2025年08月19日

「片腕しかなくさず 幸運」水木しげるさん

 戦後80年 昭和百年 家族の記憶Bは部隊全滅後、爆撃で左腕を失うという凄惨な経験をしている漫画家水木しげるさん(本名武良茂、2015年に93歳で死去)で、8月14日の読売が伝えている。

 晩年になるまで、戦争のことは話さなかったというのは、長女の原口尚子さん(62)と次女の武良悦子さん(58)姉妹だ。
 戦争体験を描いた「総員玉砕せよ!」を発表したのは漫画家として成功した後の73年だ。
 陽気な父親がしか知らなかった悦子さんは「読んで1週間ほどうちひしがれた」そうな。

 21歳で南方の戦地に送られ、43年11月、豪州領ニューブリテン島に築いた拠点ラバウル防衛のために送り込まれたのが、二等兵の水木さんが所属する聯隊だった。
 偵察要員として奥地に送り込まれた水木さんら10人ほどのうち、生き残ったのは水木さん一人だった。敵側につく部族に終われ、海を泳ぎ、密林を逃げ惑い帰還して待っていたのは、「なんで逃げ帰ったんだ。皆が死んだんだからお前も死ね!」という上官からの罵倒だった。


 水木しげるさんの戦争体験はよく知られたことだから、当然、自分も知っていたが、改めて教えられたことがある。
 軍隊内の私的制裁を作品にしたことで、「畳と初年兵 殴るほど良くなる」という私的リンチがまかり通っていたのが天皇の軍隊とされていた日本軍で、こんな軍隊は日本だけだ。

 広陵高校野球部での私的制裁は明らかな刑法犯であるが、高野連も学校も被害者のことを全く考えもしなかった。
 教育機関である高等学校で、これほどの暴力がまかり通るのは第一に監督が無能だからで、野球が強ければよいというものではない。
 そもそも学校長が記者会見で刑法犯罪が行われてきた事実を隠蔽し、SNSで誹謗中傷されたことで生徒を守るためだという論旨のすり替えを行っていた。
 無能な校長は学校内での刑法犯罪を野放しにし、被害生徒を救済しようともしなかったくせに、加害者を守ろうとするのは一昔前の日本の司法の世界とそっくりだ。
 加害者の人権ばかり擁護する司法制度に風穴を開けたのは全国犯罪被害者の会(あすの会)の岡村勲代表幹事だった。被害者の人権を犯罪被害者等基本法で認めさせたのである。

 話が逸れてしまったが、日本の軍隊の暴力の酷さは五味川純平『人間の條件』(三一書房)でも主人公の梶を通してしっかり描かれていた。
 作家城山三郎さんは海軍での船内での暴力を告発していたことで知られる。

 水木しげるさんは「人の死を悲しんでいる暇さえない場所にいて、片腕しかなくさず帰ってこられた。その幸運がわからんのですか」と壮絶な体験の取材を受けたとき語っている。
 さらに、戦地を生き延びた幸運は「怪奇」に近いものだったらしい。

 「総員玉砕せよ!」で訴える水木さんの戦争に対する見解は、異様な考えを持つ軍人たちの存在にある。
 息のある兵士の指を切り、遺族のために遺骨を持ち帰ろうとする。幹部に自決を強いる。自ら死を選ぶ。部下を死の道連れにする・・・。

 教育で洗脳するとこんな軍人たちが抜港するのかもしれない。
 とにかく、戦争で片腕を失うも、無事帰国を果たした水木さん。
 戦地から帰ってこられなかった戦没者たち。
 本当の意味での反省がなされていないから、相も変わらず暴力事件が学校で起きているのではないか。
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