2025年05月11日

母の丸くなった背中、母の曲がった腰

 今日は母の日ということで、母親のことを書いておく。

 東京メトロ南北線の東大前駅で学生を刺し殺そうとした容疑者(43)が「親から教育虐待を受け、不登校になり苦労した。 東大を目指す教育熱心な親たちに度が過ぎると、私のように罪を犯すことを世間に示したかった」と供述しているとメディアが伝えている。
 まあ、一言でいうなら、何をやってもうまくいかない人生は親(母親)のせいだということか。


 母といえば、自分の母親と連れ合いの母親の二人いた。
 過去形になってしまうのは、連れ合いの母親は2012(平成24)年の暮れ、自分の母親は2015(平成27)年8月下旬にそれぞれ旅立っているからだ。
 大正15年生まれのわが母親は、自分の父親である配偶者が病死した時、まだ38歳だったから、その後、50年母子で生きたことになる。
 
 連れ合いの母親は、昭和2年生まれで、48歳の時、わが連れ合いの父親である配偶者が病死している。
 わが母親は旧家に生まれたが、自分の父親と結婚したため、畑を手伝わされ、後年になって腰が曲がってしまった。
 二人は今でいうシングルマザーということになるが、住む家と退職金を残してくれたわが父親のお陰で、母がパートで働きにはでてくれたが、普通の暮らしができたわが母と3人姉弟。

 連れ合いの母親は上越の妙高の農家に生まれ育ち、同じ村出身の配偶者と結婚し、生活していくために東京に出てきた。
 田舎から二人で出て来て、頑張って働き、持ち家を買い求めはしたものの病死してしまった連れ合いの父親。ために、残された連れ合いの母親は3人姉弟とともに苦労、苦労の連続で、後年、背中が丸くなっていた。
 近年、その母親の背中に連れ合いの双子の姉の後ろ姿が瓜二つだということに気づいた。
 少し前のある日のこと。
 いつものようにYouTubeを視ていたら、吉幾三が「母さんへ」を島津亜矢と一緒に歌っていた。
 「旅先の降り立った駅で、母親の背中によく似た人が」と歌っているではないか。
 亡くなった連れ合いの母親の丸くなった背中を思い出してしまったというわけ。

 わが母親が自分の幸せを考えず、子どもたちの行く末を考えてくれたことに恩義というより、借りができたような気がして、学生運動にも参加せず、家庭のことを第一に考えて生きてきた。

 東大前駅で殺傷事件を起こした43歳の容疑者は、不登校になったのを親のせいだ、何もかも上手くいかないことも親のせいだと言っているらしい。
 43歳にもなって自分の人生が上手くいかなかったのは親のせいだと言っている息子を見て、この男の母親はどんな心持でいるだろうかと気になった。
 どんな理由があろうと他人を殺傷してよかろうはずはなく、自分の人生を親のせいにされたのでは親としてさぞやりきれないだろうと推察した。

 後期高齢者になって、先に旅立った二人の母親の曲がった腰、丸くなってしまった背中を思い出し、母親の有難みを母の日に感謝せずにはいられない。 
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