事件や事故などが起きるとメディア、新聞やTVが伝えてくれるが、その新聞は人のうわさも七十五日で、その後のことはあまり伝えてはくれない。
週刊誌では、「あの人は今」というようなタイトルで事件後、人々に忘れられてしまった頃に特集をしたりすることもあるが、その新聞、読売(福元理央記者)が「あれから」というタイトルで世間をお騒がせしたことも含め、過去の出来事の主役にスポットを当て、その人の今を伝える興味深い記事を連載している。
11月9日は、VOL.63保健師 14年後の追跡調査として、「ヒ素ミルク 終わっていない」という見出しで保健師の松尾礼子さん(84)に登場してもらっている。
「毒飲ませた」苦悩に伴走」「交流続け半世紀 みんな「私の子ども」「脱水状態の子 必死の姿浮かび調 査参加を決意」「手弁当の訪問 我が子の後遺症 語りだす親たち」「最後までヒラ だからこそ 地域に尽くせた」
という見出しで松尾さんと事件との関わり、子どもたちのその後などを伝えている。
1950(昭和30)年、森永乳業株式会社徳島工場製造の調製粉乳にひ素を含む有毒物質が混入したことに起因して、近畿、中国地方を中心に乳幼児に数多くのひ素中毒患者が発生した食中毒事件について、この機会に、書いておきたくなった。
乳児130人、12000人以上が被害に遭った森永ヒ素ミルク事件が起きて、14年後といえば、後遺症は残らない、事件は解決したことにされていた時のことである。
大阪大学医学部の丸山博教授(96年に86歳で死去)が事件後の子どもたちの様子を追跡調査していた。
医師の熱意と子どもたちのために動くという保健師として使命感で調査に参加したことで、子どもたちの苦しみを知ることになった松尾保健師。
この記事を読みながら、頭に浮かんだのはサリドマイド薬害事件であり、有機水銀中毒である水俣病であり、カドミウムによる中毒であるイタイイタイ病であり、ポリ塩化ビフェニールなどダイオキシン類による中毒であるカネミ油症である。
2025年、事件から70年が経つも、10月時点で連絡がと取れている被害者5145人。うち、571人が何らかの障害を抱えている。
被害者の苦しみを思えば、森永ヒ素ミルク中毒事件は無関係な自分でも、森永と耳にしただけでヒ素ミルクという言葉が頭に浮かぶほどだから、企業にとっても大変なダメージを負ったことになるだろう。
患者にきちんと向き合っている森永の名誉のために書いておく。
森永は事件を風化させない取り組みを続け、被害者との「ひかり協会」の運営費用を負担し、国や被害者の「守る会」と定期的に今後の救済について話し合う。
「事件は我々が生涯背負うべき十字架だ。全社を挙げて救済事業への責任を果たす」と木下明渉外部長は約束している。
ここが逃げているとしか思えないチッソとは違っている。
薬害サリドマイド、カネミ油症、胎児性水俣病、そして、森永ヒ素ミルクいずれも子どもたちに生まれながらにして重き荷物を背負わせていることに目が向く。
2025年11月11日
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