東京大空襲から80年。空襲の体験者が高齢化する中、記憶の継承に向けた取り組みが急務となっている。
しかし、行政による取り組みは十分とは言えない。と3月29日の読売(青木聡志記者)が伝えていた。
3月8日、東京空襲犠牲者遺族会などは、都内の空襲で犠牲となった441人分の氏名や年齢を印字したタペストリーを公開した。
遺骨が残っていない犠牲者も多く、遺族から「せめて名前を公開することで、生きた証しを残したい」と要望を受けて制作したという。
都も遺族らの申告に基づいて犠牲者の氏名や死亡場所などをまとめた「東京空襲犠牲者名簿を作成しており、2024年12月末時点で名簿登載者は8万1583人に上る。東京都の慰霊堂に納めているだけで公開はしていない。
先の大戦の犠牲者を巡り、沖縄県は「平和の礎」に敵味方なく全戦没者の名前を刻む。
広島市の「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」でも、遺族の承諾を得て2万人以上の氏名や写真を公開している。
都が1994年に建設計画を発表した「平和祈念館(仮称)は空襲資料の展示方法を巡って都議会の意見が割れ、計画が凍結されたままである。
祈念館で上映予定だった空襲体験者330人の証言映像は収録から約30年を経て、一部の公開が始まった。
2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻、侵略し、戦後70年余の平和な時を享受していた日本人に衝撃を与えた。
語り継ぐ戦争だから、アジア太平洋戦争をメインに戦争を検証してきた自分が強烈なカウンターパンチを見舞われたのは、空爆とミサイルなどで破壊されたウクライナの街の様子である。
もともと、スターリンのソビエト連邦に力づくで組み込まれていたウクライナは、核攻撃に対するシェルター、建物は頑丈な鉄筋コンクリート製と戦争への防備がなされていたように見受けられた。
それでも、街は滅茶苦茶に破壊されてしまった。
もし、日本が北朝鮮や中国、ロシアから侵略され、ミサイルが撃ち込まれたらと考えただけで怖ろしくなってしまったのは、大都会東京では爆弾のシェルターと呼べるのは地下街と地下鉄くらいで、住宅はマンションなどの集合住宅を除けば、木造建築が主流であるから、火災が発生すれば、たちまち廃墟になってしまいそうだと気づいたのである。
ウクライナだけでなく、イスラエルが狂ったようにパレスチナのガザ地区を滅茶苦茶に破壊し続けている様子をTVで視て同様の恐怖を抱いた。
だから、日本が戦争に巻き込まれてはならないわけだ。
さて、1994年の平和祈念館(仮称)建設計画が未だに実現しないのは、施設の建設に反対する勢力があるからで、彼らには戦争に反対する考えがないに違いない。
沖縄の「平和の礎」、広島の「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」共に、語り継ぐ戦争だから訪れているが、大都会東京に関東大震災の犠牲者と同居の東京都の慰霊堂くらいしかないのは納得できない。
新宿に「平和記念展示資料館」があって、シベリア抑留などについて勉強できるようにはなっている。
東京大空襲犠牲者への追悼施設があって当たり前だ。
何回となく発信しているが、戦争で犠牲となった人々の名前を刻む、明らかにし、生きた証しを残すことは、再び、戦争の惨禍を起こさせないためにも重要なことである。
2025年04月15日
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