2025年06月11日

懲役と禁錮を「拘禁刑に一本化 6月1日から

 1907(明治40)年の刑法制定以来使われてきた「懲役」と「禁錮」が廃止され、118年ぶりに新たに「拘禁刑」という刑罰に一本化され、6月1日から施行される。とメディアが伝えていた。

 「拘禁刑 処遇柔軟に」「『高齢』や『依存症』24分類」「技能習得『特別コース』」という見出しで5月29日の読売が伝えていた。
 拘禁刑は受刑者を刑事施設に拘置した上で「改善更生を図るため、必要な作業を行わせ、必要な指導を行うことができる」と規定しており、刑務作業は義務ではなくなる。

 日刊ゲンダイDIGITAL(橋裕樹/弁護士)によれば、従来、懲役は「刑務作業が義務」である一方、禁錮は「刑務作業が任意」であるとされていた。しかし、実際には、禁錮受刑者の81.8%が希望して作業に従事しており(2024年3月末時点)、処遇上の違いはほとんどなくなっていた。
 このような実態との乖離を是正し、処遇の柔軟性を高める目的で導入されたのが拘禁刑である。
 刑務作業に加えて教育、就労支援、薬物や性犯罪の依存症治療など、受刑者に応じた多様なプログラムを組み合わせることが可能になり、受刑者に応じた処遇が可能になることで、再犯防止や円滑な社会復帰につながると期待されている。


 語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援も訴えてきた。
 罪を犯し、裁判で刑罰が決められ、受刑者となった人が更生すれば、犯罪が減ることで、究極の犯罪被害者支援になっていくと考えてきた。
 再犯者が減れば、間違いなく犯罪被害者は減っていくはずだが、残念ながら、更生など全くできない人たちがいることもまた事実であり、性犯罪者がこの範疇に入る。
 性犯罪者と言えども、更生できる人がいないわけではないことは言を俟たない。

 米国のシンシン刑務所で行われている収監者更生プログラムの舞台演劇に取り組む受刑者。演劇のリーダー格で、無実の罪で収監された男と収監者たちとの友情を描いた実話を基に映画化した『シンシン SING SING』を5月に観ている。

 収監者の更生プログラムの演劇が更生に大いに役立ちそうだとは思ったが、終身刑と有期刑では更生への取り組みも異なるであろうし、出所できるなら、出てすぐにカネが要るから、懲役というか、収監されている時、労働して、カネが少しでもあった方が役立つような気がする。

 先般、6月に観てきたフランス映画『秋が来るとき』では80歳の女性の親友の息子が刑務所から出てきたとき、経済的に余裕があったのかヒロインの女性は自宅の庭の手入れなどのアルバイトをしてもらうことで、彼の生活費の足しになるように支援していた。
 彼が店を開くときは資金を援助してもいた。
 そう、出所者には、家庭と仕事が必須で、それがあれば更生は可能であるとはよく指摘されることである。

 毎日、発信しているのは「自由のために」であるから、自由を奪われる収監は最も嫌いなことなので経験してみようとは間違っても思わない。

 懲役と禁錮刑が拘禁刑に一本化され、6月1日から施行されても、自分には関係ないと思う向きも少なくないかもしれない。
 ところが、どっこいそんなこと誰の身の上にも言えることではないのである。

 痴漢犯罪が多いとされている埼京線に限らず、電車に乗っていれば痴漢犯罪に間違えられて捕まる無実の人の話をよく耳にするし、高齢になって働けず、年金が少なければ、万引きで捕まったというニュースが流れている。
 家族の介護に疲弊し、心を病んでしまった人が被介護者を手にかけてしまった話などいくらでもある。
 若い女性が妊娠してしまい、カネがなくて中絶できず、生まれた子どもを育てられず、熊本の慈恵院は遠すぎてということで、遺棄してしまうというニュースもよく流れている。
 現在は、東京にも赤ちゃんポストができているがまだ知名度は低い。
 大麻や覚せい剤、闇バイトと犯罪に巻き込まれそうな危ないものが身近にある。

 他人事ではない、紙一重であることを認識すべきである。
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