NHK心の時代〜宗教・人生〜「人間回復の橋」を架けるが放送された。
「長島愛生園は岡山県の島にあるハンセン病療養所だ。石田雅男さんは10歳でハンセン病を患い入所した。隔離された島で長年暮らしてきた石田さんの願いは、島と本土の人々を結ぶ架け橋を造ることだった。数々の困難を乗り越えて1988年に完成した橋は「人間回復の橋」と呼ばれる。隔離の島で起きたことの記憶や橋に込めた思いを、数少ない語り部として伝え続けてきた石田さんの人生にとって“人間らしさ”とは何か伺う。」と㏋にある。
「ハンセン病 命の肖像」「1975年の沖縄愛楽園『生きた証し』写真集に」という見出しで、7月8日の読売(今村知寛記者)が夕刊でハンセン病隔離政策の中で営まれた命の響きに耳を傾けてほしいとの思いが込められている。と伝えている。
長島愛生園といえば、2024年公開された熊谷博子監督『かづゑ的』を観ているので知っている。
長島愛生園に10歳で入所し、80年間暮らした女性に8年間伴奏したこの映画でも、1988年に完成した「人間回復の橋」という呼び方はともかく島と本土を結ぶ景観として映っていた。
沖縄愛楽園といえば、名護市にあることは知っていた。
というのは、2016年6月にハンセン病国立療養所「多磨全生園」を訪れ、納骨堂前でお参りしたが、その時、園内にある資料館で日本全国にある国立療養所の所在地のことを知った。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で名護市を通った時、庁舎の建築が洒落ていて、興味はあったが、沖縄戦の犠牲者の慰霊が目的だったので、寄り道することはなかった。
国立ハンセン病療養所としては、熊本県菊池市の菊池恵楓園の収容者が死刑になり、遺族が再審請求を行っている事件で、菊池恵楓園のことも知っていた。
ハンセン病のことを意識したのは松本清張『砂の器』(新潮文庫)を原作に野村芳太郎監督、橋本忍、山田洋次脚本、加藤剛主演で映画化された作品を観て、読んでからである。
7月20日の投票日ということで参議院議員選挙が行われている最中である。
この選挙を前に、選挙期間中も全国を遊説し、集まった聴衆からの質問を受けるとマイクを渡し、れいわ新選組代表の山本太郎代表が答えるという試みが行われている。
未だかつて、こんな政治家はいなかった。
その山本太郎代表は「生きているだけで価値がある」ということを明言している。
自分が知る限り、政治家でこんなことを明言している人は山本太郎代表だけである。
現に、参議院選挙の特定枠を使って、重度の障がい者を二人も国会に送っていることで、発言が裏付けられている。
好きな作家に山本周五郎、池波正太郎、藤沢周平、そして乙川優三郎がいる。
その乙川さんがまだ時代小説を主に書いている時、本の書名というか作品のタイトルを失念してしまったが、若い人が死に、年寄りが生き残った時、年寄りが先に死ねばよかったと呟く男に赤提灯だったかの主が「命の重さはみな同じでは…」というような会話があった。
書棚で確認する時間がないので、正確さに欠ける点はお詫びするとして、忘れられない一言になっている。
国民主権から天皇主権、人権や自由は国家の前に制限されるという国家主義の独裁者の参政党がれいわ新選組をターゲットにれいわ新選組を陥れようとしているが、女性は高齢になると子どもが産めないなどと、こちらも女性の産む自由を無視し、生産性につながるようなことを発言し、女性たちから顰蹙を買っている。
そう、人間はカネがある、ない。年齢が若い、年寄り。男、女、その他など。全く人間としての価値に変わりがない。「生きているだけで価値がある」という山本太郎代表のれいわ新選組の参議院議員が増えれば、間違いなく住みよい世の中になるだろう。
ハンセン病に対する差別も、山本太郎代表のれいわ新選組なら当然、許さない。
期日前投票、投票日いずれにしても、れいわ新選組のような弱者の味方に期待するしかない。
自由のために書き続けているが、戦没者、原爆や空爆などでの死没者、犯罪被害者、公害病患者、ハンセン病患者などのことを取り上げる回数が多くなるのは、声なき声、死者の無念に耳を澄まし、代わりに発信したいと考えているからだ。
2025年07月13日
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