2024年10月26日

大阪での語り継ぐ戦争 恩師の墓参り

 2008年8月21日に訪れた知覧特攻平和観音堂から始まった語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚は、2019年11月10日、高さ24bの観音様の座像で知られる京都霊山観音を訪れたのを最後に2020年からコロナ禍が始まり、どこにも出かけられなくなってしまった。

 古希を過ぎ、後期高齢者になる人生最後ともいうべきがんばり所であったが、心身共に著しい衰えに見舞われ、このまま、もうどこにも出かけられないままお迎えが来ると悲観していた。

 2024年になって、コロナの扱いが変わり、マスク着用が緩和され、人々の活動も徐々に元に戻ってきた。
 しかし、歯、白内障、耳鳴りと難聴、さらに、コロナ症状が出て寝込み、歯茎の痛み、自宅で躓いて足の親指を捻挫ということで精神的にも鬱状態であったが、10月を迎える頃、ようやく少しずつ元気を取り戻しつつあったので、ずっと気になっていたことを果たそうとJTBに行った。

 実は、2010年11月6日、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で大阪城を訪れたとき、ガイドをしていただいたボランティアの植野雅量さんとその後も交流が続き、大阪での戦災ばかりでなく、難波宮など大阪の歴史のことまでご教示いただいた。
 ために、語り継ぐ戦争のわが師と仰いでいたが、2023年11月2日、90歳で亡くなられたことを知り、墓参りに行くつもりでいたが、体調がよくなくて行かれなかったのである。
 1周忌を前に何としても、墓参りをと願っていたところ、体調が上向いたので、10月24、25日で大阪に行ってきた。
 事情があるとのことで、納骨されていなかったので、「遅くなってしまったけれど、来ましたよ」と仏前で「手向」を吹いたところ、ご妻女とその親しき友人の女性は落涙して故人を偲ばれたようだった。

 大阪梅田から阪急電車に乗ったが、途中、東京の大川と呼ばれた墨田川みたいに広いでっかい川を渡った。川の名前は不明ながら、もしかして淀川だったかも。

 慰霊碑を探すときとは異なり、個人の家を探すために大阪を歩いたのは初めてのことで、知らない街を歩くのは楽しい。おかげで、大阪の街のことが少しばかり分かった気がした。

 交通アクセスがいいので、大阪のグランヴィアに宿泊し、せっかくだからということ、翌日、奈良の依水園に行き、池泉回遊式の庭を眺めながら、昼食を済ませて園内を散策した。

 近鉄奈良駅に降りたのは2010年11月5日の平城遷都1300年で訪れた時以来だから、東大寺の大仏様だけにはお参りをと大仏殿に向かったが、中国人、欧米人、修学旅行生プラス鹿で歩くのも大変だった。

 出かけるときは常に一緒の連れ合いは、久しぶりの新幹線に久しぶりのグランヴィアで大喜びで、「来年も、出かけられますように」と祈っていた。

 語り継ぐ戦争の今回は番外編みたいなことになったが、自分としても、できれば、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を続けたいと願っている。
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