太平洋戦争の終結から8月で80年となるのを前に、16日、東京 世田谷区で、平和の大切さについて考えるシンポジウムが開かれ、昭和史の研究で知られるノンフィクション作家の保阪正康さんが「戦争の矛盾やごまかしに気付き次の世代に残すことが大切だ」と訴えた。とメディアが伝えている。
7月16日のNHKNEWSWEBによれば、「日本では指導者が責任を逃れようと資料を燃やしたため、戦争犠牲者の年代や学徒動員の本当の理由などが分からず、戦後処理もあいまいなままとなっている。きちんと検証し、見えるようにすることが次の世代への継承につながる」と基調講演で保坂さんが述べた。
そのうえで「この戦争が何であったのか、本質的な誤りは何だったのか、調べれば調べるほど矛盾やごまかしに気付く。それを何年かけてでも明らかにし、次の世代に隠すことは歴史的に許されないと伝えていかなければいけない。戦後80年、昭和100年という節目はそのきっかけのひとつだ」と語った。
語り継ぐ戦争で半藤一利さんと保坂正康さんを勝手ながらわが師と仰いでいる。
アジア太平洋戦争で敗北するのが分かっていながら、なかなか降参しなかったのは、日本の指導者が責任を逃れようとしていたからだ。
戦争責任についても、東京裁判でA級戦犯となったものが靖国神社に合祀されているように戦争責任の追及がなされてこなかった。
戦争の矛盾やごまかしということで取り上げるなら、加害と被害の両方の立場から検証することが欠かせない。
先般、観てきた『黒川の女たち』では。満蒙開拓に関して、A級戦犯だった岸信介元首相が深くかかわっていることが描かれていた。
黒川開拓団が満州に渡った時、中国の人たちが開拓開墾した土地を事実上取り上げたことで恨みを買い、敗色濃厚となってから、仕返しされたということを黒川開拓団の人たちは認識していた。
関東軍の男たちが現地の女性たちに酷いことをし、日本兵の服装が現地の人々に恐れられていたことも明らかにされていた。
1945年8月9日未明のソ連軍の満州侵攻で、ソ連兵による略奪、性的暴行に現地の人々も加わり、満蒙開拓団員たちは集団自決に追い込まれていく。
何とか助かる方法はないかと考えた黒川開拓団の幹部は、ソ連軍の将校たちに助けを求め、開拓団の娘たち15人が性接待、性奴隷として差し出された。その期間は2か月にも及ぶ。
梅毒や淋病、発疹チフスなどで4人の娘たちが死亡したが、開拓団は無事帰国を果たした。
満蒙開拓団だけを例にしても、開拓開墾された土地を事実上取り上げたわけで、自らの手で開拓したわけではないという加害者の面と敗色濃厚となってから関東軍に見捨てられ、略奪、性暴力から逃げ惑う被害者の面とあるわけだ。
兵站が米軍の攻撃と幹部たちの甘い見通しで、飢餓に苦しんだ兵士たちの骸で白骨街道と呼ばれたインパール作戦。餓島と呼ばれたガダルカナルの戦いなど兵士が飢えているとき、大本営の戦争指導部は仕出しの弁当を食していたと耳にしたことがある。
特攻作戦と称し、若い人を強制的に死なせておきながら、命令した側は戦後も生き永らえた事実。
とにかく、戦争になると敗戦国の女性は勝者の戦利品のような扱いを受けることになるのは会津戦争、戊辰戦争の時から全く変わっていないことは、ロシアの兵隊にウクライナの女性が性的暴行されたことが伝えられたことで証明されている。
だから、戦争はやってはいけないのだ。
2025年07月21日
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