2024年10月18日

祖先信仰 死後も続く 私たちの物語

 今や、読売の看板となりつつある連載「あすへの考」。その10月13日は【日本型の死生観】をテーマにチェコスロバキア出身で淑徳大学教授郷堀ヨゼフさん(45)に(古沢由紀子編集委員)聞いている内容が実に興味深かったので書いておく。

 日本の農村で調査する中で、「稲作をすれば地域のことが分かる」と言われ、新潟は上越で約7eの田んぼを借りてコメ作りをしているヨゼフさん。
 遺影に話しかける高齢者の姿を目にした時、カルチャーショックを受けたそうな。
 かつて、共産党独裁政権下で、宗教が抑制され、葬儀を行わない人が多いチェコ出身だからか。

 死者との関係を緊密に保ってきた伝統的な日本社会。死という本人と周囲にも大きな試練は葬式仏教という言葉があったくらい宗教が担ってきたことであるが、今日、葬儀の費用がかかりすぎることから、葬式や墓をやめる動きが広がりつつある。

 日常から死者を排除し、生命の枠組みを自分の誕生から死までに限定すると、「自分さえ、今さえよければいい」という考えに傾きがち。受け継いだバトンを未来につなぎ、いかに生きるかを考えれば、私たち自身の物語は終わらずに続いていく。
 今日まで受け継がれてきた仏壇や遺影が「あの世である異界との日常的な接点になり、死者や先祖に見守られているという思想には仏教だけでなく、土着の祖先信仰が影響している。死を超えて続くつながりは、人々に安心感をもたらしている。
 日本の日常生活に溶け込んだ死者との対話は、家族の悲嘆を緩和するグリーフケアとして近年、海外でも注目されているくらいだ。
 荒っぽいが要旨である。


 いつの頃からか、毎朝、仏壇と神棚に手を合わせ、ご先祖に感謝と日々の安泰を願うのが習慣になっている。
 宗教の勉強をしたわけではないが、個人的には先祖の守護霊に守られて今日に至っていると我が身を振り返って常に感謝の気持ちを抱く。
 還暦が過ぎ、古希を前に小学校のクラスメートで親しかった2人が亡くなり、古希が過ぎ後期高齢者まで大丈夫かなと思っていたら、大学のときから親しくしていた友人がすい臓がんで亡くなり、後期高齢者になるや、10代から20代と富士五湖の本栖湖でキャンプした運動神経友人が今夏、亡くなった。
 同級生や友人たちの中で自分が一番先に死ぬだろうと思っていたが、50代半ばを前にリタイアし、自由を手にして、畑で有機無農薬で野菜栽培を始めたからか、今日まで生きている。

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚をしてきたくらいだから、死者は比較的身近にいるのだ。
 ところが、コロナ禍でどこにも出かけられなくなり、ようやく、騒ぎが収まりつつある2024年。コロナ症状で体調不良になり、8月になるや歯茎が痛み出し、その後、自宅で躓いて足の親指を捻挫しという具合で精神的にもダメージを受け、鬱状態になってしまったのである。

 それでも、10月になって、大阪でお世話になった恩人の墓参りを企画していたら、少し体調が上向いてきた。

 チェコ出身の文化人類学者郷堀ヨゼフさんの「死後も続く私たちの物語」を興味深く読んだのは、自分の死が近いからだと思うが、今夏亡くなった友人は、先日、手を合わせに訪れたら、無宗教だから、線香も無用かつ、納骨されないまま箪笥の上に遺影と共に安置されていた。

 田舎で調査をしているとき、遺影に語り掛ける高齢者の姿を見てヨゼフさんは驚いたらしいが、自分だって、毎朝の日課として、仏壇の前で死者に語り掛けていることを思い、一昔前の日本なら当たり前のことだと思っていたが、これからは、こんなことも少なくなっていくのかもしれない。

 死者を大事にしない社会は、生者も大事にされないはずだから、死者を大事にすることをもう一度見直した方がいい。
 語り継ぐ戦争では遺骨を収集することが求められる所以である。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/191102973
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック