11月6日の日テレnews zeroによれば、個室リラクセーション店で、タイ人少女(12歳)に性的な行為をさせたなど違法に働かせたとして、経営者の男ら2人が労働基準法違反などの疑いで逮捕された。少女は母親に「人身取引」目的で日本へと連れてこられ、置き去りにされたとみられている。
「人身取引」被害者保護数は、2006年から一時、減ったが、再び増加傾向にあり、2024年は66人となった。そのうち58人が日本人だ。
「人身取引」とは、売春させることや強制労働などを『目的』に暴力や脅迫、だますなどの『手段』を使って、人を『獲得、引き渡す行為』などを指し、18歳未満に関しては、暴力や脅迫などの行為が認められなくても、人身取引とみなされる。
「人身売買禁止ネットワークの共同代表・吉田弁護士は『こうした人身取引の背景には、被害者と加害者をつなぐブローカーがいて、これも加害者だ』「また『今回は明らかに未成年の少女が働いているにもかかわらずサービスを受ける客側にも大いに問題がある。児童買春は犯罪だが、インターネットなどには性的なコンテンツがあふれていて、法に触れているという意識が薄れてしまっている。政府は啓発を行っているが、それだけではなくならない。処罰の範囲を広げ、厳罰化することが必要ではないか』と指摘している。
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人身取引というから何のことかと思えば、人身売買のことではないか。
江戸時代、公娼制度を幕府が容認し、寒村や貧しい地域の娘たちが忘八者と蔑まれていた女衒の手から、同じく忘八者の廓の主に売られ、逃げることもできず、搾取されながら性奴隷として売春を強要させられた。
瘡毒(そうどく)と呼ばれていた梅毒に罹患したり、吉原であれば、病気になって死ねば投げ込み寺と呼ばれていた浄閑寺に捨てられた。
今ではブローカーと呼ばれている女衒は当然、人身売買の共犯者であるが、当時は幕府が容認していた公娼制度に守られた人身売買制度と被害者の性奴隷が、明治以降廓清運動が起きても、アジア太平洋戦争が起きても、一向になくならず、ようやく管理売春を防止する売春防止法ができたのは1956(昭和31)年のことで、赤線が廃止されたのは1958(昭和33)のことである。
「自由のために」をスローガンに毎日、書き続けている自分としては、自由を奪う人身売買、性奴隷を生み出す輩には、破れ傘刀舟先生が登場してくれたら、「許せねぇ!」「てめえら人間じゃねえや!叩っ斬ってやる!」と一刀両断にしてもらえるところだ。
自分の家族が人身売買され性奴隷にされたらと想像するだけで、携わる者たちへの怒りがこみ上げてくる。
日本という国の恥となる人身売買をなくすために、関係者を厳罰にすべきである。
2025年11月07日
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