている「水俣病被害者・支援者連絡会」代表の山下善寛さん(85)だ。
公式確認の2か月前に入社。会社の廃水が原因とのうわさは耳にしていたが、否定する会社を信じていた。
ところが、同僚が、工場廃水から抽出したメチル水銀を見せながら「これが問題になっているやつだ」と言い放ったのだ。それでも、秘密を社外に漏らすことはできなかった。政府は68年、工場廃水が原因と断定したが、同僚に見せられたあの日から6年ほどが経っていた。
山下善寛さんが夕刊で伝える証言は重要である。
水俣病が公式確認されたのは1956(昭和31)年5月1日であるが、水俣病の語り部だった杉本栄子さんの話ではその日よりかなり前から、被害者が出ていたことがわかっていた。
公式確認されてから6年後、1962年には、原因企業のチッソでは原因物質が工場廃液に含まれるメチル水銀であることをトップが知っていたはずだし、厚生省(当時)の役人も知っていたはずである。
工場排水から抽出したメチル水銀が原因だと承知していながら相変わらず何ら処理せず工場廃液を垂れ流ししていたチッソのトップと国の役人の罪は万死に値する。
1968年国がチッソの工場廃液が原因であることを認めたが、知っていて工場廃液を処理せず垂れ流していたのだから、明らかな犯罪である。
加害者チッソの人間には水俣病患者の人権を守る意識など全くなかった。
このことが80年余経ってもちっとも変わっていないことが問題である。
事実を知っていながら明らかにできなかったことの罪悪感から患者の力になり、認定申請の支援などを行うようになったチッソの元社員だった山下善寛さんは立派である。
4月30日の読売の水俣病確認70年特集によれば、水俣病の認定、救済を求めて今も全国で計約1500人(新潟水俣病関連を除く)が係争中である。
国と県の責任を認める最高裁判決を受け、09年、議員立法で水俣病被害者救済特別措置法(救済法)が制定され、2回目の政治決着が図られた。約3万6000人が一時金210万円を受け取るなどした。
それでも、まだ約1500人が係争中なのだ。
裁判で係争中なのは、原因企業、国、県、市などが水俣病患者にきちんと向き合ってこなかったことを証明している。
原因者があって、被害者である水俣病患者が出ている事実を重く受け止めていない。
読売が取り上げてくれたNPO法人が運営する「水俣ほたるの家」の職員谷洋一さん(77)は、半世紀以上。水俣病と向き合ってきた。
福岡県八幡市(現北九州市)の出身で水俣に縁もゆかりもなかったが、鹿児島の大学に通っている頃に「水俣病第1次訴訟」を傍聴し、理不尽な公害で困っている人を救済しようと決心したという。
山下善寛さん、谷洋一さんと心ある人はきちんと患者と向き合っているではないか。
2026年05月02日
「伝えれば、知れば、絶対に差別はなくなる」
水俣病の公式確認から5月1日で70年となる。母の胎内で原因物質メチル水銀の影響を受け、脳神経などが傷ついた状態で同じ年に生まれた胎児性患者の坂本しのぶさん(69)(熊本県水俣市)。
「公害の原点」とされる水俣病の象徴的存在として、あらゆる場所で苦難の人生を語り、解決を訴えてきた。病と闘い、差別や偏見とも向き合った日々。「伝えれば、知れば、絶対に差別はなくなる」。体力の衰えも実感する中、そう信じて語り続ける。と4月30日の読売(石原圭介記者)が伝えている。
「70年もたっとって、全然、(解決して)ない」 「(原因企業チッソも国も)憎い」と心情を明かす坂本さん。
母のフジエさん(2019年に94歳で死去)に連れられ、スウェーデンで行われた国連人間環境会議の関連行事に出席した。「この子ば見てください」。強烈な言葉とともに坂本さんの存在は全世界に発信され、多くの人の耳目を引くようになったこと。
1987年のベトナム訪問で、戦争時に米軍が散布した枯れ葉剤の影響を受けた結合双生児、ベトちゃんとドクちゃんに面会したことが人生の転機となった。
水俣を訪れたのは2017年の6月のことだった。前年4月に熊本大地震が起きてしまい、予定が1年遅れた。
「百聞は一見に如かず」とはよく言ったもので、多くのことを学習させてもらった。
水俣病の公式確認から70年であるが、同じ年生まれの連れ合いと坂本しのぶさんは同級生ということになる。
