ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下から今夏で80年を迎える。被爆地にゆかりがある著名人にこれまでの経験や平和への思いを聞いた。と読売(美根京子記者)が伝える5月18日、登場したのはやはり美輪明宏さんだ。
美輪明宏さんの被爆経験は以前、読売が取り上げた時に書いた記憶があるが、書かずにはいられない。
爆心地から3・6キロの自宅で被爆した時10歳であった。
少年が目撃した被爆地ナガサキの惨禍はまさに地獄の有り様だったことを詳しく証言している。
被爆者としての経験は、「私の根っこにあるんです」と紹介される活動の範囲は俳優、歌い手にとどまらず、映画『祈り―幻に長崎を想う刻―』(2021年公開)では浦上天主堂の被爆マリア像の声を、被爆者救護にあたった看護学生を描いた『長崎―閃光の影で―』では語りを担当している。
原爆投下後、45年末までにヒロシマで約14万人。ナガサキで約7万人の計約21万人が死亡したとされる。
生き延びた人たちもがんや白血病、甲状腺障害といった原爆症の症状に苦しんだ。
厚生労働省によれば、国内の被爆者健康手帳を持つ人は2024年3月末時点で10万6825人で、平均年齢は85歳を超えている。
美輪明宏さんは団塊の世代の一員である自分からみても人生の大先輩である。
ナガサキでの著名人の被爆者としては美輪さんの名前はすぐに浮かぶほどであるが、俳優として、歌い手としてだけでなく幅広い分野で活躍されてきた根っこには被爆経験がある由。
被爆地ナガサキといえば、江戸時代1637年、天草四郎をリーダーとして起きた島原の乱と1990年11月から発生した雲仙普賢岳の噴火で1991年6月には火砕流が発生したことが頭に浮かぶ。
島原は長崎というよりも、県名では熊本になるだろうが、島原の乱がキリシタン弾圧と過酷な年貢の取り立てに耐えかねた長崎、熊本の隠れキリシタンと呼ばれた人たちによって起こされたことはまちがいない。
為政者があまりにも酷いことをしたから、弾圧され、殺された人々の怨念が300年後のナガサキの街を火の海にしたような気がしてならない。
単なる偶然で、原爆投下したのは米軍だから関係ないでしょ。という向きもあるかもしれない。
2009年8月にナガサキを訪れた時、浦上天主堂は生憎、休館日だった。
その時、キリスト教の浦上天主堂がありながら、キリスト教徒が多い米国がなぜ、長崎に原爆を落としたのだろうかと考えさせられた。
長崎のキリスト教徒は江戸時代と300年後の1945年と弾圧と被爆という酷い目に遭ったのは何故かと考えた結果、上述のような考えが頭を過った。
というのも、美輪さんが天草四郎の生まれ変わりであるというようなことをおっしゃっていた記憶があることも影響しているのではないか。
被爆して、90歳まで生きられたのは、生かされたからに違いなく、そうだとすれば、あながち天草四郎の島原の乱も無関係ではないような気もする。
それほど美輪明宏さんは神秘的というか、不思議な魅力があるひとだ。
説得力のある美輪さんだからこそ、被爆の惨状を語り継いでいただきたい。
2025年05月21日
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