富山市の神通川流域で発生し、日本の公害病第1号に認定されたイタイイタイ病。2024年夏、富山市の中坪キミ子さんが93歳で死去し、生存患者がいなくなった。発症する可能性のある「要観察者」も2025年3月、死去に伴い0人となった。
被害の風化を防ぐため、キミ子さんの遺族は語り部として活動すると決意。キミ子さんが痛みに耐え、前向きに暮らしたことを語り継ぐつもりだ。と3月30日の読売(岸本健太郎記者)が伝えている。
語り部として取材に実名で応じたのは、長女の連れ合いで、キミ子さんの養子でもある勇成さん(74)。
キミ子さんは1930年に神通川流域の農村で生まれた。幼い頃から実家の農業を手伝い、近くで収穫された米を食べて育った。喉が渇くと神通川から流れ込む用水路の水を飲んでいたそうな。
40歳ころから、膝や足首などに痛みを感じ始めた。50歳頃には痛みのため農作業ができなくなった。70歳を過ぎた頃からは就寝中も全身の痛みで目覚めるようになり、「2時間おきに目が覚める」と嘆きの声を聞くこともあった。2021年、要観察者に、2022年患者として認定された。
これまでに認定された患者は201人に上る。
イタイイタイ病の前段階とされるカドミウム腎症の患者は新たに見つかっているが、人々の関心は薄れている。
40代早々、3か月入院し炎症性腸疾患クローン病だと診断された。3か月間ほぼ絶飲食ということで、体重が20`くらい減量しただけでなく、退院後、今から思えば相当ハードな食事制限を余儀なくされた。
それでも、まだ40代は気力も体力もあり、病気を受容してしまえば何とか耐えられた。
ところが、古希を過ぎ、後期高齢者になる頃には目、耳、歯、腰、膝とガタが来て、さらに、コロナ渦と精神的にも急激に衰え、ほぼ、うつ状態だったこともある。痛みにも弱くなったし、耐える力も衰えている。
というような身の上だから、体の不調に悩む人のことが他人事とはとても思えない。
しかも、その不調の原因が化学物質によるものだとなれば、知らん顔できない。
化学物質が原因となれば、公害や薬害となるが、公害といえば、まず水俣病に関心が向き、2017年の6月に水俣に行き、犠牲となった患者の慰霊碑にお参りしてきた。
次いで、イタイイタイ病にも目が向き、日々書いている中で、発信してきたし、富山にある資料館に行くつもりであったが、生憎のコロナ渦で行かれなくなってしまった。
心身の衰えは隠しようもないが、ようやく見つけた口腔外科で歯茎の治療を受けることができてから、少しずつ、体調も上向きになってきたので、2025年こそ、富山に行きたいと念じている。
熊本、新潟と二つの水俣病、イタイイタイ病、そして四日市ぜんそくの四大公害病、アスベスト、カネミ油症の患者の苦しみ、つらさはなったものでなければ分からないだろうが、病気や体の不調を経験すると、そのつらさを想像することくらいはできる。
特に、痛いのは勘弁である。思考力が全くなくなってしまうし、やがては、精神的にうつ状態になり、死にたくなってしまうからだ。
病名にイタイイタイ病とついているくらいだから、その痛みは半端ないにちがいない。
しかも、化学物質カドミウムで腎臓がやられてしまうとなれば、もしかして人工透析ということもあるかもしれない。
親しかった友人が2024年3月から月水金と週3回人工透析を受けるようになって、話を聞くだけでも大変そうだ。
公害病が起きないように、被害を語り継いでいくことは極めて重要なことである。
2025年03月31日
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