シベリア抑留に関する記録や表現活動で功績のあった人を顕彰する第10回「シベリア抑留記録・文化賞」(シベリア抑留者支援・記録センター主催)に、石村博子さん著の『脱露 シベリア民間人抑留、凍土からの帰還』(KADOKAWA)と佐野伸寿さんが製作・監督・脚本を務めたカザフスタン・日本合作映画「阿彦哲郎物語 戦争の囚われ人」、カザフスタン・キルギス・日本合作映画「ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代」が選ばれた。また企画奨励賞を窪田由佳子さんと友人・支援者が受賞した。
第10回で幕となった。と11月20日の毎日新聞が夕刊で伝えている。
シベリア抑留関連では第2次世界大戦後に旧ソ連によるシベリア抑留で亡くなった寄友壮一さんの遺骨が21日、長女で横浜市鶴見区の太田尚子さん(79)のもとに戻ったと11月22日の朝日新聞のデジタル(増田勇介記者)が伝えている。
厚生労働省がロシアのハバロフスク地方で収集した遺骨をDNA鑑定したところ、寄友さんと確認されたという。
寄友さんは妻の鈴子さんと旧満州・ハルビンで暮らしていた。
1945年5月に出征し、野砲兵128連隊に所属していた。亡くなったのは同年12月。風土病による病死だったという。
厚労省はDNA鑑定で戦没者の遺骨の身元特定を進めており、この夏、太田さんが検体を提供したことが今回の遺骨返還につながった。ただ、県によると、県内での遺骨の返還は23年度までの10年間で21件にとどまるという。
人間の記憶というものはあまりあてにならない。
記憶力の確かな人がいることは知っているが、自分を例にするなら全く当てにならない。
だから、記録することの重要性に関しては十分認識している。
記録というほど大袈裟なものではないが、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で2008年から2019年、つまり、コロナ禍になる前まで日本全国の慰霊碑を周ってきたことを書き留めてきたから、時々、見つけて、読み返してみると、記憶の曖昧さを再認識させられてしまう。
毎日、飽きもせず書き続けているが、書いたことを詳しく覚えていることなどほとんどない。
加齢による衰えのせいばかりでもなく、もともと記憶力がよくないのかもしれない。
さて、シベリア抑留、それもハバロフスク地方での遺骨収集のDNA鑑定が功を奏し遺骨が家族の許に帰れたというニュースは語り継ぐ戦争の立場から見れば、佳いニュースである。
もう一つは、シベリア抑留に関する記録や表現活動で功績のあった人を顕彰する第10回「シベリア抑留記録・文化賞」(シベリア抑留者支援・記録センター主催)が10回で終わってしまうという寂しすぎるニュースである。
戦後79年、先の大戦時における出来事を不都合な真実として、なかったことにしてしまおうという勢力がいる
が、日本の加害者、あるいは被害者としての出来事は消そうとしても消せるものではない。
己の過去を消せないのと同じことである。
『脱露 シベリア民間人抑留、凍土からの帰還』を著した石村博子さん。
未読ではあるが、シベリア抑留のことを後世に残すことの重要性を考えれば、石村さんの作品は価値がある。
2024年11月23日
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