水俣を訪れたとき、水俣病資料館までタクシーで行ったことから、運転手さんがチッソの工場廃液が放流された場所に連れて行ってくれたし、有機水銀で汚染されてしまった水俣湾の汚泥を処分し、埋め立てし、公園となっている場所に慰霊碑が建立されていたことを知っただけでなく、乙女塚にも連れて行ってくれたことで見聞が広がった。
公式確認された5月1日、毎年犠牲者の慰霊祭が行われているのだが、埋め立てしてできた公園にある慰霊碑の前で市主催の慰霊祭が行われていることをメディアが伝えている。
ところが、胎児性患者の坂本しのぶさんたちは、乙女塚の前で慰霊祭を行っていることを運転手さんに教えられ、案内してもらった。
市が主催する慰霊祭には国や県、原因企業など関係者が集まっているはずだが、乙女塚で開催される患者団体と支援者が主催する慰霊祭に胎児性患者の坂本しのぶさんが出席していることで、水俣病が終わっていないことが証明されていることになる。
つまり、70年経っても、患者だと訴えている患者を認めようとしない国や県、市は胎児性患者の坂本しのぶさんに信頼されていないことがわかるわけだ。
企業城下町水俣はチッソの街でもあったわけだから、市や県は当然企業寄りであり、国はさらにチッソ寄りであることは言を俟たない。
しかしである。
自分の子どもが胎児性水俣病で生まれてきたら、原因企業、国や県や市などのこれまでの在り方であったなら
坂本しのぶさんの母親のように「この子ば見てください」と誰がこんな罪深いことをしたんですか。と訴えたくなるだろう。
生まれてから水俣病という背負いきれない重荷を負わせ、70年間の長きに渡って生き地獄ともいうべき人生を生きることを余儀なくさせられてきた胎児性患者への反省が自民党政権の環境大臣には全くない。
水俣病患者だと訴えている人は例外なく患者であることを認め、心からお詫びをすることから新しい関係が生まれるはずだ。
「公害の原点」とされる水俣病の象徴的存在として、あらゆる場所で苦難の人生を語り、解決を訴えてきた。病と闘い、差別や偏見とも向き合った日々。「伝えれば、知れば、絶対に差別はなくなる」。体力の衰えも実感する中、そう信じて語り続ける。と4月30日の読売(石原圭介記者)が伝えている。
「70年もたっとって、全然、(解決して)ない」 「(原因企業チッソも国も)憎い」と心情を明かす坂本さん。
母のフジエさん(2019年に94歳で死去)に連れられ、スウェーデンで行われた国連人間環境会議の関連行事に出席した。「この子ば見てください」。強烈な言葉とともに坂本さんの存在は全世界に発信され、多くの人の耳目を引くようになったこと。
1987年のベトナム訪問で、戦争時に米軍が散布した枯れ葉剤の影響を受けた結合双生児、ベトちゃんとドクちゃんに面会したことが人生の転機となった。
水俣を訪れたのは2017年の6月のことだった。前年4月に熊本大地震が起きてしまい、予定が1年遅れた。
「百聞は一見に如かず」とはよく言ったもので、多くのことを学習させてもらった。
水俣病の公式確認から70年であるが、同じ年生まれの連れ合いと坂本しのぶさんは同級生ということになる。
水俣を訪れたとき、水俣病資料館までタクシーで行ったことから、運転手さんがチッソの工場廃液が放流された場所に連れて行ってくれたし、有機水銀で汚染されてしまった水俣湾の汚泥を処分し、埋め立てし、公園となっている場所に慰霊碑が建立されていたことを知っただけでなく、乙女塚にも連れて行ってくれたことで見聞が広がった。
公式確認された5月1日、毎年犠牲者の慰霊祭が行われているのだが、埋め立てしてできた公園にある慰霊碑の前で市主催の慰霊祭が行われていることをメディアが伝えている。
ところが、胎児性患者の坂本しのぶさんたちは、乙女塚の前で慰霊祭を行っていることを運転手さんに教えられ、案内してもらった。
市が主催する慰霊祭には国や県、原因企業など関係者が集まっているはずだが、乙女塚で開催される患者団体と支援者が主催する慰霊祭に胎児性患者の坂本しのぶさんが出席していることで、水俣病が終わっていないことが証明されていることになる。
つまり、70年経っても、患者だと訴えている患者を認めようとしない国や県、市は胎児性患者の坂本しのぶさんに信頼されていないことがわかるわけだ。
企業城下町水俣はチッソの街でもあったわけだから、市や県は当然企業寄りであり、国はさらにチッソ寄りであることは言を俟たない。
しかしである。
自分の子どもが胎児性水俣病で生まれてきたら、原因企業、国や県や市などのこれまでの在り方であったなら
坂本しのぶさんの母親のように「この子ば見てください」と誰がこんな罪深いことをしたんですか。と訴えたくなるだろう。
生まれてから水俣病という背負いきれない重荷を負わせ、70年間の長きに渡って生き地獄ともいうべき人生を生きることを余儀なくさせられてきた胎児性患者への反省が自民党政権の環境大臣には全くない。
水俣病患者だと訴えている人は例外なく患者であることを認め、心からお詫びをすることから新しい関係が生まれるはずだ。
2026年04月27日
チョルノービリ原発事故から40年、忘れないために
ウクライナ北部のチョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所で起きた爆発事故から26日で、40年を迎えた。ロシアによるウクライナ侵略で両国が戦火を交える中、事故対応で犠牲となった処理作業員らを追悼する行事が両国でそれぞれ行われた。と4月26日の読売(倉茂由美子記者)が伝えている。
事故は原発4号機の安全を確認する試験中に爆発し、大量の放射性物質が飛散した。
この日、現在の作業員の9割が居住するスラブチッチで行われた追悼式典では、作業員を象徴する防護服に身を包み、住民がろうそくに火をともした。26日未明の爆発時間に合わせて追悼の鐘を鳴らすと、参加者は静かに祈り、犠牲者の顔や名前が刻まれた石碑に花を手向けた。
モスクワでは、原発事故の初期の事故処理で被曝し、死亡した消防士ら28人が埋葬されているミチノ墓地で追悼行事が行われ、事故処理に参加した人や、処理作業員の遺族ら数百人が集まり、献花した。
チョルノービリの原子力発電所周辺では、30キロ圏内の立ち入り禁止措置が続きながらも、住民や動物の営みが続いている。住み続ける高齢者らは自給自足に近い生活を守り、野生動物の増加で生態系も回復している。とも読売の倉茂記者が伝えている。
事故の消火活動から戻らなかった消防士と残された家族を描く高校演劇部の演劇が、25〜26日に東京東中野のポレポレ坐のありかHoleで上演される。
演じるのは、長野県立松本県ケ丘高校の演劇部。顧問の日下部英司さん作「お前に自転車の乗り方を〜チェルノブイリ1986〜」を披露する。と4月19日の東京新聞WEBや4月24日の読売(浅賀さくら記者)が伝えていた。
スベトラーナ・アレクシエービッチ、松本妙子訳『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫)を買い求めて読んで知ることができた原発事故。
事故当時、原発事故が遠い国の出来事という認識であったことが恥ずかしい。
原発事故の怖ろしさは2011年3月11日の東日本大震災による東京電力福島第一原発の事故で初めて知った。
さらに、2022年2月24日のロシアのウクライナ侵攻、侵略でウクライナとロシアの関係について学習させてもらった。
ウクライナは第二次世界大戦以降、ソビエト連邦共和国の一員にされてしまった
ソビエト連邦共和国の一員だったウクライナにチェルノービリ原発はあった。
ウクライナの立場が代わったのは、情報公開と改革を進めたグラスノスチとペレストロイカのゴルバチョフさんの登場で解体されたソビエト連邦共和国から独立し、親露派と親欧州派の争いが続き、やがて、民主化を進めるゼレンスキー大統領が選挙で当選した。
もともとロシアとは民族が異なるウクライナはクリミア半島をロシアに強奪され、抵抗できないことを見透かされたロシアに侵攻侵略をされたとき、敢然と抵抗し、今日まで降伏していない。
ロシアのプーチン大統領は侵攻侵略したウクライナのチェルノービリ原発を攻撃するという暴挙をなしているが誰も止められない。
語り継ぐ戦争だから、被曝といえば、ヒロシマ、ナガサキの被爆者のことが頭を過る
原発と原爆による被曝と被爆は似て非なるものであるが、エネルギー源としては人類のためになる原発ではあるが、一度事故が起きたときの放射能の怖さは計り知れない。
原爆はそもそも兵器だから、平気で使うような権力者はもはや人間ではない悪魔であると断言できる。
4月25日の読売で倉茂由美子さんが伝えてくれた「被曝患者『まるで戦場』」「奮闘の医師・看護師も犠牲」という見出しで、事故当時、現場で命を懸けて奮闘してくれた人たちがいたことに感謝をすると同時に、福島の事故当時命がけで働いてくれた関係者にお礼と感謝のエールをおくりたい。
原発事故のことを芝居で語り継いでくれている信州松本の高校生にも期待している。
廃炉できない原発事故は収束なんてあるのだろうか。
事故は原発4号機の安全を確認する試験中に爆発し、大量の放射性物質が飛散した。
この日、現在の作業員の9割が居住するスラブチッチで行われた追悼式典では、作業員を象徴する防護服に身を包み、住民がろうそくに火をともした。26日未明の爆発時間に合わせて追悼の鐘を鳴らすと、参加者は静かに祈り、犠牲者の顔や名前が刻まれた石碑に花を手向けた。
モスクワでは、原発事故の初期の事故処理で被曝し、死亡した消防士ら28人が埋葬されているミチノ墓地で追悼行事が行われ、事故処理に参加した人や、処理作業員の遺族ら数百人が集まり、献花した。
チョルノービリの原子力発電所周辺では、30キロ圏内の立ち入り禁止措置が続きながらも、住民や動物の営みが続いている。住み続ける高齢者らは自給自足に近い生活を守り、野生動物の増加で生態系も回復している。とも読売の倉茂記者が伝えている。
事故の消火活動から戻らなかった消防士と残された家族を描く高校演劇部の演劇が、25〜26日に東京東中野のポレポレ坐のありかHoleで上演される。
演じるのは、長野県立松本県ケ丘高校の演劇部。顧問の日下部英司さん作「お前に自転車の乗り方を〜チェルノブイリ1986〜」を披露する。と4月19日の東京新聞WEBや4月24日の読売(浅賀さくら記者)が伝えていた。
スベトラーナ・アレクシエービッチ、松本妙子訳『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫)を買い求めて読んで知ることができた原発事故。
事故当時、原発事故が遠い国の出来事という認識であったことが恥ずかしい。
原発事故の怖ろしさは2011年3月11日の東日本大震災による東京電力福島第一原発の事故で初めて知った。
さらに、2022年2月24日のロシアのウクライナ侵攻、侵略でウクライナとロシアの関係について学習させてもらった。
ウクライナは第二次世界大戦以降、ソビエト連邦共和国の一員にされてしまった
ソビエト連邦共和国の一員だったウクライナにチェルノービリ原発はあった。
ウクライナの立場が代わったのは、情報公開と改革を進めたグラスノスチとペレストロイカのゴルバチョフさんの登場で解体されたソビエト連邦共和国から独立し、親露派と親欧州派の争いが続き、やがて、民主化を進めるゼレンスキー大統領が選挙で当選した。
もともとロシアとは民族が異なるウクライナはクリミア半島をロシアに強奪され、抵抗できないことを見透かされたロシアに侵攻侵略をされたとき、敢然と抵抗し、今日まで降伏していない。
ロシアのプーチン大統領は侵攻侵略したウクライナのチェルノービリ原発を攻撃するという暴挙をなしているが誰も止められない。
語り継ぐ戦争だから、被曝といえば、ヒロシマ、ナガサキの被爆者のことが頭を過る
原発と原爆による被曝と被爆は似て非なるものであるが、エネルギー源としては人類のためになる原発ではあるが、一度事故が起きたときの放射能の怖さは計り知れない。
原爆はそもそも兵器だから、平気で使うような権力者はもはや人間ではない悪魔であると断言できる。
4月25日の読売で倉茂由美子さんが伝えてくれた「被曝患者『まるで戦場』」「奮闘の医師・看護師も犠牲」という見出しで、事故当時、現場で命を懸けて奮闘してくれた人たちがいたことに感謝をすると同時に、福島の事故当時命がけで働いてくれた関係者にお礼と感謝のエールをおくりたい。
原発事故のことを芝居で語り継いでくれている信州松本の高校生にも期待している。
廃炉できない原発事故は収束なんてあるのだろうか。
2026年04月26日
