「伝承 戦後81年」読売(荒川紘太記者)の戦争特集、その8月14日は、被爆者が守った広島の「声なき証言者」、「旧陸軍被服支廠」は国の重要文化財に…「第二の平和資料館にしたい」について書いておく。
被爆者らの活動で解体を免れ、保存が決まった戦争遺跡が広島県にある。軍服などの製造工場だった旧広島陸軍被服支廠(広島市南区)。1945年8月6日の原爆投下後、大勢のけが人を受け入れる臨時救護所にもなったこの建物を被爆者らは「声なき証言者」と呼び、次代に受け継いでいくつもりだ。
保存活動で中心的な役割を担ってきた内藤達郎さん(84)。活動のきっかけとなったのは2008年、船で世界を一周して平和を訴える「ピースボート」に参加した際、同じ被爆者の中西巌さん(23年死去)との出会いである。
被服支廠で勤労動員中被爆した中西さんが目撃した被爆の惨状に「被服支廠は多くの人の墓標であり、声なき証言者だ」というその言葉に心を打たれたからだ。
14年、中西さんらと10人ほどで「旧被服支廠の保全を願う懇談会をつくった。
建物に資料を並べ、第二の平和記念資料館にするのが中西さんの悲願だった。
軍事施設や大きな被害を受けた建物など、所謂戦争遺跡が国内にどれだけあるかはあきらかになっていない。
民間の遺跡保存団体でつくる「戦争遺跡保存全国ネットワークによると、国や自治体の文化財に指定・登録されている戦争遺跡は2025年8月現在で390件あった。
文化庁は2024年、軍事関連を含めた近代遺跡の所在と価値の把握に努めるよう都道府県に通知した。
同ネットワークの出原恵三共同代表(70)は「人やカネや時間がかかるため、遺跡調査に及び腰の自治体は多い。把握が進まないうちに消滅する遺跡が出てくるのではないか」と懸念している。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚でヒロシマを訪れるまで、知識はあっても、原爆投下に関して、自分はまだまだ学習が足りなかったことを痛感させられた。
直近ではドキュメンタリー映画『原爆資料館 語り継ぐものたち』その前に『はだしのゲンはまだ怒っている』を観て、まだ読んでいなかったことに気づかされ、『はだしのゲン』全10巻を買い求めて読んでいる。
『教誨師』を読んで堀川惠子さんのことを知り、未読ではあるが、宇品港が果たした役割を教わり、軍都だった広島が狙われ、米軍に原爆投下されたことを知った。
胎内被爆者である知人から、被爆死した父親の事を書いた文章を読ませてもらう機会があった。
その知人が被団協の事務局で活躍し、被団協がノーベル平和賞を受賞した時は驚いた。
自分の知っている人がメディアに取り上げられ、核兵器廃絶を訴えている様子を知るに自分も自分の立ち位置でできることをやらなければならないと大いに影響を受けた。
堀川惠子さんは被爆の証言者が退場していくことから、被爆だけではないが、史料の重要性について、読売の取材に訴えていた。
史料といえば、原爆資料館であり、遺跡といえば原爆ドームや陸軍被服支廠である。
原爆資料館は現地で見学した時より、解説がある映画で観たときの方が説得力があった。
安倍政権、高市政権と戦争の足音が近づき、台湾有事には中国と戦争するとまで国会答弁で言明している高市首相は、戦争の反省を全くするつもりがないという。
戦後81年の夏も終わろうとしているが、どうしたら平和を守り、戦争に巻き込まれないようにできるか真剣に考えるときではないか。
2026年08月28日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/191785304
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/191785304
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック