2025年06月01日

苦しみ60年「人生を返して」新潟水俣病

 四大公害病の一つ、「新潟水俣病」の公式確認から31日で60年となる。手足のしびれなど症状に苦しむ患者はいまだ多く、行政の認定を受けられず、国や原因企業を相手取って損害賠償請求を続ける人もいる。「新潟水俣病はまだ終わっていない」関係者はそう口をそろえる。と5月31日の読売(家田晃成記者)が伝えている。

 「私の人生を返してください」と取材に応じて震える手で悲痛な思いを紙に記したのは胎児性水俣病患者で新潟市の古山知恵子さん(60)。

 1965年3月、漁師の家に長女として生まれた。生後11か月が過ぎても首が据わらず、声もほとんど出ない。病院で脳性麻痺と診断されたが、5歳の誕生日を前に水俣病の認定を受けた。
 原因は母親が丈夫な子を産もうと妊娠中に食べた阿賀野川の魚だった。
 養護学校を卒業後、実家から障がい者向けの作業所に通い、リハビリを続けてきた。だが、日常生活を支えてくれた母親が高齢になり、現在は障がい者施設で暮らす。移動は車いす。誰かの介助がなければ自由に外出できない。人とのコミュニケーションも筆談に頼る。

 
 水俣病の原因企業がチッソなら、第二水俣病とも呼ばれる新潟水俣病の原因企業は昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)である。
 水俣病の原因企業としてのチッソと昭和電工の悪名は歴史に刻まれ、未来永劫語り継がれていくことになるだろう。
 反日反社の統一教会が名前を変えてもカルト教団としての悪名は未来永劫語り継がれていくのと同じことである。
 ただし、チッソと昭和電工が汚名を返上し、名誉を挽回するチャンスは神様が与えてくれている。
 有機水銀を何ら処理せず工場廃液として流し、水俣病患者を生み、苦しみを与え、「人生を返して」とまで訴えられている事実を消すことなどできるわけがない。
 やってしまったことは取り消す、リセットするなんてことはできないが、それでも、患者たちとどう向き合うかで汚名を返上し、会社の名誉を挽回できるかが問われる。
 水俣病患者が公式確認されてから、熊本水俣病は69年、新潟水俣病は60年になるが、今日まで、患者たちに原因企業として誠実に向き合ってきたかであるが、とても、誠実だとは認めがたい。

 水俣病を生み出した原因企業と言っても、働いているのは人間である。
 水俣病患者、特に生まれてから重き荷物を背負わされている胎児性水俣病患者に対して、同じ人間として、贖罪の気持ちを抱くのが普通だと思うが、やがて、人生の終末がやってきたとき、恥ずかしくない生き方をしてきたと言えるだろうか。
 今からでも遅くはない。
 チッソと昭和電工で働く人たちは、国や県に働きかけ、患者としての苦しみ、痛みを訴えても患者だとは認められないことに対し、一日も早く認定するように尽力するべきだ。

 「家庭教師のトライ」が水俣病は遺伝するなどと事実とは全く異なることを教材で発信していた。
 家庭教師というなら、勉強ができる方だろうが、水俣病が有機水銀中毒だから、遺伝するわけがないことくらい知らないなら、とても教師とは言い難い。

 罪もない人々をこれほどまでに苦しめておきながら、患者に寄り添おうとしてこなかったとするなら、軽蔑されるだけだ。
posted by 遥か at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題・公害問題
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