【戦後80年】「『日本は負ける』兄の言葉 安曇野出身の特攻隊員上原良司さんと家族の記録 いま伝える『平穏な日常』の意味 #戦争の記憶」というタイトルでテレビ信州が8月14日のWEBで伝えている。
「日本は負けるよって。僕は死んでも靖国(神社)には 行かないから 天国に行くから って。(良司さんの言葉を)誰にも父や母にも話しませんでした。もうあの当時の日本のようにならないように努力してほしいって思ってます」とは妹の上原登志江さん。
兄との最後の思い出を語る上原登志江さん。95歳。安曇野で生まれ育った登志江さんは5人兄弟の末っ子。長男の良春さん、次男の龍男さんそして特攻隊員だった良司さん、3人の兄を、戦争で亡くした。
学徒動員で特攻隊員となり、終戦の3か月前に出撃…、帰らぬ人となった。
『明日は出撃です。あすは自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後ろ姿は寂しいですが心中満足で一杯です』
戦没学生の手記を集めた「きけわだつみのこえ」、その巻頭に掲載された良司さんの遺書「所感」。出撃の前夜、「直接家族に届ける」と言われ原稿用紙7枚に書き残した。
『自由の勝利は明白な事だと思います。人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、権力主義、全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れることは明白です』
良司さんと2人の兄の母校、慶應義塾大学の都倉武之教授は、上原家に遺された“家族の記録”を調査し資料にまとめてきた。
戦後80年のこの夏、都倉教授は上原家の資料の展示を企画。兄弟の遺書や一家の日常を記録したおよそ100点が慶応大学のキャンパスに運び込まれた。
毎日、発信しているのは「自由のために」である。
生きていくには、食べなければならないし、食べれば排せつもする。
しかし、生きていくとき、これとは別に誰が何と言っても自由こそ一番大事で、この自由を奪うものこそ戦争だと考えてきた。
戦後80年、思えば、軍隊に支配された日本では、治安維持法を筆頭に市民は自由を奪われてしまった。
軍隊にいて、家族に手紙を書けば、検閲されるから、思うことが書けなかった。
だから、特攻隊員だった上原さんは、一番大事な自由を奪われはしたが、命を捨てる特攻で出撃するとき、検閲を逃れて、正直な気持ちを吐露できたのではないか。
上原良司さんは慶応義塾大学の学生で、自由の有難みがよくわかっていたはずである。
その彼が、靖国神社には行かない。天国に行くと言っている。
自由を奪った軍隊に対するこれ以上のレジスタンスはない。
戦争で特攻隊員として、死んでいった先人たちのお陰で、戦後80年、ある程度の自由には恵まれたが、ここにきて、その自由が再び、戦争で奪われようとしている。
何としても、自由を奪われてはならない。
2025年08月14日
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