2025年04月12日

『35年目のラブレター』

 月に一度の映画館行き、4月は塚本連平監督、笑福亭鶴瓶主演『35年目のラブレター』を観てきた。

 古都奈良の街を舞台に、貧しい家庭で育ち、学校に通えなかったことから読み書きが不自由な男性が自分を支えてくれた連れ合いへの感謝の気持ちを込めたラブレターを渡したいと結婚生活35年、60代半ばから夜間中学に通い、約束のラブレターを渡せるまでに読み書きができるようになる。西畑保さんの実話を基にした心温まる作品である。

 
 語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援などを訴え、発信してきた立場から、読書家には遠く及ばないがそれなりの書物をを買い求めて読んできたし、池波正太郎さんのようなシネマディクトと呼ばれる人たちにも遠く及ばないが、月に一度は映画館に行き、ドキュメンタリー作品などを観て勉強させてもらっている。
 さらに、仕事などで経験してきたことをプラスして、振り返ってみれば、読み書きが不自由だと想像を絶する辛さがあるだろうと推察する。

 読み書きが不自由な人など学びたい人が学べる夜間中学のことを描いた1993年公開の山田洋次監督の『学校』を観て、中高年まで読み書きができない男性が一念発起して、夜間中学に通い、読み書きをマスターしようとする姿勢に心を激しく揺さぶられた。

 今、文科省の学校教育がいじめなどで崩壊し、不登校の児童生徒が23年度で全国で34万人だと伝えられている。
 学校に行かないで、勉強もしなければ、読み書きに不自由することはわかりきったことである。
 だから、夜間中学などの必然性が高まってくるのだ。
 
 しかし、普段の生活で、身近にいる人が仮に読み書きが不自由であっても隠しているから、不自由な人の存在すら忘れられているに違いない。

 読み書きが不自由であることを告白してくれた女性とおつきあいがあった。
 彼女は結婚しているので、連れ合いが彼女の手になり、病院や役所など、文字を読んだり、書いたりする場所には連れ合いに同行してもらって書いてもらっているが、つらそうな表情で告白してくれた。

 もう一人は、糖尿病で目が不自由だからということで、同行して必要事項を代筆したが、目が不自由だというのは事実であることは間違いないが、信州の田舎で貧しい家庭に育ったという出自から、学校に行かれなかったこともまた耳にしていたから、自分の名前はともかく、読み書きに不自由だった可能性が高い。

 まあ、相手の嫌がることはしない、聞かない。というのが自分の生き方だから、詳しいことを尋ねたことなどあるわけもない。

 毎日、短文というには結構長い文章になっているが、書くことがストレスの解消でもある自分から見て、読めない、書けないということは想像を絶する。
 小学生の時から、購読していた読売の「人生案内」を読んでいたくらいで、学校の勉強では大したことがなかったが、国語辞典や百科事典が大好きだったくらいだから、読み書きは好きだった。

 映画では「辛」という文字と「幸」という文字の違いのことを感動的に取り上げていたが、夜間中学で学ぶということは素晴らしいことである。

 因みに、学生時代全共闘運動で学校が休みのことが多かったが、卒業はさせてもらっている自分は退職後、通教で学び、卒論を書いて卒業していることを誇りに思っていたが、上には上がいて、歌い手のビッグネーム松田聖子さんは自分の後輩であるが、彼女は高卒でありながら見事、通教を卒業しているのだ。

 人間やる気になればできるのだ。
 読み書きができないことは恥でもなんでもない。いくつになっても勉強すればいいだけのことである。

 この映画を観ることをお薦めしたい。
posted by 遥か at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育
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