2025年05月26日

破綻の航跡 暁の宇品

 破綻の航跡 “暁の宇品” 陸軍船舶部隊の戦争をNHKが放送し、ゲストが『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』の著者堀川惠子さんだったというので書いておく。

 「暁部隊の礎を築いた司令官、田尻昌次。世界を驚かせた上陸用舟艇の開発を指揮。秘話を新史料で明らかに▼しかし、海上輸送にはある弱点が。田尻は参謀本部に意見具申するも軍を追われた▼後任の司令官、佐伯文郎。太平洋戦争開戦時、南方輸送に成功するが、苦悩を深めていく。軍中枢は船の損失を甘く算定▼戦争末期、爆雷を積む特攻艇が開発され、多くの兵士を見送った佐伯。広島への原爆投下直後、上陸用舟艇で異例の行動に出る」と㏋にある。


 後期高齢者になる前から、耳鳴り、難聴に悩まされるようになり、TVは音量を40の上だったかくらいにしないとよく聞き取れないので字幕というかテロップがあると助かる。ということで㏋の内容を紹介している。

 語り継ぐ戦争だから、召集されてスマトラ島に派兵された父親のことを調べようと厚生労働省に問い合わせした時、宇品港に引き揚げてきたことが書いてあった。
 宇品港から広島駅を経て列車は東京に向かったのであろう。だとすると父親は原爆の惨禍を目撃しているはずだ。
 わが家に原爆の写真集があったのは、被爆地の惨状を父親が見たからだったのかと納得したのだ。

 語り継ぐ戦争で自分なりに勉強してきたが、宇品港のことをその時まで全く知らなかったから、調べたら、瀬戸内海の海軍兵学校があった江田島に近いところにあった軍港だったということがわかった。

 宇品に詳しい堀川惠子さんのことは、親しい女性から紹介してもらった『教誨師』(講談社文庫)の著者であったことで初めて知った。語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援を訴えてきた立場から、この本で死刑囚の心情を知ることができたので著者に大いに興味関心を持つようになった。

 読売の日曜日の書評を堀川さんが担当していた時も、興味関心がある本を取り上げていたし、『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』を刊行されたとき、読売が取り上げてくれたので初めて暁の宇品のことを知ることができた。
 そのとき、陸軍船舶部隊暁部隊の礎を築いたのが初代司令官田尻昌次で、佐伯文郎が後任となったとき、ヒロシマに原爆が投下され、佐伯が暁部隊を動かし被爆者の救援復興活動をしたことを堀川さんに教えてもらった。

 堀川惠子さんといえば、平和記念公園にある原爆供養塔で原爆の犠牲者の供養と塚の清掃を続けた被爆者佐伯敏子さんのことを紹介した『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』」の著者だったことを知った時は驚いた。

 被爆地ヒロシマといえば、2度お参りに行っている。原爆ドームと平和記念公園内にある慰霊碑が有名であるが、原爆供養塔にお参りする人は少なかった。

 原爆供養塔の下には被爆者多数が眠っているということが知られていないのだろうか。

 兵站を担った陸軍船舶部隊暁部隊が戦争で果たした役割は大きく、物資を運ぶ輸送船が米軍に沈められてしまうと南方の島で戦っている兵隊は飢餓に苦しみ飢え死にしてしまう。
 
 暁部隊で忘れてならないのは、マルレと呼ばれる全長約5.6mのベニヤ製の小型ボートで、船尾に爆雷を積み、敵艦に突っ込む特攻。特攻を命じられた少年兵たちがいたことである。
 米軍の原爆投下で彼らも被爆者になってしまうのだ。

 こうしてみると、広島が米軍の原爆攻撃をうけたのは軍都だったからなのかもしれない。

 犠牲者のことを考えれば、戦争は何としても避けるように普段から外交努力することが欠かせない。
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