「『見るスポーツ』時代先導した長嶋さん」という見出しで6月8日の読売(編集委員片山一弘)が「広角/多角」と題するコラムで我らがヒーロー長嶋茂雄さんの追悼文を書いている。
団塊の世代の一員である自分にとって、忘れられない出来事は1959年6月25日の天覧試合で長嶋さんがサヨナラホームランを打ったことである。
この試合で世界の王さんもホームランを打っていること。長嶋さんに打たれた阪神の村山実さんが「あれはファールだ」と死ぬまで言い続けていたことも記憶にある。
あの日は、10歳の誕生日だった。
誕生日だからと言って、当時、家族が祝ってくれたかどうかなんて覚えていないが、長嶋さんが自分の誕生日にプレゼントをくれたような気がして嬉しくて今日に至るまで忘れたことはない。
長嶋さんが選手の時代は無論、監督になってからも応援していたが、監督を退任してからは松井選手と大谷選手のことが気になる存在になったくらいで、すっかり巨人を応援する気持ちは熱が醒めてしまった感覚である。
長嶋さんが病に倒れ、驚異的なリハビリで回復し、何とか表舞台に立つことができたことは佳かったが、子どもの頃からの自分のヒーローだから、なんだか気の毒で正視できなかった。
その長嶋茂雄さんの教えとして、長嶋さんがどこかの寺の偉い坊さんに教えを請うたのだろうと思っているが「想念は現象化する」ということをTVだったと思うが語っていた。
早速、自分も実践し、今では座右の銘として、いつも、心の拠り所にしている。
意味合いは、願い事があれば強く願い続け、あきらめずに努力すれば必ず実現するというような教えである。
俄かに信じがたいという向きもあるだろう。
しかし、自分にとって思い当たることがいくつかあるので、座右の銘にしているくらいで、信じたくなければ好きにすればいいだけのことである。
そういえば、「メイク ミラクル」なんてわけのわからないことを長嶋さんが発信していたことがある。
新人で巨人で打席に立った時、当時の国鉄の金田投手のボールがバットに当たらず、三振で始まったが、やがて、その金田投手からホームランを打てるようになった。
監督になったら、まるでダメで長嶋ファンだったけれど貶してしまったこともあったが、やがては日本一を達成している。
晩年は、脳梗塞だったかで倒れ、手遅れだったが、不屈の闘志でリハビリを重ね表舞台に復帰した。
人間一生佳いことが続かないことを教えてくれたのも長嶋さんだった。
「諦めたらだめだ」と努力することの大切さを教えてくれた。
昭和のヒーローが退場していくのを見て、自分たちの時代の終焉ということを考えさせられた。
2025年06月15日
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