「筋を通した昭和の男 高倉健の偉大な背中」という見出しで、東京大手町の読売新聞ビルで10月3日から11月28日まで開催された「没後10年展『高倉健に、なる。』」には、全国各地から連日大勢の人が訪れた。
「大切なのは、自分の役目は何なのかを見極めて、一生懸命悔いのない毎日を送ることだ」と書いた本紙への寄港、「人生の喜びは何かを得ることではない。得てから大事にしていくこと」(直筆は、わとなっているが、はで書いた)というメモ―。展示品は、スクリーンの外でも硬派な生き方を貫いた高倉健の美学を伝えた。と12月8日の読売が「広角/多角」というタイトルで(田中誠文化部次長)が伝えている。
1983年発行の写真集「高倉健⦿独白」(学習研究社)から高倉健を励まし続けた作家丸山健二さんから引用した文章に心を揺さぶられた。
「暗くて、重くて、正しくて、強い一匹狼のイメージは、いつしか敬遠されるようになった。(中略)弱くてだらしない男たちが、『普通でいいんだよ』(中略)などという小賢しい言葉の上であぐらをかいている。その中にあって彼は男であり続けたいと願い、役者をしながらもその姿勢を楠層とはしない。それが高倉健ではないのか」
先般、高倉健が一番輝いている『駅 STATION』をTVが放送してくれたので夢中で視聴してしまった。
映画館でこの映画を観たことが心に刻み込まれたのだろうか。語り継ぐ戦争で、稚内から留萌にレンタカーで移動した時、隣町の増毛に行ってみたら、映画の舞台となったこの街に風待ち食堂だった建物が健在で、観光案内所のようになっていた。
そこで、樺太から引き揚げてきた小笠原丸など3船が留萌沖でソ連の潜水艦からの攻撃で沈められたので、慰霊の旅をしていることを伝えると、主が小笠原丸の犠牲者の慰霊碑が近くの町営墓地にあるからと教えてくれてお参りすることができたのである。
増毛の駅にも行ってみたが、残念ながら廃線で、駅舎があるだけだった。
何故、高倉健かといえば、昭和の価値観ともいえる「男らしさ」の代表が高倉健なら、同じ昭和を生きてきた団塊の世代の一員である自分は意気地なしで、「男らしさ」に憧れるばかりだったからだ。
しかし、それでも、自分は卑怯な振る舞いはできるだけしないように努力してきた。
然るに、お笑いタレントが性暴力疑惑で週刊誌を訴えながらも、身の潔白など全く晴らす意思もなく、提訴を取り下げた。
かと思えば、正義の味方でなければならない検察のトップが部下の女性検事に酒を飲ませ、抵抗できなくした上で性的暴行をし、公判で一度は認めた事実関係を翻し、同意の上だったとして事実関係を争う姿勢に転じたという見苦しさ、往生際の悪さである。
就活生に対する、雇用する側の権力を笠に着たセクハラ、性的暴行も後を絶たず、厚労省が防止策を国会に提出するとも伝えられtえいる。
高倉健とはまるで正反対の卑怯者たちが跋扈しているのだ。
それだけに、高倉健の生き方が見直される所以である。
意気地なしだから、高倉健さんのような生き方はできないが、それでも、女性に酒を飲ませて抵抗できなくして性的暴行するような卑怯な真似は絶対しない。
東映の『昭和残侠伝』のような所謂やくざ映画は映画館で観たことはないが、『飢餓海峡』とか、山田洋二監督『幸せの黄色いハンカチ』以降の作品は結構観ていて、作品名を以前書いてみたことがあった。
筋を通す。これは大事なことだとつくづく思う。
2024年12月14日
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