3000メートル級の 急峻な山々に囲まれた山梨県は、日本一のミネラルウォーター生産地であるなど豊かな水源を持つ。一方で、水害対策は古くから地域の重要課題だった。戦国武将・武田信玄(1521〜73年)の統治時代に完成したとされる「 信玄堤」を中心とした治水システムは、人々の暮らしを支えてきた。地球温暖化で水害が激甚化する中、研究者は「注目すべき先人の知恵」と再評価している。と8月13日の読売(村岡拓弥記者)が夕刊で伝えている。
甲府盆地発展の礎の舞台は富士川の源流にあたる釜無川と御勅使川が交わることで氾濫が常態化していた。
ここに1542年から約20年かけて築かれたとされる治水システムだ。
将棋駒の先端のような形に石を積み上げた「将棋頭」で水流を二つに分けたり、川の合流地点を「高岩」と呼ばれる崖で受け止めたりしながら水流を弱め、「信玄堤」(本堤)や下流の「霞堤」に流す仕組みだ。この霞堤こそ、「わざと水をあふれさせる」設計になっているのだ。
あふれた水は水田などに一時的に溜まり、川の水位が下がった段階で自然に排水される。
治水システムが整備され、甲府盆地の水害がある。減少した結果、付近では新田開発が進んだ。
私事で恐縮であるが、古希を過ぎてから、わが家に津軽三味線がケースに納められたまま届いた。親族の形見ということで、連れ合いが箏、三絃を嗜んでいるからということで、処分を任されたのである。
自分は、若い頃、津軽を旅したことがあり、津軽三味線に関心を持っていたことから、せっかくだから、師匠を探して、覚えようということになった。
「光陰矢の如し」で、この秋で5年になるが、偶々。現在武田節を弾き語りで習っている。
その武田節には、「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵、仇は敵」というフレーズがある。
信玄堤のことは耳にしたことがあったが、武田信玄が治水に力を入れていたことを読売の記事で知り、有能な武将だったということを武田節のフレーズと相俟って、学ばせて貰った。
海がない甲斐の国の盟主が海のある越後の上杉謙信と雌雄を決すべく川中島の戦いをしていた時、織田信長が台頭していることから、両者が手を結んでいたらと考えると歴史は俄然面白くなる。
個人的には、上杉謙信ファンであるが、武田節と信玄堤、霞堤のことを知り、武田信玄にも親しみがわいた。
この夏、先般、千葉で大雨、埼玉と東京で、石川と富山、そして福井と大雨が続く。
治水の大事さを嫌でも思い知らされた。
2026年08月30日
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