2025年07月23日

井上ひさし「一人だけ生き残った、後ろめたさ」に着目

 ETV2000 井上ひさし 原爆を語るということ 第1回
 Eテレの膨大なアーカイブスから選りすぐりの番組をリマスターでお届け。今回は2000年8月放送の、ETV2000「井上ひさし 原爆を語るということ 第1回」「なぜ私だけが生き残ったか」 〜庶民の原爆手記を読む〜を放送してくれたことにスタッフにエールをおくりたい。


 人種差別の国米国がイエロージャップとバカにしていた日本のヒロシマとナガサキに原爆を投下してから間もなく80年になる。

 作家井上ひさしは書かれた作品だけでなく、戦争に反対し、平和の有難みをその行動で教えてくれた。
 『十二人の手紙』(中央公論社)『吉里吉里人』上中下(新潮文庫)『一週間』(新潮社)を買い求めて読んでいるくらいだからあまり偉そうなことは書けない。
 2004年に公開された黒木和雄監督、宮沢りえ、原田芳雄『父と暮らせば』は、原爆投下後の広島を舞台に、幽霊となった父と生き残った娘の心の交流を描いた作品で、庶民の原爆手記を読み込んだ作家が原爆で自分だけ生き残った後ろめたさを描いていて、心を揺さぶられた。

 戦争で自分だけ生き残った特攻隊員も同じく後ろめたさについて語っている。
 後ろめたさの心理は罪悪感のようなもので、特攻隊であれば、一緒に死ぬことになっていた特攻隊員が自分だけ生き残っては仲間に申し訳ないという気持ちなのか。

 被爆者の多くが原爆投下でそのまま死没したり、少したってから死没しているにもかかわらず自分だけなぜ助かったのかということで罪悪感を抱くということか。

 原作者が注視したのは庶民の原爆手記に綴られた後ろめたさであるが、それも、生きていたからこそであり、戦争では日本軍は集団自決、玉砕、特攻などたやすく死を求めているのはどうしてかにも着目しているのではなかろうか。

 戦争では、なんとしても生き残らなければダメだということになる。
 一人だけでも生き残って命を繋ぐということが大事になってくる
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