2024年12月18日「夕方ワイド新潟一番」放送よりとして、TeNYテレビ新潟が「戦後80年 経験つなぐ…子どもたちが学んだ戦争と平和 劇で伝える長岡空襲 願い込めて打ち上げた花火 “白菊” 」を1月27日のWEBで取り上げてくれたので語り継ぐ戦争の立場から書いておく。
1945年8月1日午後10時半、米軍が16万発以上の焼夷弾を投下、1488人が犠牲となり、市街地の約8割が焼け野原となった。
長岡市にある黒条小学校では、毎年6年生が平和学習として1年かけて長岡空襲について学び、秋に発表会を行っている。戦争体験者長岡空襲を経験した“池田ミヤ子さん”(91)の証言などを元に制作された劇や平和について考えるポスター発表だ。
ちぎり絵で、鎮魂の花火「白菊」を再現した募金箱や、自分たちで育てたコメを売って集めた資金で、発表会の最後に「白菊」を打ち上げる予定だという。
黒条小は「白菊」花火師嘉瀬晃さんの母校なのだ。
池田ミヤ子さんの母親は空襲で亡くなった娘の遺体を自分たちで焼いている。自分の娘の遺体を焼いたときの母親はどんな気持ちだったろうと思いやる様子が伝えられ。戦争の悲惨さに心を動かされた。
犠牲者の鎮魂と平和への願いが込められた花火「白菊」は打ち上げられた・
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で長岡を訪れたのは2017年8月のことである。
自由のために発信している立場として、人々から自由を奪う戦争の犠牲者の慰霊をする傍ら、同じく自由を奪われた遊女、女郎などと呼ばれし女性たちの供養も続けてきた。
新潟から佐渡に行き、佐渡金山で働く男たちのカネを搾り取るために作られた水金遊郭の跡地を目指した。
水金遊郭の女郎と佐渡金山で働く水替え人足の心中という悲恋物語である津村節子『海鳴』(文春文庫)に影響されてのことである。
長岡では何といっても一番伝えたいこととして、米軍の空襲、空爆で犠牲となった1488人の名前を特定していることだ。
約何人という表現が使われるほど空襲、空爆の犠牲者全員を特定することは難しいことだろう。
自分が知る限り、犠牲者全員を特定したことは自治体でも耳にしたことがなかった。それだけに関係者の努力に頭が下がる。
約と数の前につくとなると、同じ犠牲者でありながら、数に入れてもらえない人がいることになってしまうのではないか。不公平だし、同じ死者なのにと思ってしまう。
長岡は花火があまりにも有名であり、子どもたちの語り継ぐ戦争のイベントのフィナーレが鎮魂の花火「白菊」打ち上げだというのが長岡らしくて素晴らしい。
NHKドキュメント72時間で、新潟のドライブスルーでこの地の名物みたいになっている「イタリアン」と「餃子」を買い求める人々を取材していた時、長岡の女性と埼玉だったかの男性、いずれも40代のカップルに話を聞いていた。
娘が二十歳だという女性が娘のためだけに生きてきたと言いながら、連れの男性と知り合い、自分に会いに来てくれた男性とのことを語っていた。
無論、自分が長岡に行き、空襲の犠牲者の名前を特定している温かみのある街であることを知っていたから、長岡のこの女性の今度こその幸せを願ったことは言を俟たない。
2025年01月27日
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