PFAS検査コスト重荷「3か月に1回」義務
発がん性が指摘される化学物質「PFAS」の一部が今月から水道法上の水質基準に加わり、自治体などに定期的な水質検査が義務づけられた。各地でPFASが検出されたことを受けた措置だが、検査をする側からは負担増を懸念する声が出ている。と4月3日の読売(西原寛人、日下翔己記者)が伝えている。
PFASの検査は高度な分析機器を持つ専門機関への委託が必要で、1検体当たり数万〜10万円前後の費用がかかる。従来の検査費用は水銀やヒ素など51項目をまとめて1検体当たり10万〜20万円前後だったといい、PFASの検査費用は突出している。さらに、除去施設を導入すれば数千万〜数億円の費用が追加でかかる。
政府は2026年度からPFAS検査によって水道経営が困難になる小規模自治体や自治体から認可を受けた民間水道事業者を対象に検査費用の財政支援を始める。除去施設の整備に対する補助金も要件を緩和し、大規模自治体も対象に含めるも、全体費用の一部だから、負担は避けられない。
日本はその地理的な条件からか、国土の面積の7割が森林で、実際に日本各地を旅行してみれば、車窓に映る景色は確かに緑地が多いことを教えてくれる。
森が多ければ、水も豊かで河川を渡る鉄道の橋梁が少なくない。
河川の水は最終的には海に流れていく。
人間が住んでいない地域、白神山地のようなところは水を汚染する人はいないのであくまでも水は清浄であるが、住む人が多くなればなるほど昔は河川を汚してきた。
それでも、河川の自浄能力は高く、有機物というか、洗剤のような化学物質さえ流さなければ、水質は安全だった。
ところが、明治以降足尾鉱山にみられるように自然の力では浄化できない物質が放流されたことから鉱毒事件が起きてしまう。
その最たるものが水俣病であり、新潟水俣病であり、イタイイタイ病である。
これらの公害病の原因物質が有機水銀であり、カドミウムである。
犠牲者が相当数出ても未だに解決には程遠い水俣病を例にすれば、一度汚染されてしまうと取り返しがつかない。
近年、社会をお騒がせしているのは発がん性が指摘される化学物質PFASである。
消火剤などに含まれるということから、沖縄の米軍基地周辺で見つかり、原因はともかく、千葉県柏、鎌ケ谷、大阪府熊取町、摂津市、岡山県吉備中央町、広島県東広島市、沖縄県宜野湾市などで国の暫定目標値を超えるPFASが検出されている。
暮らしの安全の第一は安全な水である。
PFASの原因追及はともかく、コストが重荷だからということで検査をやらないわけにはいかない。
市民が安心して暮らすことができるようにするのは政府の責任である。
しっかり見守っていくしかない。
PFASの検査は高度な分析機器を持つ専門機関への委託が必要で、1検体当たり数万〜10万円前後の費用がかかる。従来の検査費用は水銀やヒ素など51項目をまとめて1検体当たり10万〜20万円前後だったといい、PFASの検査費用は突出している。さらに、除去施設を導入すれば数千万〜数億円の費用が追加でかかる。
政府は2026年度からPFAS検査によって水道経営が困難になる小規模自治体や自治体から認可を受けた民間水道事業者を対象に検査費用の財政支援を始める。除去施設の整備に対する補助金も要件を緩和し、大規模自治体も対象に含めるも、全体費用の一部だから、負担は避けられない。
日本はその地理的な条件からか、国土の面積の7割が森林で、実際に日本各地を旅行してみれば、車窓に映る景色は確かに緑地が多いことを教えてくれる。
森が多ければ、水も豊かで河川を渡る鉄道の橋梁が少なくない。
河川の水は最終的には海に流れていく。
人間が住んでいない地域、白神山地のようなところは水を汚染する人はいないのであくまでも水は清浄であるが、住む人が多くなればなるほど昔は河川を汚してきた。
それでも、河川の自浄能力は高く、有機物というか、洗剤のような化学物質さえ流さなければ、水質は安全だった。
ところが、明治以降足尾鉱山にみられるように自然の力では浄化できない物質が放流されたことから鉱毒事件が起きてしまう。
その最たるものが水俣病であり、新潟水俣病であり、イタイイタイ病である。
これらの公害病の原因物質が有機水銀であり、カドミウムである。
