読売の語り継ぐ戦争、戦後80年 昭和百年 被爆を語るの最終回は9月29日、日本文学研究者ロバート・キャンベルさんで、「英語でも『ヒバクシャ』」「証言を通訳 悲劇伝える」という見出しで、被爆者との関わりなどについて(小松大騎記者)聞いている。
被爆者と初めて出会ったのはハーバード大学大学院生の時、被爆証言の通訳を頼まれた1982年のことだった。
同年6月にニューヨークで開かれる国連軍縮特別総会に先立ち、被爆者たちが米国各州を巡回する約10日間同行したときのこと。
コロラド州のスタジアムでの集会で、60歳代くらいの男性の体験を通訳している時、突然、声が出なくなったことが強く印象に残っている。
原爆で孤児になり、被爆者の子だとわかった娘の結婚が破談になったことなど「被爆したせいで、子どもの幸せを奪ってしまった」という証言で、それまで何度も聞いてきた彼の証言が、私の心血に浸み込んでいたのであろう。被爆者の言葉が持つ力を痛感した出来事だった。
82年の国連軍縮特別総会ではナガサキで被爆した被団協代表委員山口仙二さん(2013年に82歳で死去)がノーモア・ヒバクシャと呼びかけ、英語の「hibakusha」が定着したと言われている。
被爆者が英語になったことは、「核兵器を絶対に使ってはならない」という教訓を帯びた、世界共通の固有性を持ったからだ。
これからも、文学的側面から戦争の理不尽さ、平和の尊さを伝えていく。と結ぶ。
日本文学研究者としてロバート・キャンベルさんはよく知られている。
文学を研究するくらいだから、日本の文化にも明るい。こういう著名人に被爆の実情を被爆者の証言の通訳という形にせよ知ってもらえたのはよかった。
米国との戦争に敗れたからか、日本人の多くは自分たちの文化に対し、その価値がわからなくなっている。
例えば、浮世絵などが持つ価値、日本映画の佳さが外国の映画祭で賞をもらってわかるという具合にだ。
自分は日本大好き人間の一人として、日本の文化の一つである尺八を吹く。
戦没者慰霊のための行脚で、慰霊碑や供養塔の前で経を唱える代わりに尺八を吹いて供養してきた。
古希を過ぎてからは理由あってわが家にやってきた津軽三味線を習い、4年間で初心者の曲「六段」をある程度弾けるようになった。
尺八は今や、日本より海外で吹く人が増えているが、欧州などでは、虚無僧が吹いた古典本曲が観客に喜ばれるというのだ。
原爆を投下され、被爆者が苦しめられた日本では、戦後80年経って、参政党のような極右勢力が台頭し、過去の戦争の事実を正しく伝えようとしなくなった。
だからこそ、被爆者が英語で通用するようになり、世界の大勢の人たちに被爆の恐ろしさを伝えやすくなっていることを活かしていくことが求められている。
核兵器を使ってはいけないと、もっとどんどん発信していく必要がある。
2025年10月03日
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