暑さ、寒さも彼岸までという言い伝えがあったはずだが、三寒四温というのか、花冷えというのか桜が咲いたという便りが届いているにしては寒暖の差が大きすぎる春3月末。
卒業、進学、進級そして就職と旅立ちと出発の時、「無縁遺体 推計4万2000人、23年度死亡者全体の2.7%」「小中高生自殺 最多529人 2024年確定値 女子が男子上回る」という見出しで3月28日の読売が朝刊と夕刊で伝えている。
生まれた以上、いつの日にかやってくる死というゴールに向かって生きることになっている私たち。
一般的には親がいるから子どもが生まれるということで、そこに家族、家庭があるはずである。
しかし、いろいろな事情を抱えて生きているのが私たちなれば、家族、家庭のつながりが切れてしまっても生きていかなければならない。
NHKが「無縁社会」を放送したのが2009年のことだったらしいが、「無縁社会」というタイトルから「無縁」という言葉が独り歩きするほど時代にピッタリはまったのか、よく耳にするようになった。
一方で、気の毒なのは小中高生で自死を選択した児童生徒たちである。
人生なんてこれからだというスタートラインに立つか立たないうちに迎えが来ていないにもかかわらず死に急いでしまった。
世の中には、病気や事故あるいは障がいと闘いながら懸命に生きている人だって少なくないにもかかわらずである。
死を選択する前に、力になってやれる、話を聞いてやれる大人が身近にいなかった不幸を恨む。
死んだらお仕舞で、生きていれば必ず佳いことの一つや二つはあるものだ。
生きていくのは決して楽なことではないが、自分で生きることをあきらめてはならない。
何故なら、人は生まれた以上、必ず死ぬことになっているからで、その時が来れば、嫌でも旅立たされてしまうからだ。
さて、無縁遺体と小中高生の自殺は一見関係がないように思う向きもあるかもしれない。
ところが、そこには目に見えない何か共通項があるように思えてならない。
隠れているのは、家族、家庭というもので、家族、家庭がうまく機能しなくなったのではないか。
小中高生の場合、死にたくなったとして、教員が頼れず、友達に相談しても、智慧などあるはずもない。肝心な親が頼りにならなければ、もう救いを求める相手がいない。
無縁遺体と一言で括れないのは、昔から言うところの行き倒れ、公的に表現するなら行旅死亡が一般的であるが、近年は単身世帯者が増加し、独居の高齢者が亡くなり、係累がなければ、無縁遺体として自治体が対処することになっている。
家族、家庭を構築できなかったり、伴侶や同居人との別離などで独居を選択せざるを得なかった場合、ビジネスで対応してくれるところも出てきているが、そんなカネはないとなれば、独居で死ねば、自治体が無縁遺体として対応せざるをえない。
家族の形も様々な現代、自分の子どもだって頼れなくなっている。無縁遺体は総務省の調査で18年4月〜21年10月で約10万6000人に上ったことが判明。読売の調査では過去5年間で3割増えたことがわかっている。
小中高生の自殺を防止するには誰が何といっても、孤立させないことで、居場所、相談相手、話を聞いてやれる大人が身近にいることが欠かせない。
小中高生は国の宝である。
自死を選ばなくともやっていける社会にしていかなければならない。
2025年03月30日
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