犠牲者が相当数出ても未だに解決には程遠い水俣病を例にすれば、一度汚染されてしまうと取り返しがつかない。
近年、社会をお騒がせしているのは発がん性が指摘される化学物質PFASである。
消火剤などに含まれるということから、沖縄の米軍基地周辺で見つかり、原因はともかく、千葉県柏、鎌ケ谷、大阪府熊取町、摂津市、岡山県吉備中央町、広島県東広島市、沖縄県宜野湾市などで国の暫定目標値を超えるPFASが検出されている。
暮らしの安全の第一は安全な水である。
PFASの原因追及はともかく、コストが重荷だからということで検査をやらないわけにはいかない。
市民が安心して暮らすことができるようにするのは政府の責任である。
しっかり見守っていくしかない。
2026年04月13日
化粧品販売でアスベスト、 高濃度PCB処分義務化
化粧品会社の元販売員だった宮城県の女性(当時68)が、化粧品に使われるタルク(滑石)に石綿(アスベスト)が混ざっていた可能性があるとして労災認定されたことを受け、石綿の被害者支援団体は10日、資生堂や日本化粧品工業会、厚生労働省などに要望書を提出した。と4月10日の朝日(南日慶子記者)が伝えている。
要望書では、業務に従事していた化粧品販売員、長期にわたり製品を使用してきた消費者にまで潜在的被害が及んでいる可能性があると指摘。過去から現在までタルクを含有した化粧品などの製品について最新の分析方法で調査することや、化粧品の販売員や消費者らに広く注意喚起することなどを求めた。
石綿(アスベスト)同様人体に有害な物質ポリ塩化ビフェニール(PCB)の取り扱いを定めたPCB廃棄物処理特別措置法の改正案を閣議決定したことを4月11日の読売が伝えている。高濃度PCB廃棄物の発見者は、一定期間内に処分を義務付けられる。処理は国の認定を受けた民間処理施設で無害化する。
ダイオキシンの仲間であるPCBは、1968年に発覚した「カネミ油症事件」で、米ぬか油に混入し、食中毒被害を起こし、製造と輸入が禁止された。
石綿(アスベスト)とPCBは直接的には関係がないが、多数の被害者が出て、大きな社会問題となった事件で、偶々、4月11日の読売の同じ紙面で取り上げられていたから一緒になってしまったが大事なことだから書いておく。
本来、別々に書くべきことであることは無論承知の上のことである。
まず、石綿(アスベスト)被害が化粧品の販売員にまで及んでいたことに驚きを隠せない。
化粧品に使われるタルク(滑石)に石綿(アスベスト)が混ざっていた可能性があるというのだから、これはもっと大騒ぎになる事件ではないか。
男女の区別が昔と変わって今は、男性だって化粧する時代になっているらしいし、まして、女性で化粧をしない人はそれこそ数えるくらいしかいないであろう。
化粧は歌舞伎役者だって欠かせないくらいだから、大きな影響があり、もっと反響があってしかるべき大問題ではないか。
化粧することを冷静に考えてみれば、言葉は不適切かもしれないが、化けることでもある。
きつねとたぬきのばかしあいではないが、化粧することは別の自分に変身することでもあるから、すっぴんで他者の前に出てくるのを躊躇ってしまう気持ちは理解できる。
その大事な化粧品に健康を損なう石綿(アスベスト)が混入していないかどうか調査するのは一刻を争う重大事である。
ポリ塩化ビフェニール(PCB)は、米ぬか油に混入したことでカネミ油症事件を起こし、大きな社会問題となった。その油が九州方面を主に使われていたことで、首都圏では、他人事のように思っていたかもしれないが、地元では大騒ぎだったはずである。
九州といえば、世界に知られた水俣病の発祥地だから、公害病には敏感になっていた頃のことだ。
化学に疎い自分でさえ、PCBがダイオキシンの仲間だと知り、米軍がベトナム戦争の時、ダイオキシン入りの枯葉剤ナパーム弾でジャングルを焼き払ったことから、ベトちゃんドクちゃんで知られる奇形児が多数生まれるという罪深い戦争犯罪を犯したことが頭を過る。
もう20年くらい前のことになるが、水道の設備会社を経営している男性が同じ街に住んでいて、働ける年齢だったが、どこか具合でも悪かったのか仕事をしていなかったので、なんだか変だと思っていたことがあった。
