<社説>「週のはじめに考える 沖縄戦の惨禍を伝える」と6月22日の東京新聞WEBで戦後80年の沖縄の慰霊の日を前に沖縄戦について考える機会を提供している。
要約すると、アジア太平洋戦争で、本格的な地上戦で米国との攻防戦が行われたのは沖縄だけで、かくも犠牲者が増えてしまった要因は、日本軍が本土の防波堤、時間稼ぎの持久戦に持ち込み、県民を巻き込んだことから、軍民混在で、日本軍の兵士が沖縄県民を守るどころか県民に銃口を向けたり、ガマでは泣く赤子を殺させたり、米軍に投降したり、沖縄方言が理解できないとスパイ嫌疑で殺したりした。
日本軍が沖縄県民に犯した罪を反省することなく、事実を曲げ、日本軍を礼賛し、歴史を書き換えようとする西田昌司議員やその発言を擁護した参政党の神谷議員が沖縄県民から厳しく批判されている。
このことは、現在の沖縄の実情を知り、沖縄の県民の立場を理解する政治家がいないことにも原因があるのではないか。
過去、山中貞則初代沖縄開発庁長官、小渕恵三元首相そして野中広務元官房長官は「沖縄を忘れることは第2次世界大戦を忘れること。戦争の恐ろしさを忘れないためにも沖縄のことを絶対に忘れてはいけない」
平和を次世代に引き継ぐには、沖縄戦の惨禍とその後の苦難を伝え続けなければならない。歴史の書き換えなど論外だ。と結ぶ。
わが家の本箱に石野径一郎『ひめゆりの塔』(講談社文庫)があったので読んだこと。映画化されたひめゆりの塔、1953年の今井正監督ではなく、1995年の神山征二郎監督作品を映画館で観て、今井監督作品はTVで視聴した記憶があり、結婚したとき、なぜか、沖縄に行き、南部戦跡を巡り慰霊碑などにお参りした。
不思議な縁で結ばれていたのか、後年、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で3回沖縄を訪れることになるとは想像すらしたことがなかった。
85年にお参りした時、ひめゆりの塔だけでなく、健児の塔にもお参りしたので、鉄血勤皇隊として、男子学徒も動員されたことを知った。
まだまだ沖縄戦の勉強が不十分だと認識していたが、西田昌司議員の発言が嘘であること、その嘘を礼賛した発言をした参政党の神谷議員は保守派、所謂右寄りの思想の持ち主で沖縄戦をなかったことにしようとする意図が透けて見える。
沖縄戦の勉強をすればするほど、日本軍が沖縄県民を守ろうとする姿勢がなかったことが理解できる。
敗戦後、1972年5月に米軍の統治が終わるまで、自由を奪われていたことになる沖縄県民は忍耐強い。
日米地位協定が不平等で米軍兵士が沖縄県民女性に性暴力をしても、本国に逃げ帰っていたことすらある。
現在でも、取り調べで米軍が身柄を押さえているということで、日本国憲法の法の下の平等どころか治外法権が優先され、警察も手が出せない。
普天間の移設が決まりそうでよかったと思っていたら、辺野古の海を埋め立て、新基地を作るということで、これでも、日本は独立国家といえるのか。
沖縄戦を本土でも学校教育で徹底的に学習させるべきである。
二度と戦争にまきこまれないためだ。
2025年06月22日
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