戦後80年の沖縄慰霊の日は足早に行ってしまったが、戦争前夜のようなきな臭さが漂い始めているから、しばらく、教訓にすべく沖縄戦に関することを書いておきたい。
沖縄戦で歩兵32聯隊第1大隊長として首里の防衛作戦にあたった元陸軍大尉の伊藤孝一さん(2020年99歳で死去)は、戦後、戦死した部下約600人の遺族に詫び状を出し、悲しみや憤りなど複雑な感情がこもった356通の返信を受け取っていた。
これを託され、遺族に返還し続ける夫婦がいる。沖縄県糸満市のジャーナリスト浜田哲二さん(62)と律子さん(60)。
沖縄で遺骨収集をしていた2016年、日本兵の身元を特定する中で、自宅を訪ねたことで縁ができた。
80年の歳月を超え、戦死者の遺族らが肉親に思いをはせる瞬間に立ち会っている。と6月19日の読売が戦後80年、昭和百年の連載で伝えている。
沖縄戦で歩兵32聯隊第1大隊長として首里の防衛作戦にあたった元陸軍大尉の伊藤孝一さんといえば、沖縄転戦の末、1000人の部下は100人になった。と2015年6月24日の読売が伝えていたその人である。
伊藤大尉は満州の関東軍から1944(昭和19)年8月に沖縄に渡った。
「軍は県民に多大な迷惑をかけた。守れなかったことは申し訳ない。ただ、軍がみな県民を迫害したように言われるが、上官だった雨宮巽師団長は、地元民に迷惑をかけまいと、民家を兵舎にせず、われわれにかやぶき小屋をつくらせた。そんなことが忘れられているのは残念である。」と日本軍にも県民を迫害せず、沖縄県民に謝罪する気持ちを持っている軍人がいたことがわかった。
浜田さん夫妻が伊藤元大隊長から託された手紙を返還する活動を始めて8年になる。
これまでに返還したのは約80通。
伊藤元大隊長は生き残ったことを恥じてはいたが、米軍と対等に戦った部下の働きを後世に伝えたいとも願っていた。
1000人の部下が100人になってしまうほどの激戦を戦った大隊長なれば、当然、部下を死なせておめおめと生き恥をさらしてはならない。
しかし、生き残ったことで、詫び状を遺族に送り、返信が届き、その返信を遺族に届けたからこそ戦没者の遺族は故人を偲んで集まることができたわけだ。
戦争では何としても生き残る必要がある。
命を繋ぐためだ。
人間の命を大切な命と思わず、命令で死なせた日本軍が敗北したのは極めて当然のことで、こんな軍隊が解体されてよかったというしかない。
2025年06月26日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/191399870
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/191399870
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック