政治部は政府自民党の機関紙化して読む気にもならないからスルーしてる読売であるが、社会部は語り継ぐ戦争に力を入れ、しっかりした仕事ぶりで高く評価してきた。
近年、「日本美を紡ぐ TSUMUGU 紡ぐプロジェクト」というこれぞジャーナリズムという素晴らしい内容の記事を掲載している。
「歴史ある楽器を守る」をテーマに伝統的な楽器を作る職人の技術継承や材料の確保は高齢化や自然環境の変化などによって難しくなっているとして、その11月2日は、邦楽器、洋楽器の中から篳篥(ひちりき)や三味線、グランドピアノ、パイプオルガンなどの製造、修理に携わる職人の働きぶりにスポットを当てている。
楽器の中から自分にとって身近な三味線について、書いておく。
東京八王子市の「東京和楽器」は1885年創業の老舗三味線メーカー。
3代目の王滝勝弘さん(85)は従業員13人と役割り分担しながら三味線作りをしている。
演奏人口の減少とコロナ渦で2020年に一度は廃業を決めた。
栄枯盛衰は世の常なれど、昭和の高度経済成長期には津軽三味線ブーム、民謡ブームで、月350〜400丁作ったこともあったのにである。
廃業を知った小売店や邦楽ファンが同社を救おうと支援に乗り出してくれた。
大瀧さんは奮起し営業を継続することにした。
「国の支援(国による三味線の買い上げなど)があって、何とか経営を維持しているのが実情」だとは大瀧さん。
ご先祖をはじめ、多くの人たちに支えられ、50代半ばを前に早期退職したことで、ストレスから逃れ、炎症性腸疾患クローン病を抱えながらも、後期高齢者になるまで生きられた。
嫁いでいる姉が「あんた、よくここまで生きられたね」と言外にもっと早くに死ぬと思っていたことを明かしたことがあったくらいである。
というわけで、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では、慰霊碑の前で経を唱える代わりに尺八を吹き、供養の祈りを捧げてきた。
古希を過ぎてからのことだが、親族から「母親が大事にしていた形見の津軽三味線を処分したいが、どなたか紹介してもらえませんか」と依頼があった。
連れ合いが箏、十七絃、地歌の三味線を楽しんでいることを知っていての頼みだった。
若い頃、青森を旅し、津軽三味線の高橋竹山さんの渋谷のジャンジャンでのライブを聴いたことがあるので、わが家に津軽三味線一式がやってくるのは何かの縁かもしれないと思った。
楽器には楽器の神様がいるというのが、自分の考えでもあることから、それなら、津軽三味線を習うかということになり、おつきあいのある三味線工房で破れた皮を張り替えてもらい、近くに住む師匠を探してもらった。
意気地なしの自分は一人では習えず、地歌の三絃で三味線に慣れている連れ合いを拝み倒して一緒に始めた。
芸能人並みに多忙な連れ合いは、嫌そうだったが渋々つきあってくれた。
そうして始めたのが、2021年の秋のことだから、古希を過ぎてからのチャレンジであった。
和楽器の指導では、楽譜を使う場合と口伝という楽譜なしでレッスンを受ける方法がある。楽譜のない口伝だったから、覚えるのが大変だったが、時代に助けられた。
そう、スマホで動画を連れ合いに撮ってもらい、自宅で見て、連れ合いのアドバイスを受けながら、おさらいをすることを繰り返し、月に一度のレッスンがこの秋で4年が経った。
この間、津軽三味線の初心者が習う曲、「六段」を何とか弾けるようになった。
三味線は指を使うし、無論頭を使うので、ボケ防止と思って始めたが、なんでも新しいことにチャレンジするのは大変だ。
連れ合いがつきあってくれたから今日まで続けることができたが、一人では絶対不可能だった。
自分の津軽三味線レッスンの顛末を書いたが、津軽三味線はその名の通り、青森県は津軽地方の名前を冠にし、津軽民謡を支えている。
青森に行くと、津軽三味線は土地と風土にすっかり根付いている。
楽器は異なるが、同様に沖縄には三線があり、沖縄民謡を支えている。
日本大好き人間の一人としては、日本の伝統芸能、伝統工芸など日本の美、日本らしさというものを残していきたいと強く願っている。
2025年11月06日
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