2025年10月02日

「GIベビー」占領軍兵士と日本人女性

 「GIベビー」は、戦後、占領軍の兵士と日本人女性の間に生まれた子どもたちのこと。父が母子を残して帰国してしまい、苦しい生活を強いられたケースも多かったという。
 戦後80年を迎えた今夏、GIベビーとして育った男性が、初めて大勢の人の前で自らの体験を語った。と10月1日の朝日新聞withnews(山野拓郎記者)が伝えている。

 GIベビーとして生まれ育った神奈川県在住の青木ロバァトさん(77)。今夏、横浜市で約200人の市民を前に初めて自身の体験を語った。

 戦後80年を機に横浜都市発展記念館が企画した特別展でGIベビーに関する展示が行われたことを機に、関連行事として青木さんの講演会が行われた。講演は、記念館の主任調査研究員でGIベビーについて研究している西村健さんと青木さんが対談する形で行われた。

 望まれない妊娠の末に生まれ街中に捨てられたり、兵士が母子を残して帰国してしまったことで困窮した生活に追い込まれたりしたという。
 厚生省が1952年に実施した調査によると、当時全国に「混血児」が約3千人いて、うち約1千人が神奈川在住だった。ただ、この数字の信頼性には疑義があるそうだ。

 青木さんは1948年、米軍の下士官であった父と茨城県出身の母の間に生まれた。幼少期を神奈川県の葉山で過ごしたのち、横浜市内に引っ越した。7歳のころ、「突然おやじが消えた」と振り返る。父は妻子を残して帰国してしまった。母と青木さんと妹の3人での暮らしが始まった。

「おやじがいなくなって最初に気がついたことは、それまでは周りの人がおやじを怖がっていたこと。よその人が僕をかわいがってくれたのはそのためだったんだと。おやじがいなくなったとたん、手のひらを返すようにしょっちゅういじめられた」

 母親はバーで働いて生計を立てていたが生活は厳しく、青木さんは1957年、県中部に建設されたカトリック系の児童養護施設・聖母愛児園分園の「ファチマ聖母少年の町」に預けられた。施設には多くのGIベビーの少年が預けられ、「ボーイズタウン」とも呼ばれた。

 ファチマ聖母少年の町は1955年に建設されたが、アフリカ系アメリカ人と日本人女性の間に生まれた子どもが多かったことから、「黒人の町になってしまう」と建設に地元で反対運動が起こった。施設ができてからも、地元の反対で子どもたちは近くの学校に通うことができず、バスで1時間かけて横浜の学校に通っていたらしい。


 2024年3月末、GIベビーの墓地だとされている横浜の根岸外人墓地にお参りに行った。
 当時、混血児として生まれてくることを歓迎されなかった時代。生まれた子どもに罪があるでなし、なんだか気の毒な身の上ということで供養してやりたかった。

 GIベビーといえば、子どもの頃、青山ミチという歌い手がいた。
 青木さんと同じアフリカ系米国人兵士と日本人女性の間に生まれたハーフで、「涙の太陽」を歌ったことを思い出す。
 団塊の世代の一員である自分と同世代だったのではないかと調べたら、1学年先輩だった。
 もう亡くなってしまったが、彼女も青木さん同様アフリカ系米国人兵士の子どもだ。当時の日本社会では敵国人の子どもだったから、いじめ、差別に遭ったことは想像に難くない。

 米国は世界でも一番といってもいいくらい人種差別の国である。
 ゲルマン民族というか、所謂白人は、自分たちがアフリカから奴隷として連れて来た黒人をカラードピープルとして激しく差別し、中南米からの移民をヒスパニック、アジアからの日本人はジャップとして侮蔑かつ差別してきた。
 日本人は、米国との戦争当事国だから、戦争になると日系人だけ収容所に閉じ込める人種差別を行った。
 さらに、ナチのドイツには原爆を投下しなかったにもかかわらず、日本にはヒロシマ、ナガサキと2回も原爆を落とした。
 米国で白人から差別されてきたアフリカ系所謂黒人の兵士は同じカラードピープルの日本人を差別し、沖縄や米軍基地のある街で日本人女性をレイプし、関係を持ったことで、肌の色が黒い混血児が生まれた

 亡くなって10年になる母親は、肌の色が黒いと黒んぼと呼んでいたが、大正生まれの世代くらいだと差別意識というより無意識にという方が的を得ているかもしれない。
 あれから80年経ち、五輪や世界選手権の陸上競技には肌の色で明らかにハーフだとわかる選手が大活躍し、観客やTV観戦していた自分たちを喜ばせてくれた・
 明らかに時代は変わった。
 混血児とハーフ、呼び名も変わったように、差別も減っているはずだ。

 進駐軍兵士があの特攻隊の出撃基地だった知覧にやってきて、旅館の仲居さんだったかをレイプし、肌の色が黒い子どもが生まれ、母子共々苦労の連続だったらしい。

 生まれてくる子どもに罪がない。といえば思い出すのは、満州や朝鮮半島でソ連兵や中国人、朝鮮人にレイプされ生憎妊娠してしまった女性が引き揚げ港の博多から近い二日市の保養所で妊娠中絶手術や梅毒の治療を受けたこと。
 ここでも、子どもには罪がないが、ソ連兵の子どもを産むわけにもいかないから、同じ命でもかわいそうな命もあることがわかる。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/191505684
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック