ロシアは24日夜から25日にかけて、ウクライナ首都にドローン(無人機)298機とミサイル69発を発射した。ロシアの夜間空襲空爆攻撃としては、2022年にプーチン大統領がウクライナへの全面侵攻を開始して以来、3年以上で最大規模。12人が犠牲となった。とNHKなどメディアが伝えている。
1945年5月25日から26日、現在の渋谷区や新宿などが甚大な被害を受けた「山の手空襲」から、80年だとメディアが伝えている。
5月25日、26日の読売が当時のことを語り継げる人が少なくなる中、空襲に遭った人たちの証言を伝えている。
「赤い空『怖い思いはっきり』」「渋谷で遭遇 北形サン・西沢さん」「変わる街 記憶も遠く」、「猛火の中非難証言つづる」「95歳中村さん『若い世代に』」という見出しでの証言は体験した人ならではだ。
驚いたのは3歳で空襲を体験したという俳優石坂浩二さんの証言だ。
著名人だから、どうしたって関心がある。
「我々世代も含めて、戦争や空襲を知る世代が減って、いずれ知る人がいなくなってしまう。それがとても心配です。予期できない天災と違って戦争は防ぐことができます。戦争をしないようにする努力をしましょうと空襲体験者として伝えたい」と語っている。
東京大空襲といえば、先日、城北地区と山の手の中野区のことを取り上げたときに書いたことだが、隅田、江東などの下町の空襲空爆がよく知られているが、山の手空襲や城北空襲などでも犠牲者が多数でている。
空襲空爆といえば、貴重な航空機を特攻に使い、爆撃機を迎撃し、本土を守る、市民を守ろうとする気持ちが日本軍になかったから焦土と化してしまったのではないか。
特攻で無駄死にともいうべき艦艇への突撃をさせられた特攻隊員だって、本土を守る、自分の家族や市民を守るためなら喜んで迎撃に向かってくれたはずである。
空襲空爆の最たるものが原爆なら、なぜ、東京に原爆が投下されなかったのか考えてみた。
ネットその他によれば、原爆は米国にとって被害状況をチェックするためだったということで、東京は3月から5月にかけての空襲、空爆で原爆を落とす意味がないほど焦土と化していたからだという説がある。
ロシアのウクライナへの侵略戦争で分かったことは、ドローン攻撃が空襲、空爆の主流になりつつあるということだ。
独立国家としての矜持を捨て、米国の植民地であることに何ら疑問を抱かず、米国の代理戦争をさせられてもかまわないというのが自民党など保守派の人たちの考え方だということが明らかになっている。
このままでは、中国、北朝鮮、ロシアと日本を取り巻く米国の敵国との戦争に加担させられることは間違いない。
東京大空襲、空爆のことを思えば、木造家屋ばかりで焼け野原になってしまう東京のことを考えれば戦争などに巻き込まれないようにしていかなければ、日本の未来はない。
東京大空襲、空爆のことをいつでも話題にできるようにしておくことが重要である。
2025年05月28日
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