2025年09月03日

軍神とか英霊とか、死んだら帰ってこられない

 NHKが放送した「軍神と記者 特攻 封じられた本心」について語り継ぐ戦争の立場から書いておきたい。
 
 「昭和19年10月、初めて組織的に行われた特攻。口火を切ったのは愛媛県出身の関行男。“軍神”とあがめられ、その後に続くように多くの命が犠牲になった。関が“軍神”と呼ばれるきっかけとなったのは元海軍報道班員・小野田政が書いた記事。今回見つかった取材ノートや資料などから、関の言葉をありのままに伝えられなかった経緯が浮かび上がってきた。小野田の回想をドラマで再現しながら軍神と記者それぞれの『本心』に迫る。」と㏋にある。


 城山三郎『指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく』(新潮社)を買い求めて読んだとき、特攻隊員第一号として選ばれた関行男大尉の名前を知った。
 玉音放送後の特攻として、宇佐海軍航空隊基地から沖縄方面に向けて宇垣纒海軍中将が道連れにした特攻隊の指揮官が中津留達雄大尉で、二人は海軍兵学校の同期生だったというのだ。
 何とも不思議なめぐりあわせで、その二人が最初の特攻と最後、しかも、玉音放送後の特攻の指揮官として死ななければならない運命だったとは。
 確か、二人とも結婚していたはずである。
 元海軍報道班員小野田政のことは初めて知ったが、特攻隊員を軍神と崇め奉る軍隊に協力した記者として、覚えておきたい。

 新聞はいつの時代も真実を報道をしない。
 これはスポンサーで成り立っている新聞の宿命であろうか。
 記者は偉そうなことを言っても、権力を批判できない。
 消費税率アップの時、財務省と何を取引したのか新聞は税率を上げないようにできた。

 永く購読している読売、自分が生まれれる前からだから昭和と同じくらいの年数購読していることになるはずだ。
 その新聞が、戦争の時、軍部に協力し、戦意高揚のために果たした役割は大きい。
 関行男大尉のことを軍神だとした軍に媚を売る記事は戦時中だからと言い訳しても通らない。

 自分が知る限り、関行男大尉という人物は残された写真でみるとおり、意志の強さを思わせる顔をしていて、部下の訓練にも厳しかったと耳にする。
 記憶違いでなければ、教官という立場のパイロットで、自分が特攻で行くようでは日本は負けると言った云々と耳にしたことがある。

 一方の中津留達雄大尉は同期生の関行男大尉が華々しく散華したことをニュースで知り、玉音放送も流れたから命拾いしたと思ったと推察するが、その時、上官の宇垣纒海軍中将が自決できなくて、特攻機で死にゆくお供を命ぜられるのだ。

 敗戦後、特攻隊で運よく生き残った人々が帰ってきたニュースを見た関行男大尉の母親が息子が生きていてくれたらとどんなにか願ったことかと思うと気の毒でならない。
 軍神の家に敗戦後、石を投げ込んだ不届き者がいたことが許せない。

 軍神なんて、軍隊が士気を鼓舞するために書かせたことで、靖国神社に祀り英霊とすることとちっとも変わらない。

 戦争でもなんでも、生きていてこそである。
 死んだ人間は帰ってこられない。
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