2025年03月14日

アッツ島遺骨収集 日米が覚書 遺族期待

 太平洋戦争で旧日本軍部隊がほぼ全滅した北太平洋アッツ島の遺骨収集に向け、日米両政府が「協力覚書」を取り交わしたことが2月14日、厚生労働省などへの取材で分かった。とメディアが伝えている。

 2月14日の産経新聞のWEBによれば、同省によると、国の正式な収集事業は1953年に318柱を収容して以降、実施されていない。島は環境保護区に指定されているため、米側からは当面、環境影響評価など遺骨発掘の事前準備に支援を得る。

 覚書を交わしたのは2024年11月。厚労省は今夏にも、米側に提出する環境影響評価プランの策定に向けた調査に着手する。現地は気候条件が厳しく、上陸は夏場に限られるため、調査終了には3年程度かかる見通し。

 発掘作業に必要なインフラ整備に関しても調整を進め、米側からは物資や人的な支援を受けたい考え。

 島では2024年8月、厚労省職員や遺族会関係者が島内の道路状況などを調べるため現地入りした際、推定2柱の遺骨が収容された。

 アッツ島では43年5月の激戦で旧日本軍の部隊約2600人が亡くなった。大本営が「玉砕」という言葉を初めて使ったことでも知られる。

 語り継ぐ戦争に力を入れてきた読売も、3月4日の夕刊で「戦後80年 昭和百年」という連載で、アッツ島守備隊長山崎保代大佐の孫でアッツ島遺族会会長の山崎信之さんの遺族の思いを伝えている。

 厚労省によると、海外(沖縄、硫黄島を含む)での戦没者は約240万人で、2024年末時点で112万3000柱が未帰還だ。特に、中国東北部(未収容20万6000柱)や過去に収集した遺骨が日本人以外の可能性があることが判明したフィリピン(同36万9000柱)などで進んでいない。
 2011年度に1411柱だった収容数はコロナ渦で激減し、23年度は139柱まで落ち込んだ。
 遺骨収集の集中実施期間を24年度から29年度まで国は延長している。

 各地の遺骨収集状況2024年12月現在厚労省による
 旧ソ連(モンゴル含む)3万3040柱のうち、2万1960柱、中国東北部20万6070、3万9330、北朝鮮2万1600、1万3000、アリューシャン(樺太、千島列島含む)2万2590,1810、硫黄島1万1190,1万710、フィリピン36万9470、14万8530、沖縄500,18万7640、東部ニューギニア7万6180,5万1420、ビスマーク・ソロモン諸島5万7740,6万960、中部太平洋17万2760,7万4240


 山崎保代大佐の息子、信之さんの父親が53年の遺骨収集に同行した際、守備隊長山崎保代大佐が戦死した場所とされる地点で、本人と思われる遺骨を見つけたが、部下たちを置いて、連れて帰れないと埋め戻したと聞いている信之さんの思いは一日も早い遺骨収集への期待ではないか。

 『骨を掘る男』として映像化されたことで知られる、沖縄でコツコツと骨を掘り出してきたガマフヤーの具志堅隆松さんにお目にかかった時、自分も戦没者の慰霊の行脚だから、一度は遺骨収集を実践してみたいと話したら、「収集に適した時期はあるけれど、協力しますよ」と快諾された。
 その後、コロナ渦になり、加齢もあって、心身共に著しく衰えてしまい、沖縄に行くことも難しくなってしまい実践できなかった。
 元気なうちに、挑戦すべきだったと悔やむ。

 それでも、具志堅隆松さんの活動を応援することはできるので、空襲、空爆で非武装の市民を無差別に殺戮したカーチス・ルメイ司令官に日本政府が叙勲を与えたことに抗議する具志堅隆松さんのことを3月13日の大阪大空襲のことに関連して書き、一人でも多くの人に知ってもらうようにと願っている。

 自分の父親は召集されて、無事帰国を果たせたのは、送り込まれたのがインドネシアのスマトラ島だったからで、アッツ島や硫黄島のような玉砕の島だったら帰国できなかったに違いない。

 運否天賦という言葉があるが、人の運命はわからないものであるとしても、戦争だけはやってはいけないとつくづく考えさせられる。
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