語り継ぐ戦争だから、戦後80年ということでメディアの取り上げる回数も例年より断然多い。
アジア太平洋戦争は別名、昭和の戦争とも呼ばれるが、その昭和が100年の2025年は生活道具に美の価値を見出した柳宗悦が提唱した民芸100年でもある。
5月13日の読売(生活部 金来ひろみ)がニュースの門で「暮らしを彩る 手仕事の美 民芸『100年』」というタイトルで、民芸を取り上げていた。
柳宗悦らによって「民芸」という言葉が生まれたのは1925年のことだった。1934年に日本民芸協会設立、1936年日本民芸館設立。70年大阪万博でパピリオン「日本民芸館」(現大阪日本民芸館)、1990年代ビームスが民芸の取り扱いを始めるという歴史を刻む。
民芸は今、おしゃれでモダンな暮らしの道具として若い世代の注目を集める。
1970年代の国鉄(当時)のディスカバー・ジャパンで地方への旅行で手工芸品を買い求めるのが流行って以来のことになる。
民芸人気の中、産地は作り手不足、原材料の調達などの課題を抱えている。
例として、江戸時代に作られ始めた栃木県鹿沼市の鹿沼箒があげられている。
記者は小鹿田焼の皿を愛用するそうな。
民芸運動といえば、柳宗悦は無論のこと、陶芸家の河井寛次郎や浜田庄司の名前がすぐに頭に浮かぶくらいよく知られている。
昨日、書いたナイロン釣り糸が海中で分解する話で、わが家の土蔵を解体した時、お宝の一つや二つくらいないかなと期待したが、アンテイックの品物を集める業者を喜ばせただけで終わった。
欲しい人から見れば、食器や衣類など古いものばかりだから何かしらあったにちがいない。
1970年代の国鉄がディスカバージャパンのキャンペーンをしていた時、自分も北海道や東北を旅して手工芸品を買い求める旅の楽しさに目覚めた。
買い求めたのは津軽こぎん刺しの小物、津軽塗の下駄などである。
興味、関心があったのは陶芸作品で、後年、益子で修業したという陶芸家の教室に通ったことで、益子の陶器市に車で行ったことがあり、陶器を買い求めたことがある。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では、訪れた土地の陶器、茶わんやぐい飲みなどを買い求めて土産にしてきた。
そういえば、土蔵を解体した時、祖父が愛用していたという釣り竿があったので手許にとってあるが、戦前の品物として、80年は経っているので職人の手工芸品になるのではないか。
探せば、民芸品はわが家にもありそうな気がする。
手工芸品に価値を見出すのは自分も同じである。
2025年05月24日
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