わが家ともおつきあいのあるその会社の経営者の息子が後年、父親がアスベストに苦しみ、長男が医者になった云々ということを教えてくれた。
とにかく、父親は呼吸が苦しそうで見ていられないほどだったというのだ。
石綿(アスベスト)の怖さは計り知れない。化粧品にまで混入していたというのだから、敏感にならずるを得ない。化粧品といえば、PCBは顔をやられた記憶がある。あばたというのだろうか、顔やられたら女性の場合命と同じくらい大事な部位である。命となればこれは言を俟たないことだから、調査が急がれる所以である。
要望書では、業務に従事していた化粧品販売員、長期にわたり製品を使用してきた消費者にまで潜在的被害が及んでいる可能性があると指摘。過去から現在までタルクを含有した化粧品などの製品について最新の分析方法で調査することや、化粧品の販売員や消費者らに広く注意喚起することなどを求めた。
石綿(アスベスト)同様人体に有害な物質ポリ塩化ビフェニール(PCB)の取り扱いを定めたPCB廃棄物処理特別措置法の改正案を閣議決定したことを4月11日の読売が伝えている。高濃度PCB廃棄物の発見者は、一定期間内に処分を義務付けられる。処理は国の認定を受けた民間処理施設で無害化する。
ダイオキシンの仲間であるPCBは、1968年に発覚した「カネミ油症事件」で、米ぬか油に混入し、食中毒被害を起こし、製造と輸入が禁止された。
石綿(アスベスト)とPCBは直接的には関係がないが、多数の被害者が出て、大きな社会問題となった事件で、偶々、4月11日の読売の同じ紙面で取り上げられていたから一緒になってしまったが大事なことだから書いておく。
本来、別々に書くべきことであることは無論承知の上のことである。
まず、石綿(アスベスト)被害が化粧品の販売員にまで及んでいたことに驚きを隠せない。
化粧品に使われるタルク(滑石)に石綿(アスベスト)が混ざっていた可能性があるというのだから、これはもっと大騒ぎになる事件ではないか。
男女の区別が昔と変わって今は、男性だって化粧する時代になっているらしいし、まして、女性で化粧をしない人はそれこそ数えるくらいしかいないであろう。
化粧は歌舞伎役者だって欠かせないくらいだから、大きな影響があり、もっと反響があってしかるべき大問題ではないか。
化粧することを冷静に考えてみれば、言葉は不適切かもしれないが、化けることでもある。
きつねとたぬきのばかしあいではないが、化粧することは別の自分に変身することでもあるから、すっぴんで他者の前に出てくるのを躊躇ってしまう気持ちは理解できる。
その大事な化粧品に健康を損なう石綿(アスベスト)が混入していないかどうか調査するのは一刻を争う重大事である。
ポリ塩化ビフェニール(PCB)は、米ぬか油に混入したことでカネミ油症事件を起こし、大きな社会問題となった。その油が九州方面を主に使われていたことで、首都圏では、他人事のように思っていたかもしれないが、地元では大騒ぎだったはずである。
九州といえば、世界に知られた水俣病の発祥地だから、公害病には敏感になっていた頃のことだ。
化学に疎い自分でさえ、PCBがダイオキシンの仲間だと知り、米軍がベトナム戦争の時、ダイオキシン入りの枯葉剤ナパーム弾でジャングルを焼き払ったことから、ベトちゃんドクちゃんで知られる奇形児が多数生まれるという罪深い戦争犯罪を犯したことが頭を過る。
もう20年くらい前のことになるが、水道の設備会社を経営している男性が同じ街に住んでいて、働ける年齢だったが、どこか具合でも悪かったのか仕事をしていなかったので、なんだか変だと思っていたことがあった。
わが家ともおつきあいのあるその会社の経営者の息子が後年、父親がアスベストに苦しみ、長男が医者になった云々ということを教えてくれた。
とにかく、父親は呼吸が苦しそうで見ていられないほどだったというのだ。
石綿(アスベスト)の怖さは計り知れない。化粧品にまで混入していたというのだから、敏感にならずるを得ない。化粧品といえば、PCBは顔をやられた記憶がある。あばたというのだろうか、顔やられたら女性の場合命と同じくらい大事な部位である。命となればこれは言を俟たないことだから、調査が急がれる所以である。