非加熱の血液製剤でエイズウイルス(HIV)に感染した血友病患者らが国と製薬会社に賠償を求めた薬害エイズ訴訟の原告被害者のうち、半数を超える748人が11月1日までに亡くなった。
訴訟提起から35年、被告の謝罪と和解後、治療薬の発達でエイズは死の病ではなくなったが、中年層以上になった被害者の多くが今も困難を抱えている。と11月20日の読売(小松夏樹編集委員)が解説の紙面で伝えている。
被害者らが運営する「はばたき福祉事業団」によると、原告被害者1384人中、1日現在の生存者は636人。エイズの発症者は減ったが、ほとんどが血友病とHIV、重複感染の肝炎による肝機能障害などがあり、日常生活に何らかの支障がある人が多い。
訴訟が係属していた頃、10〜20歳代が中心だった被害者は、両親にも被害者自身にも介護が必要になる時期が迫っている。喫緊の課題は、体調のさらなる悪化や老後に備え、どのように生活を成り立たせていくかだ。
病気のことを周囲にも言えない場合、地域の福祉を利用することが難しい。地方では、複雑な治療に対応できる医療機関も少なく、支援体制も不十分だ。
ために、医療ソーシャルワーカーと安心して繋がれる仕組みが必要になる。
国は被害者の支援にあたる責務がある。
語り継ぐ戦争ではあるが、薬害エイズ問題に関して、力が入るのは元731部隊の中枢にいた陸軍軍医学校教官の内藤良一(元軍医中佐)が戦後創業した製薬会社が旧ミドリ十字だからである。
このことを教えてくれたのは、陸軍登戸研究所を明治大学が平和教育登戸研究所資料館として公開し、そこのイベントだった。
つまり、中国人捕虜をマルタと呼んで人体実験した731石井部隊にいた内藤良一が創業した会社だから、そもそも人命など軽く見ていたのであろうよ。(鬼平調になってしまった)
ということで、人間は変わらないものだということ。
しかし、被害者の立場からすれば、とんでもないことで、傍から見ても気の毒この上ない。運が悪かったで済む話ではない。
エイズに感染している若い男性と接したことがある。
感染力が弱いとは知っていたが、当時は強烈に差別されていたし、今でも、エイズと分かれば差別されるのではないか。
ハンセン病患者や家族が差別されたようにである。
その患者たちがあれから幾星霜、もう介護が身近な年齢になりつつあるということで、老人福祉施設から入所を断られてしまうということなら、大きな社会問題ではないか。
製薬会社と国が原因者なのだから、患者が亡くなるまで、その責任があり、面倒をみなければならない。
患者の皆さんにエールをおくりたい。
2024年11月24日
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